「ふう」
アリーシャと別れたネコは、そのまま家に帰った。
家族と軽い挨拶を交わしてから、自室へ。
そのままベッドに仰向けに寝る。
「……」
なにをするわけでもなく天井を見る。
天井に向けて手を伸ばす。
なにかを掴むように指を閉じて……
それから、手の力を抜いた。
そして、苦笑。
「困ったなあ」
ベッドから降りて、机に向かう。
引き出しを開けると、とある書類が。
その書類に書かれている内容は……
『アリーシャ・クラウゼンを事故に見せかけて殺害しろ』
そんな恐ろしい内容だった。
「ターゲットと仲良くなって、どうするんだろ、私」
はあ、とため息がこぼれる。
ネコ・ニルヴァレンは、普通の学生ではない。
その正体は、暗殺者だ。
ネコは孤児だ。
物心ついた時には親はおらず、裏路地でゴミをあさり生きてきた。
その後、妙な貴族に拾われた。
ネコの境遇を哀れに思ったわけではない。
自分に都合の良い殺人人形を作るために、ネコは貴族に拾われたのだ。
以来、ネコは裏の技術を叩き込まれて……
そして、初めて仕事を任されることになった。
その仕事が、アリーシャの暗殺だ。
初仕事だ。
ここで失敗したら次はない。
事実、任務をこなすことができなかった同じ境遇の子供は、以後、二度と姿を見ることはなかった。
役立たずとして処分されたのだろう。
ネコは、アリーシャを暗殺しなければならない。
でなければ、殺されるのは自分だ。
それなのに……
「……イヤ、だな」
アリーシャの笑顔を思い返す。
自分がしようとしているのは、その笑顔を消すということ。
そう考えると迷いが生じてしまう。
「……迷い? 私が?」
自身の変化に、ネコは驚いた。
人を殺す技術だけではなくて、心も鍛えられてきた。
きちんと人を殺せるように。
迷うことがないように。
氷のように冷たい心に作り変えられてきた。
それなのに、なぜ、今更迷うのか?
「アリーシャの影響……なのかな」
アリーシャの笑顔は太陽のようだ。
温かくて、優しい。
そんな彼女の近くにいると、ネコも笑顔になってしまう。
アリーシャの温かい笑顔で心が溶かされて……
殺人人形であることを忘れ、人間であることを思い出してしまう。
「ダメだ」
ネコは迷いを振り切るように、頭を振る。
迷うことは許されない。
確実に仕事をこなさなければいけない。
アリーシャを殺すことができなければ、逆に自分が殺されてしまう。
役立たずの人形は捨てられてしまう。
そんなことにはなりたくない。
だから、アリーシャを殺すしかない。
「でも……私は、どうすればいいんだろう?」
どうしても迷いを振り切ることができず……
ネコは頭を悩ませ続けた。
「あら?」
いつものようにフィーと一緒に家を出ると、アレックスの姿があった。
登校途中、一緒になることは多いのだけど……
でも、家の前で待っているのは初めてだ。
「おはようございます」
「おはよう、アレックス」
「ああ」
挨拶をすると、彼はぶっきらぼうに頷いてみせた。
私は別にいいのだけど……
かわいいフィーが天使の笑顔で挨拶をしたらのだから、照れるなり動揺するなりしなさいよ。
あなた、それでもヒーローか。
私だったら悶えるほどに喜び、今日一日の幸せを確信するのに。
フィーが不思議そうに問いかける。
「アレックス、どうしたの?」
「あー……その、なんだ。ちょっとしたことがあって、一緒に行こうかな、って」
「ちょっとしたこと?」
「シルフィーナ達の親父さんに頼まれて……いや、なんでもない」
「?」
詳細を説明されず、フィーは小首を傾げた。
私も首を傾げる。
どうやら、父さまになにか頼まれたらしいが……
でも、アレックスは詳細を説明するつもりはないようだ。
隠し事をする時は、だいたい、やましいことを抱えているか説明しづらい状況のニパターンだ。
アレックスはバカがつくような正直者なので、前者はないだろう。
そうなると後者か。
説明しづらい状況……
なにか不安になるようなことがあり。
私達に配慮して、口を閉ざしている……という可能性が高そうだ。
ただ、詳細まで想像することはできない。
私達を不安にさせてしまうようなこと……いったい、なんだろう?
私の破滅の未来が関わっているのかもしれないが……
しかし、それはまだ先のはず。
うーん?
