すごい。
ジークがなにをしたのか、まったく見えなかった。
気がついた時には、二人の男は地面に倒れていた。
ゲームでは具体的な描写はされていなかったのだけど……
まさか、これほどなんて。
ただ……
「……ふん」
ジークはとても冷たい目をした。
倒れる男達に、ゴミでも見るかのような目を向けていた。
ただ、それは一瞬の間。
すぐに微笑み王子の呼び名にふさわしい笑みを浮かべると、私達の方を見る。
「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はいっ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます。レストハイムさまのおかげで、私も妹もなにもありませんでした」
フィーは若干緊張しつつ、私は別の意味で緊張しつつ、それぞれお礼を言う。
フィーを心配するあまり、なにも考えずに飛び出してしまったのだけど……
よくよく考えてみれば、ジークと会うのは必須。
まだ仲良くなる方法を思いついていないのに……ああもう、どうすればいいのやら。
「なにもないようでよかった。偶然だけど、この男達が……って、あれ? 僕の名前……自己紹介はしていないよね?」
「ご謙遜ですか? レストハイムさまのことを知らない者など、学舎にはいません」
「ああ、そういう……君達も、同じ学舎の生徒だったんだね。でも、ごめん。僕は、君達のことを知らなくて……」
「では、自己紹介をしないといけませんね」
「え?」
「私達のことを知らないのならば、知ってもらえればと。そして、これからは、顔を見かけた時に挨拶くらいはできればと……そう思うのです」
「……」
「どうしたのですか、ポカンとして?」
「……いや、なんでもないよ」
なんでもない、というような顔はしていないのだけど……
下手に話を深く掘り下げて、地雷でも踏んだら困る。
気にしつつ、そのままスルーしておいた。
「私は、アリーシャ・クラウゼンと申します。そして、こちらが妹の……」
「し、シルフィーナ・クラウゼンです! 改めて、アリーシャ姉さまを助けていただいて、ありがとうございました!」
私のことを心配してくれる妹、かわいい。
思わず相好を崩していると、なぜか、ジークがじっとこちらを見つめてきた。
「あの……なにか?」
「ああ、いえ。なんでもありません。それよりも、もしかして、クラウゼン公爵の?」
「はい。クラウゼンは私達の父になります」
「……なるほど、そうなんだ」
あれ?
なぜかわからないけど、ジークの機嫌が急降下したような?
笑顔は変わらないのだけど、目が笑っていないというか、つまらないものを見るような目というか……
気がつかないうちに、地雷を踏み抜いていた。
でも、どこに?
自分の言動を振り返ってみるものの、ミスらしいミスをしたとは思えない。
「兵士を呼んでおいたから、すぐにここに……ああ、来たみたいだ」
ジークの言う通り、二人組の兵士の姿がこちらにやってくるのが見えた。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ、あのっ」
引き留めようとするものの、ジークは足を止めることなく、そのまま立ち去ってしまうのだった。
それでも、私は言葉を続ける。
「ありがとうございました」
チラリと、ジークが振り返る。
肩越しに視線が合い……
しかし、すぐに逸らされてしまい、ジークはそのまま立ち去った。
――――――――――
「……助けるんじゃなかったな」
少し早足に街中を歩くジークは、ぽつりとつぶやいた。
悪漢に絡まれている女の子を助けたのだけど、その正体は、公爵令嬢の娘だった。
そうと知っていれば、助けることはなかった。
なぜなら、ジークにとって貴族は最も嫌悪する存在であり、敵と言っても過言ではないからだ。
二人の兄はすでに成人している。
それ故に、まだ成人していないジークが後継者レースに参加することはない。
それでも王族という立場故に、それなりの公務を任されてきた。
学生の身分であっても、色々な場所へ赴いた。
そして……人の汚い面をまざまざと見せつけられてきた。
王族である自分に取り入ろうとする者。
あるいは、利用しようとする者。
誰も彼も、その顔に貼りつけている笑顔は偽物で、まるで仮面のよう。
本心から笑っている者なんて一人もおらず、全員が汚い醜い打算を抱えていた。
幼い頃からそんな環境で過ごしてきたジークは、人間不信に陥っていた。
第三王子という立場故に、笑顔の仮面をかぶり、トラブルを起こすようなことはしていないものの……
心は冷めきっており、人を見下しており……
特に、傲慢で恥を知らない貴族というものを嫌っていた。
「慣れないことをするものじゃないな」
気まぐれに人助けをしてみたら、相手は公爵令嬢。
公爵と話をしたことはない。
その令嬢と顔を合わせたこともない。
でも、話すまでもない。
他の人と同様に、汚い心を持ち、恥を知らず、どこまでも傲慢な存在に違いない。
人とは、そういうものなのだ。
「……誰も彼もつまらないな。醜いヤツばかりだよ。そして……僕もつまらないヤツだな」
人間不信のせいで、未だ心を開いた人はいない。
それだけではなくて、興味を持つことすらない。
ただただ、空虚で退屈な日々を過ごしていた。
「……」
ジークは、ふと足を止めた。
それから先ほどのことを思い出す。
「それにしても……」
自分でも理解できないのだけど、自然と公爵令嬢の娘達のことを思い返した。
妹と姉の二人。
どうせ、他の汚い連中と変わらない。
心を覗けば、直視するに耐え難い感情が見えるだろう。
そう思うのだけど……しかし、なぜか気になるものがあった。
うまく言葉にできないのだけど、心の中で、なにかが引っかかる。
特に気になるのが……
「アリーシャ……と言ったかな」
とても綺麗な目をしていた。
今まで見たことのない、まるで宝石のように輝いていて、それでいて濁りが一切ない透明な感情を宿していて……
「って、僕はなにを考えているんだ」
所詮、公爵令嬢。
他の者と同じく、心が汚いに違いない。
そう決めつけたジークは、再び歩みを再開した。
あれから、簡単に兵士の事情聴取に応じて……
それからはぐれていた執事と合流して、買い物は中断。
他にもろくでもない輩がいるかもしれないということで、念の為、すぐにフィーを家に連れて帰った。
そして、夜。
一人、部屋でのんびりくつろいでいると、コンコンと扉をノックする音が響いた。
「あの……アリーシャ姉さま、シルフィーナです」
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきたフィーは、とても落ち込んでいるように見えた。
いや。
事実、落ち込んでいるのだろう。
他の人ならわからないくらいの差異かもしれないが、姉である私ならハッキリとわかる。
私の妹センサーで調査した結果、フィーの元気具合はなかなかに低い。
「どうしたのですか? 元気がないように見えますが」
「……私のせいで、アリーシャ姉さまが危ない目に」
あぁ、なるほど。
昼のことを自分のせいだと思い込み、強い責任を覚えているのだろう。
フィーに責任なんて何一つないのに……
あーもう、なんて優しい子なのだろう。
私の妹はかわいいだけじゃなくて、心も天使。
ヒーロー達の嫁に出すことなく、私の嫁にしたい。
って、いけないいけない。
話が逸れた。
ついでに欲望もこぼれた。
「フィーのせいなんていうことは、決してありませんよ」
「あっ……」
そっとフィーを抱きしめた。
それから、いい子いい子と頭を撫でてあげる。
「でも、私……」
「妹が困っていたら、助けるのは姉の役目ですよ。それに、私が同じような目に遭っていたとしたら、フィーはどうしましたか?」
「も、もちろん、助けます!」
「ほら。だから、気にしないでください」
「……私は、アリーシャ姉さまに色々なものをもらってばかりですね」
「それが妹の特権ですよ」
「でも……」
「どうしても気になるというのなら、いつか返してください。私が困っている時、迷っている時、泣いている時……そんな時に傍にいて、優しく抱きしめてください。そうすれば、私はまた立ち上がることができると思いますから」
「そんなことでいいんですか?」
「これ以上の恩返しはありませんよ」
「……やっぱり、アリーシャ姉さまはとても優しいです。それに、おひさまのような匂いがして、大好きです」
にっこりと笑い……
それから、抱きしめられることが心地よかったらしく、すぅすぅと寝息を立ててしまう。
私の妹マジ天使。
「それにしても……」
フィーのおかげで、思い出すことができた。
というか、私はどうして、こんな大事なことを忘れていたのか?
