いつかの男の子がまた1人で遊んでいる。
(またこの夢…?)
男の子に女の子が近づいた。
「ねぇ!いっしょにあそぼう!」
「でもぼく、つまんないんだって」
「だれにいわれたの?」
「みんな」
「じゃあおえかきしよう!そしたらふたりともたのしいでしょ?」
「…うん!」
そして2人は楽しそうに絵を描いた。
━━━この2人は誰なのだろう…?

 トッタッタッと軽やかなリズムで階段を降りる。
「おはよう。今朝はやけにご機嫌ね」
朝食の良い匂いを漂わせたリビングに入ると、優しい笑みを浮かべた母さんがいた。
「おはよう。ちょっとね」
今日は朝倉先輩と出かけてから初めての学校だ。美術室で夕海さんに会ったらその話をしようと意気込んでいる。もちろん、誘う勇気をくれた感謝も伝えようと思う。
「そういえば、そろそろ球技大会ね。頑張ってね。去年は風邪ひいちゃったて出れなかったんだから今年はちゃんと体調管理するのよ」
(球技大会…?)
はっとしてカレンダーを見ると、2週間後に母さんの綺麗な字で「球技大会」と書いてある。サッカーボールのイラスト付きで。
「昔は絵を描くのと同じくらい運動も好きだったのに、サッカーボールにも随分触れてないでしょ?」
静かに頷く僕を見て母さんは少し不安気な表情をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻して、「頑張ってね」と言った。

 先程とは打って変わって、僕の足取りは重かった。母さんとの会話を思い出しては小さく溜息をこぼす。体を動かすことは嫌いではない。むしろ好きだ。しかし小学校低学年の時、よく僕は友達と休み時間にサッカーをしていたのだが、1人の子が何気なく言った。「渉はなんかつまらない」と。今思えばその一言はそこまで大したことではなかったのかもしれない。しかし当時の僕はその言葉に酷く傷ついたのを今でもよく覚えている。それから、サッカーだけでなく皆と何かをしている時はその苦い思い出がよみがえるのだった。
(そういえば、夢の中の男の子も同じようなことを言われていたような…)
「あ、内海」
声のした方を見ると和泉君と水野君がいた。2人は幼馴染で、和泉君は一年生ながらサッカー部のエースとまで呼ばれるほどサッカーが上手いらしい。ちなみに二人とも僕と同じクラスだ。
「よっ!」
先に挨拶してくれたのは和泉君。友達と呼べる人が少ない僕だけど、彼はこうやってよく挨拶をしてくれる。
「おはよう、和泉君水野君」
「おー」
そう言っていつもより気だるげに挨拶をする水野君はきっと朝が弱いのだろう。彼の新しい一面を知れて自然と口角が上がる。
「もうすぐ球技大会だな」
わくわくしたような口調で言う和泉君は本当に球技大会が楽しみなんだろう。反対に、水野君は少し顔を顰め、嫌だな…と小さな声でぼやいていた。
「去年は惜しかったよなー。今年こそは絶対に優勝だ!」
和泉君は己に喝を入れるのに必死で水野君の無気力語録は聞こえていなかったようだ。
「内海は去年なんの競技に出たんだよ?」
「僕は去年風邪ひいちゃって出れてないんだ」
「お!じゃあ内海は今年が高校で初めての球技大会じゃん!」
「内海はこっち側だから隼人みたいに楽しみにしてないよ」
「こっち側ってなんだよ?」
「文化部らしいってこと」
頭に"?"を浮かべている和泉君だったが、考えることは苦手なのか、あまり興味がなかったのかは分からないがまぁいいや、と小さく呟いた。ふと前を見ると学校が見える。いつもは長いと感じる学校までの道のりが今日だけは短いと感じた。

