「よっ!」
振り向くと、本堂が立っていた。
「今から部活行くとこ?」
「ああ、黒崎行くぞ」
よし、俺はそう言ってコートへ駆け出した。
周りの部員の目が、少し冷ややかだ。いつもと違うのは、少し挑戦的でもあることだ。
「お前、昨日喧嘩打ったからなぁ」
町田が着替えながら俺の肩を叩いてきた。そういえば、俺は昨日堂々と団体メンバー入りを宣言してしまったのだった。肩に力が入ってしまう。
「でも、昨日のやつ見せてやればみんなの見る目が変わるぜ」
町田の言葉にまた救われた。
町田や本堂に恩返しするためにも、今日は上手くやらないといけない。昨日までの自分とは違うところを見せないと。
いつも練習は球出しから始まる。本堂ら団体メンバーは、横のコートそれ以外のメンバーはもうひとつのコートで練習する。
「いつも通り、ひとり2球打ったら交代な」
一つ上の先輩が球出しをしてくれる。ポーン、ポーンと前の人が球を打つたびに自分の順番が近づいてくるのを感じる。
いよいよ俺の番だ。昨日の壁打ち練習を思い出す。ワールドソードワーズと一緒だ。ボールのところに足を運んだら、しっかりと体重をためてボールにまっすぐ乗せていく。一球目は、ストレート。ボールがまっすぐ向こうのコートの角に吸い込まれるように、落ちていく。パシーン!
おお、と誰かが声を上げるのが聞こえる。だが、一球だけだとただのまぐれだと思われるだろう。二球目、次はクロス。足を運び、一球目よりも体をひねる。当たるときはまっすぐ、それから回転をかける! パシーン!
二球目も、吸い込まれるように狙った通りの場所へと落ちていった。周囲がざわつくのが聞こえる。
「お、お前あれどうやったんだよ」
「今のすごかったな」
まだ半信半疑といったところだろうか。俺は照れながら、その後の球出し練習も同じようにボールを打ち続けた。
「あれ本当に黒崎か」
「昨日までのはなんだったんだよ」
「昨日はろくにラケット振れてなかったのに」
俺のボールがまぐれではなかったと、周囲が驚き始める。球出し練習が終わるころには、本堂のコートからも見物人が現れ始めていた。
「黒崎、ちょっと試合やってみないか」
そう声をかけてきたのは、部長だった。
「し、試合ですか?」
「ああ、これから団体メンバーで順番にシングルスの試合を回していくところだ。いつも同じメンバーでやっているのもなんだし、今日は黒崎入って見ないか?」
思ってもないチャンスに、胸がざわめく。
「ぜひ!」
試合をしたらどうなるとか、そんなことを考えるよりも先に返事をしていた。返事をした途端、ドクドクドクと心臓の音が早まっていく。
「じゃあまずは……」
部長が言いかけてすぐに、二つ上の並木先輩が手をあげる。
「俺、いきたい」
並木先輩は、この前の団体戦でベンチに座っていた。練習でも、まだちゃんとプレーを見たことがなかった。どのようなプレーをするのだろうか。
「並木、か。お前次の試合シングルスで出たいと言っていたな。よし、黒崎と並木で試合にしよう」
部長はそう言って手を叩いた。
この試合、勝てたら団体メンバーに大きく近づける。
「3ゲーム先取にしますか?」
「いや、1セットにする」
部長の言葉に、コートがざわついた。1セットなら3ゲーム先取の二倍以上時間がかかる。まだ団体戦も残っているこの貴重な時期に、団体メンバーと俺の試合にこれほどの時間を割くなんて……。
「1セットもやったら……」
「良いんだ。これは、大事な試合だ。試合を見物したいやつは見とけ。練習したいやつは、向こうのコートで練習すること。以上」
部長はそう言って、団体コートに留まった。
「黒崎」
本堂に呼ばれて、コートの端っこへ向かう。
「この試合、お前にとってとても重要だ」
「わかってる」
「並木先輩はこの試合できっと、次の試合に出場させてもらうかどうかが決まる。それはお前も薄々感づいているだろう?」
俺は頷いた。団体戦前にわざわざ大事な試合だと念を押して1セットの試合をする意味は、それしかないだろう。
「並木先輩に課せられたそのプレッシャーは、もちろんお前の精神的負担にもなる。その中で勝てるかどうか。そのメンタルがあるかどうか、それを見られるんだきっと」
「メンタル?」
「ああ、団体戦で一番重要なのはメンタルだと言っても過言じゃない。ある程度テニスができることは前提として、団体戦というプレッシャーのなかでどれだけ良いパフォーマンスができるかが重要なんだ」
団体メンバーに入るかどうかの狭間では、テニスがある程度できるということは前提なのか。
「常に落ち着いて、打てるボールを的確に狙っていけ」
本堂のアドバイスは、当たり前のようで核心をついている気がした。
「フィッチ」
ラケットを回す。ラケットの落ちた向きが表か裏かで、サーブとレシーブを決めるのだ。
「アップ」
