追い出すことは諦めて、彼らを部屋に通してやる。男性は再び水泡を作りだし、玄関口で子供たちを遊ばせておいて、自分はミニテーブルの前に腰を下ろした。

 ……なぜか、みずほの真横で、みずほの肩をごくごく自然に抱いて。

「あ、あの、この距離感はいったい……」
「夫婦になるのだから、このくらいは当然だ。〝絶え間ないスキンシップは夫婦円満のコツ〟だと教わったからな」
「誰にそんなこと……わっ!」

 さらにぐっと引き寄せられ、みずほの心臓が跳ねる。

 極上の美形にこんなふうにされたら、嫌でも体温があがってしまう。
 羽内と別れてから異性との接触は皆無だったし、そもそもその羽内が、あまり恋人同士のスキンシップなどは好まないタイプだった。

(甘えたいなーって思っても、あんまり甘えさせてくれなかったっていうか……いや、私が自己主張しなかったのも悪いんだろうけど……)

 悶々と考え込むも、男性の白銀の髪が頬に触れたところで、みずほはハッと我に返った。

「と、とにかく離れて!」

 存外大きな男らしい手を引っぺがして、みずほは適切な距離を取る。
 男性は「嫌だったのか?」と首を傾げており、クールな見目に反してけっこう天然なのだろうか。

「それにしても、ずいぶんと狭いところに住んでいるな。まるで犬小屋のようではないか」

 サッと室内を観察した男性の口から出たのは、なんとも失礼極まりない評価だ。もうすぐ出ていくとはいえ、みずほにとっては大切な住処だというのに。

「ワンルームの寮部屋なんて、こんなものだと思うけど……」
「だがこんな部屋では、伸び伸びと子育てなどできないだろう」
「そ、それってなんなの? 私が母親とか子育てとか……は、花嫁とか。あなたたちの変な力のことも……」
「質問が多いが、まあいい。まずは喜べ――真樹みずほ。貴様は人間の身でありながら、名誉なことに、風神と雷神の子供を育てる〝親〟に決定した」
「はい?」

 よく通る声で朗々と告げられたが、みずほは内容を咀嚼しきれていない。

「なんだ、貴様は風神と雷神も知らないのか」
「そのくらいは知ってるよ」

 名前のとおり、風や雷などの天候を司る神様だ。
 古来より一対として扱われ、もっとも有名なのは俵屋宗達の〝風神雷神図屏風〟だろうか。大きな袋を持つ風神と、太鼓を担いだ雷神が雲に乗っている絵画は、みずほも学生時代に教科書で見た覚えがあった。

「まちぇ、まちぇー!」
「つめちゃい」

 何気なく、水泡と戯れる子供たちの方に視線をやる。
 みずほは先程の電気や突風のことから、信じ難い可能性を導きだす。

「も、もしかして、その風神・雷神の子供って……」
「察しは悪くないな、そのとおりだ。おなごが風神で、おのこが雷神だ」
「……マジじゃないよね?」
「マジだが」

 おきれいな真顔で返され、みずほはつい怯んでしまう。

「俺はこの地域一帯を治める、水神の水明。俺は水を司る神だ。これから一緒に子育てをする仲だからな、名を好きに呼ばせてやろう」

 えらい上から目線である。しかし彼も神様だというなら、人間相手にはこんなものなのか。
 またもや〝一緒に子育て〟とか、意味深な内容があったが、今は話を進めるためにみずほは触れずにおく。

「神にはそれぞれ役割があり、人間の世界を管理する重要な務めがある。だが我々神にも、人間の会社と同じで、いずれは退任の時期が来るんだ。わかりやすく言うと定年退職というやつだ」

 神様の定年退職。
 定年までの期間はおそらく相当長いだろう。

「その時が来たら、必然的に新しく神の子が生まれるようになっている。子がきちんと育ったら引き継いで、代替わりをするわけだ。そしてこのたび、現役の風神・雷神の退任が決まり、先日の嵐の夕刻に、次の風神・雷神候補が誕生した。それがあの子たちだ」
「先日の嵐……?」

 神社での出来事が、みずほの脳にフラッシュバックする。
 遭遇した例の赤ん坊たちは、やはり水泡で遊んでいるあの子たちで間違いないようだ。

「神の子は自然から生まれるゆえに、〝生みの親〟という概念はない。火の神は火の中から、大地の神は土の中から、海の神は海の中から……風神・雷神は雷が鳴り、風が吹き荒ぶ嵐の中からだ」
「じゃあ、あの嵐の日が、あの子たちの誕生日……」
「そうなるな。子供たちは生まれてすぐの頃は、自然のエネルギーを吸って、ひとりで急速に成長する。一週間もあれば、人間でいう二、三歳くらいまでは育つな。だがそれ以降は内面の発達も必要になるため、人間の子と成長速度は同じだ。〝親〟に任命された手近な神、〝養親(ようしん)〟ならぬ〝養神(ようしん)〟のもとへ預けられ、一人前になるまで養育されることになっている」
「えっと、でも、風神・雷神の子なら、現役の風神・雷神さんたちが育てればいいんじゃ……?」
「風神・雷神の子は、古くから水神が育てるのが習わしだ。風神・雷神のお役目はひとりずつしか就けず、現役の彼らでは子育てまで手が回らないからな。水神は地方ごとに複数いるから、審査を経てそのうちのひとりが選抜される。養神に選ばれることは、大変名誉なことなのだ」
「な、なるほど……」

 話の流れ的に、美しい白銀の髪を揺らすこの水神の水明こそが、栄えある養神に決定したのだろうが……。

「それでどうして私まで、一緒に子育てすることになるの……?」
「……少々、不測の事態でな」

 なんでも、神社でみずほが遭遇したとき、彼らはまさしく生まれたてで、水明が迎えに行くところだったという。あの神社は水神を祀っており、この地域にいくつかある水明の根城のひとつだそうだ。

 だが水明と対面する前に、赤ん坊たちはみずほと出会ってしまった。

「そもそもあの状態の子供たちは、普通は人間には見えないし、声だって聞こえない。だが貴様とは、稀なことだが波長が合ったのだろう。対面し、刷り込みで貴様を母親だと認識したらしい」

 刷り込みとは、〝刻印づけ〟または〝インプリンティング〟とも呼ばれる、動物行動学者であるコンラート・ローレンツが提唱した現象だ。雛鳥が孵化後すぐに見た対象を、親と認識するというもの。

 それが神の子にも適応されるなんて、みずほはもちろん初耳である。

「それに貴様は、子供たちの御霊にも触れただろう」
「御霊……?」

 なんのことかと、みずほは眉をひそめるも、次いで「あ!」と思い当たるものがあった。

「赤ちゃんたちが、あの、えっと、途中で光の球に変わったやつ……? まさかあれのこと?」
「そう、あれらは子供たちの魂そのものだ。生まれたては人間の姿を保つのも不安定であるから、時折ああなると『子育ての手引き』に載っていたが……」
「神の子用の育児書があるんだ……」
「御霊でくっついてくるのは、すでに心を開いている証拠だという。貴様のことを、子供たちは相当気に入ったということだ」

 みずほはあの日、光の球体……御霊が、冷えた体に分けてくれたぬくもりを思い起こす。あれは大切に大切に慈しみたくなるような、そんなとびっきり優しい温かさだった。

(離れたくないって、感じたんだっけ……)

「まぁま、おはなち、まぁだ……?」
「あきちゃー!」