◎スカウト!

 小政党での活動を経て、大政党へ移籍して活躍する議員も存在する。その中でも注目の人物をピックアップ。

○八代英太(前島英三郎)

 山梨放送(YBS)アナウンサーから司会業に転身。青島幸男、中山千夏と共に「お昼のワイドショー」司会となり、これが政治家を目指すきっかけとなった。1976年に舞台から転落し、脊髄損傷の重傷を負い、下半身不随の車椅子生活となる。しかしこの事故により、かえって「車椅子の司会者」として人気を得るようになる。

 1977年参院選に全国区から出馬し当選。1983年は全国区が比例区(拘束名簿式比例代表制)に変わったため、名簿順位を巡って青島や中山らと対立。青島の第二院クラブや中山の無党派市民連合(旧革新自由連合)には加わらず、独自に福祉党を結成、再選した。しかし翌年の1984年に福祉党の解党と自民党への移籍を宣言。政党への投票により得た議席が他党に移譲されるという事態は当時物議を醸し、福祉党関係者は八代の議員辞職を求めた。結局八代は自民党へ移籍し、福祉党は天坂辰雄(弁護士)を代表に1989年まで活動するも、再び議席を得る事は出来なかった。

 1999年には郵政大臣として、通信傍受法(盗聴法)の制定を主導。宮崎学(作家、「新党・自由と希望」候補者)らから強く批判された。2005年衆院選では、郵政民営化反対を理由に公認を外され、引退を勧告される。それに反発し自民党を離党、無所属で出馬したが落選した。その後は、新党大地や民主党に移籍して国政選挙に出馬したが落選している。

○野末陳平

 放送作家・TVタレントを経て、1971年参院選に無所属で出馬。落選するも、村上孝太郎(自民党、村上誠一郎の伯父)の死去により繰り上げ当選。1977年、新自由クラブに入党するも、1983年に離党し、税金党を結党。秋山肇(元新自由クラブ都議団幹事長)、横溝克己(早稲田大学理工学部教授、人間工学者)、星野朋市らを輩出するも、1990年に解党し、全員自民党に移籍した。この解党・移籍は上岡龍太郎(元芸人、新党護憲リベラル支持者)らから痛烈に批判された。

○海江田万里

 野末陳平秘書を経て、経済評論家として独立。税金党から参院選に出馬したが落選。その後、日本新党、市民リーグ、民主党と渡り歩く。現在は民主党代表を務めている。

 海江田が出馬している衆院小選挙区東京1区は激戦区としても知られており、彼も與謝野馨(自民→たちあがれ日本→民主→無所属)や又吉光雄(又吉イエス、世界経済共同体党)らと熾烈な争いを繰り広げ、落選した事もある。久米田康治(漫画家)が、「選挙で海江田に投票したのに落ちた」と著書「さよなら絶望先生」内でぼやいた事もある。

○吉田勉

 サラリーマン新党参院議員で作家の八木大介(木本平八郎)の秘書出身。サラリーマン新党から国政選挙で2回、進歩党から衆院選・町田市議選各1回の落選を経て、自民党に移籍し町田市議に当選。以後4期務め、都議選に2回落選するも、現在は再び町田市議に戻っている。11回の出馬で6回落選している。

 「しょむ研」サイトを運営し始めた頃、掲示板に彼自身が頻繁に自らを宣伝する書き込みを行ない、「自分はミニ政党所属歴があって4回落選した事もある、元祖泡沫候補である。このサイトで自分の特集記事を書いて、大きく宣伝しろ」と要請してきた。現在大政党である自民党に所属している議員を取り上げる事は、サイトの趣旨に著しく反すると判断したため断ったが、すると今度は「自分を取り上げない管理者はおかしい」と、恨みがましい非難書き込みを乱発してくるようになった。

 彼に限らず泡沫候補出身議員は、自分の経験上、ネットを通じても相手に対して非常に尊大で高圧的な態度に出る事が多いように思われる。此処では詳しく触れないが、自画自賛的言動と強権的な態度で掲示板やブログに喧嘩を吹っ掛ける書き込みをしてくる泡沫候補出身議員を、自分は幾人か直接見掛けている。

