「浅野、暇なら手伝え」
ある日の授業中。
急病で担当教科の先生が休んだため、昼前に行われる授業が自習となった。ピンチヒッターの先生はプリントを配ってすぐに職員室に戻ってしまったから、教室は一気に賑やかになる。プリントを真面目に解く人は少なく、談笑する人もいれば、机に突っ伏して眠る人もいる。
私がプリントを解いていると、突然教室の外から香椎先輩に声をかけられた。絵を描く時以外はかけているメガネ姿はともかく、なぜか体操着姿で人を呼びつけるから、教室にいた誰もが目を丸くした。
「この時間、自習だろ。ああ、昼飯も持ってこい。休み時間までかかるから」
「ちょっ……ちょっと待ってください!」
慌てて席を立って廊下に出ると、香椎先輩は不思議そうな顔をしていた。後ろには苦い顔をする高嶺先輩もついている。
「なんで二人ともいるんですか!?」
「いやぁ、俺も香椎も、今日の放課後は進路面談が入ってて活動できなくてさ。先生に無理言って公欠使ったんだ」
「公欠……?」
確かに部活で平日に大会等があって授業に参加出来ないときは公欠扱いを許可されているけど、非公認である美術部にそれは適用されるのだろうか。
「絵に使う材料を作りに行くから、浅野も誘おうって話になってさ」
「材料って……なんの――」
「ちぃー! なになに、先輩たちと楽しそうなことしてんの?」
話を遮るように後ろから早紀が突撃してくる。見れば、教室の中で数名がじろじろと様子を伺っていた。早紀は私の肩に手をおいて、背に隠れるようにして先輩たちを見上げた。
突然の登場に香椎先輩は顔を歪めると、それを察した高嶺先輩が前に出る。
「浅野の友達?」
「はい! 桑田早紀です。ちぃとは中学からの仲良しでー」
「ちぃって浅野のこと?」
「そうですよ。ちぃの下の名前、『佐知』なんですよ。でも私、皆からさっちゃんって呼ばれてるから、彼女と被るんです。だからちぃって呼んであげているんですー。それに漢字は違うけど、さちって幸せと同じ意味でしょ? 名字と合わせて『幸が浅い』なんて可哀想。名前のせいか、この子は私がいないと何もできないから、ちぃちゃん呼びがぴったりなんです」
余計なことをべらべらと、さも自分が助けているのだと自慢げに語る。聞き飽きた言葉の数々に、思わず吐き気がした。
「ちぃ、こんなにかっこいい先輩と知り合いだったの、なんで教えてくれないのー?」
「えっと……」
「せっかくちぃがお世話になっているし、私も仲良くしてほしいなーって。ちぃのくせに独り占めなんて、随分偉くなったね」
早紀が私の方に笑みを向けるその裏で、突撃されてからずっと掴んでいる肩に力がこもる。骨に突き立てられた指圧で顔を歪めると、ぼそっと耳元で呟かれた。
「私、まだ怒ってるんだからね」
もう数週間も時間が経っているのにまだ根に持っているらしい。反論しようと口を開こうとすれば、肩に食い込んだ指がどんどん沈んでいく。
早紀は平然を装って、また高嶺先輩に笑みを向ける。
「先輩、私も一緒に行っていいですか? ちぃばっかりずるいもん!」
「……だってさ。どうする?」
高嶺先輩は後ろで未だしかめっ面の香椎先輩に問う。
「どうするもなにも、佐知だけで十分だろ」
――え?
