朝が来てもフェレスはまだ眠ったままだった。エースはずっと椅子に座ったまま虚空を眺めている。
 二階に顔を出してはいないものの、数十分前にクリスタはもう店を開けている。大方エースの気配を察して二階には上がってこないのだろう。
(そろそろ終局か)
 エースはゆっくりと目を閉じ、沈黙という音を一人で愉しむ。嵐の前の静けさというべきか、環境音もエースの脳内も落ち着いていた。
 その静寂を破ったのは一階から鳴り響く鈴の音だった。「きゃっ」というクリスタの怯えた声がしたと思えば、ドタドタと階段を踏み抜きそうな勢いで誰かが駆け上がってきた。エースにとっては目をつぶっても予想がつく相手だ。
「おい、エース!」
「どうしたんだストレイン」
 目も開けずに尋ねる。
「どうしたんだじゃない。聞いたぞ、お前昨日俺と別れた後で乱闘騒ぎになったんだろ」
「乱闘じゃない。決闘だ」
「そんなことはどうでもいい。大事なのは相手があのドラグマだってことだ」
 そこでようやくエースは目を開いた。
「ドラグマを知っているのか?」
「カーレインの右腕だろ。裏の人間ではあるが、衛兵をやっていて知らない人間はいない。そのドラグマにお前がボコボコにやられたって聞いて慌ててここまで来たんだよ」
「ボコボコというわけではないが……それにしても君の耳にも入るとは、思ったよりも噂の流布は病よりも早いみたいだな」
 エースは冷静に話すが、ストレインの方はまだエースに詰め寄る。
「まさか、ドラグマが連続殺人事件の犯人だったのか?」
「それはない。ドラグマは手加減をして僕と戦ってくれていたからな。本気を出されていたら僕はいまごろ人の形を保っていなかったよ」
「手加減? どうして手加減してまで決闘をするんだ」
「僕を殺さないためだろうな。お互い左手を使わない勝負になったんだが、結局彼は左手どころか右手も使うことはなかったよ」
 エースは自虐気味にそう言った。実際にエースにダメージを与えたのは足技のみで右手はクラウチングスタートのときに使ったくらいだ。
そもそもドラグマは初対面の時に持っていた剣すら持たずにエースに決闘を申し込んできたのだ。最初から全力でエースを倒そうとは思っていなかったのだろう。
「そもそも彼は演出をしたかっただけなんだよ。僕と対等に戦い、僕よりも強いってことを見せつけるためにね」
「見せつける……? いったい誰に見せつけるためだ?」
「世間と、犯人だよ」
 そう言ってエースは立ち上がり、椅子に掛けていたコートを手に取った。
「さて、それじゃあ僕はフェレスが目覚め次第出かけることにするよ。ストレイン、君はこれから何か予定はあるか?」
「いや、いつも通り巡回をするくらいだが……」
「ならちょうどよかった。今から僕が言うことを調べてほしいんだ 
「構わないが……いったい何を調べるんだ?」
 エースは笑みを浮かべ、ストレインに返答した。


 
 街中を人力車が駆ける。荷台には二人分の大人を運んでいるが、車夫には物理的ではなく心理的な重圧がかかっていた。客の一人は帽子を目深にかぶり、毛布で体全体を隠されている。そしてもう一人は毛皮のコートを着て悠然と足を組んだドラグマだった。。
「そこを左だ」
「はい……!」
 胸が締め付けられながらもなんとか返事をする。
 車夫はブレイクダークの一員だった。人力車は副業としてやっているだけであり、賞金首としての仕事はほとんどない。そんな中ドラグマに任された任務は彼にとって重すぎた。
 なるべく目立たず、目的の場所までたどり着く。安全第一でドラグマの隣で眠っている男を起こさないように静かに走る。緊張で足が思うように動かなくなりそうでも車夫は30分走り続けた。
「よし、そこでいい。車体で入り口を防ぐんだ」
 ドラグマの命令で到着したのはスピンの家だった。
