序章 異世界ミステリー
首都ノドル
数十年前、いち早く魔族に有効な魔法を大成させたノドル国は、周辺国だけでなく世界中を率いる大国へと進化した。特に首都ノドルは王家や代々続く貴族や地主、そして対外戦争で成り上がった家系が多く住む発展都市だった。人々はノドルでの煌びやかな生活にあこがれ、地方や外国からも移住者が後を絶たない。
しかし、光の裏には必ず影がある。
成り上がり損ねた市民は郊外に住みつき、そこで形成された町はスカル街と呼ばれるようになった。スカル街という名前は日常的に犯罪が繰り返される無法地帯となったことを皮肉にした呼び名である。やがて国王は城下町を囲むような壁が建てられ、スカル街からは壁の中を『城内』と呼び妬みと羨望の対象に変わっていった。
城内とスカル街の貧富の差は徐々に開いていき、国王もスカル街の統治はほとんど諦めていた。国民全員の戸籍を登録しているだけで、犯罪の取り締まりと治安を維持するための組織である衛兵はスカル街に一つしか支部が作られていない。
そのため、スカル街管轄の衛兵は昼夜問わずスカル街で行われた犯罪に対処するひつようがあった。最近別の部署から移った衛兵のトルバも連日で朝から殺人事件の現場へと向かった。
寮に連絡を受けてトルバは首からロケットを下げ、まだ新品の香りが抜けない衛兵の制服を身に纏う。そして支給された衛兵御用達の剣を腰に付けると、急いで現場へ向かうと、そこには既に先輩のストレインが待っていた。
年齢は30代過ぎくらいだが、ガタイの良さと無精ひげのせいで50台にも見えるような貫録を持っている。
「すみません、ストレインさん!」
先輩を待たせてしまったためトルバの表情には焦りがうかがえる。しかしストレインは「よう」と片手を上げるだけで怒りの感情は一切なかった。
新入りにとってこの過密スケジュールはついていけるはずがないと理解を示していることもあるが、人手が来たところでどうこうなる問題ではない。
「遺体搬送係は既に頼んである。お前は一般人がここに入ってこないように見張っておけ」
「分かりました!」
トルバは切り良く返事をし、もう集まりつつある野次馬を止めに行った。
ストレインは熱心なトルバを温かい目で見送る。
「……それにしても、また殺人か」
ため息をつき、城内の壁にもたれかかるようにして倒れている男の死体に近づく。頭から血を流しており、顔は血まみれでよく分からない。血は死体の着ているアロハシャツまでも真っ赤に染めている。
(トルバが張り切るのも無理はないが……かといって一つ一つの事件に力を入れすぎるとキリがないぞ、なんて言えるわけもないか)
殺人や強奪は日常的に起きる事件だが、現行犯でもない限り衛兵が犯人を見つけて捕まえるということはない。事件があっても報告書だけを書いて迷宮入りになる。
(人手も費用も道具も、何より衛兵のモチベーションがない。……まあ、そろったところで何も変わらないのかもしれんがな)
「あ、ちょっと! ダメですよ、勝手に入らないでください!」
トルバの必死な声のする方へ向き直る。トルバは足元まで伸びたコートを着た黒髪の男を必死に止めていた。
(だが、それもこいつの登場で変わっちまった)
ストレインはトルバに呼びかける。
「いいぞ。そいつは通しても構わない」
「え?」
トルバはストレインの声で手の力を緩めた。その隙をつくように男は人ごみを抜けた。その男の隣にはローブを着た金髪の少女がトコトコと後をついてきている。
「来たか、ハジメ」
「ハジメじゃなく、エースだ」
男は髪の毛を掻き上げながらストレインに告げた。
「心機一転して僕は名前をエースと改めた。煩わしいとは思うが、君も僕のことはエースと呼んでくれ」
「よくわからんが……まあそういうことなら努力しよう」
エースは180センチほどの高身長で、顔にはまだ幼さが残っている。真っ黒な髪の毛はまっすぐ伸びており、前髪の隙間から鋭い眼光が覗いていた。
その灰色の瞳は終始死体を観察している
「殺人事件だ。単なる追剥だろうが、お前の力なら何とか犯人が分かるかもしれない」
ストレインの言葉にエースは片眉を上げた。
「ストレイン。君の発言はすべて的を射ていないぞ」
エースはストレインに向かって指を三本突き出した。
「第一に、これは事件と呼べるほどの大層なものじゃない。第二に、これは追剥ではない。第三に、僕の力なら”何とか”ではなく確実に犯人を見つけることができる」
エースの発言にストレインはあきれることなく眉をひそめた。エースの発言は自身に満ち溢れているが、どうも納得できる内容ではない。
「……なら話を聞こう。どうしてお前はこれが事件じゃないと思うんだ?」
「簡単なことだ。この死体の彼は死んでなどいないからさ。誰も死んでいないなら事件ではない。したがって追剥というわけでもない」
ストレインは突拍子もない話に耳を疑った。
「馬鹿をいうな。実際にこうして死んでいるじゃないか」
「そうだな。では尋ねるが、ストレイン君。君はこの死体が誰か知っているか?」
「誰って……」
改めて死体の顔をのぞき込むが、やはりその顔に見覚えはなかった。
「有名人なのか? この死体は」
「全く……真剣に事件を解決したいなら情報収集くらいは怠らない方がいいぞ」
棘のある言葉にストレインはむっとするが、エースはそんなことは気にせずに隣にいる少女を見た。
「フェレス。君なら彼が誰か分かるんじゃないのか?」
フェレスと呼ばれた少女は地面に膝をついて死体をのぞき込む。
「おい、こんな小さな子に何をさせているんだ……?!」
「大丈夫。フェレスはそこらへんの子供とは違う」
「違う? そもそもどうして現場に連れてきているんだよ」
「まあ……僕の助手みたいなものさ」
後ろで大人たちが会話していることには全く気にせず、フェレスは死体の顔からつま先まで確認する。
「……クワトロね。このまえ酒場で大口の商売相手が見つかったって喜んでいた人よ」
「どうしてそう思った?」
「どうしてって……顔もそうだけど、やっぱりこのアロハシャツはクワトロのトレードマークのようなものだもの」
エースはストレインに向き直る。
「先日、ワトロは商売の前金で店にいた客全員に酒を奢るという大盤振る舞いをしていた。それも大量の札束を見せびらかしていたよ」
「ならなおさら追剝だろ。そのクワトロってやつが金目当てに殺されたんだ」
「そう考えるのがまさに狙い通りなんだよ。あれだけ目立っていればフェレスのように身元がすぐに特定されてしまう。そしてここ最近の行動を聞いて君が考えたように金銭目当ての殺人になって事件は解決するだろう」
エースは僅かに口角を上げた。
「ストレイン、この近くに高利貸はいくつくらいある?」
「借金取りか? ヤミを含めるなら5つくらいはあるはずだ」
「ならその店まで行って顧客リストを見せてもらうといい。狙い目は限度額が高く返済期限が短いものだ。おそらくクワトロの名前があるから証拠になるはずさ」
「証拠? 何の証拠だ」
「裏付けの証拠だよ」
エースは野次馬の方を一瞥すると、足元の死体を指さした。
「僕もさっきまでは名目上、これのことを死体と呼んだ。だが、正確には死体ではない」
「死体じゃないって……」
「死体じゃなく、ただの肉塊だ。……本当にこの世界は面白いよ。こんな突拍子もないことが日常的に起きるだなんてね」
ストレインはエースの言っていることが全く理解できなかった。
「この死体は偽物だよ。詳しくは解剖でも何でもしてくれたら分かるだろうけど、身体の構造がおかしい。傷口のわりに血の量が多すぎるし、身体の硬直具合が昨日の晩に殺されたレベルなんてものじゃない。筋肉の付き方や身体そのものが左右対称すぎる」
「じゃあなんだ? こいつは人じゃないのか?」
「人体の構成物を集めて練り上げた人形だよ。そしてこの人形を作ったのはクワトロ本人だろう。彼には自分の死を偽装するだけの理由がある」
ストレインは顎に手を当てて少し考えた。
「……それが、借金か」
「そうだ。死んだとなれば借金取りから追われるようなこともなくなる。借金を返す当てができたと言っていたのも嘘だろう。借金取りに返す予定だった金を犯人が持って行ったとなれば、借金取りはその犯人を追うはずだからな」
「だからって……いくら何でも死んだふりはないだろ。そんなことをしたらまともな生活も遅れなくなるぞ」
「……亡命ね」
フェレスの呟きにエースが肯定する。
「クワトロは商業の関係で海外との貿易に携わっていた。さらに外国語も話せるのなら、わざわざ借金のあるこの国に残る必要はないからな。死んだと思わせた方が亡命の成功率は高くなる」
「死体の偽装……。お前が事件ですらないと言ったのはこういうことか」
「ああ。誰も殺されていないし、死んでいない」
ストレインは眉間にしわを寄せた。
「亡命未遂か……。クワトロの貿易相手を探せば密入国ルートを見つけられるかもしれないが、今から間に合うか……?」
「その必要はないさ」
エースは野次馬に向かって歩き出した。
「クワトロにとって気になるのはあの死体がクワトロ本人だと気づかれること。借金取りの耳に入る前に下手な行動をして見つかるわけにはいかない。加えて、リスクを考えると協力者を募るとは考えにくい」
鋭い眼光で野次馬の一人一人を観察していく。そしてフードを深くかぶった男に目が留まった。怪しげな雰囲気を醸し出していたわけではない。
エースと目が合ったフードの男は一目散に駆け出した。
「トルバ! あいつを捕まえろ!」
ストレインは大声で命令するが、トルバが走り出したころにはフードの男は20メートル以上離れていた。
「フェレス!」
「分かってるわよ!」
名前を呼ばれるよりも早く、フェレスは右手を逃げていく男に向けた。
「『エタエルク』!」
その叫びとともに地面から鎖が出現し、フードの男を縛り上げた。エースは男の元へと駆け寄り、フードを取る。
「クワトロだな?」
その顔は偽の死体の顔と全く同じだった。よく観察しなければ知り合いでもクワトロの死体だと勘違いしていただろう。
「くそっ! なんだよお前!」
クワトロは悪態にもエースはまったく取り合わず、地面に押さえつける。
「おいおい……」
駆け付けてきたストレインはクワトロの顔を見て驚いていた。
「あとは君の仕事だ。さっき言った通り近くの高利貸を調べて明確な証拠を見つけたまえ。ついでに密航を企んでいた相手も吐かせれば密入国ルートの一つも潰れるんじゃないか」
「すまないな……。それにしても、よくあの人ごみの中から見つけ出したな」
「偽物が完璧すぎたんだ。体格から身長まで同じだったからすぐに気づけたよ」
当たり前のようにエースは答えたが、クワトロは全身を覆う服を着ていたし死体は壁にもたれかかっていた。
(恐ろしいほどの観察眼だな)
ストレインはエースの才能に感服した。
「じゃあ事件は解決ということでいいか?」
クワトロをトルバに引き渡し、エースは一息ついた。
「ああ、協力感謝する。ハジ……いや、エースだったな」
エースは満足そうに笑い、フェレスを連れて街中へと去って行った。
「・・・・・・アイツら、何者ですか?」
トルバはエースの後姿を見て、ストレインに尋ねる。
「……探偵だよ。それも凄腕の」
一章 異世界とハジメ
イギリス・ロンドン。
ハジメは多くの学生が住むアパートの一室でベッドに横たわっていた。平日の昼間だというのに寝間着姿でぐったりとしている。
窓の外ではバスや自動車が行き交い、何の変哲も無いいつもの日常が流れていた。
(……息苦しい)
枕に顔を埋めながらハジメは心の中で呟いた。壁一面の本棚に敷き詰められた分厚い本の背表紙を目で追っていくが、どのタイトルもハジメの興味をそそるものは無かった。
大きなため息をつき、仰向けになる。そのとき、階下から寮母さんの謝る声が何度も聞こえてきた。
寮母さんの怯えた声をかき消すように、ドスの利いた声が響き渡った。そしてドカドカと床を踏み抜きそうなほどの足音で階段を上ってくると、ノックも無しにハジメの部屋へと入ってきた。
「小室ハジメ。お前を逮捕する」
警察手帳と共に屈強な男たちがぞろぞろと入ってきた。
スーツを着た刑事と制服を着た警官二人が並んでハジメの周りを取り囲んだ。ハジメは気怠そうに身体を起こして刑事の顔を見る。
「ふああぁ」
そして大きなあくびを一つ。
あまりに舐められた態度に刑事は当然、眉間に皺を寄せ青筋を立てながらハジメを睨みつける。
「聞こえなかったのか……? タイホと俺は言ったんだ」
威圧感ある警察の言葉にもハジメは表情を崩すことなく、鼻であしらった。
「逮捕状もないのに逮捕はないだろ。それよりここは僕の部屋だ。君たちは住居侵入罪でケーサツを呼ばれたいのか?」
刑事は歯を食いしばって殴る衝動を抑え込んだ。逮捕状を持っていないことは真実であり、ここで手を出してしまえば刑事自身が懲戒免職になってしまうだろう。それでも19歳のガキにしてやられることに怒りを抑えることはできなかった。
「ふざけるな! お前の方こそ勝手に他人の家に忍び込んだことは分かってるんだよ! あとお前が薬物を使用してるってこともな!」
「薬物? ああ」
そういうとハジメは枕元に置いてあった小瓶を投げつけた。中には錠剤がいくつか入っている。
「薬は使っているけど違法な物は何も入ってない。僕は少し特殊な体質でね。二週間ほど寝ずに起きていることができるけど、その代わり丸二日は深い眠りについてしまう。それを防ぐためのあくまで処方箋だ。そんな啖呵を切るくらいならちゃんと調べなよ?」
ハジメの言う通り、刑事は見切り発車でハジメの逮捕に乗り出しただけだ。逮捕状はおろか逮捕の証拠になりえるものすら把握できていない。
歯ぎしりをする刑事を横目に、ハジメは後ろの警官に話しかける。
「君たちにいいことを教えてあげるよ。僕を捕まえられなかった代わりに、僕以上の犯罪者の情報を挙げよう」
と言い、ハジメは目の前の刑事を指さした。
「この刑事は汚職をしている」
「なっ! おい、待て貴様!」
刑事は慌ててハジメに掴みかかるが、余裕綽々としたハジメの目を見て我に返った。部下の目の前、市民への暴行。ここで手を出そうものならそれこそハジメの思うつぼだ。
葛藤する刑事を無視したままハジメは警官に向かって会話を続けた。
「刑事と言っても君の役職は巡査部長。にも関わらず君の腕にはブランド物の腕時計だ。刑事の安月給で買えるようなものじゃない。実家が金持ち? いや、だったらネクタイピンやカフスボタンにも気を払うはずだ。何よりも言葉遣いが汚い」
灰色の瞳に睥睨され、刑事は慌てて取り繕う。
「違うっ! これは株でもうけた金で買ったものだ」
刑事はハジメではなく、後ろの部下たちに向かって言い訳をする。
「ならどこで買ったかを教えてくれよ」
「それは……」
「言えるわけがないよな。それは貰い物だ。時計だけが高価なものでスーツや靴は安物……。見栄を張って買ったとも考えられるが、新品の割に時計盤の表面は傷でボロボロ。おおかた鍵と一緒に収納するから傷がついたんだろう。見栄を張ってロレックスの時計を買うような人間が、時計をそんな粗末には扱わない」
「違う、この時計は俺が自分で買ったんだ! そう、思い出した! 俺は自分でロレックスの本舗に行って――」
「あれ?」
ハジメは小首をかしげる。
「その時計よく見たらロレックスじゃなくてブライトリングだ。へえ、じゃあ刑事さんはロレックスでブライトリングの時計を買ったんだ」
誘導に乗せられた刑事は絶句する。
「ダメだよ、刑事がそんなベルトまで金の装飾美を追求した時計なんてつけちゃ。まあ、口止め料として渡されたものなら愛着もないのは当然か」
困惑する警官に話を続ける。
「現金での取引はどうしても目立ってしまうからマフィアや犯罪者たちは金品に変えて渡すケースはよくある。君は非番の時にでもそれを目撃したんだ。その時に口止め料として時計を渡された。
しかし君は時計には興味がないから、時計と一緒に現金でもいくらか渡されたんだろう。加えて君の衝動的な性格を考えると、罪悪感を紛らわせるためにその金で羽振り良く部下に飯を奢ったんじゃないのか?」
警官たちはハッとしてお互い顔を見合わせた。
「ああ、心当たりがあるようだ。悪い人だね。自分の罪悪感を消すために部下を利用するとは」
刑事は拳を握りしめたまま俯いた。堅く握られた拳は怒りお押さえこむように震えている。
「他にも衣服の汚れや皺の形を見て君が家庭でどのような立場にいるのかも、後ろの部下たちの様子から職場での立場も予想がつく。かなりストレスを抱え込む環境のようだが、それでも犯罪に手を染めることは間違いだったな」
ハジメが言った言葉はすべて真実だった。刑事はストレスで犯罪の取引を見過ごしてしまい、その金で部下たちにメシも奢っている。
「……出口はそっちだよ」
ハジメは刑事たちが入ってきた扉を指さす。刑事は拳を握ったまま部屋を飛び出していった。
「くそっ! 時代遅れの探偵が……!」
最後に捨て台詞を吐き、床を踏み抜くことなど不可能なほど小さな足音で部屋から出て行った。
警官たちは戸惑いながらも、刑事の後へと付いていった。これから二人の部下がどういう対応を取るのかはハジメの知るところではない。
ハジメは錠剤の入った小瓶を握ったまま、再びベッドで横になる。
頭の中には刑事が去り際にはなった捨て台詞が残っていた。
(時代遅れの探偵、ね……)
最初にハジメをそう呼んだのは大衆向け雑誌だった。
生まれは日本だが、小学生にしてIQが190を超える天才だった小室ハジメは1人でイギリスに留学することになった。しかしイギリスの学校もハジメが馴染むには規模が小さすぎ、ハジメの興味は社会で起こる犯罪へと向けられた。
一生しかない人間がその人生を賭けて作り上げる犯罪。その心理や手法の解明に心を惹かれたのだ、
強盗、詐欺、殺人。ありとあらゆる事件現場に赴き、自らの手で事件の真相を導き出す。しかし子供の言うことなど警察は聞く耳を持たず、ハジメはネットや地方紙を通して事件の真相を世間に知らしめた。
ここまではよかったが、問題はハジメの力など借りなくても警察がいずれ事件を解決させるということだった。ハジメほどの優れた頭脳と洞察力がなくとも、警察は人海戦術と技術力で犯人を割り出す。
ハジメなら警察よりも早く犯人を見つける分、警察よりも有能だと一部の人間たちはハジメを『名探偵』だと持ち上げた。それを警察は「ハジメが現場を荒らしたせいで事件解決が遅れた」と難癖を付け、今もこうしてハジメと警察は対立が続いてる。
そして警察寄りの出版社がハジメを警察が解決できる事件を出しゃばって解決しようとする「時代遅れの探偵」だと批判したのだ。
ハジメは深いため息をついた。
「……ハジメ、大丈夫?」
部屋に寮母が顔を覗かせて心配していた。
「別に、気にするようなことじゃないよ」
「そう……ならいいんだけど。あ、それと貴方にこれを私に来たのよ」
寮母は扉の隙間から手紙をハジメに手渡した。
ハジメは手紙を数枚受け取ると、ベッドから起き上がって部屋の端に寄せた机に座って手紙を確認した。
病院からの手紙や大学からの手紙の中に、国際便の手紙が混じっていた。差出人は見るまでもなく、日本にいるハジメの両親からの手紙だ。
ハジメ両親はハジメがイギリスに行くことになった時、止めることも一緒についていくこともしなかった。それどころか、ハジメには両親がまるで厄介払いをできたように安堵の表情で見送られた記憶があった。
「……トンビがタカを生むとは言うが、いざタカが生まれてしまったら親のトンビはさぞ気味が悪いんだろうな」
そう言い切ると、手紙をビリビリに破り捨てた。
そこには悲しみも虚しさもこもっていない。そんな俗な感傷はとうの昔に達観したのだ。
ハジメは椅子にもたれ掛かって深いため息をついた。
本棚には無数の本がジャンル無視で乱雑に並んでいる。哲学からスポーツ医学や量子力学までありとあらゆる学問の書にオカルトのようなトンデモ本までも買いそろえた。しかし、どの本もハジメに知識を与えるのみで興味は何も感じなかった。
「退屈だ……」
小さなつぶやきも空虚な部屋にはよく響く。椅子がきしむ音や窓から聞こえる町の喧騒。そして心臓の鼓動が頭全体を包む。
(マズい……!)