「ほら、学院に行こうぜ。のんびりしてたら遅刻する」
「うん、そうだね。アリーシャ姉さま」
「……そうですね」
考えても今は答えが出そうにない。
頭の片隅に留めておくことにして、私達は学院に向かう。
――――――――――
「おはよう、アリーシャ」
「おはようございます、ネコ」
教室に入ると、ネコが笑顔で迎えてくれた。
挨拶を交わして自分の席へ。
すると、ネコが後を追いかけてくる。
「ねえねえ、アリーシャ。ちょっといい?」
「はい、なんですか?」
「今日の放課後、予定はある?」
「今日ですか?」
突然だな?
怪訝に思いつつ、予定を思い返す。
フィーを誘い、イチャイチャしようと思っていたのだけど……
まだ本人に話はしていない。
「ないといえば、ないですが」
「よかった。なら、ちょっと時間をくれない? 大事な話があるんだ」
「はあ……」
大事な話とはなんだろう?
考えてみるものの、うまく思いつかない。
「平気?」
「はい、大丈夫ですよ」
大事な話の内容は気になるものの、教室で問いかけるわけにはいかない。
放課後、ちゃんと確認することにしよう。
「っと、先生が来ちゃった。また後でね」
「はい。あ、ネコ」
「うん?」
「今日のお昼、一緒に食べませんか?」
「え?」
いつもフィーと一緒に食べているのだけど……
今日は、アレックスとジークと一緒するらしい。
彼らは、私のフィーを狙っているのだろうか?
そう考えると、ムッとしてしまうものの……
とはいえ、フィーがもしも彼らのことを気にしていたら、それを邪魔するわけにはいかない。
非常に……ひじょうううううに不本意だけど、食事くらいなら邪魔をしてはいけない、と考えるようになった。
それに……
「ネコと一緒にごはんを食べたいんです」
「そう、なの?」
「はい。友達ではありませんか」
妹ばかりを優先して、友達をないがしろにしてはいけない。
それに、ネコと一緒にいると楽しい。
一緒にごはんを食べると、きっと笑顔で過ごすことができるはずだ。
「……」
ネコはキョトンとして……
「うん、そうだね」
なぜか、泣きそうな顔をするのだった。
放課後。
フィーに先に帰るように言った後、私は屋上へ。
待ち合わせ場所として、ネコが屋上を指定してきたのだ。
「ネコは……まだ来ていないみたいね」
学院の屋上は広い。
その空間を活かして、小さな公園が作られている。
池とベンチもあり、憩いの場として学生に利用されている。
ただ、今は誰もいない。
普段は、放課後でも人が多いのだけど……?
「なにかしら?」
屋上に繋がる扉を潜る時、妙な感覚を覚えた。
一瞬、平衡感覚が曖昧になるというか……
水の中を潜ったというか……
そんな不思議な感覚。
「アリーシャ」
振り返ると、ネコがいた。
いったい、いつからそこにいたのか?
さっき見た時は、誰もいなかったように思えたのだけど……
まあいいか。
細かいことは気にせず、友達を笑顔で迎える。
「待っていましたよ、ネコ」
「……ありがと、来てくれて」
やはりというか、ネコの表情は暗い。
あいにくの曇り模様だ。
朝から様子がおかしく……
昼を一緒した時も、半分くらい残していて……
いったい、どうしたのだろう?
心配だ。
この後の大事な話で、悩み事を打ち明けてくれるのだろうか?
打ち明けてくれたとして……
力になれることはあるだろうか?
無理難題だったりしないだろうか?
彼女の力になれないことがあったとしたら、それが怖い。
「それで、ネコ。大事な話というのは?」
「うん。そのことなんだけど……」
ネコは一歩、前に出た。
そして……
どこからともなく短剣を取り出して、その刃を私に向ける。
「死んでくれないかな?」
「え?」
突然の展開についていけず、思考が停止してしまう。
その間にネコは一気に距離を詰めてきた。
速い。
私は反応することができず、喉元に短剣を突きつけられてしまう。
「ネコ、あなたは……」
「ごめんね。これが私の正体なんだ」
「もしかして……暗殺者?」
「正解」
ネコは冷たく笑う。
なんてことだ。
まさか、彼女が暗殺者だったなんて。
そんな衝撃的な事実……
いや、待てよ?
そういえば、そんな設定があったような気がする。
主人公の親友は、一見すると優しい少女。
しかし、二つの秘密がある。
一つは隠しルートで判明するらしく、それをプレイしていない私はわからない。
ただもう一つはわかる。
彼女は暗殺者だ。
悪役令嬢から依頼をされて、主人公を殺そうとする親友。
でも、主人公の優しさに救われて裏稼業から手を洗い、本当の親友となる。
……そんなイベントがあったことを思い出した。
そういうイベントを無視して、何度もバッドエンドを迎えていたため、思い出すのが遅れてしまった。
でも、一つ謎がある。
「ネコは……どうして、私を?」
ゲームでは、ネコに依頼をしたのは悪役令嬢。
つまり、私だ。
でも、私はそんなことはしていない。
自分で自分を狙うとか滑稽な話だ。
いったい、誰が私を狙っているのだろう?
