第6話 思いがけない南の島で
――夢を見た。
そう遠すぎはしない、少年時代の日の事を。
カーテンを閉め切った部屋の隅でうずくまり、ただ毎日を過ごしていた。きっかけは両親の死だった。まだ10歳になったばかりの自分を残して、二人は事故で他界した。
葬儀についての記憶はほとんどない。ただセバスが全てを粛々と取り仕切ってくれたことだけは、おぼろげに覚えている。それと棺に土をかぶせたときの、スコップの冷たさだけは妙に手に残っていた。
泣かなかった。ありとあらゆる雑事を使用人に押し付け、俺は部屋から出なかった。そしてそれを、咎める者などいなかった。自動的に獲得してしまった領主という地位は、そうさせるには十分だった。
今振り返れば、彼らは俺を心配してくれていたのだと思う。料理人のカイルは俺の好物を毎日用意し、庭師のマリアンヌは家に飾る花を、いつか好きだと漏らした青い花に変えてくれた。それでも俺はそんな事に目も向けず、ただ毎日を無為に過ごした。
一種の冷静さが自分にあったのを覚えている。このままこうしていても、自分が困ることはないという考えがあった。このまま家を維持していくだけの金が、クワイエット家にはあったのだ。
そんな生活が長く続かなかったのは、彼女のおかげだった。自分と同い年で、両親がどこか東の方で拾ったというセツナ。孤児という事情もあり住み込みで働いていた彼女が、その日俺の部屋に入った。
「キールさま、食事をお持ちしました」
何のことはない、いつものメイドが休みだったというだけの話。たまたま手の空いていた彼女が、トレーに乗せて夕食を運んでくれたというだけの話。
「ああ、そこに置いて」
消え入りそうな声でそう答えたのを覚えている。それが当時の自分にできる、精一杯だった事もだ。磨り減り、冷めた自分に出来るのはその程度の事だった。
「お言葉ですが、そこにはまだ昼食が置かれたままです」
その通りだった。当時の自分は、せいぜいパンをひとつ食べればいいような毎日を送っていた。だが答える気力は無かった。面倒だったからだ。
「……食べてもいいですか?」
その言葉に耳を疑った自分がいた。持ち帰れば許可などいらないというのに、わざわざそうした事が少しだけ不思議だったのだ。
「別に構わないけど」
「では私はこの残った昼食を頂きますので、キールさまは夕食をお召し上がりください」
「食欲無いから後で食べるよ」
彼女の提案に嘘で答える。食べる気など始めから無かったからだ。すると彼女はため息をついてから、ゆっくりと俺に近づいてきた。
「立てますか?」
「どうだろう」
「仕方のない人ですね」
そう言って彼女は、まだ小さな手を伸ばした。しばらく無言でそれを眺めていたが、セツナはゆっくりと口を開く。
「手を差し伸べるのは、持てる者の義務だそうです」
その言葉は知っていた。
「それを握り返すのは、誰にでもある権利だと」
続く言葉も覚えていた。
「私を拾って下さった時、旦那様と奥様はこうおっしゃいました」
「うん、二人の言葉だ」
らしいな、と思った。両親は優しく立派な人だった事を、ようやく俺は思い出した。その瞬間に、二人の顔を次々と思い出していった。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり。記憶の中の二人はいつもそういう人だった。
だからようやく、俺は涙を流した。もう二人はいないという現実と、いつでも思い出せる心があったから。
「今は私の方が元気ですから、どうぞ遠慮なく掴んでください」
「ありがとう、セツナ」
袖で涙をぬぐい、その手を握り返した。暖かかった。彼女が今ここにいるという事実を、重なり合った体温が教えてくれた。
「……どういたしまして」
彼女に手を引かれて、ゆっくりと歩き出す。
「ねぇ、キールさま。今すぐにとは言いませんが」
まだうまく動かせないけど、いつかはずっと良くなるだろう。
「いつか誰かに手を差し伸べる、立派な人になってくださいね」
笑顔の彼女が教えてくれた、目指すべき場所に向かって。ゆっくりでも、一歩づつと。
握り締めていたそれを、天高く掲げてみた。昆布だった。なんだこれ。昆布か。
下半身にかかる波、顔に貼り付く白い砂。起き上がれば、目の前に広がる青い海。見回せば、背の高い見たことも無い植物。
いい天気だ。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。本で読んだ南の島の景色が広がっていたから、ようやく俺は理解した。
「……遭難しちゃった」
現状把握。
まず、船の破片とかは漂着していないことから、どういうわけかここに流されたのは俺だけだろう。どうして人間だけこんな場所にいるのかという疑問はさておき、キール=B=クワイエットは遭難したのだ。
次に頬をつねる。痛い、うん夢じゃない。天国には痛覚があるなら話は別だが、何とか命拾いしたらしい。
それから、他の人はどうなったか。確かめようはひとつも無い。彼女に何かあったらと思うと目の前が暗くなるから、それは一旦頭の隅に追いやってしまうことにした。大丈夫、皆は無事だと言い聞かせる。それに船は港の近くで沈んだのだ、普通に考えればこんな南まで流される俺のほうが異常だと。
最後に立ち上がる。やることは山ほどある。水と食料の確保、寝る場所、救難信号。だというのに俺の足りない頭じゃそのやり方が何一つ思いつかない。
「川とかあるのかな……」
独り言をつぶやいて、ゆっくりと歩き出す。こんな時誰かがいたらと思ったが、こんな事に誰も巻き込まなくて良かったと心の底から安堵しながら。
かなり歩いた、ような気がする。
正確な時間がわからない上に照りつける太陽がまぶしくて、随分と疲れてしまったように感じた。途中拾った木を杖にして進んでいるが、川なんて見つからない。というかもしかして、川って山がないと存在してないんじゃないかと気づく。つまり徒労俺は疲労踏んだぜ二の足無駄足チェケラ。
暑さでやられているようだ、おかしな思考が過ぎってしまう。それでも歩く。何でもいい、何かここから助かる手立てが、一つでも見つかるならと。
その時だった。視界の端で砂浜を動く影を見つけた。そしてポケットの中に殿下からもらったオペラグラスが入っていたことも思い出せた。ありがとう殿下どうかご無事で。
かける、見る、確認する。そして叫ぶ。
「人だああああああああっ!」
無我夢中で走り出す。良かった助かったおなか減ったのど渇いた。どうやら背格好からして子供のようだけどそんなことはどうだっていい、恥も外聞もなく距離をつめる。
うん、子供だ。南の島だからか日に焼けた褐色の肌に白い髪をツインテールになんかしちゃってる子供。ちなみに白衣なんて着てるぞお医者さんごっことか好きなのかな。
「うあわっ!?」
彼女の悲鳴が聞こえた。その瞬間、落ちた。下に落ちる俺。こう、ストンという擬音が非常に良く似合う感じで落ちる。尻餅をついて見上げれば、真ん丸い窓のような穴から青空が見えていた。それから遅れて、少女が顔を出してくれた。
「ビックリしたから防犯落とし穴使っちゃっただろ……」
「王都で人を驚かせるのが流行ってて」
