耳に入ってくるのは人々の喧騒。甲高い子供の騒ぎ声や野太い男たちの笑い声で起こされる目覚めほど気の良いものはない。
 ハジメは悪夢から目覚めるように飛び起きた。途端、ハジメの脳内をもってしても処理できない情報量が飛び込んできた。
「僕はまだ夢の中にでもいるのか?」
 レンガで作られた中世ヨーロッパ風の街並みに、舗装もされていない道路を進む馬車や人力車。町ゆく人々の数は明らかに人口過多だ。彼らが着ている服も中世ヨーロッパのような皮や麻で作られたような古めかしいものだ。
 それならまだしも、背中にハンマーを背負った二メートルを超える筋骨隆々な男。耳の尖った少女は奇妙な形の杖を持っている。そして派手な装飾の入った剣を持つ騎士が道の真ん中を歩いていた。 
 ハジメはそこでようやく自分が外で寝ていたことに気づいた。
「服はそのままか……」
 まずは状況確認から入る。服は紺色の寝間着で、持ち物は何も持っていない。靴も薄手のスリッパだ。服やスリッパには土や汚れといったものがまったくついていない。
(まずは確認だな)
 ハジメは壁に向かって拳をたたきつけた。その奇行に道行く人が見つめてくるが、ハジメはそんなことお構いなしだ。
「夢、ではない」
 拳には血がにじみ出ており、頭に伝わる痛覚も本物だった。
(テレビの企画、薬の副作用、感覚も伴う仮想世界の実験……どれも疑問が残るな)
 テレビだと規模が大きすぎて、薬だと意識がハッキリとしていて、仮想世界の実験ではあまりにリアリティーが過ぎる。
「試してみるか」
 ハジメはさっき目の前を通り過ぎた騎士一行の元へと走っていった。
「失礼」
 話しかけると、騎士が振り返った。
「何か用かな?」
 それを聞いてまっさきにハジメが思ったのは
(言葉が通じる)
 ということだった。奇想天外な場所にいる以上、言語が通じないことも懸念していたハジメはひとまず安堵した。
 甲冑で顔は見えないが、声からして男であることが分かる。それを聞いてハジメは安心して心のストッパーを外した。
「いえ、僕はただーー」
 エースは精一杯のビジネススマイルを作る。
「少しだけ手荒な真似をします」
 返事も聞かずにハジメは右手で騎士の左肩を、左手で騎士の左腕をつかんだ。そして足払いをして騎士を地面に押さえつけた。
「ぐはっ!」
 情けない声を上げて騎士は倒れこむ。甲冑から振動が伝わって気絶したのだろう。ハジメは関節を極めて動きを封じるつもりが、地面に押さえつけた時点で騎士は動かなくなっていた。
「これは好都合だ」
 杖を持った少女と筋骨隆々の男が唖然としている中、ハジメは悠然として騎士の腰から刀を抜き取った。
「へえ……中央のルビーは本物だし金も銀も混合物じゃない。剣も白鋼か」
「お、おい! お前!」
 そこで我に返った筋骨隆々の男がハジメの頭上で大声を上げた。それまで背中に背負っていた巨大なハンマーをおおきく振りかぶっている。
 振り降ろされると同時に、ハジメは男のハンマーを握る両腕の内側にもぐりこんだ。
 ハンマーは騎士が倒れている真横に叩きつけられ、地面にめり込む程の威力だった。
「見掛け倒しの筋肉ではないようだけど……」
 ハジメは男の腕の内側からハンマーの取っ手を掴んだ。てこの原理を用い、男はハンマーを持ち上げることができなくなる。
「筋肉にしては無駄な部分が多い。背筋の筋肉量もこのハンマーを持ち上げられるに足りていないのだが……」
 そしてハジメは思いっきり右足で男の股間を蹴り上げた。
「ひぃぐ!」
 情けない声を上げて倒れこむ。
「金的は通じるのか。そこまで急所を晒しているからてっきり効かないものだと思ったぞ」
 ハジメの足元には気を失った騎士と股間を抑えた屈強な男が倒れていた。道行く人は足を止めてまで何が起こったのかを見ていた。
「さて、最後に君の持つ杖をよく見せてくれないか」
 数歩離れて傍観していた少女の元へと近づいていく。少女は見た目の幼さとは裏腹に、鋭い視線をハジメに向ける。
「……頼むよ。公衆の面前で女の子を殴るのは趣味じゃないんだ」
冗談めかしてなだめるが、少女はハジメに一切聞く耳を持たない。
「いい加減に、してください!」
 少女は両手で握りしめた杖を前に突き出し、杖の先端についたエメラルドの宝石が光りだす。
「『エゾルフ』!」
 少女の叫びと共に地面から氷の柱が出現する。柱はハジメの鳩尾へと直撃した。そのまま氷の柱がハジメの身体を覆い三メートルほどの高さまで持ち上げられた。
「ぐ!」
 歯を食いしばるが、肺も押しつぶされて満足に息ができない。
(なんだコレは……!)