 ドラグマは荷台にいるもう一人の男を担ぎ、玄関へと向かう。そして鍵のかかった扉を蹴破った。車の陰になって道行く人は全く気にしていないようだ。
「よくやった。お前はもう帰ってもいいぞ」
 車夫はドラグマから金をもらうと、礼をして去っていった。
「……さて」
 玄関を少しだけ開けると、ドラグマは男を担いだままリビングの奥へと入っていった。男を椅子に座らせると、帽子を取って相手の名前を呼ぶ。
「起きろ、スピン」
 疲れ切った顔をしてスピンは眠っていた。
「やはり薬が効きすぎたか」
 ドラグマは平手打ちでスピンをたたき起こす。いきなり強い衝撃が走ったスピンは重い瞼を開けた。
「え……ここは……?」
「お前の家だよ」
 ドラグマは剣を抜き、肘掛椅子にずっしりと腰を下ろした。スピンは立ち上がろうとするが、両手と両足が縛られてうまく立ち上がることができない。
「無駄だ。現役を引退したお前ではその耐火魔法をつけた縄を解くことはできない」
「……なんでこんなことになってるんだ。まずお前は誰だよ……!」
「ブレイクダークのドラグマ。名前くらいは、知っているんじゃないか?」
「ドラグマ……お前があのドラグマなのか?」
 ブレイクダークの幹部であるドラグマの名前は上位の賞金首なら知っているものも多い。そのどれもが悪名高い噂程度のものだったが、スピンはドラグマの名前を聞いて顔を青ざめるほどだった。
「俺を、どうするつもりなんだよ……」
 声も震えてスピンは怯えているようだ。
「安心しろ。お前を殺す気はない。ただお前には餌になってもらう」
「餌?」
「犯人を捕まえるための餌だ。お前はただここにいるだけでいい。犯人をここに呼び寄せるための情報はすべて噂として流したからな」
「何の話だよ……?」
「そうだな……。餌とはいえ少なからずお前は僕の協力者だ。順を追って説明してやろう」
 ドラグマは剣を構えたまま、時間つぶし程度の感覚で語りだした。
「お前も知っているだろうが、ここ数日で二人もの勇者が殺されている。ブレイクダークからすればライバルが減って嬉しいことだ。
しかしその二人を殺した犯人、どうやら過去に俺たちの仲間を殺した奴と同一犯だったらしい。
 ただ死んだ仲間たちは裏の人間だったから表立って復讐することはできなかった。犯人も分からなかったから、俺はアイツらに何もしてやれることはなかったんだよ」
 だがエースが訪れたあの日、カーレインはドラグマに告げた。
『ドラグマ――』
 カーレインはパイプでお香を吐きながら言った。
『死んだ仲間も救われず、生きている仲間も納得できない。そんな規則意味あるのかね』
『……大事なのはボスと、この組織自体です。そのためなら我々は救済も満足も必要ありません』
『組織ねぇ……』
 カーレインはお香の煙で輪っかを作りだした。
『ならドラグマ、貴方はワタシと組織。どっちが大事なのかしら?』
『それは……』
 思わず言葉に詰まるが、ドラグマは意を決して本心から答える。
『もちろんボスです。組織がなくなっても、俺は一生ボスの隣で忠誠を誓うと決めています!』
 ドラグマの必死な様子を見てカーレインは高笑いをした。
『言うじゃないか。なら、組織よりもワタシの望みを叶えてくれないか?』
『望み、ですか?』
『ノドル大聖堂の隣にある共同墓地。……もう誰の名前も書いていない墓に花を添えるようなことはしたくないんだよ』
 カーレインの悲しそうな横顔を見て、ドラグマは拳を握った。
 そして同じように、剣を強く握ってスピンに話を続ける。
「せめてアイツらが生きた証だけは、たった一つしかない名前だけは刻んでやりたい。だから俺は一年越しで復讐を誓った」
「……お前が犯人を恨んでいることは分かったよ。でもどうして俺を拘束することになるんだ」
