悪役令嬢の私ですが、メインヒロインの妹を溺愛します

「……ん……」

 ふと、目が覚めた。
 暗闇に沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。

「ここは……」

 そっと目を開けると、見慣れた天井が見えた。
 私の部屋だ。

 ベッドに寝ているみたいだけど……
 えっと、なんで私は寝ているのだろう?

「アリーシャ姉さま!!!」
「ひゃっ」

 よく見ると、すぐ傍にフィーがいた。
 とても心配そうな顔をしていて、抱きついてくる。

「ど、どうしたんですか……?」
「どうしたもこうしたも……うぅ、アリーシャ姉さまがちゃんと起きて、良かったです……!」
「えっと……」

 状況が理解できない。
 できれば説明してほしいのだけど、フィーは泣いたまま、私から離れてくれない。

「よかった、起きたみたいだね。今回は、さすがの僕もヒヤリとしたよ」
「ったく……突然倒れるとか、人を驚かせるなよ」
「ジークさま? アレックス?」

 なぜ、この二人が?

 混乱する私に、ジークがゆっくりと説明してくれる。

「アリーシャ、君は倒れたんだよ」
「私が……倒れた?」
「覚えていないのかい? シルフィーナの話によると、体調が悪そうで、それで突然倒れたらしいけど」
「……そういえば」

 うっすらとだけど思い出した。

 フィーと一緒に下校して、おしゃべりをして……
 でも、途中でフィーが私の顔色が悪いと言い出して、その言葉が現実になるかのように私は意識を失ったのだ。

「なんとなくですが、思い出しました」
「倒れるとか、あまり心配かけないでくれよ」

 アレックスがぶっきらぼうな様子で言う。
 怒っているのではなくて、素直に心配ができないのだろう。

「心配してくれたのですね」
「なっ……そ、それは、ほら……仕方なくだよ! シルフィーナが慌ててたから、そのせいで不安を煽られたというか」
「僕は心配したかな。アリーシャが倒れるなんて初めてのことだから、とても驚いて、心配したよ」
「む……俺だって心配したさ。わりとマジで焦った」
「そうなのかい? その割に、けっこう冷静だったように思えたけど」
「それはジークだろう。俺は、すごく慌てていたさ。心配していたからな!」
「僕も心配していたさ」
「くっ」
「ぐっ」

 妙なことで張り合う二人。
 なぜ、そんなことで競うのだろうか?
 どちらがより深く心配したかなんて、どうでもいいと思うのだけど。

 ただ、どちらにしても申しわけない話だ。

「心配をかけてしまい、申しわけありません」
「あ、いや……君が謝ることでは」
「そ、そうだよ。体調が悪い時なんて誰にでもあるんだから、気にするな」
「……ありがとうございます」

 二人共、とても優しい。
 さすがヒーローだ。
 普通なら、心惹かれていたかもしれない。

 まあ、私は悪役令嬢なので。
 彼らと結ばれるなんてことはありえないので、なんとも思うことはないが。

「アリーシャ姉さま、気分はどうですか? 気持ちわるくないですか? 頭痛や吐き気、熱を感じたりしますか?」
「えっと……」

 体を軽く動かして、不調がないか確認する。

 手足はちゃんと動く。
 指先が痺れるということもない。

 思考はクリアー。
 妙な不安や焦燥感もなし。

「大丈夫みたいですね」
「本当に?」
「本当ですよ。気持ち悪いということはなく、違和感があるということもありません」
「よかった……」

 フィーは、ほっとした様子で小さな吐息をこぼした。
 アレックスとジークも、同じく表情を柔らかくする。

 ずいぶんと心配をかけてしまったみたいだ。
 そのことが申しわけない。

 ……でも、心配するフィーはかわいい、と思う私はもうダメなのかもしれない。

「……」

 フィーは、まだ不安そうな顔をしていた。
 恐ろしいものを耳にしたような、そんな顔をしているのだけど、どうしたのだろう?

「フィー」
「……」
「フィー?」
「……あっ、は、はい!?」

 よかった、返事をしてくれた。
 かわいい妹に無視をされたら、それだけでショックで死んでしまえる。

「どうしたのですか、難しい顔をしていますが」
「それは……」
「……シルフィーナ。ここは、僕が話そう」

 バトンタッチ。
 ジークが神妙な顔をして、フィーの前に立つ。

 なぜ、そんな顔をしているのだろう?
 見れば、ジークも似たような顔をしていた。

 嫌な予感がする。

「君が倒れたと聞いて、僕はすぐに医者を手配した。シルフィーナの話を聞いたところ、最初は風邪だと思っていたのだけど……よくよく考えてみれば、風邪で倒れるなんてことはそうそうない。そこまで悪化しているのなら、そもそも、最初から歩けないだろうからね」
「それは……」

 確かに、その通りだ。
 私は放課後まで、特に問題なく過ごしていた。

 風邪気味だったとしても、倒れるほど急に悪化するとは考えにくい。
 それなら、私は……?