 何もない場所から突如現れた氷の柱は幻覚でも手品なく本物だった。質量保存の法則を無視し、呪文と共に現れる。
(魔法……?)
 それは人一倍論理的な思考をするハジメも自分自身驚く結論だった。しかし、魔法以外の言葉で説明することができないのも事実だ。
 光る杖を持つ少女を見下ろしながら、ハジメの意識は遠ざかっていった。



 額に滴る水滴でハジメは目を覚ました。
(この短時間で二度も気持ちの悪い目覚めをするとはな)
 起きてまず目に入る天井には何匹ものクモが陣地争いのごとく巣を作っており、雨漏りなのかレンガの隙間から薄汚れた水滴が零れ落ちていた。
 目線を下に動かすと、両手には木製の手錠が付けられている。目線を横に動かすと、錆びた格子の向こう側には酒瓶を手にした男が寝ていた。
「……ここは牢獄か?」
 いびきを掻いて寝ている男に呼びかける。
「……んぁ」
 むくりと起き上がり、赤く染まった髭面をハジメの方に向けた。
「ぁんだ。おきたのか……」 
 男は全く呂律が回っていなかった。足元もおぼつかず、今にも倒れそうだ。
「ちょっと……待ってくれ」
 男は机の上のタオルを取ると、近くの水道を捻って水に浸した。そして濡れたタオルで顔を拭いてリフレッシュをする。
「それで? なぁんていったんだ?」
 まだ呂律は回っていないが、目は焦点を失っていなかった。
「ここは牢獄か。と、尋ねたんだ」
 酔っ払いにも聞こえるように、ハキハキと話しかける。
「いいや、違う。正確にはここは留置所だ。このノドル国にはお前のような異邦者を入れるような監獄は十分にないんだよ」
「異邦者……?」
「たとえスカル街でもノドル国に住む人間はすべて国の特務機構に記録されている。お前みたいに密入国した奴らはそういった記録がないから見つかり次第、大陸側に島流しする予定なんだよ」
「……島流しとは。随分と罰則も古風だな」
 男は頭を掻きながら腰に付けた鍵束を取りだした。
「酔いも冷めてきたし、とっととお前の取り調べを始めるぞ」
 そういって男はハジメのいる監獄の扉を開けた。
「ほら、ついてこい」
 ハジメは両手を封じる木製の手錠を見た。使い古されているのか、少しの衝撃で壊れそうな手錠だ。
「変な考えはやめときな」
 その声は隣の牢屋からだった。ハジメは格子を出て声の主の顔を見る。
 格子の中には分厚いコートを着た若者が壁にもたれ掛かっていた。
「お前はいま、魔法を使えばこんな場所から逃げられるそう考えただろ。だが残念、この国ではそんなことをすればお前は指名手配されて衛兵たちに追われる日々を送ることになる。そこにいる飲んだくれの衛兵と違う、城内のチョー優秀な衛兵サマだぜ」
「おい、黙れ!」
 さっきまで穏便だった衛兵の男が格子を蹴りつけた。格子は今にも壊れそうな音を立てって軋む。
「なんだよ、俺は事実を言ったままだぜ。とにかくお前はおとなしくしといたほうがいい。ここで暴れちまえば、島流しよりも酷い刑がお前に待っているからな」
「黙れと言っているだろ!」
 衛兵は手に持っていた酒瓶を格子にたたきつけた。衝撃で瓶の底が砕け散る。
 鬼のような形相で衛兵の男は若者を睨みつけたが、若者は飄々として全くひるんでいない。
「おぉ怖い。これじゃあ俺も捕まっちまうぜ」
 若者は舐めきった態度を止める気は無く、ずっと衛兵をからかっている。
「……いくぞ。こいつの話しには耳を傾けるな」
 ハジメはニヤニヤと笑っている若者を横目に衛兵の後についていった。

 連れてこられたのは小さな部屋だった。