「犯人の目的は強いやつを倒すことだからだ。だから俺はここ数日で名だたる剣士や闘士を叩きのめした。昨日は世間でダークホースと噂されていた探偵気取りのガキも殴ってやったよ。おかげで俺の噂は街中に流れることになった。そして最後の仕上げがお前だ、スピン」
「だからなんで俺なんだよ…?」
「お前は現役を引退したが、犯人に疑われるほどの実力の持ち主だ。すでにブレイクダークの仲間たちに命令して俺とお前が戦い、俺が勝ったという情報を流してある。これで戦闘狂の犯人は次に俺を狙うはずだ。犯人がここに来るかどうかまでは分からないが、まあ分の良い賭けのようなものさ。
 その間、お前にはここにいてもらう。お前がのうのうと街中を歩いていたら噂を流した意味が無くなるからな」
 スピンは縄から抵抗することを止めた。
「お前は、俺が犯人だってことは疑わないんだな」
「ああ。なぜならお前は弱いからな」
 その言葉でスピンは歯を食いしばって肩を震わせるが、すぐにまた脱力して落ち込む。ドラグマの言葉が真実であることはスピン自身がよく分かっている。
「……分かっていたさ。フィールド殺しの容疑が掛けられたとき、心のどこかで喜ぶ自分がいたんだ。もしかしたら本当に自分が殺したんじゃないかってさ。……もしかしたら、俺はまだ強いんじゃないかって」
 ドラグマは目を細め、黙ってスピンの話を聞く。
「仲間を巻き添えで殺してしまったあの日から、俺は思うように魔法を使えないようになった。俺だってアイツのために戦い続けようとしたんだ。
でもどうしても……炎の中で苦しみながら俺に手を伸ばしたアイツの姿が目に焼き付いて、焼き付いて焼き付いて焼き付いて…………」
こうしているだけでも断末魔が頭の中で木霊する。その叫び声が恨みだったのか、気にするなと言いたかったのか、いずれにせよ生きたいと願っていたことは間違いなかった。
 気がつけばスピンは瞳から大粒の涙を流していた。。リビングには嗚咽の声が響き、ドラグマは唇を真一文字に結んでいる。
「最低だよな……。俺は人を殺して後悔したのに、今度は人を殺したことを期待するなんて……」
「……全くだよ」
 ドラグマがスピンにかける慰めの言葉はなかった。だが非情というわけではない。ただスピンが背負った業は見ず知らずのドラグマが簡単に軽くするべきではないと、そう判断したのだ。
「……でも良かったよ。犯人でないとハッキリ言ってくれたおかげで、在りもしない自白をする必要がないと分かったからな」
「自白? いったい何の話だ?」
 ドラグマの質問にスピンが答えようとした瞬間、キイィィと甲高い金属音がした。建付けの悪い玄関の扉の音だ。
 瞬時にドラグマは剣を構え、人差し指を口に当ててスピンに黙るよう指示する。スピンも事情を察し、無言で頷く。
 ギシギシと足音は近づき、緊迫感とともにドラグマの剣を握る手にも力が入る。
 そして、ゆっくりとリビングの両開きの扉が開かれた。そこに立つ人物を見て、ドラグマはため息をついた。
「なんだ、お前かよ」
 現れたのは制服姿のトルバだった。一度だけ会っただけではあるが、ドラグマは安心して構えた剣を下げた。
 トルバはまっすぐドラグマを見て、その手前で縛られているスピンへと目線を移す。スピンは体をねじってトルバを見ると、みるみる顔色が青ざめていく。
「あ、あ……」
 怯えるスピンにトルバは何も言わず一歩ずつ近づいていく。
「おいおい、待てよ」
 ドラグマが間に割って入る。
「こいつはいま俺の罠の大事な餌なんだ。お前たち衛兵がこいつを犯人だって疑っているのは分かっているが、あと少しだけ待ってくれれば俺が真犯人を捕まえてやる」
 トルバは黙ってスピンを睨みつける。ドラグマは面倒くさそうに振り返り、スピンにも言い聞かせる。