「教えると思う?」
「冥土の土産に、というのがお決まりのパターンではありませんか?」
「……意外と余裕あるね」
「なんででしょうね。自分でも不思議です」
「実感が湧いていないのかな? もしかして、夢だとか思っている?」
「いいえ、そのようなことはありませんよ。ただ……」
「ただ?」
「ネコは私を殺さない、そう思っているので」
「……」
人を殺せないだろう?
そう言われたと感じたらしく、ネコが険しい顔に。
でも、そんな意味で言ったつもりはない。
「ネコは優しい子ですからね。人を殺すことなんてできませんし、ましてや、虫を殺すのもためらってしまうほどです」
「そんなことはない」
「なら、どうして私をすぐに殺さないんですか? 話をする意味はないと思いますが? その短剣を少し、前に突き出すだけですよ」
「そ、それは……」
この展開は予想外だけど……
でも、私は落ち着いていた。
ゲームの知識があるからじゃない。
それ以上に、ネコ・ニルヴァレンという友達を信じているのだ。
「さあ、殺さないのですか?」
「……」
「……」
短剣を手にするネコと視線を交わす。
にらみ合う、というわけじゃない。
いつものように、のんびりと話をするように、友達として見る。
「怖くないの?」
「もちろん、怖いに決まっているじゃないですか」
前世でも短剣を突きつけられる経験なんてない。
あとひと押しで私は死んでしまう。
そう考えると、すごく怖い。
だけど……
「ここで退いたら、ネコがいなくなってしまうような気がします。私には、その方が怖いです」
「なに、を……」
ネコの瞳に迷いが生まれる。
いや。
最初から迷いはあったのだろう。
それを巧妙に隠していただけ。
私が予想外の反応をするものだから驚いて、ついつい隠していたものがあふれきた……というところかな?
ネコはけっこうわかりやすいのだ。
そんなネコだからこそ、私は好きになった。
ゲームとか前世の記憶とか、そういうのは関係なく……
友達になりたいと思った。
だから、ここで退くわけにはいかない。
「私を殺すか。それとも、諦めて私の味方になるか。決めてくれませんか?」
「え? いや……え? 後者の選択肢はどういうこと……?」
「私の味方になるのならば、ネコを保護することを、クラウゼン家の名において約束しましょう」
「……」
「ネコは、好き好んで暗殺者をしているわけではないのでしょう? 今回のことも私怨などではなくて、命令されて仕方なく、という感じでしょうか」
「そんなこと……ないし」
「わかりますよ。こういう時のネコは、とてもわかりやすいのですから」
短い付き合いだけど……
でも、彼女のことはよく知っているつもりだ。
前世の知識がある。
それだけじゃなくて、一緒に過ごすことで色々な顔を見てきた。
時間は関係ない。
どれだけ密度の高い付き合いができたか、というところに問題は集約される。
「でも、私は……」
ネコは、迷うように視線を揺らした。
あとひと押し、というところかな?
なんだかんだで、ネコは真面目な人なのだ。
暗殺者なんて務まらない。
人を殺すなんて無理。
なら、私が守ってあげないと。
「ネコ」
「っ!?」
私はネコを抱きしめた。
そんなことをしたら短剣が突き刺さるのだけど……
私の行動をいち早く察知したネコが短剣を引いて、難を逃れる。
うん。
ネコなら絶対にそうすると思っていた。
「な、なんて危ないことを……!」
「ふふ、どうしてネコが怒るのですか? 私を殺すのでは?」
「そ、それは……」
「ほら、ネコはそういう人です」
「……」
反論できないという様子で、ネコは体の力を抜いた。
その手から短剣が落ちて、カランという音が響く。
それが彼女の意思だ。
「もうやめましょう?」
「でも……」
「私がなんとかしてみせます。いざとなれば、ジークさまも巻き込んでみせます。だから、暗殺者ではなくて、私の友達に戻ってください」
「……いいの、かな?」
「問題ありません」
「まだ仕事を成し遂げたことはないけど、でも、暗殺者であることは変わりないし……私が一緒にいたら、アリーシャに迷惑をかけちゃうかも……」
「そうですね。でも、友達なら問題ありません。友達のためなら、がんばることができますから。苦労もうれしいものですよ?」
「……アリーシャ……」
そっと、ネコは私を抱き返してきた。
そして小さくささやく。
「……ありがとう……」
ネコの瞳から一粒の涙がこぼれた。
たぶん、彼女は今まで泣くことを許されなかったのだろう。
我慢して我慢して、耐えて耐えて……
そして今、ようやく泣くことができた。
これからたくさん、彼女の心につけられた枷を解いていきたいと思う。
「えっと……」
ややあって、ネコは私から離れた。
ちょっと気まずそうな顔をしている。
「私のために、っていうのはうれしいんだけど……ただ、一つ問題があって」
「問題ですか? 裏の組織のことなら……」
「あ、ううん。組織は関係ないの。私のことで秘密があって……」
「なんでしょう?」
「あー……」
ものすごく迷い、時間を貯めて……
「実は私」
「はい」
「……男なんだよね」
「はい?」
衝撃の事実を告げられた。
ネコが男?