 『取り調べ』と聞いて机とテーブルランプだけが置かれた尋問室を想像したが、この部屋は机の上に資料がいくつも並べられており、食べかけのパンまで置いてある。
「ほら、ここに座れ」
 男は椅子に座り、もう一つの椅子を指さした。
 構図としては教師が職員室の一角で生徒を叱っているようだ。ハジメは日本の小学校に通っていたころのことを思い出し、素直に椅子に座った。
「申し遅れたな。俺はストレインだ。お前の名前は?」
「……ハジメだ。コムロ・ハジメ」
 ストレインの目が大きく開かれる。
「おいおい苗字持ちかよ。ひょっとして名家の生まれか?」
「いや、普通の中流家庭だ。ここでは苗字が貴族の証なのか?」
「なんだ、お前の国では違うのか? この国というかこの諸外国全部そうだ。苗字は子供の将来が約束された名家にしか名乗ることを許されないんだよ。俺たちみたいな庶民には家の証なんて持っていても意味が無いからな」
 ハジメは顎に手を当てて考える。
(やはりこの世界は構造どころか歴史まで違うようだな) 
「それで、お前は何という国からやってきたんだ?」
「……生まれは日本だ」
「二ホン? 聞いたことがないな。で、密入国ルートについても教えてくれるか」 
 ハジメはその質問に一瞬だけ考えを巡らせる。
(ありのままの事実を言っても信じないだろう。それに俺も、この世界について分からないことだらけだ)
「そのことなんだが……」
 頭に手を当て、声のトーンを少し下げる。
「実はここ最近の記憶が曖昧なんだ。自分の名前は覚えているんだが、ここにどういった目的でやってきたのか全く思い出せない。だからこの国について詳しく教えてくれないか。もしかしたら何か思い出すかもしれない」
 ストレインは片眉を上げてハジメを訝しげに見つめる。
「まあ、そういうことなら……」
 記憶喪失を盾に罪を逃れようとするならともかく、思い出す手助けをしてくれとまで言われては断ることができなかった。
「まずは世界地図を見せてくれ」
「世界地図? あったかな……」
 ストレインは本棚に立てた資料を確認する。
「スカル街の地図ならあるんだが、世界地図となるとなあ……。お、古いやつだが一つだけあったぞ」
 大きな紙を取り出し、ハジメ見せた。
「まだ西の航海ルートが開拓されていない時代のものだが、おおよその国の位置が分かるはずだ」
 ハジメ地図をのぞき込む。中央にノドルと書かれた国があり、左上に大きな大陸が描かれている。右側にも大きな大陸はあるが、左の大陸とは違って細かく情報が書かれていない。他にも三つほど大陸があるが、そのどれもざっくばらんとした地図だった。
「最新版ならもう少し細かいんだが……。それで、お前の住むニホンという国がどこにあるかは思い出せるか?」
「……いや、まったく覚えがないな」
「そうか……」
 ストレインは椅子に深く腰を下ろした。ハジメが嘘をついているとは考えてもいないようだ。
「ちなみに、『魔法』とやらについて教えてくれないか」
「おいおい。そんな基本的なことも教えなくちゃいけないのか?」
 呆れたように肩をすくめたストレインだったが、甲斐甲斐しくも懇切丁寧に説明をしてくれた。
「俺も専門家じゃないから詳しいことは分からないが、人には『マナ』と呼ばれるエネルギーが秘められている。それを呪文や魔法陣を通して火や雷や水に変化することができるんだ。中には特殊な魔法を作り上げる人間もいるみたいだぜ」
「君も魔法はできるのか?」
「この世に魔法が使えない人間なんていないさ。お前だって忘れているだけで、思い出せば使えるだろうよ」
 ストレインは腰に付けた鞭を取り出すと、それをハジメに向けた。