「フィーは、こうしてとても純粋な心を持っているのだけど、ジークはとてつもなくこじらせていましたね」
ジークルートは攻略済みだ。
だから、彼の本当の性格や、心に抱えている闇などは知っている。
第三王子という立場故に、早くから貴族の社交界にデビューをした。
しかし、そこで見たものは腹黒い貴族の汚い笑みばかり。
それにより、彼はすっかり人間不信に。
そんなジークの心を癒やすのがフィーなのだけど……
「参りましたね……」
アレックスの時と同じように、貴族を嫌うヒーローと仲良くならなければならない。
しかも、今度の嫌われ具合はアレックスの比じゃない。
ジークは、心底、人というものに愛想を尽かしているのだ。
メインヒロインの補正はゼロ。
むしろ、悪役令嬢というマイナス補正がかかっている状態で、どうやって仲良くなればいいのか?
「難題ですね。というか、難題ばかり? どうして、こんなにも悪役令嬢の待遇は悪いのでしょうか? といっても、それが当たり前ですね。悪役なのですから……やれやれ」
ため息をこぼして……
でも、フィーの温もりに癒やされて、まあ明日のことは明日考えるか、と問題を先送りにしてしまう私であった。
――――――――――
どうにかしてジークと仲良くなりたい。
友達とまではいかなくても、せめて、顔を覚えてもらい、挨拶をするくらいの関係になりたい。
そんなことを思い、学舎で何度か話しかけてみたものの、全て軽やかに回避された。
にっこりと微笑みつつ、用事があるからと立ち去る。
追いかけてみるものの、すぐに見失う。
そんな日々が続いているために、私は焦っていた。
破滅までの期間はまだあるものの、だからといって、油断はできない。
できるだけスケジュールは詰めておきたい。
そこで、私は一晩かけて考えた作戦を実行に移すことにした。
「あの……アリーシャ姉さま? これからどこへ?」
放課後。
私はフィーを連れて、学舎の廊下を歩いていた。
「ジー……レストハイムさまをお茶に誘ってみようと思いまして」
「えっ、レストハイム王子を!? ど、どうしてそのようなことを……?」
「んー、それは秘密です」
破滅を回避したいから、なんて言えば頭がおかしいと思われてしまうかもしれない。
フィーにそんな目で見られたら、私は、破滅を前に精神的に死んでしまう。
「というか、どうして私も……?」
「フィーがいると、ひょっとしたら、うまいこと仲良くなれるかもしれませんから」
「???」
私と一緒ではあるものの、ひょっとしたらメインヒロイン補正が働くかもしれない。
それに期待して、フィーを連れて行くことにした。
頼んだら二つ返事でついてきてくれた。
かわいい上に優しい。
私の妹は世界一だよね。
「ところで、どうして中庭へ?」
そう。
目的地はジークのクラスではなくて、中庭だ。
人間不信の彼は、放課後、教室に残ることは少ない。
中庭のような人の少ないところでリラックスして、それから帰宅している。
全てゲームで得た知識だ。
「こういう情報は役に立つのですが、肝心の仲良くなる方法はフィーにしか適用されず……なかなかもどかしいものですね」
「適用?」
「いえ、なんでもありません。ただの独り言です」
そろそろ中庭だ。
今日こそ進展してみせる!
そう意気込みつつ、私とフィーは中庭に移動して……
「くっ……何者だ、お前達は!?」
謎の黒尽くめの男達に襲われているジークを発見した。
「ジークさま!」
私はあえて大きな声を出した。
一つの目的は、周囲の人に気づいてもらうため。
もう一つの目的は、襲撃者達に動揺を与えるため。
「ちっ、見られたか。なら……ぐっ!?」
敵が複数人ということで苦戦していたジークだけど、隙を見逃すことなく、男の一人を打ち倒した。
仲間がやられたことで、黒尽くめの男達がさらに動揺する。
ジークはたたみかけるように前へ出て、二人目の男を倒す。
ヒーローだけあって、さすがに強い。
でも、安心はできない。
こういう突発的なイベントは、大抵が主人公が不利になるものだ。
「フィー、校舎へ戻って先生達を呼んできてください!」
「は、はいっ」
フィーの足音が遠ざかり、
「きゃっ!?」
「フィー!?」
悲鳴が聞こえて、慌てて振り返ると、黒尽くめの男の腕の中でぐったりとするフィーの姿が。
まだ他に仲間がいたなんて……!
「フィーを離しなさい!」
「お前も眠れ」
「あ……」
黒尽くめの男からフィーを取り返そうとするものの、逆に拘束されてしまう。
そのまま薬を嗅がされてしまい、私の意識は遠くなるのだった……
――――――――――
「……うぅ」
目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。
灯りは一つだけ。
窓はなし。
頑丈そうな扉も一つだけで、鍵がかけられている様子。
「ここは……?」
頭がぼんやりして、重い。
えっと……なんで、こんなところに?
