ゼノスからスマホをもらい、三日が過ぎた。
その間、フィーの愛らしい姿を撮影して……
でも、それだけで終わらせない。
せっかく口八町でスマホという、小型パソコンのようなアイテムを手に入れたのだ。
この世界においては、完全なオーバーテクノロジー。
これを駆使して、事態を打開したいところなのだけど……
「それにしても、少し分が悪いですね……」
私の悪評は日に日に増して、学院中を流れまわっている。
ゼノスはもうつまらない小細工はやめただろうが……
一度流れた悪い噂というものは、そう簡単に消えない。
あたかも真実のように人から人へ伝わり、広がり……
私の学院における株価は、絶賛、マイナス値だ。
どうにかしないといけないのだけど、個人でできることはたかがしれている。
こういうものは力で押さえつけることは不可能。
根本的な問題を切除しないといけないが……さて、どうしたものか?
「あれが……」
「この前も……」
「イヤね……」
現在進行系で私の悪評はうなぎのぼり。
今も、学院を歩いていると、そこらの生徒達がひそひそ話を始めるほどだ。
「頭が痛いですね……」
「アリーシャ・クラウゼン」
ふと、名前を呼ばれた。
振り返ると、メガネをかけた教師……らしき人が。
はて?
あのような人、この学院にいただろうか。
「少し話がある、ついてきなさい」
「わかりました」
ここまで堂々としているのなら、不審者ということはあるまい。
たぶん、私の知らない教師なのだろう。
そう判断して、彼の後をついていく。
ほどなくして職員室へ到着。
さらに、隣接している生徒指導室へ。
はて?
生徒指導室を利用する目的は、たいてい一つ。
説教だ。
とはいえ、呼び出しを受けるようなことをしていないはずなのだけど?
「そこに座りなさい」
「はい」
促されて椅子に座ると、対面に教師が。
改めて見ると、かなりの美形だ。
メガネをしているせいか、それとも、スラリとした顔立ちのせいか知的に見える。
細く鋭い印象で、やや目つきは厳しい。
ただ、それはそれ。
その厳しさが良い方向に作用していて、男性の顔を綺麗に整えていた。
背は高く、がっしりとした体格だ。
なにかスポーツをやっていることがわかる。
「いきなり呼び出してすまない。ただ、君の噂を色々と聞いてね。少し話をしておきたと思ったんだ」
「はい」
「まず最初に……」
「話を遮ってすみません。その前に、私から質問を一つ、よろしいでしょうか?」
「なんだね?」
「大変失礼なのですが、先生のことを知らず……お名前を教えていただけませんか?」
「ああ、そうか。失礼した」
怒られるかな? と思いきや、なぜか謝罪されてしまった。
「私は、ユーリ・クロムウェルという。最近、この学院にやってきた教育実習生だ」
「なるほど、そうだったのですね」
教育実習生というのなら、顔を知らなかったのも納得だ。
しかし、教育実習生が私になんの用だろうか?
「話を再開しても?」
「はい、どうぞ」
「では……まず最初に確認しておきたいのだが、君に関して色々とよくない噂を聞く。これに関して、なにか釈明することは?」
「釈明しろと言われれば釈明をしましょう。事実無根ですし。ただ、私が口にしたことを、そのまま信じていただけるのですか?」
「それは難しいな」
おい。
「一方の話で全てを判断することはできない。君以外の生徒からも話を聞く予定だ。その上で総合的に判断をしたい」
ふむ。
ぱっと感じた印象だけど、短絡的な思考をする人ではなさそうだ。
「どのような判断を?」
「もちろん、必要とあれば必要な教育をして、正しい道に導くという、ものだ」
「それは……本気なのですか?」
「当たり前だろう?」
「……」
思わずぽかんとしてしまう。
なんだ、この人は?
こんなまっすぐすぎる教育論を語る人がいるなんて……
いや、待てよ?
こんな人がいたような気がする。
確か、そう……
「……なるほど」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
ようやく私は理解した。
この人は……最後のヒーロー、攻略対象だ。
ユーリ・クロムウェル。
乙女ゲームの攻略ヒーローの一人で、唯一の教師だ。
とはいえ、そこまで歳が離れているわけではない。
教育実習生なので、年の差は数えるほど。
その性格は真面目の一言に尽きる。
教育というものに情念を燃やしていて、一人前の立派な教師になることを夢見ている。
見た目はクールではあるが、その心はとても熱い。
そんな思想を抱くに至ったのには、なにかしら理由があったはずなのだけど……
あいにく、彼を攻略したことがない私は、その情報を持たない。
(これで最後の一人が判明した……ゲームのイベントのように、次々とヒーローが登場していますが、これも世界の流れ、というやつなのでしょうか?)
