時間がない。時間がない。もう時間がない。
 アマルティアはごく普通の、平均的な魔法使いだが頭は決して悪くない。一つのことに特化して学ぶこともできるほうだ。あの勢いで禁号魔法の発動条件を理解して実行するまで、タイムリミットは一ヶ月がいいところだ。もっと早い可能性だってある。なんとかしてシンを救わねばならない。それが彼女の望みなのだから。
「カラミタ!」
「シイ? どうした、珍しい」
「お願いダ、力を貸してほしイ。シンが……シンが危ないんダ!」
「なんだと?」
 サイカの父親でシンの祖父であるカラミタは氷竜種のリーダー格だった。柔軟で力の強い、困ったらまず助けを乞おうと思うような、そんな存在。
 禁号の発動には条件がある。一つ、魔法陣を描くこと。二つ、その魔法陣の中に対象を据えること。三つ、範囲を指定すること。そして第六魔法であれば最後に、最低でも一種族分の持つ事実や記憶を改ざんすること。それによって得られるのは記憶を植え付けられただけの、肉体も魂も違う生前と似たような話し方や行動をするだけの何か、だ。竜も魔法使いも、さすがにそれを蘇生とは呼ばない。
 死は平等だ。遅いか早いかの差はあれど、基本的にはすべての生物の行き着くところである。それを覆すためのエネルギーが莫大なのは想像に難くないし、万物の終着点を捻じ曲げるのだから思う通りに生き返ることなどあるはずがない。
 長命であるがゆえに、竜も魔法族も死というものを大切にしている。それによって起こる世界の変化や痛みも悲しみも、すべてが存在した証だと考えているからだ。だからこそ、禁号魔法は長らく忌避されてきた。もう使われることはない、使っていいはずがない。悲しむことも、自分たちの矜持なのだとそれを封じたはずだった。
「もうアマルティアは正常じゃなイ、サイカと同じで彼に朝はこなイ! ボクは、サイカに望まれたことさえ、叶えてあげることもできないままデ……だからシンは、シンだけは!」
「詳しく聞こう、さあ、こっちへ」
 家のほうへとカラミタが促す。アマルティアのこと、サイカのこと。なんとなく気づいてはいたのかもしれないけれど改めてシイが、精霊が口にするというのはそれだけで大きな意味があった。
 精霊は何でもできる。ただなにもしない。それを知っていたサイカがそれを望まなかったのなら、生者がそれを捻じ曲げるわけにはいかないのだ。精霊にできないことを、竜族と魔法族ができるはずもない、していいわけがない。
 蘇生もそうだ。上位三種族ならなんのリスクもなく、蘇生が可能かもしれない。けれどアマルティアはすぐそばに居るシイにそれを頼んだりしなかった。知っているはずだ、サイカに望まれなかったことを、そして頼まれていないそれをシイが叶えてくれないことを。
 愛していた。それが愛という感情なのか、正しいところはわからない。けれどみんなの言う「愛しいと思う気持ち」に限りなく近いそれをサイカに対して抱いていた。サイカもそうだった。なぜ自分が精霊種なのかと何度も何度も考えた。答えは一つ、自分たちは結ばれる必要がないからだ。
 それでもよかった。アマルティアに嫉妬することはなかったし、シンは可愛い。精霊である自分はどこでも生きていけてその中にたまたまサイカがいただけだ。彼女が幸せに生きているならそれでいい。
 それだけだ。
 それだけのはずだ。
 だから、彼女の最期の願いを聞いてあげたいんじゃないのか。
 だから、自分はこんなにもシンを助けたいんじゃないのか。
「シイ……」
「みんなも嫌でショ!? シンを依り代にするのはたしかに確率は高いかもしれないヨ、血縁だシ、シンも霧氷竜だかラ。けど、それだけだヨ」
「ああ、いやだな。嫌だ……シンは俺の可愛い甥っ子だぞ、黙ってられるか」
「に、兄さん、けど魔法族と決別なんてしたら」
「そこが問題よねえ、アマルティアの父親っていないし、母親は今大陸のほうにいるはず。一ヶ月じゃ戻ってこないわよ」
 サイカの兄弟たちが眉根に皺を寄せた。長らく友好関係を築いてきたがここに来てそれが崩れ去ろうとしている。シンの命とはかりにかけたら、依り代にしてしまえと思うやつが少数派でもいることは想像に難くない。
 難しい顔をしているカラミタがぼそっと「第九なら」と言ったのを聞いて全員がばっと振り向いた。
「それは無謀すぎる! 失敗したらどうするんだ!」
「そうよ父さま! 成功したとして、その中がどうなるか知らないわけじゃないでしょ!? シンはダブルなのよ、何が起きるかわからないわ!」
 真第九魔法我捨区域包囲結界。
 もともとそれは、この百年で編み出された魔法族の魔法。強力な結界であるが故に、欠点も多く、監禁代わりに生き物を不老不死にしてしまう魔法だ。当初精霊たちがあまりいい顔をしなかったのも記憶に新しい。イレギュラーも起きやすくその力の大きさ故安定させるのも難しい。地盤が固まっているので古代魔法のほうが安定して放出できるくらいにはバランスの悪い魔法だ。