「お前もそんな怯えていたら犯人に間違えられるだろ」
「……だって、ソイツは俺に……」
「下がっていろ」
 ドラグマを押しのけ、トルバはスピンの襟首をつかんだ。
「おい、人の話を聞けよ」
 ドラグマはそのトルバの腕をつかむ。下手をすれば骨を折るような力強い握力だ。
「……お前は、」
 トルバは自身の腕を掴むドラグマの手と服装を見た。そして口角を上げて笑う。
「そうか……ちょうどいいな」
 トルバはスピンの襟首から手を離すと、その手を返して逆にドラグマの腕を掴み取った。そして反対の手でドラグマの顔に拳を放つ。
 ドラグマは間一髪で避け、トルバの腕めがけて足を蹴り上げる。トルバはドラグマの腕から手を離し、蹴りを躱した。
 二人はちょうどお互いの間合いに入らないように後方に飛びのく。
「……どうしてもスピンを連れて行くというなら、悪いがお前には骨の一本や二本失ってもらう覚悟になるぞ」
「別に俺は構わないさ」
 トルバに脅しが効かないことは最初に腕を掴んだ時点で察しがついていた。ドラグマは剣を構え、エースの時とは違って最初から全力を出す。
「……悪いな」
 剣を前に構え、マナを集中させる。
「『エクロフ・アレット』!」
 全く同時にトルバも呪文を唱える。
「『エディシウス』」
 二つの魔法が交錯する。そして次の瞬間、ドラクマが膝をついていた。地面についた両手は必死に力を入れている。
「これは……!」
 もはや言葉すら出る状況ではない。ドラクマの身体は重力の負荷が加算され、今にも押しつぶされそうになっていた。耐えれば耐えようとするほど肉体、特に骨へのダメージは大きくなる。
 ビキ、とドラグマは右腕の骨にヒビが入る音を聞いた。
 全く身動きの取れないドラクマにトルバがゆっくりと近づく。その手には衛兵専用の剣が握られている。剣は高く振り上げられ、鋭い剣先がまっすぐドラクマの背中めがけて振り下ろされた。
(まずい……!)
 重ねて呪文を唱えようにも声がうまく発声できない。ドラクマは思わず目を瞑った。
「トルバ!」
 そのとき、トルバを呼ぶ声が響く。
 トルバは声のする方を振り向き、ドラグマも目を開けて見る。
そこには両手をポケットに入れて堂々と仁王立ちをするエースがいた。
 「なぜ」。トルバがその言葉を言うよりも早く、エースが叫ぶ。
「エタノテッド!」
 エースは拳を前に突き出しながら手のひらを開いた。反射的にトルバは呪文を唱えた。
「『エディシウス』!」 
 しかし、エースの開いた手のひらからは魔法ではなく小さな小瓶が投げられた。小瓶はトルバの足元に当たると、激しい爆発を起こした。
 小さな爆発だが、目の前で爆発されてはひとたまりもない。
 トルバは爆風で壁に叩きつけられた。火傷はしていないが、制服は無残に焼け焦げている。
「やはり、君の魔法は”魔法にだけ効く魔法”か」
 煙幕の向こう側でエースはそう告げた。
「残念だったな。今僕が使ったのは魔法ではなく、ディウキル・ニレシルゴルティン、またの名をニトログリセリンだ」
 煙が晴れると、そこにはエースのほかにフェレスとストレインがいた。ストレインはトルバを睨みつけている。その目がもはや部下を見る上司の目でないことはトルバも気づく。
「トルバ!」
 ストレインが怒号を上げた。
「お前を勇者連続殺人犯の犯人として……逮捕する」




 壁にもたれかかるトルバはストレインとエースを睨みつける。その目は黒く淀んでいた。ストレインはその目に思わず顔を歪ませる。
 トルバの目線がリビングの奥へと向けられる。そこには先日スピンが逃げ出した窓があった。
 トルバは立ち上がり、窓に向かって走り出す。
「フェレス!」
 エースに呼ばれるよりも早くフェレスが右手をトルバに向かって差し出した。
「『エゾルフ』!」