「結論から言うと……君は、原因不明の病に侵されている」
 原因不明の病。
 悲恋の物語などでよく出てくるものだ。

 ヒーロー、あるいはヒロインが病に倒れる。
 治療するために奮闘するものの、その努力虚しく愛する人は他界してしまう。
 そんな物語が多い。

 ただ、それはあくまでも物語の中の話だ。
 現実に原因不明の病が出てくることは、ほとんどない。

 なにしろ、この世界には魔法がある。
 私達はそれほどうまく扱えないのだけど……
 大人になれば、大半の人が習得することができて、奇跡を体現することができる。

 治癒魔法もあり、前世では致命傷という傷も治療することが可能だ。
 それは怪我だけではなくて、病気にも有効とされている。

 故に、この世界に不治の病は存在しない。
 原因不明の病も存在しない。

 まあ。
 絶対なんて言葉は実際は存在しないので、断定はできないのだけど。

「原因不明の病なんて、それは本当なのですか?」
「断定はできないのだけど……その可能性が高い」
「ジークのヤツ、わざわざ城から医者を呼び寄せてきたんだよ。しかも、王族専属の医者。そんな人がなにもわからない、って言うんだ。原因不明だろ?」
「アレックス、君はデリカシーというものにかけているね。確かにそれは事実だけど、もう少しいい方というものがあるだろう」
「アレックス!」
「うっ」

 ジークとフィーの二人に怒られて、アレックスは気まずそうな顔に。
 言葉のチョイスを間違えたと、反省している様子だ。

「……アリーシャ、悪い」
「いいえ、私は気にしていませんよ」

 本当に気にしていない。

 原因不明の病と言われても、正直、ピンと来ない。
 あまりにも現実感がないからだ。

「その方を疑うわけではないのですが、私は、本当に病に侵されているのですか? 過労などの可能性は?」
「それも、ないことはないのだけど、意識を失うほどのものは考えられないそうだ」
「三徹して働き続けてた、っていうなら話は別だけど、そういうわけじゃないだろ?」
「それもそうですね」

 過労で倒れるにしても、それ相応の原因がある。
 その原因にまったく心当たりがない以上、私は原因不明の病に侵されているのだろう。

「うーん」

 とはいえ、やはりピンと来ない。

 突然すぎるせいなのか。
 あるいは、体に不調がないからなのか。

 病と言われても、なかなか納得することができない。

「お医者さまは、なんて?」
「ひとまず、一週間は安静にするように……と。あと、毎日、診察をしたいらしい」
「一週間ですか」

 退屈な時間を過ごすことになりそうだ。
 原因不明の病に侵されたと聞いて抱いた感想は、そんなものだった。



――――――――――



 翌日の昼下がり。

「アリーシャ姉さま!」

 学院の制服姿のまま、フィーが私の部屋にやってきた。
 飛び込むような勢いで、いつものおとなしい様子はどこへやら。

「フィー? やけに早いですね」
「アリーシャ姉さまのことが心配で、走って帰ってきました!」

 小さな体を一生懸命に動かして、走るフィー。
 小動物みたいで、とてもかわいいだろう。
 想像してみたら鼻血が出そうになった。

 とはいえ、それは令嬢としてダメだろう。
 それに転んだら怪我をするかもしれない。

「フィー。私のことを心配してくれるのはうれしいですが、そういう無茶をしてはいけませんよ?」
「あぅ……す、すみません」

 たしなめられて、しょぼんとするフィー。
 反省できる子、偉い。

「アリーシャ姉さま、体の調子はどうですか? 大丈夫ですか?」
「はい、なんともありませんよ」
「本当に? 無理していませんか?」
「していませんよ」

 ずっとベッドの上にいて、おとなしくしている。
 そのおかげなのか、特に体調に変化はない。

「よかった……」

 フィーはとても安心した様子で、小さな吐息をこぼした。
 それから、両手をぐっとして、強く言う。

「アリーシャ姉さま、安心してくださいね! 絶対に、私が治療方法を見つけてみせますから!」
「ありがとう、フィー」

 かわいい妹が私のためにがんばってくれるのは、すごくうれしいのだけど……うーん、このままでいいのだろうか?
 みんなに心配をかけて、苦労をさせて、巻き込んでしまう。

 とはいえ、原因不明の病なんてものを相手にどうすればいいか、まったくわからない。
 難しい問題に、私は、フィーに気づかれないようにため息をこぼすのだった。
 かわいい妹にあれこれとしてもらうのは、とてもうれしい。
 大事に想ってくれていると実感できるからだ。