 今日一日の授業が全て終わり、いつもより教室は騒がしくなった。理由は明白。今から球技大会で出る種目を決めるからだ。朝のホームルームで担任の近藤先生が言ったのを機に今日一日中生徒達は何に出るか、どんな作戦にするか等を話し合っていた。イベントの力というものは恐いもので、普段はあまり話さない人にも「何にする!?」と沢山話しかけられた。先生が教室に入り、皆は一瞬で席に着き今か今かとそわそわしている。先生が必要事項を話している間、皆はどこか上の空できちんと話を聞いているのは僕くらいだっただろう。朝やる気のなかった水野君を横目で見ると先生のことは見ているが、どこかつまらなさそうなので話を聞いているフリをして、どうやってサボろうか考えていそうだ。先生の話が終わり、後は自分達でやれ、とのことで教室を出ていった。その後は室長を中心にとんとん拍子で決まっていった。一つ変わったことと言えば、僕自身がサッカーをやりたい、と意思表示をしたことだ。このような決め事の時、だいたい僕は余り物を選ぶ。しかし、いざ決めようとなった時母さんが書いたサッカーボールのイラストと今朝の和泉君達との会話を思い出して久しぶりにやりたくなった。
(サッカーに出る、なんて言ったら母さんはどんな反応をするかな)
少しだけ母さんに報告するのが楽しみに思えた。
「内海!」
どうやって母さんに報告しようか考えていると不意に誰かに呼ばれた。声のする方を見るとこっちにすごい勢いで手を振っている和泉君と相変わらずやる気のなさそうな水野君、そして先程サッカーを選んでいたメンバーが勢ぞろいしていた。僕がその集団の所へ行くと、皆僕を快く迎えてくれた。
「内海、お前だけが頼りだ」
開口一番、水野君がこっそり言った。周りを見ると僕達以外の全員が何かしらの運動部に所属していた。あぁそういうことか、と水野君の必死さに苦笑する。
「今日は各自部活があるだろうからこれで解散しよう。目指すは優勝だ!」
和泉君の鼓舞に合わせて皆が「おー!」と拳を突き上げる。さすが和泉君と言うべきか、既に皆をまとめている。
「うわっ」
急に腕を引っ張られ、引きずられる。
「なに間抜けな声出してんのさ」
抑えきれずに笑っている水野君。
「え、どこ行くの!?」
「部活」
ものすごい力で引っ張られ、非力そうな水野君にこんな力があったとは、と驚いてしまう。きっと早く部活に行きたかったのだろう。他のことにももう少しやる気を出せばいいのに、とつくづく思う。だんだんと見えてきた美術室。明かりがついている。
(夕海さんかな?)
あれから夕海さんとは会えていない。球技大会のことで頭がいっぱいになっていたが、朝は夕海さんに水族館でのことを話そうと意気込んでいたのを思い出した。
(水野君は夕海さんと知り合いなのかな)
偶然とはいえ、部員でもない夕海さんと美術室で二回も会っているということは、夕海さんは何度も美術室に足を運んでいるのではないだろうか。それに、同い年なら去年同じクラスだった可能性もある。聞いてみようと思い、はたと口を噤む。
(水野君に僕の秘密がバレるのはまずい…!)
秘密というのは、勿論僕が朝倉先輩を好いていることだ。もしここで夕海さんに会えば僕の特訓のことも含め、色々バレてしまうかもしれない。それは非常にまずいことだ。なぜ僕が朝倉先輩に好意を寄せていることがバレてはいけないのか、それは水野君の言葉が存外的を射ていることにある。いつもやる気のなさそうな彼だが、彼はよく人を観察していて、自分でも気付かないようなことにも的確に突いてくる。もし僕の秘密がバレたら、的確ではあるが痛いところを突かれるということだ。
(そんなことをされたら僕のメンタルが持つはずない…!)
「ね、ねぇ水野君!」
「なんだよ」
そう言って立ち止まる水野君。
(よし!立ち止まった!でも、なんて言おう?勢いで話しかけちゃった!)
「ト、トイレ行かない…?」
「え、なに、連れション?」
(やってしまったー!)
赤面させて頭を抱えている僕を不思議そうな顔で見てから
「一人で行ってこいよ。俺は先に行くから」
と僕の腕を離してスタスタと歩いていく水野君。今度は顔を真っ青にして頭を抱えるが、水野君はお構い無しに美術室の扉を開く。僕も急いで美術室に入るとそこには夕海さんではなく、伊藤先生がいた。なんだ伊藤先生か、と小さく呟いて安堵の息を吐いた。その様子を水野君は訝しげに見ていたけど、面倒だと思ったのか深入りしてこなかった。
「よう、お前ら。二人で来るなんて珍しいな」
と言ってガハハと豪快に笑う伊藤先生。少し粗雑なところがある先生だが、美術に関しての知識や技術は誰もが舌を巻き、尊敬する程だ。
「今日は俺、もうすぐ帰るから鍵はお前らでやっとけよ」
と鍵を僕に預けて伊藤先生は去っていった。
「なんだよ、文化祭に出す作品提出しに来たのに」
と不貞腐れたように言う水野君の言葉を聞いて僕は驚いた。
「えっ!もうできたの!?」
「そうだけど」
言葉は素っ気ないが満足気に笑っている水野君を見て、自分の無力感を改めて実感する。
「内海は人物画だっけ」
「うん」
「まぁ、俺はもう作品が出来て暇だから少しくらいなら手伝ってやってもいいよ」
「…えっ!?」
あまりにも水野君らしかぬ言動にこの人は本当に水野君か、と不安に思ってしまう。
「なんだよ。ダチの為ならこれくらい普通だろ」
(友達…)
直球で痛い所を突く水野君だが、あまり素直に人を褒めたり、ましてやこんなことを言うのは滅多にない。その証拠に水野君の頬は少し赤らんでいる。僕はというとまさか水野君が僕を友達だと思ってくれているとは思っていなかったので嬉しさ以上に目を丸くして驚いていた。
「そんなに驚くことかよ」
驚きのあまり黙り込む僕を見て、拗ねたように言う水野君は体をこちらに向けて再び言う。
「俺が協力してやるんだからちゃんと成功させろよ」
「ありがとう、水野君!」
「蒼でいいよ。ダチなんだから名前で呼びあってもいいだろ、渉」
「…うん!蒼!」
僕達二人は拳同士を合わせて笑いあった。結局夕海さんに会うことは出来なかったけど、僕に無気力だけど頼りになる大切な友達ができた大切な日になった。