それは、どういうこと?
「え?」
どういうこと?
完全に予想外のことを告げられて、私は思考が停止してしまうほど混乱してしまう。
ネコが男なんて、そんなわけが……
いやでも、この状況でそんな冗談を言うわけがない。
それに、ゲームでは、ネコは二つの秘密を抱えていた。
暗殺者ともう一つ。
もう一つは知らなかったのだけど……
実は男で、隠し攻略ヒーローでした、というのなら納得だ。
でも、まさかネコが男なんて……
「それは、本当なのですか?」
「あはは、信じられないよね」
「ネコの言うことだから信じたいのですが……しかし、どこからどう見ても女性にしか見えないので……」
「そういう風に教育されてきたからね。女装して相手を油断させて、あるいはそういう場所に潜入して任務を果たす……っていう暗殺者なんだ、私は」
「むう」
じっと見る。
じーーーっと見る。
でもやっぱり、男には見えない。
とてもかわいい美少女だ。
「その髪は地毛ですか?」
「そうだよ。基本的に伸ばしているから」
「肌も綺麗ですね……」
「男でも綺麗な人はいるからね。きちんとケアをすれば、こうなるよ」
「……正直、信じられません。なにか証拠はないのですか?」
「証拠、と言われても……」
ネコは困った顔になり……
次いで、頬を染める。
ネコが男性である証拠。
それは……
「……」
私も顔を熱くしてしまう。
なにを考えたか、それは秘密だ。
「えっと……はい、わかりました。変に疑うことはやめにします」
「ありがとう、信じてくれて」
「ですが、どうして私にその秘密を? トラブルに発展する可能性もありますし、隠しておいた方がいいと思うのですが」
「そうなんだけどね。でも、これ以上、友達に隠し事はしたくなかったから」
その言葉からは、ネコの誠意が伝わってくる。
うん。
ネコが男性であろうと女性であろうと、関係ない。
私にとって、ネコは大事な友達だ。
「ひとまず、私の家に来ていただけますか? 私が持つ力は大したものはなく……父さまと母さまに相談しないといけません。安心してください。二人共、きっと力になってくれますから」
「うん……ありがとう、アリーシャ」
アリーシャは優しく笑う。
よかった。
これでネコを助けることが……あれ?
でも、よくよく考えると、メインヒロインであるフィーのイベントを奪ってしまったことになるのだろうか、これ?