そんなことを思うものの、確認することはできない。
いや。
ゼノスに聞けば、ひょっとしたら答えてくれるかもしれないが……
あいつは神出鬼没なので、そもそも話をすることができない。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
いけない、いけない。
考え事をするあまり、ぼーっとしてしまったみたいだ。
「それで、君に関する噂について、君はどう思っている? 肯定するか。それとも否定するか」
「噂の全てを知っているわけではありませんが、否定いたします」
「ふむ。その理由は? 根拠は?」
「根拠はありません。ただ……」
たまに、ちらほらと噂が届いてくる。
その中には……
「私は邪神を崇拝していて、夜な夜な怪しい儀式を行っている……などという荒唐無稽な話、先生は信じるのですか?」
「……さすがにそれはないな」
ユーリが苦笑した。
お。
苦笑ではあるが、笑うとなんか、かわいらしい。
ちょっとドキッとした。
「そのような荒唐無稽な噂なら、否定するのに根拠は必要ないと思いますが……ただ、その他の噂は微妙なところですね。私が人を使い、気に入らない方をいじめている。政敵となる生徒に圧力をかけている。表向きは愛想よくしつつも、裏では暴君のように振る舞っている……こういう、ありえるかも? という噂は否定しずらいです」
「もしかしたら関与しているかもしれない、ということを認めるのかね?」
「はい。否定しても、疑惑が深まるだけでしょうし」
「ふむ」
私はやってない、やってませんよ!?
とムキになって否定しても、それはそれで余計に怪しくなるというものだ。
ならばいっそのこと、肯定はしないけど否定もしないという、曖昧なスタンスをとればいい。
まともな思考を持つ人ならば、それだけで断罪することはないはず。
「……わかった、話を聞かせてくれてありがとう」
ユーリは良識があるらしく、私を一方的に断罪することはしないようだ。
ひとまず保留。
改めて他の生徒から話を聞いて、それから最終判断をする、という感じだろう。
よかった。
ここで断罪されていたら、学院にいられないほど追い込まれていたのだけど……
さすが、ヒーロー。
良識派で安心した。
「貴重な話を聞かせてもらって感謝する」
「いえ、大したことはしていません」
「では、話はこれで終わりだ。時間をとらせてしまい、すまなかったな。そろそろ帰るといい」
「あー……」
今は放課後。
ユーリからしたら仕事もあるし、これ以上、私に構っていられないのだろう。
でも、これはせっかくのチャンスでもある。
最後のヒーローと知り合いになれたのだから、もう少し話をして、良い印象を持ってもらいたい。
「……先生、今、お時間はありますか?」
「多少なら問題はないが、どうした?」
「実は、相談に乗っていただきたく」
「相談?」
「えっと……」
適当に相談と言ってみたものの、内容は考えていない。
相談するべき内容は……そうだ!
「私の噂に関することです」
「ふむ」
興味を持ったらしく、ユーリが話を聞く体勢に戻る。
「今話をしていた通り、私に関する色々な噂が流れています。それに、ほとほと困り果てていまして……」
嘘は言っていない、本当のことだ。
どう対処していいか、毎日頭を悩ませている。
「なにか良い知恵がないか、先生に相談に乗ってもらえれば……と」
「なるほど。力になるのはやぶさかではないが……しかし、それは君の話が本当の場合に限る。流れている悪評が真実だとしたら、それは自業自得だろう」
「はい、そうですね。なので、その辺りは先生に信じてもらえるしかありません」
すぐに信じなさい。
悪役令嬢とはいえ、かわいい女の子が頼み事をしているのだから、少しくらい信じなさい。
心の中でそんな愚痴をこぼしつつ、しかし、表情は真剣に。
じっとユーリを見つめて……
「……わかった」
ややあって、ユーリは小さく頷いた。
「条件付きではあるが、君の力になろう」
そんな言葉を引き出すことに成功した。
やったね。
「条件というのは?」
「しばらくの間、君を観察させてほしい」
「観察……ですか?」
思わぬ言葉に、ついついぽかんとしてしまう。
「私は教育実習生で、最近になってこの学院にやってきた。だから、君の人となりをまったく知らない。まずは、そこを確認させてほしい」
「なるほど」
私が潔白なのか。
それとも、悪評が流れて仕方ない人物なのか。
自分の目で見極めたい、ということか。
