実は、アレックスには私という恋人がいる。
 正式に婚約はしていないものの、将来、一緒になりたいと願っている。

 そう伝えれば、アレックスの父親は、今進めている見合いを喜んで撤回するだろう。

 ただ、すぐに話を進めるのは愚策だ。
 私とアレックスが本当に付き合っているかのように、仲が良いところを見せないといけない。
 まずは、本当に付き合っているように見させるため、それらしい練習をしなければいけない。

 ……と、いうわけで。
 今日は、アレックスとデートをしてみることにした。

「おはようございます、アレックス」
「お、おう」

 街の噴水の前で待ち合わせをするのだけど……

「はぁあああ」
「な、なんでいきなりため息なんだよ?」
「ため息の一つや二つ、つきたくもなります。なんですか、今の挨拶は? そして、なんですか、その服は?」

 練習という名目ではあるものの、今日はデートだ。
 それなのに、最初の挨拶が「お、おう」はありえない。

 それと、アレックスの服。
 パーティーではないのだから、礼装をまとえとは言わないのだけど……
 だからといって、いつもの私服というのはありえない。
 とっておきの服を着てくるものではないか?

 まあ、百歩譲って服がそのままというのは許せる。
 だがしかし、髪を整えることもないのはどうだろう?
 寝起きのまま放置しているのか、ところどころ髪が跳ねている。

 型に縛られず、粗野なところもアレックスの一つの魅力ではあるものの……
 でも、これはダメだ。

「挨拶がなっていません。それと、服がないとしても、その中で努力する姿勢を見せてください。少なくとも、寝癖くらいは直せるはずです」
「お、おぉ……悪い」
「まったく。女性と出かけるのですから、もう少し気遣いをしてください」
「悪かったよ。でも俺、今までデートなんてしたことないからさ。言い訳になるんだけど、どうしていいかわからないんだよ」
「あら、そうなのですか? アレックスならば、彼女の一人や二人、いると思いましたが」
「いるわけないだろ。俺は……平民だからな」

 そう言うアレックスの顔には陰りが。

 アレックスの言いたいことは、わからないでもない。
 この国は比較的穏やかなのだけど……
 それでも、貴族と平民の間に溝はある。

 差別が行われることがあり……
 時に、目を背けたくなるような、どうしようもない事件が起きることもある。

 それはわかる。
 理解できる。

 でも……

「アレックスは、もっと前を見ていてほしいです」
「え?」
「あなたの言うことはわかるのですが、しかし、アレックスは強い人です。そのような方が下を向いてしまうところは、なかなかに耐えられないものがあります。前を向いてください」
「アリーシャ、お前……」

 アレックスは目を大きくした。

 ともすれば、今の私の台詞は彼をバカにするもの。

 世のことは考えなくていい。
 そんなものは気にしないで、己の好きなようにしてほしい。

 そう言ったのだけど……
 言い換えれば、自由奔放なバカであれ、というものだ。
 普通の人ならば、バカにされたと思い、怒るだろう。

 でも、アレックスならば……

「……はは」

 アレックスは小さく笑った。

「この世界で、身分の差を気にするな、って言うのか? 俺は俺で、余計なことを考えなくていい、って?」
「はい」
「それは、つまり……俺らしくあることを貫いてみせろ、っていうことだよな」

 よかった。
 アレックスは、私の言いたいことを正確に理解してくれたみたいだ。

 貴族だとしても、平民だとしても。
 身分の差はあれ、結局のところ、一人の人間だ。
 本質的なところはなにも変わらない。

 そこをきちんと理解すれば、この先、なにが起きても問題はないだろう。
 周囲に流されることなく、己を貫くことができる。
 それは、この世界において、とんでもなく大きな『武器』となるだろう。

「……なあ、アリーシャ」
「はい」
「ありがとな」

 ちょっと照れた様子で、アレックスは軽く視線を逸らしつつ、そう言った。
 その頬は赤い。

「ふふ、どういたしまして」
「なんで笑うんだよ?」
「最初、あれだけ私につっかかってきたアレックスが、こんな風にお礼を言うなんて、思ってもいませんでしたので」
「あれは……!? あー……くそ。アリーシャって、意外と性格悪いな」
「あら、今、気がつきました? だって私、悪役令嬢ですから」
「あくやく……?」
「なんでもありません」

 微笑み、ごまかしておいた。

「よし。それじゃあ、デートに行って、恋人らしい練習をするか!」
「元気が出たのはなによりですが……まずは、寝癖くらいは直してくださいね?」
「う……す、すまん」