渇いた口が思いのほか動いて冗談を繰り出す。どうやら人にあえた事で、驚くほど舞い上がっていたようだ。
「王都……なんだお前アナザーか」
「あなざー?」
「いやいい、こっちの話」
聞きなれない単語を聞き返せば、彼女は首を左右に振る。
「んん? んーーー?」
と思ったら、今度は俺を凝視してきた。その視線の先にあるのは俺の顔、ではなく。
「ちょっと這い上がってその首についてるの見せてみろ」
レーヴェンに無理やりつけさせられた、パンツイーターの首輪だった。
「その前に一つ頼んでもいいでしょうか」
「ある程度ならな」
だがそれより前に、やることがあった。そう子供にこれを見せるより、もっとずっと大事なことが。
「遭難しました助けてください!」
頭を下げて頼み込む、遅れて聞こえてきたため息についで、放り投げられた一筋のロープが彼女からの答えだった。
案内された先は彼女の家だった。ただそれが豪華と言っていいのか判断に困るところだ。机とか椅子とかはまぁ普通なのだが、部屋の中が何だかよくわからない物体であふれているからだ。白い箱とか黒い窓とか縦に開く光る本とか、何に使うんだろう一体。
「水飲むか?」
「頂きます!」
そういえば彼女は白い箱の扉を開けて、瓶入りの水を放り投げてきた。それをつかめば柔らかく、そして想像以上に冷たかった。
「でだ、アナザー。その首についてるのはどこで手に入れた?」
「旅の占い師に付けろって言われて」
「その占い師、わたしを縦に伸ばしたような感じか」
怪訝な顔で彼女はそんな事を聞いてくる。言われてみると確かに、雰囲気や目の色などレーヴェンに良く似ている。
「言われてみたら」
「レーヴェンのアホか……最近遊びに来ないと思ったらアナザーの国に行ってたのか。こいつらと直接的に関わらないって大原則を忘れたか」
「レーヴェンの事知ってるんですか?」
「ああ、妹だ」
なるほど、あいつの姉だったのか。体型的にはこっちが妹のように見えなくも無いが、魔族にも色々あるんだろう。
「へぇー、お姉さんだったんですね」
それにしてもこの水冷たくておいしいな、いやでもあれかレーヴェンの姉って事は親が一緒って事でそうなるとつまり目の前の子供は。
「ま、ま、ま、魔王の娘!」
「あってるけどハイネって名前があるからそっちにしてくれないかアナザーよ」
思わず取り乱してしまったが、ハイネと名乗る彼女が冷静なおかげで思いのほかすぐに落ち着くことが出来た。どうやら年の功は伊達じゃないらしいが、それよりも気になる事が一つ。
「ハイネさん、そのアナザーって?」
「そのまんま、お前らの種族の事だよ」
俺の顔を指差しながら、ハイネさんはそんな事を言う。
「人間の事?」
「わたしらもな」
「えっ、魔族じゃなくて?」
俺達は人間で、魔界に住んでるそれっぽいのが魔族。そういうものだと今日まで教わってきたのだが。
「そんなファンタジーな呼び方すんな、こっちだって人間様だよ……ただちょっと地元が違うだけのな」
どうやら魔族というのも人間らしい。ただ噂によると寿命がすごい長いとかみんな魔法を使えるとか色んな話があったはずなのだが。
「さっぱりわからないです」
というわけで、理解することをあきらめた俺。多分この人は俺なんかより余程頭が良いのだから、話が合わないんだろうなうん。
「あーいいって気にすんな、どうせアナザーは記憶消して送り返すから明日には忘れてるからな。その首のもこっちのもんだから回収させてもらうけど良いよな?」
「記憶を消して……首輪を外す?」
その言葉に思わず息を呑む。緊張で手のひらに汗が広がっているのが、感覚でわかってしまった。
「まあファンタジー魔族様にも都合って奴があるんだよ。その首輪を手に入れる前ぐらいまで記憶消すけど不都合ないな? あっても知らんが」
「こいつを手に入れる前……」
思い出すのはこの旅の日々。色々な人と出会って、色々な事が起きた。だから俺は立ち上がる。
「おっと暴れるなよ、こいつはこう見えて人一人なら簡単に消し炭にできるアホみたいな武器だ。大人しく従った方が身の為だぞ?」
彼女は俺に筒のようなものを向けてそんな事を言う。だが、それはどうでも良かった。
だって、この旅の記憶が消えるのだ。レーヴェンと出会った事も、偽勇者を追いかけた事も、あのパンツの味も、パンツの匂いも、パンツの食感も、パンツの記憶もパンツパンツパンツパンツパンツ。
――願ったり叶ったりじゃないか。
「ハイネ先生、お願いします!」
だから俺は土下座をする、ハイネさん、いやハイネ先生と呼ばせてください。どうかこの哀れな子羊を、絶望の淵から救って下さい。
案内されたベッドに、手械足枷をはめられる俺。だが何も怖くは無い、目が覚めたら俺は屋敷のベッドから起き上がって朝食を取って散歩でもするんだ。そうだそうに違いない今日までは夢だったけどその前に一つだけ。
「その、記憶を消す前にお願いしても良いですかね」
「ある程度ならな」
「他にも漂流した人がいたら助けて欲しくて……乗ってた船がサーモンが好物のツノ付きのクジラみたいな魔物に襲われちゃって」
そう答えると、ハイネ先生はため息をつく。
「なんだタマか。安心しろツノクジラはああ見えて救助用に品種改良してある。普通にしてりゃ生きてるよ」
「良かっ……いや俺は?」
他の皆が無事なのは良いが、どうして俺だけ遭難なんて目に遭ったのか。その疑問が残ってしまった。
「定員オーバーだったかもしれんが、おそらく人間だと認識されてなかったんだろ。首輪のせいでな」
「どうしてですか?」
「記憶消すし別に説明しても良いか……それな、人に付けるものじゃないんだ」
「その通りなんですハイネ先生」
さすが良くわかってらっしゃる。
「そいつは掃除機用のアタッチメントだ」
「わかる言葉でお願いします」
そんな難しい専門用語じゃなくて患者にもわかる言葉でお願いします。
「アナザーの今の文明レベルで言うと……そうだな、何でも吸い込むゴミ箱の先端につける道具だ」
「ゴミ箱」
声に出すとわかる、ひどいことをされたのだと。
「レーヴェンは知らなかっただろうけどな。ちなみにわたしらの種族が首に付けようとしてもプロテクトがかかってて無理だからな。根本的に遺伝子情報が違うアナザーだからいけたんだろ」
「へぇー」
なるほどさっぱりわからない。
「わかってないな……まあいいや外すぞ?」
「何をすれば良いですか?」
「電源入ってると外せないからな。お前電源どこだ?」
「デンゲン」
そう言ってハイネ先生は俺の体を手袋をはめた手でまさぐり始めたが。生まれてこの方でデンゲンなんて部位聞いたことが無い。
「そうだ電源」
「なんですかそれ?」
「押すと動かなくなるやつ」
なるほどなるほど、俺は体のどこかにあるというデンゲンを押して動かなくならないとこの首輪が外れないと。ってことはだね、凡人の俺の出した結論はだね。
「……死ねってことですか?」
「おいおいアナザー勝手に早合点するな。電源さえ切れてくれれば良いんだから、つまりこうなってああなってそこがどうなってそれでだな」
そんな考えを一笑してから、先生は何やら考え込む。そしてしばらく経ってから、俺の肩を叩いて言った。
「おいお前やっぱ死ね」