空耳が聞こえた気がする。いやいや、まさか香椎先輩が私の名前を呼ぶわけがない。
すると、高嶺先輩が大きなため息をついた。
「桑田さんだっけ? そういうことだからごめんね」
「え? なんで?」
「一応部活での公欠だからさ。桑田さんは入ってないでしょ?」
「でもちぃだって入ってないですよね?」
「佐知は仮入部中だから。公欠扱いだよ」
早紀に負けないくらい、清々しい笑顔で返される。話についていけない私は早紀と高嶺先輩を交互に見ることしかできない。
「ちぃばっかりずるいです!」
「どうして?」
「ちぃは何もできない子なのに、私がついていないと……」
「……しょうがないなぁ」
やれやれ、と肩を落とす。
諦めて連れて行ってくれるのかと察した早紀がぱぁっと顔を明るくした瞬間、高嶺先輩は早紀から私を強引に引き剥がした。
早紀がずっと掴んでいた肩の圧迫感から解放されると、先輩が「昼飯はお弁当?」と聞いてくる。
「今日は購買……です」
「じゃあいいね。香椎と先に行っててよ。俺はお話してから行くから」
普段温厚な高嶺先輩が怒っているところを、今まで見たことがない。いつも笑って流すタイプだから、笑顔に反して似合わない低い声が響くと、後ろで見ていた香椎先輩もビクッと肩を震わせた。
「え、えっと……」
「早く」
「は、はいぃ! 先輩、行きましょう!」
慌てて香椎先輩に駆け寄って腕を引っ張る。一刻も早くここから立ち去らなければならない気がしたのだ。
どのクラスも授業中の中、廊下を駆け抜けて非常階段に非難する。息を整えながら、掴んでいた先輩の腕を離す。先輩もふぅ、と大きく息を吐いた。
「お前……桑田とかという奴と中学から一緒なの?」
「はい……苦手なんですけど、ね」
もう隠す必要がない。私は早紀の印象を初めて口にした。今頃高嶺先輩と何の話をしているのか、心配で仕方がない。それを察したのか、香椎先輩は「大丈夫」だと言う。
「高嶺に対抗できる奴はいねぇから。俺が一番分かってる」
「……それって、大丈夫じゃないですよね」
「さっさと行くぞ、佐知」
「は、はい……ってなんで名前なんですか!?」
「別に。ただのマウント」
香椎先輩が非常階段を降り始める。これ以上聞いても答えてくれないと察して、渋々後を追う。方向はいつもの第八美術室だ。
「何するんですか? 材料がどうとか……」
「俺が描いてた絵、覚えてるか?」
「……まさか」
私が引きつった表情をすると、香椎先輩はニヤリと笑った。
*
教室に戻れなくなった私は、香椎先輩から予備の体操着と軍手を手渡された。何をするかは先程の笑みで何となく察したけど、確実に制服が汚れる作業らしい。美術室で着替え終えると、香椎先輩と合流して校庭に向かう。
他のクラスが授業をしていたが、お構いなしに掻い潜り、つい先日新しく設置されたベンチに辿り着いた。今までは木製だったが、軽くて丈夫なアルミに変わったらしい。まだ傷一つもついていないベンチを見て、ぼそっと聞こえた。
「味がねぇ」
「それは……設置されたばかりですから」
設置されたばかりのベンチに何を期待したのだろうか。
すると、後ろから高嶺先輩が駆け足でやってきた。先程の恐ろしい笑みはどこにもなく、いつもの先輩だった。
「悪かったな、二人とも。ちょっと手こずった」
「あの、早紀は……」
「教室に送り返したよ。ちゃんと説得できたと思うんだけど……なんか喚いてた」
爽やかな笑みで高嶺先輩が言うと、香椎先輩が目を逸らした。何を言って説得したのか、怖くて聞けない。
「とりあえず行こうか。もう宮地さん、始めているんだよね?」
「時間過ぎてるからな。行くか」
「ちょっと待ってください、話が追いつかないんですけど……宮地さんって?」
先を行こうとする二人が顔を見合わせてキョトンとする。どうやら二人とも話した気になっていたらしい。目的地に向かいながら、高嶺先輩が教えてくれた。
「今から行くのは学校近くの工房。芸術コースもよく世話になっていて、資材や特殊な機材を使わせてもらってる。そこの作業員であり、卒業生の宮地さんに会いに行くんだ」