この前兆をハジメは何度も経験していた。
重くなった身体を無理して動かそうとするが、そもそも司令塔である脳自体が機能していなかった。
手を伸ばして机の上にある小瓶を掴もうとするが、一瞬にして視界がブラックアウトした。
(こうなるからベッドで寝てたのに……)
ハジメは意識を底なしの闇に飲まれながらも、後悔しながら眠りについた。
耳に入ってくるのは人々の喧騒。甲高い子供の騒ぎ声や野太い男たちの笑い声で起こされる目覚めほど気の良いものはない。
ハジメは悪夢から目覚めるように飛び起きた。途端、ハジメの脳内をもってしても処理できない情報量が飛び込んできた。
「僕はまだ夢の中にでもいるのか?」
レンガで作られた中世ヨーロッパ風の街並みに、舗装もされていない道路を進む馬車や人力車。町ゆく人々の数は明らかに人口過多だ。彼らが着ている服も中世ヨーロッパのような皮や麻で作られたような古めかしいものだ。
それならまだしも、背中にハンマーを背負った二メートルを超える筋骨隆々な男。耳の尖った少女は奇妙な形の杖を持っている。そして派手な装飾の入った剣を持つ騎士が道の真ん中を歩いていた。
ハジメはそこでようやく自分が外で寝ていたことに気づいた。
「服はそのままか……」
まずは状況確認から入る。服は紺色の寝間着で、持ち物は何も持っていない。靴も薄手のスリッパだ。服やスリッパには土や汚れといったものがまったくついていない。
(まずは確認だな)
ハジメは壁に向かって拳をたたきつけた。その奇行に道行く人が見つめてくるが、ハジメはそんなことお構いなしだ。
「夢、ではない」
拳には血がにじみ出ており、頭に伝わる痛覚も本物だった。
(テレビの企画、薬の副作用、感覚も伴う仮想世界の実験……どれも疑問が残るな)
テレビだと規模が大きすぎて、薬だと意識がハッキリとしていて、仮想世界の実験ではあまりにリアリティーが過ぎる。
「試してみるか」
ハジメはさっき目の前を通り過ぎた騎士一行の元へと走っていった。
「失礼」
話しかけると、騎士が振り返った。
「何か用かな?」
それを聞いてまっさきにハジメが思ったのは
(言葉が通じる)
ということだった。奇想天外な場所にいる以上、言語が通じないことも懸念していたハジメはひとまず安堵した。
甲冑で顔は見えないが、声からして男であることが分かる。それを聞いてハジメは安心して心のストッパーを外した。
「いえ、僕はただーー」
エースは精一杯のビジネススマイルを作る。
「少しだけ手荒な真似をします」
返事も聞かずにハジメは右手で騎士の左肩を、左手で騎士の左腕をつかんだ。そして足払いをして騎士を地面に押さえつけた。
「ぐはっ!」
情けない声を上げて騎士は倒れこむ。甲冑から振動が伝わって気絶したのだろう。ハジメは関節を極めて動きを封じるつもりが、地面に押さえつけた時点で騎士は動かなくなっていた。
「これは好都合だ」
杖を持った少女と筋骨隆々の男が唖然としている中、ハジメは悠然として騎士の腰から刀を抜き取った。
「へえ……中央のルビーは本物だし金も銀も混合物じゃない。剣も白鋼か」
「お、おい! お前!」
そこで我に返った筋骨隆々の男がハジメの頭上で大声を上げた。それまで背中に背負っていた巨大なハンマーをおおきく振りかぶっている。
振り降ろされると同時に、ハジメは男のハンマーを握る両腕の内側にもぐりこんだ。
ハンマーは騎士が倒れている真横に叩きつけられ、地面にめり込む程の威力だった。
「見掛け倒しの筋肉ではないようだけど……」
ハジメは男の腕の内側からハンマーの取っ手を掴んだ。てこの原理を用い、男はハンマーを持ち上げることができなくなる。
「筋肉にしては無駄な部分が多い。背筋の筋肉量もこのハンマーを持ち上げられるに足りていないのだが……」
そしてハジメは思いっきり右足で男の股間を蹴り上げた。
「ひぃぐ!」
情けない声を上げて倒れこむ。
「金的は通じるのか。そこまで急所を晒しているからてっきり効かないものだと思ったぞ」
ハジメの足元には気を失った騎士と股間を抑えた屈強な男が倒れていた。道行く人は足を止めてまで何が起こったのかを見ていた。
「さて、最後に君の持つ杖をよく見せてくれないか」
数歩離れて傍観していた少女の元へと近づいていく。少女は見た目の幼さとは裏腹に、鋭い視線をハジメに向ける。
「……頼むよ。公衆の面前で女の子を殴るのは趣味じゃないんだ」
冗談めかしてなだめるが、少女はハジメに一切聞く耳を持たない。
「いい加減に、してください!」
少女は両手で握りしめた杖を前に突き出し、杖の先端についたエメラルドの宝石が光りだす。
「『エゾルフ』!」
少女の叫びと共に地面から氷の柱が出現する。柱はハジメの鳩尾へと直撃した。そのまま氷の柱がハジメの身体を覆い三メートルほどの高さまで持ち上げられた。
「ぐ!」
歯を食いしばるが、肺も押しつぶされて満足に息ができない。
(なんだコレは……!)
何もない場所から突如現れた氷の柱は幻覚でも手品なく本物だった。質量保存の法則を無視し、呪文と共に現れる。
(魔法……?)
それは人一倍論理的な思考をするハジメも自分自身驚く結論だった。しかし、魔法以外の言葉で説明することができないのも事実だ。
光る杖を持つ少女を見下ろしながら、ハジメの意識は遠ざかっていった。
額に滴る水滴でハジメは目を覚ました。
(この短時間で二度も気持ちの悪い目覚めをするとはな)
起きてまず目に入る天井には何匹ものクモが陣地争いのごとく巣を作っており、雨漏りなのかレンガの隙間から薄汚れた水滴が零れ落ちていた。
目線を下に動かすと、両手には木製の手錠が付けられている。目線を横に動かすと、錆びた格子の向こう側には酒瓶を手にした男が寝ていた。
「……ここは牢獄か?」
いびきを掻いて寝ている男に呼びかける。
「……んぁ」
むくりと起き上がり、赤く染まった髭面をハジメの方に向けた。
「ぁんだ。おきたのか……」
男は全く呂律が回っていなかった。足元もおぼつかず、今にも倒れそうだ。
「ちょっと……待ってくれ」
男は机の上のタオルを取ると、近くの水道を捻って水に浸した。そして濡れたタオルで顔を拭いてリフレッシュをする。
「それで? なぁんていったんだ?」
まだ呂律は回っていないが、目は焦点を失っていなかった。
「ここは牢獄か。と、尋ねたんだ」
酔っ払いにも聞こえるように、ハキハキと話しかける。
「いいや、違う。正確にはここは留置所だ。このノドル国にはお前のような異邦者を入れるような監獄は十分にないんだよ」
「異邦者……?」
「たとえスカル街でもノドル国に住む人間はすべて国の特務機構に記録されている。お前みたいに密入国した奴らはそういった記録がないから見つかり次第、大陸側に島流しする予定なんだよ」
「……島流しとは。随分と罰則も古風だな」
男は頭を掻きながら腰に付けた鍵束を取りだした。
「酔いも冷めてきたし、とっととお前の取り調べを始めるぞ」
そういって男はハジメのいる監獄の扉を開けた。
「ほら、ついてこい」
ハジメは両手を封じる木製の手錠を見た。使い古されているのか、少しの衝撃で壊れそうな手錠だ。
「変な考えはやめときな」
その声は隣の牢屋からだった。ハジメは格子を出て声の主の顔を見る。
格子の中には分厚いコートを着た若者が壁にもたれ掛かっていた。
「お前はいま、魔法を使えばこんな場所から逃げられるそう考えただろ。だが残念、この国ではそんなことをすればお前は指名手配されて衛兵たちに追われる日々を送ることになる。そこにいる飲んだくれの衛兵と違う、城内のチョー優秀な衛兵サマだぜ」
「おい、黙れ!」
さっきまで穏便だった衛兵の男が格子を蹴りつけた。格子は今にも壊れそうな音を立てって軋む。
「なんだよ、俺は事実を言ったままだぜ。とにかくお前はおとなしくしといたほうがいい。ここで暴れちまえば、島流しよりも酷い刑がお前に待っているからな」
「黙れと言っているだろ!」
衛兵は手に持っていた酒瓶を格子にたたきつけた。衝撃で瓶の底が砕け散る。
鬼のような形相で衛兵の男は若者を睨みつけたが、若者は飄々として全くひるんでいない。
「おぉ怖い。これじゃあ俺も捕まっちまうぜ」
若者は舐めきった態度を止める気は無く、ずっと衛兵をからかっている。
「……いくぞ。こいつの話しには耳を傾けるな」
ハジメはニヤニヤと笑っている若者を横目に衛兵の後についていった。
連れてこられたのは小さな部屋だった。
『取り調べ』と聞いて机とテーブルランプだけが置かれた尋問室を想像したが、この部屋は机の上に資料がいくつも並べられており、食べかけのパンまで置いてある。
「ほら、ここに座れ」
男は椅子に座り、もう一つの椅子を指さした。
構図としては教師が職員室の一角で生徒を叱っているようだ。ハジメは日本の小学校に通っていたころのことを思い出し、素直に椅子に座った。
「申し遅れたな。俺はストレインだ。お前の名前は?」
「……ハジメだ。コムロ・ハジメ」
ストレインの目が大きく開かれる。
「おいおい苗字持ちかよ。ひょっとして名家の生まれか?」
「いや、普通の中流家庭だ。ここでは苗字が貴族の証なのか?」
「なんだ、お前の国では違うのか? この国というかこの諸外国全部そうだ。苗字は子供の将来が約束された名家にしか名乗ることを許されないんだよ。俺たちみたいな庶民には家の証なんて持っていても意味が無いからな」
ハジメは顎に手を当てて考える。
(やはりこの世界は構造どころか歴史まで違うようだな)
「それで、お前は何という国からやってきたんだ?」
「……生まれは日本だ」
「二ホン? 聞いたことがないな。で、密入国ルートについても教えてくれるか」
ハジメはその質問に一瞬だけ考えを巡らせる。
(ありのままの事実を言っても信じないだろう。それに俺も、この世界について分からないことだらけだ)
「そのことなんだが……」
頭に手を当て、声のトーンを少し下げる。
「実はここ最近の記憶が曖昧なんだ。自分の名前は覚えているんだが、ここにどういった目的でやってきたのか全く思い出せない。だからこの国について詳しく教えてくれないか。もしかしたら何か思い出すかもしれない」
ストレインは片眉を上げてハジメを訝しげに見つめる。
「まあ、そういうことなら……」
記憶喪失を盾に罪を逃れようとするならともかく、思い出す手助けをしてくれとまで言われては断ることができなかった。
「まずは世界地図を見せてくれ」
「世界地図? あったかな……」
ストレインは本棚に立てた資料を確認する。
「スカル街の地図ならあるんだが、世界地図となるとなあ……。お、古いやつだが一つだけあったぞ」
大きな紙を取り出し、ハジメ見せた。
「まだ西の航海ルートが開拓されていない時代のものだが、おおよその国の位置が分かるはずだ」
ハジメ地図をのぞき込む。中央にノドルと書かれた国があり、左上に大きな大陸が描かれている。右側にも大きな大陸はあるが、左の大陸とは違って細かく情報が書かれていない。他にも三つほど大陸があるが、そのどれもざっくばらんとした地図だった。
「最新版ならもう少し細かいんだが……。それで、お前の住むニホンという国がどこにあるかは思い出せるか?」
「……いや、まったく覚えがないな」
「そうか……」
ストレインは椅子に深く腰を下ろした。ハジメが嘘をついているとは考えてもいないようだ。
「ちなみに、『魔法』とやらについて教えてくれないか」
「おいおい。そんな基本的なことも教えなくちゃいけないのか?」
呆れたように肩をすくめたストレインだったが、甲斐甲斐しくも懇切丁寧に説明をしてくれた。
「俺も専門家じゃないから詳しいことは分からないが、人には『マナ』と呼ばれるエネルギーが秘められている。それを呪文や魔法陣を通して火や雷や水に変化することができるんだ。中には特殊な魔法を作り上げる人間もいるみたいだぜ」
「君も魔法はできるのか?」
「この世に魔法が使えない人間なんていないさ。お前だって忘れているだけで、思い出せば使えるだろうよ」
ストレインは腰に付けた鞭を取り出すと、それをハジメに向けた。
「『トセラ』」
すると鞭はひとりでに動き出し、ハジメの周りをぐるぐると囲みだした。その長さは明らかに最初よりも長くなっている。
「このように、これは犯罪者を縛り付けるための魔法だ」
ストレインが手を引くと同時に鞭は元の長さに戻った。
「じゃあ僕を襲った氷の柱も魔法の力なのか?」
「氷? ああ、ナイト一団の魔法使いのことか。あの子は氷属性の魔法を得意とする子だからね」
「ナイト一団っていうのは、あの甲冑の男と筋肉の男のことだな」
「そうだ。彼らはバウンティハンター。いわゆる賞金稼ぎだよ。仕事は魔獣の討伐や商売の護衛のように力仕事ばかりだから、お前のような細腕の男があの二人を倒したっているのは驚きだよ。もっとも、彼らにとって沽券にかかわることだろうがな」
ハジメからすれば見た目だけの彼らが賞金稼ぎを務めていること自体が驚きだ。
「なら彼らも魔法を使えるのか?」
「もちろんだ。だが彼らのような剣士や闘士が使っているのは火や氷を作るような特殊魔法ではなく、肉体を強める物理魔法だ」
一拍置いてストレインは続ける。
「どうだ、何か思い出せたか?」
「……ああ。少しは」
空返事をするハジメにはいくつもの疑問が生まれていた。マナや魔獣といった元の世界では空想の産物であったものが確かにこの世界では存在している。
(……面白い)
ハジメの心には好奇心が沸々と弾けていた。「分からない」、「解けない」という謎があまりに厖大で、ここではこれまでの常識が一切通じない。しかし、ハジメにとってそれこそが至高だ。
ハジメは右手でおもわず綻んでしまう口元を隠す。
(もっとこの世界について知る必要がある。そのために、居場所が必要だ)
「ちなみに、さっきの話を聞いてもいいかな」
ハジメは身を乗り出してストレインに尋ねる。
「さっき?」
「隣の囚人が言っていたことさ。この国では犯罪者が捕まらないと言っていただろ?」
「そのことか……」
ストレインは頭を掻いて面倒くさそうにする。
「アイツの名前はカバリといい、これまで何度も盗難の罪でここに連れてきた。質屋で盗品を売っているところを抑えて留置所に置いているが、実際にアイツが奪った証拠がなければ逮捕することはできない……」
「国の制度か」
「それもあるが、魔法を使われては犯罪を証明する方法がないんだ。城内には過去を視ることができる魔法使いや真実を明らかにする神器が存在しているが、彼らがわざわざこんな辺境の地まで来ることはない。だからこのスカル街では犯罪が当たり前のように横行しているんだよ……!」
徐々にストレインの口調が強くなり、業を煮やしたように机を強く拳で叩きつけた。
「そのせいでカバリみたいなクズが生まれやがる! アイツは報復を恐れて老人や女子供からしか物を盗まないような奴だ。アイツのせいでいったい何人の市民が飢えで死んでいったと思ってんだ……!」
「……そうか」
ハジメは立ち上がり、机の上にある資料を取り上げた。そしてその中身をじっくりと読み進める。
(武具店からは鉱石やアクセサリーのような小さいものばかり。一方教会からは銅像を盗むという大胆なこともしている。武具店のようにセキュリティの強い店も積極的に狙っているみたいな)
「お、おい。何やってんだ」
「カバリに関する資料。これを君ひとりで調べたのか?」
ストレインは目線を外す。
「……だったらなんだ」
「僕は知りたいんだよ」
ハジメは資料をストレインの胸に押し当てる。
「汚れた土壌に種を植えても腐ってロクに育ちはしない。だが時折、ストレスをバネに本来よりも美しい花を咲かせる種もあるという。ストレイン、お前はこの街で腐っていく人間の一人か?」
その問いはストレインの胸に突き刺さった。
この支部に配属されてから10年経つが、そんなこと考えたこともなかった。