「無茶言わないでください」
何だ死ねって白衣着た人間の言葉かよ。
「迂闊だった、まさかアナザーには電源がないなんて……他の対策が必要だ」
「魔族にはデンゲンあるんです?」
「アホかお前、あるわけ無いだろ」
すっごい簡潔に馬鹿にされた。どうして自分には無いものが俺にはあると思ったのか不思議である。
「あ、首輪として気にならないよう可愛くデコるってのはどうだ? うん名案だなこれはちょっと待ってろ」
「デコ……」
難しい言葉を言い残して、先生は近くの棚を漁り出した。それからすぐに先生は小さなピンク色の小箱を楽しそうに持ってきた。明けられた箱の中身は、宝石っぽいものや動物の絵みたいなもので埋め尽くされていて。
「どれがいいかな、キラキラシールだろ、プチジュエルに……おっ、みろよこのカエルちゃんめちゃレアなやつだぞ!」
だいたいがピンク色の宝石っぽいやつだ。カエルちゃんも何だかかわいらしい絵柄なのだが、こう成人した男の首輪には似合わないような気がしたので。
「子供っぽいですね」
思わず口が滑ってしまう。
「今……なんて言った?」
震え始めるハイネ先生だったが、ツインテールでカエルのスリッパを履いている人をそう認識するなってのは難しいような。
「このわたしが……子供っぽいだとぉ!?」
「あ、もしかして気にしてたり……」
「まったくしてない!」
顔を背けて腕を組む先生。その態度、拗ねた子供そのものである。
「どうやらわたしがお前のようなアナザーの何億倍も頭が良いことを証明してやる必要があるらしいな……!」
「いやそれは十分伝わってます」
「その首のを!」
だが話を聞かない先生、俺の首根っこをつかんでこんな事を言い出したのだ。
「パワーアップしてやるよぉっ!」
「いやいいです」
いらないですいいから外して記憶も消してください。
「うるせーっ!」
威勢のいい掛け声とともに、先生の拳が俺の腹にめり込む。やっぱり子供の態度だけど、薄れ行く意識の中でそれを主張するのはあまりに無謀だと思えてしまった。
「目覚めろ……目覚めろアナザーよ」
先生の声が聞こえた。というわけで元気に挨拶。
「あ、おはようございます先生」
「ふいんき!」
注意された。何か違うのか怒られてしまった。
「先生のおかげで病気が!」
「ちがう」
「ふっ……死んだ両親が手招きしてたぜ」
「重い」
「こ、このからだをあふれるちからはーっ」
そう答えるとハイネ先生は声を殺して笑い出す。どうやらこれが模範解答だったらしい。
「くっくっくっ……気づいたようだな、なかなか筋がいいぞアナザーよ」
「ありがとうございます」
「だからふいんき!」
普通にお礼を言ったら怒られた。中々の理不尽である。
「こ、この天才めーおれのからだになにをしたー」
「……今のもう一回」
「おれのからだに」
無言でビンタしてきた先生。まだ手枷足枷があるから何も出来ない。
「こ、この天才めー」
「くっくっくっ……わかってるようだなアナザーよ。気に入ったうちの妹と会話する権利をやろう」
「いやそれはもう普通に」
「あぁん!?」
「ひぃごめんなさい」
ちょっと目が本気だった先生。会話する権利をもらわないと口を利いちゃいけないのかレーヴェンとは覚えておこう。
「まぁパンツイーターの二つの新機能について説明してやろう」
「二つも」
そんなにいらない。
「まずはそうだな……パンツアナライザーだ」
「パンツアナライザー」
「文字通りパンツに備わるスキルを解析する事が出来る画期的な能力だ。これでパンツだけで持ち主がどんな人物か予想が立てられる訳だな」
「変態すぎる」
パンツの解析なんてしたくなかった。
「そしてつぎは……パンツリベレーターだ」
「どうしてパンツ関連のパワーアップなんですか?」
「パンツリベレーターは相手をパンツから解放する事が出来る優れ物だ。ちなみにパンツは霧散する」
「すいません先生そんな風には聞こえません」
パンツからの解放って何ですかそれより手枷と足枷から解放してください。
「こいつは解放されたパンツの持ち主と同じだけの身体能力を得ることが出来る。お前スキル持て余してただろ? これを強い奴に使えば同等以上に戦えるぞ」
「つよい」
思わずつぶやいてしまう。これなら相手のパンツを霧散させた上に俺だけ強くなれるのか。これうまく使えばもうパンツなんて食べなくて良いんじゃないか。
「ただし3分間の時間制限付きだけどな。その後はまあ、相手の程度にもよるが基本全身筋肉痛だ」
やっぱ使わないでおこう。
「ああ、あと間違っても自分のパンツには使うなよ。シミュレートしてみたらバグって初期化されるっぽいから。集めたスキルが全部パーだ」
「俺って自分のパンツ破壊するぐらい馬鹿に見えます?」
「見えてるから説明してんだろアホかアホだなアホだわお前」
すっごい馬鹿にされた。そうか先生には俺が自分のパンツを霧散させるアホに見えるのか。
「まあその……ありがとうございました流石天才ハイネ先生です」
それでもお礼を口にする。最後の言葉が効いたのか、先生はうれしそうに何度も頷いてくれた。ちょろい。
「うんうん、わかったようで何より」
それにしても、先生もとい魔族の力には感心せずにはいられなかった。ハイネの水晶玉もそうだったが、どう考えても俺達との間に力の差がありすぎる。魔王討伐なんてお題目を掲げてはいるが、本気になった彼ら相手に戦う手段など、もしかして始めから。
「じゃ、記憶消すか!」
「待ってました!」
とか小難しいことを考えていたら先生がうれしいことを言ってくれた。そうだ全部忘れよう何か首輪だけついてるけど特に生活には支障がなさそうだし全部忘れて家で寝よう。
なんて考えていると、突然家の中に鐘の音が響き渡った。
「誰か来たな」
「結構お客さん多いんですか?」
「宅配業者が7割で妹が2割で残りは招かれざる客だ」
まぁ先生人付き合いとか面倒くさがりそうですもんね。
「おねえちゃん遊びに来た」
「2割来た」
勝手に扉を開けて、レーヴェンが入ってきた。ベッドの位置のおかげで、首を動かせばうれしそうなその表情が見て取れた。
「レーヴェンか久しぶりだな」
ハイネ先生がそう答えると、レーヴェンはゆっくりと抱きついた。どうやら姉妹の仲は俺が想像しているよりずっと良いらしい。
「近く寄ったから……まてどうしてキールがここにいるの」
と、俺に気づいたレーヴェンの目の色が変わる。敵意むき出しで睨んで来る、こわい。
「浜辺に落ちてた」
「そう」
ゆっくりと台所に寄って、包丁を手に取ってから俺のそばに立つレーヴェン。
「じゃ、キール死んで」
「なんで! 何もしてないって!」
「パンツイーター強化しただろもう忘れたのか」
「それはしてもらいましたけどそういう意味じゃなくて!」
「しらばっくれてもダメ。おねえちゃんが可愛いからあの手この手でとりいって……あまつさえベッドに横たわってるなんて不潔すぎる」
「先生妹の目が悪いみたいです直してあげてください」
「お医者さんごっこまでして……!」
してませんってば。
「まあ落ち着け二人とも、とりあえず事情聞きたいからその辺に座れ」
ようやく仲裁に入ってくれた先生が、レーヴェンから包丁を受け取りソファーを指差す。良かった死ぬことはこれで無くなった。
