日常は突然変わったりする。
僕は、ラノベ主人公のように、幼馴染の菜乃葉と毎日一緒に登校していた。
しかし、なんと驚いたことでしょうという感じなのだが、菜乃葉に彼氏ができたらしい。
したがって、菜乃葉は毎日、そのイケメン彼氏と登校し始めた。
ゆえに、僕は一人で登校し始めた。
まあ別に一人で登校している人くらい沢山いる。
だからそんなことで僕は落ち込んでいたりはしない。
けれど、僕は実際今、落ち込んでいる。
なぜかと言えば、菜乃葉に、「邪魔だね」と言われてしまったからだ。
まあもともと菜乃葉はなんでもはっきりという方だった。
特に、僕には遠慮なく。
だから、彼氏と登校したいという気持ちもあり、特に悪気もなく、邪魔と言ったのだろう。
僕もそこまで嫌な気持ちにはならなかった。
だけど、なんだか落ち込んでしまっているのだ。
……うん。まあ特に何も気にすることはないだろう。
というわけで、無事学校に一人で到着し、さらに特筆すべきこともないような学校生活を送った。
そして家に帰って、のんびりごろんごろん昼寝を始めた。
電話がかかってきた。
その音で、昼寝をしていた僕は起きた。部屋が薄暗い。もう夜な気がする。
ベッドから立ち上がってスマホのところまで行って、電話に出る。
「もしもし? 先輩ですか?」
「そうですな」
基本的に名前プラス先輩で呼ばれるのが普通であると思っている僕は、先輩単体で呼ばれると少し違和感がある。未だに。
でも、まあ電話の向こうにとって、「部活」の、先輩は僕しかいないのだから、仕方がない。
「あれ? 先輩寝起きですか?」
「……すごいなあ。なんでわかるの」
「部室で寝てて起きた時の声と似ていたからです」
「なるほどな」
僕のことを圧倒的に把握してる。
「で、先輩、私がなんで電話してきたかっていうと。大階段の上で星を見ませんか? というお誘いです」
「おお……いいよ。行く」
僕は答えた。
そして思い出す。
一年前。
中学生だった後輩が、文化祭に見学に来た時。
✰ ○ ✰
「はあ……荷が重すぎる」
「なんでそんなに責任を感じてんの?」
菜乃葉が気楽そうに僕の横にいる。
「当然だろ。先輩たちが代々引き継いできた伝統のプラネタリウムの存続が、僕一人にかかってんだよ」
「あー、あの巨大ビーチボール二つに割ったみたいなやつね」
「そうだよ」
僕の所属する天文部は、廃部の危機だ。部員、僕一人。実績は今年は今の所なし。
この文化祭で実績を残せなかったが最後、廃部になる。
正直、廃部になってもいいとは思う。天文をやりたい人が来たら、頑張って立ち上げればいい話だ。
けど、一つだけ問題があって、それがプラネタリウムの問題だ。
代々、予算の半分以上を使って進化させ続けたプラネタリウムは、大教室にどかんと居座る、大きなドームだ。
全て一から自作……らしい。というのも僕が入学した時にはほぼほぼ完成形だったのだ。
まあそんなとにかくすごいプラネタリウムがあるわけだけど、問題は、廃部になったらそれがどうなるかということだ。
壊される気しかしない。
というか誰も得しない、ただのでかい物体になってしまう。
なので僕は、せめて、プラネタリウムだけは守るために、最低限、部活が存続するくらいには一人で文化祭をがんばんなきゃいけない。
んだけどなあ。
文化祭が始まると、すぐに僕は絶望した。
僕は基本は絶対教室にいないといけない。
だからビラを配ったり、宣伝したりできない。
正直見に来てくれたらそこそこ満足してもらえる自信はあるのだが、集客力がそもそも皆無だった。
これは一回目の公演は、やってもやんなくても同じですかね。
と結論づけかけたところで、
「あの。プラネタリウム見に来ました」
中学校の制服を着た、一人の女の子が現れた。
「南の空をご覧いただくと、こちらに火星が見えます。そして南西の空には、低めのところにみずがめ座、やぎ座、さらに見上げると、こちらにペガスス座が見えます……」
ドームのど真ん中にたった一人だけ座っている女の子がいる。
その女の子だけに向けて、僕はプラネタリウムの中で話していた。
やらないよりはマシだけどなあ……。正直、このままだとやばい。
そういう思いが頭を占めているけど、せっかく来てくれた人に、そういうのが伝わってしまうのは良くないだろう。
だから僕は、ひたすら熱心に説明を続けた。
そして、高校受験生向けモードも発動する。
「では、皆さんが新入生として高校に入学した時には、どんな星が見えるでしょうか。来年の四月三日の空を見てみましょう」