 トルバは窓を開け体を乗り出したが、窓の外から押し出すように現れた氷によって阻まれた。トルバは両手を下げ、振り向いた。
 ドラグマはすでに魔法が切れて立ち上がっており、スピンは拘束が解かれている。五人の人間がトルバを追い詰める。
「……俺は犯人じゃない」
「まあ落ち着けよ」
 エースは一歩前に出た。
「ストレインにも詳しくは説明していないし、ドラグマもスピンも何が起こっているのか分からないだろう。だから順を追って話すよ」
 皆がエースに注目する。
「まずはつい先日起きた事件、フィールドの殺人方法についてだ。中にはあのフィールドの遺体が偽物だと思っていたやつもいたみたいだが……」
 エースは隣のフェレスを見る。フェレスは恥ずかしそうにそっぽを向く。
「あれは間違いなく本物だ。確かにフィールドは無敵にも近い防御力を持っていたが、厳密には無敵ではない。フェレス、条件を分かりやすく教えてやれ」
 フェレスは切り替えて話を始める。
「限りなく無敵になるには、二つだけ方法があるわ。一つは敢えて弱点を作る方法。マナは外からの攻撃に対して反射的に防ぐようになっていて、要するに全属性耐久が50の状態よ。でも一属性に対する防御力が0やマイナスになるようにすることで、他の属性の耐久を100にすることができるわ」
「待ってくれ、フェレス。マナを意図的に操作するなんてことができるのか?」
 ストレインが質問をする。
「ええ。ただこれはほとんど天性の才能よ。完全制御型といって三百万人に一人の確立ね」
 フェレスの知識にドラグマやスピンは舌を巻く。
「もう一つの方法が条件を満たした場合のみに全属性に対する耐性が発動する方法。例えば太陽が昇っている時だけ、例えば目が覚めてから一時間の間だけ、例えば他人が放った魔法に対してだけ。こういった条件を設けることで全属性の耐性がつくけど、条件以外では防御力がすべて0に近くなってしまう方法よ」
 エースが続く。
「フィールドは雷属性を得意とする勇者だが、このどちらかを使ったのかは分からない。フィールドは雷を操る天界龍の討伐依頼だけを断っていたから前者ということも考えられるが、焼け焦げた死体はゴムのような絶縁体が組み込まれていた。自分の魔法に対する耐性がなかったから、後者の可能性だってある。
 だがどちらにせよ、スピンが犯人でないことは確かだ。フィールドは過去の依頼で炎の中を平然と歩いていたそうだから、火に対する耐性は間違いなく持っていた。それに、前者であろうと後者であろうとそんなこと君には関係ないだろ」
 エースの相貌がトルバを見据えた。
「君の魔法は相手の魔法を跳ね返す力。さっきのドラグマの魔法を跳ね返したみたいにな。そうだろ、ドラグマ」
「あ、ああ……たしかに俺がさっきかけられた魔法は俺がトルバにかけようとした『エクロフ・アレット』。対象にかかる重さを加算する魔法だ」
「ドラグマにやったように君はフィールドの魔法を跳ね返した。だからフィールドの防御がどっちでも構わないんだよ。雷属性を弱点にしていても、他人からの魔法に対して耐性をつけていようとも自分の魔法なんだから結局は無敵の盾は破られる羽目になる」
 トルバは黙ったまま何も言わない。ストレインは誰にも聞こえないように、「何とか言ってくれよ」とつぶやいた。
「さて、ここまでで何か質問はあるか?」
 エースからトルバに質問をする。
「そうだな……じゃあ、どうしてお前は僕の魔法を見破ったんだ?」
「決め手はさっきストレインから直接教えてもらったが、最初におかしいと思ったのは君のマナを見た時だよ。僕は生まれつき他人のマナを色付きで見ることができるんだが、君のマナは黒色だった。黒はどの属性にも属さない特殊なマナだったからな」