記憶を掘り返して……
「フィー!?」
黒尽くめの怪しい男達のことを思い出して、それから、フィーの姿を探す。
妹は硬い床の上で寝ていた。
「フィー!? 大丈夫ですか!?」
「……すぅ」
よかった、寝ているだけみたいだ。
たぶん、薬の効果がまだ続いているのだろう。
それにしても、ここはいったい?
というか、なぜこんなことに?
「起きたんだね」
「あ……レストハイムさま」
部屋の壁に寄りかかるようにして、端の方にジークがいた。
黒尽くめの男達と殴り合いをしていたからか、顔が少し腫れている。
「ごめんね。僕のせいで、きみ達を巻き込んでしまったみたいだ。実は……」
「待ってください。その前に、えっと……」
手当するための道具を探すものの、なにもない。
前世ならともかく、公爵令嬢の今世では、薬を持ち歩くなんてしないもの。
「なにをしているの?」
「ごめんなさい。その傷を手当しようと思ったのですが、なにもなくて」
「……」
なぜか、ジークがポカンとした顔に。
それから、クククと楽しそうに笑う。
「まさか、こんな時にまで他人の心配をするなんて。きみは、噂通りに、女神のような性格をしているんだね」
「女神? なんですか、それは?」
「生徒達の間で噂になっているよ。優しく聡明で、妹をとても大事にしている姿は、まるで女神のようだ、ってね」
なんでそんなことに?
私は、悪役令嬢なのだけど……ん?
なんで、そんな噂話をジークが知っているのだろうか。
彼の本性を知っているため、そんなものに興味を持たないことを私は知っている。
「レストハイムさまは、なぜそのような噂を?」
「……少しだけきみに興味があって、調べてみたんだよ」
そう言うジークは、複雑な表情をしていた。
ツンデレが日頃辛く当たる幼馴染に恋してると気がついて、でもそれを認めたくないと、そんな顔をしている。
なんていう例えだ。
とりあえず、触れない方がいいだろう。
彼の設定は知っていても、どんな反応を示すかなんてことはさすがにわからない。
地雷のような反応に、わざわざ触れることはない。
「話を戻しますが、巻き込んでしまった、というのは?」
「きみ達は、僕を狙った連中を目撃してしまった。だから、口封じのために一緒に誘拐された……そんな感じなんだ」
聞けば、王子達の間で派閥争いが起きているらしい。
我こそが跡継ぎにふさわしいと、功績を立てて、王らしい振る舞いをして……
裏では、犯罪行為を平然と繰り返して、相手を蹴落とそうとする。
第一王子と第二王子は、そのような感じで、日々、派閥争いを繰り返しているのだとか。
ジークは王になりたいと思っていないが、第一王子と第二王子がその言葉を簡単に信じることはない。
なりたくないと言葉にしても、内心では別のことを考えているに違いない。
そう決めつけて、そして……
どちらの勢力か知らないが、ジークを排除することにした。
ただ、さすがに命を奪うまでのことはできない。
誘拐して、脅して、王位継承権を放棄する念書にサインさせる。
「……たぶん、連中が考えているのはこんなところだろうね?」
「まるで、見てきたかのように話すのですね?」
「見てきたからね」
「え?」
「きみが目を覚ます前に、連中と話をしたんだよ。そこで、念書を書くように脅された」
「そ、それで、どうしたんですか……?」
「まだなにも。考える時間が必要だろう、って言われて、今は放置されているよ」
「そうですか……よかったです」
「なんで、きみが安心するんだい?」
ジークが不思議そうに言うのだけど、なぜ、それくらいわからないのだろう?
「レストハイムさまが望んでいないことだとしても、それは今だけのことかもしれません。この先、気持ちが変わることもあるでしょう? なら、選択肢は手元に残しておくべきです。だから、まだ放棄されていないことを安心したのです」
「いや、だから……なぜ、無関係のきみが僕の心配をするんだい?」
「無関係だと心配できないのですか? 無関係だろうと関係があろうと、目の前で大変なことになろうとしている人がいたら、心配してしまうものでしょう?」
「……」
当たり前のことを言うのだけど、でも、それはジークにとって衝撃的なことだったらしく、目を丸くするのだった。
「どうしたのですか、困惑したような顔をして?」
「……」
そう言うジークは、いつもの微笑みの仮面を脱ぎ捨てていた。
代わりに、とても厳しい顔をする。
悪人を断罪するかのような……
汚いものを見るかのような、凍りついた視線を向けてくる。
「もういいよ」
「え? なんのことですか?」
「だから、そうやって善人のフリをするのは、もういいよ」
え?
善人のフリ?
なんのことだろうと、思わず首を傾げてしまう。
そんな私の仕草が気に入らないらしく、ジークが舌打ちをする。
「まだ、そうやってなんともないフリをして……」
「ですから、意味がわかりません。どういうことなのですか?」
「本音を出せばいいだろう!!!」
ジークが怒声を響かせた。
公爵令嬢ということもあり、ここまで強い怒りを真正面からぶつけられたことなんてない。
思わず、ビクリと震えてしまう。
「僕のせいで、きみ達は巻き込まれたんだ! 妹もきみも、危険な目に遭った! 一歩間違えていたら怪我をしていただけじゃなくて、死んでいたかもしれない。それ以上に、ひどい目に遭っていたかもしれない! 全部、僕のせいだ!!!」
「……ジークさま……」
「それなのに、なんで、きみは僕を責めない!? 僕が王子だからか!? だから、怒りを我慢しているのか!? 遠慮なんてしないでいいさ。全部解き放ってしまえばいいさ。怒る権利が、きみにはあるのだから!!!」
ジークは怒っていた。
でも……泣いているようにも見えた。
ゲームの彼の設定は、人間不信だ。
汚い人達と接し続けてきたせいで、誰も信じられなくなっていた。
でも、こうしてリアルで接することで、わかったような気がする。
ゲームの設定だけが全てじゃないのだ。
ジークは人間不信であると同時に……
大きな責任と罪の意識を感じ続けていたのだろう。
ジークに近づく人、全てが打算で動いていたわけではないはず。
中には、真の友達になりたいと思って声をかけた人もいるだろう。
しかし、周囲の汚い大人達によって引き離されて……あるいは、傷つけられたのだろう。
それを見たジークは、どう思っただろうか?
どれだけ自分を責めただろうか?