 それでもそれを使用する者たちが一定数いたのはやはり使うために進化した魔法だからと言える。
「禁号第六の発動とほぼ同時に真第九を使えば理論上問題ないはずだ」
「し、失敗したらどうするのっ、死んじゃうよ!」
「死にゃあ、しないだろう。サイカの息子だぞ」
「シンもだけど親父の話もしてるんだよ! バカなのか!?」
 禁号第六は、魔法陣の上に立たせた体から魂を抜き取り、その魂に穴をあけて中に記憶や行動情報などを無理やりねじ込む。魂の持ち主にはこの世の終わりのような激痛が走り、徐々に自我をなくしていく。
 そうして出来上がった偽物は器の手足や口を借りて行動するようになる。
 翻って真第九は魔法陣や目に見える代償を必要としないが安定しない難しい魔法だ。数字が大きいほど難易度の高い魔法。たとえそれが竜族であっても。

「見立てよりはるかに時間はかかったけど、それでもアマルティアは魔法陣を描き切った。家の床とか軒下とかに描いてあるのをシイが見てるべ」
「ああ、たしかに、なんか光ったもんな」
 自分が閉じ込められた日を思い出したのかその目線はどこか遠くを見つめている。
 曰く、どんな魔法であっても魔法陣は本来対象が入る大きさであれば問題ないそうだがアマルティアが書いた魔法陣は家一つがまるっと収まるほどの大きさだったという。よくばれなかったものだと不思議に思うが夜のうちに仕上げて翌朝発動させたのであれば、今よりも夜の濃かった当時は問題がなかったのかもしれない。
 まあ、そういう些末な疑問は置いておくとして。
「結局、そうして家一つ飲み込ませるのをシン様の十八の誕生日にしたんだべ。シン様が軸なのか、サイカの命日が軸なのかはわからないけど」
「……その禁号第六の発動をわざわざ見張っていたのか?」
「見張ってたってーより、シイはずっとシン様のそばにいたからその瞬間に竜族を転移させたみたいだぜっ、そんでそこに何人かの竜族で協力して第九を発動させたみてーだなっ」
「魔法族が作った魔法なのに竜族に使えるのか?」
「ジオルグの剣はああ、自分で材料集めて打ったものじゃないでしょおお? それと同じだよおお」
「ああ、なるほど」
「まあ、結果として禁号も真も発動したしどっちも成功してしまったんだべな」
 どっちも?
 それはおかしい。だって真第九を発動させれば禁号魔法は相殺できるかもしれないという話だったはず。第一シンは今こうして生きていて中身と外側がバラバラだというわけではないだろう。
 シン自身も初耳だからなのか、自身の手のひらを握ったり開いたり手の甲をつねってみたりしている。
 自分が何者か、なんてあまり考えたことがないが中身と外側がちぐはぐだなんてもしかしたら言われるまで気が付かないかもしれない。
 夢が夢であったことさえ、気づけないことがある。些細な違和感や、他人との会話で、ああ、あれは夢の話だったかと気づくような。そんな大掛かりな魔法夢とおなじような話ではないのか。
「まず、真魔法が成功して俺が助かった……ってことかな。かわりに俺の記憶は改ざんされたわけだ」
「一族に疎まれていたという事実はないわけだな」
「んだべな」
「嬉しいんだけど、思ってたものがまるっと間違いだといわれると、なんか複雑だな」
 そういいつつ徐々に思い出してきているのかその表情は柔らかい。中途半端に優しさを覚えていたのはその魔法の相殺の結果なのだろうか。
 自分を嫌っていたはずの祖父が本当は自分を愛していて、危険を顧みず自分を助けようとしてくれて、その結果自分がこうして生きていて、とそういうものを噛み締めているのだろう。
 おそらくこの壁の外側、巻き込まれなかったり生き残っていた種族たちにも少なからず影響があったはずだ。きっと罪の子の話はそこから来ているに違いない。
 諍いについての記述があいまいで、それに関する資料がないのはおそらくそういう事実が存在しないからだ。
 改ざんされなかったものもいただろうし、そうやってどこかで歴史の修正が行われてきているのだろう。千年もあれば、紙の上の記録なんていくらでも変わってくるものだ。壁の中のシンはそれを知ることができなかっただけで。
「禁号魔法については」
 一瞬アムが躊躇ったように口をつぐむ。そうだ、そちらも成功したのだと言っていた。
「まず、禁号第十一魔法に魂(たま)割(わり)転用(てんよう)っていうのがあってこれは魂を分割する魔法」
「分割?」
「もともとはああ、死にかけた人とかに寿命を譲渡する魔法なのおお、魂ってそのものがエネルギーの塊みたいなものだからああ」
 アマルティアはあらかじめ自身の魂をその魔法で分割していたらしい。ちなみにこの魔法は使っているところを見たことがないからという理由でその代償を精霊たちは知らないようだ。翼種なら知っているかも、というがそれくらい認知されていない、普通に考えて使わない魔法であるのはわかる。
