ドワーフたちに貰った報酬で、隣町までの乗り合い馬車に乗ることが出来た。
アネッサとは別れて、俺とルアは宮廷魔導師が居るとされる隣町への馬車に乗って揺られていた。空が白み始めたくらいの時間、なんだか目が冴えて眠れず一夜はとっくに過ぎようとしていた。
「そういえば」
隣のルアがつまらなさそうに周りの風景を見ながら、呟いた。
オレンジ色の髪が白けた空の澄んだ光に撫でられて、純粋な美しさを感じさせる。
「ブレイズの宮廷魔導師ってどういうのなんですか?」
「どういうのって言われてもな。エクリの評議会付き魔術師と同じようなもんだろ」
宮廷魔術師、その名の通りブレイズ王国では宮廷付きの高位魔術師を指す。その力は常人の魔導師のそれを優に超えるとされている。エクリでは貴族評議会付きの魔術師が同じようなものとして挙げられる。
ルアは俺の返答を聞いて、人差し指を頬に当てて首を傾げる。
「やっぱり、大規模魔法とか使えるんですかね?」
「かもな、魔法についてはお前のほうが詳しいだろ?」
「え、ああ、まあ……」
ルアは急にしおらしくなって、顔を下げる。俺にはその反応が何を指しているのか理解することは出来なかった。
道なりに進行方向を見つめていると、町を示す看板が見えてくる。そこに書かれていた町の名は。
「グリフィズ、か」
「町の名前ですか?」
「ああ、多分ブレイズの英雄アン・グリフィズを指すんだろうな」
ブレイズは幾度となく海岸から押し寄せる海賊たちの侵略を受けてきた。それを乗り越えて強固な王国を作り上げた始祖――それこそがアン・グリフィズだと言われている。
そんな歴史に思いを馳せながら、俺たちは町に到着するのを心待ちにしていた。
馬車代を支払ってから、地面に降りる。
半日も地面から足を離していると土を踏むのが新鮮に思えてくる。グリフィズの地面は前日に雨が振ったのか、少し柔かった。
既に日が上がって、燦々の白い光に町は照らされていた。そんななか、俺の横でルアは自分のお腹に手を当てた。
「いやあ、お腹空きましたね? 適当なところでご飯食べましょ?」
「俺たちゃ、食道楽のためにここに来てんじゃねえんだぞ?」
「腹が減っては戦が出来ぬ、と言うじゃないですか」
「何と戦うつもりなんだ、お前は」
呆れたようにルアの言葉に答えながらも、俺は食堂を探していた。半日の間、食べ物はおろか水さえ飲んでいない。乾いた身体は確かに食を求めていた。
そうして周りを見回しながら歩いているといきなりドンと脇腹に衝撃を感じた。
「きゃっ! ……ご、ごめんなさい!」
驚いてその方を見ると、そこには深青色のローブを着た少女が両脇腹を押さえながら、痛そうな仕草をしていた。ローブに似た青色の髪はポニーテールにまとめられている。ブレイズ人らしい灰色の瞳。ルアよりも貧相な体型の腰にはガチャガチャと魔道具らしきものを色々と付けている。
彼女は俺の視線を感じたのか、何度も頭を下げ続け始めた。白昼堂々、女の子の頭を下げさせている良い年した男――あまりカッコいいものではない。
『おい、走り回るんなら周りに注意しろよ』
『あ、あ……』
『あ?』
俺の言葉に反応して、青髪の少女は顔を上げて俺を見る。すると、何故かカクカクと体全体を瘧に罹ったかのように震わせ始めた。
「おい、大丈夫か?」
『こわいおとこのひと……ひゅぅっ――』
そのまま少女はその場に卒倒してしまった。あまりの展開の速さに俺とルアは互いに見合わせて、目をパチクリさせるほかなかった。
「はあ、なんでこんなことに……」
簡単に説明すると、俺は青髪の少女をお姫様抱っこで運んでいた。我知らずで置いていくことも出来たが、凄んでしまった自分のバツの悪さがそうさせた。貧相な身体のおかげで軽く持ち上げられたのは幸いだった。
今はルアと一緒に近くの宿屋を探しているところだった。当の本人は道中の屋台で買った茹でたじゃがいもを美味しそうに頬張りながら、町を観光しているようにしか見えないわけだが。
「ちゃんと探してんのかよ、お前」
「さあしへますおぉー、あ、ひょーあいあ(探してますよぉ、あ、教会だ)」
道の先に古びた教会が見えた。旅の者ならちょっと寄ってみたくなるようなそんな場所だ。
「やっぱ、観光気取りじゃねえか……」
呆れつつ、青髪の少女の様子を見る。すやすやと気持ちよさそうに眠っている。青色のローブは何処かのブランドの謹製だろう。少女がこんなものを着て出歩いているというのは少し不用心な気もした。
そんなことを考えていると、腕に収まっていた少女の呼吸が少し乱れた。目蓋がきゅっと閉じられてから、またゆっくりと開く。
『お目覚めか』
『ひゃっ!? な、なんでわたし、持ち上げられて……』
『こっちが訊きたいね』
お姫様抱っこで運んでいる以上、暴れられると色々と困る。気をつけて、落ち着いた口調を保って話す。
彼女の起床に気づいたルアはまた一口じゃがいもを口にしながら、ちらりと一瞥する。
「おひまひたうぇ(起きましたね)」
「お前は食うか、喋るかどっちかにしろ」
青髪の少女はしばらく状況が飲み込めない様子で周りをきょろきょろ見回していたが、俺達が話しているのを聞いていきなり落ち着いた様子になる。
そして、ゆっくりと桜色の唇を開いた。
「あなた達はもしかしてエクリの方ですか……?」
「あれ? エクリ語が話せるんですか??」
「え、ええ、ちょっとだけなら……」
珍しい出来事に俺とルアは顔を合わせる。
翻訳魔法が消滅してから、経過した時間は長いとも短いとも言いづらい。しかし、通訳者や翻訳者の育成は遅遅として進まないばかりか、低レベルの偽通訳者がのさばっている始末であり、それを貴族や役人がありがたがる地獄のような状況が今の時代だ。
そんなこの時代に他国の言語を非常に自然に、流暢に話せるというのは物珍しいものであった。
感心していると、青髪の少女は自分の状況を理解したのか、頬が段々と紅くなっていった。
「あの……降ろしてくれませんか? もう歩けるので……」
「ああ、そりゃそうだったな」
話の流れで完全に忘れていた。もう少し肌の柔さを堪能したかったという名残惜しさを頭の外に放り出す。
降ろしてやると、青髪の少女はローブに付いたホコリを払って、またぺこりと腰を折った。たらりとポニーテールが首の横に垂れる。
「さっきはすみませんでした……夢中で走ってたものですから、つい……」
「いいですよぉ、この人、こう見えてあんま怒ってないし!」
勝手に答えるルアの後頭部を軽く叩いた。縮こまる彼女を横目に俺は質問を続ける。
「しかし、まぁ、なんだ。なんであんなふうに走ってたんだ?」
オーダーメイドの高級そうな服と魔法具を付けている辺り、少なくとも成り上がり商人貴族家とかの出であろう。そんな少女が街中を走り回るなんて、何か理由があるに違いないと俺は踏んでいた。
少女はうつむきながら、長いため息をついた。
「逃げていたんです」
「逃げていた? 何から?」
「……」
途端に黙りこくってしまった。俺は腕を組んで、中空を見上げた。どうやらあまり詮索されたくないことらしい。
「私たち実は人を探しているんですよ!」
いたたまれない空気についつい口が滑ったとばかりにルアが切り出す。俺もそれに乗った。
「隣町のウェーアレスで、グリフィズに宮廷魔導師が居るって聞いてな。そいつを探しているんだ」
良家の人間ならコネかなんかで知っているだろう、という目測だった。しかし、青髪の少女は苦しそうな表情を浮かべるばかりだった。
しばらくして、彼女は諦めて呟くように言った。
「多分、それは……わたしのことだと思います」
「えっ?」