自分がいなければ……そう思わずにはいられなかっただろう。
「怒れよ! なじれよ! 僕のせいだって、断罪しろよ! そんな平然とした顔をしていないで、あの連中と同じように、本性を見せろよ!!!」
それは魂の叫びだったと思う。
汚い世界を見せつけられて、奪われて……しかし、なにもすることができず、一人になることしかできない。
誰も巻き込まないように。
それは、彼の優しさだ。
人間不信だとかなんだ言っても、ジーク・レストハイムはとても優しい人なのだ。
「ジークさま」
「なっ……」
気がつけば、私は彼を抱きしめていた。
ジークの体は……小さく震えていた。
「私は、別になんとも思っていませんよ。このことをジークさまのせいだと怒るつもりはありませんし、責めるつもりもありません」
「そんなこと信じられるわけがないだろう! 僕の、僕のせいでこんなことになっているんだ! 心を隠さないで、本当のことを言えばいいだろう!」
「ですから、これが私の本心です」
ジークが私達を故意に巻き込んだ、というのならば怒る。
でも、そんなことはないのは、彼を見れば一目瞭然だ。
こんなにも震えて、怯えている。
「ジークさまのせいだなんて、思っていません。悪いのは、このような事件を画策した者達です。あなたのせいだなんていうことは、決してありません」
「言葉でなら、いくらでも……」
「これが私の本心です!」
ジークの言葉を遮り、強く言う。
彼は驚いたような顔をして、こちらを見た。
「私は、勘違いしていました」
「勘違い……?」
「ジークさまは、人間不信で話ができない人なのだと。でも、そうではなかったのですね。人間不信ではなくて……とても優しい方です」
「え……?」
「汚い人を見てきたから、人間不信になっている。一部は、そうだと思います。でも、それが全てではなくて……自分と関われば事件に巻き込まれるかもしれない。大人の汚い政治に利用されるかもしれない。それを危惧して、人間不信のフリをして……いえ、自分自身すらも騙してそう思い込み、誰も近づけないようにした。表面上は仲良くしても、心に踏み入らせることはなかった。そうですね?」
「……知ったような口を」
否定はしない。
つまり、そういうことなのだろう。
「だから、どうした。僕は、僕は……」
「ありがとうございます」
「……なんで、礼を言うんだよ?」
「気にしていただけて、素直にうれしいので」
私はにっこりと笑う。
そうすることで、少しでもジークを落ち着かせてあげたかった。
「気にしないでください。責任を感じないでください。自分を責めないでください」
「……」
「バカな大人達がしでかしたことについて、ジークさまが責任を感じる必要なんて、欠片もないのですから」
「……」
「だから、今だけは、気を張らないで大丈夫です。私は、あなたの味方です。信じてください」
「……」
ジークはなにも応えない。
でも、私を振り払おうとせず、抱きしめられたままだ。
「……一つ、聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「きみは、どうしてそんなにも強い?」
「強い……でしょうか?」
「強いさ。僕は……人間不信で、誰も信じられなくて、信じることができてなくて、ただ遠ざけることしかできなかった。それなのにきみは、こんな僕を諭してくれている。これ以上ないくらいに強いよ」
「過大評価だと思いますが……ありがとうございます。もしも、私が強く見えるのなら、それは……フィーの、妹のおかげですね」
「妹の……?」
ジークが軽く動いて、寝たままのフィーに視線をやる。
「彼女が……きみの力になっているのかい?」
「はい、そうですね。最近、できたばかりの妹ですが、とてもかわいくて愛しくて、なんでもしてあげたいんです。そんな妹の前で……そして、私は姉なので、いつもがんばろうと思っています。そんなところが、ジークさまに評価されたのかもしれません」
「そうか……きみには、そういう人がいるんだね。正直、うらやましいよ」
「あら。ジークさまは諦めたように言いますが、それは早計では?」
「え?」
「今はいないとしても、いつか、親友ができるかもしれません。それこそ、明日にでも。全てを話すことができて、心の底から全部を託せるような、そんな友達ができるかもしれません。未来は無限ですよ?」
「でも、僕は……」
「んー……なら、親友ができるまでは、私がそのポジションにいます」
「え?」
「私で務まるのかどうか、それはとても分不相応で、足りないと思いますが……ジークさまの友達でありたいと思います」
「……」
「私を、ジークさまの友達にしていただけますか?」
問いかけるものの、返事はない。
ただ……
その代わりというように、ジークは私の手を握る。
強く、強く……ぎゅうっと握った。
「って……すみません。私、何度もレストハイムさまのことを名前で呼んでしまって」
今更ながら、自分がやらかしていたことに気がついて、顔が青くなる。
王子を名前で呼ぶなんて、不敬もいいところだ。
「……構わないよ」
「ですが……」
「構わないよ。だって……僕達は友達なのだろう?」
「あ……はいっ!」
私は、にっこりと笑い……
そしてまた、ジークも優しく笑うのだった。
それはいつもの仮面ではなくて、心からの笑みに見えた。
「うぅ……アリーシャ姉さま……」
「フィー! フィー! しっかりして、フィー!!!」
カタカタと震えるフィーをしっかりと抱きしめる。
そして、何度も何度も彼女を大きな声で呼んだ。
「おい! お前達、なにを騒いでいる!?」
ほどなくして見張りがやってきた。
苛立った様子で、腰に下げた剣をいつでも抜けるようにしつつ、部屋に入る。
「さっきからうるさいぞ。口を塞がれたくないのなら、黙っていることだな」
「フィーの様子がおかしいんです! お願いします、どうか、お医者さまを!」
「なんだと? ちっ、せっかくの人質になにかあれば……いや、待て。王子はどこへ行った?」
「ここだよ」
声は上からした。
「なっ!?」
両手足を器用に使い、天井の隅に張りついていたジークは、直上から奇襲をしかける。
これにはさすがに対応できず、男は倒されてしまうのだった。
「レストハイムさま、す、すごいです……!」
「フィー!? よかった、元気になったのね!」
「え? あ、あの……アリーシャ姉さま?」
「なんですか?」
「あれは、見張りの注意を引くために病気のフリをしていただけで、本当に体調不良だったというわけでは……」
「……あっ、そうでしたね。フィーの演技がとても上手なので、ついつい本気になってしまいました」
「よ、喜んでいいのかな……?」
「くくくっ」
私とフィーのやりとりを見て、ジークが楽しそうに笑っていた。
「あんなにも打ち合わせをしていたというのに、そのことをすぐに忘れるなんて……きみは、シスコンなんだね」
「シスコン上等です! そもそも、こんなにもかわいい妹がいれば、シスコンになってしまうのは当たり前のことだと思いますが?」
フィーを抱きしめつつ、そんなことを言う。
「あう……かわいいとか、は、恥ずかしいです」
「事実だから、恥じらう必要なんてないのですよ」
スリスリと頬ずりをする。
フィーのほっぺはすべすべだ。
いつまでもこうしていたい。
「あははっ」
耐えられないという様子で、ジーク大笑いした。
「本当に、きみっていう人は……」
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ」
軽く首を横に振り、会話を打ち切る。
それから厳しい顔に。
「きみ達のことは、僕が絶対に守るよ。事件に巻き込んでしまった責任をとらないといけないし……それに、友達だからね」
「はい」
「あ、ありがとうございますっ」
「……」
フィーがお礼を言い、そんな妹をジークが見つめる。
なんだろう?