並木先輩は表を選んだ。裏、出てくれ。ラケットがコト、と音を立てて地面に落ちる。向きは……、裏だ。男子テニスの試合では、ほとんどの場合サーブから始めるのが有利だといわれる。
サーブをとるということはつまり、ボールの主導権を最初に握るということ。コースや球種のサーブを打ち分けることで、相手を意のままに操ったりサーブだけでポイントを取ったりすることができるのだ。
俺の場合、まだ主導権を握ることのできるようなサーブは持っていない。しかし、レシーブから始めるということはそのチャンスを並木先輩に渡すこととなる。
「サーブで」
消去法なのが悔しいが、ちゃんと勝ちを意識した選択をすることができた。今はそれでよしとしよう。
「よろしくお願いします」
俺が言うと、並木先輩もお願いします、と頭を軽く下げた。
俺のサーブからスタートだ。決して速くも重くもないボールしか打てない。だが、相手のバック側に入れたら少しは嫌がるはずだ。
バックを狙ってサーブを打つ。サーブは相手の正面に入った。少し回り込んで、体がねじれている。その体勢だと、ストレートには打ちにくいはずだ。
パシン!クロスの短い位置にボールが入る。予想していた通りだ。足を素早く動かし、ラケットをまっすぐ振る……。
うっ……。ラケットに当たったボールは想像以上に重い。今までこんなボールは受けたことがなかった。相手の力に負けて、ボールが浮いてしまった。これはまずい。相手のチャンスボールだ。
並木先輩は待っていましたとばかりに、ボールに飛びついて俺のいる位置と真逆に深く鋭いボールを打ち込む。どこにボールがくるかはわかっていても、足を動かしていても間に合わない距離だった。
悔しい。せっかく上手くなっても、埋まらない距離がここにはあるのか。今まで相手とちゃんとラリーすることすらできていなかったのだから、返せないのも当たり前か。そんな情けない考えが頭をよぎる。
あんな重たいボールなんてどうやって返せば良いんだ。
そうだ、ワールドソードワーズを思い出そう。この前の相手は鎧を身にまとっていて、そう、重たいボールと似たような感触だった。あの時は、力を右足にため込み左足に移していくことで、パワーを増幅させた。そうだ、肩の力だけで足りないのなら自分の体重も使えばよいんだ。
よし、もう一度! 次のポイントは、絶対にとろう。
「0-15」
俺はそう言って地面にボールをつく。
二ポイント目、絶対に続けて取られてはいけない。サーブを打つ。相手のバック側。上手いこと入った。だが、サーブが緩くて相手を苦しめることはできない。
並木先輩は、俺のサーブを難なくバックでストレートに返してきた。
足を動かしてボールがベストに当たる位置までやってくる。並木先輩は、バックも苦手じゃなさそうだ。だとしたら……。俺はクラスのかなり前の方にボールを落とした。
短いボール、これはどうだ!
並木先輩は、あっとした顔をした。反応が遅い! 足は遅くないが、ボールが落ちてから反応するスピードが遅く間に合わない。ボールが地面についてから、もう一度地面に落ちた。ツーバウンド! こっちのポイントだ。
よっし! 気づくと声を出して喜んでいた。
パチパチパチ、音をする方を見ると町田と本堂が並んで拍手してくれていた。
よし、このまま。
その後も俺は並木先輩の前にボールを落とし続け、最初の一ゲームをとることができた。
「よっしゃあああ!」
俺よりも喜んでいるのは町田だ。三年の先輩相手に試合をしているのに、恐れ知らずなのかあいつは。でも、町田の笑顔は見ているだけで元気が出てくる。今まで、頑張ってきてよかった。そう思えるほどに。
だが、ニゲーム目は並木先輩のサーブだ。団体メンバーのサーブなんて、とれるのだろうか。とりあえず、食らいつくしかない。
一ポイント目、俺は少し余裕を持って後ろの方に構える。サーブが早くても届くようにだ。
並木先輩がトスを上げる。サーブは……、かなり前の方に落ちた。何とか追いついた途端、方向を変えて身体の方へ飛んでくる。
気がつくと、ボールに身体が当たっていた。ダサいじゃないかこんなの……。顔を赤らめるもすぐに、並木先輩の並外れたテクニックに思いを馳せた。
俺が速いサーブを警戒して後ろに下がっているのをわかっていて、前の方に落としたんだ。しかも、手前に切れてくるボールで。
いや、並木先輩のサーブがもともとああいうサーブだという説も考えられる。その場合、次は前の方の位置でレシーブを構えた方が良い。
次は、どうくるか。さっきよりもポジションを少し前にとる。
サポーン!!
次は外に逃げていく深いボールが来た。フォアよりもあまり得意ではないバック側だ。さっきとあまりにも違うボールに追いつけず、またもや点を取られてしまった。
そのまま三ポイント目、四ポイント目も同じように取られてしまう。
これでニゲーム目は、並木先輩にとられてしまった。