「遅ればせながら自己紹介をさせて下さい」
ルアと俺は恭しくお辞儀をする青髪の少女を目を点にして見るしか無かった。
「わたしの名前はイーファ・レヴィナです。ブレイズ王国宮廷付き魔導師の一人です。一応ですが……」
「俺はキリル・バルトだ。キリルでいい」
「私はルア・ディフェランスですけど……マジですか? こんな女の子が宮廷魔導師って」
「その……ごめんなさい……」
「何故謝る」
青髪の少女――イーファは縮こまって黙ってしまう。俺はため息を付きながら、先を続けた。
「俺達は翻訳魔法について調べているんだ。何か知っていることがあれば、教えて欲しい」
本題に入ろうとする。
しかし、彼女は「翻訳魔法」という言葉を聞いた途端に表情を曇らせた。その表情の機微を俺は逃さなかった。
「もしかして、お前は……」
イーファの顔は気づかれたか、というような諦めの表情に変わる。
「ええ、翻訳魔法が消えてしまったときの調査に携わっていた魔導師の一人です」
「す、凄いじゃないですか。あの魔法の叡智を扱えるなんて並とかスゴいってレベルの魔導師じゃ無理ですよ! 神……神魔導師だ……っ!」
また、一人で勝手に興奮しているルアを前にして、イーファはただただ申し訳無さそうな顔をする。
「でも、結局翻訳魔法は取り戻せませんでした」
「それは……」
「肝心なときに力を発揮できない魔導師なんて宮廷にとってはいらない子なんです。それで辞めようとしたら宮廷評議会の人たちが辞めないでってお願いしてきて……」
イーファは感情を吐露し続けていた。初対面の人間にこれだけ話すものなのだろうか。あるいは、今まで話す機会自体が与えられなかったのかもしれない。しかも、彼女にとってエクリ語で話すことはブレイズの人には分からないという意味で安心できることだったのかもしれない。
いつの間にか彼女の瞳は涙で潤んでいた。淀んだ空気が重さとなって肩にのしかかるようだ。
「わたしなんてダメなんです……断るにも断れないし、ずるずると宮廷に籍を置いちゃって……」
「ま、気休めにしかならないだろうが評議会にとっては翻訳魔法が復活できなくてもお前が必要だったんだろう」
「そうだと良いんですが……」
イーファは心配そうな顔をしたままだった。手を前で組んで、もじもじとしながらこちらを見てくる。
「あの、お願いがありまして……」
「なんだ?」
「近く一年に一度の収穫祭が行われるのですが、宮廷から魔法花火を作るよう依頼されていたんです。それを手伝っていただけませんか?」
「はあ、それで俺らにはどんな得があるんだ?」
「……些細なこととは思いますが、お礼として翻訳魔法について話せることを話したいと思います」
「――乗ったぁっ!」
ルアはがしっとイーファの両手を掴み上げる。イーファは目をパチパチさせていた。
「私たちで完璧な魔法花火を作ってみせますよ、ねえ、キリルさん!」
「独断専行姫め……」
呆れながらもこの娘の信頼を獲得するには手っ取り早い方法だと気づいていた。
三人はイーファの仕事場に足を寄せていた。宮廷付きらしく豪華かと思いきや、意外に質素な作りで、今俺達はそのうちの工房に居る。
テーブルの上には様々な魔道具が置かれ、部屋の脇には幾つか高価そうな大きめの魔法機械が置かれている。
頭上には多くの分厚い魔導書が置かれていた。ブレイズ語のものだけではなく、エクリ語やアイゲントリッヒ語、挙げ句の果てには俺すらも知らない言葉――おそらく古典語だろう――の本まであった。これで彼女がエクリ語に堪能なのも理解できる。
「ここが宮廷魔導師の工房ですか」
「え、ええ、他の宮廷魔導師さんと比べると少し物足りないかもしれませんが……」
「そんなことは無い、良く整備されてるじゃないか」
素人目に見ても魔道具や魔法機械がピカピカになるまで磨かれているのが分かる。そんな純粋な言葉にイーファは喜ぶ様子もなく、ただただ不安げな表情を浮かべるのであった。
「しかし、なんで魔法花火作りなんて話になったんだ?」
「わたしもお話を受けるまではてっきり別の人がやるものだと思っていたんですが……いきなりお話が飛んできて、時間もなくて他の人も頼れなかったんです」
「知り合いとか居ないんです?」
イーファはルアのそんな質問に首を振って、答えた。
「居るには居るんですが、宮廷評議会の人たちが『一人で出来るだろう』とか『お手伝いを雇っても足手まといになるだけだろう』だとか言って、勝手に進めちゃって……」
「そりゃ酷いな」
この娘は人に意見を言うのが苦手そうだから、きっと宮廷評議会の人に買い被られていたのだとしても反論することは出来なかっただろう。
こくりと頷くイーファを横目に俺はそんなことを思っていた。
「だから、お二人が手伝ってくれるのはとてもありがたいことなんです」
「俺みたいな魔法の素人でもか?」
「ええ、魔法学的なことは私がどうにかできるので、お二人は作業に専念していただければ」
「私は治癒師ですから、ある程度魔法分かりますけどっ」
ルアが腰に手を当てて、抗議するように言う。イーファはそんな彼女の様子に少し困った様子になるが、ややあって本棚から一冊の本を取り出した。
ルアと俺は不思議そうにその本を覗き込む。表題は古典語らしく読めない。
「何の本なんだ?」
「爆炎魔法の高度な制御に関する本ですね。魔法花火は爆薬を使わないので事故が少なく安全な代わりに、爆炎魔法の制御が肝心なんです。まあ、わたしの専門ではないので少し難しいんですけど……まあ、さっぱりというわけでもないので……」
説明しながらイーファはページをペラペラと捲る。何を表しているのか良く分からない図やら文字の羅列が目の前を流れていった。
ルアはそんな本にくらっと来たのか、瞑目して頭を押さえた。
「そ、そういうの読んでて頭痛くなったりしませんか?」
「いえ、これくらい読まないと何も出来ませんから…… ルアさんは、本を読むのが苦手なんですか?」
「文字だらけの本はどうにも頭に入ってこなくて……」
「普段はどんな本を読まれるんですか?」
「えっとぉ……」
ルアは指を頬に当てて、中空を見ながら考える仕草をする。そんな彼女をイーファは不思議そうに見つめていた。
口ぶりからしてまともに本というものを読んだことが無いのだろうことは明白だった。イーファにとっては逆に本を読まない人間というののほうが珍しいという感じなのかもしれない。
助け舟を出すわけではなかったが、俺は雑談を断ち切るために口を開いた。
「それで、俺達はどんな作業をすれば良いんだ?」
イーファはページを更に捲り続けている。どうやらその本に目次というものは無いらしい。
「正しい分量で調合をしてほしいんです。まず、そっちにある龍酸にレイブレスを加えてから、そっちの冷却器で冷やして竜粉を晶析させるところからですね」
「倒れそう……」
専門用語の羅列にルアは顔面蒼白という様子だった。分からない用語ばかりで俺もなんだか心配になってくる。
そんな二人を前にしてイーファは澄んだ声で続ける。
「大丈夫です、手順は教えますからそのとおりやってもらえれば失敗はしないはずです」
「はいよっと」
その後、早速俺達は作業に入った。イーファが丁寧に説明をして、俺達はそのとおりに工程を進めていく。
教えられたままにやっているだけだが、段々と自分が錬金術師になったかのような感覚がして気分が高まっていった。ルアも似たようなことを思っているのか、血色の良い顔色をしている。
イーファはといえば黙々と本を読み漁りながら、隣の部屋と行ったり着たりを繰り返していた。追加の材料や器具を揃えているのだろう。