今頃になって、私の妹のかわいさに気づいたのだろうか?
フィーはあげないぞ。
私とずっと一緒に……ああ、でも、メインヒロインだからそれは難しいのか。
「きみの名前も聞いてもいいかな?」
「は、はいっ。シルフィーナ・クラウゼンです」
「そっか……うん、よろしくね。シルフィーナ」
「は、はひっ」
「……むう」
二人が仲良くするところを見て、バッドエンドが近づいているとか、そういう危機感を抱くことは一切なくて……
私は、かわいい妹の心を掴もうとするジークに嫉妬したりするのだった。
――――――――――
その後、ジークが次々と見張りを倒して、私達は脱出することができた。
監禁されていた場所は、街外れにある小さな小屋の地下。
こういう時のために、第一王子派、あるいは第二王子派が改造していたらしい。
そして、私とフィーは、ジークと一緒に城へ。
ここなら安全だと、ひとまず保護を受けることに。
その間に、ジークによる告発が行われた。
犯人は、第二王子派の過激な思想を持つ者。
独断専行と自白しているが、それは怪しい。
乙女ゲームにおける第一王子と第二王子は、攻略対象のヒーローではない。
私と同じ、主人公とヒーローの幸せを邪魔する悪役なのだ。
腹黒い彼らのことだ。
すでに根回しをしていて、自分達が関わっていたという証拠を隠滅しているように思えた。
とはいえ、今はどうすることもできない。
ジークも、事件が公になった今、またすぐに動くことはないだろうと、安全を約束してくれた。
そうして、私とフィーは、ようやく家に帰ることができたのだった。
――――――――――
「んー……」
私はベッドに座り、手紙を眺めていた。
差出人はジーク。
城を出る前に、こっそりと渡されたものだ。
いったい、なにが書かれているのだろうか?
お前を断罪する! とか?
たぶん、仲良くなることができたと思うから、それはないと思うのだけど……
でも、油断はできない。
緊張しつつ、手紙を開封する。
手紙にはたった一言、こう書かれていた。
『ありがとう』
私は目を丸くして、
「どういう意味なんでしょう?」
ジークの考えていることがわからず、コテンと首を傾げるのだった。
「シルフィーナ、アリーシャ。おっす」
朝。
学舎に到着すると、アレックスと出会う。
彼は太陽のように明るい笑顔を浮かべていて、それを私に対しても向けてくれている。
「おはよう、アレックス」
「おはようございます」
フィーと一緒に挨拶を返しつつ、この様子なら告発イベントはまだ発生しないかな? と一安心する。
「なあ、アリーシャ」
「はい、なんですか?」
「あー……その、なんだ。またお菓子を作る予定はないのか?」
「え? どうしてですか?」
「いや、大した意味はないんだが。まあ、味見役くらいはしてやろうかな、って思ったんだよ」
「アレックス、もしかして、アリーシャ姉さまの作ったお菓子を食べたいの?」
「そ、そんなわけないだろっ。また気まぐれに作ってこられて、まずいものを食べさせられたらたまらないから、今のうちに練習をしとけ、っていう話だよ」
「まあ、失礼ですね。でも……そうですね。お菓子作りは楽しかったですし、また作ってみようかしら?」
「アリーシャ姉さま、その時は、私、お手伝いしますね!」
「はい、お願いしますね」
すぐに手伝いを申し出てくれるフィー、マジ天使。
「じゃ、俺は毒見役だな」
「毒味という言い方、やめてください。まるで、失敗することが前提みたいではありませんか」
「なら、せいぜいがんばって、俺の期待を良い方向で裏切ってくれよ」
アレックスがニヤリと笑う。
最近は、こんな風に、軽口を叩いてくれるようになった。
友達……と言えるか微妙なところではあるものの、そこそこ良好な関係を築けていると思う。
好かれている自信はないが、嫌われていることもないだろう。
「おはよう、アリーシャ、シルフィーナ」
アレックスと軽口を叩いていると、どこからともなくジークが現れた。
いつも通りというか、微笑みの仮面を身に着けている。
ただ……気の所為だろうか?
今のジークは、素の表情を見せているような気がした。
つまり、心の底から笑っている。
フィーがいるからだろうか?
メインヒロインの魅力に、早くもやられてしまったのだろうか?
ダメ。
フィーはまだ、私の妹。
付き合うなんてこと、認めませんからね!
「それにしても、ジークさまと朝に会うなんて奇遇ですね」
「……ジーク?」
なにが引っかかったのか、アレックスが眉をひそめた。
「偶然じゃないよ。僕は、二人を……正確に言うと、アリーシャを待っていたんだ」
「私ですか? どうして、また?」
「大したことじゃないんだけどね。途中まで、一緒できないかな、と思って」
「ですが、教室まで五分とかかりませんけど」
「それでもいいんだよ」
「はあ……」
ジークはなにを考えているのだろうか?
人間不信のせいで、ぼっち気味だったから……
私という友達ができて、うれしいのかもしれない。
それなら、友達として一緒にいてあげるべきだろう。
友達は友達を放っておかないものだ、うん。
「なあ、ちょっといいか?」
「うん?」
不機嫌そうな顔をして、アレックスが会話に割り込んできた。
「あんた、王子さまだよな? 第三王子のジーク・レストハイム」
「そうだけど……きみは誰かな? 知り合いでもないのに、いきなり名前を呼び捨てにするなんて失礼じゃないと思わない?」
「俺は、アレックス・ランベルトだ。シルフィーナの幼馴染で、アリーシャの友達だよ」
「へぇ、友達……」
「ああ、そうさ。友達だぜ」
なぜか、二人は共に不敵な笑みを浮かべた。
バチバチと睨み合い、火花を散らす。
この二人、なんで争っているのだろう?
フィーの前だから、良いところを見せたいのだろうか?
自分の方が、男としての格は上なんだぜ、みたいな。
「奇遇だね。僕もアリーシャとは友達なんだ」
「なんだと?」
「そうだよね? アリーシャ」
「え? はい、もちろんです」
「ぐっ……俺も友達だよな!?」
「はい、そうですね」
「むっ」
再び、二人の間で火花が散る。
だから、さきほどからなにを争っているのだろうか?
フィーの前だから、良いところを見せたいのだろうか?
わかる。
私の妹はメインヒロインというだけじゃなくて、天使のようにかわいいから。
男としてアピールしたくなることは当たり前だろう。
でも、いくらフィーがメインヒロインとはいえ、嫁に出すなんてダメだ。
私の妹として、ずっと一緒に……
って、それはそれでまずいのだろうか?
