「加藤くん、今日は私と遊ぼうよ」
いつもと変わらない日常。女には不自由してない。好きでもない女でも身体は嫌いじゃないし、抱こうと想えば誰とでもできる。だけど、最近はいい加減、面倒になってきた。女同士の争いに巻き込まれるのも。
ちっ…めんどくせぇ…。
俺に寄ってくる女はいちいち頭にくる。
「うぜぇ、帰れ」
つい本音が出た。傷つけた顔をして腕に絡みついていた女が離れていく。
余計なひと言だったかもしれないが…それでいいんだ、一生顔見せんな。
別に女なんてなくても生きていけるんだ。
俺から求めた記憶なんて一度もない。なのに、いつの間にか寄ってくる女たち。初めに一夜限りの付き合いをした日から誘えば誰とでも寝てくれるなんて噂が一気に女の間で広まったらしい(これも女から聞いた話)。うんざりする。
とある大学のとある一室。クーラーの効いた部屋が俺を癒す。扉は女が乱暴に閉めて反動で少し開いてしまっていた。その少しの隙間が廊下をちらつかせていた。廊下を走る足音が聞こえ、苛立たしげに隙間から外を軽く見やる。
そこを一人の女が走り去って行った。
あいつは…。何であの女が…。俺はあの女を知っていた。どこで知ったのかは今となってはわからない。
「へぇー…。ここの大学だったのか、間宮里未」
ニヤリ…
無意識に口角が上がる。少しは面白くなりそうだ。なんの好奇心か、俺はその教室から出、あいつを追うため走っていた。だが案外、あいつの足は遅いものだった。見失っては困るので、本気で走って追いかけたが、すぐにあいつを見つけることができ、焦った。
ここから俺の尾行は始まった。
間宮は走って、車の多い大通りにまで出た。
…どこ行くんだ、あの女…。
ケータイを取り出して、どこかへかけているようだ。少しして、女の前に青い車が止まり、女を乗せて走り出した。
「くそっ…あいつ、車かよっ」
しかもよく見えなかったけど、運転席にいたのは見たことない男だった。あいつの男か?イライラしてくる。
俺はとっさにきたタクシーをつかまえ、青い車を追わせた。まさか、尾行されてるとは思わないだろ。
人通りが無くなれば尾行は自殺行為だけどな…。
「くくくっ…ざまぁ…」
俺は青い車を注意深く観察する。間宮は助手席に乗っているのが分かる。しばらく目を逸らさず監察していた。
すると急に、青い車を運転している男が俺の方を振り返って見た。
「はっ…まじかよ…」
慌てて隠れるが遅い。驚いた。まさか見られるとは思っていなかった。それに完全に目が合ったように思う。…気づかれたか?
再度、顔を上げたとき、俺は後悔した。
今度はハッキリと顔が分かった。目が合った。男は俺を見ていた。口の端をあげ、面白そうにバカにした視線を俺に送っていた。背中を嫌な汗が流れた。
生きていて、はっきりとヤバいと感じるなんてそう無い。何なんだ…あの男。
間宮の尾行のはずが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
何であの女が…あんな男と同じ車に乗っているんだ!?ヤバそうな男なのは予想がついた。
目を逸らさなければいけない。なのに目が放せない。はやく、ここから逃げないと。
「おい、運転手、尾行はもういい!早く戻れ!」
慌てて叫んだが、遅かった。俺は次に起こることが理解出来なかった。
気がついた時は知らない家だった――
私は電話をもらってからすぐ大学の外へ飛び出した。焦りながらケータイを出して卓人を呼び出す。卓人は2コールで対応してきた。
ケータイずっと握りしめでもしているのかしら。と、そんなことより!
「ちょっと、卓人くん!?さっきの何!?」
「あれ、里未さん?どうしたの?まだ大学だよね?」
明るく能天気なトーンが返ってきた。一瞬でも気が抜けそうになる。どういうこと?
「さっきの話聞いて慌てたんじゃない!もし何かあるならって、おとなしくなんてしていられないよ。ちゃんと説明して」
「あぁー…そういうことね。本当に里未さんって真面目だし、優しいんだね。分かったよ、ごめん。今からそっち行くから裏門まで来て」
すぐに電話が切られる。ケータイをギュッと握りしめる。車が来る間、卓人のことを考えていた。何も無いならそれでいいんだ。向きこまれた以上、あまり殺人をしてほしくはなかった。
やがて青い車がやってくるのが見えた。
車に乗り込み、私はさっそく口を開く。
「卓人くん、私ショックだったのよ!?」
「落ち着いて、里未さん」
「落ち着いていられない!何だったの、さっきの意味深な電話!」
バンッ!!
