午前の授業はどうやって過ぎたのか、マスオは何も覚えていない。黒い影の抵抗策を考えようとはしたけど、黒い影を思いだすと、時間が止まったように、何も思いつかなかった。それで結局、どんな策も練れず時間だけを無駄にしてしまった。

「マスオ、昼ご飯食べに行こう」

誘ってくれたのは、アツコだ。アツコ以外に、マスオを誘う人は一人もいない。原因は多分アツコだろうと、マスオは思っている。ほかの人が近づけないようにガードしているとマスオは思っている。そんなことはないけど。

「今日のマスオは、やはりどこか変だよ」

「な、何が変なの?」

ぎぐっとしたマスオは大げさな反応を見せた。

「元気ないし、どこか思いつめている感じがするんだから」

 食堂でご飯を食べながら、二人は会話をかわした。

「アツコの気のせいだよ」

「でもねマスオ、何か困ったことがあるなら、私に打ち明けてね」

マスオは思わず口元を釣り上げてしまった。信じるには信憑性がたりないといったふうな顔をした。それを見たアツコは機嫌を損ねたらしかった。

「今、私は力になれないと思ったでしょう。私の事を見くびらないでね。こう見えても、私はやる時はやる、気が強い女だから」

「はいはい、分りました。ごめんなさい」

「ところで、本当に何もなかったの?」

「本当に何もないの。ただ、寝不足で疲れているだけ」

「あっ、そう」

黒い影の事をアツコにはなしても、絶対に信じてはくれないと思った。人々は不思議なでき事がこの世にいてはほしいわりに、自分にはおきてもらいたくないと思う。面白いでき事は他人の身に起こってほしいのが人っていうもんだから。

昼ご飯を食べ終えて、教室に戻ると、なぜか、黒い影の事が一層怖く感じはじめた。放課後に近づくにつれ、いい方法が思いつかない焦りと、黒い影への恐怖が、全身を苦しめている。