ある意味で、メインヒロインとヒーローの恋路を邪魔していることになる。
そうなると、バッドエンドに繋がってしまうかもしれない。
うーん。
私としては、ずっとずっとフィーと一緒にいたいので、その辺りがどうなるのか、機会があれば確認した方がいい。
「って、こんなことしてる場合じゃないんだよ」
ふと、アレックスが我に返った様子でこちらを見る。
そして、小声で言う。
「……後で、少し時間をくれないか?」
「……構いませんが、なにか話でも?」
「……けっこう大事な話なんだ。頼む」
「……わかりました。では、休み時間に中庭で」
そんな約束をして、私はフィーと一緒に校舎内に移動した。
――――――――――
そして、休み時間。
約束した中庭へ行くと、すでにアレックスの姿が。
「おまたせしました」
「悪いな、呼び出したりして」
「それで、大事な話というのは?」
「それなんだけど……」
アレックスが気まずそうな顔になる。
そんなにも話しにくいことなのだろうか?
もしかして……フィーと付き合っています、とか!?
あるいは、フィーをお嫁さんにください、とか!?
そんな!
フィーがアレックスルートに突入したら、私は、どこで妹とイチャイチャすればいいの!?
バッドエンドになることの心配よりも、そっちの方が重要だ。
「フィーは渡しませんよ!」
「シルフィーナ? なに言ってるんだ?」
あれ? 違う?
「いや、まあ、シルフィーナに関係することだが……すまん! 金を貸してくれないか!?」
「お金……ですか?」
予想外のお願いをされて、ついついぽかんとしてしまう。
アレックスは教会の子。
確かに、お金はないかもしれないが……
だからといって、幼馴染の姉にお金の無心をするなんてことは似合わない。
そうしなければならない、よほどの理由があるのだろうか?
「いくらぐらいですか?」
「なんとも言えないが、そんなに高い金額にはならないと思う」
アレックスが提示した金額は、言葉通り、高い金額ではなかった。
家を買えるほどの金額を勝手に動かすようなことをしたら、さすがに怒られてしまうが、それくらいならば問題はない。
ただ、なにに使うのか?
それをはっきりさせないことには、お金を貸すようなことはしない。
友達だからこそ、お金のやりとりはしっかりしないといけないのだ。
決して、悪役令嬢だから意地悪をしているのではない。
「それくらいなら、私の裁量でどうにでもなりますが、目的を教えてくれませんか?」
「あー……なんていうか、その」
なぜかアレックスの顔が赤くなる。
照れているみたいだけど、どうして?
「……なんだよ」
「すみません、よく聞こえませんでした」
「だから……誕生日、なんだよ」
「誕生日?」
「もうすぐ、シルフィーナの誕生日なんだ! だから、プレゼントを買ってやりたいんだよ!」
「っ!!!?!?!?!?」
アレックスの言葉に、私は強い衝撃を受けました。
ともすれば気絶していたのではないかと思うほどの、強烈な精神的ショック。
そんな、まさか、こんなことが……
私は、がしっ、とアレックスの両肩を掴みつつ、間近で問い詰めます。
「フィーの誕生日が近いのですか!?」
「お、おいっ、アリーシャは別の意味で近い!?」
「いいから答えてください! もうすぐフィーの誕生日なのですか!?」
「そうだよ、三日後だ」
「そ、そんな……」
まさか、三日後にフィーの誕生日があるなんて。
国の建国記念日に匹敵……いや、それ以上に重大なことを見逃していたなんて。
ショックのあまり、全身から力が抜けて、がくりと両手と膝を地面についてしまう。
「うぅ……私は、フィーの姉失格です……」
「まさか……アリーシャは、フィーの誕生日を知らなかったのか? 姉なのに?」
「うぐっ」
アレックスの言葉が矢のように私の心に突き刺さります。
たぶん、彼は悪意はないのでしょうが……
それだけに事実が強調されて、余計に辛いです。
「私は……姉、失格です。大事な妹の誕生日を知らないなんて、そんな愚かなことを……ごめんなさい、フィー。姉は、どうしようもなく愚かな存在でした……やはり、私は悪役令嬢なのですね」
「お、おい。そんなに気にするなよ、落ち込みすぎだろ」
「ですが私は、大事な妹の誕生日を知りませんでした……大事なのに、それなのに……やはり、姉失格です……」
「最近、姉妹になったばかりなんだろ? なら、知らなくても無理はないさ。俺だって、シルフィーナと知り合ってから、三年後くらいに知ったくらいだからな」
「……アレックス……」
「っていうか、アリーシャが姉失格なんてことないだろ。絶対にねえよ。悔しいが……アリーシャは、誰よりもシルフィーナのことをわかっているように見えるし、これ以上ないくらいに立派に姉をしているよ」
もしかして、私を励ましてくれている?
まさか、悪役令嬢の私がヒーローに助けられる日が来るなんて。
その事実がおかしくて、少し元気が戻ってきた。
立ち上がり、頭を下げる。
「ありがとうございます。アレックスのおかげで、落ち着くことができました」
「あ、ああ。それは……うん、よかったな」
なぜか、アレックスの顔が赤くなる。
ひねくれている彼のことだ。
先ほどは、フィーにプレゼントを買うということを恥ずかしく思い、照れていたのだろう。
でも、今度は、なぜ照れているのだろうか?
そんな要素はないはずなのだけど……うーん?
まあいいか。
それよりも今は、フィーの誕生日のことを考えなければいけない。
「アリーシャが知らないっていうことは、両親も知らないのか?」
「その可能性は高いですね。父さまも母さまも、フィーを大事にしていますが、共に忙しい方。引き取ったばかりということもあり、失念しているのでしょう」
「ったく、これだから貴族は」
「安心してください。私が知った以上、このままにしておくつもりはありません。さっそく、パーティーの準備をしましょう」
「パーティー?」
「パーティーの来賓の選別に、案内状の作成。一流のシェフを集めて、料理も考えてもらわないと。それから、イベントも開催したいですね。舞台に立つ歌姫などのスケジュールは、今から押さえることは……」
「待て待て待て」
フィーの誕生日パーティーについてあれこれと考えていると、アレックスが急にストップを出してきた。
どうしたのだろう?
