放課後、マスオはアツコと一緒に、彼女の家に向かった。

アツコと友達になって以来、一度も家に行ったことはなかった。アツコはしょっちゅう自分の家に遊びに来たけど、誘ったのはこれが始めてだ。アツコの家族が巫女の一家であることだから、やすやすと他人を家に招かないだろう。

歩きながら、マスオはアツコの家はどんな形だろうか?と勝手に想像した。昔風の日本の家屋?ならば人に近寄せられない厳かな雰囲気があるかもしれない。でも、巫女だから神社に住んでるとか?

アツコの家に向かっている途中、二人は何も言わなかった。

地下鉄に乗り、バスを乗り、1時間はたっぷり使ってようやくアツコの家の近くに来た。アツコの家はマスオを今まで勝手に想像してたのとはまったく違った。二人は今とっても高いマンションの前に立っている。マンションは雲にまで届きそうに高かった。

目の前にあるマンションは立派な建物だ。ただ、自分の想像してた古風の家とは全然違ったので、
顔のどこかに落胆の影がかすった。それをアツコは見逃さなかった。

「何か、大変な建物を想像していたでしょう」

マスオは正直に頷いた。

「確かに、巫女というと、ドラマや映画、アニメの中に出てくるすごい木造の建物に住んでることを想像するけど、それじゃ、自分が巫女ですってことをばらしているのと同じだから、余計な争いが起こるの。だから、こうやって、普通に暮らすのが一番ってこと」

「なるほど」

「一般人向けの巫女や神社は隠す必要なく堂々としてればいいけどね」

マスオは少し感心した。

二人はマンションに入り、エレベーターに乗って、最上階にあがった。

「最上階の家なんだね」

エレベーターから出て、マスオは言った。

「高いところだと、町の様子がすべて見えるから。それに、危険がどこにあるかもすぐわかるから行きやすいの…ていうのをお母様から聞いたの」

アツコの家はエレベーターを出て正面の家だった。

アツコが鍵を出してドアを開けた。

「ここが、アツコの家なの?」

「うん。でもここだけじゃなく、この階の部屋は全部私の家だよ。ちなみに、屋上も私の家族以外は立ち入り禁止になっている」

「すっごい!」

こんなにも高そうなマンションのワンフロアが全部アツコの家だなんて、びっくりするのも無理はない。でも、巫女ってこんなにも儲かる仕事なのかな?

「儲かるわけではないけど、街を守っているんだから、政治家から金はたっぷりもらえるよ。いろいろと相談もしてるからね」

マスオは自分の考えがアツコにばれたと思い、顔が熱くなってきた。

「私に、読心術があるわけではないよ。ただ、普通なら、そう考えても仕方ないとおもったから」

アツコのこの話をきいて、マスオは少し安心した。もし、読心術が使えるなら、自分には秘密がいなくなる。それはそれで困ることだ。

アツコの家に入ると、アツコのお母さん、寒麗スズノが迎えてくれた。すらっとした体、腰まで長く伸びた真っ黒な髪。

スズノは、アツコと一緒に家にはいるマスオを見て、戸惑った様子を見せた。

「お母様、この人がマスオなの」

「あら、あなたがマスオなの。アツコがいつもあなたの話をしていたよ」

綺麗、と思ったのが最初の印象だ。よく見ると、アツコと似ているところもある。それもそうだ。親子だから。

スズノは嬉しそうな声でマスオに話しかけてから、とがめるような目でアツコを見た。

「お母様、マスオは黒魂と関係があるの」

黒魂と関係があると聞いて、アスズノのとがめる視線の変わりに、悲しいような視線でマスオを見つめた。

マスオはもう一回、スズノを見た。

スズノもいかに普通な格好をしている。これがアツコ家の現代式の巫女かもしれない。

マスオはリビングルームに案内され、ソファに坐らせた。

インテリアがとても綺麗。どれも高級感がある家具ばっかりだ。

アツコはマスオの傍にすわった。スズノは飲み物を三つもってきて、二人の向こうに坐った。

コップを受け取って礼を言ったマスオは気ごちなく啜った。

「アツコ、簡単に説明してくれない?」

スズノの問にアツコは早速、昼休みにマスオから聞いた事を話した。

話を全部聞いてから、スズノは話した。

「マスオ君。隠してることがあるんじゃない?」

マスオは瞬間、びくっとした。でも、何もいわず、ただ頭を横に振っただけだった。

「知らない女と出会ったよね」

マスオは少し焦った。なぜ、アツコのお母さんがそんな事を知っているか、不安になり始めた。

「ど、どうして、知ってるんですか?」

マスオは段々消え入るような声で尋ねた。

「マスオ!何で私には正直に話してくれなかったの?」

アツコが怒った声で、さらにマスオにまくし立てようとしたが、お母さんに止められた。

「マスオ君の体から月の匂いがする」

「月の匂い?」

マスオはわけが分らなくなった。

「『月の匂い』と言っても抽象的だよね。私たちもあの独特の感じを『月の匂い』と呼んでいる」

「じゃ、彼女は月ってことですか?」

マスオの言葉を聞いて、スズノは軽くうなずいた。

「そう、あの女の正体は月……」

スズノは黒魂とあの謎の女にまつわる話と淡々と話してくれた。

大昔、かぐや姫が月に行ってから、好きな人と恋をしなかったことをずっと悔やんでいた。でも、月に来た以上、二度と地球に戻れないことを分ったかぐや姫は、方法をずっと考えていた。

