あれから、特にこれといって何もないような夏休みが過ぎていった。紗々とはほぼ毎日会ってる。
今日は、パパの会社のBBQ大会なんだけど、ケイも紗々も参加して、ケイとケイのパパがBBQで大活躍してるところ。
私は例年通り、楽しく過ごしているつもり。
わかんない。
楽しいはずだと思う。
だけど、あれから、ケイは私たち3人で遊ぶのを意識的に減らしているように、私には見えてる。でも違うのかも、あの人と会う時間が増えているだけなのかもしれない。
あの日を境に、私はケイに聞けないことが増えたように思う。
BBQ大会には毎年、ケイのママも一緒に来ていて、私のママと一緒にビールを飲んでいた。ママは普段はお酒飲まないんだけど、ケイのママと一緒の時だけ、たまにお酒をのむことがある。「うふふ。ママもたまには昼間にビールとかしてみたいのよ」って言いながら、上機嫌だった。
いつも思うんだけど。何となく、ケイのパパはケイのママがまだ好きな感じがする。でも、ケイのママはすごくケイのパパに素っ気ないので、一方的な恋なのかも。あれ?でも結婚してケイまでいるんだから、恋ではないのか。あれ?じゃあ、これって何だろう?
って、紗々に聞いてみたら、紗々は
「わかんない。でも、麻衣に言われてさっきから観察してたんだけど、確かに、ケイのお父さんは、ケイのお母さんをチラチラチラチラ見てるよね」
「でしょ?前にこれをケイに話したら、気持ち悪いって言われたんだけど」
「あははは。確かに、子供からしたら気持ち悪いかも。でもさ、もしかしたら、このBBQ大会だって、ケイのお父さんが、ケイのお母さんに会いたいからやってるんだったりして」
「え、そうかな」
「いや、わかんないけど」
紗々は、串刺しの牛肉をもぐもぐして山梨県産赤ブドウジュースを飲みながら、そんなことを言っていた。紗々は、この夏、先生との仲が少しだけ進んだ。
恋人同士としてのお付き合いというのには、時間がかかるけど、でも、これからは普通に会ったりはするみたい。相手が一回り近く年上だと、ボーイフレンドというのとは違うもんね。なんか不思議な関係だ。
「キス、しちゃった」
って、先週、紗々が真っ赤になりながら話してくれたのを思い出す。ボーイフレンドでもないけど、恋人じゃない。でもキスしちゃうほど先生のこと、好きなんだな、紗々。
紗々と先生の間には、いろんな要素が混ざりすぎちゃって、警戒しながら進んでいる感じに見えた。
好き、にも、いろんな関係があるんだなって思った。
うちの親みたいに、バカみたいなスタンダードな関係のところもあれば、紗々の親みたいに、変なもの同士のカップルだけど絶妙なコンビとして成立しているのもある。
そうかと思えば結婚して子供までいるのに離婚して、なのに別れた妻にまだ恋してるかもしれないケイのパパみたいな関係もあって………私が全然気が付かなかっただけで、世の中にはいろんな関係が存在してるのね、そんなことに、今年の夏は、一気に気づかされた。
それに、ケイのことも。
あの、美保さんって人のこととか、あれから全然聞けないままだ。なんて聞けばいいのかわからないし、どうせロクに応えてくれないに決まってる。
かといって、いきなり何もかも正直に話されても怖いから、結局、聞けない。
あれから、ずっと、こんな。
1人になると、ケイが美保さんと一緒に居たときの映像が頭の中で再生されちゃう。こんなの無意味だからストップしたいけど、私の頭が勝手に再生する。
ケイや紗々と一緒にいるときには大丈夫だけど、1人でいると、また再生。頭の再生ボタンが自動で動く。もう見たくないのに。
「どお?楽しんでる?」
ケイが、左手にトング、右手に銀色のトレイにきれいに並べた、串からはずしてある肉と野菜を持って、私たちの前に来た。
「楽しんでるよー。本当に楽しい。そして、牛肉おいし過ぎる」
「これ、駅前モールの肉マサのでしょ?」
って私が聞いたら
「そうそう、あそこの。やっぱ、バーベキューにはこれでしょ」
「うん、おいしいよね。それに、いつもより高いお肉な気がする」
「ああ、オヤジがすげえ奮発してた」
ケイが、トングで肉を紗々と私のお皿にヒョイヒョイ乗せながら「野菜も食えよ」と言って、トウモロコシと玉ねぎも乗せた。
「あ、そうだ。そろそろ台風が来るからさ、来週あたりまたキャンプしようぜ。そんで、一旦、テントとか片付けるわ」