「工房?」
「宮地さんはその中でも特殊だからな。まぁ、行ってみたらわかるよ」
学校の外に出たすぐ近くに工房はあった。
カンカン、と何か叩いている音が響き渡る中、先輩たちは奥へと突き進む。途中で作業員の人と会うと、嬉しそうに手を振って挨拶をする。
奥にいくと、大きな焼却炉が置かれていた。天井は吹き抜けになっており、長い煙突からはもくもくと煙が上がっている。そのすぐ近くで作業をしている強面な男性――宮地さんに、香椎先輩が声をかけた。
「宮地さん、お疲れ様です。手伝います」
「……ん? ああ、悠人か。悪いな、勝手に始めてるぞ」
「ありがとう。なかなか学校から抜け出せなくて……」
「わははっ! お前ら、ちゃんと卒業できんだろうなぁ?」
世間話をしながら、香椎先輩が作業に加わった。慣れた手つきで工具を持つと、宮地さんと一緒に何かの解体作業に入る。
私も何かした方がいいのか、と見ていると、横からマスクのようなものを差し出してきた。
「はい。これから木屑や煙がするから、これで覆って」
「あ、ありがとうございます」
「それと、佐知と俺はここで見学。何かあったら手を出すくらい」
「え? いいんですか?」
「一応、香椎の絵の材料だからね。今解体しているの、何かわかる?」
少し離れた位置で二人が作業しているのを見る。木材と鉄を分けているらしい。取り外した鉄に、妙なカーブがかかっているのを見て、つい先日まで設置されていたベンチであることが分かった。
そして絵の材料と、香椎先輩がカンバスに描いていた下書き。工房に用意された焼却炉――それだけで、何をしようとしているのかわかった。
「もしかして、絵の具に混ぜる灰を作るんですか?」
「そう。ただ、俺達は火をくべて炭と灰になるのを見届けるまで。灰を粉末状にするのを宮地さんに頼んでいるんだ。特殊な方法だから、どうやっているのかは教えてくれないんだけど、香椎が頼んだ粒の大きさに必ずしてくれる、灰の職人だよ」
「へぇ……じゃあ、あの文化祭の時も……?」
「あの時はさすがに火葬場で貰ってきたよ。多少の調節はしてもらったけど」
解体作業が進んでいく。香椎先輩だけはマスクをしていなくて、高嶺先輩に聞いたら「メガネが曇る方が怖い」と言ってつけてくれないらしい。
「多分、ちゃんと見たいんじゃないかな。これから灰になるものを、どの色に混ぜようかとか、今のアイツは勉強や進路よりも絵の方が大事だから」
高嶺先輩が、少し泣きそうな顔をして言う。
そうだ。香椎先輩はあと二年もしないうちに失明するかもしれないと宣告されている。卒業後も絵を描くかはともかく、目に焼き付けたい想いが強いはずだ。
じっと作業を見ていると、顔を上げた香椎先輩と目が合う。
「二人とも手伝ってくれ」
「は、はい! 何をすれば……」
「これを焼却炉近くに移動させてくれ。入れるのは宮地さんにやってもらうから」
先輩の指示で、解体された五基分のベンチの木材を少しずつ移動させる。ひっかき傷や錆びで一部変色しているのは、何年ものの間にいろんな人が使ってきた証だ。
ごうごうと燃え盛る焼却炉に、木材が次々と入れられていく。これをすべて炭と灰になるまで燃やし、余分なモノを省いて粒子を揃える作業に二週間ほどかかるという。
どうしてここまでしてくれるのか。不思議に思っていると、香椎先輩にベンチの絵を依頼したのが宮地さんだと教えてくれた。
「俺が作ったベンチだったんだ。花井先生――元理事長が気に入ってくれて、六基を寄付した。ただ年を重ねるごとに劣化して、そのうち一つが雷で壊れちまったんだよ。丁度ここいらが潮時だったんだ。俺にもう一度同じものを作る力はねぇ。だから廃棄処分をすることになったんだよ」
しかし、丁度その頃に美術部の二人が灰を求めてこの工房に訪れた。絵に混ぜると聞いて驚いたが、宮地さんも興味がわいて灰の調整を引き受けるようになった。
文化祭の絵に使われた花井理事長の遺灰は、話を聞いた時は驚いて整理がつかず、一度は断ったらしい。それでも恩師の遺言だからと、覚悟を決めて遺灰に触れた。