「『トセラ』」
 すると鞭はひとりでに動き出し、ハジメの周りをぐるぐると囲みだした。その長さは明らかに最初よりも長くなっている。
「このように、これは犯罪者を縛り付けるための魔法だ」
 ストレインが手を引くと同時に鞭は元の長さに戻った。
「じゃあ僕を襲った氷の柱も魔法の力なのか?」
「氷? ああ、ナイト一団の魔法使いのことか。あの子は氷属性の魔法を得意とする子だからね」
「ナイト一団っていうのは、あの甲冑の男と筋肉の男のことだな」
「そうだ。彼らはバウンティハンター。いわゆる賞金稼ぎだよ。仕事は魔獣の討伐や商売の護衛のように力仕事ばかりだから、お前のような細腕の男があの二人を倒したっているのは驚きだよ。もっとも、彼らにとって沽券にかかわることだろうがな」
 ハジメからすれば見た目だけの彼らが賞金稼ぎを務めていること自体が驚きだ。
「なら彼らも魔法を使えるのか?」
「もちろんだ。だが彼らのような剣士や闘士が使っているのは火や氷を作るような特殊魔法ではなく、肉体を強める物理魔法だ」
 一拍置いてストレインは続ける。
「どうだ、何か思い出せたか?」
「……ああ。少しは」
 空返事をするハジメにはいくつもの疑問が生まれていた。マナや魔獣といった元の世界では空想の産物であったものが確かにこの世界では存在している。
(……面白い)
 ハジメの心には好奇心が沸々と弾けていた。「分からない」、「解けない」という謎があまりに厖大で、ここではこれまでの常識が一切通じない。しかし、ハジメにとってそれこそが至高だ。
 ハジメは右手でおもわず綻んでしまう口元を隠す。
(もっとこの世界について知る必要がある。そのために、居場所が必要だ)
「ちなみに、さっきの話を聞いてもいいかな」
 ハジメは身を乗り出してストレインに尋ねる。
「さっき?」
「隣の囚人が言っていたことさ。この国では犯罪者が捕まらないと言っていただろ?」
「そのことか……」
 ストレインは頭を掻いて面倒くさそうにする。
「アイツの名前はカバリといい、これまで何度も盗難の罪でここに連れてきた。質屋で盗品を売っているところを抑えて留置所に置いているが、実際にアイツが奪った証拠がなければ逮捕することはできない……」
「国の制度か」
「それもあるが、魔法を使われては犯罪を証明する方法がないんだ。城内には過去を視ることができる魔法使いや真実を明らかにする神器が存在しているが、彼らがわざわざこんな辺境の地まで来ることはない。だからこのスカル街では犯罪が当たり前のように横行しているんだよ……!」
 徐々にストレインの口調が強くなり、業を煮やしたように机を強く拳で叩きつけた。
「そのせいでカバリみたいなクズが生まれやがる! アイツは報復を恐れて老人や女子供からしか物を盗まないような奴だ。アイツのせいでいったい何人の市民が飢えで死んでいったと思ってんだ……!」
「……そうか」 
 ハジメは立ち上がり、机の上にある資料を取り上げた。そしてその中身をじっくりと読み進める。
(武具店からは鉱石やアクセサリーのような小さいものばかり。一方教会からは銅像を盗むという大胆なこともしている。武具店のようにセキュリティの強い店も積極的に狙っているみたいな)
「お、おい。何やってんだ」
「カバリに関する資料。これを君ひとりで調べたのか?」
 ストレインは目線を外す。
「……だったらなんだ」
「僕は知りたいんだよ」
 ハジメは資料をストレインの胸に押し当てる。