「わかりました、大丈夫です」
「即答か」
「なにもやましいことはありませんから」
「よろしい。ならば、交渉成立だ。これから……そうだな、一週間の間、君のことを観察させてもらおう。それと、積極的に君の情報も集めさせてもらう」
「はい、わかりました」
たぶんだけど……
ユーリは前言撤回を絶対にしない人で、やると言えばとことんやる人だろう。
だからこそ頼もしい。
観察をされている間は、非常に気まずく、大変だろうけど……
それを乗り越えれば、ユーリは私の味方になってくれる。
心強い。
ぜひ、今回の試練を乗り越えてユーリを味方にしよう。
「では」
私が手を差し出すと、ユーリは不思議そうな顔に。
「なんだね、これは?」
「ひとまず、これからよろしくお願いします、の握手です」
「まだ君の力になると決めたわけではないが?」
「わかっています。ただ、これから一週間、私を観察するのでしょう? まずはその間、よろしくしましょう、ということです」
「ふむ……まあ、問題はないか」
ユーリが私の手を取る。
「一週間、よろしく頼む」
こうして……
私とユーリの奇妙な一週間が始まった。
――――――――――
これから一週間、ユーリが私の人となりを確かめるため、観察をする。
ならば、いつも以上にがんばならければいけない。
人助けを積極的に行い、ボランティアに励んだり……
……なんていうことはしない。
ユーリは、普段のありのままの私を見たいはず。
それなのに、あからさまに点数稼ぎに走れば失望させてしまうだろう。
余計なことはしないでいい。
元々、なにもやましいところはないのだから、普段通りに過ごすことが一番だ。
と、いうわけで……
「フィー。今日はすぐに帰らず、図書室へ寄っていきませんか?」
「はい、アリー姉さま!」
いつも通りかわいい妹を愛でることにした。
本好きのフィーは、本を読むと周りが見えなくなるほど夢中になる。
じーっと本を見つめ、時折、登場人物の台詞を無意識に口にして……
うん、かわいい。
やっぱり、私の妹は天使だと思う。
そんな妹と過ごすことが私の日課だ。
いつものように図書室へ……
「クラウゼンさま」
「「はい?」」
呼びかけられて、私とフィーが同時に振り返る。
それもそうだ。
どちらもクラウゼンなのだから。
見知らぬ女子生徒が……いや。
よく見たらクラスメイトだった。
いつも本を読んでいるような、物静かな女の子だ。
言い訳になってしまうのだけど、そのせいで、すぐに思い出すことができなかった。
挨拶くらいしか言葉を交わしていないのも要因だ。
確か、名前は……
「こんにちは、ナナさん」
ナナ・シュトライゼール。
男爵家の令嬢で、一言で言うのなら子猫のような女の子だ。
とても愛らしく、かわいらしく。
見ているだけで和ませてくれる。
そんなクラスメイト。
「アリー姉さまのお友達だったんですね。はじめまして。私は、アリー姉さまの妹のシルフィーナといいます」
「シルフィーナさんですね、よろしくお願いします」
各々自己紹介をして……
それから、図書室は話をするような場所ではないので、中庭へ移動した。
中庭に設置されているベンチに座ると、ふんわりと、花壇から花の匂いが漂ってくる。
そのおかげで少し落ち着いたらしく、緊張していたナナは和らいだ表情に。
「あの……突然、すみません。クラウゼンさんにお願いしたいことがあって……」
「私に? えっと……その前に、フィーも一緒でいいでしょうか? できることなら妹に隠し事はしたくありませんし、それと、悩み事というのなら、この子の知恵が役に立つかもしれません」
「え、えと、私はそんなに大したことは……」
「大したことはありますよ。フィーのなにげない台詞で、色々とハッとさせられることがあるのですから」
「はぅ」
照れる妹、ものすごくかわいい。
語彙力が貧弱になってきた。
「はい、私は大丈夫ですよ」
「ありがとうございます、ナナさん。それで、お願いというのは?」
「お願いというか、相談というか……あの、クロムウェル先生のことなんです」
「クロムウェル先生がどうかしたんですか?」
「えっと……この前、先生とクラウゼンさんが一緒にいるところを見て。それで、その……お二人は仲が良いんですか?」
「良いとは言えませんが、悪いとも言えないのではないかと」
「そうですか……」
とてもほっとした様子だった。
それを見て、ピーンとくる。
ははぁ。
これは、もしかするとあれかな?