そしてここからは、一休み中の宮地さんが私だけに教えてくれた。
「誰だって複雑な事情を持ってる。先生だって、在校生に描かせることを躊躇ったと思う。それでもアイツらは『誰かに届く絵を描く』と、先生の前で誓ってたよ。息を引き取る数時間前の話だ」
「宮地さんもその場に?」
「遺灰を使わせてもらうんだ。先生が好きだったスズランの花束を持って一緒に行った。……悠人の目についてはどこまで知ってる?」
「……二年もしないうちに、失明するかもって」
「そのせいなのかもな。あの後もウチで灰を作るときは、解体から焼却炉に入れるまで手伝いにくるんだ。……ほら、見ろよ」
宮地さんが顎で指す方を見ると、焼却炉の前でじっと手を合わせる香椎先輩と高嶺先輩の姿があった。
「いつもやってんだ。灰を使う絵を描くことは供養で、人もモノも変わらないんだとよ」
工房に訪れた一週間後、絵の具に混ぜる灰が出来上がった。
私が美術室に行くと、すでに香椎先輩が絵の具に混ぜる作業に取り掛かっていた。いつになく真剣な表情に圧倒され、飲み込まれそうになる。少し離れた場所で、高嶺先輩が腕を組んで見守っていた。片手間に描いているクロッキー帳は近くの机に置かれている。
今日は来ない方が良かったのかもしれない。これだけ集中されていると、私はかえって邪魔者になってしまう。
そっと外に出ようとドアに手をかけると、筆を置く音が聞こえた。
「佐知、ちょっと来てくれ」
香椎先輩の声に振り向くと、高嶺先輩も絵を見て首を傾げている。気になって近寄ってみると、色はまだ塗っておらず、下書きが完成したと言っていた時には無かった、ベンチに女子生徒が座って遠くを見ている構図が追加されている。ベンチが目立たないから人物は描かないと言っていたのに。
「昨日追加した。お前なら、コイツに何を持たせる?」
コイツ、とカンバスの中の女子生徒を指す。メッセージ性の強いものを描く先輩にしては、他人に聞くなんてちょっと不思議な感覚だ。
なぜ女子生徒なのか。なぜ座っているのか。――ふと、頭に過ぎったのは宮地さんの話だった。
「スズランの花束、なんてどうでしょうか」
「スズラン?」
「はい、花井先生に持たせてみてはと」
「……お前、これが理事長だと思ったのか?」
「え? ベンチに関係した女子生徒って、花井先生しか思い当たらなくて……違う人でした?」
香椎先輩は呆気とられた顔をすると、フッと笑みを浮かべた。そして高嶺先輩に向かって問う。
「高嶺、描けるか?」
「見本があれば。……ああ、でもこれは俺じゃなくて」
二人して目を私に向けると、ニヤリと口元を緩めた。……いやいや。
「……私ですか!?」
「言い出しっぺだろ?」
「そうだね、スズランが垂れ下がる感じにすればどうだろう」
「腕を描き直す。目は閉じた方がいいな。範囲はここまで描けるから……」
「あ、あの!?」
勝手に話が進められている。私は了承してないし、ただでさえ宮地さんが香椎先輩に依頼した大切なものだ。そこに私が割り込んで良いものじゃない。
それでも香椎先輩は手早く腕を修正し、高嶺先輩はスマートフォンでスズランの花束が写っている画像を探す。
「香椎先輩、できません!」
「いつものスケッチ通りに描けばいい。高嶺が隣で助言する。小物や花は高嶺の得意分野だ」
「でもこれは先輩の絵です! 私が入ったら……」
「俺の絵じゃない。――これは、美術部の絵だ」
手を止めて、香椎先輩が私の目を見据えて言う。最初に顔をあわせた時と同じ、真っ直ぐで綺麗な目だった。
香椎先輩はあと何枚、絵を描くのだろう。二年もしないうちに失明すると宣言され、受け止めているのかはともかく、先輩はいつも迷わなかった。――いや、迷っている暇なんてなかったのだ。
高嶺先輩だって、卒業したら絵を描き続けるのか分からない。繊細なタッチで描かれるスケッチは、ページの中で今にも動き出しそうで、見ているだけで楽しい。
非公認で在りながら活動を続ける美術部は、明日にも無くなってしまうかもしれない。
だとしたら、私は何の為にここに来たのだろう?