何度目かもう覚えていないそんな往来を見送ってから、ルアは静寂を断つように口を開いた。
「しかしまあ、単純作業を繰り返すってのも退屈ですね」
「これで花火が見れたら、それだけでも儲け物と思わないか?」
「まあ、それはそうですけど……あ、そうだ」
ルアはいきなり手をぽんと叩いて、何かを思いついたような顔をする。
「ちょっとずつ作業しているから一向に進まないんですよ。こうやってドバーッって入れちゃえば良いんです」
「おい、勝手なことは止めたほうが……」
「大丈夫ですよ、イーファさんも安全だって言ってましたし」
ルアが指示された材料を容器にどっさりと盛り、その上から手順に従って指定された液体を注ごうとする。
イーファは部屋に戻ってきて、それを目撃した途端持っていた資料を床に落とした。
「ルアさん、それは……!!」
そして、彼女がルアの近くに寄ろうとした瞬間、ぼふん!という音とともに辺りが真っ白に曇る。俺達はむせた。息をするたびに吸い込んだ粉が喉を刺激するような状況だ。
「けほっけほっ、ルアさん、大丈夫ですか?」
イーファの声が聞こえる。
「大丈夫っちゃ大丈夫なんですけど……」
「あれは一度に大量に処理すると、こうなっちゃう材料なんですよ。ちょっと換気しますね」
イーファが部屋の入口で何かを唱える。それとともに部屋の中に空気の流れが生まれて、みるみるうちに白い靄が晴れていった。おそらく風属性の魔法で換気を行ったのだろう。
俺は呆れつつ、ルアの背後に近づいた。彼女は少し懲りたような顔で肩をすくめて俺の接近に答える。
「だから、止めておけと言ったんだ」
「だってえ……」
「まあ、たしかに単調すぎる作業だったかもしれませんね。ちょっと休憩にしましょうか」
そういったイーファは本棚の下にある戸棚を開いて、その中からティーセットを取り出してくる。質素な魔術師には合わない豪華なティーセットだった。
それをイーファは慎重に、しかし慣れた手付きで紅茶を入れていく。彼女が紅茶の入れ物を開いた瞬間、部屋に落ち着いた芳香が漂う。
食道楽のルアが人一倍それを感知していたのか、アンニュイでのっぺりとした表情になる。
「良い香りですねえ……」
「アイゲントリッヒ帝国の極東部――フソウで取れるお茶です。ブレイズでは味わえないエキゾチックな香りがして好きなんです」
ティーカップに注がれる澄んだ薄緑色の液体は、ブレイズやエクリで飲まれる一般的な紅茶とは大きく違う見た目をしていた。
珍しいお茶に興味を惹かれていると、イーファは「あっ」と何かに気づいたような声を上げた。青いポニーテールが触れて、彼女の顔がこちらに向く。
「えっと……もし、これが嫌いでしたら言ってくださいね。代わりにエクリテュールの紅茶も置いているので」
「いや、せっかくだから頂くことにしよう」
「そうですね」
イーファは俺達の答えを安心した表情で受け止める。ティーカップの受け皿に砂糖菓子を一つ付けて、二人に渡した。
「しかし、異国のものは高価だろう。こんな行きずりの旅人に出して良いものか?」
「いえ、私が買ったのではなく、宮廷からのお礼として頂いたものですので……その、飲むと落ち着くので好きではあるんですが、頓着していないというか……」
イーファが言葉を探していると、ルアは目を輝かせながらイーファの両手を取った。
「頓着していないんですかっ……!?」
「え、ええ……」
「じゃあ、何杯でも飲めますね!!!!」
「お前というやつは……はあ、まったく」
少しは慎みというものを覚えてもらいたいという気持ちだったが、イーファは気にしない様子でにこやかに口角を上げた。
「キリルさんもおかわりが欲しかったら言ってくださいね」
「あ、ああ……」
そういって、イーファは自分のティーカップに手を付けた。一口飲むとほっと吐息を漏らした。
「そういえば、魔法花火ってなんなんですか?」
受け皿に添え置かれた砂糖菓子をつまみ上げながら、ルアはそういった。
俺はその言葉に耳を疑った。
「お前、それも分からずに作っていたのかよ」
「いや、祭りに使うものだから、飾りか何かかと思ってたんですけど調合とか爆炎魔法とかの話をしててさっぱり分からなくなっちゃったんですよ」
「はあ」
疑問に満ちた顔をするルアをイーファはおどおどしながら、自分の両手を見ていた。
「もしかして、良く分からないものを作らせて、怖がらせたりしてませんか、わたし……?」
「いえ、そういうんじゃなくて――」
「あぁ……わたし、またやっちゃいました……やっぱりダメな魔導師なんだ……」
「うわっ、面倒くさっ……」
ルアはドン引きしていたが、俺はそうでもなかった。
自虐はイーファの癖のようなものかもしれない。自己肯定感は低いのかもしれないが、こういう発言は彼女のような人間にとってもっぱら儀式的なものだ。
「そ、それで魔法花火って何なんですか?」
「ああ、魔法花火はですね」
自虐していたイーファはルアの問いかけですぐに元の調子に戻った。
彼女は背後の本棚を漁りだし、一冊のきらびやかな装丁の本を取り出して机の上に広げた。どうやら図や絵が大量に乗っている本のようだ。
そこには夜空に打ち上がるカラフルな炎の演舞が描かれていた。息を呑むような絵は俺とルアの視線を引きつけて離さなかった。
「綺麗ですよね。魔法花火っていうのは魔法の力を使って、空に火で色とりどりの演出をするものなんです」
「エクリでは見たこともありませんね……」
「まあ、それこそフソウみたいな極東から最近やってきた芸術だしな。俺達みたいな東方人じゃないヤツが知っている方が珍しい」
「じゃあ、キリルさんはなんで知ってたんですか?」
ルアは不思議そうに首を傾げる。
そういえば、どうして知っていたのだろうか。考えてみるものの、よく思い出せなかい。ルアに「分からない」とだけ短く答えて、俺は出されたお茶にやっと手を付けた。落ち着いた苦味が口に広がる。確かに、一服したいときには合いそうな味だ。
「それで、今回の魔法花火はどんなやつなんだ?」
「あ、ええっと、フソウで伝統的に使われているシダレヤナギという型を使おうと思っているんです」
イーファは本を数ページめくって、それを見せてきた。
そこには無数の金の糸が空から垂れ下がるような、そんな綺麗な情景が描かれていた。これが現実に空に描がかれれば、その迫力と美しさは人を魅了することだろう。
しかし、何故かイーファはがっくりと肩を落とした。
「でも、上手く出来るかどうか自信がなくて……」
「作り方自体は分かるんだろ?」
「はい。魔法理論も、作用機序も分かってうえで作っています。でないと危険なので……それでも、祭りの日にこの絵みたいに綺麗な景色が作れるかは自信がないんですよ」
はあ、と大きなため息をつくイーファを前に俺は腕を組んだ。
「とりあえず、作ってみないことにはわからないだろ」
「それは……」
「そうですよ、せっかくですから完成させてから失敗したらそのとき悩んだら良いんですよ。私達も協力しますしっ!」
ルアはにこっと明るい笑みを見せる。俺達の励ましにイーファは心を打たれたように頷きを返す。
「そう……ですよね……」
「そうと決まったら、早速作業を再開しましょう!」
ルアは勢いよく立ち上がって、持ち上げたカップを呷る。そして、ごきゅごきゅと喉を鳴らしてお茶を飲みきった。
行儀は悪いが、彼女のやる気が伝わってくるようだった。
「では、お二人には申し訳ないんですがお使いに行ってきて欲しいんです」
「「お使い?」」
俺とルアの言葉が重なった。イーファはこくりと頷いてから、先を続ける。