○友部達夫

 保険会社員、社会保険労務士を経て、1980年に年金相談「中高年110番」などを行う団体、日本中高年連盟を結成。83年、中高年連盟を母体に年金党を結成、酒井広(アナウンサー)や清川虹子(俳優)らと共に国政選挙に出馬するも落選。その間、オレンジ共済組合を設立、高利回りを謳う金融商品を打ち出して莫大な資金を集めた。

 1995年、細川護熙の側近である初村謙一郎に6億円もの工作費を渡し、参院比例区名簿13位で出馬を果たし、当選する。この選挙で新進党は、比例区では30人擁立し、18人当選した。尚、友部は初村をはじめ17人の議員に政界工作を頼んだという。

 1996年、オレンジ共済は倒産し、集められた約93億円の資金は工作費や選挙費用、リムジンやF1マシン等の購入、銀座の高級クラブの豪遊費、ホステスへのプレゼント資金などに使われ、金融商品の出資者には返されなかった。

 オレンジ共済は出資法違反で家宅捜索を受け、後に友部は35人から6億6千万円を騙し取ったとして詐欺罪で逮捕。2001年、懲役10年の実刑判決が確定し、議員を失職。その間、辞職勧告決議が採択されるも、友部は辞職を拒否。殆ど国会に出席する事無く、ほぼ任期満了まで務める事となった。

 友部の逮捕を受け、年金党で共に活動していた酒井は、以後TV出演を自粛するようになった。清川は記者会見で、怒りと悲しみの余り「騙された!」と叫び号泣した。

 95年参院選比例区の名簿順位決定については、初村を通じて細川も強く関与していたと言われる。そして、オレンジ共済事件で被害者支援に当たっていたのが宇都宮健児(弁護士)であり、宇都宮が細川陣営からの2014年都知事選出馬辞退の要請を拒否したのは、「オレンジ共済事件加害者を、被害者側弁護士が支援する事は出来ない」という思いがあったからだとも言われる。

 他には、伊東秀子(共産党→社会党→自民党推薦→国民新党)、高沢寅男(社会党→自民党推薦)、谷畑孝(共産党→社会党→自民党→日本維新の会)、井上一成(社民党→保守党→自民党)らがいる。小政党から大政党への移籍は、信念より保身を重視した行動として非難される事も多いが、落選すれば無収入という不安定な身分という事もあり、生活の糧を安定的に確保する為には、政策など捨て去ってしまって世渡りの上手さのみを最優先するような生き方にならざるを得ないのかもしれない。


◎候補者の遵法意識

 「しょむ研」サイトがまだ「泡沫政治勢力研究会」(泡政研)と名乗っていた頃、某大政党に所属する地元の国政候補のサイトにリンクを張られた事がある。その候補者は法律専門職の資格保持者で、法律家の職能団体では役員も経験している。

 立ち上げたばかりの小さな個人サイトが国会議員候補のサイトにリンクされたという事で、当時は非常に驚きと喜びを感じてしまった。早速御礼のメールを送ると、候補者事務所スタッフから「御宅のサイトにも候補者サイトを相互リンクして、是非候補者のサイトを大きく宣伝してほしい」と返事が来た。要求としては十分考えられる話ではあったが、泡沫候補について語るサイトで大政党の候補を肯定的に宣伝するというのは趣旨に合わないと判断し、リンクは見送った。

 後日、その候補が国政選挙に出馬し、彼の名前が入った選挙ビラも自分の家のポストに入っていた。しかし見てみると、1つの問題に気付いた。証紙を貼っていないのだ。現在の公職選挙法の規定では、候補者名の入ったビラは公示日・告示日当日に選挙管理委員会から支給される証紙を貼らなければ配布出来ない。証紙を貼っていないビラの配布は、当然公選法違反である。しかも、証紙ビラは候補者本人が街頭演説をしている時に、その周辺でしか配布してはならないと規定されている。当日、自分は一日中家におり、自宅周辺で街宣が行なわれた形跡も無かった。