ナナはユーリのことを……
「安心してください」
「ふぇ?」
「私とクロムウェル先生の間には、なにもありません。ただの生徒と教師です」
「そ、そそそ、それじゃあまるで私が……!」
「違うのですか?」
「……違わないです」
わりとあっさりと認めた。
ただ、ものすごく恥ずかしいらしく、耳まで真っ赤になっている。
うん、かわいい。
フィーの次の次くらいにかわいい。
でも、絶対王者はフィー。
それは未来永劫揺るがない。
「私に相談というのは、クロムウェル先生に関連したことですね?」
「は、はい……すごいですね。私はまだ、少ししか尋ねていないのに、こうも全てを言い当ててしまうなんて」
「アリー姉さまですから!」
隣のフィーが誇らしげにしていた。
妹に頼りにされて、誇らしく思われる姉。
うん、たまらない。
にやけてしまいそう。
「クラウゼンさまは、ただの、と言っていましたが、私はそうは見えず……ただ、そういう関係でないのなら、その、えっと……」
「はい、問題ありませんよ」
要するに、恋路を応援してほしい、ということだ。
ユーリはヒーロー。
可能なら、私と結ばれて、破滅を回避したいところだけど……
でも、それは打算による恋愛。
そんなものよりも、ナナが抱いている純粋な恋心の方が何倍も綺麗で愛しい。
彼女のために、今できることをがんばるとしよう。
「もちろん、応援させていただきます。どれだけ力になれるかわかりませんが、シュトライゼールさんの想いが届くことを祈ります」
「あ、ありがとうございます!」
「私もお手伝いしますね!」
フィーもやる気たっぷりだった。
年頃の女の子だから、こういう話は大好きなのだろう。
「あ……それと、私のことはどうかナナと呼んでください。クラスメイトですし」
「なら、私のこともアリーシャで」
「私は、シルフィーナでお願いします」
「はい。アリーシャさん、シルフィーナさん、よろしくお願いします」
こうして、私達三人によるユーリ攻略同盟が結成された。
――――――――――――
ナナとユーリを結ばせるため、やるべきことはなにか?
まずは、ユーリにナナのことを認知してもらうことだ。
ユーリは教育実習生で、特定のクラスを請け負っているわけではない。
故に、私達のクラスとの接点がなくて、ユーリはナナのことを知らない。
二人を恋人関係に発展させるためには、まずはナナを知ってもらうことから始めないと。
そのために私が考えた作戦は……
「あっ」
廊下を歩くナナ。
両手にたくさんのノートを抱えていたのだけど、バランスを崩して床にばらまいてしまう。
慌てて拾おうとして、
「大丈夫か?」
近くに居合わせたユーリが手伝う。
もちろん、これは偶然じゃない。
あらかじめユーリの行動パターンを調べて……
あえてナナがノートを集める役をして……
そして、今してみせたように、ユーリの前でノートを落とす。
そうすることで、自然に二人に接点が生まれ、知り合いになれるというわけだ。
「……アリー姉さま、すごい作戦です! これなら自然にお二人が知り合うことができます! すごいです!」
「ふふ、ありがとうございます」
表面上は優雅に微笑むのだけど、内心では、愛する妹に褒められて有頂天になっていた。
私、すごい。
妹にすごいって言われた。
ひゃっほー!