だとしたら、フィーが困ることに……
いや、大丈夫。
フィーが困るというのなら、全身全霊で私が力になる。守る。
それに……
ネコを放っておくことはできない。
「では……」
一緒に家に帰りましょう。
そう言いかけた時、ゾワリと冷たい感覚が背中を走る。
その嫌な気配の矛先は……ネコだ。
「ネコっ!!!」
「え?」
おもいきり地面を蹴り、キョトンとするネコを地面に押し倒した。
それと同時に、背中に灼けるような感覚が。
「ぐぅ……!?」
「アリーシャ!?」
ネコが悲鳴をあげる。
それもそのはず。
私の肩に短剣が突き刺さっていた。
もちろん、ネコがやったものじゃない。
これは……
「……外したか」
どこからともなく黒尽くめの男性が現れた。
その手には短剣を握りしめている。
サイズが小さいところを見ると、投擲用なのだろう。
「アリーシャ、大丈夫!?」
「なんとか……」
ウソだ。
本当は泣きたいほどに痛い。
でも、今は私のことはどうでもいい。
この展開は知らないのだけど……
でも、前世で触れたゲームや漫画のパターンからしたら、これは……
「口封じ、ですか?」
「ほう、よくわかったな」
黒尽くめの男性が感心したように言う。
やっぱりか。
黒尽くめの男性は、ネコが所属しているという裏組織の者。
ネコが組織に従うかどうか怪しんでいて、見張っていたのだろう。
そして、裏切りを宣言したために粛清しようとした。
そんな状況を理解したネコは、顔を青くする。
「そんな……私は、ずっと組織のためにがんばってきたのに……」
「その組織を捨てようとした罰だ」
「そ、それは……でも、こんなにも簡単に……」
「ネコ」
ショックを受けるネコの手を握る。
それから、痛みを我慢して笑いかける。
「あのような組織に裏切られたからといって、ショックを受ける必要はありませんよ。だって、もう関係ないのですから」
「……アリーシャ……」
「むしろ、ざまあみろ、と笑ってやりましょう」
「……あはは」
ネコは笑い、
「うん、そうだね。本当にその通りだ。私は、ネコ。ネコ・ニルヴァレン。組織のおもちゃじゃない!」
強く言い放ってみせた。
「自分の立場を忘れ、対象にほだされるか……やはりゴミはゴミだな。使い物にならん」
「ゴミは……」
男の台詞に怒りが湧いてきた。
怒りに任せて、私は肩に刺さるをナイフを引き抜いて……
持ち主に向けて投げ返してやる。
「なっ!?」
投げ返されるとは思ってなかったらしく、男は露骨に動揺した。
慌てて身を捻り、回避。
そして、こちらを睨みつけようとするのだけど……
「甘い!」
「ぐぁ!?」
逃げるのではなくて、あえて体当たり。
こちらも予想外だったらしく、男はバランスを崩した。
惜しい。
私の予定では、そのまま地面に押し倒すつもりだったのに。
やっぱり、女の身で男性に力で勝つことは難しい。
「貴様ぁっ!!!」
男が激高する。
ギラギラとした目で私を睨みつけて、予備の短剣を抜いた。
殺意なのだろうか?
とても冷たく恐ろしいプレッシャーを感じる。
正直、怖い。
でも……
もう終わりだ。
「私の友達に……」
「なっ!?」
「触るな!」
そっと距離を詰めていたネコが、大きく拳を振りかぶり……
勢いよく男を殴りつけた。
「がっ!?」
嫌な感じの鈍い音がした。
男は小さな悲鳴を上げて転がり……
そのまま白目を剥いて気絶する。
さすが、ネコ。
見た目は可憐な美少女なのだけど、中身は男性。
その話は本当らしく、一撃でのしてしまうなんて。
「さすがですね、ネコ」
「……」
「ネコ?」
よく見ると、ネコは顔を青くして震えていた。
今しがた、男を殴り飛ばした己の手を見つめている。
「どうしたのですか?」
「……初めて、この人に逆らったんだ」
「……」
「いつも言うとおりにしていて、なにをされても黙っていて、逆らうことはなくて……だから、こんな風に殴るなんて初めてのことで、私は……なんてことを……」
「ありがとうございます、ネコ」
震えるネコを抱きしめた。
その胸にある不安、恐怖を取り除くように。
いいえ。
分かち合うように、ぎゅっと抱きしめた。
「私はネコの不安はわかりません。怯えの原因となる恐怖もわかりません」
「……」
「ですが、そんなことは関係ありません。どうでもいいです」
「アリーシャ……?」
「私が一緒にいますからね」
「あ……」
ネコの唇から小さな声がこぼれた。
それはどういう意味があるのか?