「俺は……」
腐っている。毎日酒を飲んで、善良な市民の願いも聞き捨てた穀潰しの衛兵人生。
(じゃあどうして、俺は怒ったんだ……)
留置所でカバリに挑発されたとき、スカル街で犯罪が横行していると話したときも息が詰まりそうなほど胸が締め付けられた。それは紛れもなくストレインが犯罪を憎んでいると言うことだ。
「俺は腐ってなんかいない……! 誰かを傷つけて生きているような犯罪者を捕まえたい……!」
それを聞いたハジメは口角を上げた。
「よく言った。なら次の質問だ」
ハジメの笑みはとても10代の少年が出せるようなものではない、悪意の混じった笑みだった。
「この事件を解決するために、僕のカードになってくれないか?」
カバリは壁にもたれながら天井を見つめていた。
この天井を見るのも片手で数え切れなくなってきた。カバリは盗みをするたびに衛兵のストレインにここまで連れてこられる。
とはいえ、信頼できる質屋が一つしかないから売るタイミングで捕まるのは仕方がない。盗難で捕まらない分、留置所に拘留される方がマシだった。
「よくも俺を騙そうとしたな!」
勢いよく扉があき、怒号が飛ぶ。同時にさっきの密入国者が床に突き倒された。
ダラダラと残り時間を過ごしていたカバリは突然の怒号に思わず体が飛び上がる。
「しばらくそこにいてろ!」
扉の奥から険しい表情をしたストレインが密入国者を牢屋に投げ込む。鍵を掛けるとその鍵が入った鍵束を机の上に置いて留置所から出て行ってしまった。
「……ッ!」
密入国者は傷を抑えているのか、壁越しに辛そうな声だけが聞こえる。厄介ごとに首を突っ込むのは避けたいところだが、今回ばかりは好奇心を抑えられなかった。
「おい、お前一体何やったんだよ」
壁際まで近づいて声をかける。
「何のことだよ……?」
壁の向こうから辛そうな声で返事が返ってくる。
「ストレインがあんなキレてんの初めて見たぜ。何やったらあんなブチギレるんだ?」
「別に……ただ彼を手駒にしようとしただけだ」
密入国者は格子から手を伸ばし、床に落ちていた酒瓶を掴んだ。さっきストレインがカバリに怒って叩きつけた底の抜けた瓶だ。
「君、名前は?」
「ん? 俺は……カバリだ」
「そうか。カバリ、どうにかあの机の上の鍵を取る手段はないか?」
密入国者は格子の隙間から瓶を持ったまま手を伸ばす。瓶は机の上の鍵へと向けられているが、長さがまったく届いていない。
「おいおい、さっきの俺の話聞いてなかったのか? ここから脱走しようものなら指名手配されちまうんだぞ」
「そんなことは承知の上だ」
壁越しに話が続く。
「僕の名前はコムロ・ハジメ。東洋から来たコムロ家の末裔さ」
「コムロ? お前、苗字持ちなのか?」
カバリはハジメに興味を持ち、壁越しでも声のテンションが上がっているのが分かる。
「そうだ。僕の先祖は数百年前にこのノドル国に交渉のため訪れたんだ。しかし、王族に裏で雇われた野党によって闇討ちにあってしまった。何とかコムロ家の数人は祖国に帰ることができたが、それ以降はノドル国との交渉は一切行っていない」
「おいおい。そんな奴がどうしてまたこの国に来たんだよ」
「王族の目的はコムロ家に伝わる古の秘宝や財宝の数々だったらしい。彼らは僕の祖先たちを殺して奪う予定だったが、探しても見つかることはなかった。逃げたコムロ家の人たちが持ち帰ったと諦めたらしいが、実際はこの地の秘密の場所に隠したんだ」
「じゃあお前が密入国した理由って」
「ああ。その秘宝を取り返すためさ。でもこうして衛兵に見つかってしまったせいで国外追放される寸前ってワケさ。そうなる前に、僕は何としてもここから出て秘宝の元へと行かなくちゃいけない」
ハジメの必死な話を聞き、カバリは生唾を飲んだ。
「その秘宝とか財宝っていうのは……どんなものなんだ?」
「城ひとつくらい余裕で買えるほどらしい。……カバリ、もし君が手伝ってくれるなら財宝を譲ってやってもいい。僕が持ち帰ろうとしているのは秘宝の方だからな」
カバリは壁に張り付くようにハジメに話しかけた。
「その格子を開ければいいんだな? そうすれば俺に財宝を譲ってくれるんだな?」
「もちろんだ。ただ本当に開けられるのか?」
扉をちらりと見て、カバリは地面に人差し指を付けた。
「任せろ、俺の魔法を使えば簡単だ。だが、俺が手助けできるのは扉を開けるだけだ。ストレインに何か聞かれても俺は何も答えないぞ」
「それで大丈夫だ。僕が捕まったとしても君の名前は出さないさ」
カバリは地面に指で魔法陣を書き出した。そして完成した魔法陣の上に立つ。
「『ナイル』」
呪文と共に、カバリの身体は10センチ程度の大きさへと小さくなった。
小さくなったカバリは簡単に格子を抜け、机をよじ登ると鍵束を取り上げる。
「ほら、受け取れ」
カバリは小さくなった体で鍵を投げ、ハジメは手を伸ばしてその鍵を受け取った。
「驚いたな。身体を縮ませる魔法か」
「これは誰にも見せたことのない俺の魔法だ。ここまでしたんだから約束は絶対に忘れるなよ」
「そうだな……。本当に感謝しているよ」
鍵束の中から格子の鍵を見つけて開けると、ハジメは酒瓶を片手に外に出る。
「唯一の懸念点は、君が日和って手助けをしないことだったからな」
ハジメは酒瓶をカバリに向かって振り下ろした。瓶は勢いよく地面に叩きつけられ、破片を辺りにまき散らす。
カバリは間一髪で直撃は免れたが、瓶の破片のせいで身動きがとりづらくなった。数ミリの破片だろうと10センチのカバリにとっては十分脅威になりえる。
「おい! 何しやがる!」
カバリは小さくなった体でできる限りの叫び声を上げるが、ハジメはそれを無視して扉の方を向いた。
「今だ、ストレイン!」
ハジメの合図でストレインが扉を開けた。
「『トセラ』!」
ストレインの鞭が宙をうねり、カバリを捕らえ上げた。
「お前ら……グルだったのか!」
怒鳴るカバリをストレインが睨みつける。
「観念しろカバリ。お前が物体を縮ませる魔法で盗みを働いたことはこれで証明された」
「ふ、ふざけんなよ! 縮ませる能力はあっても、それを実行した証拠はどこにもないだろ!」
「銅像はどうだ?」
ハジメが割って入る。
「教会で盗んだ銅像はまだ質屋に売られていないみたいだな。もしお前の家から縮められた銅像が見つかったら、それは証拠になる」
「……ははっ!」
カバリは縛られながら一笑した。
「残念だが俺はもうすぐこの留置所から解放される。罪状もなしに勝手に人の家を荒らすっていうのかよ。そんな真似、この街の衛兵ができるわけねえだろ! この街では俺達犯罪者が勝つようになってんだ!」
「気づかないのか?」
ハジメは問いかける。
「君が言ったんだぞ。この留置場から逃げようとすれば、捕まるってな」
「あ」
カバリは魔法陣を書き、自らの意思で格子を出てしまった。
「だがそれはお前に言われて……! というか、お前俺を騙したのか!」
「あんな夢物語、信じる方がどうかしているだろ」
「いい加減にしろ」
ストレインがカバリを掴み、用意しておいた瓶の中に入れた。カバリはまだ瓶の中から悪態をついているが、瓶越しでははっきりと聞こえない。
「この状態で引き渡せば十分盗難の証明になるだろうが、お前の言う通りこれからカバリの家を調査してみるよ」
「ならその格子の中にある魔法陣も記録しておいた方がいい。カバリは魔法陣で魔法を使っていたみたいだからな」
「……最後まですまない。お前のお陰で、俺は胸を張って外を歩けるよ」
「分かっているじゃないか。じゃあこのあとすべきことも、当然分かっているよな」
ハジメはそういい、手錠のはめられた両手を伸ばした。その手には鍵束が握られている。
ストレインは呆れてため息をついたが、鍵束を受け取るとハジメの手錠を外した。
「今回は見逃してやるが、俺以外の衛兵に見つかればお前はすぐに国外追放されてしまうぞ」
「なに、そもそも留置所に連れてこられて身元確認されなければ安全だろ」
「まあそうだが……。それより、お前行く当てはあるのか?」
「行く当てはないが、することはある」
ハジメは解放された手首をまわし、ポキと骨を鳴らす。
「君がさっき話したバウンティハンターのたまり場へ行き、そこで探偵として雇って貰うよ」
「探偵?」
「そう、探偵だ。この世界……いや、この国のことをもっとよく知りたいからな。人助けをしながら謎多き事件を堪能させてもらうさ」
「そうか……。なら、またお前の手を借りることになるかもしれないな。お前の推理力は大したものだ」
ストレインのまっすぐな瞳がハジメを見つめる。
不意に、ハジメは元の世界で言われた数々の暴言を思い出した。「気持ち悪い」「見下している」。嫉妬と軽蔑の眼差しはハジメの実力を認める裏返しの行動だ。だからハジメはどんな罵詈雑言でも苦しむことはなかった。
(こうして正直に褒められるのも、悪くはない)
ハジメは気まずそうにストレインから目線をそらす。
「……それより、あまり酒は飲まない方がいいぞ。アルコールは思考を鈍らせるからな」
「そうだな。暫く禁酒にするよ。……ところで、どうしてカバリが縮小の魔法を持っていると思ったんだ? 報告書にヒントになるようなものはなかったと思うんだが」
ハジメは「そういえば話していなかったな」と言って説明を始めた。
「盗んだ物だよ。カバリは警備の厳しい武具店では装飾の宝石しか盗まなかった。一方警備の緩い教会では銅像のように普通じゃ持ち運べないものまで盗んでいる。武具店で小さめの物しか盗まなかったのは侵入口と同じサイズの物しか運びだせなかったからだろう。だからカバリは自分と物体を小さくできる能力だと気づいたんだ。
さらに言えば、カバリは自分の好きなタイミングで元のサイズに戻ったり自分が小さくなっているときに他の物を小さくすることはできないってことも推察ができる。
これらができてしまえば武具店からも大きいものは盗めるからな」
ハジメはカバリの入った瓶を小突いた。カバリは瓶の中で尻餅をついてハジメを睨み付ける。
「……流石だな」
ストレインの賞賛をよそに、ハジメは首を振った。
「これも君が報告書をしっかりと書いていてくれたお陰だよ」
ハジメは謙遜をして留置所の扉へと向かって歩き出す。
「それじゃあ」
振り返ることもなく、ハジメは外へ出た。
外は活気でみなぎっており、待ちゆく人みんながしっかりと前を向いて歩いている。ハジメは右も左も分からずとも、前へ進むために一歩を踏み出した。
二章 天使と居候
バウンティハンターのたまり場は賑わっている蚤の市の奥にあった。大通りの端にいくつも露天が並んでおり、外国からの輸入品や手作りの料理の匂いで溢れかえっている。
道行く人々に声を掛けてここまで辿り着いたハジメだったが、鼻腔をくすぐる香りに耐えながら「Bounty Central」と書かれた看板の建物に入った。
中には身体中に生傷を負った半裸の男たちや、派手な刺青を入れた女が昼間から酒を浴びるように飲んでいた。他にも甲冑を着た剣士や目深にハットをかぶった魔法使いがいる。彼らは酒ではなく、大きなボードに張られた掲示板を見ていた。
ハジメは人込みを掻き分け、掲示板の隣の窓口にいるスキンヘッドの男の元へと歩いて行った。サングラスのような黒い色眼鏡を掛けており、カタギの人間には見えない。
「君がこの施設の管理人か?」
管理人は片眉を上げてハジメを見ると、一枚の羊皮紙を差し出した。
「そこに名前を書いて出せ」
そう短く命令する。
その紙には契約書と書かれている。記入欄には名前と住所の枠しかない。
「この住所だが、僕はいま宿なしだから書かなくてもいいか?」
「……なら契約は無理だ」
管理人は差し出した羊皮紙を取り上げた。
「ちょっと待ってくれ、いずれ金を得たらどこかに宿を取る。その金を得るために住所が必要なんだよ」
管理人はサングラスの奥から睨み付けるようにハジメを見た。
「お前、密入国者か?」
突然の質問にハジメは言葉を失う。
「……まあいい。どちらにせよ、住所不定者に登録はさせられねえ」
サングラスを人差し指で押し上げると、椅子の背もたれにもたれかかった。
「どうしても職を得たいなら、あの集団に聞け」
そして昼間から酒を飲んでいるガラの悪そうな連中を指さした。よく見ると周りの剣士たちも彼らのことは遠巻きに煙たそうに見ている。
「彼らは何なんだ。あまり好かれてはなさそうだが」
「ブレイクダークというクランパーティーだ」
パーティーの名前にハジメは
(ネーミングセンスがイマイチだな)
と呆れかえる。
全員が真っ黒な服を着てチームカラーを統一しているようだが、ドクロの指輪やネックレスと言った奇抜な装飾品のせいでダサさが隠しきれていない。しかし、それでもかなり多くのメンバーを抱えているようだ。
「あの集団に聞けというのはどういうことだ? 彼らもここでバウンティハンターをしているんだろ」
「あいつらはゴロツキだよ。だが手下になることを条件に、宿を貸してくれる」
口数は少ないが、管理人の説明でハジメはおおよその見当がついた。ブレイクダークは密入国者や孤児を集め、宿を提供する代わりに仲間を増やしていったのだ。そして数の暴力でこの施設自体を牛耳っているのだろう。
管理人の口ぶりからしても、周りからは好かれていないことが伺える。
(毒を以て毒を制すか……。世界が違ってもああいう輩はいるものだな)
ハジメは諦めて首を横に振った。
「なら宿を見つけてまた来ることにするよ。彼らの手は借りないから安心しな」
管理人は何も言わなかったが、フンと鼻を鳴らしてハジメを見送った。
ハジメはバウンティセントラルを出て蚤の市を通る。濃度の高い食事の香りがハジメの腹の虫を騒がせるが、あいにくハジメにはこの世界で使える金も物々交換できる代物もない。
宿を見つけるとは言ったものの、今のハジメには宿を見つけるほどの当てがない。ストレインに助けを求めることも考えたが、別の衛兵がハジメに戸籍がないことに気付かれても困る。
(衛兵に手を借りるのはリスキーだな……)
ハジメは取り敢えず街中を歩き回ることにした。
この世界に四季があるかどうかも分からないが、夜になるとハジメの着ている薄手のシャツだけでやり過ごせないことくらいは想像がつく。宿はともかく、寒さをしのげるような場所を見つける必要があった。
表通りから裏通りまでくまなく散策し、地形を覚えながら寒さをしのげる場所を探す。
そして、ハジメの視界に看板の外れた怪しげな店が飛び込んできた。看板には「Crystal Magic」と掠れた文字で書かれている。際立って気を引くようなものはないのだが、二階の堅く締め切った窓を見てハジメは店の中に入ることを決めた。
カランコロンと扉に備え付けられた鈴の音を鳴らし、ハジメは店内に入る。
「…………………………え?」
長い沈黙ののち、店の奥にいた黒縁メガネの女性は「いらっしゃいませ」とも言わずにただ驚きの表情をハジメに向けていた。
「え、うそ、お客さん……? 半年以上誰も来てなかったのに……しかも男の人……」
白衣のような上着の袖で顔を隠したりと女性の狼狽する姿をハジメはただじっと観察していた。
(化粧無し、髪の手入れ無し、実家暮らしでそこそこ裕福な家庭のようだな)
わちゃわちゃと慌てふためいたのち、女性は店の奥へと逃げ込んだ。ハジメがどうしようかと悩む間もなく、女性はすぐに奥から戻って来る。その手には手作りと思わしき人形が握られていた。
女性はハジメと目も合わせずにカウンターの下に潜り込み、人形だけをカウンターの上に出す。
「こんにちわ! 私はクリスタっていうのよ!」
人形の口をパクパクと動かしながらカウンターの下からそう名乗った。どうやらただの人形ではなく、パペット人形のようだ。
「……」
ハジメは黙ってクリスタの奇行を見つめる。
「こんにちわ! 何か御用かしら!」