 現在の公選法は選挙活動に関する縛りがきつく、証紙ビラも配布とその準備の為に多大な人員と労力を要する事などから、人員を集められる資金や組織を持つ候補者ばかりが有利になるという事で批判も多い。自分も個人的には、証紙ビラは廃止して各陣営が独自のビラを自由に制限無く配布出来るのが望ましいと考えている。しかし、他の候補者はこの悪法を守りながら活動しているのに、この候補者だけが違法行為に手を染めて許される訳が無い。

 早速メールで「証紙を貼ってない候補者ビラが自宅にポスティングされていたが、あれは公選法違反になるのでやめましょう」と送った。すると、事務所スタッフは「ビラ撒き中の街宣は音量が小さい事もあるし、配布している間に通り過ぎてしまう事もある。お宅が単に我々の街宣を聞いてなかっただけでしょ?」とはぐらかしてきた。

 そこで改めて、「街宣の有無にかかわらず、証紙を貼っていないビラを撒く事は公選法違反。堂々と法律を破っておいて、指摘されると『貴方の勘違い』と逆ギレする姿勢は、プロの法律家として、将来の国会議員(立法担当者)として如何なものか?ビラには証紙を貼る欄もしっかり印刷されているし、それを空欄のまま配布してるという事は、貴方も違法だという事を知った上でやってるのでしょう?誤魔化さず、摘発される前に違法のビラ撒きはやめて謝罪すべき」と主張。しかしそれ以降返事は無く、その日のうちに候補者サイトから自分のサイトのリンクは削除されていた。明らかに意趣返しである。そんな事をしているうち、候補者は落選してしまった。彼の選挙出馬はその1回きりだった。

 因みに当該候補者とは、後に選挙とは全く無関係な場所で顔見知りとなるのだが、機会があれば、いつか彼に直接この出来事についても話してみたい。


◎ただ出るだけ?

 選挙に出る目的は、当然当選を目指す事だと考えられる。又、当選の可能性が低くても、自らの政策・主張などを訴えためとも言えよう。しかし、稀に何を目的として出馬しているのか全く分からない候補者も出てくる。

 2013年千葉県知事選に出馬した佐藤雄介は、出馬会見も開かず、選挙公報も出さず、政見放送にも出ず、掲示板にポスターも貼らず、公約・政策も発表せず、選挙活動も一切行なわなかった。マスコミ取材も一切拒否し、立候補受付の時の説明では居眠りをし、手続が終わったらすぐに帰ってしまい、住民やメディアの前に二度と姿を見せなかったという。当時は「一体何がしたいのか?」と非難の対象となった。他には、2013年長崎県知事選の山田正彦、2013年神戸市長選の久本信也なども、公約・政策の発表や選挙活動を余り活発に行なわなかった。特に久本は、現職後継の久元喜造(自民・民主・公明推薦)と名字の読み方が同じであり、久元の減票工作として、対立候補が擁立したのではないかとまで言われている。

 無論、体調の都合等で選挙活動の継続が不可能な事もある。例えば2014年都知事選に出馬した酒向英一は、体調不良のため投票日前に選挙活動を中止し、郷里の愛知県瀬戸市で療養している。神戸市長選の久本も、選挙告示前から体調不良を訴えており、選挙活動が出来る状況ではなかったという。しかし、矢張り「選挙活動を一切せず、マスコミ取材も拒否する」という本当に「ただ出るだけ」という候補については、一体何がしたいのか、他陣営の差し金なのか、逆に他陣営から活動を妨害されてるのか、等と色々考えてしまう。如何にかならぬものだろうか…。


◎「有効投票」の是非

 自分は、「『どの候補者も当選させたくない、どの候補者にも投票したくない』と思うなら、棄権・白票・無効票ではなく、最も当選の可能性が低い候補に投票し、有効票の形で批判・抗議の意思を示すべき」と以前から繰り返し主張し続けている。