 その一方で、かわいい妹に心配をかけてしまうことは申しわけない。
 悲しい顔よりも笑顔が見たい。
 そう思うのは当たり前のことだろう。

「よし」

 いつまでも寝込んでなんていられない。
 原因不明の病だろうがなんだろうが、早く治してしまわないと。

 医師を頼りにしつつ……
 自分でも色々と調べてみることにしよう。

 案外、素人視線が問題解決に関係することがあるかもしれない。

「原因不明と言われると、大層な病に聞こえるのですが、それほど深刻な症状はないんですよね」

 目立った症状といえば、水の中にいるかのように体が動かしにくいこと。
 時々、息切れを起こしてしまうこと。
 あと、稀に意識を失ってしまうこと。

 ……こうして列挙してみると、わりと深刻な問題だった。

 ただ、まったく動けないわけじゃない。
 発作がいつも起きるわけではないので、それ以外の時は、ややしんどいが動くことはできる。

「よし、がんばりましょう」

 私は気合を入れて、ベッドから降りた。
 そして、屋敷内にある書庫へ。

 屋敷内に図書館と思えるくらいの本が収められている。
 本好きのお父さまが、あちらこちらから集めてきたものだ。

 まずは、書庫を調べてみることにしよう。
 灯台元暗し。
 意外とこういうところにヒントがあったりするものだ。

 私は書庫へ移動して、本が収められた棚を見て回る。

「ふむ……」

 病気の原理が記された本。
 治療法が記された本。
 色々な奇病について記された本。

 ひとまず、病気に関する本を手当たり次第に取り、それらを読書スペースで目を通していく。

 ……一時間後。

「簡単に行くとは思っていませんでしたが、まったくかすらないとは」

 主に原因不明の病について調べてみたのだけど、なにもわからない、ということがわかった。

 私の症状に当てはまる病気は載っていない。
 当たり前だけど、対処法も載っていない。

 そもそも……

 魔法があるこの世界で、治療不可の病気なんてほとんどない。
 故に、原因不明の病気もほとんどない。

「書庫を漁ったとしても、そもそもの知識が欠けている可能性が高いですね」

 書物は、知識や事象を記録しておくものだ。
 その前提となる事象が確認されていなければ、記されることはない。

「なかなか厄介ですね」

 すぐに解明できるとは思っていないが、手がかりの欠片くらいは手に入ると思っていたのだけど……
 うまくいかないものだ。

「ひとまず本を戻して、それから……っ!?」

 突然、ガツンと頭を殴られたかのような、ひどい頭痛に襲われた。
 立っていることができず、その場に膝をついてしまう。

 それだけじゃない。
 重力が増しているかのように体が重くなり、体を支えることができない。

 手足の自由もきかなくて……
 そのまま倒れてしまう。

「……アリーシャ姉さま、こちらにいると聞いて……アリーシャ姉さま!?」

 薄れゆく意識の中、フィーの悲鳴を聞いたような気がした。

 ごめんなさい、フィー。
 また、あなたを悲しませてしまった。
 やっぱり、私は悪役令嬢で、ダメな姉なのかもしれない。



――――――――――



 私は、三日ほど寝込んでしまったらしい。

 その間、意識はなくて……
 おまけに高熱も出ていたとか。

 なんとか意識は回復したものの、微熱は続いている。
 体もだるく、自力で歩けそうにない。

「アリーシャ姉さま、大丈夫ですか……?」
「大丈夫ですよ」

 本当は大丈夫ではないのだけど……
 かわいい妹を心配させたくなくて、無理に笑顔を浮かべてみせた。

「無理するなよ。アリーシャは、いつも無理してるから……そのせいかもしれないんだからな」

 アレックスも、とても心配そうにしてくれていた。
 フィーと同じく、毎日、お見舞いにやってきてくれている。
 ヒーローらしく友情に厚い。

「今日は、宮廷医師から薬を預かってきたよ。これを飲むといい」

 ジークも、毎日、私の様子を見に来てくれている。
 しかも、貴重な薬を毎回持参している。

 そこまでしてもらうと申しわけないのだけど……
 でも、彼の厚意を否定したくないので、素直に受け取っておいた。

「これ、学院のノート。勉強に遅れないように、後でちゃんと勉強してね? まあ、私の字はちょっとアレだから、大変かもだけど」

 ネコが笑う。
 ただ、無理をして笑っているように見えた。
 私に心配をさせまいとしているのだろう。

「なんで、こんな急に悪化するんだよ……くそ。ジークさま、アリーシャの病気は、まだなにもわからないのか?」
「すまない……色々な宮廷医師に診てもらい、意見を聞いているのだけど、まだなにも」
「アレックス、ジークさまに当たらないで……」
「そう、だな……悪い。ジークさまだって、辛いよな」
「そう言ってもらえると、助かるよ」

 みんなの間の空気がおかしい。
 私のせいで、少しギスギスしてしまっているみたいだ。

 ケンカなんてしてほしくない。
 今までみたいに仲良くしてほしい。

「……どうして」

 こんなことになってしまったのだろう?
 さらに一週間が経った。

 私の病は治ることはなくて……
 むしろ悪化していた。

 まともに体を動かすことができなくて、常にベッドの上。
 高熱が出て引いてくれず、いつも頭がぼーっとしていた。
 そして、時々、意識を失う。

 ただ、それらの症状は軽い。
 なんてことはない、前兆のようなものと、私はそう考えていた。

「……こぼれ落ちていく」

 ぼーっとする意識の中、ぼんやりと考える。

 発病して……
 それから、体の中にある「なにか」がなくなっていくのを感じた。

 それはとても大事なもの。
 なくしてしまうなんて、とんでもないことだ。

 手放したくないのだけど、でも、どうすることもできない。
 水を手の平ですくうようなものだ。

 最初はうまくいくのだけど、でも、次第に隙間から水が流れ落ちて……
 最後は空っぽに。

 そんな感じで、私の中からなにかが流れ落ちていくのを感じた。
 それはたぶん……
 命の煌きだ。

「アリーシャ姉さま……うぅ、なにかしてほしいことはありますか? なんでも言ってください! 私、なんでも……うく、なんでもしますから!」

 フィーが泣いていた。
 そんな顔をしてほしくないのに、それなのに私のせいで……

「おいっ、しっかりしろよ! こんなところで……そんなのは、絶対にダメだからな! 俺は認めないからなっ」

 アレックスも、半分くらい泣いていた。
 強気な性格だから、本人は認めないだろうけど……
 でも、とても悲しそうな顔をして、涙を浮かべていた。

 貴重な顔を見ることができた。
 あとでからかってみよう。

「アリーシャ……また、元気なところを見せてほしい。僕に笑ってくれると、そう約束をしてくれないだろうか?」

 さすがというべきなのか、ジークは涙を我慢していた。

 でも、くしゃりと表情は歪んでいる。
 あと一つ、なにかあれば、すぐに涙腺が決壊してしまいそうな雰囲気だ。

「アリーシャ……なんで、こんな……私、これからアリーシャの親友として……色々なことをして、ずっと……!」

 ネコは我慢できず、もう泣いていた。
 せっかくの綺麗な顔が、涙がくしゃくしゃだ。
 できることなら、その涙を拭いたいのだけど、もう体が動かない。

「み……んな……」

 四人の後ろに、お父さまとお母さまがいた。

 お父さまは優しく、そしてとても強い人だ。
 決して動揺を表に出すことはなくて、数々の難しい仕事を成功に導いてきた。
 交渉においては負け知らず。

 そんなお父さまが、露骨に感情を見せていた。
 悲しみ一色に顔を染めて、とても悔しそうにしている。

 お母さまは涙を流しつつ、そんなお父さまに寄りかかっていた。
 一人で立つことができないのだろう。
 それくらいの悲しみと衝撃を受けているのだろう。

 申しわけないと思う一方で……
 そうなってしまうほどの愛情を注いでいてくれたことを知り、うれしく思う。

 そして……

 そんなみんなの様子を見て、私は、ふと理解した。

(ああ、そうか……私、ここで死ぬのか)