やはり、どう考えても、科学的に解釈できない黒い影を倒す方法なんて、この世にはいない。いるとしたら、同じく、非科学的な存在じゃないとだめなきがしてきた。

非科学?マスオの頭に急にひらめいた。

そうだ、非科学なら、自分の周りにもいっぱいあるのではないか。お守りだとか、仏像だとか、呪文だとか、いろいろと。非科学は非科学で対応する。

これは百パーセント確実で黒い影に効果があるかどうかはまだしらないけど、解決策が一つだけでも思い出したことに、マスオは嬉しさを隠し切れなかった。

一人、ひそひそと笑っているマスオを見た先生は、「マスオ、この問題が解けたから、笑っているんだね。じゃ、出てきて解いてみて」と言った。

ゆっくり席からたち上がったマスオは、か細い声で、「分りません」と言った。

「なら、一人でにやにやしてるんじゃなく、授業に集中してね」

「はい」

周りの生徒は笑い出したので、マスオの顔は真赤になり、すぐ教科書で顔を隠した。

午後の最初の授業が終ったら、アツコはすぐ声をかけてきた。

マスオは直感的に、いやなことを聞くかもしれないと、分った。

「授業中に何にやにやしたの?」

やはり、思ったとおりだ。

「何もにやにやしてないよ」

マスオはかぶりを振った。

「じゃ、先生の見間違えというの?」

「多分ね」

曖昧な答えをしたマスオに、アツコはそれ以上問いただすことをやめた。

「じゃ、行きましょう」

「えっ!どこへ?」

「もちろんスピーチ大会に。忘れたとは言わせないよ」

「もちろん、忘れていないよ。でも、僕はただ資料を整理する仕事をしただけだから、抜けてもいいでしょう。別に僕がいなくても……」

アツコはマスオの言葉をきっぱりと切った。

「だ~め。マスオは重要な一員だから、欠けてはいけないよ。もし、マスオを出席しなかったせいで、うちのクラスが負けたらどうするの?」

「行かない人も結構いると思うけど」

「あの人達は来なくてもいいの。来てほしいのはマスオだけなの!それに、人数でまず勝てないとね。人が多いほど威勢もいいんだから」

「そもそも、名前がおかしいよ」

「何の名前?」

「二年の四つのクラスだけ競うスピーチなのに、大会と呼ぶって、変でしょう」

「それは、スピーチ大会を遊びに思わせられたら困るからだよ。そんな無駄口をたたくんじゃなくて、早く行きましょう」

結局、アツコの粘り強さに負けたマスオは、いやいやながら、スピーチ大会が開かれる体育館へ向かった。

四つのクラスの生徒はもうついていて、何か準備をしていた。

「うちのクラスが勝ちますようにと、祈っていてね」

アツコはこう言って、離れた。

クラスが勝つのを祈るより、黒い影が来ないのを祈りたい。

ざわめいた体育館も静まり返った。スピーチ大会が開始した。

正直にいって、生徒たちは何についてスピーチしているのか、全然ききとれなかった。ただ、ものすごいスピードで何か話していることだけは、ちゃんと分った。一つのチームが終わると相手のチームが食い掛るように反論を始めた。きれいでまじめな言葉で口喧嘩をしているようにも見えた。

ようやく、スピーチ大会も終わった。

アツコはまっすぐマスオの前に走ってきた。

「マスオ、どうだった?」

「あ、うん。すごかったよ」

何を話したかは分らないけど、この場合は大体、こんな曖昧な言葉で切り抜くことだと、マスオを心得ていた。

「明日の朝会に結果を発表するんだって。一位になったらいいよね」

「そうだよね」

でも、一位になりたがっているのは、うちのクラスだけではないとマスオは思った。

教室に戻ったら、担任の先生が注意事項をいくつか、話して、今日の授業は終わりと教えてくれた。スピーチ大会のおかげで、授業が早く終った。本当によかった、とマスオは思った。非科学的な物を探しに行ける時間もたっぷりもらった。

カバンを背負って、教室をでようとすると、アツコが呼び止めた。

「マスオ、一緒に帰りましょう」

「ごめん。今日、寄りたいところがあるんだ。先に帰るね」

「寄りたいところって、どこ?私も一緒について行くよ」

「それは……」

「言いよどんだ。あっ、もしかして、やらしいところへ行くんじゃないでしょうね。まぁ、そんな年頃になったのはわかるけど、マスオにはまだまだはやいよ」

「違うよ!そもそも、僕はまだ未成年だし、そんな場所にはいれないし」

「じゃ、未成年じゃないなら、行くってこと?」

「そ、それは……」

「冗談だよ。で、行きたいところはどこ?」

「神社だよ。神社」

アツコは目を丸くして、マスオを見つめた。

「神社?そこへ行って、何するの?」

「お守りを貰おうかなと思って」

「神社へ行かなくてもいいよ。私がすごく効くお守りをあげる」

「いいよ。どうせ、アツコの手作りのお守りでしょう」

「そうなんだけど、私が作ったのは、神社で売っているのとは、かくが違うのよ。同じもの扱いはしないでもらいたいね

「はいはい、そうですか。わかりました」

「信じてないみたいね。じゃ、いくつか私のお守りで助かった人の話をしてあげようか?」

「わかったわかった。信じるから」

ここで、信じないといったら、またアツコの長話が始まる。

「じゃ、ちょっと待っててね。すぐ作ってあげる」

「えっ?!すぐって、今ここで?」

「そうよ」

「でも、お守りって、もっと、精気が感じられる場所で作ったほうがいいじゃない?森の中とか……。不思議な力がみなぎる場所とか?」

アツコは、素人はこれだから困るよ、と言っているような目つきでマスオを見つめた。

「お守りを作るのは、場所より、作る人の思いが重要なの。作る人の強い思いがお守りにちゃんと注ぎ込んだら、それはそれは、強力なお守りになるよ。しらなかったでしょう」

アツコは偉そうな顔でマスオを見つめた。

「そう」

マスオは信じてはいないけど、アツコがどうやってお守りを作るのも気になった。

アツコは自分の席につき、紙を一枚取りだし、鉛筆でなにかわけのわからない記号をかきむしった。それが終わったら、今度は紙を折りたたみ、折鶴を作って、軽く息を吹きつけてから、マスオに渡した。

「はい、これでオッケーよ。すごいお守りだから、肌身離さずにもっていてね。でも……
ひとつだけ、欠点があるんだよね」

「なんなの?その欠点って」

「私の修行がまだたりないから、このお守りの効力は一日しかもたないの。だから、明日の今ころには、効力をうしなって、ただの紙屑になるってわけ。だから、必要なら明日も作ってあげる」