……皆さんってなんだよ一人なのに。台本丸おぼえしてるからこういうことになるんだよな。
とか自分をちょっと責めながらさらに僕は話す。
「……えー、これでプラネタリウム公演を終わります。もし、渚ヶ丘学園に入学したら、是非天文部に入部してください」
もうその時あんのかな天文部? まあいいや。
「ありがとうございました」
終わった……。
ごめんなさいほんと寂しい感じで許して。
僕はそう思いながら、プラネタリウムの電気をつけた。
「あ、面白かったです、ありがとうございました」
女の子は頭を下げて外に出て行った。
うわー、めっちゃ寂しいところに来ちゃったわミスった。そんな風に思ってるんだろうなあ。
僕はかなり萎えながら、誰もいなくなったプラネタリウムの端にいた。
✰ ○ ✰
それなのに、春。
奇跡的に存続は許された天文部で、一応チラシを教室の前に置いといて、一人でだらだらしていると、女の子がやってきた。
「入部したいです」
「え、まじ?」
そうして、今は後輩だ。
大階段とは、学校の近くの大きな階段である。
そこの上は見晴らしが良くて、東京都内だけど、頑張れば富士山も見える。
そんな場所は、空も広く見える。
早めに行って待っていると、後輩がやってきた。
「先輩。こんばんは……さむい」
「そりゃあ一月の夜だから」
「ごめんなさい」
「いや、久々に会えてよかったし、ほら、すごい天文部としてはいい日だな」
「そうですね……今日やりたかったことも、それなんです」
「星を見たい……ってことか。今日すごい晴れてるな」
「はい」
僕は後輩の横顔を見た。
階段の上から二段目に座ってみる。
そうして見上げると、後輩の横顔、そしてその先に、星が見えるようになる。
僕は南東の空を見ている。
圧倒的に目立つのはオリオン座。
「ねえ先輩」
「どうした?」
「天文部、なくなっちゃっても、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だと思う。プラネタリウムは、児童館がもらってくれることになったんだ。これからも現役だよ、ぶっ壊されたりはしない」
「それはよかったです」
後輩は安心したように笑った。
今は後輩は高一、僕は高二だ。天文部がなくなった来年はどうしようか。
「……とにかく、逆に今までよく持ってたとは思うけど」
「天文部がですか?」
「そう」
「確かに、なんでなくなるのというより、なんでなくならかったんだって感じですよね」
「そうだな……多分プラネタリウムの行き先が見つかるまで待っててくれたんだろうな」
僕は夜空から後輩に焦点を移した。
「でも、無くなるのは寂しいですね」
「まあ……そこそこはな。でも、ひかりはさ、こんな潰れそうな部活に時間取られたら友達付き合いにも支障が出るしやだって……」
後輩……ひかりは前にそう言っていたのだ。
「まあいやでしたよ? 確かに。私、そこまで星に興味があるってわけでもないし……」
「そうなのか?」
それは初めて聞いた。
「はい。どっちかっていうと、興味があるのはプラネタリウムの方です」
「そうか。プラネタリウム……」
「私、昔体弱くて外で遊べなかったので。星もあんまりみようとは思わなかったんです。でもある日、小学校の科学館見学でプラネタリウムを見て、すごいなぁって」
「なるほど」
「なんか初めてみんなと同じだけ楽しめた気がしたんです。運動会とか学芸会とかあんまり楽しい思い出はなくて。不器用なので展覧会は大嫌いでしたし」
「まあ……確かに不器用かもな」
プラネタリウムの補修をしようとしていた時、めっちゃさらに破壊しようとしてたし。
「返答がそれですか。全く……」
「ごめんね」
「いえ……まあとにかく! そういうわけでプラネタリウムは……好き、なんですよ」
「うん。よくわかった」
僕はうなずいた。プラネタリウムが好きなひかりがいたおかけで、最後寂しく、一人で天文部ごとさようならするなんてことにならずに済んだ。
ひかりに感謝だなあ。
それからさらに星を眺めていた。
オリオン座よりもさらに東に、双子座とこいぬ座が見える。明るいプロキオンを見ていたら、ひかりは僕に話しかけた。
「ねえ先輩。あのですね。知ってましたか? プラネタリウムって、別に天文部に入ってなくても見れるんですよ」
「……まあ、そうだな」
確かにそれはそう。だけど、なんでだろう。「私がプラネタリウムが好きってだけで天文部に入っているのはおかしくないですか?」みたいなことをにおわせて来る。これって……。