「いきなり、そんな大規模なパーティーを開こうとするな」
「なにを言っているのですか? フィーは、公爵令嬢なのですよ? これくらいのことをして当たり前なのですよ」
「そうかもしれないが……今回はやめておいた方がいい。シルフィーナも、まだ貴族っていう環境に慣れたわけじゃないだろ? それなのに大規模なパーティーなんて開催されたら、ショックでどうにかなるかもしれないぞ」
「それは……」
「大規模なパーティーは、来年、開催すればいい。今年は、身内だけのパーティーにした方が無難だ。その方が、シルフィーナも喜ぶ」
「むう」
「どうしたんだよ、むくれて」
「だって、私よりもアレックスの方がフィーについて詳しいみたいで、悔しいです。私は、フィーの姉なのに」
「なら、これから詳しくなればいいだろ。それこそ姉なんだから、色々と機会はあるはずだ」
「……アレックスは、優しいですね。ありがとうございます」
私がにっこりと笑うと、
「や、優しくなんてねえよ。これくらい……まあ、普通だ。気にするな」
やや早口に、アレックスはそう言うのだった。
照れているのだろうか?
いや、そんなことはないか。
フィーならともかく、悪役令嬢の私に照れる理由がない。
「わかりました。フィーの負担になってしまっては意味がないので、今年は身内だけのパーティーにしましょう」
「ああ、そうした方がいい」
「私と父さまと母さまとアレックス。あと……ジークさまも、呼べば来てくださるかしら? フィーの交友関係はよくわからないから、今度、さりげなく聞き出すとして……
「……なあ」
「はい?」
「俺も参加者に入っているのか?」
「もちろんですよ」
「だが……俺は、平民だぞ? 孤児だから、ある意味で平民以下だな。そんなヤツを招いたりしたら、クラウゼン家の名前に傷がつくんじゃあ……」
「そのようなことで傷つくくらいならば、いくらでも傷つきましょう」
「っ」
「フィーの大事な幼馴染を招くことができない誕生日パーティーなんて、意味がありません。私は、どのようなことをしても、アレックスを招待しますよ」
「……ったく、かなわないな。そうだったな。アリーシャはそういうヤツだ」
「どういう方ですか?」
「秘密だ」
いたずらっぽく笑いつつ、アレックスはそう言うのだった。
よくわからないけれど、バカにされているとかそういう雰囲気はないので、特に追求しないでおいた。
「アレックスも、パーティーの準備を手伝ってくれませんか?」
「ああ、もちろんだ。あと、最初の金の件だが……」
「はい。もちろん、貸しますよ。あ、そうだ。今日の放課後、フィーのプレゼントを一緒に買いに行きませんか? 幼馴染であるアレックスの意見を参考にしたいので」
「わかった。なら俺は、姉であるアリーシャの意見を参考にさせてもらうよ」
「約束ですね」
こうして私は、放課後、アレックスと一緒に買い物をする約束をしたのだった。
「……なんで、こんなことになっているんだ?」
放課後。
一緒に街を歩いていると、アレックスが不機嫌そうに言う。
「なんのことですか?」
「買い物に付き合う約束はしたが……でも、コイツがいるなんて聞いてないぞ?」
アレックスが睨みつける先に、ジークの姿が。
彼は睨みつけられているのだけど、気にすることなく、涼しい顔をしていた。
「シルフィーナは僕の友達でもあるからね。誕生日とあれば、もちろん、祝うよ」
さも当然のように、ジークは言う。
うんうん、わかっているね。
かわいいフィーのプレゼントを選ぶというのだから、直接、自分の目で確認することは当たり前のことだ。
だから、一緒に買い物へ出るのは当然のこと。
……なのだけど、アレックスは不満そうだ。
ジークは王族なので、そのことに不満を抱いているのだろうか?
「では、行きましょう」
二人の仲は悪そうだけど、心配はしていない。
彼らヒーローは、最終的に、どのルートでも悪役令嬢を断罪するために一致団結して、かけがえのない友達になる。
今は衝突していたとしても、やがて仲良くなるだろう。
だから心配不要。
それよりも今は、フィーのプレゼントを選ぶことの方が大事だ。
かわいいかわいい妹が心から喜んでくれるような、そんなプレゼントを選ばなければ。
歩くこと少し、商店が並ぶ通りに到着した。
金細工からぬいぐるみまで、色々な店がある。
放課後とはいえ、これだけたくさんの店を全て見ることはできない。
かといって、どの店に良いプレゼントがあるかわからない。
「なあ、アリーシャ。そこのぬいぐるみ店に入ってみようぜ」
「アリーシャ。そこのアクセサリーショップに入らない?」
アレックスとジークの意見がバラバラに。
「おいおい、あんたの目は節穴か? ぬいぐるみの方がいいだろうが」
「きみの目こそ節穴かな? 女の子は、アクセサリーの方が喜ぶよ。ぬいぐるみが悪いとは言わないけど、子供の趣味じゃないかな」
「あんだと?」
「なにか?」
にらみ合う二人。
このヒーロー達、本当に後々で和解するのだろうか?
協力するのだろうか?
今の二人を見ていると、少し不安になる。
でもやっぱり、今はフィーのプレゼントを優先しないと!
「とりあえず、二つ共、見て回りましょう」
「まあ……」
「アリーシャがそう言うのなら」
二人共、納得してくれたようなので、まずはぬいぐるみ店へ。
広い店内に、猫、犬、亀、鳥……などなど、様々なぬいぐるみが陳列されていた。
大中小のサイズに分かれていて、それぞれ値段も異なる。
二体セットで一つという、珍しいぬいぐるみもあった。
「色々な種類がありますね。こんなお店なら、フィーが喜んでくれるようなぬいぐるみもあると思います」
「だろ?」
「くっ……」
アレックスが得意そうな顔になり、ジークが悔しそうな顔に。
本当にこの二人、対照的だ。
「少し見て回りましょうか」
店内を歩いて商品を見る。
フィーにプレゼントするとしたら、どのぬいぐるみがいいだろう?
子供っぽいかもしれないけど、でも、時折幼い仕草を見せるなど、反則級のかわいさを見せている。
そんなフィーなら、ぬいぐるみも喜んでくれるかもしれない。
「なあ、アリーシャ。俺達で、最高のプレゼントを探そうぜ」
「そうですね」
「ぐっ」
「でも……せっかくだから、アクセサリーショップも見ておきたいですね。せっかく、ジークさまが選んでくれたのだから」
「ぐっ」
「ふふん」
悔しそうな顔になるアレックス。
得意げに笑うジーク。
そんな二人と一緒に、一度ぬいぐるみ店を後にして、それからアクセサリーショップへ。
こちらは、ぬいぐるみ店に比べると少し狭い。
でも、取り扱っている商品がアクセサリーなのでスペースをとらないため、特に問題はないようだ。
ブレスレット、ネックレス、指輪、イヤリング……たくさんの商品が陳列されている。
「色々あって迷いますね……ジークさまは、どれがいいと思いますか?」
「そうだね。僕なら、このネックレスがいいんじゃないかと思うよ。シルフィーナによく似合うと思わない?」
「あぁ、なるほど。確かに。フィーによく似合いそうですね。ありがとうございます、ジークさま。とても参考になりました」
「ううん、どういたしまして。アリーシャの役に立てたのなら、よかったよ」
「ぐぐぐ」
ジークがニヤリと笑い、それを見てアレックスが歯がゆそうな顔になる。
さきほどと立場が逆転しているのだけど……
それにしてもこの二人。
さきほどから、なぜ対立しているのだろうか?