今もマスオの目にはただの紙屑にしか見えなかった。

「とりあえず、ありがとうね。じゃ、僕はもう帰るから。じゃね」

「一緒に帰りましょう。家まで送ってあげる。マスオが何かにおびえているらしいから、私がちゃんと家まで一緒にしてあげる」

正直なところ、一人で帰りたかったけどマスオは何も言わず、うなずいただけだった。それにしても、アツコはどうやってマスオが隠した感情を読み取るなんて、本当に不思議な力を持っているのかも。

一人で、神社へ行ってお守りを買おうとしたけど、アツコが家までついていくんじゃ、そんなことはできない。なら、家にいったん入ってから、アツコがいなくなるのを待って、神社へ行けばいいと思ったら、少しは心強くなった。でも、アツコは作ってくれた誠意を思うと、マスオの心のどこかに後ろめたい気持ちもあった。

「ところで、アツコってお守りとかがつくれるなんて、以外だよね。どこで学んだの?」

ちょっとおせっかいなアツコだけど、自分を手伝うつもりってことはちゃんとわかっているから、マスオは居心地悪い沈黙が訪れないように、先に口を開いた。

「言わなかった?私の家は代々、巫女をやっているってことを」

アツコはすらりと話した。の答えを聞いたマスオは信じられないというふうな顔でアツコを見つめた。

「じゃ、アツコの家は神社ってこと?」

「違うよ。うちの巫女も汚れたものを祓うのが仕事なんだけど、普通の神社とは一緒にしないでね」

アツコと結構付き合いがないのに、家柄については今初めてしった。近くにいる人の事は知っているようで以外にも知らない。

「へえぇ。すごいよね」

そっけないマスオの返答に、アツコはすこしむっとした。でも、マスオは自分の感情をうまく表現できないだけ。心の中ではびっくり仰天まではいかなくても、ショックは受けた。

「信じてないでしょう」

「ち、違うよ。信じているよ。信じている」

でも、語尾になればなるほど、マスオの声は小さくなった。

「信じてくれなくても別にいいよ。どうせ、こんな科学の世界に、人はそうやすく非科学的なものをしんじないよね」

アツコが言った「非科学的」の言葉がマスオの頭を刺激した。もしかしたら、アツコに自分が見た事を打ち明けてもいいかもしれないと思った。しかし……。自分の事を巫女というし、それに、お守りの効力も信じているから。

いつの間にか、アパートの正門についた。

「じゃ、私は帰るからね。付き合ってくれてありがとう」

アツコは少し歩いてからまだ戻ってきた。

「神社へ行っちゃだめだからね。わかった。それに、私が巫女だってことは内緒よ。秘密にしないといけないのをマスオだけに特別に教えたんだから」

「うん、わかったよ。神社へ行かないよ。アツコのお守りがあるだけで、十分でしょう」

マスオの言葉を聴いて、少しは安心したような顔つきになったアツコは自分の家に向かった。

家にもどってみると、フミヨはまだ帰っていない。

自分の部屋に入って、ポケットからアツコが作ったお守りを取り出して、机の上においた。

お守りを見つめながら、これって、本当に効くのかな、と思ったけど、アツコのあの自身たっぷりの様子を信じて、神社へいかないことにした。友達のことを信じることにした。

そもそも、神社のお守りもあの黒い影に効くかどうかもわからないから。

マスオはもっと心を安心させるために工具箱を取り出した。その中で、身につけられる小さなハンマーをズボンの尻ポケットに入れた。そして、アツコからもらったお守りと手に握った。黒い影がいつくるかはしらない。準備はしないより、するのがみのためってわけだ。

大した準備ではないが、終わってから、少しは安心感を感じた。

この時、玄関のドアが開いた音がした。

迎えに出ると、フミヨが食材がいっぱい入ったビニル袋を手に提げて、入ってきた。

「ごめんね、母さんが遅くなったでしょう。すぐ晩ご飯作るから、待っていてね」

「は~い」

いつもと変わらないフミヨの笑顔を見ると、黒い影に立ち向かう気力が急に激減した。もし、戦うことになったら、傷つくのは自分だけではなく、母さんも巻き込まれることを、もう一度思い出したから。

正直、どうすればいいか、マスオはますますわからなくなった。