 禁号第一魔法の時点で、然用第千とか二千と同等のエネルギーや難易度を要するという。数字が同じでもそこに求められる威力やレベルが全く違うということだ。そんなとんでもない魔法の、第十一。それだけでもう正気ではなかったのだというのがありありとわかる。思いのほか時間がかかったというけれど、シイが見ていなかっただけでなにかしらの準備をしていたら結局はそれくらいの時間が必要だったのかもしれない。禁号魔法を使うことを前提とした企みがおいそれと実行できるとは到底思えない。
「この成功した魔法の、成功っていうのは、要は分割した魂の一つにサイカの記憶を入れるところだべ。家の中に居たんだから第六の発動条件に合致したのはシン様とアマルティアの両方。ここで使われたのはアマルティアの分割した魂のほうだったんだべ」
「なんでそんな面倒なことをしたんだ、本来であればシンの魂と体を使って行われるはずだったのだろう」
「俺が霧氷竜の属性を持ってるから危惧したのかも、亜種ってのはそれだけ特別な存在だからうまくいかない可能性を考えてごく普通の魔法使いの魂を用意しておくほうが確実だと思ったんじゃないかな」
 愛と言えば聞こえはいい。死んでなお、命を受け渡すほどに愛するというのはどういう感情なのだろう。それは果たして単純な愛と呼ぶのだろうか。そこにシンがいないことを、サイカは絶対喜ばないとはたから見ていればわかるのに。
「んで、穴をあけて記憶をねじ込むのはアマルティアの魂のほうで起きたからそれが成功……ってこったなっ! ただここで問題が起きて」
 アールがえーと、と言いながらうつむく。最近気づいたが、言いよどむとうつむくのはアールの癖らしかった。
 アムもそう、イーズもそうでなにかしら癖がある。アムは眠くなると口をとがらせるし、イーズは手持無沙汰だと両手の肉球を合わせて爪を出したり仕舞ったりしている。
 精霊に愛着というと変かもしれないが、彼らに対してそういう「個」を感じるときがある。だから問い詰めたりする気にならない。こちらがささくれだった気持ちでいると三人はそれを感知しやすいし、そのうえで気分転換をしないかと声をかけてくれる。
 サイカもそうだったのだろうか。
 アマルティアは一緒にいたのに、シイのそういう「個」に気づかなかったのだろうか。
「アマルティアの奴、サイカの遺体に保存魔法をかけてたんだ。シン様覚えてる? 入るなって言われてた部屋あったんだけどさっ」
「……あったね。今思えば、あそこは臥せってたとき母さんが寝室に使ってた部屋だ。父さんに強く言われたから入ろうって思ったことなかったけど……」
 シイとサイカが最後の夜を過ごした部屋。
 シンが祖父と、花瓶に花を生けた部屋。
 朝は来ない、とシイは言ったらしいがその部屋の中はいつまでもサイカが亡くなった夜のままだったのだろう。アマルティアの喰われた心も、これから先一生訪れない朝も、その部屋に閉じ込められていたに違いない。
 朝が来たのはシンだけだった。
「遺体にもう一回魂を入れても動いたりはしないんだよねええ、うーんとおお、服を繕ってまた着れるようにしたとしても破けたって事実は変わらないじゃない? 死ぬっていうのは、そういうことなのねええ」
「それがどういうわけか、その魂の破片がシン様の体じゃなくてそっちにはいっちゃったんだべな。まあ、結果は……推して知るべし、というか……」
 気まずそうにシンを見て三人は肩をすくめた。まあ、そもそもがルールの穴をついた人体錬成のような魔法らしいし思い描いた結果にはならないだろう。
 そこまで聞いてふと思う。失敗したのなら、そのあとはどうした。
 シンの言い分では魔法が発動して壁が出来上がるまで数十秒とはいえ時間があったはずだ。その中心で同じように禁号魔法が発動していたのであれば壁の内側にいるのはシンだけではない。
 喉の奥から胃液がせりあがってくるような気がして思わず口を押える。もしかして、この結界が強固な理由は
「細胞と同じで魔力も遺伝に近いものがあって、似るんだよな。カラミタとサイカの魔力が似てるように、シン様とサイカの魔力だって似てるんだぜっ、だから」
「失敗した遺体と、巻き込まれた父さんは壁の内側に居て、魔法をかけた祖父とそれに反応した母さんの魔力が内側からも同じように壁を構築してるんだね」
「待て、待て待て待て、おかしいだろうお前の母親は死んだんだろう。共鳴して似るって、魂があっても死者は蘇ったりしないとさっきそういう話をしてたじゃないか」
「でもそこに精霊がいたら?」
 精霊。ハッとする。そうだ、そういえば転移させた後シイは一体どこに居た? カラミタのそばじゃなく、シンかサイカのそばにいたと考えるほうが自然ではないのか。
 精霊はなんでもできる。ただ何もしない。
 本当に? どんな状況でも必ずそうなのか?
