なぜ一人でこんな時間にこんな所で遊んでいるのか、気になって尋ねに行こうとしたら、葉月は僕の手を掴んでこの場から離れようとした。

「どうしたの?」

僕は聞いた。葉月はただ黙って僕を連れて歩くだけだった。

この時、あの黒い水着を着た男の子が僕らの前に忽然と現れた。どうやって、一瞬にしてここまできたのかと、不審に思っていると、男の子はつぶらな目で葉月を見つめながら声をかけてきた。

「お姉さん。どこへいくつもりなの?僕と遊んでくれない?」

葉月は何も答えなかった。

「ぼくちゃん、どこから来たの?なぜ一人でこっちにいるの?」

僕が尋ねた。

いまさら僕の存在に気づいたような表情で、男の子は答えた。

「僕はあそこから来たよ」

と、いいながら、男の子は振り返ってどこかを指差した。その方向を見ると、黒い闇しか見えない。

この隙をみて、葉月は僕を引っ張って走り出した。何が何だかよく分らず、ただ葉月と奔っていると、男の声が後ろから聞こえてきた。

「お姉さん、僕ね、もう走れるようになったよ。追いつく事だってできるよ」

無邪気な子供の声だけど、夜に聞くと背中に冷たい電流が走った。

「あの子に黒魂があるの?」

葉月は黙認した。

どれほど走ったかは知らなかった。速く走りたいと念じてないまま走ったので、きつかった。荒い息遣いを和らげている時には、月はもう夜空のど真ん中で朧げな光を放っている。

僕らは近くにある岩に背を寄りかけて坐った。

「疲れた?」

葉月は僕にきいたが、目はずっと海岸娯楽施設の方を見ていた。男の子の黒魂が気になっているのだろう。

「ちょっとだけ疲れた」

二人はこれしか話さなかった。静寂な月夜に聞く波の音は、人の魂を引く魅力があった。聞いていると、放心状態に陥った。このままだど本当に海へ引き込まれそうだ。

葉月の声が僕を現実に連れ戻した。

「黒魂が来た。あなたはどこかに隠れて」

葉月の話を聞いて、僕はもっと奥の方にある岩の後ろに身を隠し、顔を半分出して様子を窺った。

遠くから男の子が近づいてくるのが見えた。

最初に見えたのは、男の子の頭だけだった。真っ白な顔が近づくにつれ、全身がよく見えた。首の下からは真っ黒に染められていた。夜に溶け込むように見えた。体も心も黒に染められてしまったのかな。

男の子は今、黒魂に操られているのか、それとも黒魂を操っているのか、よく分らない。

「お姉さん。走りはお得意じゃないみたいね。だって、すごく遅いんだもん。僕、すぐ追いついちゃったよ。次はもっと待ってあげようかなぁ~。僕はここで待ってるからまた走って逃げてもいいんだよ」

葉月は何も言わなかったので、男の子はまた口を開いた。

「ねぇねぇお姉さん。僕、さきどこへ行ったか分るの?……お姉さん。話すのが嫌いなの、それとも僕を話すのが嫌いなの?」

男の子はしょんぼりと肩を落とした。

葉月は何も答えず、いきなり髪を抜いて投げつけた。

男の子はすばやくかわしながら、髪を一本ずつ掴み、引きちぎった。その動作はとても早くて一瞬の出来事だった。

「お姉さん、僕の手も動けるようになったよ。すごいでしょう」

自慢の体を見せびらかすように、男の子は自分の両手と両足を振って見せた。それから体操をし始めた。体を動かすのがよほど好きなんだろうと思った。男の子のその姿はとてもかわいかった。それを見て、僕は一層理解できなくなった。一体、何があって、男の子の心に黒魂が生まれたのだろう。

男の子の声に、僕は自分の考えを中断させた。

「お姉さん。お姉さんは僕の黒魂を吸いに来たんでしょう。僕も月と黒魂の事を知ってるよ。黒魂が全部教えてくれたから」

葉月は話の代わりに、髪の槍が飛んでいった。男の子は簡単に避けた。

「僕の黒魂を吸わなくてもいいじゃないの?ねぇ、お願いだから吸わないでくれないかなぁ」

男の子の愛嬌がこもった声を断ち切ろうとするように、髪の槍が立て続きに飛んでいった。男の子は髪の槍を全部引きちぎってから、声を荒げて話だした。。

「お姉さん。なぜ僕の黒魂を吸おうとしているの?僕が何か悪い事でもしたの?僕はずっといい子にしていたよ」

男の子の声には怒りの音色が含まれてあった。

「そう。僕があの夫婦の首を身体からねじ取ったの。だから僕の黒魂を吸おうとするのでしょう。でも、それはあいつらの受けるべき報いなの。それに……黒魂は絶対吸わせてやらない!」