 そう考えることが当たり前のように。
 すぅっと、死の予感が舞い降りた。

 それは勘違いではなくて、絶対。
 私の生は、ここで終わる。

(前世で死んで、ゲームの悪役令嬢に転生して、破滅を避けようとがんばって……)

 けっこう、うまくやれていたと思う。
 フィーとヒーローの恋愛フラグをいくつか叩き潰してしまった感はあるが……
 ただ、結果オーライ。
 みんな笑顔で、仲良くなることができた。

 これなら破滅を避けることができる。
 それどころか、かわいい妹と仲良く暮らせるという、幸せな未来が待っている。

(そう思っていたのに……結局、破滅か)

 しかも死因は、原因不明の病。
 ここまで死に絡まれているとなると、神様のいたずらを疑う。

 私、神様に嫌われるようなことをしただろうか?
 それとも、死神に好かれているのだろうか?

 どちらにしても、破滅を回避することができなかった。
 悪役令嬢に転生したため、方法は異なるとしても、こうなる運命だったのだろう。

(あはは……なんか、ここまでひどい結末になると、逆に笑えてきますね)

 いったい、私がなにをしたのやら。
 悪役令嬢に転生することが罪なのか?
 だとしたら、悪役令嬢なんかに転生させないでほしいのだけど。

(もしも、死後の世界があって、そこで神様に会えるとしたら……)

 一発、ぶん殴ってやろう。
 気がつけば見知らぬ場所にいた。

 雲の上……なのだろうか?
 足元は白いもやで覆われていて、ふわふわとした感触が伝わってくる。

 周囲も白。
 そして、なにもない。

 なにもないのだけど、でも、暗くなることはなくて明るい。
 どういう原理なのだろう?

「やっほー」

 絶世の美女がいた。
 傾国の美女というのがいたら、こんな人なのだろうと、そう思うような人。

 長い髪は宝石のように輝いている。
 肌は白く、陶器のよう。
 手足は長く、凹凸もハッキリとしているなど、スタイル抜群だ。
 同性の私からしても、見惚れてしまうほどの美を持つ女性だった。

 でも、やたらとフランクな態度だ。
 そのギャップのせいで、妙な脱力感を覚えてしまう。

「はぁ……こんにちは」
「お、いいねいいねー。普通、こんな状況に放り出されたら、混乱してしばらくはまともな話ができないんだけどね。でも、君はしっかりと挨拶をすることができた。いいねいいねー。挨拶は会話の基本だからね。とても大事だよ、うん」
「えっと……なにを言いたいのかわかりませんし、そもそも、あなたはどちらさまなのでしょう? ……と、そんなことを尋ねる私は、やはり普通ですか?」
「そんな一言を付け足すところは普通じゃないけどね。あはは、やっぱり君はおもしろい」

 よくわからないけど、気に入られたみたいだ。
 でも、あまりうれしくないのはなぜだろう?

 というか……
 この人を見ていると、なぜかイライラしてしまう。
 いじめっ子を前にしたような感じだ。

 はて?
 私とこの人は相性が悪いのだろうか?

「ようこそ、アリーシャ・クラウゼン」
「私の名前を……」
「もちろん、知っているさ。君のその前の生……静岡静留、という名前もね」
「……」

 アリーシャに転生する前の私も知っている。
 やはりというか、この人、普通の人間ではないようだ。

「自己紹介をしようか。私は、アリエル。君達、人間が言うところの神様というヤツさ」
「……なるほど」

 納得した。
 なので……

「うわっ」

 生きている頃に宣言した通り、殴ろうとしたのだけど、避けられてしまう。

「いきなりなにするのさ、危ないなー」
「私に理不尽な運命を課しているような気がしたので、その仕返しをしておこうと」
「うーん、そう言われると否定できないなー」
「ということは、本当に、あなたが私の運命をいじっていたのですか……?」
「正解♪」

 やはり殴っておきたい。
 そう思えるくらい、今の神様はとても苛立つ顔をしていた。

 とはいえ、それをしていたら話が進まない。
 死んだ私の魂? を呼び寄せるくらいなのだから、大事な話があるのだろう。

「どうして、私の前に姿を表したのですか?」
「謝罪と救済を」
「ふむ」

 意味深な内容ではあるが、ひとまず、話くらいは聞いていいだろう。
 本物の神様だとしたら、それくらいの価値はあるはず。

「まずは謝罪を。静岡静留として生きてきた君を、アリーシャ・クラウゼンに転生させたのは私だよ。そういう意味では、私が君の運命をいじっていたことになるね」
「あなたが……ただ、謝罪するほどのことなのですか? ゲームの世界とはいえ、また人間に生まれ変わることができたのは、とてつもない幸運だと思うのですが」

 世界の生物の数を考えると、人間に生まれ変わらない確率の方が圧倒的に高い。
 ダンゴムシに生まれ変わっていたかもしれない。

 そのことを考えると、悪役令嬢とはいえ、人間に生まれ変わらせてくれたことは感謝することだと思う。

「まあ、そうなんだけどね。でも、私としては、君を普通の世界の普通の女の子に転生させるつもりだったんだ。それなのに、乙女ゲームの悪役令嬢なんてものに転生させてしまった。君も知っての通り、悪役令嬢は、どうあがいても破滅しか待ち受けていないからね。希望を持たせて、でもやっぱり殺す……なんて、悪趣味な真似は私はしないよ。だからこその謝罪さ」
「それはつまり……悪役令嬢に転生した時点で、私の短命は決まっていたと?」
「そうだね。君があれこれしたから、運命は多少前後したけど、基本的に短命であることは間違いないよ。これは、ゲームと同じさ」
「ふむ」