「友達もいい?」
「ああ、もちろん」
「みんな、入って良いって」
その言葉に従って、ぞろぞろと顔を出す旅の女性陣。まずはセツナの入場です。
「キール様、人が心配していたら幼女とお医者さんごっことはいよいよ貴族らしくいいご身分になられたようですね。感激しました」
「無表情で感激しないでくれる?」
開口一番そんな事を言わないで下さい。はい次のアイラね。
「おじゃまします……とりあえずキールさん、セツナさんに謝ったほうがいいと思いますよ?」
「なんかごめんなさい」
謝罪の言葉を口にする。セツナの顔に目線を向ければ、その瞼が少し腫れていたような気がした。気がしただけ。はい次のシンシアね。
「オーッホッホ、無様ねキー」
「ね、ねぇシンシア様……今日の髪型変じゃないかしら」
横で髪の先をいじっている、元ラシックの取り巻きの武道家の少女も。
「ル=B=クワイエット! どこをほっつき歩いてるかと思っていたら幼女とS」
「シンシア……浜辺で綺麗な貝殻を拾ったんだが君に似合うと思うんだ」
貝殻を手に持って恍惚の表情を浮かべる、元ラシックの取り巻きの剣士も。
「Mだなんて優雅な遊びを覚えたようね? 五分でいいか」
「シンシア姉さま、海、海いっしょにいこ」
彼女の服の袖を引っ張りせがむ、元ラシックの取り巻きのシスターも。
「ら代わってくれないかしら!?」
全員が全員でシンシアの台詞の邪魔をした。なんかもう全員メロメロじゃないか学生のときに良く見た光景で懐かしいわ。
「お前は色々清算してから入れ」
「三人ともステイ!」
シンシアにそう言えば、彼女は号令を出した。そしてそのまま三人を外に放置し、家の扉をゆっくりと閉めた。
「これでいいわね」
俺の知らない間に旅の仲間って言うかペットの雌犬が三人も増えたらしい。躾も十分なさってるようで何よりです。
「ま、アナザーどもも適当にかけてくれ。レーヴェンには……何があったか説明してもらうぞ」
「まかせて」
胸を張って彼女が答える。それに不安しか覚えないのは、なぜだか多分俺だけのような気がした。
レーヴェンが語った旅の顛末は、誇張と主観が入り混じったものだったが、おおむねはいそうですといえる程度のものだった。ちなみに手械と足枷は外してもらえた。
「という感じ」
「それはその、何というか」
話を聞き終えたハイネ先生は、セツナが用意してくれた紅茶を飲み干し机に置いた。きっと呆れて物も言えないのだろう、何せ天才だからなこの人。
「頑張ったなぁ、レーヴェン!」
あれぇ、思ってたのと違う。
「おねえちゃん!」
抱き合う二人、むせび泣くレーヴェン。何とか手を伸ばしその頭をなでる先生。
「わたしは誇りに思う……お前みたいに健気で可愛くてアホな妹がこの宇宙にいることを!」
「頭も褒めてやれよ」
「良かったですね、レーヴェンちゃん……」
「泣く要素ある?」
ハンカチで目頭を押さえるアイラ。何がどう良かったのか解説してほしい。
「で、とりあえず偽勇者もどこかに流れ着いただろうから捕まえてまた本物の勇者倒しに行きたい」
レーヴェンが脇に置いていた水晶玉をハイネ先生に見せれば、彼女はうんうんと嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか、おにぎり作るか?」
「ツナマヨを人数分作って」
そこで、一瞬先生の手が止まる。だめだったのかツナマヨ。
「人数分って……このアナザーどものか?」
「もちろん」
どうやらおにぎりの具の話ではなく、気にしているのは俺たちの処遇についてだったようだ。
「それは駄目だ。こいつらは記憶を消して送り返す」
毅然とした声で答えるハイネ先生。その表情からはもう優しいお姉ちゃんの面影が消えていた。
「なんで」
「お前がこっそりやる分には何も言わんがな、わたしの目に止まったんだそういう訳にはいかないだろ……それにそこのアナザーは知り過ぎたからな」
「記憶消して良いんですよ先生」
俺はそれで良いんだよレーヴェン。
「一応キールに雇われてるからそれは困る。本人は居なくても良いけど」
「セツナにこれからの事を頼んでも良いんだよレーヴェン」
色々方法あるんだよレーヴェン。
「全く、お前は頑固だな」
「おねえちゃんには負ける」
だが二人は笑い合う。鼻をすすり始めるアイラだったが待って何話し終わらせようとしてるの俺の記憶は消すんだよねそれって決定事項ですよね。
「ちょっと待ってろ」
先生はその場から離れ、壁際に置いてあった黒い機械に手を伸ばした。何やら数字が刻まれており、上のバナナみたいな形のものを耳に当てる。
「ああ親父? ああうん、元気元気……それよりだな、レーヴェンが今から帰るからよろしく頼むぞ。ちょっとアナザーどもも一緒に行くから、処遇は話し合って決めてくれ」
ああうん、ハイネ先生のお父上に連絡してるみたいですね方法はわからないけど。っていやそれ魔王だよね処遇って何死ぬ以外あるの。
「親父に頼んでみろ。まあレーヴェンには甘いからなんとかなるだろ」
「おねえちゃん大好き!」
「ああ、わたしもだよ」
また抱き合う二人。やっぱり泣くアイラ、特に表情を変えないセツナ、若干ムラっとしてますみたいな顔してるシンシア。頼むからステイしとけ。
「あの、ハイネ先生!」
「どうしたアナザー」
「俺の記憶消すのは……」
挙手して質問を投げかける。が、先生は両手を広げて首を捻るだけだった。
「親父の気分次第だな。ちなみにレーヴェンが男と旅してたとか知ったら、記憶じゃなくて存在ごと消されるかも……そうなったらウケるな」
何も面白くないんですけど。
「レーヴェン、タマに俺を安全なとこまで運んでもらうようお願いできないか」
「実家タマで帰るから無理」
「そっか」
さらば希望よ。
「さ、そうと決まれば行った行った可愛い妹とその他大勢。今のうちから媚でも売って命だけは助かるよう努力するんだな」
「権力って場所によって変わるんですね」
アイラが席を立ちながらそんな言葉を漏らす。ここにきて大して何もしていなかったレーヴェンは、魔界のプリンセスという立場を存分に発揮し始めたのだ。
「じゃ、また遊びに来いよレーヴェ」
女性陣が家を後にするが、一瞬先生の言葉が詰まった。その視線の先にあったのは、アイラが腰から下げたあの鞘から抜かれない剣だった。
「なあ、そこのアナザー……その剣」
「呼び止めますか?」
先生の横に立って見送っていた俺は、そんな事を聞いてみる。
「いやいい、それよりお前うちに残っても記憶消してやらねーからな」
「最後の頼みの綱が」
自然と居座って記憶を消してもらおう大作戦が失敗した俺の尻に、ハイネ先生の緩やかなローキックがお見舞いされる。仕方なしに歩き始めれば、先生の声が聞こえてきた。
「またなアナザー、生きてたら遊びに来て良いぞ。そっちの国の話も少しは興味があるからな」
「ええ、ハイネ先生もお元気で」
そのまま家のドアを開ければ、南の島の景色が広がっている。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。こんなバカンスみたいな場所で、次に俺たちが向かう先は。