「さっきの爆発で減った分の材料を補充しないといけないので、お隣の宮廷魔導師専用の倉庫に行って取ってきてほしいんです」
「そんなところがあるのか」
「大体の材料とか魔道具はそこからお借りしているものなんですよ」
さすがのサポート体制に驚く。宮廷魔導師という地位はこれほどまでに優遇されているのか。
しかし、そんな俺の驚きをイーファは首を振って否定した。
「共用なのでそんなに良いものじゃないですよ。よく使う材料とかは時々在庫がなくなってたりしますから」
「えー、それじゃあ、さっきの粉みたいなのも無くなってるかもしれないんですか?」
ルアが心配そうに聞くと、イーファはもみあげを弄りながらしばらく考えてから答えた。
「さっきの材料は小竜角粉というものなんですけど、あまり使わない材料なんですよ。多分まだ残っていると思います」
「そうか、ならさっさと取ってきたほうが良いな」
「宜しくお願いします。倉庫はここを出て、すぐ隣にあります。青い屋根が特徴的なのでよく分かると思いますよ」
「分かった、どれくらい必要なんだ?」
「そうですね……」
イーファは考え込むような様相になる。
「60フェイン……といっても分かりませんよね……」
「フェイン?」
ルアが聞いたこともない言葉に首を傾げる。俺の方も聞いたことはないが、文脈から大体見当は付いていた。
「重さの単位なんだろ」
「ああ、うちでいうイグナですか」
「多分、1イグナと1フェインは等価じゃないがな」
度量衡は国や地域によって異なる。
商人であれば、この事実はよく知っているところだが、言葉の通じる国からめったに出ないであろう冒険者や魔術師にとっては知らなくても当然なことだった。
イーファは細い腕を組んでしばらく悩んでから、背後の用具入れを漁り始めた。その中から、革袋を取り出してこちらに出してきた。
「とりあえず、この革袋いっぱいに入れてきてください」
「分かった」
俺は受け皿に置かれた砂糖菓子を口に放り込むと噛み砕いて、お茶で流し込んだ。そしてイーファの差し出した革袋を受け取る。
「それじゃあ、行ってくる」
「ええ、道中お気をつけて」
イーファに見送られながら、俺とルアは彼女の仕事場から出たのであった。
仕事場を出てから、日の位置を確認する。まだ、太陽は高い位置にある。まだ、お昼の時間からそれほど経っていないようだった。時計など無くてもこのように太陽の位置が分かればある程度時間は分かるものだ。
そんな俺のよこでルアは腕を組んで難しそうな顔をしていた。
「それにしても、イーファさんって凄い魔導師なのに性格があれで残念ですよね~」
「まあ、世の中にはいろいろな人間が居るからな」
適当に返す。俺は青色の屋根を探すのに集中していた。
「あったぞ、青色の屋根だ」
イーファの言うとおり、その建物はすぐ隣に立っていた。倉庫然としないような神殿のような綺麗な建物だった。透き通ったような白はどうやら大理石らしい。その上に帽子を被るように青色の屋根が乗っかっている。
入口らしき通りに近づくと、視線を感じた。俺達が入るのを塞ぐように中から魔導師らしき青年が出てきた。犬耳が生えており、彼の背後では尻尾が振れている。どうやら獣人の類らしい。
彼はイーファと似たような制服を着ていた。おそらく宮廷魔導師の服装は決まっているのだろう。
彼は俺達に怪しそうな表情を向けた。
『ここは宮廷魔導師以外、立入禁止だぞ』
『その宮廷魔導師のイーファ・レヴィナにお使いを頼まれて来たんだけどな』
『本当か? 怪しいが……』
獣人の魔導師はそこまで言ったところで、鼻を利かせ始める。獣人たちは本能的な衝動癖がある一方、普通の人間と比べて知覚能力が高い。匂いで何かを察知しようとしているのだろう。
彼は一通り匂いを嗅ぎ終わると、何かを納得したかのように腕を組み直して道を開けた。
『通っていいぞ』
「一体、何を確かめていたんですか?」
建物に入るのを認められたのを理解したルアが呟く。俺も疑問だったので肩をすくめてみせて尋ねてみる。
獣人の魔導師はそれを見て、やれやれといった表情になった。
『お前ら、レヴィナさんの作業場でフソウの茶を飲んだだろ』
踵を返して、奥へと向かう獣人の背を俺は驚きながらただただ追うのであった。
倉庫の中は外見とは異なりとても広く感じた。手前から奥の突き当たりに行くだけでも時間がかかりそうだ。ひんやりとして薄暗い室内にはびっしりと様々な調合材料やら魔道具が置かれている。必要な材料――小竜角粉を見つけるには時間がかかりそうだった。
顎をさすって悩む俺を前にルアは小走りで獣人の魔術師に駆け寄って袖を引く。
「小竜角粉ってのは何処にあるんです??」
俺はルアのエクリ語を翻訳して、彼に伝える。
『それなら、粉の列の角系のところにあると思うが』
「粉の列の……角系……」
ルアは困惑しながら、そう呟いた俺の方を見た。
確かに部屋の中には何かを示すような表示版がところどころ飛び出していたが、ブレイズ語でもエクリ語でもなく絵文字のような何かが書かれているだけであった。どれが粉を表し、角系がどれなのかを判別するのは至難の業だった。
『出来たら場所を教えて欲しいんだが』
『おいおい、グリフも読めないのか? レヴィナさんも変な弟子を取ったな』
「……私達、弟子じゃないんですけどっ!」
腰に手を当てたルアがむっとした顔で抗議する。獣人の魔導師はそれを受けて、きょとんとした顔になってしまう。ブレイズ語とエクリ語の「弟子」という単語は同じ音だ。ルアもそれでふと耳に聞こえた言葉に反応したのだろう。
彼がそういう反応になるのも無理はない。大抵、宮廷魔導師なんかに関わるのは弟子と役人、それと宮廷の関係者である貴族や王族くらいなものだ。
「ばったり出会って、いきなり手伝いをお願いされたんだよ」
「そんなこともあるのか、あのレヴィナさんがお手伝いを……」
彼は呆けた様子で歩きながら、考え込んでいた。二人とも考え事をしながら、歩いていたせいで自然とその速度は遅くなっていた。
表示版が一つづつ頭の上をゆっくりと通り過ぎていく。
『どうやら彼女のことをよく知っているようだが』
『宮廷の中でも一二を争う高位魔導師だからな。宮廷に関わっていて、知らないほうがもぐりだ』
『ふむ』
ルアは頭の上を通り過ぎていく表示版に書かれた「グリフ」とやらを静かに眺めていた。数々の絵文字は確かに見ていて飽きないものだった。
ふとイーファのことが気になった俺は獣人の魔導師に尋ねることにした。
『翻訳魔法の件以来、ずっとあんな様子なのか?』
『ああ……』
彼は深くため息を付く。
『昔は幼くても凛々しい、誰もが畏敬の念を抱くような大魔術師の風格を持っていたんだが、今じゃあんな感じでな。自信を打ち砕かれるってのはこれほどにも人心に堪えるものなんだな』
『俺も似たような経験がある』
『そうなのか、弟子じゃないとは言ってたが魔法の心得でもあるのか?』
『いや……』
背後のルアの様子を見ながら、どう答えるべきか考える。
昔、師匠が言っていたことを思い出した。言葉がわからずとも雰囲気で意味は伝わるのだと、そのうえで通訳者や翻訳者は職人としての正確さを求められるのだと。
だからこそ、ブレイズ語が分からないのだとしても「翻訳者だった」と堪えるのは気が引ける。
答え方を迷っていると、獣人の魔導師は鼻を鳴らして居直った。
『ふん、不思議な奴らだ。まあいい、自己紹介を忘れたな。俺はエーリッヒ、宮廷魔導師だがここの倉庫番をやっている』
『キリルだ』
短く答えると獣人の魔導師――エーリッヒはその場で立ち止まった。ややあって、棚に置かれたガラス製の容器を指し示す。