 だから、私は原因不明の病にかかったのか。
 そして、そのまま命を落とした。

 世界の強制力というか、そういうものが働いて、私に悪役令嬢としての最後の務めを果たさせようとしたのだろう。
 その結果が、アレだ。

「私は、本来は普通の女の子に転生するはずだった……と?」
「そうだね」
「なぜ、そんなことが可能だったのですか? 私の前世……静岡静留は、よくできた人間ではなくて、それほどの徳は積んでいなかったと思うのですが」
「そんなことはないさ。確かに、君は普通に生きて普通に死んだ。でも、たくさんの人を笑顔にしてきた。それは、なかなかできることじゃないさ」

 そんなことを言われても実感がない。
 みんなに笑顔であってほしいと、そう思っていたけれど……

 それは、あくまでも私のため。
 だって、その方が楽しいから。

「ただまあ、ちょっとしたトラブルがあってね。君は、乙女ゲームの悪役令嬢なんてものに転生してしまった。そして、例外なく、悪役令嬢として破滅を迎えることになった。そのことについては申しわけなく思っているから、救済をしたいんだよ」
「救済……ですか」
「うん。今度こそ、君を普通の世界の普通の女の子に転生させようと思う。記憶は、引き継いでも引き継がなくても、どちらでもいいよ。君の自由だ。あ、でもチートはないよ? 転生先は、一度目の人生と同じ地球の日本だからね」
「日本に……」
「そこで三度目の人生を楽しむといい。一度目や二度目の人生と同じにならないように、加護を授けるから、今度は短命にはならないはずさ。まあ、100歳を超える長寿になるとは言えないけどね。それなりに人生を謳歌できるはずさ」

 神様はにっこりと笑う。
 聖母の笑みという言葉がふさわしい、とても優しい顔だ。

「……」

 このまま神様に身を委ねれば、私は第三の人生を楽しむことができる。
 そこでは、普通の女の子として生きることができる。
 悪役令嬢として、理不尽な目に遭うことはない。

 それは、とても素晴らしいことなのだけど……
 でも、それを素直に受け入れることはできなかった。

「待ってください」
「うん? どうしたんだい?」
「普通の世界ではなくて、また、乙女ゲームの世界に転生することは可能ですか?」
「えっ」

 神様が目を丸くした。

 それはそうだ。
 ひどい目に遭ったというのに、また同じ世界に戻りたいなんて……
 普通はそうは思わないだろう。

「どうして、そんなことを?」
「私は、まだあの世界でやり残したことがありますから」

 突然すぎて、みんなとちゃんとお別れをしていない。

 それに、フィーのことが気になる。
 私が死んだことで、フィーは、また家族を失ってしまった。
 そのことが心の傷になっていたら?
 できることなら、どうにかしたい。

 死んだとしても、私は、フィーの姉なのだ。

「君は変わっているねえ」

 神様が苦笑した。
 それから、表情を一転させて真面目な顔に。

「可能といえば可能だけど、イレギュラーなケースだからね。普通の転生じゃなくて、最初からやり直すことになるよ?」
「最初というと……アリーシャの中で、前世の記憶が蘇った時ですか?」
「そう、そこからだね」
「なるほど」

 フィーとそれなりに仲良くなれたと思うのだけど、それはリセット。
 ゼロからの関係になる。

 フィーだけじゃない。
 アレックス、ジーク、ネコ……みんなともゼロから始めることになる。

 二度目の転生をして再会したら、他人を見る目を向けられるのだろう。
 それは、想像するだけで辛いが……

「それはそれで、やりがいがあるというものです!」
「ただ、気をつけてほしい」

 アリエルは真面目な顔になり、固い声で言う。

「悪役令嬢というものは、基本的に破滅が決まっている。君は、あれこれと動いていたものの、結局、謎の病死を遂げてしまった。破滅が決定していることは、その身で体験しただろう?」
「あれは、なんなのですか? 世界の強制力とか、そういうものですか?」
「まあ、そんな感じかな」

 アリエル曰く……

 あの世界は乙女ゲームを元に作られている。
 故に、ヒロインは幸せになる。
 故に、悪役令嬢は破滅する。
 それは絶対。

 水が高いところから低いところへ流れるように。
 鳥が空を飛ぶように。
 絶対の真理だ。
 なにかしたとしても、それに抗う術はない。

 ……ということらしい。

「転生させておきながら破滅しかないなんて……ずいぶんと身勝手ですね」
「だから、そこについてはホント悪いと思っているんだよ? 私も、そんなつもりはなくてねー。ちょっと、困ったヤツが介入してきたんだよ?」
「困ったヤツ?」
「そう。私と同じ神で、そいつのせいで君は悪役令嬢なんてものに転生したんだ」
「つまり、もう一人の神さまが元凶?」
「そいつの名前は、ゼノス」

 ゼノス。
 それは、私の敵なのだろうか?