……なんて壊れてしまうくらい、喜んでいた。
それはともかく。
「それで、あの……」
「ああ、それなら……」
なんでもいいからユーリに質問をぶつけてみるといい。
そこから話を広げて、少しでも長く会話を続けること。
私が指示した通りにナナはがんばっているみたいだ。
うまくいっている。
この調子なら、作戦を第二弾階へ進めてよさそうだ。
放課後。
そして、普段は使われていない空き教室。
そこに、私とフィー。
それと、ナナとユーリの姿があった。
「それでは、補習を始める」
壇上に立つユーリは、教科書を片手にそう言った。
ユーリは教育実習生なので、こちらから動かないと接点が生まれない。
なので、勉強の相談をするフリをして、こうして接点を作ったというわけだ。
ちなみに、私とフィーが同席しているのはナナのため。
一人では不安というのと……
何度も何度もナナだけが突撃していたら、怪しまれてしまうかもそれない。
それを防ぐためのカモフラージュというわけだ。
「ふむ、それにしても……」
ユーリは、どこか感心した様子で私を見た。
「どうしたのですか?」
「いや、なに。こうして、貴重な放課後を使い補習をお願いするなんて、君は意外と真面目な生徒なのだな。感心していたのさ」
「あ、ありがとうございます……」
その評価はうれしいのだけど、今回は、ナナの方を見てほしい。
私はあくまでもおまけだ。
今回、ユーリを攻略することはもう諦めた。
彼の私に対する評価は悪い。
これからの行動で挽回することは可能だろうけど……
でも、それはナナの想いを無視して動かなければいけない。
彼女は、純粋な行為でユーリを見ている。
しかし私は、破滅を回避するためという打算がある。
世の中、綺麗事だけではないのだけど……
でも、恋愛くらいはピュアな世界であってほしいと願いたい。
そう祈りたい。
だから、私はナナの想いを無視するような、踏みつけるようなことはしたくない。
だから、全力で応援すると決めた。
その結果……
――――――――――
「ふむ。シュトライゼールは優秀なのだな。乾いた砂が水を吸収するように、私が教えたことをどんどん身にしていっている」
「そ、そんなことは……!」
「謙遜する必要はない。私は、私が感じた素直な感想を口にしているだけなのだから」
「あ、ありがとうございます……」
ナナは顔を赤くして、ものすごく照れていた。
かわいい。
こんなところを見ていると、やっぱり応援したくなる。
「クラウゼンも優秀だ。しかし、補習を必要としないほど、基礎がしっかりとしているようだが……」
「あら、基本は大事です。それに、繰り返し学ぶことで新しい発見があったりしますからね」
「そうだな。そういう思考は大事だ」
真面目に補習を受けて、今日で一週間。
ユーリは私だけではなくて、ナナにも目を向けるようになった。
今は勉強絡みの会話だけだけど……
補習が終わった後などは、ちょっとした世間話もするようになった。
二人の仲は順調に進展していると考えていいだろう。
とはいえ。
ようやく知り合いになったくらいで、恋人関係には程遠い。
ナナは奥手で、ユーリは真面目。
運命で二人が結ばれることになっていたとしても、このままのペースだと、付き合うまで数年はかかりそうだ。
それはもったいない。
せっかくの青春、学生時代に味わうべきだ。
というわけで、一計を案じることにした。
「では、今日の補習はここまでとする」
「「はい」」
私達は礼をして、勉強道具を片付ける。
その途中、私は彼に声をかけた。
「ところで……クロムウェル先生」
「ん? どうした? わからないところでも?」
「いえ、そういうわけではありません。今度の休日、お時間はあったりしないでしょうか?」
「今度の……その日なら特に予定はないが」
「なら、参考書選びに付き合っていただけないでしょうか? 私とナナさんで色々と探しているのですが、なかなか良いものが見つからず。アドバイスをいただけると助かるのですが」
「なるほど、そういうことか」
「えっ」
ユーリが納得して、ナナは、そんな話聞いていないと驚いていた。
それはそうだ。
今、考えついたのだから。
この機会を利用して、二人の仲を一気に縮めてしまう。
それが思いついた作戦だ。
「ふふ」
たぶん、私は今、とても悪い顔をしているだろう。
悪役令嬢らしく、裏であれこれと画策しましょうか。
次の休日。
私は約束の時間よりも1時間ほど早く家を出た。
ナナは恋愛に奥手で……
それでいて、約束事はきっちりと守る人だ。
初デート。
相手は密かに想っていた大事な人。
絶対に遅れてはいけない。
それと、気持ちが焦り、時間まで待っていることができない。
きっと、時間よりも早く待ち合わせ場所に……
「いましたね」
待ち合わせ場所の公園に行くと、予想通り、ナナの姿があった。
ソワソワと落ち着きのない様子でベンチに座っている。
ちなみに、ユーリはいない。
彼は約束の時間5分前に来るタイプだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「おはようございます、ナナ」
「あっ、アリーシャさん!」
私に気づいたナナが、慌てた様子で立ち上がる。
「どうして……? まだ、時間には早いのに」
「それを言うのなら、ナナもそうじゃないですか」
「私は、その……待ち焦がれてしまい、つい……」
いじらしい。
そして、愛らしい。
フィーほどではないけれど、抱きしめたい、って思うかわいらしさだ。
これならうまくいくだろう。
普通の男性なら、ナナと一緒にいて好意を持たないわけがない。
今日一日で恋愛感情にまでは発展しないだろうけれど……
知り合いから気になる関係には進展すると思う。
だから……
おじゃま虫となりそうな私は消えなければならない。
「ごめんなさい」
「え? と、突然、どうしたんですか……?」
「急用ができてしまい、今日は参加できなくなりました」
「そ、そうなんですか……? ざ、残念です……せっかくの……」
「あら。私は参加できませんが、ナナはそのままクロムウェル先生と買い物をすればいいと思います」
「え?」
「二人で参考書を見て、それから、ついでにお食事などをしたらいいと思います。今日のお礼、と言えばクロムウェル先生も断らないでしょう」
「それじゃあ……あっ、まさか、そのために……」
私のやろうとしていることに、ナナは気づいたらしい。
目を丸くして驚いて……
それから、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます……!」
このチャンス、逃すつもりはないらしい。
うん。
そうやって、したたかでないとね。
「がんばってくださいね?」
「はい!」
簡単な激励をして、私は公園を後にした。
「さて」
これからどうしようか?