「汚れた土壌に種を植えても腐ってロクに育ちはしない。だが時折、ストレスをバネに本来よりも美しい花を咲かせる種もあるという。ストレイン、お前はこの街で腐っていく人間の一人か?」
 その問いはストレインの胸に突き刺さった。
 この支部に配属されてから10年経つが、そんなこと考えたこともなかった。
「俺は……」
 腐っている。毎日酒を飲んで、善良な市民の願いも聞き捨てた穀潰しの衛兵人生。
(じゃあどうして、俺は怒ったんだ……)
 留置所でカバリに挑発されたとき、スカル街で犯罪が横行していると話したときも息が詰まりそうなほど胸が締め付けられた。それは紛れもなくストレインが犯罪を憎んでいると言うことだ。
「俺は腐ってなんかいない……! 誰かを傷つけて生きているような犯罪者を捕まえたい……!」
 それを聞いたハジメは口角を上げた。
「よく言った。なら次の質問だ」
 ハジメの笑みはとても10代の少年が出せるようなものではない、悪意の混じった笑みだった。
「この事件を解決するために、僕のカードになってくれないか?」



 カバリは壁にもたれながら天井を見つめていた。
 この天井を見るのも片手で数え切れなくなってきた。カバリは盗みをするたびに衛兵のストレインにここまで連れてこられる。
 とはいえ、信頼できる質屋が一つしかないから売るタイミングで捕まるのは仕方がない。盗難で捕まらない分、留置所に拘留される方がマシだった。
「よくも俺を騙そうとしたな!」
 勢いよく扉があき、怒号が飛ぶ。同時にさっきの密入国者が床に突き倒された。
 ダラダラと残り時間を過ごしていたカバリは突然の怒号に思わず体が飛び上がる。
「しばらくそこにいてろ!」
 扉の奥から険しい表情をしたストレインが密入国者を牢屋に投げ込む。鍵を掛けるとその鍵が入った鍵束を机の上に置いて留置所から出て行ってしまった。
「……ッ!」
 密入国者は傷を抑えているのか、壁越しに辛そうな声だけが聞こえる。厄介ごとに首を突っ込むのは避けたいところだが、今回ばかりは好奇心を抑えられなかった。
「おい、お前一体何やったんだよ」
 壁際まで近づいて声をかける。
「何のことだよ……?」
 壁の向こうから辛そうな声で返事が返ってくる。
「ストレインがあんなキレてんの初めて見たぜ。何やったらあんなブチギレるんだ?」
「別に……ただ彼を手駒にしようとしただけだ」
 密入国者は格子から手を伸ばし、床に落ちていた酒瓶を掴んだ。さっきストレインがカバリに怒って叩きつけた底の抜けた瓶だ。
「君、名前は?」
「ん? 俺は……カバリだ」
「そうか。カバリ、どうにかあの机の上の鍵を取る手段はないか?」
 密入国者は格子の隙間から瓶を持ったまま手を伸ばす。瓶は机の上の鍵へと向けられているが、長さがまったく届いていない。
「おいおい、さっきの俺の話聞いてなかったのか? ここから脱走しようものなら指名手配されちまうんだぞ」
「そんなことは承知の上だ」
 壁越しに話が続く。
「僕の名前はコムロ・ハジメ。東洋から来たコムロ家の末裔さ」
「コムロ? お前、苗字持ちなのか?」
 カバリはハジメに興味を持ち、壁越しでも声のテンションが上がっているのが分かる。
「そうだ。僕の先祖は数百年前にこのノドル国に交渉のため訪れたんだ。しかし、王族に裏で雇われた野党によって闇討ちにあってしまった。何とかコムロ家の数人は祖国に帰ることができたが、それ以降はノドル国との交渉は一切行っていない」
「おいおい。そんな奴がどうしてまたこの国に来たんだよ」
「王族の目的はコムロ家に伝わる古の秘宝や財宝の数々だったらしい。彼らは僕の祖先たちを殺して奪う予定だったが、探しても見つかることはなかった。逃げたコムロ家の人たちが持ち帰ったと諦めたらしいが、実際はこの地の秘密の場所に隠したんだ」