先ほどまでの臆病な雰囲気とは違い、人が変わったように快活でハキハキと喋っている。
ハジメはカウンターに近づき、カウンターの縁にいる人形を鷲掴みにした。人形の中のクリスタの細い手がジタバタと暴れる。
「や、やめてください……。お願いです私はこの人形を通さないと人と話せないんです人見知りなんですコミュ障なんです許してください!」
あまりに必死な様子にハジメは呆れた。ゆっくりと手を離すと警戒されないように後ろに下がる。
「悪かったよ。おちょくられているだけかと疑っただけだ」
クリスタは皺だらけになった人形をヨシヨシと撫でた後、再び人形をカウンターの上に出す。
「まったく失礼しちゃうわ! レディの身体を勝手に触るなんてどんな教育を受けてきたのかしら!」
「あいにく僕はまともに教育を受けたことがないんだよ」
ハジメは適当に答えながら棚に並べられたフラスコや小瓶に詰められた薬品を見る。カウンターの上に目を移すと、そこにもビーカーに入れられた何かの薬液が入っていた。
「ここは薬屋か?」
尋ねると、クリスタ人形が呆れたように肩をすくめて首を横に振った。何とも生意気な態度だが、ハジメは人形をむしり取る衝動を抑える。
「そんなことも知らずに入ってきたの? ここは単なる薬屋じゃなくて、研究施設よ。今は廃れた科学技術を取り戻すためのラボラトリ―! まあ、他所からはオカルト施設だって嫌われてるけどね……」
「科学? この世界では科学が無くなったのか?」
「何言ってるのよ。科学が世界を席巻していたのは15世紀よりも昔の話しよ。私はその科学を復興させるためにこうして実験を行っているの」
ハジメは眉を顰め、カウンターに歩み寄る。
近づいてくる足音にクリスタはカウンターの下で縮こまるが、足音はすぐに遠ざかっていった。おそるおそるクリスタが顔を出すと、ハジメはカウンターの上にあった薬品の入った容器を手に持っていた。
「何して…………」
クリスタはハッと何かに気付き、慌ててカウンターの下に戻ると再び人形に代弁を任せる。
「ちょっと、何してるのよ!」
クリスタの声など聞こえていないように、手で仰ぐようにして薬品の匂いを嗅ぐ。
「……やはり、アンモニア水か」
鼻を突くような独特の刺激臭を間違えるはずもない。
「違うわよ! それは『エトーザ』の原液! アンモニアとかいう変な名前の液体じゃないわ」
「『エトーザ』?」
「そうよ。その煙を吸い込んだ人間は息ができなくなってしまうとても危険な代物なの。いいから早くその原液をカウンターに戻しなさい!」
ハジメは言われたとおり容器をそっとカウンターに置く。
「っていうかあなた、この店にそんないちゃもんを付けに来たの?」
「ああ、そうだったな。僕はそんなことを言いに来たんじゃなかったよ」
ハジメは店を見渡し、二階へと続く階段を見つけて指さす。
「この店は二階もあるんだろ? さっき外から窓を見たが、随分と開いていないようだったんだ」
「ほとんど物置として使ってるからね。使わなくなったいろんなものが置いてあるの」
「君はここに住んでいないのか?」
「私はちょっと離れた場所で両親と暮らしているわ。ちょっと……この会話何か関係あるの?」
「もちろんだ」
ハジメはクリスタに一歩近づく。
「ちょうど僕は宿を探していてね。どうだろう、家賃は払うから僕をこの店の二階に住まわせてくれないか」
「ええ……」
そういったのはクリスタ人形ではなく、クリスタ本人だった。突拍子もない提案に思わず素が出てしまっている。
「君が望むならこの店の手伝いだってする。給料はなしでいい。夜は君が実家に帰ってしまうなら、戸締りだって不安だろう。それも僕がいれば安心だ」
クリスタは見るからに押しに弱い女性だ。その性格を利用することに後ろめたさはあるが、この世界で生きるために必要なことだからと割り切っていた。
「じゃ、じゃあ……」
クリスタはカウンターから目から上だけを覗かせる。
「あなたがこの店で働けるかを、テストします……。この紙に書いてるものを持ってきてください。そうすれば、あなたがここに住むことを許します」
再びカウンターの下に隠れ、手元の紙にペンを走らせる。そしてクリスタ人形に持たせた羊皮紙をハジメに手渡した。
「……そうきたか」
受け取った紙に書かれた名前はハジメが知るはずもないものだった。先ほどの『イゾート』のくだりでクリスタはハジメが魔法に詳しくないことを察していたのだろう。
(思ったよりも聡明だな。このテストで落として体良く断ろうという算段か)
ハジメは紙を握って頷いた。
「分かった。いつまでに持ってくればいい?」
ハジメの問いにクリスタ本人ではなく、クリスタ人形が答える。
「今日私がこの店を閉めるまでよ! いいこと、一秒でも送れたらテストは不合格だからね!」
クリスタ人形の丸い手がハジメをビシッと指さす。
人形でそれほど横柄な態度がとれるのならハッキリと断れるだろう、と思うハジメだったが、それをしないのはクリスタが心のどこかでこのテストに意味を持たせているのだ。
(このテストも絶対に解けないというわけでもなさそうだ)
時間内に全く知らないものを持ってくることは不可能に近いテストだが、ハジメには可能にするための手がかりがあった。
「分かったよ。店を閉まるのは何時頃だ?」
「日が沈むと同時にこの店を閉める予定だから、あと1時間と30分くらいね」
「90分か。なら君も、絶対に予定より早く店を閉めるんじゃないぞ」
「当たり前でしょ! 私はそんな不正はしません!」
再びカランコロンと鈴の音を鳴らしながらハジメは店の外へと出た。
奇妙なことにこの街には時計のようなものはまったくなく、90分も体感で計るしかない。そのため90分ギリギリよりも余裕を持って行動すべきだ。
そう判断したハジメは店を出ると、すぐに路地裏の中でも特に狭い通路へと入っていった。
数十秒後、ハジメを追うようにフードを深くかぶった小さな子どもが狭い通路へとやってきた。コソコソと足音を立て、物陰から路地裏をのぞき込む。
「あれ?」
子どもはキョトンとした顔で路地裏を見渡した。通路の奥には建物が立っており、完全に行き止まりになっている。しかし先ほど入ったはずのハジメの姿がなかったのだ。子供は路地裏の中に入り、抜け道がないか確かめる。
「僕に用でもあるのか?」
声がして振り返ると、そこにはいつのまにかハジメが後ろで仁王立ちをしていた。
「えっと……何のことでしょうか」
子どもは目をそらして誤魔化そうとするが、ハジメにはすべてお見通しだった。
「君はずっと僕を尾行していただろう。しかも、僕が留置所から出てきたときからずっとだ。だから僕はこうして路地裏に入り、壁を登ってまでして君を追い詰めたんだよ」
ハジメは子供に詰め寄る。
「こんな無一文の男を小さな子供が追いかけるなんて相当深い理由がないとありえない。だが考えるまでもないだろ。この世界に来たばかりの僕を追いかける理由など、僕がこの世界に来たことしかない」
子どもは踵を返して一気に駆けだした。行き止まりの方へ向かって走り出したが、ハジメは万全を期してフードを掴む。しかし子供は上着を脱ぎ捨てた。
金髪の長い髪が翻り、白色の瞳がハジメを見据えた。おそらく女の子だろう。見た目は10歳過ぎくらいだが、体のラインや肉の付き方がやや女性的だ。しかし、男か女かを気にするよりも注視すべき点があった。
背中から生えた純白の羽根。
あまりに美しい黄金比を作った羽根にハジメは思わず見入ってしまった。そのため、少女は手のひらをハジメの顔に向けたことに反応が遅れてしまう。
「『エタエルク』……!」
呪文と共に手のひらに電撃が溜まる。
ハジメは少女の手のひら越しに鋭い眼光と目が合う。その瞳には覚悟が宿っていた。ハジメは直感で電撃が放たれること、そしてそれを避けられないことを感じ取っていた。
次の瞬間、少女の瞳が大きく見開かれ、同時にマナを溜めていた右手を閉じた。
「……バレたら仕方ないわね」
観念したのか、ハジメにはもう敵意を向けていないようだった。
右手で髪の毛を払いのけると、左手は腰に当ててキリッとした表情を作る。いわゆるドヤ顔というやつだ。
「人間ごときが私の正体に気付くなんて大したものよ、褒めてあげる」
「君の正体に気付いたわけではない。労いの言葉をくれるくらいなら君の名前を教えたらどうだ?」
少女は苦虫を嚙み潰したような表情でそっぽを向く。
「……分かったわよ」
渋々といった様子で、少女は自分の胸に手を当てた。
「私の名前はフェレス。大地の創造主にして人類の母であるハサルシャム様に使いし天使よ」
名乗ったのはいいが、ハジメには頭をひねるような自己紹介だった。
「創造主に天使? この世界では魔法以外に神性なものまで存在しているのか」
「そんなわけないでしょ。この世界でも神様は多くの人から宗教の偶像として認識されているわ。私がそこら辺の人間に天使だと名乗っても誰一人信じる人はいないでしょうね」
「だが実際に君がここにいるということは、神とやらは存在しているということでいいんだな?」
「そうね。私が言いたいのはあくまで人間の考えと世界の真理に乖離があるということ。この世界で魔法が常識になっているように、どの世界でも常識が真実とは限らないのよ」
ハジメはフェレスのつま先から頭までを舐めまわすように見渡す。翼のために大きく背中の開いたワンピースのような服を着ており、ノースリーブで肩も露出している。
「質問だが、君はいくつだ?」
「年齢のこと? そもそも人間世界での時の経ち方とは違うのよね……。私が生まれたのが大体グリム童話と同じくらいって言ったらわかるかしら」
「……大体300歳か」
そのとき、ハジメはふと疑問を感じた。だがその疑問を口にするより先にフェレスが言葉を紡ぐ。
「アンタが聞きたいのってそんなこと? もっと聞きたいことあるでしょ」
「答えてくれるのか?」
「当り前よ。私は天使なんだから、人間の疑問に答えるくらい当然の義務よ」
「なら魔法を使うプロセスを教えてくれ」
「無理ね」
当然の義務はどこに行ったのやら、フェレスは即答した。
「魔法はそんな簡単に説明できるものじゃないのよ。……っていうかなんで魔法についてなのよ。アンタがここに来た理由とかここの世界観とかもっと聞きたいことあるでしょ!」
「世界観はともかく、どうせ理由は君も知らないんだろ」
ハジメの発言にフェレスは言葉が詰まる。
「……鎌を掛けたつもりだったんだが、まさか本当に知らないのか」
「え、気づいてなかったの?」
フェレスは悲壮感に溢れた表情をする。
「君はハサルシャムという神の使いだと言った。神が天使よりも上位の存在なら、僕がこの世界に来たのは君の独断ではなくハサルシャムの意も介しているだろ。だが君の様子を見る限り、君はただの下請けみたいに見えたから鎌を掛けてみたんだよ」
「その通りだけど、アンタに言われると癪ね……。ええ、私は天使の中でも立場は下の方よ」
「なら、僕がここにいる理由を知るには君ではなくハサルシャムに直接聞くとするよ」
開きなおったフェレスだったが、このエースの発言には牙をむいて反論する。
「アンタがハサルシャム様に謁見するような機会は一生訪れないわ! そもそもこの世界に連れてこられたことだってただの気まぐれのようなものよ。深い理由はないでしょうしね」
「ということは、やはり君にはまったく話を聞かされていないのか。信頼されていないんだな」
今度は頭に青筋を立てながらフェレスはハジメを睨みつけた。
「信頼されてるにきまってるでしょ! 今だってわざわざ私を人間界に堕天させてまでアンタの監視を任されているのよ!」
「……」
数秒の間を空け、フェレスは自分の失態に気付いたようだ。
「いや、堕天っていうのは違くて……監視っていうのもホラ、言葉の綾というかね……?」
「……捨てられたならそう言ってくれよ」
「捨てられてない! 私はハサルシャム様に厄介払いなんてされてない!」
思い当たる節があるのか、フェレスは涙目になりながら首を横に振った。
怒ったり泣いたり感情は人間と同じように、何なら平均よりも豊かな感情表現をするようだ。
フェレスも別に捨てられたわけではなく、堕天しなければそもそも人間界に降りてくることができなかったのだ。
「ところで、君は人間界で泊まるような場所はあるのか?」
「う……」
分かりやすく目をそらして言葉に詰まる。
「この地域は治安が悪い。かといって森の方へ行けば魔獣の群れがいるらしい。いくら天使でも一人で生きていくのは厳しいだろうな?」
「うう……」
魔獣の件は今適当に作った嘘だが、フェレスは信じているようだった。
さらにハジメは追い打ちをかける。
「監視対象にも気づかれて、使命を全うできないような天使は使い捨てられるだけだな……」
「ううう……」
小刻みに身体を震えさせて涙を必死にこらえている。この姿だけ見れば、外見に応じた幼い少女のようだ。
「……分かったわよ。アンタに手を貸して上げる」
「……じゃあ、まずは君の魔法とこの世界について聞かせてもらおうか」
フェレスも落ち着き、二人は改めて会話を始める。その頃には既に陽がオレンジ色に染まっており、クリスタとの約束の時間までもう少しだ。
「私の能力は『創造』。一見飛べそうに見えるこの羽根は人間界ではただの飾り。飛ぶことはできないわ。普段はこの羽根は隠すことができるけど、『創造』を使うときは羽根を広げる必要があるから誰にも見られないように注意しなくちゃいけないの。天使の存在に気付かれると色々厄介だからね」
「ちなみに、その『創造』っていうのはどんな魔法なんだ?」
「正しく言うと魔法じゃないわ」
フェレスは地面の小石を拾い上げた。
「『フィルク』」
呪文と共にフェレスの手の中にある小石は徐々に大きくなった。
「これは魔法。マナを用いて石を巨大化させているの。いわゆる1を5にする行為。マナの扱いに長ければ1を100にでも1000にでも、100を1にすることだってできるわ」
石を地面に投げ捨てると、元の小石に戻っていた。
続いてフェレスは手の平を上に向ける。
「『エタエルク』」
手の平にマナが集まり、何もなかった空間から光り輝く金の延べ棒へと変わった。
「こうして何もない場所から物質を創り出すのが『創造』よ。0から生み出すことができるのは天界人にしかできない力なの」
「これは本物なのか?」
「ええ、もちろん」
ハジメはフェレスから金の延べ棒を受け取る。重量や表面を確認して、純金であることを確認した。
「それは確かにこの世界に実在する金よ。魔法で作られた物質とは違い、創り出した私が近くにいなくてもその金は存在し続けることができるの。ただ、――」
フェレスは金の延べ棒をハジメから返してもらい、「エテレド」とそう呟いた。
すると金の延べ棒は粒子となって消えていく。
「私ならこのように100あるものを0にすることだってできる。これは私が『創造』で創り出したものに限らず、すでにあるものでも消滅させることができるわ」
「……どんな物質でも消すことができるのか」
「全部じゃないわ。私でも創ることができるのは生命の宿っていないものだけ。それもどういう構成で作られているかを把握していないと創造はできないわ」
生命というものがどの範囲までの存在を示しているのかは分からないが、人間や動物のことを示唆していることは間違いない。
「生物を創れないのは何か理由があるのか?」
「単純に構成物が複雑っていうこともあるけど、この世界に理に反することだからね。生命を作るっていうのは正規の繁殖で増やすか、神様しかできない奇跡のようなものよ。私みたいな天使には生命を作る権利がないの」
「神様か……」
ハジメは顎に手を当ててフェレスから目線を外す。
(気になることはあるが、今は目の前の課題を優先するべきか)
ポケットから紙切れを取り出す。クリスタに提示されたテストの内容だ。それをフェレスに見せた。