ナナとユーリの様子を見守っても良いのだけど……
それは、あまりに無粋というものだろう。
うまくいくように応援したり、時にアドバイスもしたい。
ただ、なんでもかんでもしていたら意味がない。
ある程度のセッティングはするものの、そこから先は自分でがんばってもらわないと。
「散歩でもして、のんびりしましょうか?」
「なにしてんの?」
「ひゃっ!?」
突然、背後から声がした。
「ゼノス!?」
慌てて振り返ると、そこには、なにやら呆れた様子の邪神が。
「と、突然声をかけないでください。驚くじゃないですか」
「気配は察していましたよ、とか言うものじゃないの?」
「私は悪役令嬢であって、勇者とかそういうものじゃないんですから。気配なんてわかりませんよ」
「ふふ。まあ、あなたの反応が楽しかったから、よしとするわ」
私はよしとしないのだけど?
「突然、なんですか? まさか、私を驚かすためだけに現れたのですか?」
「それもあるわ」
「あるんですね……」
反射的にジト目を向けてしまうものの、ゼノスは涼しい顔だ。
さすが邪神。
人の敵意や悪意なんて慣れているのだろう。
「あなた、やる気はあるの?」
「なんのことですか?」
「本当に破滅を回避するつもりはあるの? 最近のあなたを見ていると、まったくやる気がないように見えるのだけど」
「あぁ」
納得だ。
確かに、ゼノスから見れば、私はやる気がないように見えるだろう。
なにしろ、ヒーローの一人であるユーリを他の子とくっつけようとしているのだから。
「私は、あなたがもがいてあがいて、必死に助かろうとするところが見たいの。それなのに、諦めてしまっては困るわね。興ざめもいいところだわ」
「別に諦めたわけではありませんよ」
「ヒーローを攻略しないのに?」
「それは……」
ユーリの攻略を諦めたのは確かなので、反論できない。
ただ、破滅を受け入れたわけじゃない。
破滅なんてまっぴらごめんだ。
どうにかして回避したいという気持ちは今も変わらない。
そのためには……
「……あ」
ふと、閃いた。
「私は諦めてなんていませんよ」
「本当に?」
「ええ、もちろん」
私は自信たっぷりに答えた。
すると、ゼノスは怪訝そうな顔に。
なにか策を残しているのか?
それとも、ただのハッタリなのか?
その判断がつかなくて、迷っている様子だ。
安心してほしい、と言うのも変な話だけど……
私は本当に諦めていない。
そして、今後の方針も、今だけど思いついた。
うまくいくかどうか、それは未知数だけど……
成功すれば、確実に破滅を回避できるだろう。
と、いうわけで。
「ところで、ゼノスは今、お時間はありますか?」
「はい?」
「ですから、お時間はありますか? 神様的な仕事が詰まっていて、余裕がない感じですか?」
「そんなことはないわ。私は邪神ではあるものの、優秀なの。突発的な事態に対処できるように、ある程度の余裕は常に持たせているわ」
「なら問題ありませんね」
私はゼノスに手を差し出した。
「私と一緒に散歩をしませんか?」
「はぁ?」
――――――――――
「どうですか? この公園は自然が豊かで、とても綺麗でしょう。散歩をするにはピッタリの場所なのですよ。それと、恋人達の憩いの場としても有名ですね」
「……」
「あら、どうされたのですか? なにやら仏頂面をしていますが」
「あのね……」
隣を歩くゼノスは、ピタリと足を止めた。
そして私を睨みつける。
「なぜ、私が散歩に付き合わないといけないのかしら?」
「あら。私、散歩をしましょうと言ったはずですが? そして、あなたはついてきた。それは了承と捉えて問題ないのでは?」
「ぐっ」
ゼノスが苦い顔に。
たぶん……彼女は、本当に散歩をするとは思っていなかったのだろう。
散歩というのは名目。
私に別の目的があるに違いない、と深読みしていたのだろう。
でも、残念。
別の目的なんてない。
強いて挙げるのならば、言葉通り、ゼノスと散歩をすることが目的だ。
「どうして私と散歩を?」
「秘密です」
「……素直にしゃべらないと消し飛ばすわよ?」
ゼノスが真顔に。
そして、右手によくわからない光が収束されていく。
魔法?