「じゃあみんな……魔王城にレッツゴー」
――夢を見た。
そう遠すぎはしない、少年時代の日の事を。
カーテンを閉め切った部屋の隅でうずくまり、ただ毎日を過ごしていた。きっかけは両親の死だった。まだ10歳になったばかりの自分を残して、二人は事故で他界した。
葬儀についての記憶はほとんどない。ただセバスが全てを粛々と取り仕切ってくれたことだけは、おぼろげに覚えている。それと棺に土をかぶせたときの、スコップの冷たさだけは妙に手に残っていた。
泣かなかった。ありとあらゆる雑事を使用人に押し付け、俺は部屋から出なかった。そしてそれを、咎める者などいなかった。自動的に獲得してしまった領主という地位は、そうさせるには十分だった。
今振り返れば、彼らは俺を心配してくれていたのだと思う。料理人のカイルは俺の好物を毎日用意し、庭師のマリアンヌは家に飾る花を、いつか好きだと漏らした青い花に変えてくれた。それでも俺はそんな事に目も向けず、ただ毎日を無為に過ごした。
一種の冷静さが自分にあったのを覚えている。このままこうしていても、自分が困ることはないという考えがあった。このまま家を維持していくだけの金が、クワイエット家にはあったのだ。
そんな生活が長く続かなかったのは、彼女のおかげだった。自分と同い年で、両親がどこか東の方で拾ったというセツナ。孤児という事情もあり住み込みで働いていた彼女が、その日俺の部屋に入った。
「キールさま、食事をお持ちしました」
何のことはない、いつものメイドが休みだったというだけの話。たまたま手の空いていた彼女が、トレーに乗せて夕食を運んでくれたというだけの話。
「ああ、そこに置いて」
消え入りそうな声でそう答えたのを覚えている。それが当時の自分にできる、精一杯だった事もだ。磨り減り、冷めた自分に出来るのはその程度の事だった。
「お言葉ですが、そこにはまだ昼食が置かれたままです」
その通りだった。当時の自分は、せいぜいパンをひとつ食べればいいような毎日を送っていた。だが答える気力は無かった。面倒だったからだ。
「……食べてもいいですか?」
その言葉に耳を疑った自分がいた。持ち帰れば許可などいらないというのに、わざわざそうした事が少しだけ不思議だったのだ。
「別に構わないけど」
「では私はこの残った昼食を頂きますので、キールさまは夕食をお召し上がりください」
「食欲無いから後で食べるよ」
彼女の提案に嘘で答える。食べる気など始めから無かったからだ。すると彼女はため息をついてから、ゆっくりと俺に近づいてきた。
「立てますか?」
「どうだろう」
「仕方のない人ですね」
そう言って彼女は、まだ小さな手を伸ばした。しばらく無言でそれを眺めていたが、セツナはゆっくりと口を開く。
「手を差し伸べるのは、持てる者の義務だそうです」
その言葉は知っていた。
「それを握り返すのは、誰にでもある権利だと」
続く言葉も覚えていた。
「私を拾って下さった時、旦那様と奥様はこうおっしゃいました」
「うん、二人の言葉だ」
らしいな、と思った。両親は優しく立派な人だった事を、ようやく俺は思い出した。その瞬間に、二人の顔を次々と思い出していった。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり。記憶の中の二人はいつもそういう人だった。
だからようやく、俺は涙を流した。もう二人はいないという現実と、いつでも思い出せる心があったから。
「今は私の方が元気ですから、どうぞ遠慮なく掴んでください」
「ありがとう、セツナ」
袖で涙をぬぐい、その手を握り返した。暖かかった。彼女が今ここにいるという事実を、重なり合った体温が教えてくれた。
「……どういたしまして」
彼女に手を引かれて、ゆっくりと歩き出す。
「ねぇ、キールさま。今すぐにとは言いませんが」
まだうまく動かせないけど、いつかはずっと良くなるだろう。
「いつか誰かに手を差し伸べる、立派な人になってくださいね」
笑顔の彼女が教えてくれた、目指すべき場所に向かって。ゆっくりでも、一歩づつと。
握り締めていたそれを、天高く掲げてみた。昆布だった。なんだこれ。昆布か。
下半身にかかる波、顔に貼り付く白い砂。起き上がれば、目の前に広がる青い海。見回せば、背の高い見たことも無い植物。
いい天気だ。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。本で読んだ南の島の景色が広がっていたから、ようやく俺は理解した。
「……遭難しちゃった」
現状把握。
まず、船の破片とかは漂着していないことから、どういうわけかここに流されたのは俺だけだろう。どうして人間だけこんな場所にいるのかという疑問はさておき、キール=B=クワイエットは遭難したのだ。
次に頬をつねる。痛い、うん夢じゃない。天国には痛覚があるなら話は別だが、何とか命拾いしたらしい。
それから、他の人はどうなったか。確かめようはひとつも無い。彼女に何かあったらと思うと目の前が暗くなるから、それは一旦頭の隅に追いやってしまうことにした。大丈夫、皆は無事だと言い聞かせる。それに船は港の近くで沈んだのだ、普通に考えればこんな南まで流される俺のほうが異常だと。
最後に立ち上がる。やることは山ほどある。水と食料の確保、寝る場所、救難信号。だというのに俺の足りない頭じゃそのやり方が何一つ思いつかない。
「川とかあるのかな……」
独り言をつぶやいて、ゆっくりと歩き出す。こんな時誰かがいたらと思ったが、こんな事に誰も巻き込まなくて良かったと心の底から安堵しながら。
かなり歩いた、ような気がする。
正確な時間がわからない上に照りつける太陽がまぶしくて、随分と疲れてしまったように感じた。途中拾った木を杖にして進んでいるが、川なんて見つからない。というかもしかして、川って山がないと存在してないんじゃないかと気づく。つまり徒労俺は疲労踏んだぜ二の足無駄足チェケラ。
暑さでやられているようだ、おかしな思考が過ぎってしまう。それでも歩く。何でもいい、何かここから助かる手立てが、一つでも見つかるならと。
その時だった。視界の端で砂浜を動く影を見つけた。そしてポケットの中に殿下からもらったオペラグラスが入っていたことも思い出せた。ありがとう殿下どうかご無事で。
かける、見る、確認する。そして叫ぶ。
「人だああああああああっ!」
無我夢中で走り出す。良かった助かったおなか減ったのど渇いた。どうやら背格好からして子供のようだけどそんなことはどうだっていい、恥も外聞もなく距離をつめる。
うん、子供だ。南の島だからか日に焼けた褐色の肌に白い髪をツインテールになんかしちゃってる子供。ちなみに白衣なんて着てるぞお医者さんごっことか好きなのかな。
「うあわっ!?」
彼女の悲鳴が聞こえた。その瞬間、落ちた。下に落ちる俺。こう、ストンという擬音が非常に良く似合う感じで落ちる。尻餅をついて見上げれば、真ん丸い窓のような穴から青空が見えていた。それから遅れて、少女が顔を出してくれた。
「ビックリしたから防犯落とし穴使っちゃっただろ……」
「王都で人を驚かせるのが流行ってて」