 エースは虫眼鏡で見たことを自分の特殊体質ということで騙し通す。しかし、完全制御型の天才にすべての魔法を跳ね返す魔法。このラインナップではマナを色別で見れる体質という嘘も霞んで誰も疑うことはしなかった。
「色付きで見れる目か……本当にお前は厄介な男だよ」
 トルバの態度にストレインは拳を強く握る。今にも掴みかかりそうになる衝動を抑えながら、ストレインはエースに尋ねた。
「なら……他の殺人事件はどうなんだ」
「そうだったな。フィールドの事件とは違って他の殺人事件は背後から鋭利な刃物によって殺されたものだった。パレスもブレイクダークの裏メンバーたちも右腰辺りから心臓を貫かれたのだろう
 だがここで疑問がある。どうやって勇者に匹敵する彼らの背後を取り、一撃で命を奪ったのか。特にブレイクダークの一人は仲間の敵を討とうと常に臨戦態勢に入っていた、だろ?」
「……ああ。アイツが闇討ちなんかにやられるわけがない」
 ドラグマは強く答えた。
「だがそれを可能にできる職種が一つだけ存在する。それが衛兵だ。
 衛兵には特権であるんだろ。街中を歩く人を無造作に捕まえ、壁に手を付けさせる職務質問が。殺されたブレイクダークのメンバーは全員、表立って行動はできない裏の人間たちだ。衛兵に呼び止められてはどれほど殺気立っていようとも目立つわけにはいかない。
 彼らは夜中に呼び止められ、無抵抗で壁に手をついた。そしてその衛兵全員に支給されている剣を抜き、無防備な背中から心臓へと貫いたんだろ」
 エースはストレインが若者に壁に手を付けさせ、職務質問をしている時にこの可能性に気づいていた。
 トルバはエースを睨みつけて答える。
「俺はブレイクダークの奴らが殺されたときはまだ城内に務めていたんだぞ」
「それならストレインが調べてくれたよ」
 エースはストレインに向き直り、手を差し伸べた。ストレインはその手から目を背ける。
「……現実から逃げるな、ストレイン」
 低い声でエースに諭される。そして覚悟を決め、エースに封筒を渡した。
 エースは中から二つの束になった資料を取り出した。
「片方がブレイクダークのメンバーが殺された報告書。そしてもう一つが、お前が休暇を使って城内とスカル街の関所を通った履歴だ」
 エースはそれを机の上に置く。
「ドラグマ、見てみろ」
 言われてドラグマは報告書と履歴を見比べる。
「日にちが同じだ。アイツらが殺された日、お前もこのスカル街にいたのか……?」
 その問いにトルバは答えない。
「おい、答えろよ!」
 ドラグマは折れた右腕で殴ろうと振りかぶる。ストレインが慌てて肩を掴み、押さえ込んだ。
「離せ! コイツだけは……コイツだけは許しちゃおけねえ!」
「まだ早いぞ、ドラグマ」
 激高するドラグマに対し、エースは冷静に対応する。
「まだ僕たちはトルバから自白を聞いていない。すべての証拠を示してやるから、もう少し待つんだ」
 エースはトルバをまっすぐ見つめる。
「続けてもいいか?」
「……」
 トルバは何も言わなかった。沈黙は肯定ととらえ、エースは話を続ける。
「そもそもこの事件が大事になったのは勇者パレスが殺されたことが始まりだ。パレスほどの実力者を殺せる犯人がこのスカル街にいるとされたが、実際はパレスの実力はそれほど大したものじゃなかった。
 フィールドが断った天界龍を倒したことでパレスは有名になった。しかし、彼のパーティーメンバーが言っていたよ。パレスは天界龍の攻撃をもろともしなかったが、酔っぱらった勢いで名前も知らないような客と殴り合いになり、血まみれになったとね。
 不屈のパレスとはよく呼ばれたものだよ。実際パレスは直接肉体に加えられる物理攻撃に関しては何の耐性も持っていなかったんだ」
「さっきのフィールドの話しと似たような話ね。つまりパレスは電気に対する耐性は持っていたけど、物理攻撃に対する耐性は全く持っていなかった」