「え!ほんと?」
また3人でお泊りキャンプできることがわかって、突然、元気になる私。
「あ、台風。ほお、そっか、なるほど」
紗々が、感心したようにうなづきながら、肉をほおばっていた。じゃあな、おれ、仕事あっからって言って、お皿を持ってお客様の間で肉と野菜を配り始めた。
配り終えてケイのパパのところに戻ったケイは、もう、おじさんとほとんど身長はかわらなかった。おじさんは筋肉がもう少しガッチリしているけど、きっと、あと2~3年もしたら、ケイはもっとそっくりになるんだろうな。
「良いご子息をお持ちで」
「将来が楽しみですなあ」
なんていう役員やお付き合いのある会社の人たちの中で、会社員の営業マンみたいな笑顔と対応をしているケイ。そっか、ケイって、おじさんの子だから、うちの学人と同じで、後継者の一人なんだっけ。
いつか、ケイも、おじさんやうちのパパと一緒に働くのかな。そしたら、将来は、ケイのパパとうちのパパと、ケイと、学人で4人で順番に社長すんのかな。
でも、外の大学受けるって言ってたし、ケイって何をしたいんだろう。
「そうだ、ねえ、紗々。エグゼクティブってなに? ってか、何語?」
「ん?英語。正確にはexecutiveね」
さすが、子供のころから海外転々としてただけある。紗々は「イグゼキュチブ」みたいな感じで発音していた。
「何する人のこと?」
「えーと、取締役とかのことだよ。だから、社長とか、そういうの。経営の決定権のある人のこと。なんで?」
「前にさ、ケイが、将来それになるって言ってた、ヤングなやつ」
「ああ。じゃあ、日本語だと、若手社長に俺はなる!って感じだよ」
「あっ、なんだ、ケイって社長目指してたんだ………」
「目指さなくても、別に普通に行けば、ケイって、なれるんじゃないの?あのオッサンたちの態度とか、まさに次期社長とかにする態度だし」
ちょっと、蔑んだような口調で紗々が、前歯でトウモロコシをゴリゴリこそげ取りながら、BBQ台の前で名刺とか渡しちゃってるおじさんたちを見ていた。
「でも、他受けるって言ってたよ」
「大学?」
「うん。だから、なんか違うことしようとしているのかも」
「ふうん。まあ、若い男の子のお父さんへの反抗心みたいなもんだよ。理由なき反抗ね。きっと、ある程度の年齢が来たら、どうせ普通にスルッとお父さんの会社入るって」
こういう時の紗々って、まるで何千年も生きて、たくさんの人の人生を見てきた人みたいな言い方をする。
「紗々って、将来、何になりたいの?」
「私?私は学者。文学者」
「ええ!学者?」
「そう。世界の文学の研究するの。そして大学教授になるか、だめなら研究所か国立図書館とかで働く」
「す、すごい。紗々。そんな壮大な夢あったなんて」
「完全に先生の影響だよ。先生と話してると、先生は社会人だからいろんなこと知ってて当たり前なんだけど、そういう道があることがわかったの。先生のおかげですでに文学に目覚めてるから、世界の文学を研究して、それを伝える人になろうかと思ってる」
「そっか、そっかあ。学者かあ」
紗々がもう少し年を取って、ロングの黒髪を後ろにまとめて黒縁の眼鏡しながら、大学で講義をしてる姿を想像したら、あまりにも格好良すぎて、美しすぎてシビレた。
「でも、私、すでに1年半遅れてるから、早い段階でこれを取り戻しておきたいんだよね。夢があると、突然、人生のいろんな無駄が見えてくるのよ」
「あ、そうか、休学の分。取り戻すって、どういう方法があるの?」
「うーん。日本だと難しいんだけど、アメリカだと成績さえ良ければスキップという制度があって、2年飛ばしとか1年飛ばしとかをさせてくれる学校もあるみたい。そういうんで、少なくとも遅れを取った分だけでも、取り戻せたらなあって思ってる」
フォークを半透明の玉ねぎに刺してケチャップをグリグリつけながら、紗々が説明する。
「えー?紗々もどっか別の大学に行ちゃうの?」
「まだ決めてないけど、そういう方法があるって、この前知った。決めたら、早くやりたいじゃない?だいたいうちの親、教育熱心じゃないんだもん。母親は16才で芸能界だし、父親は地方の大学は出てるけど、ゼロからたたき上げの不動産屋でしょ?だから学問の話なんてしても、2人とも興味がないから、何も答えられないのよ」
「そっかあ。ケイは社長、紗々は学者なのかあ」