「じゃあお前が密入国した理由って」
「ああ。その秘宝を取り返すためさ。でもこうして衛兵に見つかってしまったせいで国外追放される寸前ってワケさ。そうなる前に、僕は何としてもここから出て秘宝の元へと行かなくちゃいけない」
 ハジメの必死な話を聞き、カバリは生唾を飲んだ。
「その秘宝とか財宝っていうのは……どんなものなんだ?」
「城ひとつくらい余裕で買えるほどらしい。……カバリ、もし君が手伝ってくれるなら財宝を譲ってやってもいい。僕が持ち帰ろうとしているのは秘宝の方だからな」
 カバリは壁に張り付くようにハジメに話しかけた。
「その格子を開ければいいんだな? そうすれば俺に財宝を譲ってくれるんだな?」
「もちろんだ。ただ本当に開けられるのか?」
 扉をちらりと見て、カバリは地面に人差し指を付けた。
「任せろ、俺の魔法を使えば簡単だ。だが、俺が手助けできるのは扉を開けるだけだ。ストレインに何か聞かれても俺は何も答えないぞ」
「それで大丈夫だ。僕が捕まったとしても君の名前は出さないさ」
 カバリは地面に指で魔法陣を書き出した。そして完成した魔法陣の上に立つ。
「『ナイル』」
 呪文と共に、カバリの身体は10センチ程度の大きさへと小さくなった。
 小さくなったカバリは簡単に格子を抜け、机をよじ登ると鍵束を取り上げる。
「ほら、受け取れ」
 カバリは小さくなった体で鍵を投げ、ハジメは手を伸ばしてその鍵を受け取った。
「驚いたな。身体を縮ませる魔法か」
「これは誰にも見せたことのない俺の魔法だ。ここまでしたんだから約束は絶対に忘れるなよ」
「そうだな……。本当に感謝しているよ」
 鍵束の中から格子の鍵を見つけて開けると、ハジメは酒瓶を片手に外に出る。
「唯一の懸念点は、君が日和って手助けをしないことだったからな」
 ハジメは酒瓶をカバリに向かって振り下ろした。瓶は勢いよく地面に叩きつけられ、破片を辺りにまき散らす。
 カバリは間一髪で直撃は免れたが、瓶の破片のせいで身動きがとりづらくなった。数ミリの破片だろうと10センチのカバリにとっては十分脅威になりえる。
「おい! 何しやがる!」
 カバリは小さくなった体でできる限りの叫び声を上げるが、ハジメはそれを無視して扉の方を向いた。
「今だ、ストレイン!」
 ハジメの合図でストレインが扉を開けた。
「『トセラ』!」
 ストレインの鞭が宙をうねり、カバリを捕らえ上げた。
「お前ら……グルだったのか!」
 怒鳴るカバリをストレインが睨みつける。
「観念しろカバリ。お前が物体を縮ませる魔法で盗みを働いたことはこれで証明された」
「ふ、ふざけんなよ! 縮ませる能力はあっても、それを実行した証拠はどこにもないだろ!」
「銅像はどうだ?」
 ハジメが割って入る。
「教会で盗んだ銅像はまだ質屋に売られていないみたいだな。もしお前の家から縮められた銅像が見つかったら、それは証拠になる」
「……ははっ!」
 カバリは縛られながら一笑した。
「残念だが俺はもうすぐこの留置所から解放される。罪状もなしに勝手に人の家を荒らすっていうのかよ。そんな真似、この街の衛兵ができるわけねえだろ! この街では俺達犯罪者が勝つようになってんだ!」
「気づかないのか?」
 ハジメは問いかける。
「君が言ったんだぞ。この留置場から逃げようとすれば、捕まるってな」
「あ」
 カバリは魔法陣を書き、自らの意思で格子を出てしまった。
「だがそれはお前に言われて……! というか、お前俺を騙したのか!」