どちらにしてもやばい。
「ちょっと、ちょっと。いきなり癇癪起こさないでください。神様なのだから、もっと心に余裕を持ってくださいよ」
「あなたが苛立たせるのが悪いのよ」
「まったく……」
子供みたいな神様だ。
「あなたを散歩にお誘いした目的は、大した理由はありません。単純に、仲良くなりたいと考えただけです」
「仲良く……?」
「あなたが言うように、現状、ヒーロー攻略はうまくいっていません」
アレックスとジークからは疎まれ。
ネコは未登場。
エストとは友好的な関係を築けたと思うが、まだ友達の範囲内。
ユーリは知り合いというくらい。
エストとユーリに狙いを絞ればなんとかなるかもしれないが……
ユーリはナナの想い人。
他人の恋路を邪魔してまで攻略するつもりはない。
私もユーリが好きなら、競ったかもしれないが……
そうではなくて、ただの打算なのだから。
……っていうことを自覚したら、他のヒーローも攻略する気がなくなってしまった。
打算で始める恋というのは、ちょっと避けたいところだ。
一応、これでも乙女なので。
「と、いうわけで……しばらくは様子見をすることにしました」
「はぁ……」
「私が本気で誰かに惚れることがあれば、その時はがんばるつもりです。ただ、今はそういう気にはなれなくて……」
打算で恋をしたり。
誰かの恋路を邪魔したり。
そういうことは避けたい。
でも、このままだと破滅を迎える。
死にたいわけではないので、それも避けたい。
「あれもこれも避けたい。わがままね」
私の心を読んだ様子で、ゼノスが呆れた様子で言う。
「そうですね、私はわがままです」
「で、どうするつもり?」
「あなたを攻略することにしました」
そう言って、私はゼノスを指差した。
「はぁ?」
ゼノスは思い切り怪訝そうな顔に。
明日の天気は槍ですよ、と言われたような感じだ。
うん。
でも気持ちはわかる。
自分で言っておいてなんだけど、私は正気か? と、たまに自問自答してしまう。
「私を攻略する、って……どういうことかしら?」
「そのままの意味ですよ。あなたの好感度を上げようと思います」
それが私が考えた、新しい選択肢だ。
ヒーローを攻略しないとヒロインになれず、悪役令嬢の私は、いずれ破滅を迎えてしまう。
だから、ヒーローを攻略してメインヒロインに昇格する。
そういう考えのもと、行動していたのだけど……
色々と限界と疑問を感じて、ストップ。
なら、発想の転換だ。
ゲーム通りに行動するのではなくて、チートツールを使う感じで、根っこの部分から前提を覆してしまえばいい。
すなわち、この世界を管理する神様……ゲームマスターと仲良くなる。
そうすることで優遇してもらう。
……と、いうことを考えたのだ。
相手を利用することに変わりはないのだけど……
まあ、そこはそれ。
邪神なのだから、そこまで気を使う必要はない。
「……とまあ、そのようなことを考えたのです。我ながらナイスアイディアだと思いますが、いかがでしょう?」
「あなたねえ……」
思い切り深いため息をつかれてしまう。
「よりにもよって、邪神である私を攻略しようとか、頭がおかしいでしょ?」
「現時点でベストだと思いますが?」
「……」
「……」
しばらくの間、視線を交わす。
そして……
「くはっ」
たまらないといった感じで、ゼノスが笑う。
「あは、あははは! ダメ、なにそれ。笑わせないで、お腹痛い、呼吸できない。死んじゃうわ、あはははっ」
大爆笑だ。
そこまで面白いことを言っただろうか?