「ここに書かれているものはなんだ? 文字は読めるが、意味までは分からないんだ」
「ちょっと借りるわね」
フェレスは中身を読む。そして頬を引きつらせて面倒くさそうな表情を浮かべる。
「サジ・エディゾイド・ノブラック。それとディウキル・ニレシルゴルティンね」
そして深いため息をつく。
「さっきは外から様子を伺っていたけど、あの店主もとんでもないものを要求するわね。ニレシルゴルティンを扱っている魔法使いなんて歴史上から見ても数人程度よ」
「希少なのか?」
「希少も希少。どんなものなのかも全く分かっていないわ」
ハジメは紙を返してもらい、その中身をじっと見つめる。目は紙を見ているが、その思考は遥か遠くまで及んでいる。
店の中にあった瓶に張られていた文字やクリスタ、フェレスとの会話が何度も頭の中で反芻されている。
「……なんか、アンタがこの世界に連れてこられた意味がなんとなく分かったわ」
フェレスの言葉でハジメは我に返った。しかし、フェレスの言葉の意図は分からない。
ハジメが首をかしげているのを見て、フェレスは深いため息をつく。
「アンタの世界のことは少しだけ知っているけど、正直言って私は良い世界だとは思わないわ。科学は一人の天才によって皆に恩恵が与えられるけど、魔法は自分とその家族にしか恩恵が与えられないのよ。確かに閉鎖的だとは思うけど、要するに魔法は個人の幸せを得るために努力するのよ。でも、科学は皆の幸せを追求するでしょ」
「一概に肯定はできないが、まあ君の言うとおりではある。僕たちの世界で優先されるのは個人よりも社会全体の幸せだ」
「……ハサルシャム様に聞いたわ。前の世界では周りの人や家族にも嫌われていたんでしょ。でもそれじゃあ仕方が無いわよ。アンタみたいに才能を無駄遣いして自分のためだけに生きる人間なんて、周りから忌み嫌われて当然だもの」
ハジメは少し黙った後、首を小さく振った。
「それは違う。僕は何も自分のためだけに才能を使っているわけじゃない。まあ8割くらいは自分のためだ。……だが、自分のために使うなら僕は探偵なんて目指していないよ」
ハジメは続ける。
「僕は謎を解くことで誰かが救われると信じている。それに君が科学の世界を良い世界ではないというのは間違っているよ。少なくとも皆のために才能を遺憾なく使った人は正しいことをしたんだ」
「……意外と正論を叩きつけるわね」
フェレスは壁にもたれかかり、三角座りをした。
「要するにアンタはノドルの時計塔ってことね」
「ノドルの時計塔?」
「多分もう少しで鳴るわよ」
フェレスは指を立て、沈黙が流れる。
その沈黙を破るように街中全体に大きな鐘の音が鳴り響いた。
「これ、鐘の音だったのか」
ハジメは何度かこの音を聞いたが、これが鐘の音だとは気づいてなかった。
「城内の中央に巨大な時計塔があるのよ。時計は1時間ごとに鐘が鳴るようになっていて、時計がないこの世界ではあの時計塔は人々に時間を教える重要なものなのよ」
「どおりでこの世界に来てから時計がないわけだ」
「あの時計を作ったのは一人の天才だったのよ。とある魔法使いがすべてのマナを使って向こう1000年動くだけの大時計を作ったの。それ以来ノドルの時計塔は四季によって日照時間が変わっても正確に時間を教えてくれる国民たちの支えになったのよ」
「……この世界でも他人のために才能を使った人間がいたってことか」
フェレスは砂を払いながら立ち上がった。
「私はハサルシャム様がアンタを適した世界に連れてきたのかと思ったけど、アンタはそれでも変わらない生き方をするのね」
「そうだな……。他人からの嫌悪は僕の行動を変える要因にはならない。どこであっても僕のすることは変わらないよ」
ハジメは大きく息を吸った。
「だが、確かにこの世界で別の生き方をしてみるのは悪くない。苗字持ちは目立つからいっそのこと改名でもしてみるか」
フェレスは呆れて肩をすくめた。しかし、その口元はかすかに笑っている。
「分かったわよ。私も監視を命令されているし、出来る限りのサポートはしてあげる。ホラ、もう一度紙を見せなさい。私がその言葉の意味を詳しく教えてあげるから」
「その必要はない」
ハジメはきっぱりと断った。
「必要ないって……それじゃあ何をもっていけばいいか分からないじゃない」
「雑談で時間を使ってしまったからな。早くあの店に戻ろう。道すがら君に頼みたいこともある」
「でも……」
「それと、――」
ハジメは手に持っていたフェレスの上着を投げ返した。
「僕が店で嗅いでいた液体『エトーザ』の正式名称はディウキル・エイノマ、だろ?」
「どうして分かったの……?」
フェレスの問いかけにハジメは口角を上げて笑った。
扉の鈴の音が鳴ると、人の姿を確認せずにクリスタはカウンターの下に逃げ込んだ。のぞき込むようにカウンターの下から恐る恐る顔を出した。
扉の前にはハジメと見覚えのない少女が並んで立っていた。
「その子は……?」
「フェレスだ。まあ、僕の妹のようなものだと思ってくれ」
足元のフェレスは妹扱いされたことに不服でハジメを睨みつけるが、ハジメはその反抗に全く取り合わない。
「言われた通りの物を持ってきたぞ」
クリスタはゆっくりとカウンターの下に潜ると、代わりにクリスタ人形をカウンターの上に出した。
「本当かしら? 言っておくけど、私を騙そうなんてノドル国を攻め落とすほど不可能よ!」
ハジメはノドル国の国防力など知らないが、クリスタが人形を介して話を始めることは予想済みだ。
フェレスにアイコンタクトを送ると、フェレスは店の棚に忍び足で近づく。液体の入ったラベルを一つ一つ確認し、その中の一つに手を伸ばした。
クリスタにバレないようにハジメは話を始める。
「ところで、クリスタ。君はどうしてこんなまどろっこしいテストを出したんだ」
「何のこと?」
「君は僕が魔法薬に詳しくないことに気付き、陽が沈むまでという制限を掛けてまで無理難題なテストを出した。だが僕がここに住むことを本当に拒みたいのなら、初めから君は断っても良かったじゃないか」
「……別にただの気まぐれよ」
クリスタ人形は手をバタバタと動かして反論する。
「私ははっきりと断るのが嫌だから遠回しに拒否しただけ。変な深読みは止めてくれないかしら」
その言葉に対し、ハジメは「違うだろ」と反論した。そして手に持っていた羊皮紙をカウンターに置く。
「確かにこの二つは入手が困難な代物だが、絶対に手に入らないというようなものではない。僕が魔法液に詳しくないと分かっていたなら架空の名前を書いてもバレなかったんじゃないのか。蓬莱の珠の枝や火鼠の皮衣とか燕の子安貝とか色々あっただろう」
「ホウライ……ヒネズミ……コヤス? 一体何の話をしているのよ」
クリスタはハジメのたとえにピンと来ていないようだが、ハジメはそのまま会話を続ける。
「もしこのテストを通ったら君はさらに難易度の高い要求をしてまで僕を拒否してくるかとも考えたが、君はそうはしないはずだ。なぜなら、君は心のどこかで孤独を埋めてくれる存在を探していたから」
クリスタ人形を操る右手が力なく下がり、クリスタ人形は命がなくなったように俯く。
「君は、寂しかったんだろ。人形じゃない誰かと話がしたかったんじゃないのか」
クリスタは右手を下げ、クリスタ人形を胸に抱いた。人形に縫い付けられた青いボタンの瞳はクリスタの目をじっと見つめている。
「……違う」
再びカウンターの上にクリスタ人形が現れ、丸い腕を突き出しながら大きく口を開いた。
「そんなわけない……! 寂しくなかったことはないけど、この子以外の誰かと話したくなったことなんて一度もない……! それに今、あなたの狙いが分かったわ!」
クリスタはカウンターの下で、さらにハジメとは逆方向を見ながらハッキリという。
「あなたは私の心を惑わせてこのテストをクリアしようとしている……。私を友達のいない可哀想な女だってバカにして、『だったら俺が友達になってやるよ』とか壁ドン顎クイしながら白馬の王子様のフリで私に取り入ろうとしているんでしょ!」
「いや、別にそこまでは……」
「残念ね、この詐欺師! このテストを通ってもあなたに追加のテストを出す必要なんて無いわ。あなたは知らないだろうけどその二つのうち一つは伝説級の魔法薬。私ですら持っていない超貴重品だもの!」
その言葉を聞き、ハジメは破顔した。
「……言質はとったぞ。君はいま、追加のテストは出さないとはっきり口にしたな」
「え?」
予想外のハジメの反応にクリスタは困惑する。そしてクリスタの足元に白い煙のようなひんやりとしたものが漂いはじめ、困惑はさらに増えた。
「不安点はこれだけだった。もし君が提示したテストを通過しても、さらに難易度を上げたテストを出される可能性があったからな。だから言質を取るために色々と君を不快にさせてしまったことは謝るよ」
クリスタは恐る恐る立ち上がる。店の真ん中に立つハジメを見ると、その姿は真っ白な煙に覆われていた。
「君が提示した一つ目、サジ・エディゾイド・ノブラック。噛みそうになるから僕の国の言葉に置き直させてもらうと、二酸化炭素だ。もっとも、これはドライアイスだけどな」
ハジメは扉を開け、カランコロンと鈴の音を鳴らしながらドライアイスの煙を外に逃がした。
「ウソ……。あなた、魔法薬に詳しくないんじゃなかったの……?」
「確かに、”魔法薬”は詳しくないな。この世界の自然節理が僕の知っているものと
違っていれば、解くことはできなかったはずだ」
ハジメの両手には小瓶と小さな綿が握られている。
「そしてこれが伝説級と名高いディウキル・ニレシルゴルティン。僕たちの世界ではニトログリセリンと呼んでいる」
綿を机に置き、そこに小瓶の中の液体を一滴たらした。綿は一瞬にして激しい炎を作り出す。
「『エタエルク』!」
ハジメの後ろに隠れていたフェレスが手をかざすと、マナが水となって鎮火させた。
「……以上だ。君が指定したサジ・エディゾイド・ノブラックとディウキル・ニレシルゴルティン。これでテストは合格かな?」
クリスタは唖然としてしばらく呆けていたが、我に返ると
「分かったわ……」
と言い店の奥へと入っていった。
戻ってくると手には何もついていない鍵を持っている。
「約束だから……」
「ああ。ありがとう」
ハジメは鍵を受け取った。
「うぅ……」
鍵を渡したクリスタの手は震えており、目にはうっすらと涙が溢れている。
「この……」
クリスタは人形を手に付けると、ハジメに向かって突き出した。
「宿無し嘘つきやろう!」
捨て台詞を吐くと、クリスタはすぐに店から逃げるように出て行った。
「……あれじゃあ子供じゃない」
フェレスは呆れながらクリスタの後ろ姿を見つめた。
「フェレスが言えた義理じゃないけどな」
ハジメはフェレスの頭を軽く撫でると、店の鍵を閉めた。フェレスは撫でられた箇所を抑えながらハジメを睨み付ける。
「ひとまず、宿は確保したな」
フェレスが不満げに見上げているが、そんなことは気にせずに二階への階段を上っていく。
二階は埃まみれだが、かなり人が住むには十分すぎるほどの広さだった。
フェレスは長年開いていなかった窓を力尽くで開けると、壁を背にして両手を突き出す。
「『エタエルク』」
風を創造し、小さなつむじ風となって部屋中の埃をかき集めて窓の外へと放り捨てた。
「それにしても、アンタどうして魔法薬が分かったの?」
ベッドやらクローゼットやら部屋のレイアウトを変えているハジメに問いかける。
「何のことだ?」
「アンタの世界とこっちの世界では名前が違うのに、どうしてエディゾイド・ノブラックとニレシルゴルティンをアンタの世界の名前で答えられたのよって聞いてるの!」
「それだよ」
ハジメはフェレスの顔を指さした。
「君は今も、路地裏でも『ディウキル・ニレシルゴルティン』ではなく『ニレシルゴルティン』とだけ言った。これは前者が正式名称で、後者が通称ということだ」
「だったら何になるの?」
「サジとディウキルの部分はあくまで付属。重要なのはそれ以外の言葉ということになる。そして、気になったのは『Bounty Central』に『Crystal Magic』、それとスキンヘッドの管理人に渡された署名書だ。この世界では僕が読める英語が共通言語として使用されている。だが、『ニレシルゴルティン』のように固有名詞は僕も知らないものだ」
ハジメは自虐的に乾いた笑みを浮かべる。
「『ニレシルゴルティン』。口に出すだけでは分からないが、クリスタが紙に書いて渡してくれたおかげで分かりやすくなったよ」
ハジメはフェレスに羊皮紙を渡す。羊皮紙には『DIUQIL・NIRECYLGORTIN』と書かれている。
「実に単純だよ。これを逆から読めば、ニトログリセリン・液体となる。同じ要領でもう一つも二酸化炭素・気体だ」
フェレスは頷いた。
「だから『ディウキル・エイノマ』という単語にも気づけたのね」
「そうだ。窒素・液体となっているが、窒素の液体はアンモニアだからな。ちなみに魔法もすべて逆から読んだ呪文になっている」
初めて出会った少女の氷魔法や、カバリが使っていた体を縮める魔法。口頭ではあったが、そのすべてが逆から読めば「frozen」「shrink」となる。
「なるほどね……だから店の中に並んだ薬品の名前もすべて分かったんだ」
「まあな」
ハジメは椅子に深く座った。
「もう夜だ。君はもう寝るといい」
フェレスは一つしかないベッドを見る。
「……何、レディーファーストでも気取っているつもりなの?」
「悪いが僕は男女平等主義だ。そうじゃなくて、僕は体質的にちゃんと眠らなくてもいいんだよ」
「体質? まあ、そういうことならお言葉に甘えさせてもらうわ」
フェレスはベッドに寝転がり、毛布を被る。
天使とはいえ、堕天しているフェレスは身体の仕組みも人間に近くなっている。それにマナを大量に消費したため、疲労はかなり溜まっていた。
「……言っておくけど、寝ている私にちょっとでも触ったらすぐにロリコン認定で街に悪評を流すわよ」
「天使に似合わないリアルな報復だな。安心しろよ、僕は君の体なんかで欲情するほど飢えていない」
「それならいいんだけど……」
フェレスはそう言うと、ハジメに背を向けて目を閉じる。警戒していた割にはかなり早い段階ですやすやと寝息を立てて寝静まっていた。その姿は天使というよりも普通の人間の女の子だ。
しかし紛れもなく、フェレスの天使である奇跡の力をハジメは利用した。
ドライアイスもニトログリセリンもフェレスは触れたことがないため『創造』で創り出すことはできなかった。そこでハジメはクリスタの部屋にある薬品の中から元素を探し出し、それをフェレスに触れさせることで『創造』で作れるように指示した。
しかも元素を創り出せるだけではドライアイスは用意できない。
そのため、フェレスにはもう一つの指示をした。圧縮から冷却、脱水まですべてを『創造』でやってのけ、その場でドライアイスとニトログリセリンを化合したのだ。
一方ハジメがしていたのはクリスタの注意を引くこととクリスタを騙して言質を取ること。フェレスはローブの下で天使の羽根を生やしながらずっとマナを消費していたのだ。
ハジメは手を横にかざす。
「エタエルク」「エゾルフ」「トセラ」
この一日で聞いた魔法を片っ端から唱えていくが、その手からは何も出ることがなかった。
「……誰でも使えるんじゃないのかよ」
ストレインに文句を垂れながらも、ハジメは心のどこかで自分が魔法を使えないことを察していた。
(そもそも僕はマナすら感じ取ることができない)
ハジメはゆっくりと目を閉じる。眠ることはできないが、こうして目を閉じることで心と頭を落ち着けることができた。
静寂の中、ハジメはこの一日の出来事を振り返る。