渇いた口が思いのほか動いて冗談を繰り出す。どうやら人にあえた事で、驚くほど舞い上がっていたようだ。
「王都……なんだお前アナザーか」
「あなざー?」
「いやいい、こっちの話」
聞きなれない単語を聞き返せば、彼女は首を左右に振る。
「んん? んーーー?」
と思ったら、今度は俺を凝視してきた。その視線の先にあるのは俺の顔、ではなく。
「ちょっと這い上がってその首についてるの見せてみろ」
レーヴェンに無理やりつけさせられた、パンツイーターの首輪だった。
「その前に一つ頼んでもいいでしょうか」
「ある程度ならな」
だがそれより前に、やることがあった。そう子供にこれを見せるより、もっとずっと大事なことが。
「遭難しました助けてください!」
頭を下げて頼み込む、遅れて聞こえてきたため息についで、放り投げられた一筋のロープが彼女からの答えだった。
案内された先は彼女の家だった。ただそれが豪華と言っていいのか判断に困るところだ。机とか椅子とかはまぁ普通なのだが、部屋の中が何だかよくわからない物体であふれているからだ。白い箱とか黒い窓とか縦に開く光る本とか、何に使うんだろう一体。
「水飲むか?」
「頂きます!」
そういえば彼女は白い箱の扉を開けて、瓶入りの水を放り投げてきた。それをつかめば柔らかく、そして想像以上に冷たかった。
「でだ、アナザー。その首についてるのはどこで手に入れた?」
「旅の占い師に付けろって言われて」
「その占い師、わたしを縦に伸ばしたような感じか」
怪訝な顔で彼女はそんな事を聞いてくる。言われてみると確かに、雰囲気や目の色などレーヴェンに良く似ている。
「言われてみたら」
「レーヴェンのアホか……最近遊びに来ないと思ったらアナザーの国に行ってたのか。こいつらと直接的に関わらないって大原則を忘れたか」
「レーヴェンの事知ってるんですか?」
「ああ、妹だ」
なるほど、あいつの姉だったのか。体型的にはこっちが妹のように見えなくも無いが、魔族にも色々あるんだろう。
「へぇー、お姉さんだったんですね」
それにしてもこの水冷たくておいしいな、いやでもあれかレーヴェンの姉って事は親が一緒って事でそうなるとつまり目の前の子供は。
「ま、ま、ま、魔王の娘!」
「あってるけどハイネって名前があるからそっちにしてくれないかアナザーよ」
思わず取り乱してしまったが、ハイネと名乗る彼女が冷静なおかげで思いのほかすぐに落ち着くことが出来た。どうやら年の功は伊達じゃないらしいが、それよりも気になる事が一つ。
「ハイネさん、そのアナザーって?」
「そのまんま、お前らの種族の事だよ」
俺の顔を指差しながら、ハイネさんはそんな事を言う。
「人間の事?」
「わたしらもな」
「えっ、魔族じゃなくて?」
俺達は人間で、魔界に住んでるそれっぽいのが魔族。そういうものだと今日まで教わってきたのだが。
「そんなファンタジーな呼び方すんな、こっちだって人間様だよ……ただちょっと地元が違うだけのな」
どうやら魔族というのも人間らしい。ただ噂によると寿命がすごい長いとかみんな魔法を使えるとか色んな話があったはずなのだが。
「さっぱりわからないです」
というわけで、理解することをあきらめた俺。多分この人は俺なんかより余程頭が良いのだから、話が合わないんだろうなうん。
「あーいいって気にすんな、どうせアナザーは記憶消して送り返すから明日には忘れてるからな。その首のもこっちのもんだから回収させてもらうけど良いよな?」
「記憶を消して……首輪を外す?」
その言葉に思わず息を呑む。緊張で手のひらに汗が広がっているのが、感覚でわかってしまった。
「まあファンタジー魔族様にも都合って奴があるんだよ。その首輪を手に入れる前ぐらいまで記憶消すけど不都合ないな? あっても知らんが」
「こいつを手に入れる前……」
思い出すのはこの旅の日々。色々な人と出会って、色々な事が起きた。だから俺は立ち上がる。
「おっと暴れるなよ、こいつはこう見えて人一人なら簡単に消し炭にできるアホみたいな武器だ。大人しく従った方が身の為だぞ?」
彼女は俺に筒のようなものを向けてそんな事を言う。だが、それはどうでも良かった。
だって、この旅の記憶が消えるのだ。レーヴェンと出会った事も、偽勇者を追いかけた事も、あのパンツの味も、パンツの匂いも、パンツの食感も、パンツの記憶もパンツパンツパンツパンツパンツ。
――願ったり叶ったりじゃないか。
「ハイネ先生、お願いします!」
だから俺は土下座をする、ハイネさん、いやハイネ先生と呼ばせてください。どうかこの哀れな子羊を、絶望の淵から救って下さい。
案内されたベッドに、手械足枷をはめられる俺。だが何も怖くは無い、目が覚めたら俺は屋敷のベッドから起き上がって朝食を取って散歩でもするんだ。そうだそうに違いない今日までは夢だったけどその前に一つだけ。
「その、記憶を消す前にお願いしても良いですかね」
「ある程度ならな」
「他にも漂流した人がいたら助けて欲しくて……乗ってた船がサーモンが好物のツノ付きのクジラみたいな魔物に襲われちゃって」
そう答えると、ハイネ先生はため息をつく。
「なんだタマか。安心しろツノクジラはああ見えて救助用に品種改良してある。普通にしてりゃ生きてるよ」
「良かっ……いや俺は?」
他の皆が無事なのは良いが、どうして俺だけ遭難なんて目に遭ったのか。その疑問が残ってしまった。
「定員オーバーだったかもしれんが、おそらく人間だと認識されてなかったんだろ。首輪のせいでな」
「どうしてですか?」
「記憶消すし別に説明しても良いか……それな、人に付けるものじゃないんだ」
「その通りなんですハイネ先生」
さすが良くわかってらっしゃる。
「そいつは掃除機用のアタッチメントだ」
「わかる言葉でお願いします」
そんな難しい専門用語じゃなくて患者にもわかる言葉でお願いします。
「アナザーの今の文明レベルで言うと……そうだな、何でも吸い込むゴミ箱の先端につける道具だ」
「ゴミ箱」
声に出すとわかる、ひどいことをされたのだと。
「レーヴェンは知らなかっただろうけどな。ちなみにわたしらの種族が首に付けようとしてもプロテクトがかかってて無理だからな。根本的に遺伝子情報が違うアナザーだからいけたんだろ」
「へぇー」
なるほどさっぱりわからない。
「わかってないな……まあいいや外すぞ?」
「何をすれば良いですか?」
「電源入ってると外せないからな。お前電源どこだ?」
「デンゲン」
そう言ってハイネ先生は俺の体を手袋をはめた手でまさぐり始めたが。生まれてこの方でデンゲンなんて部位聞いたことが無い。
「そうだ電源」
「なんですかそれ?」
「押すと動かなくなるやつ」
なるほどなるほど、俺は体のどこかにあるというデンゲンを押して動かなくならないとこの首輪が外れないと。ってことはだね、凡人の俺の出した結論はだね。
「……死ねってことですか?」
「おいおいアナザー勝手に早合点するな。電源さえ切れてくれれば良いんだから、つまりこうなってああなってそこがどうなってそれでだな」
そんな考えを一笑してから、先生は何やら考え込む。そしてしばらく経ってから、俺の肩を叩いて言った。