相変わらず、この邪神がなにを考えているかわからない。
「ひー、ダメ、死んじゃう。笑いすぎて死んじゃう。なにこの子、頭おかしすぎる。バカよ、バカ。稀代のバカよ」
「そこまで言いますか……」
「言うわよ。今まで、私に命乞いをしてきた人間は星の数ほどいたけど、私を攻略しようなんて考えたヤツは一人もいなかったもの」
私を奇人変人みたいに言わないでほしい。
「十分に変人よ」
「むう」
納得いかない。
「でも、人間が私を攻略できるとでも?」
「やってみないとわかりませんよ」
「へえ、言うわね」
ニィっと、ゼノスは肉食獣のような目をする。
細く、鋭く。
殺意さえ乗っていた。
しまった、怒らせたか?
ただ、次の瞬間には再び笑顔に戻る。
「まあ、そういうことなら、この散歩ももう少し付き合ってあげるわ」
「ありがとうございます」
うまく乗せることができたらしい。
相手は邪神。
私の目的は、すぐに露見すると思っていた。
その時、うまくゼノスが乗ってきてくれるか否か。
そこはわりと賭けだったのだけど……
どうやら、私は賭けに勝ったみたいだ。
とはいえ、安心していられない。
まだスタート地点に立ったばかり。
ここからが本番だ。
「では、散歩の続きに行きましょうか」
さあ……これからどうなるか?
うまくゼノスを攻略できるか?
それとも失敗して、破滅を迎えるか?
答えは……
神のみぞ知る、というところか。
ゼノスを攻略するに辺り、必要なものは彼女の情報だ。
どんな食べ物が好きなのか?
犬派なのか猫派なのか?
嫌いなものは?
そういった好みを把握することが大事だ。
仮に、ゼノスが野菜嫌いだったとして……
野菜がメインの料理店に連れて行ったらマイナスになってしまう。
そういう事態を避けるために、彼女の趣味趣向を知っておきたいのだけど……
「ところで、ゼノスはなにか趣味はありますか?」
「ふふ、どうかしら」
散歩の途中、何気なく尋ねてみるものの、笑顔であしらわれてしまう。
彼女は私の意図を察しているのだろう。
その上で、簡単には攻略させてやらないと、とぼけているのだろう。
なんて嫌な性格。
少しくらいヒントをあげてもいいのに。
さすが邪神。
「そうですね……では、釣りをしましょうか」
「は?」
「釣りですよ、釣り。もしかして、ご存知ありません?」
「いえ、知っているけど……普通、公爵令嬢が釣りをする?」
「趣味は人それぞれなので」
そんな話をしつつ、公園の奥にある釣り堀へ。
竿と餌をレンタル。
その際、いくらかの店員がざわついていた。
たぶん、私の素性を知っている人がいたのだろう。
でも気にしない。
今は、ゼノスを攻略することだけを考える。
ゼノスと一緒に釣り堀へ移動して、並んで竿を振る。
「……」
「……」
じっと前を見ているせいか、自然と無言になってしまう。
でも、これでよし。
ゼノスと仲良くおしゃべりするところなんで、今はまだ、まったく想像できない。
だから、まずは肩を並べることに慣れることにした。
多少、強引な方法ではあるものの、こうすれば無言で一緒にいても問題はない。
のんびり、ゆっくりと長い時間を過ごすことができる、というわけだ。
「……ねえ」
釣りを始めて五分。
ふと、ゼノスが口を開いた。
「なんですか?」
「ぜんぜん釣れないんだけど?」
「まだ始めて五分じゃないですか。そんなにすぐには釣れませんよ」
「つまらないわ」
そう言って、ゼノスが釣りを投げ出そうとするのだけど……
「あら。神様とあろうものが、もう降参するのですか?」
「……なんですって?」
「神様なのに釣りもできないのですね……くす」
思い切り挑発してやると、
「誰もやめたなんて言ってないでしょう。釣りなんて簡単よ、すぐに釣ってみせるわ。みせるとも、ええ」
再び竿を持つゼノス。
ちょろい。
「今、笑った?」
「いえ、気の所為では」
さすが神様。
勘は鋭い。
「……ヒマね」
「私は、そうでもありませんよ」
「なんでよ? あなたも釣れてないじゃない」
「ゼノスと一緒ですからね。一緒に同じことをしている……それだけでも、けっこう楽しいものですよ」
「……そ」
呆れられたかな?
でも、再び投げ出そうとしないところを見ると、なんだかんだで楽しんでくれているのかもしれない。
まあ……
色々と打算が働いているのだけど、これはこれで楽しい時間だ。
のんびり釣りを楽しむことにしよう。
「……ところで、どうして釣りなのかしら?」
「そうですね……」
計算しての行動なのだけど、それは口にしない方がいいような気がした。
あと、他にも一応理由はある。
「単純に、好きなんですよ」