「あの世界でやり直すのなら、君が取るべき行動は二つ」
「二つ?」
「まずは、ゼノスを探し出すことだ。そして、世界に対する干渉をやめさせる」

 ふむ?
 いまいち話が見えてこない。

 こちらの困惑を察した様子で、アリエルが続けて説明をする。

「世界の強制力は確かにあって、それで君は二度目の死を迎えた。でも、考えてみてくれ。死ぬとしても、本来はもう少し先のはずだろう?」
「確かに……」

 悪役令嬢としての破滅は、学院の卒業と同時だ。
 そこから転落して、断罪されて……という流れだった。

 それなのに、いきなりの病死。

「予定が変更されたのは、ゼノスが世界の強制力に干渉したからさ。君を厄介に思ったんだろうね。もしかしたら、運命が覆されるかもしれない。それはつまらない、予定通りに破滅してほしい。だから、運命に干渉した、というわけさ」
「……話を聞くと、とんでもなく迷惑な神さまですね」
「実際、迷惑なんだよ。彼のせいで、君は悪役令嬢なんてものに転生したからね」
「その神さまのせいで? しかし、どうして悪役令嬢に転生を?」

 そのようなことをするメリットがわからない。

 すると、アリエルは心底うんざりという感じで、ため息をこぼす。

「娯楽なんだ」
「娯楽?」
「そう。ゼノスにとって、君を悪役令嬢に転生させたのは娯楽でしかないんだ。ゲームの世界に転生。でも、悪役令嬢。どうしよう? って慌てるところを見て、楽しむような性格破綻者なんだよ、彼は」
「……その方、本当に神さまなんですか? 悪魔ではないのですか?」
「一応、神だよ。邪神、って呼ばれているけどね」
「あぁ……納得です」

 要するに、ゲームの魔王と同じような立ち位置なのだろう。
 それなら、今アリエルが言ったようなことも平気でやってしまうのだろう。

 なんて厄介な人に目をつけられたのだろう。
 げんなりする。

 あ。
 人じゃなくて神さまか。

「ゼノスは、君の行動を観察するために近くにいるはずだ。隠れているかもしれないし、誰かに化けているかもしれない。どうにかこうにか見つけ出してくれ。そうすれば、後はボクがなんとかしよう」
「できるのですか?」
「できるさ。同じ神だから、争うととことんめんどくさいことになるからね。快楽主義者のあいつは、そういうめんどうは嫌うはず。手を引くと思うよ」
「意外と頼りになるのですね」
「え? 意外? あれ?」

 だって、仕方ないでしょう?
 第一印象は、とても軽薄な女の子、なのだから。

 神さまと言われても、未だに、数割は信じられない。

「もう一つは、ヒーローと結ばれることだ」
「それは……恋人になれと?」
「その上かな。夫婦になってほしい。夫婦が無理なら、せめて純血を捧げてほしい」
「……それはまた、ずいぶんと話が飛びましたね」
「ゲームだと、エンディングでは、だいたいそういう関係になっているだろう? つまり、そういうことさ」
「どういうことですか」

 わからないので、きちんと説明してほしい。
 神さまだからなのか、わりと話の進め方が勝手だ。

「君が破滅してしまうのは、悪役令嬢だからだ。悪役令嬢であるうちは、なにをしても破滅してしまう。だから、悪役令嬢でなくなることが大事だ」
「……なるほど。つまり、ヒーローと結ばれることで、ヒロインに昇格してしまえ……と?」

 ゲームでも、ない話じゃない。
 続編などが出た場合……
 前作では脇役や敵だったキャラクターがヒロインに昇格することは、たまにある。

「そうなれば、君は悪役令嬢ではなくてヒロインとなる。理不尽な破滅を回避することができる」
「ふむ」

 話をまとめると……

 どこかにいるであろう、ゼノスという神さまを探し出す。
 あるいは、ヒーローと結ばれてヒロインに昇格する。

 そのどちらかを達成しない限り、やり直したとしても、私は破滅を迎えてしまうわけか。

「……わかりました。どちらを選ぶか、それはまだなんともいえませんが……今度こそ、破滅を回避してみたいと思います」
「うんうん、その意気だよ。がんばれー!」

 アリエルが応援してくれる。
 そういう気軽なところが神さまらしくない。
「……っ!?」

 がばっと、勢いよく起きる。

 慌てて周囲を見ると……

「私の……部屋?」

 目が覚めると、私は自分の部屋で寝ていた。
 寝起きだけど、しかし、頭はハッキリとしている。

 アリエルと話をして……
 新たに、人生をやり直すことにして……
 そして、今度こそ破滅を回避する。

 記憶はしっかりと残っているのだけど……
 ただ、あまりにも現実離れした話だ。
 実は、原因不明の病に倒れたままで、たまたま目を覚ましただけ、という方がしっくりと来る。

「……いえ」

 現実離れしているというのなら、悪役令嬢に転生するのも現実離れしている。
 今更、そういう部分を疑っていたら意味がない。

「とはいえ、無事に戻れたのかどうか……よくわかりませんね」

 ひとまずベッドから降りて、メイドを呼び、着替えを手伝ってもらう。
 基本、ドレスで過ごすことが多いから、一人だと難しいのだ。

 それから頼んだ紅茶を飲み、心を落ち着ける。

「ふむ」

 確か、私が最後を迎えたのは秋だったはず。
 でも、今は寒くない。
 窓を開けてみると、ぽかぽか陽気が差し込んでくる。

 春……かな?

 だとしたら、アリエルの力で最初からやり直すことができたのだろう。

「ゼノスを探し出すか、ヒロインに昇格する……よし」

 どちらも困難だ。

 ゼノスを探し出すにしても、相手は神。
 どこに隠れているかわからないし、人の足で行けるところにいないかも。
 アリエルの話では、誰かに化けているかもしれないという可能性もあるらしいし……
 気合を入れてかからないと、達成は難しそうだ。