わからない。
わからないけど……
私の言葉はネコの心に届いていると信じて、想いを紡ぎ続ける。
「怖い時。不安に震えている時。眠れない時。私が一緒にいます」
「……」
「こうして、抱きしめてあげます。頭を撫でてもいいですし、手を握ってもいいです。他にしてほしいことが遠慮なく言ってください。ネコが落ち着くまで、なんでもしてあげますよ」
「どうして……」
「だって」
私はにっこりと笑う。
「ネコは友達じゃないですか」
「……あ……」
ネコは目を丸くした。
「さっき、言ってくれましたよね? 私の友達に触るな、って」
「それは、無我夢中で……」
「うれしかったです。やっぱり、ネコは私の友達なんだな……と」
「……」
「だから、こうすることは普通なのですよ。だって、友達なのですから」
「……アリーシャ……」
そっと、ネコも私に手を伸ばした。
抱き返すというよりは、子供が甘えるような感じだ。
ちょっと力も弱い。
でも、離してたまるかというように、深く手を伸ばしていて……
うん。
とても温かい。
これがネコの想い。
彼女の心の温度。
これからも、ずっとずっと大事にしないといけない。
「あ……」
ふと、周囲が騒がしいのに気がついた。
どうやら騒ぎが露見したらしく、生徒や教師が慌てているのが見えた。
助けを呼びに行く手間が省けたので良しとしよう。
「……ふう」
「アリーシャ!?」
へたり込んでしまう私を見て、ネコが悲鳴に近い声をあげる。
「だ、大丈夫!? まさか怪我が……」
「いえ……怪我が痛いのは確かですが、でも、今すぐにどうこうということはないと思います。ただ……」
「ただ?」
「終わった、と思ったら腰が抜けてしまって」
「……腰が?」
「はい」
「……アリーシャなのに?」
「私でも腰を抜かすことくらいありますよ。これでも、年頃の乙女なのですよ?」
短剣を突き立てられて、平然としていられるわけがない。
我慢していたものの、内心は恐怖でいっぱいだ。
「……そっか」
あはは、とネコは笑うのだった。
その笑顔は綺麗に澄んでいて、彼女に取り付いていた暗い影は全て消えていた。
「アリーシャ姉さま、大丈夫ですか?」
「はい。もう問題ありませんよ」
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
「無理をしていませんか? 我慢していませんか?」
「えっと……」
あれから一週間。
父さまが尽力してくれたおかげで、事件は無事に解決。
ネコは裏組織に利用されていただけとして、執行猶予と保護観察はついてしまったものの、今までと大きく変わりのない生活に。
私の怪我は、腕の良い治癒師に治してもらった。
痛みも傷跡もない。
なのだけど……
「うぅ……でもでも、やっぱり心配です。アリーシャ姉さまは、平気な顔をして無理をする方ですから」
フィーは心配みたいで、朝からずっとおちつかない様子だ。
うん。
私の心配をしてくれるフィー、かわいい。
やっぱり、彼女は天使なのだろう。
ほら。
目を閉じれば、妹の背中に翼が生えているのが見える。
「えっと……アリーシャ姉さま?」
「なんですか?」
「どうして、私は抱きしめられているのですか?」
「フィーが天使なので」
しまった。
気がついたら妹を抱きしめていた。
でも、仕方ない。
だって、かわいいんだもの。
「よっす」
「おはよう」
登校途中、アレックスとジークと出会う。
ちっ。
私とフィーの大事な時間を邪魔するなんて。
ついつい心の中で舌打ちをしてしまう。
でも、表面は笑顔で。
「おはようございます、アレックス、ジークさま」
「おはよう、アレックス。ジークさま」
四人で一緒に登校して……
「やっほー」
少ししたところでネコが姿を見せた。
いつもと変わらず、とても元気そうだ。
私はうれしくなり、彼女……ではなくて、彼の元に駆け寄る。
「ネコ!」
「おはよう、アリーシャ」
「おはようございます。よかった、元気になったのですね」
何度か顔は合わせていたのだけど……
少し暗い顔をしていたため心配だった。
でも、今はそんなことはない。
とても明るい顔をしていて、前よりも元気に見える。
それと、暗い影も消えていた。
裏組織から抜けることができたからだろうか?
「すっかり元気になったみたいですね」
「アリーシャのおかげだよ、ありがとう」
「私はなにもしていませんが……」
「あれだけのことをしておいて、なにも、って言えるところはまあ、なんていうか……あはは、アリーシャらしいなあ」
なぜか笑われてしまう。
私、なにかおかしなことを言っただろうか?
「ネコさん、元気になったんですね」
「風邪を引いたんだって? 大丈夫か?」
「お見舞いに行こうと思ったのだけど、なかなかタイミングが合わず……申しわけない」
遅れてやってきたフィー達が、笑顔であれこれと声をかける。
フィー達は、ネコの詳しい事情は知らない。
全部バレると、とても面倒なことになることが予想できたので、その辺りはごまかしておいた。
真相を知っているのは、私と父さまと母さま。
それと、一部の高官のみだ。
「ありがと、心配してくれて。でも、もう大丈夫。アリーシャのおかげで、すっかり元気になったから」
「? どうして、アリーシャ姉さまのおかげなんですか?」
「んー……とてもよくしてくれたから、かな」
「?」
なんのことだろう?