訳の分からない世界に来て、その世界には魔法があり、ハジメをこの世界に送ったのは神様と天使だという。ひょんなことから衛兵の力になり、この世界でも探偵として生きていくことになった。
「あの狭い部屋でダラダラと過ごしていた日々とは、まったく違うな」
いつもは退屈だった眠らない夜も今では一日を振り返るためのいい時間だ。
ハジメはこの世界に居心地の良さを感じていた。
次の日、日の出と共に『Crystal Magic』の扉がゆっくりと開かれ、クリスタが恐る恐る店の中に入った。
「随分と早起きなんだな」
「ひゃあ!」
いきなり現れた半裸のハジメにクリスタは飛び上がるように驚き、すぐにカウンターに逃げ込んだ。
「そんなに驚かなくても良いだろ。シャワーを少し借りたんだよ」
ハジメは階段の隣に備え付けられているバスルームを指さした。
クリスタはカウンターから顔を覗かせ、水の滴るハジメの顔と鍛えられた上半身の筋肉を見てすぐにカウンターの下に戻った。
そして代わりのクリスタ人形が登場する。
「別に驚いたわけじゃないわよ! いいから服を着なさい! そんなカッコ……みすぼらしい姿で店をうろつかれたら私だって困るのよ!」
「それは悪かった」
ハジメは薄着のシャツを着る。
「ところで勝手にシャワーを借りてしまったが、大丈夫だったか?」
「……勝手にこの家に居候している時点でシャワーくらいどうってことないでしょ」
「勝手に居候って……僕はちゃんとテストには通ったぞ」
「それは……」
正論にクリスタは言葉を詰まらせる。やがて開き直ったのか、クリスタ人形はやれやれという風に肩をすくめた。
「もう、分かったわよ……。その代わり、しっかり店の手伝いはして貰うわよ。それと、絶対に問題ごとは起こさないように!」
「百も承知だ」
「あと……」
クリスタの声が少しだけ小さくなる。
「あなたの名前、聞いていなかったわね」
「……そうだったな。僕の名前は――」
クリスタと話した後、ハジメはバウンティセントラルに朝一番で足を運んだ。
店の中はブレイクダークのメンバーたちが飲んだくれて寝ており、窓口にはスキンヘッドの管理人が手作りと思われるサンドイッチの朝食を食べていた。
管理人はハジメに気付くと、契約書を取り出す。
「来たか」
ハジメは男から契約書を受け取ると、スラスラと空欄を埋めていった。
「これでいいだろ」
男に渡す。
「……この一晩で、本当に宿を見つけてくるとはな」
「まあな。だが彼らの力は借りていない」
ハジメは大きなイビキを立てているブレイクダークの男たちに目を向ける。
「……そうか」
管理人は笑いこそしなかったが、満足げな表情を浮かべた。
「お前の名前は登録しておく。名前、『エース』でよかったか?」
「ああ。僕の名前はエースだ」
この日よりハジメ改めエースはこの謎多き世界で正式に探偵として働き始めることになった。
三章 勇者連続殺人事件
ストレインはバウンティセントラルにて受け取った地図を片手にスカル街を練り歩いていた。スカル支部に赴任してから10年以上とはいえ、ストレインも知らない地域はまだたくさんあった。
後ろに付いてくるトルバは赴任してから一週間と数日経つが、早くもこの街の独特な雰囲気には慣れつつあった。
「……それより、本当にあんな男の力を借りるんですか?」
トルバは胸にたまった鬱憤を晴らすかのようにストレインに不満を漏らす。
「当り前だ。お前もアイツの実力は目にしただろう。この事件を解決するにはハジ……エースの力を借りなくてはいけない」
「でも衛兵が一般人の力を借りるなんて……」
「なら考え方を変えるんだな。俺たちの目的は事件を解決するためではなく、市民の安全を守ることだ。事件解決なんて面倒なことは専門家に委託すればいいんだよ」
トルバは返す言葉もなく黙るが、その胸中に不服が晴れていないことは顔を見れば分かった。ストレインもトルバの気持ちは分かっていながら、咎めることはしない。
トルバのような若い衛兵が葛藤を抱くことは仕方がない。情熱があるとから回った分、不満は蓄積されていく。それはストレインもかつて経験したものだった。
(トルバのため、ここは見守ってやろう)
そして探し回ること数分、ようやく『Crystal Magic』と書かれた店の前までやってきた。
外の暑さに耐えきれず、二人はすぐに扉を開ける。扉の前にはCLOSEDという札が掛けられてあったのだが、そんなものには全く気付いていなかった。
カランコロンという鈴の音が鳴ると、カウンターの横にいたクリスタは髭面の男と血気盛んな若者と目が合う。
「え……」
ただ二人は目を合わせているだけなのだが、クリスタにはまるで獲物を狙う獅子のような眼光に感じ取った。
「ごめんなさい!」
すぐさまカウンターの下に潜りこむ。代わりにクリスタ人形が顔を出し、両手をばたばたさせる。
「ちょっと、まだ開店前なんですけど!」
クリスタの奇行に付いていけない二人だったが、ストレインが宥めるように声のトーンを落として話しかける。
「すまない。俺たちは衛兵で、エースに用があってきたんだ」
ストレインはクリスタに地図を渡して信頼を得る。
「エースが居候しているのはここであっているよな?」
「エースのお客さんなのね。エースは階段を上がったらいるわよ」
クリスタ人形が角にある階段を指さす。
「そうか。ありがとう」
ストレインは早足で階段を上った。
「……ちょっと、いまのなんですか?」
トルバも小声でストレインに尋ねるが、ストレインは首を横に振る。
二人は何も見なかったことにして二階に上がった。
「よく来たな。フェレス、客人に椅子を用意してやれ」
「はいはい」
口をへの字にしてフェレスが椅子を二つ並べた。二人が来た時点でエースは階段の方を向いて肘掛け椅子に深く腰を下ろしていた。
「……まるで俺たちが来ることを待っていたようだな」
ストレインは予約をしてここに来たわけでもなく、昨日の夜に思い立って今日の早朝にエースの住所を聞いてやって来たのだ。
「いやなに、巷で怪死事件が話題になっているからな。君なら僕に頼りに来ると分かっていたのさ」
エースは綽綽と朝のコーヒーを傾ける。その態度が気に入らない若者が一人。
「……まるで自分が俺らより優れているって言いたげだな」
トルバはフェレスが用意していくれた椅子に座ることもなく、エースを睨みつけていた。
「そうだな。僕は優劣で物事を考えるのは嫌いだが、君が僕に勝てるのは声の大きさくらいだろう」
「何だと……!」
今にもエースの胸倉に掴みかかりそうになるトルバをストレインが抑える。
「落ち着け。俺たちはここに喧嘩をしに来たわけじゃないだろ」
「ストレインさん! やっぱり俺はこんな奴に協力を求めるのは嫌です!」
「そうだぞ、ストレイン。彼はこの事件にかける情熱が強すぎて寝不足なんだ。城内にいる恋人とも疎遠になり、ストレスのはけ口を僕に求めても文句は言えないさ」
トルバは呆気にとられてエースを見つめる。
「どうして、それを……」
「目は充血していて、肌色もよくない。袖口にはインクが付いているからワークデスクをずっとしていて、着替える間もなかったんだろう。左側の髪の毛の癖から机で寝オチしてしまったことも窺える」
続いてエースはトルバの服装を指さす。
「君はスカル街支部に来る前は城内で衛兵をしていたはずだ。その新品の制服が何よりの証拠になる。僕に突っかかってくるような熱血漢なら、左遷ではなく自主的に異動したのだろう」
さらにエースは続ける。
「しかし城内の彼女との仲はうまくいかなかったようだね。以前君が僕を野次馬だと思って止めたときは首からロケットを下げていた。今はそれを外し、右ポケットの中に入れている」
エースの指先が制服の右ポケットを指さした。いわれてみれば確かに、ポケットに何か小物が入っているような膨らみがあった。
トルバがポケットからゆっくりと銀色のロケットを取り出す。
「首から外したのにポケットに入れているのは君にはまだ未練があるから。おそらく一方的に手紙で別れを告げられたんだろう。ロケットの留め具が壊れているあたり、怒りのあまり力づくで外したんじゃないか?」
「だが、――」
口をはさんだのはストレインだった。
「ロケットだけなら恋人でなくても家族という可能性だってあるだろ」
「いいや、そのロケットは安物でまだ使い古されていない。家族の物ならもっと高価で年季が入っているはずだ。それに、彼には家族がいないからな。もしいるなら、こんな偏狭の地に自分から異動することなんてありえない」
トルバはロケットを持つ手を強く握りしめる。
「確かに……お前には特別な才能があるようだな」
「それはどうも」
エースは胸に手を当て、皮肉にも取れる感謝をする。
「……ストレインさん。俺、外で頭冷やしてきます」
トルバは見るからに不機嫌そうに階段を下りていった。
「床を踏み抜かないでくれよ」
エースの声など全く意に介さずにドスドスと足音を立てている。ストレインはトルバは店から出て行ったのを確認し、エースに向き直った。
「……すまない。だがトルバもこの街のことを思ってくれているんだ」
「いいのよ。悪いのは人の気持ちを考えないこのバカなんだから」
深々と頭を下げるストレインを慰めるようにフェレスはエースの肩をたたく。
「そんなことより」
エースはフェレスの小さな手を払いのける。
「今は事件の話をしよう」
「そうだったな」
ストレインは気持ちを切り替えて手のひらサイズのノートを取り出した。
「事件が発生したのは2日前、検問所近くの広場で一人の男が遺体となって発見された」
「その話は知っている。だがそれはよくある殺人事件だろ。どうして噂になるほどこの事件が広まっているんだ?」
「その殺された男が勇者だと言ったら、意味が分かるだろう」
「ああ、なるほどね」
納得したフェレスにエースは眉を顰めた。ストレインに聞えないようにフェレスに耳打ちをする。
「勇者っていうのはなんだ?」
「勇者は王から授けられる称号よ。大きな手柄や力が認められると王に謁見する権利が与えられて、勇者という名称で呼ばれるようになるの。だからこうして殺されるのが意外なのよ」
エースは説明されても納得することはなかった。
「だが勇者とはいえ死なないわけがないだろう。どうして殺されただけでそこまで大騒ぎしている」
「勇者は鋭利な刃物で心臓を一突きされていた。他に争った様子もなく、ただの一突きで絶命だ。勇者を簡単に殺せるような危険な犯人を野放しにしておくわけにはいかないんだよ」
「要するに」
ストレインの言葉に被せるようにフェレスが口をはさんだ。
「勇者が死んだ場合はスカル支部だけでなく本部にも伝わるのよ。城内の人間からしたら闇討ちで殺されるような人間を勇者に選んだことがバレると沽券にかかわるし、勇者を殺せるような手練れを生かしておくわけにはいかないのよ」
「……その通りだ。小さいのに城内のことに詳しいんだな」
「まあね」
フェレスは褒められて少し上機嫌になった。
「なるほど。だから君は僕の手を借りてでも事件を早急に解決したいのか。君たちだけでは事件が解決しそうにないから」
ストレインはバツが悪そうに苦笑いをする。
「手厳しい言われようだが、事実だからやむを得ないよ」
「なに、気にするな。そもそも君に協力する約束だからな。事情はどうあれ、僕の興味を引くような事件なら大歓迎だ」
エースは飲み終わったコーヒーを置くと、ローブを羽織った。
「ちょ、今すぐ行くの!?」
フェレスの手元にはクッキーとミルクが残ったままだ。エースはしっかりとその状態を見たうえで、
「来ないなら置いてくぞ」
とだけ言った。
フェレスは涙目になりながらクッキーを一気に頬張り、それをミルクで流しこむ。
三人が階段を降りると同時にクリスタがカウンターの下に潜りこんでいた。
「少し出かけてくる。もし依頼人が来たら要件と連絡先だけ聞いておいてくれ」
エースの問いにクリスタは何も言わない。
「じゃあクリスタ、行ってくるわね」
フェレスがそう言うと、カウンターの下からクリスタ人形が現れ、フェレスにだけ手を振った。
(……どうせエースは無神経な発言で嫌われたんだろう)
ストレインは1人納得して、店の外に出た。
外にはトルバが壁にもたれ掛かって座っていた。カランコロンという鈴の音で顔を上げると、渋い顔をした上司と目が合う。
「トルバ、こんな暑さじゃ頭を冷やすどころじゃなかっただろ」
「……いえ、十分冷えましたよ」
トルバはストレインの後ろにいるエースを見る。
「お前の態度は気に入らないが、事件解決に手を貸してくれることには感謝する」
エースが何か答えるよりも早く、トルバは踵を返して歩き出した。
「……エース、もう意地悪しちゃダメよ」
フェレスはエースの裾を引っ張ってそう告げる。
「分かってるよ。神経を逆撫でするような真似はしない」
「本当に分かってるの……?」
呆れはしたものの、エースとフェレスは先導する二人についていった。
一行が着いたのはエースがこの世界に来て初日に収容された留置所だった。
「ここがスカル支部衛兵署だ」
「……署だったのか」
小さな二階建ての建物のため、エースもまさか衛兵署だとは思わなかった。
「……小さいわね」
フェレスが歯に衣着せぬ発言をする。ストレインも10歳の少女に言われると苦笑いしかできなかった。
「一応地下もあるからもうちょっとだけ広いぞ」
エースはこの世界に連れてこられてきてすぐに収容された牢獄を思い出す。
「あの地下は狭いだろ。しかも牢獄をスペースにカウントするな」
ストレインが何かを言う前にエースは衛兵署の中に入った。それにフェレスもついていく。
四人は衛兵署の二階、六畳程度の小さな会議部屋に集まった。
「すまない。出払っているとはいえ、他の衛兵たちに見られると色々と厄介なのでな」
そう言ってストレインは両腕に抱えた資料を机の上に置いた。
資料には『不屈のパレス』と書かれている。
「こんなにあるのか?」
エースは資料の一部を取って尋ねる。その資料には殺された勇者の情報が書いてある。
「仕方ない。ここにあるほとんどは殺された勇者パレスが達成した功績だ。この中から恨みを買った人物がいるかもしれないと思うと、無下にもできないだろう」
紙の資料以外にも箱に入った雑貨のようなものがある。
「これは?」
「殺されたときにパレスが持っていたものさ。大したものは入っていなかったよ」
そう言われてもエースは中身を確認する。年季の入った指輪や、札束がぎっしりと入った財布などがある。さらにハンマーを模したエンブレムのアクセサリーもあった。
アクセサリーをじっと見つめるエースを横に、ストレインは資料を四つに分けて全員に配る。
「途方もないとはいえ、やはり犯人を捕まえるには動機からだ。まずは討伐依頼を中心に彼を恨んでいるような人物を探ろう」
「待て」
エースは手元に置かれた資料を持ち上げる。
「まさか君は僕たちにこの資料を調べる手伝いをさせるために呼んだのか?」
「まずは人海戦術だよ。その後でお前の推理を聞いていくつもりさ」
エースはわざとらしく肩をすくめて呆れてみせた。
「バカも甚だしい。僕は勇者のパーティーメンバーに話を聞いてくるよ」
「待て、もう俺とストレインさんで聞いてある。行っても無駄になるだけだ」
「無駄かどうかは僕が決める。話を聞いたらまた戻ってくるよ」
エースは振り返ることもなく、颯爽と会議室の扉から出て行った。
「あ、待って。私も!」
フェレスも会議室から逃げるように後を続いた。廊下に出ると、早足で歩くエースの元へと駆けよった。
「ちょっと、私をあんな場所に置いていかないでよ」
「あんな? それは暑苦しいという意味か、それとも無能な奴らの集団という意味か」
その言葉にフェレスはむっとしてエースの前に立ち塞がった。
「ちょっと、この国民は私が仕えるハサルシャム様が創り出した人間なのよ。いくらアンタでもその口の利き方は納得いかないわ」