『そこにあるのが小竜角粉だ。必要な分だけ持っていくと良い』
『助かる、ありがとう』
そういうと彼は気恥ずかしそうに頬を掻きながら、その場を去っていった。そのガラス製の容器を下ろすと、ルアと一緒にその中を覗き込む。
「ああ、これです。さっさと革袋に詰め込んでイーファさんのところに戻りますよー!」
張り切るルアはガラス製の容器の中に横たわる匙を頭上に持ち上げる。それを俺は取り上げた。
「よこせ。そうやって雑にやろうとするから、失敗するんだぞ」
「少しは私にも良いところを見せさせて下さいよ!! オトナでしょ!」
そういってルアは俺から匙を取り返そうとぴょんぴょん飛び始める。セミロングのオレンジ髪が飛び上がるたびに左右に振れて可愛らしい。
しかし、そんな可愛さに惑わされてはいけない。
俺はルアの頭頂に軽く手刀を入れる。彼女は懲りたのか、涙目で頭を押さえながら引き下がる。
「いたぃ……」
「まったく」
俺は匙で革袋に粉を移していった。革袋の口を閉じて、ルアの方を見やる。彼女はまだ痛がっていた。そんなに強く叩いたつもりは無かったのだが。
「おい、大丈夫か? もう終わったから行くぞ」
「は、はい……」
なんだか少し怯えられているような気がしなくもない。気になりながらも、掛ける言葉は出てこなかった。
出入り口のところでエーリッヒが脱力した顔で紫煙をくゆらせていた。手元には細身のパイプがある。一服中のところを邪魔しないように静かに前を通ろうとしたところ、俺の耳に小さい囁きが入ってきた。
『お前たちと関わって、レヴィナさんの中で何かが変わると良いが』
つい口にしてしまった、というような口調だった。俺はその言葉の意味を聞き返すこともなく、彼の前を去ったのであった。
「お二人とも御足労でしたね。おかえりなさい」
イーファは部屋に戻ってきた俺達を見るやいなや、やんわりとした微笑みを浮かべた。
俺はその手元に革袋を差し出した。
「ほら、言われたものだ」
「中身はこれで間違いないようですね。では、花火作りに戻りましょうか」
「よーっし、ぱっぱと作って、終わらせちゃいますよーっ!」
「さてはお前、懲りてないな?」
俺達のやり取りを見ながら、イーファはくすっと笑っていた。自信がなくて、すぐ落ち込んでしまう彼女が笑う瞬間は特別に感じられた。
そのあとルアは丁寧に仕事を行い、俺もそれに続いた。調合された材料はイーファの魔法で花火玉として組み上げられていく。丁寧な仕事で作り上げられた花火玉達は、その外見だけでも一つの芸術品として成り立っていた。
必要量の花火玉が作り上げられた頃には、俺もルアもヘトヘトになっていたが、イーファの顔は達成感で輝いていた。
「ふぁぁ…… やっと終わりましたね……」
「ありがとうございました。一人だったら、こんなに早くは終わらなかったはずです……」
「良いんだよ、これで俺らも花火が見れるからな」
そんなふうに言うと、イーファはまた不安そうな顔をする。
「本当に成功するでしょうか」
「まあ、そう心配するなよ」
「そうだ! このあたりで花火がよく見える場所ってありますか?」
ルアは明るい顔でイーファに訊く。しばらく悩んでから、彼女はぼそっと答えた。
「多くの人は広場で見ると思いますよ、屋台とかも出ますし……」
「じゃあ、三人で広場に行って花火を見ましょうよ!」
「おお、確かに良いかもな」
人混みの賑やかさを楽しむのも祭りの醍醐味の一つである。それにこういうときの屋台の食い物は祭りの日に特別感を与える。
俺には悪い提案には思えなかった。
しかし、イーファは何かに臆するような表情で俯きながら、口を動かせないでいた。その心は簡単に読むことが出来た。
「大衆が怖いか?」
イーファは俺の言葉にはっとして顔を上げる。
「大丈夫だ、俺達が居る」
「そうですよ! お祭りを楽しみましょうよ!」
「キリルさん……ルアさん……」
桜色の小さい唇が俺達の名前を読んで震える。イーファは口を一文字に結んで、胸に手を当てた。
「分かりました、一緒に花火を見ましょう」
「そうこなきゃ!」
ルアが飛び上がって喜ぶ。
「で、でも、絶対に広場で待っててくださいね」
「もちろんだ。今更、置いてくなんて悪戯をする意味はないだろう」
「それはそうですけど……でも、絶対ですよ!」
「わかった」
「絶対ですからね……?」
「しつこいな!」
思わず怒鳴ってしまった。「あうぅ」という言葉とも鳴き声ともつかない声を上げて、イーファは怯んでしまっていた。
「ご、ごめんなさい……」
「良いか、そっちこそ絶対に来るんだぞ?」
「はい……」
イーファはまだ訊きたいと思っていたかもしれないが俺の圧に押されてそれ以上は何も言わなかった。
少し言い過ぎただろうか? いや、これくらいで引っ込んでしまったら、俺にはどうしようもなくなってしまう。
その日はイーファに案内してもらって、本来は宮廷魔導師に与えられるはずの仮眠所に入れてもらった。彼女自身は自宅があるらしく、そこに帰るらしい。
仮眠所とは名ばかりで、中は豪華邸宅のような感じだった。部屋の中は高価そうな調度品に溢れ、ベッドはいい匂いがする。ブレイズの王と貴族の権力を見せつけられたような感じがした。
「……で、お前はなんで俺の横で寝てるんだ?」
「えー、良いじゃないですか。一部屋しか借りられないんですしーベッドも広いですしー」
ベッドの両端で二人は寝ていた。イーファの名義でラウンジを抜けたために、部屋は一つしか取れなかったのである。
年頃の娘と寝ていると考えるとどうにも気が休まらなかった。
ルアはといえば、そんな俺の心労も鑑みずふかふかのベッドの上ではしゃいでいた。しばらくすると、彼女も疲れたのか落ち着いて天井を見つめていた。
「明日のお祭り、楽しみですね」
「ああ」
最後に祭りに行ったのはいつだろうか。
ふらっと寄った町で祭りが行われていたことはあったかもしれないが、ある祭りに行きたいと思って人と連れ立って行った最後の祭りは一体。考えているうちに眠気が襲ってきた。心地よい疲れと共に意識が靄の中に吸い込まれていく。寝落ちするまでついぞ思い出すことはなかった。
* * *
「その布切れは何だ?」
祭りの日。
花火の時間の少し前、空が夕焼けに染められ始めたくらいの頃合い。ルアが散歩してくると言って、いきなり仮眠所を出た後のことであった。
帰ってきた彼女の両手には二つのデカい布切れが掴まれている。縫い込まれた模様はブレイズ人やエクリ人のセンスとは異なるエキゾチックなものだ。
ニンマリとした表情のルア。その意図は良く読み取れない。
「これはですね! 極東に由来するユカタっていう服らしいんですよ」
「そんな質素な作りで服なのか……」
「夏の祭りの日とかに着る服なんですって、着ていきましょう!」
「まあ、面白そうだな」
ルアから渡されたユカタとやらをじっくりと見る。こういうときに翻訳者魂のようなものが湧き上がる。異国のものに対する興味、もっと知りたいと思う情熱。そんな感情に突き動かされながらユカタを見つめているとしゅるりと布が擦れる音が聞こえた。顔を上げようとした途端、「あ、ダメですよ!」と強く制止される。
「今着替えてるんですから、こっち見ないでください」
「……俺の前で着替えるんじゃねえよ!?」
焦り、振り向き、両手で目を隠す。
背後で布が擦れる音がただただ聞こえていた。
「あれえ? 洗濯板には興味なかったんじゃないんですか?」
「そういう問題じゃねえ……」
しばらくして、ルアが「良いですよー」というまで俺はじっくりと年頃の女の子の着替え音を聞かされることになった。一体どういう状況だ?