 蒼と友達になって何日か経ち、球技大会前日となった。結局夕海さんとは会えておらず、夕海さんも球技大会の準備で忙しいのだろう、と思っていた。それに、球技大会前はあまり他クラスとの仲が良いとは言えない。うちの学校の球技大会はクラス同士で戦うので、自分の教室から出れば中学高校問わずギスギスとした空気になるのだ。男女で出る競技が違うとはいえ、あまり良い雰囲気とは言えない。
「渉ー!」
今は球技大会前最後の体育の時間だ。最後の練習時間と言った方がいいだろうか。先程蒼が僕にパスしたボールが迫ってきた。
(今はこのゲームに集中しよう)
ボールを受け取り相手を次々と相手を抜かす。この感じは小学校以来だろうか。身構えたキーパーが視界の隅に入り、力強く足を振る。見事にボールはゴールに入った。
「ナイスー!」
嬉しそうな和泉君の声が一際場内に響いた。
「前から思ってたけど、内海ってすげー運動出来るよなー!」
「俺は渉がこちら側だと信じていたのに…!」
嬉しそうに言う和泉君と悔しそうに言う蒼。正反対の二人に思わず笑ってしまう。
「内海はなにかクラブに入ってたのか?」
「うん、小学生の時だけ。和泉君は中学の時もだっけ?」
文化部同盟が…ぐわぁ…!と傍で頭を抱えている蒼を見事に無視して話しかける和泉君に僕も同調する。
「おう!つーか、お前らいつからそんなに仲良くなったんだよ?俺だけ置いてけぼりー?」
「そんなことないよ!」
慌てて否定する僕をハハッと笑いながら冗談冗談、と軽く言う和泉君。
(和泉君といると飽きないなぁ)
本当にその通りで、彼はいつも誰かを笑わせたり場を和ませてたりしてくれるから彼の周りにはいつも多くの人がいる。
「なら、これからもよろしくな渉」
「よろしく隼人」
差し出された手を握って互いに笑いあった。いつかの蒼の時と同じように温かいと感じた。

 放課後になっていつものように美術室に向かう。
(夕海さんに報告したいことが随分増えたな)
朝倉先輩のこと蒼と隼人のこと、そして球技大会のことも話そう。見えてきた美術室に心を踊らせる。扉を開けて教室内をぐるりと見回すが誰もいない。
(絵を描いていたらまた会えるかもしれないし)
そう思ったら即行動。最近隼人達と行動しているせいか、前の自分と比べて随分と積極的になっている気がする。そう思いながらあの日見た夕日に照らされた海を描く。これを描くとどんなに辛いことや悲しいことがあっても大丈夫な気さえしてくる。
「おぉ、随分と生き生きとしてるなぁ」
「せ、先生!?」
突然現れた伊藤先生はその大きな口をゆがめて満足気に笑っていた。
「内海、おめぇ最近学校楽しいだろ?」
「え、どうして分かって…?」
先生はガハハと愉快そうに笑った。
「絵は心の鏡だ。今までのお前の絵は綺麗だけどここまで生き生きしちゃいねぇよ」
絵は心の鏡、その言葉を心の中で復唱してもう一度自分の絵を見る。今までとなんら変わりはないように思えるが、絵を描くのが前よりももっと楽しいとと思えることは確かである。
「このままいけば、足りない『なにか』も分かるかもしれんな。頑張れよ」
ガシガシと僕の頭を撫でて、鍵よろしくな、と言って去っていく先生の背を見送り、一息つく。
(足りない『なにか』か…)
「先生に褒められたのに、まだなにか悩み事?」
凛とした声にハッとした。
「夕海さん!?」
振り向けば案の定夕海さんがいた。
「いつからそこに…」
「渉君が先生に褒められてるところから見てたよ。でも本当にいい絵ね」
うっとりとしたように言う夕海さんは儚げで、妖艶であり、思わず見惚れてしまうほどだった。
「あ、ありがとう…」
あまりにも直球に褒めてくれるので照れくさくなり、つい声が小さくなってしまう。多分、今の僕の顔は真っ赤なんだろう。夕海さんは僕の様子がおかしいのかクスクスと笑っている。それからは色んな話をした。朝倉先輩とのことを話した時はとても嬉しそうにしてくれたし、蒼と隼人のことを話した時は自分のことのように喜んでくれた。球技大会のことを話した時は頑張って、と応援もくれた。以前の僕には考えられないほど沢山話した。
「本当に成長したね、渉君」
「夕海さんのおかげだよ、ありがとう」
「じゃあ、そんな偉大な私からひとつアドバイスをあげる」
夕海さんは得意げに笑った。
「アドバイス…」
僕は背筋を伸ばして夕海さんと向き合った。
夕海さんは真剣かつ安心するような表現で言った。
「きちんと周りのことを見ること」
「周りを…?」
「大丈夫、渉君ならいつかきっと分かる」
「それじゃ、頑張ってね」
手を振って小走りに去っていく夕海さんの背中をボーッと見ながら夕海さんの言葉を思い返す。夕海さんのアドバイスの意味をきちんと理解できるか分からないけど、夕海さんを信じてもっと頑張ってみよう、そんなことを考えて帰路についた。