「そういうことだ。彼の筋骨隆々な身体から腕っ節も強いと思われたんだろうが、天界龍を仕留めた時も物理攻撃を食らう前に一撃で仕留めていたから誰も気づかなかったんだ。
 それに彼は魔獣の討伐依頼ばかりを受注していた。パーティーメンバーでさえ気づかないはずだよ。
 ……ここからは推測だが、この秘密にフィールドだけは気づいていたはずだ。だから犯人が物理攻撃の強い相手だと思い、僕に協力を申し込んだんだ。最初から全力の一撃を与えれば倒せるという勝機があったからな」
「……だけど、実際パレスを殺したのは衛兵の特権を使った不意打ちで、本当の能力は相手の魔法をそのまま跳ね返す技だったってことね」
「そういうことだ」
 エースとフェレスが掛け合いがトルバを追い詰める。
「つまり君が勇者レベルの相手を殺せたのは衛兵の立場を利用したことも関係しているが、相性と運が良かっただけにすぎない」
 エースは続ける。
「そしてフィールドを殺した後に君が取った行動は偽の犯人をでっちあげることだ。その候補になったのがここにいるスピンだ。
スピン、先日僕たちがこの家に来た時に君はひどく怯えていたが、トルバに何か言われたんじゃないか?」
 スピンはトルバを一瞥すると、エースに向かって首を縦に振った。
「ああ。剣を向けられて、罪を自白する遺書を書けと言われた……」
 エースは苦渋の表情をするストレインを尻目に見た。
「だと思ったよ。トルバは僕に決定的証拠を持ってくると言っていたが、本人の自白ほど決定的なものはないからな。さらに筆跡も本人のものだと認められれば城内でリベラストアとかいう天秤に掛けられて嘘かどうかを見破られることもない。……いや、もしかしたら自白だけとらせてスピンを殺すつもりだったんじゃないか?」
 トルバは黙ったまま、何も答えない。
エースは一歩近づいた。
「どうだ。僕は決定的証拠を見つけたぞ。何か言うことはないのか?」
 ゆっくりと、トルバは顔を上げた。この数分で顔はひどくやつれているように見える。
「……俺はやっていない。俺は誰も殺してなんていない」
 その声はひどく掠れていた。
「俺じゃない、俺じゃないんだ。殺せって頭の中で声がしたんだよ……」
 その言葉にドラグマが拳を握る。ストレインの制止も振り払い、血走った目でトルバへの恨みをむき出しにする。
「もういい……。罪を認めないっていうならこの俺が直々に殺してやる」
 エースを押しのけ、ドラグマが拳を振りかぶった。
「おい、待つんだドラグマ!」
「そんなことをしても仲間は帰ってこないぞ!」
 ストレインやエースが呼び止めようとしてもドラグマは聞く耳を持たなかった。二人は慌てて間に割り込む。
「どけ、俺は往生際が悪い奴が大嫌いなんだよ」
全員の注意がトルバからドラグマへと写る。そのため、誰もトルバの前髪の奥にある眼が怪しく光ったことに気づかなかった。白い歯を覗かせて不気味に笑う。
「望むところだ」
 トルバはいきなり立ち上がり、ドラグマの喉元に掴みかかった。さっきまでの消沈した様子とは違い、身体中の血を沸き立たせているような狂気に満ちていた。
「ぐ……あっ……!」
 突然のトルバの変容にドラグマは意表を突かれる。周りも目の前の光景に頭がついていけていない。
「止めろトルバ!」
 ストレインが手を伸ばすが、トルバが鋭い形相で睨み付ける。
「近づくな! 近づけばコイツの首を一瞬にしてへし折るぞ!」
 狂気に近い変貌にフェレスも魔法を使うことを忘れてしまっていた。
 トルバは瞳孔を開き、必死にトルバの腕を抑えて苦悶の表情を浮かべるドラグマを舐るように見る。
「……この表情だよ。俺が見たかったのはこの表情だ」
 ドラグマはトルバの瞳に深い闇を見た。
(……違う!)