「――やります。やらせてください」
背負っていた鞄から使い慣れた鉛筆を取り出して、先輩に促されてカンバスの前に立つ。すでに描く範囲が薄く描かれている。
「気負うな。修正はいくらでもしてやる」
「それプレッシャーだから。佐知、これ見本ね」
高嶺先輩がスマートフォンに表示された画像を拡大して見せる。そこにはスズランの花束を抱え、目を細めて嬉しそうに笑う女性の姿があった。鼻チューブをつけているのが恥ずかしいのか、花束で隠している。
「理事長と最後に撮った写真。宮地さんがくれたんだ」
「最後……」
この数時間後に花井先生は息を引き取ったと、宮地さんが言っていた。もしかしたら、本当に最後の贈り物だったのかもしれない。
私は震える手を抑えつけるように、カンバスに鉛筆を押し付けた。
抱える花束のレースのシワとか、スズラン以外に挿しこまれた植物を、高嶺先輩と相談しながら描くことにした。私がこう描きたい、と伝えれば、それに沿って助言してくれる。細かい部分も丁寧に教えてくれた。
描き終えた時には、圧倒的な達成感でその場に座り込んでしまった。集中しすぎて酸欠になったのかもしれない。なんとか立たせてもらって、後ろの椅子に移動される。
私が描いた下書きを見て、香椎先輩はしばらく黙っていたけど、いつになく優しい笑みを浮かべていた。
「やるじゃん」
香椎先輩は用意していた、ベンチの灰を混ぜた緑、茶、焦げ茶、黄色、灰色の絵の具を揃えたパレットを片手に、筆を取った。
沈黙が流れ、緊張感が走る中、迷う暇なくずっと前から決めていたように色を取り、下書きに沿って塗っていく。丁寧に、かつ慎重に。
同時に筆を置く度に絵の具に含まれているベンチの灰が、カンバスに馴染んで溶けていく。それはまるで粉末状に砕いた遺骨を海に撒く――散骨そのものだ。
私には、香椎先輩は絵に命を吹き込む画家ではなく、絵に描かれたモノへの想いを込めて灰を撒く納棺師に見えた。
*
絵が完成したのはその三日後だった。下書きを描いた翌日からバイト三昧で完成をまだ見ていない私は、授業が終わると駆け足で美術室に向かう。
すでに香椎先輩がいて、後から高嶺先輩が宮地さんを連れて来るという。
「バイト、大変そうだな」
「これでも融通が利く方なんですけどね。それより絵はどうなりました?」
「慌てんなよ。宮地さんが来たら見せるから」
ちょうど美術室の扉が開いて高嶺先輩と作業着姿の宮地さんが入ってきた。会うのはこれで二度目だが、どこか顔が強張っている。
「母校とはいえ、何十年も前の話だ。緊張するさ」
「外見に似合わずね」
「千暁、お前って奴は……」
「はいはい! 集まったことだし、お披露目するか! 香椎、準備!」
「もうできてるよ」
香椎先輩が中央にあるイーゼルを指さす。白い布がかけられたその下に、カンバスが置かれている。私もまだ見ていない、ベンチの灰を混ぜて描いた絵。
「気に入ってくれるといいんだけど」
高嶺先輩がそっと布を外す。現れた絵に、私は息を呑んだ。
見慣れた校舎と植え込みを背景に、どんと構えたベンチがある。解体前は劣化で灰色と化していたベンチも、生き返ったようにどっしりとした焦げ茶の木材と緑色の脚がついていた。
そこに座るセーラー服姿の少女は、枝垂れるほどのスズランの花束を胸に抱え、口元を隠して笑っている。小鞠のようなスズランは、白と淡いピンクで愛らしく飾られていた。
更に風に吹かれて髪がなびく中、舞う花びらの他に淡い水色で描いた涙も混じっている。下書きの段階ではわからなかった、香椎先輩らしい工夫だった。
なによりあの中の、スズランを自分が下書きをしたと思うと、なにか込み上げてくるものがあって、思わず唇を噛んだ。