「そういえば浅野、中学の時のコンクールで入賞したことあるんだって?」

 美術部に顔を出すようになって一ヶ月半が経った頃、二人の先輩は私を「浅野」と呼び捨てるようになった。
 かくいう私も、上級生に失礼がないようにと敬語を固めていたのに、いつの間にか下手な敬語を使い回していた。
 距離も縮まって、今日も美術室で見学していたところに、高嶺先輩が満面の笑みを浮かべて聞いてくる。しかも掘り返してほしくない、中学の時に描いた風景画の話だった。

「…………」
「そんな不機嫌な顔するなよ……もしかして聞いちゃいけなかったか?」
「絵が描ける二人に見せられるほどの出来じゃないので」
「気にしないって」
「私がします!」

 いったいどこから聞いてきたのか。
 いつもの特等席でうなだれていると、ずっとカンバスと向き合っていた香椎先輩が突然、棚から新しいスケッチブックを一冊取り出すと、鉛筆と一緒に私の前に差し出した。描け、とでも言っているのだろう。

「……描けませんよ。私、下手だし」
「浅野の言う『絵が描ける(・・・・・)』って、上手いか下手かしかないのか?」

 香椎先輩の言葉にそらしていた目を向ける。いつも無表情な先輩が、苛立っているように見えた。

「パブロ・ピカソの『夢』や『泣く女』みたいに、パッと見たときに首を曲げて見たり、不思議だと思う絵は下手か? 幼稚園のクレヨンで描いたもじゃもじゃの物体を上手いと思うか?」

「えっと……」
「同じ人間なんていないし、表現は自由だ。だから上手くても下手でも良いんだよ。それ見て共感する奴が一人でもいればそれでいい。だから気にすんな」
「…………」

 そう言われても、私にはしっくり来なかった。強気な先輩と違って、私にはそこまでの勇気はない。
 絵はただの気まぐれで、中学の時だってたまたま入賞しただけだ。
 沈黙が続く中、高嶺先輩が口を開いた。

「……気付いてるか分からないけど、俺と香椎が描いてる時の浅野、ボーッとして見ているというより、いいなぁって顔しているんだよ」
「え……?」
「美術部に入ろうとしたのだって、絵が見たかっただけじゃないんでしょ」

 思い当たる節があって、目を逸らす。
 確かに絵を見たいだけなら、絵のありかを聞けばいいだけの話だった。それでも非公認の美術部に一ヵ月も入り浸っている私は、ただ居心地が良いだけじゃなくて、また描けるようになりたいと願ったのかもしれない。

 差し出されたスケッチブックと鉛筆に手を伸ばす。中学以来の、ざらついた用紙がすでに懐かしい。

「……何を、描けばいいですか?」

 私がそう問うと、香椎先輩は呆れた顔をした。

「そんなの、お前が好きなモンでいいんだよ」