「麻衣は、何をしたいの?」
きれいに食べ終わったお皿を半分に折りたたんで、近くにあったダストボックスに放り入れて紗々が私に聞く。
「私、正直、何していいのかわかんないの。前に、紗々が転校してくる前に、人生のリストとか作ってみたことがあったんだけど、全然何も出てこなくって困ったことがあるんだ」
「そっかあ。小さい頃は何したかったの?」
「え?小さいころ?」
そう思い返して、幼稚園で書いていた「オヨメサン」以外に何も思い浮かんでこないことを思い出して落ち込む。
「あははは、今、なんで幼稚園まで戻ったの?小学生の時は?」
「小学校の時は………なんだったかなあ、卒業文集に将来の夢とかなかった気がする。お洋服は好きだったけど。あんまり考えたことなかったかも」
「そうなんだ」
「なんか、気が付いたら、毎日、ボーっと生きて16才になってたって感じ」
「麻衣、それは幸せなことなんだよ」
「そうなのかな。そうなのかも。でも、なんか、むなしいよ」
「私からしたら、麻衣なんてうらやましいよ」
「ええ?私を?紗々が?なんで???一体、どこにそんな要素が?」
「幸せだもの、麻衣って。外側から見てハッキリわかるくらい、幸せの条件を持ってる」
「持ってるって、何を?」
「歪まない家庭。歪まない心。素直で丈夫な性格。明るくて正しい考え方。あたたかな気持ち。周りからの圧では変えられないほど自由な精神。家族からの正当な愛情。甘えが許される環境。麻衣が当たり前に持っているもの全ては、全て、人がどれだけお金を積んでも買えないものばかりだよ」
紗々は指でひとつひとつ、私の持っているというものを、自信を持って数え上げた。
「で、でも、紗々。それは、私が与えられている環境であって、私が持っているっていうのとはちょっと意味が違うっていうか………」
「まあ、そうかもしれないけど、でも、持ってるものっていう意味では同じだよ」
腕組みしながら、うーんって紗々がうなる。
「じゃあさ。ちょっとこういうこと自分で言うのもなんだけどさ。わかりやすく言うと、という意味でですよ?ちょっと聞くけども」
「うん」
紗々が、私のほうを見て私に聞く。
「あのさ。私って、いわゆる美人だよね?世間一般でいうところだと、かなりの上のランクの美人だと思わない?」
「あ、うん。もちろん」
そんな疑う余地がないことを、何で聞くんだろうって思いながら、もちろんそうだと思った。
「それって、私のママが元美人女優だから遺伝的に出来た持ってるなのよ。だけど、人からみたら、それは私が生来的に持ってる、持ってるになるのよ」
「あ、うん」
「私の背が高いのは、私のパパの背が高いからなのよ。痩せてるのはママが太らない体質だからなのよ。でも、その全部を合わせて持ってる私は、世間から見るとたくさん持ってるってことになるのよ」
「うんうん」
「そういうのと同じ風に、麻衣も、人が欲しくて仕方がないものを持ってるのよ。むしろ、私の持ってるものなんて、大人になったらお金出して整形して、ジム通って、メイクとお洋服でごまかせば持ってる風にもできるのよ。嘘でもそれっぽく盛れるの。でも麻衣の持ってるものは全て、お金ではごまかすことができない、本当の持ってるなの」
「あ」
「わかる?」
「わかった」
「よろしい」
紗々が、細くて長い腕を、前に伸ばして背骨を内側に丸めてストレッチしながら言う。
「でもさ。紗々、私がたくさん持ってるってのは分かったんだけど。だからって、私が何も将来になりたいものとか無いのって、やっぱり………」
「それは、そのうち出てくるよ。急いで将来の準備をする必要なんてないんだよ」
ふと、この前のキャンプでケイが言った(急いで大人になる必要なんかない)って言葉を思い出した。
「こないだもみんなで話したじゃん?何に触れても、自分の内側から出たものだけが答えなの。私が学者になろうとしてたって、ケイが若社長になろうとしてたって、そんなことは関係ないのよ」
「ってことは、私の内側から出てるのって アセリってやつだから、それが今の私なのね」
「そういうこと。じゃ、なんで焦るのかな?ってっ考えればいいの。それで出た答えだけが、麻衣の中に蓄積されるのよ。人が何かしてるからって、じゃあ私も何か、なんて考えるだけ無駄よ」
「ふうむ」
今度は私が腕組して考えちゃった。