 自分がかつて住んでいた地域は、民主党が凄まじく強い地域だった。小選挙区なら、毎回民主党候補が5割以上の得票を取り、全国的には自民党が圧勝した選挙においても、その選挙区だけは民主党候補以外は箸にも棒にもかからないという状況だった。

 ハッキリ言って、自分が投票しなくても楽々当選する民主党候補に入れる意味は全く無いと考えた。又、小選挙区制導入を先導した細川連立政権の流れを汲む民主党を支持するのは、泡沫候補マニアとしては非常に抵抗がある。一方、選挙政策においては民主党に負けず劣らず酷い自民党を支持する事は絶対にあり得なかった。共産党など、他党は資金不足・組織力不足のため出馬を見送っていた。

 そこで、自分は迷わず幸福実現党の候補に投票した。無論、祭政一致主義に基づく宗教国家建設を目指す同党の政策など、全く支持してはいない。だが、実現党の候補者が当選する可能性は全く無い事を知った上で、「大政党に与しない」という意思を有効投票で示したいというただ一点で投票したのである。

 しかし、この投票行動は多くの知人から批判を浴びた。大半は「民主党に投票し、圧倒的票差で勝たせる事で自民党に対抗する意思を見せるべきである」「民主・自民・幸福の3党なら迷わず棄権し、投票率を低くする事で意思表示とすべきである」「白票や『該当者無し』等と書いた無効票を投じ、無効票が有効票を上回るようにすべきだ」といった意見である。又、「実現党は、自民党や維新政党新風などと同じく右派であり、彼らに投票する事は右翼的な政策を支持した事になる。自民党と実現党の得票の合計が、左派の民主党の得票数を上回る事は避けねばならない」という主張もあった。確かにそれぞれ一理あるとも思わなくもない(但し、自民党から分裂したに過ぎない民主党を左派だと思う事は、明らかに誤りである)。

 海外では、2002年フランス大統領選において、極右のフランス国民戦線党首ジャン=マリー・ル・ペンが泡沫候補という下馬評を覆し、国民運動連合のジャック・ルネ・シラクに迫る2位の得票を獲得し、決選投票に持ち込んだ事がある。この出来事は「ルペン・ショック」と呼ばれ、フランスでネオナチ政権が誕生するのではないかと世界中で注目された。有力候補とされながらルペンに抜かれ3位に終わったリオネル・ジョスパン(社会党)は政界引退を表明し、左派勢力は「ペテン師(シラク)に投票せよ、ファシスト(ルペン)ではなく」と呼びかけた。右派のシラクに投票する事は強い抵抗感があり、洗濯鋏で鼻をつまみ「積極的に支持して投票する訳ではない」という意思を示した人もいたという。尚、この選挙には極右の共和国運動ブルーノ・メグレ(元国民戦線全国代表)や、労働者の闘争、革命的共産主義者同盟、共産党、労働党など各種左派政党、緑の党や「21世紀のための市民性・行動・参加」(21世紀市民行動、CAP21)、「狩猟、釣り、自然、伝統」などの環境政党など、計16人が出馬していた。

 日本の現行制度では、投票率が低くても、無効票がどれだけ多くても、選挙結果は有効票のみで決まってしまう。則ち、有効票で意思表示をしなければ自己満足に終わってしまうとも言えるのである。しかし、当選させるつもりのない候補者に投票し、誤って当選してしまったらどうするのかという懸念もある。どのような形で投票すべきかというのは、自分でもまだ明確に答えを出せていない。しかし、これからも自分の信念に基づいて、「有効投票」という形で意思表示を続けていきたいし、全ての人に「有効投票」での意思表示を行なうよう訴え続けていきたい。まあ、フランスのような決選投票制度(2回投票制)や、オーストラリアのような順位付投票制度(インスタント・ランオフ・ヴォーティング)が導入されればこうした悩みも減るのだろうが…。


後記

 今回は、選挙にまつわる自身の実体験も多く盛り込んだため、エッセイ風にまとまった感がある。選挙が続く限り、しょむ系候補も何処かで誰かがいつか出馬する。今後も動向を見守り、熱心にウォッチしていきたい。