「どうしたのですか、困惑したような顔をして?」
「……」

 そう言うジークは、いつもの微笑みの仮面を脱ぎ捨てていた。
 代わりに、とても厳しい顔をする。
 悪人を断罪するかのような……
 汚いものを見るかのような、凍りついた視線を向けてくる。

「もういいよ」
「え? なんのことですか?」
「だから、そうやって善人のフリをするのは、もういいよ」

 え?
 善人のフリ?
 なんのことだろうと、思わず首を傾げてしまう。

 そんな私の仕草が気に入らないらしく、ジークが舌打ちをする。

「まだ、そうやってなんともないフリをして……」
「ですから、意味がわかりません。どういうことなのですか?」
「本音を出せばいいだろう!!!」

 ジークが怒声を響かせた。
 公爵令嬢ということもあり、ここまで強い怒りを真正面からぶつけられたことなんてない。
 思わず、ビクリと震えてしまう。

「僕のせいで、きみ達は巻き込まれたんだ! 妹もきみも、危険な目に遭った! 一歩間違えていたら怪我をしていただけじゃなくて、死んでいたかもしれない。それ以上に、ひどい目に遭っていたかもしれない! 全部、僕のせいだ!!!」
「……ジークさま……」
「それなのに、なんで、きみは僕を責めない!? 僕が王子だからか!? だから、怒りを我慢しているのか!? 遠慮なんてしないでいいさ。全部解き放ってしまえばいいさ。怒る権利が、きみにはあるのだから!!!」

 ジークは怒っていた。
 でも……泣いているようにも見えた。

 ゲームの彼の設定は、人間不信だ。
 汚い人達と接し続けてきたせいで、誰も信じられなくなっていた。

 でも、こうしてリアルで接することで、わかったような気がする。
 ゲームの設定だけが全てじゃないのだ。

 ジークは人間不信であると同時に……
 大きな責任と罪の意識を感じ続けていたのだろう。

 ジークに近づく人、全てが打算で動いていたわけではないはず。
 中には、真の友達になりたいと思って声をかけた人もいるだろう。
 しかし、周囲の汚い大人達によって引き離されて……あるいは、傷つけられたのだろう。

 それを見たジークは、どう思っただろうか?
 どれだけ自分を責めただろうか?
 自分がいなければ……そう思わずにはいられなかっただろう。

「怒れよ! なじれよ! 僕のせいだって、断罪しろよ! そんな平然とした顔をしていないで、あの連中と同じように、本性を見せろよ!!!」

 それは魂の叫びだったと思う。
 汚い世界を見せつけられて、奪われて……しかし、なにもすることができず、一人になることしかできない。
 誰も巻き込まないように。

 それは、彼の優しさだ。
 人間不信だとかなんだ言っても、ジーク・レストハイムはとても優しい人なのだ。

「ジークさま」
「なっ……」

 気がつけば、私は彼を抱きしめていた。
 ジークの体は……小さく震えていた。

「私は、別になんとも思っていませんよ。このことをジークさまのせいだと怒るつもりはありませんし、責めるつもりもありません」
「そんなこと信じられるわけがないだろう! 僕の、僕のせいでこんなことになっているんだ! 心を隠さないで、本当のことを言えばいいだろう!」
「ですから、これが私の本心です」

 ジークが私達を故意に巻き込んだ、というのならば怒る。
 でも、そんなことはないのは、彼を見れば一目瞭然だ。
 こんなにも震えて、怯えている。

「ジークさまのせいだなんて、思っていません。悪いのは、このような事件を画策した者達です。あなたのせいだなんていうことは、決してありません」
「言葉でなら、いくらでも……」
「これが私の本心です!」

 ジークの言葉を遮り、強く言う。
 彼は驚いたような顔をして、こちらを見た。

「私は、勘違いしていました」
「勘違い……?」
「ジークさまは、人間不信で話ができない人なのだと。でも、そうではなかったのですね。人間不信ではなくて……とても優しい方です」
「え……?」
「汚い人を見てきたから、人間不信になっている。一部は、そうだと思います。でも、それが全てではなくて……自分と関われば事件に巻き込まれるかもしれない。大人の汚い政治に利用されるかもしれない。それを危惧して、人間不信のフリをして……いえ、自分自身すらも騙してそう思い込み、誰も近づけないようにした。表面上は仲良くしても、心に踏み入らせることはなかった。そうですね?」
「……知ったような口を」

 否定はしない。
 つまり、そういうことなのだろう。

「だから、どうした。僕は、僕は……」
「ありがとうございます」
「……なんで、礼を言うんだよ?」
「気にしていただけて、素直にうれしいので」

 私はにっこりと笑う。
 そうすることで、少しでもジークを落ち着かせてあげたかった。

「気にしないでください。責任を感じないでください。自分を責めないでください」
「……」
「バカな大人達がしでかしたことについて、ジークさまが責任を感じる必要なんて、欠片もないのですから」
「……」
「だから、今だけは、気を張らないで大丈夫です。私は、あなたの味方です。信じてください」
「……」

 ジークはなにも応えない。
 でも、私を振り払おうとせず、抱きしめられたままだ。

「……一つ、聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「きみは、どうしてそんなにも強い?」
「強い……でしょうか?」
「強いさ。僕は……人間不信で、誰も信じられなくて、信じることができてなくて、ただ遠ざけることしかできなかった。それなのにきみは、こんな僕を諭してくれている。これ以上ないくらいに強いよ」
「過大評価だと思いますが……ありがとうございます。もしも、私が強く見えるのなら、それは……フィーの、妹のおかげですね」
「妹の……?」

 ジークが軽く動いて、寝たままのフィーに視線をやる。

「彼女が……きみの力になっているのかい?」
「はい、そうですね。最近、できたばかりの妹ですが、とてもかわいくて愛しくて、なんでもしてあげたいんです。そんな妹の前で……そして、私は姉なので、いつもがんばろうと思っています。そんなところが、ジークさまに評価されたのかもしれません」
「そうか……きみには、そういう人がいるんだね。正直、うらやましいよ」
「あら。ジークさまは諦めたように言いますが、それは早計では?」
「え?」
「今はいないとしても、いつか、親友ができるかもしれません。それこそ、明日にでも。全てを話すことができて、心の底から全部を託せるような、そんな友達ができるかもしれません。未来は無限ですよ?」
「でも、僕は……」
「んー……なら、親友ができるまでは、私がそのポジションにいます」
「え?」
「私で務まるのかどうか、それはとても分不相応で、足りないと思いますが……ジークさまの友達でありたいと思います」
「……」
「私を、ジークさまの友達にしていただけますか?」

 問いかけるものの、返事はない。
 ただ……
 その代わりというように、ジークは私の手を握る。
 強く、強く……ぎゅうっと握った。

「って……すみません。私、何度もレストハイムさまのことを名前で呼んでしまって」

 今更ながら、自分がやらかしていたことに気がついて、顔が青くなる。
 王子を名前で呼ぶなんて、不敬もいいところだ。

「……構わないよ」
「ですが……」
「構わないよ。だって……僕達は友達なのだろう?」
「あ……はいっ!」

 私は、にっこりと笑い……
 そしてまた、ジークも優しく笑うのだった。
 それはいつもの仮面ではなくて、心からの笑みに見えた。