卓人が窓ガラスを叩いたのだ。
いきなりのことにびっくりして自分の喉からヒュッと息が抜けるような音がする。
反射的に縮こまってしまい、目も同時に瞑っていたようだ。慌てて目を開けて、卓人の様子を伺う。
「黙れ、一回で聞け」
睨まれてしまう。冷たい声だった。卓人の荒い口調を初めて聞いた。
びっくりした…。
怒ったりするんだ。そりゃそうだよね。
「あの…ごめんなさい…うるさかったよね…」
俯いて謝る。目を見るのが何故か怖かった。あの目でまた睨まれていたらと思うと見れなかった。
「…ッ…ごめん、大声出して。里美さんは悪くないよ。ただの八つ当たり。謝らせるようなことしてごめんね。…僕が怖い?」
いつもの声とトーンで安心する。
「怖くない」
「そう…だったら顔を見せて。目を見てもう一度言ってよ」
卓人の手が頬に触れる、髪に触れ、耳に髪を掛けていく。横顔が卓人に晒されていく。
一つ一つの動作がゆっくりと丁寧で触れる手先が少し暖かい。慣れない行動に恥ずかしさが込み上げてくる。
まただ…。
恥ずかしい。こんなのもっと顔が見れなくなってしまう。やめてほしいとも思うのに、何故か何も出来なくなってまう。
覚悟を決め、卓人の方へ顔を向ける。
しっかりと目が合ってしまう。卓人の瞳に自分が映っているのが分かる。
相変わらず何を考えているのか全く読めない。
「ほら、言って」
また、楽しそうに笑って私を見てる。どうしてそんな顔を私にするの?いちいちおかしな勘違いが頭を支配してしまいそうになる。
「怖くないっ!だって、私は…むしろ…むしろ…」
「だめだよ、里未さん」
人差し指で唇がふさがれる。
言われた言葉にハッとする。明らかに止められた感じがする。言葉の意味を問おうとしたけど言えなかった。すでに卓人は私を見てはいなかったから。車を発信させ、後ろを見ながら冷たい目をして笑っていた。
「さっきの答えだけど、里未さんが言うなら何もしないよ。それにいまがすごく楽しいからね。…そうだ、面白いこと思いついた」
「え?」
「後ろに面白いのがいるだろう」
「え…あ、あのタクシー…?」
「そう…まぁ、正確には違うけど。」
…何、するの…。卓人は私の不安もお構いなしに口の端をあげて、笑った。
「3、2…」
唐突にカウントダウンを始めた。
「1…」
ハンドルを忙しなく動かし普通なら有り得ない動きをして無理矢理、後ろの車と並走し始めた。激しい動きに酔いそうになる。窓ガラスに頭も打つし…!
「ちょっと、何してるの!?卓人く…っ」
私が言い終わる前に車が横に傾き始めた。
「えっ?」
「喋ってたら舌噛むよ!」
卓人はハンドルを切って、タクシーへと体当たりさせた。
し、信じられない…!
映画のワンシーンでしかないようなカーアクション並の激しさだ。ここで可愛い女の子から怖さに叫んだりするんだろうけど、私は肝が据わっているらしい。息を飲んだくらいですんだ。
思い出し横を見ると、卓人は持ちこたえたが、タクシーは驚いてバランスを崩し、横に転がってしまった。遠ざかっていくのをぼんやり眺めてしまう。
「…里未さん?」
「な、なに?」
「大丈夫?ぼんやりして。何も思わないの?」
え?なにも、思わないかって?