「おいお前やっぱ死ね」
「無茶言わないでください」
何だ死ねって白衣着た人間の言葉かよ。
「迂闊だった、まさかアナザーには電源がないなんて……他の対策が必要だ」
「魔族にはデンゲンあるんです?」
「アホかお前、あるわけ無いだろ」
すっごい簡潔に馬鹿にされた。どうして自分には無いものが俺にはあると思ったのか不思議である。
「あ、首輪として気にならないよう可愛くデコるってのはどうだ? うん名案だなこれはちょっと待ってろ」
「デコ……」
難しい言葉を言い残して、先生は近くの棚を漁り出した。それからすぐに先生は小さなピンク色の小箱を楽しそうに持ってきた。明けられた箱の中身は、宝石っぽいものや動物の絵みたいなもので埋め尽くされていて。
「どれがいいかな、キラキラシールだろ、プチジュエルに……おっ、みろよこのカエルちゃんめちゃレアなやつだぞ!」
だいたいがピンク色の宝石っぽいやつだ。カエルちゃんも何だかかわいらしい絵柄なのだが、こう成人した男の首輪には似合わないような気がしたので。
「子供っぽいですね」
思わず口が滑ってしまう。
「今……なんて言った?」
震え始めるハイネ先生だったが、ツインテールでカエルのスリッパを履いている人をそう認識するなってのは難しいような。
「このわたしが……子供っぽいだとぉ!?」
「あ、もしかして気にしてたり……」
「まったくしてない!」
顔を背けて腕を組む先生。その態度、拗ねた子供そのものである。
「どうやらわたしがお前のようなアナザーの何億倍も頭が良いことを証明してやる必要があるらしいな……!」
「いやそれは十分伝わってます」
「その首のを!」
だが話を聞かない先生、俺の首根っこをつかんでこんな事を言い出したのだ。
「パワーアップしてやるよぉっ!」
「いやいいです」
いらないですいいから外して記憶も消してください。
「うるせーっ!」
威勢のいい掛け声とともに、先生の拳が俺の腹にめり込む。やっぱり子供の態度だけど、薄れ行く意識の中でそれを主張するのはあまりに無謀だと思えてしまった。
「目覚めろ……目覚めろアナザーよ」
先生の声が聞こえた。というわけで元気に挨拶。
「あ、おはようございます先生」
「ふいんき!」
注意された。何か違うのか怒られてしまった。
「先生のおかげで病気が!」
「ちがう」
「ふっ……死んだ両親が手招きしてたぜ」
「重い」
「こ、このからだをあふれるちからはーっ」
そう答えるとハイネ先生は声を殺して笑い出す。どうやらこれが模範解答だったらしい。
「くっくっくっ……気づいたようだな、なかなか筋がいいぞアナザーよ」
「ありがとうございます」
「だからふいんき!」
普通にお礼を言ったら怒られた。中々の理不尽である。
「こ、この天才めーおれのからだになにをしたー」
「……今のもう一回」
「おれのからだに」
無言でビンタしてきた先生。まだ手枷足枷があるから何も出来ない。
「こ、この天才めー」
「くっくっくっ……わかってるようだなアナザーよ。気に入ったうちの妹と会話する権利をやろう」
「いやそれはもう普通に」
「あぁん!?」
「ひぃごめんなさい」
ちょっと目が本気だった先生。会話する権利をもらわないと口を利いちゃいけないのかレーヴェンとは覚えておこう。
「まぁパンツイーターの二つの新機能について説明してやろう」
「二つも」
そんなにいらない。
「まずはそうだな……パンツアナライザーだ」
「パンツアナライザー」
「文字通りパンツに備わるスキルを解析する事が出来る画期的な能力だ。これでパンツだけで持ち主がどんな人物か予想が立てられる訳だな」
「変態すぎる」
パンツの解析なんてしたくなかった。
「そしてつぎは……パンツリベレーターだ」
「どうしてパンツ関連のパワーアップなんですか?」
「パンツリベレーターは相手をパンツから解放する事が出来る優れ物だ。ちなみにパンツは霧散する」
「すいません先生そんな風には聞こえません」
パンツからの解放って何ですかそれより手枷と足枷から解放してください。
「こいつは解放されたパンツの持ち主と同じだけの身体能力を得ることが出来る。お前スキル持て余してただろ? これを強い奴に使えば同等以上に戦えるぞ」
「つよい」
思わずつぶやいてしまう。これなら相手のパンツを霧散させた上に俺だけ強くなれるのか。これうまく使えばもうパンツなんて食べなくて良いんじゃないか。
「ただし3分間の時間制限付きだけどな。その後はまあ、相手の程度にもよるが基本全身筋肉痛だ」
やっぱ使わないでおこう。
「ああ、あと間違っても自分のパンツには使うなよ。シミュレートしてみたらバグって初期化されるっぽいから。集めたスキルが全部パーだ」
「俺って自分のパンツ破壊するぐらい馬鹿に見えます?」
「見えてるから説明してんだろアホかアホだなアホだわお前」
すっごい馬鹿にされた。そうか先生には俺が自分のパンツを霧散させるアホに見えるのか。
「まあその……ありがとうございました流石天才ハイネ先生です」
それでもお礼を口にする。最後の言葉が効いたのか、先生はうれしそうに何度も頷いてくれた。ちょろい。
「うんうん、わかったようで何より」
それにしても、先生もとい魔族の力には感心せずにはいられなかった。ハイネの水晶玉もそうだったが、どう考えても俺達との間に力の差がありすぎる。魔王討伐なんてお題目を掲げてはいるが、本気になった彼ら相手に戦う手段など、もしかして始めから。
「じゃ、記憶消すか!」
「待ってました!」
とか小難しいことを考えていたら先生がうれしいことを言ってくれた。そうだ全部忘れよう何か首輪だけついてるけど特に生活には支障がなさそうだし全部忘れて家で寝よう。
なんて考えていると、突然家の中に鐘の音が響き渡った。
「誰か来たな」
「結構お客さん多いんですか?」
「宅配業者が7割で妹が2割で残りは招かれざる客だ」
まぁ先生人付き合いとか面倒くさがりそうですもんね。
「おねえちゃん遊びに来た」
「2割来た」
勝手に扉を開けて、レーヴェンが入ってきた。ベッドの位置のおかげで、首を動かせばうれしそうなその表情が見て取れた。
「レーヴェンか久しぶりだな」
ハイネ先生がそう答えると、レーヴェンはゆっくりと抱きついた。どうやら姉妹の仲は俺が想像しているよりずっと良いらしい。
「近く寄ったから……まてどうしてキールがここにいるの」
と、俺に気づいたレーヴェンの目の色が変わる。敵意むき出しで睨んで来る、こわい。
「浜辺に落ちてた」
「そう」
ゆっくりと台所に寄って、包丁を手に取ってから俺のそばに立つレーヴェン。
「じゃ、キール死んで」
「なんで! 何もしてないって!」
「パンツイーター強化しただろもう忘れたのか」
「それはしてもらいましたけどそういう意味じゃなくて!」
「しらばっくれてもダメ。おねえちゃんが可愛いからあの手この手でとりいって……あまつさえベッドに横たわってるなんて不潔すぎる」
「先生妹の目が悪いみたいです直してあげてください」
「お医者さんごっこまでして……!」
してませんってば。
「まあ落ち着け二人とも、とりあえず事情聞きたいからその辺に座れ」
