シルフィーナ・クラウゼン。
 彼女の心は孤独で満たされていた。

 物心ついた時は、もう一人だった。
 家族がいないわけではない。
 兄弟はいないものの、父も母も存命だ。

 しかし、両親は子供に興味を持っていなかった。
 欠片の愛情すら抱いていなかった。

 それも仕方ないといえば仕方ない。
 両親は政略結婚で、そこに愛はない。
 ただの気まぐれで体を交わして、その結果、シルフィーナが産まれた。

 シルフィーナは望まれて産まれた子ではない。
 故に、乳母を雇うなどの必要なことはしたものの、愛情を注ぐことはない。
 それぞれに勝手に愛人を作り、勝手に遊び呆けて……家に帰ることは、月に一度あるかないか。
 その時もシルフィーナと接することはなく、構ってほしいと口にしても、いないものとして扱われて無視されてしまう。

 そんな環境で育ったシルフィーナは、優しい乳母のおかげでまっすぐ育つことはできたものの、心の中にどうしようもない孤独を抱えるようになった。
 顔は笑って。
 心は泣いて。
 孤独に心を蝕まれて、愛情を求めるように。
 家族を求めるようになっていた。

 そんなある日のことだ。
 突然、本家に引き取られることが決まる。

 育児放棄に近いシルフィーナの環境を知ったアリーシャの父は、弟が子供をまるで省みていないことに激怒した。
 説教をしても態度を改めず、己の子供に愛情を注ぐ気配は欠片もない。
 貴族の仕事をきちんとしているのだから、それで問題ないだろう? という態度で、口を挟むなと言われさえもした。

 アリーシャの父は妻と相談して、シルフィーナを引き取ることを決意した。
 弟の元に置いていたら、大きく歪んでしまうだろう。
 今からでは遅いかもしれないが、それでも、放っておくことはできなかった。

 そして、手を回して交渉を重ねて……シルフィーナは、正式に引き取られることになった。
 シルフィーナの両親は、この件に対して、なにも反対はしていない。
 むしろ、厄介者を引き取ってくれてありがとうと、礼を言うほどだった。

 そんな両親の考えていることを、シルフィーナは敏感に察していた。
 小さい子供ならなにが起きたかわからないだろうが、もう十五歳なのだ。
 詳しい話を聞かされていないとしても、自分は捨てられたのだろう、ということはなんとなく理解できた。

 その事実が、彼女の心を押し潰していく。
 傷つけていく。

 幼馴染のアレックスは色々と良くしてくれて、彼のことは頼りにしている。
 ただ、彼は友達であって家族ではないのだ。
 シルフィーナが本当に欲しているものではなくて、残念ながら、アレックスでは心の隙間を埋めることはできない。

 本家に引き取られる日……シルフィーナは、ただただ怯えていた。
 新しいところでうまくやっていけるだろうか?
 今までと同じように、いないものとして扱われないだろうか?

 あんな経験はもうイヤだ。
 挨拶をしても無視されて。
 笑顔で話しかけても無視されて。
 ミスをしても無視されて。

 なにもないものとして扱われることは、これ以上ないほど辛く苦しい。
 そうならないように、シルフィーナはなんとか笑顔を浮かべて、良い子であろうとした。
 できる限りの愛想を振りまいて、気に入られようとした。

 結果……アリーシャの父と母は、シルフィーナのことを笑顔で迎え入れた。
 同情はあるものの、健気な雰囲気をまとう彼女のことを気に入ったのだ。
 そんな二人の笑顔に、多少、心が安らいだ。

 これなら、もしかしたらうまくやっていけるかもしれない。
 そんな希望を抱いて……
 その後、義理の姉となるアリーシャと顔を合わせることに。

 とても綺麗な人で穏やかな人だ。
 最初に見た時、思わず見惚れてしまったことは内緒。

 この人が今日から姉になる。
 うれしいやら、しかし、うまくやっていけるのだろうか? という不安が再び押し寄せてきてしまい、ぎこちない態度に。
 そんな不安が表に出ていたらしく、笑顔がぎこちないと指摘されてしまった。

 シルフィーナは焦った。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 失敗してしまった。
 受け入れてもらえないかもしれない。
 また居場所を失う。

 焦り、さらに笑顔がぎこちなくなってしまう。
 そんなシルフィーナを見たアリーシャは……
 なにを考えたのか、いきなりシルフィーナをくすぐり始めた。
 笑うにはこれが一番だと、真面目にくすぐり始めた。

 ようやく解放されたシルフィーナは、まず最初に、アリーシャの頭の正気を疑った。
 この人は、なにを考えているのだろう?
 大丈夫だろうか?
 本人が聞いたら凹みそうな台詞だが、そう思われても仕方ない。

 ただ、おかしな行動をするアリーシャに興味が湧いたことも事実。
 他人の顔色を伺ってばかりのシルフィーナだったが、この時、初めて純粋に他人に興味を覚えた。

 この人は、どんな人なのだろう?
 どういうことを好み、どんなことを嫌うのだろう?
 そんなことを考えた時、アリーシャから、こんなことを言われた。

「あなたは、私の家族なのですから」

 そう言われた時、シルフィーナは、一瞬なにを言われたのかわからないくらい驚いた。

 自分が家族?
 会ったばかりで、なにも知らないはずなのに……それなのに、家族と言えるのだろうか?
 それは早計ではないか?
 軽はずみな発言で、なにも考えていないのではないか?

 そんなことを思い、アリーシャの発言を軽いものと疑うシルフィーナであったが……
 しかし、すぐにそれが思い違いであることに気がついた。

 アリーシャの瞳はとても優しい。
 上辺だけの言葉ではなくて、シルフィーナのことを、本気で妹だと思っているのだ。
 言葉通り、家族だと思っているのだ。
 彼女の優しい瞳が、そのことを物語っていた。

 ずっと欲していたものを、ようやく手に入れることができた。
 そのことを理解したシルフィーナは、この時、泣いてしまいそうになった。
 アリーシャからの親愛を確かに感じて、喜びでどうにかなってしまいそうだった。

 ただ、いきなり泣いたりしたらおかしいと思われてしまうため……
 なんとか我慢した。

 その時から、シルフィーナにとってアリーシャは姉になった。
 家族になった。

 自分を受け入れてくれたアリーシャのために、なにかしたい。
 そう考えたシルフィーナは、アレックスのことで力になると言い出した。
 彼が抱えている事情も、アリーシャならばと話すことにした。

 しかし。

 その行為は、アリーシャの力になりたいというよりは、嫌われたくないという後ろ向きな感情によるものだ。
 どうにかしてアリーシャの気持ちを繋ぎ止めておきたいという、歪んだ愛情によるものだ。

 そのことに、シルフィーナは気がついていない。
 アリーシャもまた、気がついていない。