私はハッとして横を見て青ざめる。
「ちょっ…止めて!!」
「…」
無言だったが、卓人は車をバックさせ、タクシーまで戻ってくれる。車が止まるとすぐに降りて、タクシーへと駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
やはり声はない。
中には運転手と後ろに青年が一人乗っているようだ。どちらも気を失っているだけのようだ。
良かった、死んでたらどうしようかと思った…。
扉をこじ開けて後ろに乗っていた青年を引っ張りだす。体格差から引きずるような形でやっと外に連れ出す。その頃には息が上がって疲れていた。
「里未さん、その人には顔しっかり覚えられてるから連れて帰るよ。使えそうなのは無駄にはしないからね。…それで、タクシーの運転手には悪いけど、厄介だからそのへん置いといてね」
少し迷った。だが、運転手を卓人のアジトに連れて行くわけにはいかないと思った。
大人は意外と脆い。電話で助けを呼ばれたら卓人も私も危ない。
「わかった。その人、どうするの?抱える?重くない?」
「大丈夫だよ。僕も男だし、力には自信があるよ」
青年を肩に担ぐように持ち上げる様を関心して見つめてしまう。本当に力が強いみたいだ。車まで運ぶと後部座席に横たえる。こんなに動かしてるのし急に目が覚めないかビクビクしてしまう。いま目覚めるのは少し間が悪いと思った。
「里未さん、早く乗って。あいつが目を覚ましたらシャレにならないんだから」
あいつとはタクシーの運転手のことを言っているのだろう。チラリと一瞥した運転手は眉間に皺を寄せて苦しそうな顔で気を失っていた。
「そ、そうね…」
助手席に乗り込めば、すぐに車は動き出した。
「ねぇ、卓人くん、この子運ぶの手伝わなくて本当にいいの?」
後ろを見ながら聞く。卓人は前を向いたまま答える。
「言ったでしょ。力には自信があるんだよ。それに、か弱い女の子の里未さんに成人した男を任せられないよ」
だからそれ、どういう意味なのよ…。勘違いしそうになる。本人からも好意を拒絶されたようなもんなのに。どうして私、こんなにも意識してしまうの。好きになってはいけないのに。犯罪者で殺人者で殺し屋…有り得ない。絶対ないのに…。卓人があまりにも距離が近いから。振り回されてるみたいだ。
「あ…そうね、ありがとう…」
私は改めて後ろの男を見る。仲間にする…って、どうして?それは顔を見られたから…。そうだよね、全然おかしなことじゃない。なのに、私どうしてそんなこと…思ったんだろう。
私だけじゃなかった、なんて…。
もやもやした思いはなかなか消えてはくれなかった。
「ねぇ…危なくないの?その人…後を付けてたんでしょ?」
「え?まぁ…そうだね?でも、気にすることないよ。そこまでやるような男じゃないよ。後をつけていた狙いは僕じゃなくて君だったんだろうしね。ねぇ、里未さん、この男を僕は全く知らないんだよ。だからね、忘れているだけで里未さんはこの人を知っているんじゃないのかな」
え…?私が、この人を…知っている?
だけど、記憶のどこにもこの人の顔を認識していなかった。初めて会ったと思っていた。
「あぁ…いいよ、無理に思い出そうとしなくても。使えそうな人間は使わせてもらう。殺すのはもったいない。それだけだよ。ほら、里未さん、着いたよ。玄関開けてもらえるかな。リビングのソファ…そこに寝かせるから。…僕はこのあと行くところがあるから、そいつを見ててくれる?」
時計を見ながら告げられる。
「あ、うん。いいけど…どこ行くの?」
軽く聞いただけだったが、卓人からの返事がなくて顔をあげる。バッチリ目が合った。見られていたらしい。ドキッとするのもつかの間、卓人の表情がおかしい事に気づく。
ゾクリと背中が震えた。
目元はぱっちり開いているのに口元は歪むように笑っていた。
怖い、と一瞬でも感じてしまった。
「知らなくてもいいんじゃないかな」
「そ、そう…だね…」
男をリビングのソファに寝かせた後、卓人はすぐに家を出て行ってしまった。
きっと…その答えは本当に知らなくていいこと何だろう…。私に知られては困る何か…。私が関わると面倒な何か。きっと…。
あの人は今晩、誰かを殺しに行く。
身体中に走る全身の痛みで目が覚めた。
…ここ、どこだ。
明らかにベッドじゃなくソファに寝かされている。ソファでなんて寝たことがなかったから寝苦しく落ち着かない。
横を向いた先にはあの女が机に伏せて寝ていた。何で間宮里未が…いや、そもそも何で俺はここで寝てるんだ。
あのイカれた男と目が合って…それで…。嫌な汗が背中を流れていった。
そうだ…俺、車で…あいつにひかれ…て…。
「うっ…!」
思い出そうとすればするほど、拒否反応が働いて頭痛がする。
とりあえず…このままここに居るのはマズイだろ…。身体を起こして室内を見る。綺麗にされていて不審なところが1つもないことに逆に不審に思えてしまう。
あいつが戻ってくる前に…。
「よし…出るか」
「どこに出るって?」
ビクッ!
いつの間にそこに居たのか、扉の前で腕を組んで立つ、あいつがいた。
足音しなかったぞ!?何なんだよ、こいつ!