ようやく仲裁に入ってくれた先生が、レーヴェンから包丁を受け取りソファーを指差す。良かった死ぬことはこれで無くなった。
「友達もいい?」
「ああ、もちろん」
「みんな、入って良いって」
その言葉に従って、ぞろぞろと顔を出す旅の女性陣。まずはセツナの入場です。
「キール様、人が心配していたら幼女とお医者さんごっことはいよいよ貴族らしくいいご身分になられたようですね。感激しました」
「無表情で感激しないでくれる?」
開口一番そんな事を言わないで下さい。はい次のアイラね。
「おじゃまします……とりあえずキールさん、セツナさんに謝ったほうがいいと思いますよ?」
「なんかごめんなさい」
謝罪の言葉を口にする。セツナの顔に目線を向ければ、その瞼が少し腫れていたような気がした。気がしただけ。はい次のシンシアね。
「オーッホッホ、無様ねキー」
「ね、ねぇシンシア様……今日の髪型変じゃないかしら」
横で髪の先をいじっている、元ラシックの取り巻きの武道家の少女も。
「ル=B=クワイエット! どこをほっつき歩いてるかと思っていたら幼女とS」
「シンシア……浜辺で綺麗な貝殻を拾ったんだが君に似合うと思うんだ」
貝殻を手に持って恍惚の表情を浮かべる、元ラシックの取り巻きの剣士も。
「Mだなんて優雅な遊びを覚えたようね? 五分でいいか」
「シンシア姉さま、海、海いっしょにいこ」
彼女の服の袖を引っ張りせがむ、元ラシックの取り巻きのシスターも。
「ら代わってくれないかしら!?」
全員が全員でシンシアの台詞の邪魔をした。なんかもう全員メロメロじゃないか学生のときに良く見た光景で懐かしいわ。
「お前は色々清算してから入れ」
「三人ともステイ!」
シンシアにそう言えば、彼女は号令を出した。そしてそのまま三人を外に放置し、家の扉をゆっくりと閉めた。
「これでいいわね」
俺の知らない間に旅の仲間って言うかペットの雌犬が三人も増えたらしい。躾も十分なさってるようで何よりです。
「ま、アナザーどもも適当にかけてくれ。レーヴェンには……何があったか説明してもらうぞ」
「まかせて」
胸を張って彼女が答える。それに不安しか覚えないのは、なぜだか多分俺だけのような気がした。
レーヴェンが語った旅の顛末は、誇張と主観が入り混じったものだったが、おおむねはいそうですといえる程度のものだった。ちなみに手械と足枷は外してもらえた。
「という感じ」
「それはその、何というか」
話を聞き終えたハイネ先生は、セツナが用意してくれた紅茶を飲み干し机に置いた。きっと呆れて物も言えないのだろう、何せ天才だからなこの人。
「頑張ったなぁ、レーヴェン!」
あれぇ、思ってたのと違う。
「おねえちゃん!」
抱き合う二人、むせび泣くレーヴェン。何とか手を伸ばしその頭をなでる先生。
「わたしは誇りに思う……お前みたいに健気で可愛くてアホな妹がこの宇宙にいることを!」
「頭も褒めてやれよ」
「良かったですね、レーヴェンちゃん……」
「泣く要素ある?」
ハンカチで目頭を押さえるアイラ。何がどう良かったのか解説してほしい。
「で、とりあえず偽勇者もどこかに流れ着いただろうから捕まえてまた本物の勇者倒しに行きたい」
レーヴェンが脇に置いていた水晶玉をハイネ先生に見せれば、彼女はうんうんと嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか、おにぎり作るか?」
「ツナマヨを人数分作って」
そこで、一瞬先生の手が止まる。だめだったのかツナマヨ。
「人数分って……このアナザーどものか?」
「もちろん」
どうやらおにぎりの具の話ではなく、気にしているのは俺たちの処遇についてだったようだ。
「それは駄目だ。こいつらは記憶を消して送り返す」
毅然とした声で答えるハイネ先生。その表情からはもう優しいお姉ちゃんの面影が消えていた。
「なんで」
「お前がこっそりやる分には何も言わんがな、わたしの目に止まったんだそういう訳にはいかないだろ……それにそこのアナザーは知り過ぎたからな」
「記憶消して良いんですよ先生」
俺はそれで良いんだよレーヴェン。
「一応キールに雇われてるからそれは困る。本人は居なくても良いけど」
「セツナにこれからの事を頼んでも良いんだよレーヴェン」
色々方法あるんだよレーヴェン。
「全く、お前は頑固だな」
「おねえちゃんには負ける」
だが二人は笑い合う。鼻をすすり始めるアイラだったが待って何話し終わらせようとしてるの俺の記憶は消すんだよねそれって決定事項ですよね。
「ちょっと待ってろ」
先生はその場から離れ、壁際に置いてあった黒い機械に手を伸ばした。何やら数字が刻まれており、上のバナナみたいな形のものを耳に当てる。
「ああ親父? ああうん、元気元気……それよりだな、レーヴェンが今から帰るからよろしく頼むぞ。ちょっとアナザーどもも一緒に行くから、処遇は話し合って決めてくれ」
ああうん、ハイネ先生のお父上に連絡してるみたいですね方法はわからないけど。っていやそれ魔王だよね処遇って何死ぬ以外あるの。
「親父に頼んでみろ。まあレーヴェンには甘いからなんとかなるだろ」
「おねえちゃん大好き!」
「ああ、わたしもだよ」
また抱き合う二人。やっぱり泣くアイラ、特に表情を変えないセツナ、若干ムラっとしてますみたいな顔してるシンシア。頼むからステイしとけ。
「あの、ハイネ先生!」
「どうしたアナザー」
「俺の記憶消すのは……」
挙手して質問を投げかける。が、先生は両手を広げて首を捻るだけだった。
「親父の気分次第だな。ちなみにレーヴェンが男と旅してたとか知ったら、記憶じゃなくて存在ごと消されるかも……そうなったらウケるな」
何も面白くないんですけど。
「レーヴェン、タマに俺を安全なとこまで運んでもらうようお願いできないか」
「実家タマで帰るから無理」
「そっか」
さらば希望よ。
「さ、そうと決まれば行った行った可愛い妹とその他大勢。今のうちから媚でも売って命だけは助かるよう努力するんだな」
「権力って場所によって変わるんですね」
アイラが席を立ちながらそんな言葉を漏らす。ここにきて大して何もしていなかったレーヴェンは、魔界のプリンセスという立場を存分に発揮し始めたのだ。
「じゃ、また遊びに来いよレーヴェ」
女性陣が家を後にするが、一瞬先生の言葉が詰まった。その視線の先にあったのは、アイラが腰から下げたあの鞘から抜かれない剣だった。
「なあ、そこのアナザー……その剣」
「呼び止めますか?」
先生の横に立って見送っていた俺は、そんな事を聞いてみる。
「いやいい、それよりお前うちに残っても記憶消してやらねーからな」
「最後の頼みの綱が」
自然と居座って記憶を消してもらおう大作戦が失敗した俺の尻に、ハイネ先生の緩やかなローキックがお見舞いされる。仕方なしに歩き始めれば、先生の声が聞こえてきた。
「またなアナザー、生きてたら遊びに来て良いぞ。そっちの国の話も少しは興味があるからな」
「ええ、ハイネ先生もお元気で」
そのまま家のドアを開ければ、南の島の景色が広がっている。青い空白い雲、青い海に白い砂浜。こんなバカンスみたいな場所で、次に俺たちが向かう先は。
「じゃあみんな……魔王城にレッツゴー」