その日の朝は曇り空だった。自転車通学の生徒にとって雨は許しがたい敵だ。自転車に傘を横向きに差して走り出す。降らないことを祈る。まだ梅雨には早いだろう。
教室に入ると今日も壮介は鏡でまつ毛を確認していた。
「おはよ。またマスカラ?」
声をかけると壮介はにまりと笑った。
「今日は取れてないよ。ウォータープルーフだからね」
「なんっ……なんて?」
「防水ってことだよ。汗かいても落ちにくい化粧品ってこと」
「あっそ……。メイクすんのも大変だな」
雷閃が労わるように言うと、壮介は否定する。
「大変だけど大変じゃないよ。いや、大変なのは大変、かな。でもそれ以上に楽しいから苦にならないんだよね。動画サイトとかでメイクのやり方を勉強するのもすごく楽しいし、配信者と同じ色のアイライナー見つけたときなんかめっちゃ感動するし」
確かに、そう語る壮介は楽しそうだった。
「雷閃にもメイクしてあげよっか?」
「いや俺はいいよ……似合わねーし」
「メイクが似合わない人間なんて絶対いないって! どんな風にでもきれいになれるんだからさ、将来雷閃に彼女ができたときにも役立つと思うよ?」
「そうか? メイクに詳しい彼氏ってどうなんだよ」
「絶対、ぜーったい好かれると思う」
「そう、なのか……?」
未だ彼女なんてものはできたことのない雷閃にはわからない感覚だ。なんなら初恋も未経験だ。かわいいと思う女子生徒はいても、それ以上の欲望を抱いたことがなかった。
「壮介は彼女いんの?」
「いないよ。俺は彼女より、一緒にメイクしたり服買いにいったりできる女友達が欲しいかな~」
「それはおまえには難しそうだな」
「なんで『おまえには』なの?」
「察しろよ」
壮介ほど顔が整っていて女心がわかる男に女友達なんてできるのだろうか。「友達」から「友達以上」を求められたとき、壮介はどうするのだろう。
友達以上に他人を好きになると、それだけ傷つけられたときの反動が大きい。だから雷閃は、まだ恋人が欲しいとは思えなかった。好きなひとに罵倒されたら立ち直れない。それが恋人でなくても、親しい人間から罵倒されたら、悲しいけど。