「……確かに、無能は言い過ぎたな。彼らがしているのは無能の行為ではなく無駄な行為だ」
エースはフェレスを押しのけ、衛兵署から出た。
「どうして無駄だって言えるのよ」
フェレスも続いて衛兵署から出る。
「そもそも殺人の動機なんて無限に考えられる。嫉妬、衝動、快楽、金銭、復讐。さらに復讐の中でも殺人感情を抱くきっかけは人によって異なる。快楽に関してはまともな感性をした人間には理解できない」
「動機から犯人を特定するのは無理だってこと?」
「一つのケースから探すなら効率的かもしれないが、あんな大量の資料から見つけるのは不可能だよ」
「……」
フェレスは少しの間だけ黙る。拗ねているようにも見えるが、何か思考を巡らせているようでもある。
「ところで、殺された勇者の名前は『パレス』というようだ。『不屈のパレス』と書いてあるが、これはなんだ?」
エースに呼ばれてフェレスは反応をする。
「え? ああ、これは二つ名よ。この世界では苗字が付けられない分、同名の人が多くなるでしょ。だから剣士のように成り上がりの人間には区別するために二つ名を名乗ることが許されるのよ」
「なるほどな」
「それより今からどこに行くの?」
エースはローブの中から一枚の資料を取りだした。その資料にはパレスのパーティーメンバーについての情報が載ってある。
「彼らはバウンティセントラルに加盟している。ストレインが僕たちの家に来たように、管理人に聞けば彼らと話くらいはさせて貰えるかもしれない」
「そんな簡単に話をさせてくれないと思うけど……」
ゆっくりと歩くフェレスを置いてエースは早足で歩き続ける。
「ちょっと、バウンティセントラルはそっちじゃないわよ」
「その前に一度家に戻る。必要な物があるからな」
その態度にフェレスはむっとする。
「そうやって自分勝手に進の止めてくれないかしら。ちょっとくらい私に予め話してくれても良いんじゃない?」
そう言われてエースは急に足を止める。
「それもそうだな。ならフェレス。僕が話す内容に対して、君は絶対に乗っかるんだ」
「乗っかる……? 何の話をしているのよ」
エースは意地の悪い笑みでフェレスに説明をした。
二人はバウンティセントラルに付くと、管理人に頼み込んでパレスのパーティーメンバーに合わせてもらうことに成功した。
それまではよかったが、フェレスは今起こっている事柄についていけず冷や汗を流していた。
「たった数年の付き合いでしたが、パレスさんは僕の師匠であり兄のような人でした。今頃はきっと天国の姉さんとお義兄さんと一緒に仲良く盃を交わしているでしょう……」
エースは涙ながらにそう言った。黒縁メガネを掛けて前髪も七三分けにした見た目も感情豊かな表情もまるで別人のようである。
「そう……パレスは昔のことを話したがらなかったけど、そんな過去があったのね」
「昔とはいえ、君も俺たちと同じ仲間のようなものだ。パレスほど強くはないが、何かあったら僕に頼ってくれ」
パレスのパーティーメンバーであるリーアとウルクがエースの肩を優しくたたく。
なぜこのような状況になったのかというと、すべてエースの悪だくみだった。
資料でパレスのパーティーが10年前に結成されていたこと、それ以前にお互い面識がなかったことを確認するとエースはパレスと元パーティーを組んでいたと嘘をついたのだ。
最初はパレス、エース、エースの姉、そして別の男の剣士4人でパーティーを組んでいた。やがてエースの姉とパーティーメンバーの一人と結婚することになりパーティーは解散。その後エースの姉と義理の兄が不慮の事故で無くなってしまい、その期間はパレスにとても世話になった。そしてフェレスは姉の子供、エースの姪っ子という立場にさせられている。
すべてウソだが、エースの作り込まれた設定と演技力でリーアもウルクも完全に信じ切っていた。
ちなみにメガネは一度クリスタルにまで戻ってクリスタから奪ってきたものだ。お陰でエースは度のきついメガネによって視界は悪い。
(妹にされたり姪にされたり……ハサルシャム様に頼んでもう少し身体を大きくしてもらおうかしら)
ふくれっ面のフェレスの隣でエースはリーアとウルクに話をうまく引き出そうと会話の話題を誘導する。
「じゃあ、パレスさんの武勇伝を聞いてもいいですか? 噂は聞いていたのですが、詳しくは知らなくて……」
「そうね。じゃあやっぱり、勇者の称号を貰った天海龍を討伐した時の話しかしら」
「あの時は凄かったな。三人で天海龍が現れるという山の頂上に上ったんだが、天海龍の暴風でまともに立ち向かえることはできなかった。そこで俺とリーアの魔法で山頂に大きな闘技場を作ったんだ。そこでパレスと天海龍は一騎打ちさ」
「天海龍の落雷がパレスに直撃しても、パレスは微動だにしなかったの。何度攻撃されてもその間パレスはずっと大剣にマナを溜め続けていたわ。そして業を煮やした天海龍が直接パレスを食べようと大口を開けた瞬間、大剣が振り下ろされて天海龍は真っ二つよ」
天海龍という全く知らない登場人物が出てきたが、エースは無知を表に出さずに首を縦に振った。
「すごい……! さすが不屈のパレスですね。でも、ちょっと意外です。僕の知っているパレスさんはどこか俗っぽい人だったので、お二人と出会ってから変わったんでしょうか」
「そんなことないわよ。勇者の称号なんてもらったけど、酒を飲んでは問題を起こすようなことはよくあったわ」
「そうそう。一度酔った勢いでチンピラと喧嘩になった時はお互いボロボロになるまで殴り合っていたよ。結局二人とも気絶してしまったがな」
「チンピラ……?」
「確かこのバウンティセントラルにいた無法者だよ。名前までは憶えていないな」
エースは顎に手を当てて考え込む。こういった情報は衛兵の報告書には載っていなかったものだ。まだ有益な情報を引き出せないかとエースは演技を続ける。
「さっきも言った通り、僕はパレスさんを師匠として信頼していました。いつかパレスさんのように強くなりたい……。そう思って、パーティーを解散した後も訓練を怠った日はありません。だからお願いします!」
エースは頭を下げる。
「どうか、パレスさんの魔法を僕に教えてくれませんか!」
プライドを捨ててまで頭を下げたエースだったが、リーアもウルクも何も言わないことに違和感を覚え、顔を上げた。二人は顔を見合わせ困ったような表情をしている。
「悪いんだけど……」
リーアはエースの方を見る。
「10年間一緒にいるとはいえ、私たちもパレスの魔法の能力はよく知らないのよ」
「攻撃するときも一撃で終わらすことが多かったし、何よりもパレス自身が頑なに喋ろうとはしなかった。まあ賞金首なんてものを生業にする以上、用心するに越したことはないからね」
確かに手の内を知られるのは弱点を知られるような者だ。エースは納得した。
「ねえ、それよりあなたの知るパレスについて教えてよ。やっぱり昔から強かったの?」
「そうですね……。あ、フェレス。お前今日の約束は何時からだった?」
いきなり名前を呼ばれてフェレスは目を丸くするが、すぐにこれが『話を合わせろ』ということだと気づいた。
「あぁ! そうだったぁ! もう帰らきゃ!」
あまりの棒読みにエースは頭を抱えそうになるが、何とかエースの演技でフォローする。
「しっかりしてくれよ。すみません、リーアさん、ウルクさん。僕たち用事があるので、続きはまたどこかでしましょう!」
「あ、ちょっと!」
エースは立ち上がり、深く礼をする。そして顔を上げると同時にメガネを外した。
顔を上げながらエースは初めて二人を観察した。衣服、髪型、顔立ち。そして二人がハンマーを模したエンブレムのアクセサリーを付けていることを確認した。
フェレスの腕を掴み、リーアの制止も聞かないで二人はバウンティセントラルから逃げるように出て行った。
露天の通りを抜け、エースはようやく一息つく。
「何とかうまくいったな」
「うまくいっている分けないでしょ!」
フェレスはエースの手を振りほどき、キーキーと喚き散らす。
「あんな変な芝居までさせて! 私がどんな思いで聞いていたか想像もつかないでしょ!」
人目もはばからずフェレスはエースに詰め寄った。
「だから前もって言っておいただろ」
「ならどういう演技をするかくらいは教えなさいよ!」
一歩退いたエースに後ろを歩いていた通行人とぶつかってしまう。
「あ」
反動でエースは手に持っていたクリスタのメガネが地面に落ちる。それに気づかず、フェレスはメガネを踏んでしまった。
バキと不穏な音がして、二人は地面を見る。
クリスタがゆっくりと足を上げると、そこにはフレームもレンズもバキバキに折られた残骸が残っていた。
衛兵署二階の会議室ではトルバとストレインが雑多な資料を前にずっと食い入るように一枚一枚手繰っていた。戻ってきたエースは扉をノックし、返事が返ってくる前に中に入る。
「どうだった?」
エースがそんな鬼気迫るような二人に声を掛ける。二人はエースが声を掛けるまで会議室の扉が開かれたことにすら気づいていなかったようで、ゆっくりと顔を上げてエースの顔をまじまじと見つめる。
「おお、帰ったか」
ストレインは大きく伸びをすると、手に持っていた資料を机の上に置いた。
「こっちはダメだな。パレスはほとんど魔獣を中心にした討伐依頼しか受けていない。これじゃあ恨みを買うような機会がないよ」
「そうか」
「それで、何か新しい情報は得られたのか?」
「収穫はあったよ」
フェレスからすればまったく得られた情報はないわけだが、あながちエースが嘘をついているようにも思えなかった。
「ところで、」
エースが切り出す。
「パレスの死体の状況が見たいんだが、どこにあるか分かるか?」
「それなら……」
ストレインは窓の外から太陽を見上げた。
「あと少しで城内に運ばれる予定だったが、今なら見せてやれるかもしれん。ただ……」
ストレインの目はフェレスに向けられる。
「ああ、なるほど」
たとえ天使であろうとも見た目は十歳の少女なのだ。そんな子供に大人の死体を見せることには抵抗があっても不思議じゃない。
「フェレス、君は家に変えるんだ。ついでにこれも返しておいてくれ」
エースは粉砕されたメガネをフェレスに渡す。
「……責任転嫁しようって訳ね」
フェレスは頬を膨らませてエースを睨み上げる。
「転嫁も何も悪いのは君だろ。もし一人で帰れないというなら、トルバに送迎を任せる」
引きつった顔でトルバを見た後、フェレスはしぶしぶ頷いた。
「分かったわよ。その代わり、勝手な真似はしないでよね」
「もちろんだ」
そう言うとフェレスはメガネを受け取り、部屋から出て行った。
「……おい、今のは何気に傷ついたぞ」
トルバがエースの睨み付ける、
「大人に反抗したい年頃なんだよ。察してやれ」
窓からフェレスが帰路についたのを確認すると、エースはストレインに
「じゃあパレスの死体まで連れて行ってくれ」
と言った。
「城内の関所に留置されているから少し歩くぞ」
「構わないさ」
ストレインはトルバの方を見る。
「トルバ、お前はどうする?」
「……自分はもう少しこの資料を調べてみます」
懲りずにパレスの受注依頼を必死に確認している姿にエースはため息をついた。
「残念だがその資料を調べても特に何もないぞ」
「そんなのやってみないと分からないだろ」
トルバはエースの態度に腹が立っているようで、目も合わせずにずっと資料を見ている。
エースの頭脳をもってすればトルバの行動がいかに無駄なのかを27個の根拠をもとに証明することができるが、フェレストの約束通りこれ以上厄介ごとを作らないように何も言わなかった。
「なら好きにするといい」
ストレインも何も言わず、トルバを残して二人は関所へと向かった。
家に帰ったフェレスは鈴の音と共に店に入る。その音に反応してクリスタがカウンターの下に潜りこもうとするが、壁やカウンターに顔面をぶつけていた。
「あぅ……」
情けなく床にしゃがみ込んでいるクリスタにフェレスは歩み寄る。
「クリスタ、大丈夫?」
「あ、フェレスさん」
クリスタは顔を上げてフェレスの名を呼んだ。しかしその目線は明後日の方向を向いている。
「その、ごめん……」
「? 何を謝っているんですか?」
フェレス原形をとどめていないメガネをクリスタの手に握らせた。
「私のせいで、壊しちゃったみたい……」
「……」
クリスタは哀しげに手の感触だけでメガネの現状を感じ取っていた。
「あ、でも安心して!」
フェレスはローブの中から新しいメガネを取り出した。
「私の能力で新しいものを作ったの。レンズの度合いも変えたから使えるはずよ」
「あ、ありがとう……」
クリスタはメガネを掛けると、目をぱちぱちして周りを見た。
「フェレスさん、だけですか……? エースさんは?」
「アイツはまだ事件の調査中よ。私だけ子供だからって帰されたのよ」
「そうですか……」
クリスタはまだ壊れたメガネを触っている。
「……ひょっとして、それ大事なものだった?」
「え? あ、いえ……そう、ですね……。これ、私の祖父のものなんです」
「お祖父さんの?」
「はい。私はもともと目が悪い方じゃなかったんですけど、祖父の形見のメガネをずっと掛けていたからそのせいで目が悪くなっちゃったんです」
クリスタの眉は下がり、声は震えている。その様子は涙を堪えているようだった。
「バカですよね。コレを掛けたら祖父が側に居る感じがして、そのせいで目が悪くなって……」
もうこれ以上壊れないように、クリスタはメガネを優しく握って胸元で抱えた。
「……ちょっと、かして」
フェレスはクリスタから壊れたメガネを受け取る。
「いつも壊れたものは消してから新しく創ってたから、直すのは苦手なのよね」
『エタエルク』と唱え、メガネのパーツをつなぎ合わせていく。ローブの下で羽根を隠しているとは言え、至近距離にクリスタがいる状態で『創造』を使うのはリスクを伴っている。しかしそんなことフェレスはまったく気にしていなかった。
「大丈夫よ」
不安げに見つめるクリスタにフェレスは優しく言葉を投げかける。
「私が絶対直してみせるから」
クリスタはフェレスの横顔に自然と信頼を持っていた。
エースとストレインは城内とスカル街を繋ぐ関所にやってきた。剣を持った衛兵が厳重に警備をしており、二人が関所に近づくだけで衛兵たちが鋭い目つきを向ける。
「スカル街支部のストレインです」
ストレインが胸に付けたバッジを見せながら門番の一人に話しかけた。
門番はストレインの人差し指を伸ばしてバッジに触れる。バッジは金色に光り、プロジェクトマッピングのようにストレインの姿が空中に映し出された。
「何の用だ」
確認が終わったのか、門番は低い声でストレインに尋ねる。
「勇者パレスの遺体確認に参りました」
ストレインは右手で敬礼をしながら答える。
「パレスの遺体はもう城内の葬儀場に連れていく。諦めろ」
「確認だけですのでお手間は掛けません。事件解決のため、よろしくお願いいたします!」
門番は面倒くさそうに頭を掻きながら流し目でエースを見る。
「……コイツは誰だ?」
「っ! 彼は……」
ストレインはエースの立場をすっかり忘れていた。国籍を持たないエースは正体が別の衛兵にバレれば即国外追放だ。
狼狽するストレインの代わりに、エースは自ら助け舟を出す。
「はじめまして、僕はパレスのパーティーメンバーのウルクです」
「ウルク?」
門番はエースの身体を頭の先からつま先までじっくりと見る。
「……まあいい。五分で済ませろ」
門番は後ろの扉を開けた。
エースとストレインは扉の隙間を縫うように関所の中へと入る。
関所の中は宮殿のように大きなものだった。床の大理石は鏡のように反射しており、壁一面には天使や女神を描いた巨大な肖像画が飾ってある。その空間でさも当たり前のように衛兵たちが歩き回っている。
「おい、こっちだ」
観察している間もなく、ストレインがエースの腕を引っ張る。無駄話をせずに、二人が向かったのは地下室の一室だった。