「私、でも、やっぱり、天文部に居たいなあって思うんです。ずっと、思ってたから、今までいました」
「……ありがと」
「いえ、私、楽しかったですし……それに、えーと、私、先輩に恋してるんで……好きなんですよ。先輩が」
「……」
予想はしていた。というか期待していた。天気がいい日に、今日の夜は星がすごくきれいに見えるだろうなって期待するように。
「……すごい最後になっちゃいましたね。言うの」
「ああ、うん……」
僕は考えた。僕はひかりが好きだ。ずっと二人で星をたくさん見た。プラネタリウムはもっとたくさん見た。だから、すごくゆっくりと好きになっていったんだな、と思う。空を、星がゆっくりと動くみたいに。
「僕も好き」
だからそう続けた。
「えへへ……うれしいです」
そうして、僕たちは両想いだと分かった。
だけど、なんか無言になって。
ひかりが先に口を開いた。
「今度、デートに行きませんか?」
「おお、行こうか。どこに行きたい?」
「……考えておきます」
そう答えたひかりは、綺麗な星空ではなく地面を見ていて、少し何か悩んでるようだった。
それから、次の日になって。
一人で登校していた僕は、菜乃葉に声をかけられた。
「おはよー」
「お、おはよう。あれ? 今日は彼氏との登校はどうしたんだ?」
「今日はなし。すごい早い朝練で、朝6時とかに家出るんだってさ。さすがに眠いし」
「ああ……なるほど」
菜乃葉はすごいよく寝る。睡眠を大切にする人なのだ。睡眠をとると、可愛くなって胸も大きくなると演説されたこともある。実際にどうなのかは知らないが。
まあとりあえず菜乃葉は可愛くて胸も大きい。ほんの少しは説得力あるのかなと思いながら、久々に隣に来た菜乃葉を僕は眺めた……ら、びっくりした。
「え、なんで涙目なの?」
そう。菜乃葉は涙をためて、こちらを見ているのだ。
「ごめん……ちょっと昨日の感動シーン思い出しちゃって」
「え、何の感動シーン?」
「は? 本人が自覚ないとかマジですか? 廃部が決まった天文部の最後の星空観察でカップル誕生の感動があったでしょーが!」
「うーんと、なんでそれ知ってるんだ?」
ひかりと付き合うことになったのは、菜乃葉にはまだ言っていない。誰にも言ってない。
「あ、こっそり見てたってこと忘れてた」
「おい。何でこっそり見てたんだよ」
「な、なんか気になってさ、ちょっとなんか元気なさそうだったから健吾が」
菜乃葉が心配そうな口調に変えてきた。あ、そういや、ひかりが僕のこと「先輩」って呼ぶせいで僕の名前初登場な気がするけど、僕の名前は健吾ね。
「僕そんな元気なさそうに見えた……?」
見えたとしたら、その原因は菜乃葉に邪魔って言われたことだと思うんですが。
「うん、ちょっとね。まあ、幼馴染の私にやっとわかるくらいかな~。で、もしかしたら私が邪魔って言っちゃったせいなんじゃないかと」
「……それかも」
「やっぱり。ごめんね……あのね、なんかちょっと二人でいたいなって思っちゃってはっきりと言っちゃった」
「うん、大丈夫。二人でいたいよな。わかる」
「あ、わかる? もしや今も、もしかして私とじゃなくてひかりちゃんと登校したくてたまらない?」
「いや、今は菜乃葉とでいい」
「ふーん。なんかね、私も今は健吾とでいいかなって思うよ」
「調子いいなあ菜乃葉は」
「あーほんとにそう思ってるのに~。まあいいよそれは。それより、デートとか早速行く感じなの? デート二十三回した私がアドバイスしてあげるよ」
二十三回も行ったのかよ。それ一日複数回してないですかデート。あ、というか、そもそも付き合う前からデートしてるのか。
僕とひかりはそもそも天文部の活動以外で二人で何かしたことはない。
まあそれでも、かなり長い間二人でいた時間はあったんだけど。
でも、両思いだと分かった後、昨日は少し微妙は雰囲気になってしまった。あれはいったい……。
「おーい。デートとか行くのって聞いてるんですけど」
「あ、ごめん。行く予定ではあるんだけど。でも、なんか少しきごちない感じなっちゃって昨日の最後に」
「へー、なんで? 私と彼氏なんか付き合うってなった時、お互いいろいろ爆発してどこまで行っちゃうか心配になるレベルだったよ」
「どこまでって……すごいな」
「そこに感心しない。ていうかさ、そう言う雰囲気なったんだったらちゃんと解決しないと」
「どうやって解決すればいいの?」