そんな感じで、フィーは小首を傾げた。
不思議そうにするフィーもかわいい。
抱きしめたい。
あと、なでなでしたい。
「ねえ、アリーシャ」
「はい、なんですか?」
ネコは、少しの間、じっとこちらを見つめて……
やがて、笑顔で手を差し出してきた。
よくわからないのだけど、その手を握る。
「私、まだなにも言ってないんだけど……それなのに握手しちゃうんだ」
「ネコの手を取らないなんてこと、ありえませんから」
「ふふ、ありがとう」
ネコは微笑む。
男性とは思えない柔らかい笑みだ。
「この握手は、これからも親友としてよろしく、っていうこと」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「それと……」
そっと、ネコは私の耳元に唇を寄せた。
私にだけ聞こえる声でささやく。
「私、ネコのことが気に入っちゃった」
「え?」
「いつか、もっと仲良くなりたいな」
「え、えっと……」
その声は、とても綺麗というか、胸に響くようなハスキーボイスで……
私は、ついつい胸をドキドキさせてしまうのだった。
ネコという親友ができて、私の生活は少し変わった。
今までよりも少し華やかに。
そして、楽しい時間を過ごせるようになった。
順調に破滅エンドが遠ざかっているのかもしれない。
それは良いことなのだけど……
「……ふぅ」
うまくいく私とは正反対に、最近、アレックスの様子がおかしい。
あまり元気がない。
そして、今のように悩ましげなため息をこぼすことが多い。
なにかあったのだろうか?
――――――――――
「アレックス、ですか?」
帰宅後。
フィーの部屋を訪ねて、アレックスのことを聞いてみた。
私にとって、もっとも優先されるべきことはフィーだ。
アレックスの元気がないと、フィーが気にしてしまうかもしれない。
果てに、気にかけるあまり、私ではなくてアレックスばかりをかまってしまうかもしれない。
それはダメ。
なので、そうなる前に少し探りを入れてみることにした。
「最近、彼の様子がおかしいような気がするのですが」
「言われてみると……」
フィーも心当たりがあるみたいだ。
「フィーは、なにか知りませんか?」
「えっと……」
顎に指先を当てて、考える仕草を取る。
そんなところもかわいい。
うちの妹は、なにをしてもかわいい。
天使か?
いや、女神?
「アリーシャ姉さま?」
「いえ、なんでもありません」
かわいい妹に見惚れ、ちょっと我を失っていたみたいだ。
「心当たりなのかどうか、よくわからないのですが……」
「なんでもいいから教えてくれませんか?」
「はい。実は……」
――――――――――
翌日の放課後。
私はアレックスと一緒に屋上へ移動した。
「なんだよ、こんなところに連れてきて。はっ!? もしかして……カツアゲか!?」
「なぜ、私がそのようなことをしなければいけないのですか」
やれやれとため息をこぼす。
どうも、アレックスは粗暴というか……
ちょっと視野が偏っている。
もう少し、品というものを身に着けてほしい。
まあ。
私も令嬢になったばかりのようなものなので、あまり強くは言えないのだけど。
「アレックス……あなた、お見合いをするそうですね?」
「っ!?」
どこでそれを!? というような顔をしてアレックスが驚いた。
ややあって、小さく舌打ちする。
「シルフィーナのやつか」
「フィーを責めないでください。私が強引に聞き出したので」
「ったく、それが公爵令嬢のすることかよ」
「すみません。最近、アレックスの様子がおかしく、気になったもので」
「……俺、そんなに様子がおかしかったか?」
「ええ、とても」
即答すると、アレックスは微妙な顔に。
どうやら、様子がおかしいことを自覚していなかったようだ。
これは重症だ。
自分で自分の異変を察知することができない。
こんなレベルに陥ることは、なかなかないだろう。
「なにを悩んでいるのか教えていただけませんか?」
「それは……」
「もしかしたら、解決できるかもしれません。そうでなくても、誰かに話すことで気持ちが楽になることもあります」
「……わかった」
少しの迷いの後、アレックスはぽつりぽつりと事情と悩みを話し始めた。
アレックスは平民で、天涯孤独の身。
今は教会に身を寄せて、家としているが……
父親から見合いを持ちかけられたらしい。
アレックスの父親は、とある貴族。
メイドに手を出して、その結果、アレックスが生まれ……
しかし、二人はそのまま捨てられた。
そんなアレックスに、今更、どうして見合い話を持ちかけてきたのか?