振り返ると落ち着いた青緑の服を着た美少女がそこに立っていた。文章でしか読んだことはないが、その容姿はフソウの方で作られている人形にそっくりだった。
目を釘付けにされて、じっくりと見つめているとルアは腕を後ろに回して珍しく恥ずかしげに俺から視線を外す。
「どうです? 変じゃないですか?」
「わ……分からねえよ、俺は極東の服の仕組みなんか知らねえし」
素直に「綺麗だよ」なんていうのは俺の柄じゃなかった。照れ隠しのような返しだったが、実際正しく着れているのか良く分からない。
アマ・サペーレ大陸の中央に位置するエクリテュール貴族評議会とアイゲントリッヒ帝国の国境は大きな山脈で区切られている。このため、エクリとブレイズはほとんど船でしかアイゲントリッヒ帝国と行き来が出来ない。
アイゲントリッヒ帝国の文化は他の二国と比べて違うところが多い。その中でも最果てである極東の文化は大きく異なるため、こちらに伝わってくることも伝説的なものが多い。
「うーん、お店の人に習った着方で着てるんですけど」
「一度その辺を歩いて着崩れなかったら、あってるんじゃないか?」
「そうですね、ちょっとまた散歩に行ってきます!」
そういって、ルアは勢いよく部屋を飛び出していく。
元気なもんだなと感心するとともに、俺は手元のユカタを見つめる。着方は分からないが、ブレイズ人には間違いがわかるまいと思って適当に羽織って、帯を結んだ。
広場には多くの人が集まっていた。様々な屋台が立ち並び、祭りの雰囲気を楽しむ人々でごった返している。
「それにしても、遅いですねえ」
ユカタを着たオレンジ髪の少女――ルアがふと呟いた。その手元には屋台で買ったスカッシュが握られている。
イーファとの約束の時間はとっくの通り過ぎてしまっていた。花火が打ち上がる時間はあと数分と迫っている。彼女は約束の時間に現れず、今に至る。
「宮廷関連の人ですし、誰か偉い人に呼ばれてるのかもしれませんねぇ」
「……そうだったらいいが」
何か悪い予感がする。ルアの言葉が楽観的すぎるように感じるのがその証拠だった。
意味深な言葉で答えた俺をルアはきょとんとした顔で見つめる。色々な可能性が頭の中をよぎるなか、背後で破裂音が鳴り響いた。振り返ると、火の玉が真っ黒な空を駆け上がって、高いところで爆ぜる。瞬間、烏羽玉色の空に幾つもの金糸が滝のように夜を彩った。
歓声が上がる。そんな状況を目の前にして、俺は決心した。
「ルア、お前はここで花火を見てろ」
「何処に行くんですか?」
「用を足してくる」
そういって、俺はルアに背を向けて走り出した。
もちろん用を足しに行くわけではない。人混みを駆け抜けながら、考える。一体彼女は今何処に居るのだろう。
そんなとき人混みに混じって花火を見ているエーリッヒの姿が見えた。ラフな格好で空を彩る光の舞を見上げている。そんな彼の肩を掴んで、自分の存在を気づかせた。
「うわっ、キリル……だったっけか。どうしたんだ、そんなに急いだ様子で?」
「イーファは、今日はどうしてた」
宮廷で知らない人は居ないとのたまった人間だ。イーファの行動もある程度分かるだろうと思った。
エーリッヒは驚きながら、頭の中を探るような表情になる。
「家を出て、仕事場にまで出てきたんだろうってのは知ってたよ。今日も倉庫に顔を出してたからな」
「倉庫に……? 花火玉作りの仕事は終わってただろ?」
「そうだったらしいな。そういえば、エーテルトキシンなんか持ち出してたけど何だったんだろうな?」
「何だそれは?」
エーリッヒは目尻を上げて意外そうな顔をする。俺が余裕無さげに凄むと急いで言葉を出そうと「あーえー」と舌を回し始めた。
「ま、まあ、そうだな。花火玉なんかに使うもんじゃないな、そんなことしたら皆死んじまう」
「死ぬ?」
「ああ、だってエーテルトキシンは毒だから――」
聞き終える前に俺は走り出していた。背後からエーリッヒが「おい!」と呼びかけてくるが、足を止めている暇は無かった。
――クソッ!
内心毒づく。一体何をやっているんだ。一緒に花火を、完成品を見ようと言ったというのに。こんなに心配させて。
イーファの仕事場まではそれほど掛からなかった。なだれ込むようにして、工房の中に入る。
そこには青髪ポニーテールの少女――イーファが居た。工房の窓からは花火が弾ける様子が少し見える。彼女はその窓に背を向けるようにして部屋の隅でうずくまっていた。
騒々しい足音で気がついたのか、そろりとこちらに顔を向けた。その瞳は涙に満ちていて、頬にこぼれた涙の筋が残っていた。そして、膝の上で両手で掴んでいるのは怪しげな小瓶だった。
「……キリルさん」
しゃがれた声で彼女は俺の名前を呼ぶ。きっと泣きじゃくったのだろう。
俺はそれに答えずに彼女の両手から小瓶を奪い取った。力の弱い彼女から物を奪うのは容易だった。そのまま掴んだ小瓶を工房の窓から外へと投げ捨てる。
カシャン、とガラスの割れる音がした。
「あ……」
「何のつもりだよ、これは」
相手を衝動的にさせないように自分を抑えていたが、どうしても漏れ出る感情がドスとなって声色に移ってしまっていた。
イーファは静かに泣き出した。
「やっぱりダメなんです……わたし……」
「何がダメだってんだよ」
「また……失敗してしまうのが……怖いんですっ……!」
嗚咽混じりの声が自分を貫いたかのような気がした。
イーファは鼻をすすり、一拍置いてから続ける。
「翻訳魔法のときと同じなんです。皆、わたしに期待して、お願いしてくれます。でも、宮廷魔導師の肩書を信頼されてお願いされた仕事を果たせなかったときの辛さは誰も分かってくれません」
「イーファ、お前」
「誰にも理解出来ないものを一人で背負い込んでいくしか無いんです。それくらいだったら、いっそ――」
「馬鹿野郎!」
俺は言葉を紡ぐイーファの小さな手を取った。白くて、小さくて、肌は絹のような繊細な触感だった。
イーファは涙目のまま、そんな俺を見上げる。
「行くぞ」
「何処へですか?」
「良いから、立て」
半ば無理やりにイーファを引き起こす。よろける彼女の手を引いて、俺は走り始める。とにかく走る。
「キ、キリルさん、一体何処へ……?」
「もうすぐ着く」
とにかく走って、着いたのは例の広場だった。イーファは連れてこられたことにやっと気づいて逃げようとするが、俺は彼女の背後からがっしりと両肩を掴んで動けなくする。
「キリルさん……! 離して……!」
「よく見ろ!」
はっとしてイーファは目を見開いた。
高く飛び上がる火の玉、夜空のキャンバスに描かれるシダレヤナギ、それを見て大喜びする子供たち、肩を寄せ合って美しい光のショーを見上げる恋人たち、大きな音に驚きつつじゃれ合う家族連れ。
そういった情景から失敗の文字は導き出せなかった。
「凄い……」
イーファは温かい息とともに言葉をもらした。流れる涙は恐れから感動へと変わっていた。
「自分が出来ることをすればいいさ。宮廷魔導師だからとか、そういうの関係なくな。そうしたら、そのうち人々だってお前のことを分かってくれる。そのうちお前自身、お前のことが認められるようになるさ」
「キリルさん……」
「それで良いだろ?」
既に肩を掴む両手に力は入っていなかった。それが表すのは彼女自身がこの「成功」を受け入れたことを表していた。
イーファは振り返ってこちらを見る。涙はまだ止まらない様子だ。でも、その顔は晴れ晴れとしていて、清々しかった。
彼女はこれまでに見せてこなかったほどの綺麗な笑顔を俺に見せてきた。
「ありがとうございます、キリルさん」
彼女の背後でまた一つ花火が上がった。
それと共にイーファに誰かが横から抱きついてくる。ルアだ。何故かよよよと泣いている。
「イーファさぁん~~~探したんですよぉ、広場中探したのに見つからなくてぇ、よよよ……」
「す、すみません、だからほら、泣かないで」
「よよよよよ……」
イーファは急いで服のポケットからハンカチを取り出してルアの涙を拭く。彼女こそハンカチが必要なんじゃないかとも思ったが、そんなことを言うのは無粋だった。
なぜなら、彼女の涙はルアも気づかないほどに乾いていて、もう前を向けるようになっていたから。
俺は腰に手を当てて、空を仰ぎ見る。
また金糸が空を零れ落ちていった。
* * *
「ついてくる?」
俺は腕を組みながら、目の前の青髪ポニーテールの少女――イーファの言葉を聞き、耳を疑った。