フィーのプレゼントを選ぶのは自分だ、と張り合っているのだろうか?
さすが、フィー。
メインヒロインだけあって、争わせてしまうほどに、ヒーロー達の心を虜にしているのだろう。
姉として鼻が高い。
でもやっぱり、お嫁には出したくないから、その対策も今度考えておかないと。
フィーは、私と一緒に、ずっと仲良くイチャイチャして過ごすのだから。
「でも……うーん、迷いますね」
ぬいぐるみか、アクセサリーか。
どちらもとても良いものだけに、なかなか決断ができない。
いっそのこと、二つともプレゼントしてしまおうか?
それくらいのお金はあるのだけど……
いや、でもそうしたら、フィーは遠慮して困ってしまうような気がする。
あの子、妙なところで一歩引いているというか、わがままを言ってくれないのだ。
妹なのだから、多少のわがままは、むしろ歓迎するのだけど。
「ふむ?」
考えてみると、おかしなことに気がついた。
フィーはわがままを言わない。
それどころか、自己主張をすることすらない。
例えば、夕飯はなにが食べたい? と聞いても、自分の主張を口にしない。
私の好きなものとか、なんでも大丈夫ですとか……決して自分の望みを答えない。
夕飯のリクエストに限らず、他の場面でも、同じく自己主張をしていない。
遠慮している?
そういう性格だから?
でも、それだけではないような気がした。
そんな言葉で片付けてはいけないような、なにか、が隠されているような気がして、落ち着かなくなる。
「なあ、アリーシャ。もう一度、ぬいぐるみ店に行ってみないか?」
「ぬいぐるみよりも、アクサセリーの方がいいよ。ここで決めてしまおう」
「……ごめんなさい、二人共。私、急用を思い出したので、ここで帰りますね」
「「えっ」」
フィーのことが気になって気になって仕方なくなった私は、急いで家に帰ることにした。
家に帰ると、メイドが出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、お嬢さま」
「ただいま戻りました。フィーは、どこにいますか?」
「申しわけありません。私は把握しておらず……ひとまず、部屋に行ってみてはいかがでしょうか?」
「そうですね、そうします」
フィーの部屋の前に移動して、扉をノックする。
「フィー、私です。いますか?」
返事は……ない。
家にいないのだろうか?
それとも、寝ているとか?
「……私は姉なので、妹の部屋に入るのは普通のことですよね」
よくわからない言い訳を口にしつつ、扉を押してみる。
鍵はかかっておらず、簡単に開いた。
「フィー?」
フィーはいない。
寝ているわけではなくて、まだ帰ってきていないみたいだ。
フィーの寝顔を見ることができず、少し残念。
「あら?」
机の上にとあるものを見つけた。
日記だ。
長い間使っているらしく、けっこうくたびれていた。
「……フィーの日記……」
なにが書いてあるのだろう?
私のことばかり書いている、とか。
姉さま大好き、とか。
「……ふへ」
おっと、いけないいけない。
公爵令嬢にあるましき笑みをこぼしてしまった。
「とはいえ、気になりますね」
私が引っかかっている、なにか、を知ることができるかもしれません。
もちろん、妹とはいえ、日記を勝手に盗み見ることはいけないことなのですが……
もしかしたら、フィーの考えていることがわかるかもしれない。
そう思うと、迷ってしまいます。
「……ごめんなさい、フィー」
申しわけないと思いつつも、私は日記を手に取り、静かにページを開いた。
――――――――――
もうすぐ私の誕生日。
そのことを考えると、とても憂鬱になる。
誕生日は、その人が生まれたことを祝う日。
でも、私の生まれを祝ってくれる人なんていない。
両親も友達も誰も祝ってくれない。
私が生まれたことを喜んでいる人なんて誰もいない。
……誰もいない。
誕生日が来る度に、私は悩まされる。
どうして、私は生まれてきたのだろう?
両親に必要とされていない私が、誰にも必要とされていない私が……
なんのために、今、生きているのだろう?
生きる意味がわからない。
幸いというか、今の生活はとても良い。
アリーシャ姉さまはとても優しい。
公爵夫妻も良くしてくれている。
アレックスも仲良くしてくれているし、最近では、ジークさまとも話をするようになった。
以前に比べて、賑やかな時間を過ごすことができている。
でも……それがどうしたというのか?
いくら楽しい時間を過ごしていたとしても、私は、その幸せを甘受していいような人間じゃない。
なにもない、空っぽの存在なのだ。
自分が生まれてきた意味がわからなくて、いつもずっと迷子になっていて……
みんなが、アリーシャ姉さまが優しくしてくれるのに、なにかあるのではないか? と疑ってしまうような、どうしようもない存在だ。
でも、仕方ないじゃないか。
私は、本当になにも持っていないのだから。
心も魂も、なにもかも空っぽなのだから。
両親に愛されることなく生まれてきたのだから。
なんで……私は、なにもないのだろう?
――――――――――
日記はそこで終わっていた。
「……フィー……」
こみ上げてくるものが押さえられなくて、私はぽろぽろと涙をこぼしてしまう。
片手で目元を押さえるものの、それでも止まらない。
「私は……姉、失格です……」
今の今まで、こんなにもフィーが苦しんでいることに気づくことができなかったなんて。
こんなにも悩んでいるというのに、なにもしてあげられなかったなんて。
自分で自分を殴りたい気分だ。
情けなくて、悔しくて、悲しくて……
そして、ただただ、やりきれなくて。
「ごめんなさい……ごめんなさい、フィー……」
涙が止まらない。
悲しみがあふれる。
でも……そんなことをしている場合ではない。
しっかりしろ、私!
「……よし」
リカバリー、完了。
後悔することは必要かもしれないけど、立ち止まることは求められていない。
私はフィーの姉なのだから、やるべきことをやらないと。
「こんな悲しくて寂しい日記、もう二度と書かせませんからね」
私だけじゃなくて、フィーのバッドエンドも回避してみせる。
私は強い決意を胸に、部屋の外に出た。
それと……
勝手に日記を見てごめんなさいと、心の中で謝っておいた。