 ヒロインに昇格するというのも、やはり厳しい。
 前世を含めて、彼氏なんていたことはない。
 男友達も、アレックスとジークとネコが初めてだ。

 そんな私がヒーローと結ばれるなんて……

「……とんでもない無理ゲーのような気がしてきましたね」

 ベッドに入り、現実逃避をしてしまいたくなるほど、なかなかに状況は絶望的だ。

 でも、諦めるわけにはいかない。
 アリエルにも言ったが、私は、この世界でやり残したことがある。
 それを達成するまでは、死んでも死にきれない。

 その目的というのは……

「あ……はい?」

 ふと、扉をノックする音が響いた。
 返事をすると、メイドが姿を見せる。

「アリーシャお嬢さま。旦那さまと奥さまがお呼びです」
「父さまと母さまが?」

 父さまは公爵の仕事で毎日忙しく、母もそのサポートで忙しい。
 昼間から家にいることなんて滅多にない。

「……なら、これは」

 一つ、心当たりがある。
 多忙な父さまと母さまが家に戻り、長女の私を呼び出すような理由。
 それは……改めて、運命の始まりを告げるためだ。



――――――――――



「は、はじめまして! 私は、その、あの……シルフィーナと申します!」

 父さまと母さまに呼び出された先で、ガチガチに緊張した女の子に、そんな挨拶をされた。

「落ち着いて、よく聞いてほしい。この子は、実は……お前の妹なのだ」
「はい、それはもうよく知っていますとも! ようこそ、フィー!」
「ふぎゅ!?」

 私は満面の笑みで、大事な大事な妹を抱きしめた。

 体感時間では、フィーと離れてさほど経っていないのだけど……
 でも、一度死んだからなのか、無性に妹のことが懐かしい。

 フィーに対する愛で胸がいっぱいになる。
 こんな状態で、妹を抱きしめないなんてこと、できるだろうか?
 いや、できない。

 ならば、これは自然の摂理。
 世界の真理。

 というわけで、私は、思う存分にかわいい妹を抱きしめる。

「あ、あのっ、えと、あのあの……!?」

 慌てる妹、かわいい。

「あ、アリーシャ……? ど、どうしたんだい?」
「その……よくわからないのだけど、シルフィーナが苦しそうですから……」
「……あっ」

 しまった。
 ついつい妹の対する愛が爆発して、暴走してしまった。

 やり直した今、私とフィーは初対面。
 ならば、それらしい対応をしなければ。

「こほん……ごきげんよう。私が、今日からあなたの姉になる、アリーシャ・クラウゼンです。よろしくおねがいしますね」
「は、はい……」

 にっこりと笑うのだけど……
 いきなり抱きしめたことがまずかったらしく、フィーは怯える子猫のような目をしていた。

 やらかした……
 前回の私は、フィーとの初対面で失敗することはなくて……
 その後、わりとすぐに良い関係を築くことができたはずだ。

 しかし、今回の私は……

「あっ、ふぃ……シルフィーナ。おはようございます」
「お、おはようございます、お姉さま……!」
「よかったら、これから一緒にお茶でも……」
「も、申しわけありません! よ、用事がありまして……!」

 怯えるうさぎのように、フィーは逃げ出してしまう。

「……」

 がくりと、その場で崩れ落ちる私。

「フィーが……かわいいフィーが、私を避けるなんて……うぅ、反抗期になってしまったのでしょうか?」

 いや、まあ。
 やり直したのだから、好感度もリセットされたことは理解している。

 ただ、それはそれ、これはこれ。
 かわいい妹に拒絶されてしまうと、どうしても凹んでしまう。

「ふむ」

 フィーのことは、しばらく時間を置いた方がいいかもしれない。

 それよりも、破滅回避を優先するべきか。
 ゼノスを探し出す。
 あるいは、ヒーローと仲良くなり、結ばれる。
 それが一番だろう。

「なんて……そんな結論に達することは、1パーセントもありません!」

 確かに、破滅は回避しなければいけない。
 そのために、私は過去に戻ってきた。

 しかし。
 しかし、だ。

 破滅を回避するために、かわいいかわいい妹の問題を後回しにするなんて、そんなこと、できるわけがない!
 全ての物事において、最優先されるべきはフィーのこと。
 妹のことだ。

 もう一度、破滅を迎えるとしても、私は妹を優先するだろう。
 そして、その選択に後悔することはないだろう。

 なぜ、そこまでできるのか?

 答えは簡単。
 私の妹が世界で一番かわいいからだ。

「というわけで……フィー、ではなくて、シルフィーナ」

 さっそくフィーの部屋を訪ねる。
 ついつい「フィー」と呼んでしまったのだけど、やり直したため、まだ愛称で呼ぶことは許可されていない。

 今のフィーなら、お願いすれば了承はしてくれるだろうけど……
 そうではなくて、自発的にお願いしてほしい。

「は、はい……?」

 おずおずという感じで、フィーが部屋から出てきた。
 小動物みたいな妹……これはこれでアリ!

 おっと、いけない。
 ひとまず欲望は押し隠して、にっこりと笑う。

「一緒にお茶でもどうですか?」
「え? えっと、その……べ、勉強をしないといけないので!」
「なら、私が見てあげましょうか?」
「ふぁっ!? え、えっとえと……ま、まずは一人でがんばるべきだと思うので!」
「……勉強の後は?」
「う、運動をしてみようと思います! で、では!」

 フィーは慌てた様子で部屋に戻ってしまう。

「……」

 一人、その場に残された私は灰になっていた。

「フィーが……私と距離を取ろうと……」

 子供にうざいと言われる父親は、このような気持ちなのだろうか?
 そんなことを考えてしまうくらい、ショックだった。

 なにがいけないのだろう?
 今日は、普通に接していたと思うから……

「最初に出会った時、抱きしめたことがいけない……?」

 あれは、ついつい感極まってやってしまったことなのだけど……
 悪意や敵意はまったくない。
 親愛のみだ。

 それなのに、怯えられてしまうなんて……

「この顔がいけないのでしょうか?」

 窓ガラスを見て、自分の顔を確認する。

 美人ではあると思うが、目は吊り目。
 全体的にシャープな印象で、きつい感じはする。

 こんな女性がいきなり抱きついてきたら?