祭りの次の日、仮眠所に現れたイーファは「旅についていきたい」と言い出したのだった。
「はい、宮廷評議会の方に長い休みをお願いしました。キリルさんとルアさんには大切なことを気づかせてもらえたので、足手まといになるかもしれませんが……」
「良いじゃないですか、翻訳魔法に関わった専門家がついてくるなんて」
「はい、あのときは失敗しましたが、魔術師としてこの異常の原因が何なのかには興味がありますし、どうか旅について行かせてもらえませんか」
イーファは上目遣いでこちらを見てくる。
俺は翻訳者だということと、多少の面倒臭さで内心微妙な感情になっていたが、彼女をここで突き放しても夢見が悪くなるだけだった。
ルアとイーファは期待に満ちた顔で俺の返答を待っている。俺はため息をついて、それから答えた。
「分かった、お前もついてこい」
「はいっ、ありがとうございます!」
彼女の満面の笑みが微笑ましい。ルアも飛び上がって喜んでいた。
かくして、我らがパーティーにまた一人魔術師が増えることになったのであった。
俺達三人は馬車に揺られていた。
イーファの宮廷魔導師としての特権は交通にも適用されるらしく、専用の馬車を借りることが出来た。
目指す先はグリフィズから少し離れた町アーザス。イーファ曰く、そこには大図書館があり、翻訳魔法に関する記録が見られるはずだということらしい。
馬車が揺り籠になったのか、ルアとイーファは肩を寄せ合ってすやすやと無防備な寝顔を晒している。イーファは泣きまくったために、ルアは祭りではしゃぎすぎたために疲れ切っていたらしい。その反対側の席で俺は腕を組んで、二人を見守っていた。
二人の寝顔はどれだけ見ていても飽きない可愛らしいものだった。
「お兄……ちゃん……」
突然のことだった。小さな呟きがルアの唇から漏れ出して、馬車の走行音にかき消されていく。彼女は起きている様子もない。寝言らしい。
しかし、兄が居たとは知らなかった。詳しいことを聞きたくなったが気持ちよさそうに寝ている手前、わざわざ起こして訊くことも出来ない。
その寂しそうな呟きに多少の疑問を抱きながら、俺も馬車の心地よい揺れに意識を落としていく。気づいたときにはもう俺も二人の仲間入りを果たしていた。
車輪の回る音だけが聞こえてくる。馬車は静かに、しかし確実に次の目的地へと向かっていた。
『ダンナ……エクリのダンナ……?』
馬車の客車の横から誰かが呼んでいる声が聞こえた。それと同時に、明るい光が目蓋を越えてまで目に入ってきた。思わず俺は目を開いて、声のする方を確認した。
馬車を駆っていた馭者だった。微妙な表情でこちらを見ていたが、ややあって俺が起きたのに気づくとホッとしたような表情になる。
気分良さそうに寝ている人を起こすのは気が引けるが、目的地に着いたら客を降ろして新しい客を見つけないと商売に成らないというところの葛藤だったのだろう。この馭者、根は良い人間と見える。
『着いたのか?』
『ええ、アーザスですぁ。皆さん、寝てぇて、わえも困ってたんどぁ(皆さん、寝てて、私も困ってたんですよ)』
『そりゃ、済まなかったな』
奇妙な喋り方はブレイズ語の方言だった。確かブレイズ王国の東側と西側とでは大きく方言による差があって、最悪言葉が通じないくらいに差が開いている場合もあるという。この馭者の場合は西側方言らしい。
馭者は俺の答えを聞いて、へっへっへと薄く笑って答えた。イーファは既に起きていたようで俺と馭者のやり取りを静かに聞いていたようだった。一方のルアはまだ惰眠を貪っている。
俺はルアの肩を掴んで揺った。
「おい起きろ」
「あと五分……」
「ここは実家じゃねえぞ」
肩を引き上げて無理矢理にでも起こしてやる。オレンジ髪の少女は目をしょぼしょぼさせながら、頑張って光に慣れようとしていた。
馬車を降りるまで実際に五分掛かったかもしれない。何はともあれ、俺達は無事にアーザスに到着したのであった。
「懐かしいです、この雰囲気」
イーファはノスタルジックな視線を町に投げかけていた。青色髪のポニーテールが風に揺らいでいる。
「前にも来たことがあるのか?」
「ええ、何度か来ましたよ。ここは本の町ですから、魔導書とかを探しによく来るんです」
「ふむ」
通りの様子を見てみる。さすがは大図書館の町ということもあり、行き交う人々はほとんどが片手に本を抱えていた。
町の空気は落ち着いた理知的なものだった。人々が朗らかに、そしてユーモアに溢れた笑顔を交わし合っている。平和な情景だ。
一方で、俺の横からは逼迫したようなくぅーっという情けない音が聞こえてきていた。
その音の主――ルアは俺達二人の視線が集まると、自分のお腹を見てから、こちらを見て、目を輝かせて言った。
「腹ごしらえに――」
「お前、いつもそれだな……」
「わたしもお腹空いてしまったかも……」
お腹を押さえながら、イーファは聞こえるか聞こえないかくらいの声量で呟く。気づいた俺の視線に反応して、顔をほんのり赤くする。こっちは恥じらいがあるらしい。
成長期真っ盛りの女の子というと体重を気にしがちで不健康な食生活を送りがちだが、ルアに関しては完全に気にしていない様子だった。俺としてはむしろこっちのほうが安心できる。旅の道中で変な病気にでもなられたら、医者でもない俺にはどうしようもない。
俺は呆れつつ、周りの食堂を探した。
町というものはなんだかんだ言って人の欲求に沿って作られているもので、お目当ての店はすぐに見つかった。
「わあっ、今回は豪華ですねえ!」
「こんなに頼んだつもりは無いんだがな……」
出てきた食事の量に驚く。先日の茹でたじゃがいもとエールが冗談のように見えてくる。パンに、ステーキ、新鮮な野菜のサラダ、ワインがついてコストパフォーマンスは抜群と来た。
さすがに怪訝に思って、ぼったくりの可能性を考えた。しかし、周りにいる客に提供されている量も同じようなものだった。
しかも、奇妙なのは本の町と言うほどだから、てっきり客の殆どが司書やら学者のような風貌の人間かと思いきや、屈強そうな冒険者だらけだった。
「一体何の騒ぎだ……?」
つい呟いてしまった俺の横に座るイーファ、彼女は自分の前に出された食事をバツが悪そうに見つめるだけで、手を触れようとしない。
ルアはそれを見て、首を傾げた。
「どうしたんです? 食べないんですか?」
「いえ……こんなに多くは食べられないんですよ。私、少食で……」
「あー、そうだったんですか」
ルアは心底興味のない様子でステーキにかぶり付いていた。
イーファは困ったという表情になって、胸の前で手を結ぶ。
「どうしよう……でも、残したら作った人に失礼だし……ああ、やっぱり、私ってダメな――」
「ほら、多すぎるなら俺が食べてやるから寄越せ」
イーファの皿から自分の皿に幾らか移す。彼女はほっとした表情になってこっちに向き直った。
「あ、ありがとうございます……」
「別に。俺も量が少ないと思っていたからな」
嘘だ。お得意の照れ隠しはいつもどおりあからさまだった。
翻訳者も文士の一つだと言って、もっと上手く出来るかもしれないと思うかもしれない。しかし、残念。俺の専門は文学の翻訳ではないのだ。
ルアが隣でくすくすと笑っている。イーファは不思議そうに彼女へ視線を向けていた。至極純粋だ。そのままの君で居てくれと思うばかりだった。
「それにしても、この町の食堂はいつもこんな感じなのか?」
「……といいますと?」
「本の町という割には、よそ者っぽい冒険者がたむろしてんじゃねえか」
「確かにただ事ではないような雰囲気はしていますね……」
どうやら、イーファは理由を知らないようだった。ルアは食べるのに夢中でそんなことには微塵も興味が無いらしい。食道楽娘と呼ばれても反論は出来まい。
俺は情報を集めるためにいつもどおり背後に意識を集中した。会話に耳をそばだてて居ると、特徴的に繰り返される言葉を知ることが出来た。
「『ディフェランスの秘宝』ってやつが、ここにあるのか?」
「……ッ!」
瞬間、それまで食事に夢中だったルアの顔が急にこちらを向いた。
強張った表情。いつもの適当な感じのルアからは感じ取れないキッ――という鋭い眼差しが俺を貫いていた。何か言うべきではないことをいったかと思ったが、思いつく節は無い。
イーファもその豹変ぶりに驚いて、固まってしまっている。
「ちょっと、お手洗いに行ってきます」