「あんな夢物語、信じる方がどうかしているだろ」
「いい加減にしろ」
 ストレインがカバリを掴み、用意しておいた瓶の中に入れた。カバリはまだ瓶の中から悪態をついているが、瓶越しでははっきりと聞こえない。
「この状態で引き渡せば十分盗難の証明になるだろうが、お前の言う通りこれからカバリの家を調査してみるよ」
「ならその格子の中にある魔法陣も記録しておいた方がいい。カバリは魔法陣で魔法を使っていたみたいだからな」
「……最後まですまない。お前のお陰で、俺は胸を張って外を歩けるよ」
「分かっているじゃないか。じゃあこのあとすべきことも、当然分かっているよな」
 ハジメはそういい、手錠のはめられた両手を伸ばした。その手には鍵束が握られている。
 ストレインは呆れてため息をついたが、鍵束を受け取るとハジメの手錠を外した。
「今回は見逃してやるが、俺以外の衛兵に見つかればお前はすぐに国外追放されてしまうぞ」
「なに、そもそも留置所に連れてこられて身元確認されなければ安全だろ」
「まあそうだが……。それより、お前行く当てはあるのか?」
「行く当てはないが、することはある」
 ハジメは解放された手首をまわし、ポキと骨を鳴らす。
「君がさっき話したバウンティハンターのたまり場へ行き、そこで探偵として雇って貰うよ」
「探偵?」
「そう、探偵だ。この世界……いや、この国のことをもっとよく知りたいからな。人助けをしながら謎多き事件を堪能させてもらうさ」
「そうか……。なら、またお前の手を借りることになるかもしれないな。お前の推理力は大したものだ」
 ストレインのまっすぐな瞳がハジメを見つめる。
 不意に、ハジメは元の世界で言われた数々の暴言を思い出した。「気持ち悪い」「見下している」。嫉妬と軽蔑の眼差しはハジメの実力を認める裏返しの行動だ。だからハジメはどんな罵詈雑言でも苦しむことはなかった。
(こうして正直に褒められるのも、悪くはない)
 ハジメは気まずそうにストレインから目線をそらす。
「……それより、あまり酒は飲まない方がいいぞ。アルコールは思考を鈍らせるからな」
「そうだな。暫く禁酒にするよ。……ところで、どうしてカバリが縮小の魔法を持っていると思ったんだ? 報告書にヒントになるようなものはなかったと思うんだが」
 ハジメは「そういえば話していなかったな」と言って説明を始めた。
「盗んだ物だよ。カバリは警備の厳しい武具店では装飾の宝石しか盗まなかった。一方警備の緩い教会では銅像のように普通じゃ持ち運べないものまで盗んでいる。武具店で小さめの物しか盗まなかったのは侵入口と同じサイズの物しか運びだせなかったからだろう。だからカバリは自分と物体を小さくできる能力だと気づいたんだ。
 さらに言えば、カバリは自分の好きなタイミングで元のサイズに戻ったり自分が小さくなっているときに他の物を小さくすることはできないってことも推察ができる。
 これらができてしまえば武具店からも大きいものは盗めるからな」
 ハジメはカバリの入った瓶を小突いた。カバリは瓶の中で尻餅をついてハジメを睨み付ける。
「……流石だな」
 ストレインの賞賛をよそに、ハジメは首を振った。
「これも君が報告書をしっかりと書いていてくれたお陰だよ」
 ハジメは謙遜をして留置所の扉へと向かって歩き出す。
「それじゃあ」
 振り返ることもなく、ハジメは外へ出た。
 外は活気でみなぎっており、待ちゆく人みんながしっかりと前を向いて歩いている。ハジメは右も左も分からずとも、前へ進むために一歩を踏み出した。