「お前…何なんだよ。さっきも見て脅してきたじゃねぇか!」
「…脅す?心外だね。君も言ってるじゃないか。僕はただ"見てた"だけだ。まぁ…君の乗っていたタクシーを大破させたのは事実だけどね」
「な、なにが言いたいんだよ」
情けないことに言葉まで震えてしまう。目の前の男にはそれほどの冷酷さがあった。明らかにどこかおかしな男だと分かる。
「そうだな…君には選択肢を与えよう」
見開かれて気味の悪い目と不敵に笑う様は不気味で恐怖さえ感じさせた。
「1、ここを出ていく。2、里未さんと同じ道を選ぶ。3、僕に殺される。…さぁ…じっくり考えて選びなよ。これはチャンスだ。君の人生さえ180度変えることになる。つまらない女達に囲まれるのは疲れたんだろ?」
何で、それを知ってるんだ!?あの短時間で調べあげたって言うのかよ…!
警戒心たっぷりに目の前の男を観察する。
見た目は…優男にしか見えない。なのに眼光とか冷酷さがある。
「僕と共にしないか?…いい返事を待ってるよ」
は?どういう意味?俺そっちの趣味は…。
「ちょっと待てよ…いきなり意味わかんねぇんよ、あんた…共にってどういう意味だよ。殺すとか、何だよ…逃がしてくれそうにないけど、逃げるのも選択肢あんのかよ?名前とか聞いてないけど」
「よく喋るねぇ、キミ。…僕は桐生卓人。君がいま、生と死の狭間にいることがよぉ~く分かったかな?…1を選んだところで生きて帰れるわけないだろ」
まさか!!
き、きりゅう!?あの桐生!?まさか、じゃあ…間宮はこいつと…。
「…分かった。2番だ。お前のところに居てやるよ」
答えは簡単だった。従うのが生き残れる手段だ。
「そう。話が早くて助かるよ。君はそう言うと思っていたよ、加藤晶くん」
はっ…名前…いつ知られたんだ!?
いや、何もおかしな事じゃない。俺のつまんねぇ生き方を指摘したんだ。名前調べないわけないか。
気まずくなって視線を逸らす。視線の先で机に伏せて寝ていた間宮が顔を上げた。
「ん…あ、卓人くん。出かけてたんじゃなかったの?」
「いま、帰ってきたんだよ。彼もここで僕の役に立ってもらうことになったから。よろしくね」
「…それは私に面倒を見ろってこと?押しつけはダメだからね。彼を誘ったの卓人くんなんだから」
「はいはい…全部押し付けるわけじゃないよ。教育を頼んでるだけだよ。僕はここにいるから里未さん、人数分だけ何か作ってきてよ」
「もう…人使い荒いんだから…」
ブツブツ言いながら間宮がキッチンに入っていった。
二人の会話を黙って聞いていたが、驚いた。
あまりにも間宮が堂々としている。桐生との生活が長いのか?怖いとか思わないのか。
「君…何か変なこと考えてない?」
二人になったリビングで桐生が話かけてきた。
「何かって、何だよ…」
「例えば、里未さんが僕の側にいることを不満に思っている。とか、僕が里未さんを無理やり側に居させてる。とか、僕が里未さんの悪影響になってる。とか、そういう類いのことだよ。おや…その顔、図星かな」
「っ…!だって、そうだろ!?選べとか!強制してんだろうが!」
何でこういちいちイラつくんだ。
「はは…心配なんだ?キミ。里未さんのことが。あぁ、もしかして里未さんのことが好きなのかな?」
カッと顔が熱くなる。
「そ、そんなわけねぇだろ!!誰がおんな女!」
そんなはず、ない…。だって、俺はあいつを…。
「まぁ…キミが彼女をどう思っていようが僕には関係ないけどね。むしろ、僕は彼女を気に入ってる。その僕が彼女を殺すわけがない」
「は…?」
それってどういう意味…。
「里未さんは変わった人だね。自分の意思でここに居ることを選んだんだ。彼女の真意は僕ですら読めないよ」
「なっ!?嘘…言うなよ…」
ニヤリと口角が上がって悪い顔になる。
「信じる、信じないは…君しだいだよね?」
信じろって方が難しいだろが…。俺が本当に知りたいことを桐生は分かっていてあえてそれを教えないような気がしてくる。
「1つ、僕から言えることがあるなら…僕はこの世で1番嘘が大嫌いだよ」
じゃあ、さっきのことも事実…。
居心地の悪い空間に足音が聞こえて、キッチンから間宮が出てきた。
「卓人くん、出来たけど食べる?」
テーブルに食事を並べていく。
「ありがとう。いつもごめんね。料理はあまり得意じゃなくて…」
「私が好きでやってるんだから。ただ、居るより役に立つことする方が有意義だよ」
「ほら、君も席ついて。せっかく里未さんが作ってくれてるんだから」
そういえば…気が張って忘れてたけど、お腹空いてるかも。しぶしぶ二人について行った。