それで、思いついた方法が十二個の分身に分けて地球に送ることだった。悲しいことに分身は二度と一つに戻れない。

かぐや姫の分身が地球に来て運命の人と出会い恋をし、死ぬまで一緒になる。運命の人が死んだら、分身は月に戻ってつぎの機会をまつ。

このままならとても暖かい話なのだが、そう簡単に運命の人と一緒になれない。

かぐや姫と一緒に地球に現れたのは人々の心から生まれた黒魂だ。分身たちは黒魂を餌にし、力を強める。運命の人を捜し守りながら、ほかの分身と戦う。なぜなら、最後に残った分身だけ、運命の人と一緒に生きる資格を持らえる。負けた分身はすぐ月に戻ってしまう

しかし、今まで、何回も繰り返したけど、殺し合いで勝った魂にも運命の人と暮らしていけることはできなかった。

これが、アツコのお母さんが話してくれた女の正体だ。

「でも、僕とどんな関係があるんですか?」

「巫女に黒魂が見えるのは、厳しい修行の結果だけど、普通の人に黒魂が見えるって事は、あの女の運命の人という証なの」

まだ事情を飲み込めていないマスオを見て、アツコはいらいらしながら、話した。

「つまり、死んでしまうことよ。それも、殺されてしまう!黒魂、もしくは他の分身にね!」

アツコの話を聞いて、マスオは怯え始めた。殺されてしまう?自分は今まで悪い事もしなかったし、母さんとも別れたくなかった。

「僕はこれからどうすればいいですか?彼女はもう僕の居場所を知っているし、母さんはなぜか彼女が気に入ってるらしいんです」

スズノは高ぶるマスオの感情を落ち着かせるため、なだめるように話し出した。

「私がお守りを作ってあげる。このお守りなら一ヶ月はもつ。黒魂もあの女も近づけない」

「その後はどうすればいいですか?」

「魂たちの殺し合いが始まったら、ここに来なさい。戦いが終るまで、守ってあげる」

この言葉を聞いて、マスオは少しはほっとした。殺されずにすむから。母さんと別れずにいられる。

「そう、お母様。マスオのお母さんは今も普通に暮らしているそうです。それはどうしてですか?」

「黒魂を抜かれた人は、その夜、『月引症』という病に襲われる。その病に襲われた人は、死ぬか、生き延びるかにわかれる。生き延びた人の心の中からは段々、前よりも強い黒魂を生み出すことになっている。新たに生まれる時間は人それぞれだから、正確にわからない。でも、黒魂の存在を知らず、普通に暮らす人も沢山あるから、多分、マスオのお母さんの場合もそうかもしれない。心配する必要はないよ。たとえ、前より強い黒魂が心の中に宿っても、自制心があれば、大丈夫。それより、マスオの体の中には黒魂がないよね」

「えっ!分るんですか?」

「巫女になると、そんな事も知るようになるよ。でも、マスオ君の心の中の黒魂はどうやって消されたんだろう」

「わかりません」

マスオは頭を下げた。それを見たスズノは微笑みながら、言葉を続けた。

「黒魂がない人はこの世界にいないの。私たち巫女も、定期的に自分の心の中の黒魂を消すから。……もしかしたら、誰かが、あなたの黒魂を消しているのかもしれないね」

「でも、僕はそのような人を知りません。巫女が本当にあるってことも、知ったばかりなので。もしかして……」

ここまで言いかけたマスオの頭の中に長月の影が浮かんできた。

「アツコにはまだ黒魂を見つけ出して消す力はないから、違う。やはり、あの女がマスオ君にあった時に消したとしか考えられないね」

「やっぱりあの女かもね」

アツコが傍らで小さくつぶやいた。

マスオは自分の知りたいことが全部分ったので、この辺でお暇しようと、立ち上がった。これ以上お邪魔するのも気が引ける。それに母さんのことも心配だ。

「もう帰るの?」

アツコが訊いた。

「うん、もう十分お邪魔したよ」

こう言ってマスオはスズノに向かって頭を下げながら礼を言った。

玄関で靴を履ぎ、マスオは見送るスズノに向かってもう一度確かめた。

「母さんは本当に大丈夫でしょうか」

「大丈夫とはいいきれない。……なら、一回会ってみよう。そうすると直に判断できるから。どう?」

「本当ですか?ありがとうございます」

家を出ようとしたマスオは急に思い出したように立ち止まった。

「でも、あの日、僕の体からは黒魂が出てこなかったのはどうしてですか?」

マスオのこの言葉を聞いてフミヨは驚いた。

「黒魂が出てこなかったと?それは本当なの?」

「は、はい」

スズノの鋭い声に、マスオはおどおどしながらこたえた。

「そうすると、だれかがずっとマスオの黒魂を消滅しているってことになるね。あの女のはずはないから。……マスオの一番近くにいる人はあなたのお母さんしかいないよね。定期的に誰かにあうこともないね?」

マスオは頷いた。

「マスオのお母さんにさっそくあってみたほうがいいね。運命の人だから黒魂がないという記載もなかったし……」

スズノはここまで言って口を噤んだので、マスオは余計に気になったが、スズノはそれ以上何もはなさなかった。

マスオは腕時計を見た。もうすっかり遅くなったので、急いで家から出ようとすると、アツコが呼び止めた。

「お母様、お守りを忘れていました」

「あっ、そうね。今から作るから、もう少し待っていてね」

マスオはすぐお礼を口にした。