 遂に今日は球技大会。待ちに待った日かと問われればそうでは無いかもしれないが、蒼や隼人と何かを成し遂げようとしていることに高揚感が湧く。青い空が僕の背中を押してくれているようで、僕は俄然やる気が出てきたのだった。
「よっ!」
学校に着けば隼人と蒼が僕を出迎えてくれた。蒼は大きな溜息をついて忌々しげに青空を睨んでいた。
(きっと、雨さえ降れば良かったのに…とか思ってるんだろうな)
蒼の思っていることを予測しながら、二人におはよう、と返す。
「今日は頑張ろうな!」
隼人の目は輝いていて、少なくともクラスで一番今日を楽しみにしていたのは彼だろう、と考える。

 開会式も終え、しばらくしてとうとう僕達のクラスの出番となった。相手は先輩で、先輩達は最後の球技大会ということもあってか他の学年より殺気立っている。隼人は興奮している様子だが、蒼は早く終わってくれ、とでも言いたげな目をしていた。この第一回戦を含め第二回戦、第三回戦と僕達のクラスは次々と勝利を収めていき、遂に決勝戦となった。ここまで成果を残せたのは紛れもなく隼人のおかげだ。その証拠に対戦相手はかなり隼人を警戒しているようだった。決勝開始の笛が鳴る。またもや相手は先輩のようだ。先輩達のあまりの殺気に蒼は怯えている。あんなにやる気に満ち溢れていた隼人でさえ少し怖気付いてるようだった。一斉にボールを追いかける。
「渉ー!」
隼人から受け取ったボールを蹴りながら周りを観察する。
(この位置からはゴールに向かうのは無理そうだな…)
蒼は既に体力が尽き、パスを受け取れるような様子でもない。
「内海ー!」
声のした方には同じクラスの山口君。『きちんと周りのことを見ること』その言葉が僕の頭の中に響いた。ハッとして周りを見渡せば、僕の周りには沢山の人がいることに気づいた。もちろん敵も沢山いる。しかしそれに対して僕一人で立ち向かっているわけではない。
(僕は今まで仲間ではなく蒼や隼人しか見ていなかったな…)
僕は力強くボールを蹴り、パスを回す。
「山口ー!」
ボールは綺麗に山口君のところに行き、山口君はそのボールを巧みに操り見事ゴールへと導いた。
その後の僕はまるで視界が開けたように色んなものが見えるようになった。山口君の巧みなボール使い、森君の安定したパス、高島くんの鉄壁なガード───────。他にも沢山の才能や個性が集まってこのチームを作っている。
(こんなに楽しいと思えたのはいつぶりだろう…?)
仲間と呼べる人達と好きなことをする。それをやらなくなり、つまらないと嘆いていたのはいつからだっただろうか。試合終了の笛が鳴る。僕達の球技大会は幕を閉じた。

「悔しいー!」
球技大会を終え、今は帰り道を蒼と隼人と歩きながら反省会をしている。悔しさを紅くなった空にぶつけている隼人を宥めながらも僕もあまりの悔しさに顔を歪めている。僕達の傍で大人しくしている蒼は疲れたのもあるだろうが、彼も相当頑張っていた。少ない体力でもボールを必死に追いかけ、何点か得点を取っていた。僕達は決勝戦、あと一歩というところで先輩方に負けてしまった。しかし、仲間の存在を実感できた僕にとってこの敗北は成長のための必要材料だと思えた。
(だからといって、悔しいものは悔しいけど)
でも、やっぱり…
(大切なことに気づかせてくれてありがとう、夕海さん)
夕海さんに届くよう、夕焼け空にそう投げかけ、僕ら三人は満足気に帰路についた。