 そんなわけ、無いだろう。
 だってシイは、特別だった。
「シイの記憶も少し飛んでるからあいまいで、これはアムたちの想像の域をでないんだけど……たぶん、精霊魔力に影響されて、魂にも体にも突然変異みたいなことがおきたんだべ。もともとシン様に渡すようにサイカに渡してたのもあるからそのへんもあるかもしれないべな。まあ、生き返らせたわけじゃないからサイカがサイカになったわけじゃないんだろうけど」
「内側から魔法をかけられてる。まだ魂は半分生きてる。ここでは精霊種と翼種以外は歳をとらない。……わかるだろっ? 山頂にある遺骸が、なんなのか」
『山頂に居るのは、亡骸。魂だけが空になった身体。その体の持ち主は……』
 山頂にある遺骸が、空になってなおこの空間に影響している。
 間違いなく、その亡骸はサイカのものだ。
 そしてその歪んだ影響力を生み出しているのは……
「シイの、精霊魔力を吸い込んだ父さんが居るんだね」
「生きて、いられるのか。シンだって食事や睡眠を必要としているのに」
「山頂がどうなってるかはわからないけど自分の食い扶持くらいなんとかできるレベルの魔法使いだよ。それか、精霊魔力をとりこんでるから、年を取らない程度に精霊寄り……食事なんか必要としない体になってるかも」
 きっとシイはアマルティアとサイカがここに居ることを知っていて、アマルティアから守るためにずっとシンと一緒にいて、自分の後のことをアムたちに任せるしかなかったのだろう。この中でも、年を取って、確実に死んでしまうシイにはそれしか方法がなかったはずだ。
「シイは元々ガレリアにいたからああ、シイの出来事は岩山とか地面とかそういうのに関するところなのねええ。この山の洞窟はシイの出来事が維持してるのおお。だからねええ、洞窟の中は凍らないしいいジオルグも息ができるしいい植物とかが育ったりできるってわけええ」
 初めてここに来た時、邸に庭があることに違和感を覚えた。その時は魔法というのは便利だな、くらいにしか思わなかったがそもそもそういう「生きていられる環境」を精霊が作り出し維持しているのだ。この体も、呼吸をしてすぐそばにシイがいたかもしれないと思うと不思議な気分になる。会ったことも、これから先会うこともない原初の精霊がいつまでもシンのためにこの狭い箱庭を構築している。
「山頂にいってほしくねーのは、そこにもう純粋な魔法使いじゃないアマルティアと、からっぽになったサイカがいるからなんだ。シン様が、傷つくと思って、だったら、ずっとシン様にここに居てほしかった。行かないでほしかった。凍り付かないでほしかった。俺たちはっ……それがどれだけ孤独なのかも、きちんとわかってたのに」
 屈折して、歪曲した、それでいてまっすぐな愛だと思う。シンを守ろうというのは元々はシイの意思であっても、それを守り続けようとしたのはこの三人が自由意志でそうしたのだ。
 三人なりの、精霊の価値観ではあるものの、ただシンを慈しむための優しさで、シンを千年間、少なくとも外から来た自分が「まとも」だと思うような人物にしていてくれたのはきっとこの三人の優しさがあってのことだろう。
 たとえそれが間違っていたのだとしても、それを責めることはできないのだと思う。
「俺は三人を責めないよ」
「シン様……」
「ありがとう、俺を、俺のことを、そんなにたくさん愛してくれて」
「でもっ、でもアムたちは……わあああぁぁぁ」
「うわあああぁあん、シン様、ごめんなさい、ごめんなさああいぃぃ」
 泣き出す三人にかわるがわる手を伸ばす。
 ここにはいないシイにも、あるいは聞こえているのだろうか。
 泣いて、笑うシンの姿を、シイが、原初の精霊が求めていたのなら、それが叶ったこの瞬間をどこかで見ていてほしいものだと、ジオルグは深く息を吐き出した。