「……訳がわからなくて、怖いですね。はい」

 やらかしてしまった。
 がくりと、その場で膝をついてしまう。

「このままでは、フィーと仲良くなることができない……アリーシャ姉さまと、笑いかけてもらうことができない……まずい、非常にまずいですね」

 破滅がどうでもよくなるくらい、まずい。

 ただ、本気でどうでもいいというわけじゃない。
 なにも対策をしなければ、私は、また世界の強制力とやらに殺されるだろう。

 また原因不明の病にかかるか……
 あるいは、悪役令嬢らしく断罪されるだろう。

「うぅ、おかしいですね……」

 やり直し。
 二周目と言えば、強くてニューゲーム。
 チートが当たり前なのだけど、ぜんぜんチート要素がない。

 むしろ、難易度がアップしているような気がした。
 前回がノーマルなら、今回はハードだ。
 ノーマルでクリアーできなかったのに、ハードに挑んでどうする。

「とはいえ、愚痴をこぼしていても仕方ないですし……どうにかするしかないですね」

 破滅の回避と、フィーと仲良くなること。
 どうにかして、この二つを両立させていこう。
 人間、第一印象というものはとても大事だ。

 良い印象を抱けば、その相手に好感を持ち……
 悪い印象を抱けば、その相手のことを嫌い、または苦手になる。

 この第一印象というものは、なかなかに覆しにくい。
 刷り込みという言葉があるように……
 無意識下で第一印象が働いてしまい、その方向に感情が流されていく。

 なので、無意識下の印象を丸ごと塗り替えるような、強烈なインパクトがなければうまくいかないだろう。

 ……というようなことを、学院の中庭で考える。

 今は昼休み。
 食堂でごはんを食べた後、考え事をするため、一人、中庭で過ごしていた。

「フィーの私に対する印象は……たぶん、訳のわからない怖い人、ですよね?」

 訳がわからないだけで、恐ろしいとか危険そうとか、そういう印象はないと思う。
 いきなり抱きしめたせいで、なにこの人!? と思われているくらいなはず。

 つまり、頭が危ない人認定。

「……うぅ、泣けてしまいます」

 かわいいかわいい妹に、おかしい人認定されている姉。
 もはや乾いた笑いさえ出てこない。

「フィーのことを一番になんとかしたいところですが……とはいえ、破滅もなんとかしなければいけませんね」

 フィーを優先するあまり、ヒーローの攻略を疎かにすれば、破滅が待ち受けている。
 そうなると、結局、かわいい妹と離れ離れにならないといけない。

 それはイヤだ。

「ひとまず、ヒーローの様子を見に行きましょう」

 煮詰まっている時は、別の行動をして気晴らしをした方がいい。

 そう考えた私は、ヒーローが今どうしているか、確認してみることに。
 校舎へ戻り、一つ下の学年が並ぶ棟へ。

 ひとまず、アレックスの様子を確認してみよう。
 前回、最初に知り合いになったヒーローだから、彼がどうしているのか気になる。

「あら?」

 なにやら一年の教室が騒がしい。
 どうしたのだろう?

 不思議に思い、そちらへ足を向ける。

「そういえば、こちらはフィーの教室だったような……?」

 もしかして、前回のようにフィーがいじめられている?
 いや、しかし、あれはまだ少し先のような……

「ふざけるなっ!」

 考えていると、強い声が聞こえてきた。
 これは……アレックス?

 様子を見てみると、やはりアレックスがいた。
 それと、フィー。
 アレックスに背中に守られていて……
 そのアレックスは、数人の女子生徒達を鋭い目で睨んでいた。

「お前ら、シルフィーナになにをしているんだ!」
「……アレックス……」
「な、なによ、平民風情が私達に逆らうつもり?」
「確かに俺は平民だけど……でも、間違っていることを指摘するのに、平民も貴族も関係あるものか! そんなだから、お前達は……!」
「まあ、なんて生意気な……」
「後悔しても知らないですわよ?」
「ふんっ。ここで、シルフィーナがいじめられていることを見捨てる方が、俺はものすごく後悔するね」
「うっ……」

 アレックスは欠片も怯むことなく、女子生徒達を糾弾してみせた。
 力強く、素直にかっこいいと思う。

 その勢いに飲まれた様子で、女子生徒達は言葉に詰まる。

「お、覚えていなさい!」

 お決まりの台詞を口にして、女子生徒達は逃げ出した。
 お約束すぎて、形式美すら感じられる。

「大丈夫か、シルフィーナ?」
「う、うん……ありがとう、アレックス。えへへ」
「なんで笑うんだよ?」
「やっぱり、アレックスは頼りになるな、って」
「そ、そんなことは……」

 うれしそうに笑うフィーと、照れるアレックス。
 微笑ましい光景なのだけど……

「……そうか」

 既視感のある光景だと思っていたのだけど、今、思い出した。

 これは、ゲーム内にあるシナリオのワンシーンだ。
 いじめられている主人公を、ヒーローが助ける。

 前回は、私が割り込んだため、アレックスの救出イベントは起きなかったが……
 今回は早くにイベントが発生したため、私が割り込むことはなくて、従来通りにアレックスがフィーを助けたようだ。

「正しい歴史……というべきなのでしょうか? その通りに進んでいる」

 ヒーローと結ばれたとしたら、ヒロインであるフィーは幸せになることができる。
 妹の幸せは私の幸せ。
 それは望むべきことなのだけど……

 しかし、私もヒーローと結ばれなければならない。
 それができなければ破滅。

「私とフィーの間で、利害の対立が起きているような気が……これも世界の強制力? だとしたら……」

 私は悪役令嬢らしくフィーと対立するようになり、最後は粛清される……?