薄暗いが、部屋の中央に寝かされた水晶が部屋を青白く照らしている。そしてその水晶の中には大柄の男が目を閉じて眠っていた。
「彼がパレスだ」
ストレインは壁に備え付けられた燭台に火をつける。
「これから水晶の結界を解く。遺体を調べるならすぐに済ませてくれ」
「了解だ」
水晶が寝ている台座に手を伸ばすと、あっという間に水晶が溶けてなくなってしまう。そしてストレインは気味が悪そうに顔をしかめてエースに背を向ける。
一方エースは全く気にせずに遺体を確認する。
「それにしても、本当に無茶してくれるよ。まさかウルクの名前を使うなんて……バレたらどうするつもりだったんだ?」
後ろを向いたままストレインはエースに尋ねる。
「いくら勇者のパーティーメンバーでもスカル街に住むような人間の顔はいちいち覚えていないだろうと踏んだのさ。この世界には人相書きだけで写真のようなものは存在しないからな」
「シャシン?」
「よし、もういいぞ」
エースは口早に終了を告げる。そしてストレインに促され、部屋の隅にある水道で手を洗う。
その間にストレインは再びパレスの遺体を水晶の中に入れた。
「それにしても早い確認だったな。ひょっとして門番が早く済ませろって言っていたのを気にしてるのか?」
「いいや。きれいな死体で調べやすかっただけだ。死因も報告書で書いていた通りだったからな」
「どういうことだ……?」
疑問符を浮かべるストレインをエースが片手で制した。誰かが談笑をしながら地下室に降りてきているようだ。
「ここじゃ人目がある。話の続きはこの関所を出てからにしよう」
二人は関所を出るまで、お互い口を真一文字に閉じていた。門番に軽く敬礼だけすると、振り返ることなくスカル街へと戻っていく。
やがて関所が見えなくなってようやくストレインがエースに向き直った。
「さて、どういうことか教えてくれるか?」
エースはまっすぐ前を向いたまま、歩みを止めることなく話す。
「報告書には心臓を一突きされて死んでいたと書いてあった。ひとえに心臓と言っても殺され方は様々だ。正面、背面、脇腹、貫通かそうでないか。今度から遺体の報告書を書くならもっと細かくした方がいい。そうすれば僕がわざわざ遺体まで出向くことはなかったんだ」
「ご指摘どうも。それで、分かったことは教えてくれないのか?」
ストレインの全く皮肉を気にしていない態度に自然と歩幅が小さくなってしまう。
「……死因は右の脇腹、腰辺りから心臓を突き刺し、そのまま左鎖骨下あたりまで貫通していた刃渡りは60センチ以上の剣だ。遺体に争った形跡はなく、パレスが背中を向けているときに右利きの犯人が剣を突き上げるように殺されたんだろう」
「右利き?」
「刺し傷から犯人は右利きだよ。まさか人を殺すときに不慣れな非利き腕を使うとは考えられないからな」
「なら犯人はかなりの手練れの可能性が高いんじゃないか。パレスの肉体を貫けることができるとすれば、他のパーティーの騎士である可能性が高い」
「……それはどうだろうな」
エースの言葉にストレインは眉を顰める。
「何かほかに気になっていることでもあるのか?」
「ある……が、今は僕自身分からないことが多すぎる。ここで軽率な推理をすることは控えさせてもらうよ」
まるで協調性のかけらも感じさせない言動だが、ストレインはそれでもエースを信頼していた。
「分かった……。そういうなら俺も無理には聞かない」
エースは無言で頷く。
「それで、明日のことだが——」
「明日は衛兵署で調べたいことがある。一日中部屋を貸してくれ」
「そのことだが、悪いが俺は明日本部に行く必要があるんだ」
エースは歩みを止めてストレインに振り返る。
「本部? 城内に行くのか?」
「ああ。半年に一度の定期検診のようなものだ。これを断ると俺は問答無用で職を失うことになるから、明日はどうしても事件の捜査ができない。だが、代わりにトルバを使ってくれ。いろいろと問題は起きるだろうが、アイツもアイツなりにこの街をよくしようと頑張ってくれている」
「……了解した。僕もこっちから刺激するようなことは言わないよ」
約束をしたものの、エースはそれを守れるとは思っていない。おそらくフェレスが止めてくれるだろうという安心のもと約束を告げた。
ストレインと別れたエースはまっすぐ家に直帰した。
店に入るとクリスタはカウンターに突っ伏して寝ており、鈴の音で店の奥の部屋にいたフェレスが顔を出した。
「あら、帰ってきたのね」
「フェレス。いくら何でも勝手に人の部屋に入るのは問題だろ」
「いいのよ。私はクリスタから直接許可をもらっているもの」
その言葉に目を丸くする。
「いつの間に仲良くなったんだ?」
「別に……仲良くなったわけじゃないわよ」
フェレスは頬を染めて顔をそらす。
「まあ、それはクリスタが起きてる前で言うんじゃないぞ」
エースの視線は自然とカウンターの上にあるツギハギだらけのメガネに注がれた。
「……直そうとしたのか」
「まあ、ダメだったんだけどね」
そう言うフェレスの声は落ち込んでいるようだった。
メガネはかろうじて原形をとどめているようだが、レンズは殆どひび割れ状態でとても使えるようなものではない。
「それで? 何か収穫はあったの?」
切り替えるようにフェレスは声を張り上げて尋ねる。
「まずまずだ。それと、明日はまた朝から衛兵署に行く」
「あ、そう……分かったわ」
歯切悪く答えると、フェレスは寝ているクリスタの方を見た。
「……他に予定があるならそっちを優先してくれても構わない。代わりにトルバをアシに使うさ」
「そう……? じゃあ私は遠慮させて貰うわ」
「そうするといい」
エースはコートを脱ぎながら階段へと向かった。
一緒に過ごして二週間弱になるが、フェレスに対する印象を変えるべきだとエースは思った。人間を見下すような態度を取っていると思えば、一方で人間を守ろうともしている。そして今は人間に心を寄せている。
(天使にも感情はあるんだな……)
エースは二階の窓から夕日を眺め、徒然とこの世界に考えを馳せた。
そして夕日が沈むころ、一階からクリスタが店を出たのであろう鈴の音が響いてくる。そしてパタパタと足音を立ててクリスタが階段を上ってきた。
「お待たせ。夕ご飯を持ってきたわ」
その手には大きな鍋が握られていた。匂いからしてシチューだろう。エースは机に鍋敷きを引き、その上にフェレスが鍋を置いた。
「本当によくできた子よね、クリスタって」
カップにシチューを注ぎながらフェレスはクリスタのことを話題に出す。
「私たちのために料理を作っておいてくれるし、魔法薬についての知識もすごく高い。何よりも毎週日曜日にはハサルシャム様のために教会に行ってるそうよ。アンタもちょっとはクリスタの爪の垢を煎じて飲みなさい!」
「……取り敢えず僕が飲むのはシチューだけで十分だよ。何だったら君の方がクリスタに倣ってもっと丁寧な言葉遣いを覚えたらどうだ?」
「余計なお世話ね」
しかめっ面をしながらもフェレスはエースにシチューを手渡す。
「ところで……」
シチューを一口食べてからエースは会話を切り出す。
「魔法で出来ることについて聞いてもいいか?」
「唐突ね。まあ、アンタがどうしても聞きたいっていうなら答えてあげてもいいわよ。天使である私に分からないことなんてないもの」
いつもの調子のフェレスに何も言わず話を続ける。
「例えば、どんなものでも絶対に貫く剣というのは魔法で作ることができるのか?」
「無理ね」
即答した。
「もっとも固い鉱石であるダイヤモンドを使って剣を作ったとしても、どんなものでも、っていうのは不可能よ」
「なら、どんな攻撃も必ず防げる盾も作ることはできないのか?」
「いいえ、それは可能ね」
その回答はエースにとって予想外だった。
「耐久値の問題もあるけど、事実上は作ることができるわ。まああくまで事実上だけどね。マナの問題もあって絶対防御の盾を作れる人間なんてそうはいないわ」
(まさか矛盾というパラドクスに決着がついてしまうとは……)
驚きながらも次の質問をする。
「どうして最強の剣を作れないのに最強の盾は作れるんだ?」
「剣の強さは強度によって決まるからよ。剣は材質や形、それと持ち主の技量によって力が変動する。でも盾は誰が持とうとも違いは出ないし、材質も大きく強さには影響しない。盾の強さは相性によって決まるのよ」
「相性?」
「そう防ぐものと盾に掛けられた魔法の種類の愛称よ。例えば相手が剣なら、盾が衝撃に強い防刃の魔法を掛ければいい。相手が炎を使うなら防火を、雷なら防電を使えばいいのよ」
「なるほど……。だからさっき、事実上は可能だって言ったのか。ありとあらゆる攻撃に対する魔法を盾に掛ければそれだけで最強の盾になる」
「ええ。でもそれだとマナが絶対に足りないから、事実上は可能ってことになってるのよ」
フェレスはシチューをあっという間に食べ終わっており、自分でおかわりをつぐ。
「だが、こっちの世界の人間は盾を見てそれがどの魔法を掛けられているのか分かるのか?」
「マナの動きを見るなんてふつうは無理よ。生まれつきの特殊能力や何十年も訓練したら辛うじて見える人も出てくるけどね」
「そうか……」
エースは残念そうにため息をついた。それもそのはずで、別の世界から来たエースには魔法適性がなく、マナを見ることなどできっこない。
「……もう、面倒くさいわね!」
フェレスは立ち上がり、なにやらポケットから虫眼鏡のようなものを取り出した。
「私が持っていてもしょうがないから、あなたに譲るわ」
「なんだこれ?」
エースは虫眼鏡を受け取り、まじまじと見る。
「『マナグラスコープ』。それを通して私を見ていないさい」
言われた通り虫眼鏡を右目の前にかざしてフェレスを見た。少しだけ拡大してフェレスの姿が映る。そのフェレスの周りには白い胞子のようなものが纏っていた。
「『エタエルク』」
するとフェレスの手に赤い粒のようなものが集まり、手のひらサイズの炎に変わった。
「どう?」
「何か粒みたいなものが見えたが、あれがマナか?」
「そうよ。マナは色によって特性が別れるの。赤は火、緑は風、黒は特殊で白は無属性ってね。その虫眼鏡を通してみればマナの色や流れがはっきりとみえるはずよ。
……感謝しなさいよね。それはハサルシャム様が創った七神器のうちの一つなんだから」
「七神器?」
「物凄い特殊能力をもった道具よ。人間が持つことなんて滅多にあり得ないんだからね」
「そんなものを貰ってもいいのか」
エースのしつこい態度にフェレスは肩をプルプルと震わせる。
「文句あるなら返しなさいよ! ハサルシャム様からもらった大切なものなのよ!」
「分かった分かった。感謝するよ、フェレス」
「フン」と鼻を鳴らしてフェレスはそっぽを向く。その頬は少し赤らんでいた。
次の日、エースは朝日が昇る前に家を出た。とうぜんフェレスはまだ起きて折らず、クリスタも店には来ていない。
スカル街には人力車や馬車のようなものが大通りを走ってはいるものの、それをタクシーとして使うのは安定した収入を得ているものたちだけだ。まだ駆け出しの探偵であるエースには移動手段に金を使っている余裕などなかった。
エースは朝早くから開いている露店に行ってパンとジャムを買うと、朝食として食べながら衛兵署まで向かった。
そのため衛兵署につく頃にはすっかり日が昇っており、街もにわかに活気づいていた。
相変わらず小さな衛兵署の前に来ると、二階の窓からトルバが顔を出した。昨日連れ込まれた小さな会議所の窓だ。
「上がってこい。表の扉は開けてある」
エースは片手だけ挙げて衛兵署へと入る。別の衛兵に会えば厄介なことになると思ったが、1人も衛兵とすれ違うことはなかった。二階へと上がり、奥の会議室に入る。
「来たか」
トルバは目の下に隈を作りながら机に積まれた資料を見ていた。資料の数は昨日の三倍近くある。
「まさか寝てないのか?」
「何……一晩や二晩、徹夜するのは余裕さ」
「肌色や呂律から察するに余裕には見えない。取り敢えず徹夜はやめた方がいい。僕のような特殊体質ならともかく、睡眠時間を削ることは脳の活動を著しく低下させるからな」
トルバは資料の上に手を置いた。
「だが昨日お前がストレインさんにいったんだろ。この中に事件解決のヒントがあるってな。これまでにこのスカル街で起きた未解決事件。癪だがストレインさんに頼まれているんだ。お前の調査に手を貸してやれってな」
確かに昨日、エースは去り際に未解決事件の資料を集めるようストレインに頼んでおいた。だがそれは寝ずに調べろという意味ではない。
「全部君一人でやったのか?」
「昨日みたいにお前はやらないかもしれないだろ。天才様はデスクワークがお嫌いみたいだからな」
トルバの皮肉をエースは笑った。嘲りではなく、エースは本当に可笑しいと思ったのだ。
「そんなことはない。事件の解決に繋がるなら、僕だってデスクワークは喜んでするさ」
エースも椅子に座り、資料を手に取った。
「今日調べるのは過去に似たような事件がないかだ。判別基準は刺殺と、殺された人間が戦闘に優れているかどうか。それ以外はすべて無視しろ」
トルバは強く頷いた。
そして二人は黙々と作業を始めた。食事をとることも忘れ、無心で一枚一枚確認をしていく。
「……違う。これじゃない」
トルバは時々不満を漏らして背もたれに大きくもたれ掛かるが、何も言わずに資料を見続けるエースを見て、再び作業に戻っていた。
続けること数時間、早朝に始めた確認作業が終わるころには時計塔が7回目の鐘を鳴らしていた。
「疲れた……!」
トルバは背中にもたれ掛かる。ボキボキと肩を鳴らして大きなあくびをした。この時点で小休憩をはさみながらもほとんど48時間起きていることになるのだ。
「しかし……思ったよりも絞れなかったな」
結局机の上に残ったのは50ほどの報告書だった。最初はこの数百倍あったため、これでもかなり絞られた方だ。
(もう少し詳細なレポートならもっと絞れたのだが、それは仕方がないか……)
エースは残った報告書を見ながら他に手がかりになるものを探した。再び確認することによってエースは疑問点を見つけた。
「トルバ、どうしてこの報告書には一貫してバウンティセントラルに所属している騎士や魔法師の名前がないんだ?」
「ん? それはここにいる被害者に身寄りがいないからさ。ストレインさんに聞いたが、ここでは殺人犯が被害者の身内に報復されたらその被害者の事件は解決済みになるらしい」
「復讐を許しているのか?」
「自警団は許さないけど復讐くらいは許すさ。悪いのは先に殺した方なんだからな」
エースはこの街の内情をある程度は理解したつもりでいたが、思った以上に無法地帯であることに呆れかえった。
「まあ今気にするのはそこじゃない。それよりも大事なのは、この資料の被害者たちは身寄りがいないってことだな?」
「だが共通点にはならないだろ。今回のパレスはバウンティセントラルに加盟していて、パーティーメンバーもいる」
「……なら逆転の発想だよ。この資料の被害者たちに身寄りがいるなら、それが共通点が現れる」
エースは資料を持ったまま、椅子に掛けたコートを手に取った。
「おい、どこに行くんだよ」
「バウンティセントラルに用事ができた。お前は寝不足なら無理に来る必要はない」
「……それって要するに来いってことだろ」
エースの気遣いを長髪と受け取ったトルバは眠い体に鞭を打ち、エースに付いていった。
「トルバ、この事件に経費はあるか?」
「え? まあ、勇者が殺されただけあって臨時で経費は支払われたが……」
「なら良かった」
エースは大通りに出ると馬車を止めた。
「おいおい、ウソだろ」
「君も寝不足なら、これくらいの楽はしても良いんじゃないのか?」
トルバは悪魔の囁きに乗せられたように、半分やけくそで馬車に乗り込んだ。