 ここでドラグマは自分の間違いに気づいた。
(コイツは戦闘狂なんてものじゃない……! ただ自分よりも強い人間が許されない、絶対的捕食者!)
「力を信じ生きてきたやつらが力によって屈するこの瞬間! 背中を刺された奴等も最後まで惨めだったよ! 這いつくばってでも逃げる奴、助けを乞う奴、仇を取るために剣を抜いた奴、全部大バカ野郎だよなあ! だから言ってやったよ! 俺に殺されるために生まれてきてくれてありがとうってな!」
 ヒャハハハハハハハハハハハハ。
 トルバの高笑いが部屋全体に響き渡る。しかし、その笑い声は最後まで続くことなく突如途切れた。
 エースの右腕がトルバの首元に伸びている。その手にはペンのような細い筒状のものが握られていた。
トルバは、ゆっくりとエースの方を向く。
「もう終わりだ」
 エースは小さくつぶやいた。
「この世界にお前の居場所はない」
 そう言って右腕をトルバの首元から話した。細い筒状の先端には注射針が付いており、微量だが液体が垂れている。
 トルバは白目をむき、膝から崩れ落ちた。ドラグマも首絞めから解放され、咳き込みながらも呼吸をしていた。
「ストレイン、聞いただろ」
 エースは部屋の隅でおとなしくしているストレインを冷ややか口調で呼ぶ。
「トルバはさっき背中を刺して殺したと認めた。今は薬で気絶しているが、すぐにでも彼は気を取り戻すぞ」
 ストレインは黙ったまま何も言わない。
「……ストレイン。覚悟を決めろ」
 そこにドラグマが割って入った。
「おい。俺はコイツに殺されかけ、大切な仲間は殺されたんだ。お前が捕まえないっていうなら、それは暗に私刑に処してもいいってことか?」
 苦しそうにしながらもドラグマの目にはまだ殺意が宿っていた。
「……ダメだ」
 ストレインは一歩踏み出し、腰から鞭を取り出した。そして『トセラ』と呪文を唱える。鞭は伸び、トルバの両腕を縛り付ける。
 そして優しく、トルバを抱え上げた。
「……通してくれ」
 フェレスやドラグマが道を開け、ストレインはトルバを抱えたままゆっくりとその間を縫って歩いていく。ゆっくりと、エースの前を横切った。
「協力、感謝する」
 誰とも目を合わせず、ストレインは家から出て行った。
 リビングには憂鬱とした空気が流れる。しかし外から聞こえてくる喧騒は騒がしく、城内からは11時を示す鐘が鳴り響いた。
 こうして時間は進んでいるというのに、幕切れは怒らない。犯人を恨んでいたドラグマも、脅されていたスピンも気づいていたのだ。どうも煮え切れないことを。そこには何も救いがないことを。
 そしてその無常を認められないでいた。しかし、たった一人だけ、その言葉を告げて最後を創る。
「事件、解決ね」
 フェレスの言葉で勇者連続殺人事件は幕を閉じた。