「あ、ああ……」
不機嫌そうな声色を残して、ルアは席を立って店の奥の方へと行ってしまう。
「あいつ、様子がおかしいぞ?」
「わたしも心配です。ルアさん、大丈夫かな……」
二人を残して、時間は過ぎていくのであった。
「なあ、ディフェランスの秘宝って何なんだ?」
元気の無さそうな感じで戻ってきたルアにそう声を掛けた。その途端、彼女は不機嫌そうに顔を歪めた。
横のイーファは、俺が彼女に直に訊いたことを驚いている様子だったが、訊かないで変な態度を取り続けられるのも嫌だった。
ルアは俺の隣に座って、しばらく俯いたまま何も喋らなかった。
ややあって、彼女は大きなため息を付く。
「まあ、キリルさんとイーファさん以外にエクリの言葉は分からなさそうですし。話しますか。私の家名がディフェランスであるのは知っていますね」
「あ、ああ、ルア・ディフェランスだろ?」
「そうです。ディフェランス家は実は貴族家の一つでして、古来からその家宝である秘宝を守る役目を果たしてきました」
「それがディフェランスの秘宝ってわけか」
ルアはこくりと頷く。
「ディフェランス家の人間は、魔法の腕を期待されます。しかし、私は神託の儀で平凡な治癒師だったことが分かったんです」
「あっ……」
イーファが何かを察したような声を漏らす。
エクリチュールの子供は15歳になると、「神託の儀」と呼ばれる儀式を受ける。そこで自分のクラス適正を知らされて、ほとんどの人間はその神託に従って戦士、治癒師、錬金術師などなどの専門的な鍛錬を積む。
ルアはまた大きなため息をついて、先を続けた。
「家は次女でもあり、クラス適正も普通の私に期待しませんでした。あからさまに酷い目にあったわけじゃないですけど、家族や親戚の見る目は明らかに兄に向けられるものと違ったんです」
テーブルの上に置かれた手が握りしめられる。
兄――その言葉を聞いた瞬間、馬車で聞いた彼女の寂しそうな寝言を思い出した。そこから察せることは余りあるほどだった。
「だからこそ、私は宮廷魔導師さえ解決できなかった翻訳魔法の復活を成し遂げたい。そのために家出したんです。自分を認めさせて、家の人間を見返してやりたい一心で」
「そうだったのか……」
ふと出た言葉はそんな呟きだった。
いつもは元気な彼女がこんな裏面を持っていたなんて、思いもよらなかった。イーファもなんと答えればいいのか、困ってバツが悪そうに俯いている。
ルアは依然不機嫌そうな顔をしていた。
「こんなところに秘宝があるなんて、おかしいんですよ。秘宝はちゃんと家の奥底に保管されているはずなんです」
「その秘宝ってのは、なんでそんなに厳重に守られているんだ?」
「秘宝というのは、アーティファクトの一種なんです」
ルアはすらすらと暗記した内容を答えるように話し始める。
アーティファクト、というのは魔法の発動を補助したり、特定の魔法を引き起こすように設計された魔道具のことだ。本来は魔術のセンスの無い人間が簡単に魔法を発動するために使われることが多い。
イーファはその点に疑問を抱いたのか、首を傾げる。
「でも、ディフェランス家の方々は魔術師の家系なんですよね?」
「ええ、このアーティファクトは並大抵の魔術師では出来ないことを引き起こすとされているんです。それこそ、死んだ人間を生き返らせたり、大虐殺を起こしたり――そういった類のことです」
「禁術じゃないですか……」
「禁術?」
イーファは目を伏せながら、俺の疑問に答える。
「禁止術式の略です。魔術師の間では幾つかの魔法は名指しで禁じられていて、行使しようとすれば宮廷魔導師や騎士団総出で止めに行くよう定められているんです。特に大規模に人命に関わるようなものは……」
「ええ、イーファさんの言うとおり禁術です。だからこそ、ディフェランス家はこの秘宝がとんでもない人間に渡る前に家に封じ込めてしまおうと考えたんです」
「なるほどな」
それで先のルアの言葉とこの奇妙な状況に合点が行った。ヤバいアーティファクトがこの町に出回っている可能性がある。そして、その噂を聞いた冒険者達が集まってきている。そのアーティファクトとルアの家には強い関係があって、この町にアーティファクトがあることはおかしい。何らかの異常事態が起こっているということになる。
その真相を放置して、彼女が旅に集中できるとは思えなかった。
「よし、秘宝について調べるぞ」
「良いんですか? こんな個人的なことに巻き込んでしまって……?」
心配そうな表情のルアは上目遣いでこちらを見上げてくる。彼女の手元にある料理は既に冷めてしまっていた。
「何を今更、お前らしくないぞ」
「わ、わたしもお手伝いできることがあれば協力します……」
首を伸ばして、イーファがそう言った。
ルアは二人の顔を交互に見てから、少し悩むような表情をして、何かに納得したように頷いた。
「まずは秘宝の情報がどこから漏れたのか、からですね」
「ディフェランス家は存在を秘密にしていたのか?」
「まあ、古文書とかで調べればすぐに分かることですから、隠しても無駄なことではあるんですけど、あまり表沙汰にはしないものですから知っている人間のほうが少ないはずです。ましてや、言葉の通じない今、ブレイズの人間が知っているのはおかしいんですよ」
「なるほどな、適当な冒険者でも捕まえて訊いてみるか」
パンの切れ端を口に突っ込んでから、背後を見やる。
屈強そうな冒険者達の一団の中に、見るからに初心者らしいパーティーが見えた。
装備は安っぽく、リーダー格だろう剣を佩いた青年、腰に複数のポーションを掛けた補助術士らしき狐耳の女、壁役らしき小太りの男という様相だ。剣士らしきリーダーを除けば、パーティーメンバーは皆、周りの冒険者のゴツさに不景気そうな顔をしている。
風のうわさを訊くには、最適の奴らだと思った。共に席を立とうとするルアとイーファをハンドサインで留めて、俺一人で彼らに近づく。
『よう、お前達冒険者か?』
『そうだが……オッサン、エクリ人なのにブレイズの言葉が話せるのか?』
オッサンじゃねえよ、まだ若いわ!――という叫びを心に秘めつつ、俺は咳払いを一つして話を続ける。
『お前らもディフェランスの秘宝を求めてきたのか?』
剣士の青年と小太りの男、狐耳の女はお互いを見合わせた。いきなりこんなことを訊いてくるこの異国の男は何なんだと言わんばかりの様子だ。
もう少し押しが必要かもしれない。
『どこでその話を聞いたんだ?』
『どこでって……そこら中のギルドで噂になってるゾ。大図書館でディフェランスの秘宝を巡った大武道会が開かれるって話ダゾ』
口を開いた小太りの男を剣士の青年が睨みつけて黙らせた。怪訝そうな視線を俺に向けつつ、剣士は口を開いた。
『オッサン、そんなこと訊いてどうするつもりなんだよ?』
『ディフェランスの秘宝がどんなものか、知っているか?』
質問に質問で返す。あまり行儀の良いやり方ではないが、こちら側の情報を与えずに出来るだけ多くの相手の情報を引き出すのが賢いやり方だ。
自分の質問に答えられず剣士はしばらくむっとしていたが、その向かいに座っていた狐耳が今度は口を割った。
『どんなものかって、人の願いを叶えてくれる素敵な魔道具じゃないのかい?』
『はあ、そんな道具なのか』
大量殺人兵器にもなりかねない魔道具になんとも綺麗な用途を貼り付けたものだと思った。
今度は剣士は呆れた様子になるだけで、糾弾することはなかった。女には甘いらしい。席を座り直して、気を取り直したような表情になった彼は俺に再び疑問の表情を向ける。
『そんなことも知らずにエクリからこの町に来たのかよ? 怪しいな』
『そんなことはない。俺は本商人だからな』
適当な嘘をついてごまかす。本商人というものはどこでも胡散な者だと言われている。貴族でも平民でもないのに本を読みながら、それを売る。下手な知識だけが思考の脇に寄り付いて、他人からしてみれば言うこと為すこと全てが得体の知れないもののように思えてくる。
剣士はそれを聞いて納得したような顔になった。
『ところで、その大武道会ってのはいつ行われるんだ?』
『今日の昼頃だ。俺達もそろそろ行かないと』
剣士は席から立ち上がって、食堂の出口へと早足で向かった。
『ああ、待ってゾ!』
『頑張ってねー、おじさーん』
焦った様子で小太りの男がそれを追いかける。狐耳の女も腰に手を当て、何か可愛げなものを見るような感じで後をついていった。