南高校の校舎は日当たりが良い。入学した四月の時点では、明るい教室で助かる、と思っていた。だが五月に入ろうとする現在、暑さが強まってきた。学校に向かう足取りも重くなる。正確には、自転車を漕ぐ足であるけれども。
朝来雷閃は今年、南高校に入学したばかりの一年生である。やんちゃな不良もいなければ、まじめすぎる優等生もいない、普通の学校に通う男子高校生である。
中学三年のころ、雷閃は担任に「もう少し頑張ればワンランク上の高校に通える」と言われた。しかし雷閃は頑張らなかった。雷閃は頑張ることが嫌いだ。最低限の行動でその場をやり過ごしていたい。事なかれ主義と言われても、雷閃にとっては罵倒になりえない。
教室は一階の右端にある。二年生は二階、三年生は隣の校舎に教室を持っている。雷閃は教室に入ると、新しいクラスメイトたちと挨拶を交わした。一年二組は男女合わせて二十六人の生徒がいる。まだ顔と名前を覚えきれていないが、問題児のような生徒はいないように見えた。
「おはよぉ~」
雷閃が自分の席に鞄を置くと、後ろの席の男子生徒に声をかけられた。彼の名前は安達壮介。出席番号が一番である雷閃に続いて、出席番号二番の男子だ。席順が名前順であるため、廊下側の一番前の席である雷閃の後ろの席に壮介が座っている。
「おはよ。何してんの?」
雷閃は鞄から筆記用具を出して机に置いた。壮介は手鏡で自分の顔を見て、目を閉じたり開いたりしている。
「汗かいたから、マスカラが取れてないかなって確認してる」
まばたきを繰り返す壮介に、雷閃は驚きの声を上げる。
「えっ、おまえ、メイクしてんの?」
「うん。姉ちゃんがこういうの詳しいからさ、俺も興味持っちゃった」
手鏡をポケットにしまった壮介は、じっと雷閃の顔を見つめる。壮介は自然な鳶色の髪で、すっきり整った顔立ちをしている。そんな壮介に見られると、劣等感が沸く。
「雷閃はちょっと表情が暗いかなぁ。きれい系の顔だから眉毛を細めにするといいんじゃないかな。髪もさらさらだし、爽やか系イケメン目指せるよ!」
そう言った壮介に、雷閃はため息をつく。
「目指せるかよ、そんなの。変におだてるんじゃねぇ」
そうかな、と壮介は笑った。笑顔の作り方が上手だ、と雷閃は思った。
四月からの新生活を、雷閃は難なくこなしている。ときどき行われる小テストも合格点を取るし、制服だってきっちり着ている。どうせ背が伸びるからと、少し大きめの制服ではあるが。
新しい友達の壮介は、良い生徒だ。メイクをしてくるのは校則違反だが、バレない程度のナチュラルメイクだから今のところ目をつけられていないらしい。連絡先も交換して、放課後に一緒に寄り道したりもする。
いい調子だ、と雷閃は思っていた。それなりに大変で、それなりに楽しい高校生活。この調子で三年間を過ごしたい。大学には進学したい気もするが、勉強についていけないなら就職でもいい。そのときの自分のポテンシャルに任せたい。
昼食はいつも壮介と食堂に行くか、近くのコンビニで買ってきたパンやおにぎりを食べる。雷閃の母親は毎日弁当を作ろうかと言ってくれたが、たまに作ってくれるだけでいい、と断った。母親は自分の手から子供が離れていくことが寂しいようなので、たまには母さんの弁当も食べたい、と告げておいた。
今日はコンビニで買った明太子のおにぎりと、黒糖のコッペパンを食べた。本心を言えば、母の弁当の方が絶対においしい。
「なぁ、雷閃は部活どっか入んないの?」
壮介は姉が作ったという彩り豊かな弁当を食べている。雷閃は食べ物のにおいが充満した教室があまり好きではない。
「部活なぁ……入るとしても活発な部活は嫌だな……」
雷閃が言うと、壮介は「そっかぁ」とひとの好い笑みを作った。
「部活以外にも楽しいこと、たくさんあるもんねぇ。せっかくの高校生活だし、学校のなかだけで活動するのももったいないよねー」
壮介のその言葉は、どうしてか雷閃に反抗の気持ちを起こさせた。ひとつの意見として何も間違ってはいないが、まるで学校生活を楽しめていない人間だと言われているように聞こえてしまった。雷閃には目立つような特徴もないし能力もないが、普通以下だと思われることは気に入らない。
「いや、どっか入るわ、部活。なんか、こう……文化的な部活に入るわ」
「文化部ってこと? 雷閃って中学では何やってたん?」
「……あー、そういやこの学校って合唱部あったよな。合唱部入るわ。俺、口笛うめーし」
「合唱と口笛は関係なくない? てか中学のときは?」
中学の話はしたくない。雷閃にとって中学の思い出は良いものではない。決して、悪いものでもないけれど。
「壮介は? 部活入んのか?」
「俺ぇ? 俺は美術部に入ろうと思うんだよね」
「絵描くのか?」
「絵も描くけど、どっちかと言えば立体の勉強がしたいんだ。この学校でどれくらい勉強できるかはわからないけどさ」
立体、という具体的なイメージが雷閃には描けなかった。彫刻とかかな、となんとなく思った。でも「学びたい」という壮介の意識は羨ましかった。
五月のみどり色の風は、人々に新しい気持ちを湧き立たせる。