「私に訊いても答えは出てこないよ。昼に星見えないなーって言ってるもんだよ」
まあ確かにな。ひかりはひかりで、ひかりと菜乃葉はだいぶタイプも違う。
ひかりと話そう。
僕は、朝の通学路で、そう決心した。
私は好きって何だろうって思ってた。というと、どういう気持ちが「好き」って気持ちかとか、そういうことかと思われるかもしれないけど、どちらかというと、相手に好きって言われた時に、それってほんと? って思ってしまうのだ。
そういう癖がついてしまったのには、原因があって。
私が昔、体が弱くて入院していたころ。
クラスのたくさんの人から、お手紙が届いた。
「ひかりちゃん。また遊ぼうね。大好きだよ」
まあ書いてあることを要約すればみんなそんな感じ。
私ってひねくれてるから。
ふうん、って思っちゃった。ほんとに好きなのかなって。
でも、それでもすごくうれしかった。
だけど、実際に学校に行くと、やっぱりひねくれた私の考えが正しいのではないかと思った。
みんな、私を遊びに誘わないし。まあ、とろい私と遊んでも楽しくないんだよね、うん知ってるって感じで、わたしはそれに対してムカついたり悲しんだりはしなかった。
それからもずっとそんな感じ。数えきれないくらいの「好き」をもらった。
そんな私は、基本的に受け身のことが好きだった。ここでの好きはどういう好きなのかまた考え始めるときりがないけど、たぶん、逃げた先に残ったものに対して「好き」という感情を抱いているのではないかと思う。
で、受け身のことって何かと言えば、プラネタリウムのことだ。他にも、映画を見たり、劇を見たりするのも結構好き。
こういう受け身のものって、一人で見ても、みんなと同じだけ楽しめる。
私はそういうのが好きだった。
だから、高校の文化祭に一人で勇気を出して行った時も、気がついたらプラネタリウムにいた。
そしたらまさかの一人だけだった。
正直逃げ出したかったけど、説明してくれた人……先輩が、すごく一生懸命だったから、私は最後までいた。でも、終わったらやっぱり居づらくなって急ぎ目にプラネタリウムを出た。
私は、そのプラネタリウムを出た後に、不思議な気持ちになっていた。
先輩の顔が記憶のしばらく離れなさそうな領域にある。それに、なぜか、「先輩とプラネタリウムを作りたい」と思ったのだった。
私はもしかして、これが本当の好きなのではないかと思った。だから、私は、高校に入学して、先輩しかいない天文部に入って、そして、先輩とプラネタリウムを作った。
やっぱり好きだった。
楽しかった。自分が何か行動して、それが楽しいっていう、その経験が初めてだった。
そして。
誰かに恋したのも初めてだった。
私は、初めての「好き」を二つも体験できた。
そんな中、天文部が廃部になることが決まった。
だから私は、まず、先輩に、好きって気持ちを伝えようと思った。
ちゃんと伝えられたし、先輩は私に好きって言ってくれた。
けど、ここで、私のひねくれが出てしまった。
先輩って、ほんとに好きなのかな、私のこと。
いままで、うすっぺらい好きをたくさんもらってきた。だから、私は、そう思っちゃった。
先輩にはすごい可愛い幼馴染がいる。その幼馴染のことがほんとは好きなんじゃないかな。でも、その幼馴染には彼氏がいる。美男美女カップルだからすごく有名で、私も知ってる。
先輩は、幼馴染とは付き合えないから、仕方なく私に好きって言ったんじゃないかな。
そういう風に考えてしまうのだ。
ほんと良くないなあ私。
私は、自分に自分でちょっと怒ろうと思った。
けど、その時に、それを遮るかのようにスマホが鳴った。
先輩からのメッセージだった。
『今日の放課後、プラネタリウムのお別れ会をしたいんだけど、空いてる?』
「先輩、お待たせしました」
もうすぐ農芸部かどこかの部室になる天文部の部室。
そこの大部分の空間を占めるプラネタリウム。
その前で、僕が待っていると、ひかりがやってきた。
「最後に一回、このプラネタリウムを思う存分見たいなって思って」
「はい。私も見たいです」
ひかりはうなずいた。
二人で中に入って電気を消す。そして、スイッチを入れると、半球いっぱいに小さな光の数々がともった。
「綺麗ですね。やっぱり」
「そうだな。綺麗。でもさ」
「はい」
「よく見るとやっぱり星空よりはきれいじゃないんだよね」
「……」
「あそこ、今はさそり座が見えてるところあるじゃん」
「あります」