答えは単純。
政略結婚だ。
前世の世界では、そんなものは時代錯誤と笑うのだけど……
この世界では当たり前のように起きていること。
アレックスは容姿が優れている。
そこに目をつけた父親が見合い話をまとめて、さらなる権力を手に入れようと画策したらしい。
当然、アレックスはそんなことは知るか! と話を蹴ろうとしたのだけど……
父親は、代わりに教会の援助を持ちかけてきた。
教会はたくさんの孤児を引き取っている。
国からの補助金は出ているものの、それだけでは厳しい状態だ。
父親はそこにつけ込み、アレックスを好き勝手にしようとしている。
「……まったく」
話を聞いてみると、思っていた以上に厄介な状況になっていた。
これでは、アレックスが悩むのは当然だ。
「俺は……」
「ストップ」
アレックスがなにか言おうとするが、止める。
そして、先に言ってやる。
「あなたはバカですか?」
「なっ!?」
突然バカと言われ、アレックスが驚いた。
そんな彼に、さらに言葉を重ねる。
「ばーかばーか」
「な、なんだと!?」
アレックスが怒るのだけど……
でも、私の方が怒っていた。
「どうして、そのような話を一人で抱え込んでいたのですか? どうして、私やフィーに話してくれなかったのですか?」
「そんなこと、話せるわけないだろう……」
「なぜ? 友達なのに?」
「それは……」
私が怒っている理由は単純。
私達は友達なのに、なにも話してくれなかったからだ。
アレックスは、私達のことを気にしているのだろう。
迷惑をかけられない、巻き込みたくない。
なんだかんだで優しい彼のことだから、そんなことを考えているに違いない。
でも、それは無駄に考えすぎているというものだ。
「友達からこそ、話せないんだよ……俺の問題なのに、迷惑なんてかけられないだろ」
「ばーかばーか」
「なっ、また言いやがったな!?」
「何度でも言いますよ」
まったく……どうしてこう、頭が固いのか。
いや。
頭が固いというよりは、プライドが高い。
誰かに頼ることは恥じゃない。
迷惑をかけることを気にしているようだけど、でも、それは言い訳だ。
本当に困っているのなら、黙っている余裕なんてない。
なりふり構わず助けを求めるはず。
それができないということは、プライドが邪魔をしているからに他ならない。
「いいですか、アレックス」
「お、おう……」
私の圧に押されるかのように、アレックスはおとなしくなる。
「隠し事をすることは問題ありません。どれだけ親しくても、隠しておきたいことの一つや二つ、ありますからね」
「そ、そうだよ。だから俺は……」
「ですが、悩み事を隠しておくのはダメです」
「うっ……」
睨みつけられて、アレックスが怯む。
「水くさい、の一言に尽きます。もちろん、意味はわかりますね?」
「……」
「そういう時は友達を頼ってください、一人で抱え込まないでください」
「でも、俺は……」
「先日のフィーの誕生日。あなたは、どう思いましたか?」
「あ……」
フィーは悩みを抱えていて、でも、それを誰にも打ち明けられずにいた。
その時のことを思い出したのだろう。
アレックスは、なんともいえない微妙な顔に。
「友達が苦しんでいるのに、なにもできない。それはとても辛いことです。そんな想いを友達に押し付けるようなことはしないでください」
「……はぁ」
ややあって、アレックスはため息をこぼした。
色々な感情が込められた、複雑なため息だ。
ただ、その顔はどこかスッキリとしていた。
「そうだな、そうだよな……悪い、俺が間違っていた」
素直に謝り、そして頭を下げる。
アレックスはプライドが高いけれど……
でも、こうして素直に謝ることができる。
それは彼の美徳だろう。
私はにっこりと笑う。
「はい、許しましょう」
「あー……ったく、ホント、アリーシャには敵わないな」
「ふふ。私の方が年上ですからね」
「それだけじゃない気もするが……まあ、今はいいか」
アレックスは苦笑して……
次いで、真面目な顔を作り、こちらをじっと見つめてくる。
「俺は、あんな男に道具として使われたくない」
あんな男、というのは父親のことだろう。
自分と母を捨てたことに対する嫌悪が表情に浮かんでいた。
「ただ、俺を助けてくれた教会に恩返しもしたい」
「……教会の運営は、それほどまでに厳しいのですか?」
「わりとキツイな」
アレックスの話によると……
毎月、赤字が出てしまっているらしい。
その原因は、養う孤児が増えたからだろう、と考えている。
だからといって、孤児を放り出すわけにはいかない。
いざという時のために蓄えてきた財産を使い、なんとかしのいでいるが……
それも限界。
そう遠くないうちに、教会の財政は完全に破綻してしまうだろう。
そうなれば終わり。
教会は解体。
孤児達は行き場を失い、元の浮浪児に戻ってしまうだろう。
「俺はいいんだ。それなりの歳だから、力仕事でもすればいい。でも、子供連中はそんなことはできない」
「そうですね、とても難しいでしょう」
「俺にとって、教会は家で……あいつらは家族のようなものなんだ。どうにかして守ってやりたい」
「だから」と間を挟み、アレックスは頭を下げる。
「力を貸してください!」
「はい、もちろん」
私は笑顔で頷いた。