「あそこ、ほら、ドームがゆがんでるから、ちょっとゆがんだサソリに見えるよ。よく見ると」
「確かに」
ひかりはうなずいた。そしてそれから、思い出したようだ。
「あ、あそこがゆがんでるのって……もしかして、私が昔激突したからですか?」
「そう」
思い出してくれたか、と嬉しくなって僕は笑った。
ひかりが入学してから間もないころ、光が遮断されたプラネタリウムの中をひかりが戸惑いながらさまよった結果、地平線近くの星々に激突。
さそり座を大破壊してしまったのだ。
「あの時は自分がどこにいるのかわからなくなって、焦ってしまいました……」
「まあ、こうして眺めていると結構広く感じるけど、実際はそこまででもないんだよね」
たかが、教室の中に納まる大きさだ。実際の夜空は宇宙の果てまである。無限倍ではないけど、感覚的には無限倍。それくらいの差がある。
「……やっぱり、ほんとの夜空の方がいいですかね。昨日もすごくきれいでしたし」
「まあ、一般的にはそうかもな」
「一般的には……」
ひかりはそうつぶやいて、天頂付近を見上げた。今うつっているのは夏の夜空。天頂付近にはこと座があり、ベガが明るく輝いている。
「あ、あそこ、ちょっと光漏れてませんか?」
「ほんとだな。テープがはがれかけてるかな」
「なんでテープで穴ふさいでいたんでしたっけ……って、私が修理しようとしたら穴を広げちゃったんでした……」
「そうだな。まあテープちゃんと張ればふさがるから大丈夫だよ」
「はい……でも、私このプラネタリウムに悪影響しか与えてないのでは……」
「それはないよ。いろいろあるよ。ほら、六等星までちゃんと再現できたのはひかりのおかげだし。星座のイメージの絵だって可愛くなったよ」
「はい……ありがとうございます」
ひかりは、見上げるのをやめ、薄暗い中、僕の方を見た。
だから僕は、今、このプラネタリウムの中で、ひかりに一番言いたいことを言うことにした。
「昨日見た夜空はすごくきれいだったけどさ、僕は、このプラネタリウムの中の星の方が好きなんだよね」
「……」
ひかりはだまった。もう今までかなり一緒にいたから分かる。ひかりは「好き」という言葉を使うと考えこむ。
「好きってなかなか難しい気持ちかもな。ぼんやりと見える星みたい」
「えっ」
「考えたことない? そういうこと」
「あります。すごくあるんですけど、私以外に考えてる人がいるとは思いませんでした」
「みんな考えたことくらいはあると思うよ」
「そういうもんですか」
ひかりは意外そうで、そして少し子供っぽい女の子のような雰囲気だった。
「星空ってどう見えるか決まってるじゃん。まあ、星の位置は違うかもしれないけど。でも、きっと僕がいなくたって、ひかりがいなくたって、同じ風に見えると思う。だけど、このプラネタリウムで見れる星空は、間違いなく、ひかりがいなかったら別な風になってたし、僕がいなかったら、また違った夜空になってた」
「……それはそう、ですね」
「だから、このプラネタリウムを見ている今、僕の中にはひかりとの思い出が、流れ星みたいに降ってきているし、その流れ星は、これからもずっと、流れたらいいなって思うんだ」
「……それが、先輩の好きって気持ちなんですね」
「うーん。どうなんだろう。自信なくなってきた」
「たよりない先輩です。でも……なんかうれしくなってきました。私も……私も、これからも先輩と一緒にいれたらって思うので! 天文部がなくなっても!」
ひかりはそう言って、体の向きも変えてまっすぐに僕を見てきた。
「うん。そうだね」
僕はひかりに、今までで一番大きくうなずいた。
「……先輩、もう少し、近くに行ってもいいですか?」
「うん」
ひかりは、自分の椅子を、僕のすぐ隣まで寄せる……と思ったのだが。
同じ椅子に座ってきた。
「せ、せま」
「い、いやですか?」
「ううん」
このプラネタリウムはもうすぐ児童館に移される。そうすれば、きっとまた、違った夜空になっていくんだろう。
ひかりと僕がこのプラネタリウムに思い出を込めるのも、ここまでだ。
ひかりの体があったかい。空調が壊れるどころか突然この場所が極寒の地になったとして、それでも、ひかりとこの創られた夜空を眺めていたい。そう思う。
だから、僕とひかりはずっとそのままでいた。ひかりは徐々に僕に身体を預けてきた。そして、徐々に、最終下校時刻が迫っていた。
そして、チャイムが鳴った時。
世界で、いや宇宙で二人だけしか見ていない夜空の下で、ひかりと僕は、キスをした。