「ラル、あれはなんだ?」
「ん? あれは……水の精霊ウンディーネだね。スレイプニールが召喚したんだろう。ごめんね、"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 常陸したのは岩場で、お国は洞窟のような場所が見えた。
 捕虜にしている海賊は、そこがアジトだと嘔吐しながら教えてくれた。

 洞窟は海水が流れ込んでおり、入口にはぷかぷかと水が浮かんでいるのが見える。
 これがウンディーネだ。
 よく見ると分かるけれど、手のひらサイズの女性エルフのような形をしている。

「ラル、精霊にもバフ効くのか?」
「効くよ。まぁバフにもよるけどね。ほら、見てごらん」

 魔力を上昇させるバフ、パワー・マジック。
 精霊は魔力の塊みたいなものだ。生命力がそのまま魔力に直結している。

 魔力を上昇させるバフを反転すれば、魔力を低下させる効果に。
 精霊は魔力が低下するとこの世界では具現化できなくなって、精霊界に戻ってしまう。つまり消えるのだ。

 洞窟の前でふよふよしていたウンディーネたちは、全てはすぅーっと消えてしまった。

「さ、中に入ろうか」
「ラル殿は怖いものなしだな」
「え? そんなことないですよ。魔王や四天王なんかやっぱり怖いですよ。あとドラゴンとかも。なんせ俺、ただのバッファーですから。攻撃魔法もろくな威力がないし、当然ですが接近戦も出来ませんからね」
「怖いものの基準がおかしい……」

 お、おかしい?
 いや、魔王とか四天王とかドラゴンって、みんな怖いよね?
 べ、別におかしいこと言ってないと思うんだけど?

「ラル。人間の臭いが洞窟の奥からこっちに向かって来ている」
「海賊かリデンの兵士かな。バフよぉーい!」
「ラル兄ぃ楽しそうだな! よし、俺も……ん? ラル兄ぃ、こっちに来てる奴、テイマーやで」
「ん? そうなのか?」
「テイマー特融のにおいしとる」

 従魔にはテイマーが近くに来ると分かるようになるらしい。
 確かにテイマーは普通の魔術師とは毛色が違う。

「バフ変更。さぁ、来いっ」

 手をわきわきしながら、逸る気を押さえて洞窟をガン見する。
 ほどなくして、リデン兵と思われる男たちとローブ姿の男がひとり出てきた。

「ありがとうございます! バフらせていただきますっ! "韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、そんでもって"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 お礼を言ってからバフる。

「バフ!? な、なんだこれはっ。か、体がいうことをきかない」
「これがバフだと!? デバフの間違いだろうっ」

 ある意味正解だけど、ここは不正解ってことにしておこう。
 だって俺の魔法は確かにバフなんだもん!
 呪いで効果が反転しているだけだもんコンチクショー!!

 しかしローブの男にも一発でバフが付与されたようだ。
 不意打ちってのあったんだろうな。
 いや、バフだからこそ抵抗されなかったに違いない。

 デバフや精神攻撃系の魔法は抵抗が可能だ。勝敗は術者と対象の魔力で決まる。より魔力が高い方が勝つが、まぁ例外としてはアレスやレイみたいに、鍛え上げられた精神力ってのもあって、唯一戦士系が魔術師に勝てる要素でもあった。
 また魔術師同士の場合、魔力以外にも不意打ちによる勝利もある。
 今回はこれによるものだろう。

 相手はスレイプニールを使役するようなテイマーだ。生半可な魔力では勝てるはずがない。

「よし、念のため上乗せしておくか。"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 バフは通常だと能力の上乗せを出来ない。
 が、制度を上げまくった俺のバフは、三回までは上乗せが出来た。
 ただマリアンア曰く「バフられた側の身体的負担が強いようです。効果が切れると凄く……疲れるんです。ごめんなさい、ラル」なんだとか。

 今回は味方相手にバフっている訳じゃない。
 疲れようが苦しかろうが、俺には関係ないので心置きなくバフった。

「き、さま……な、何をした!?」
「何って、バフっただけですよ?」

 息まくローブ男と、必死にこちらに向かって駆け出そうと最初の一歩をやっと踏み出したリデン兵。その手はまだ剣の柄には届いていない。
 その前に魚人族が雄叫びを上げ、武器を手に飛び掛かっていった。後ろからどすどすとダンダさんも付いていく。

 アーゼさんたちは動かない。

「仲間の敵討ちだ。成し遂げさせてやろう」
「そういうことですか。ダンダさん、テイマーを先にやってください。スレイプニールが来ては面倒ですから」
「承知した」

 ふんすっと大きな戦斧──ハルバードを抱えたダンダさんがテイマーに迫った。
 そしてハルバードを振りかざして……だがそれを邪魔するモノが現れた。

『待て、ドワーフよ』

 膨大な魔力を感じて、久方ぶりに身震いをした。

 すぐ脇の、水路のように繋がった海水から現れたのは、純白の馬。

 いや、下半身がまるで人魚のような──海の魔獣、スレイプニールだ。
 
 ごくりと喉を鳴らし、俺はスレイプニールに向け呪文を唱える。
 もちろん、バフだ。

 だがスレイプニールがこちらを見た。

 目が合う。

 冷たいものが背中を流れる気がしたが、でも何故か次の瞬間には恐怖を感じなくなっていた。

 青空を映し出した海面のように真っ青は瞳が、とても柔らかな光を宿してこちらを見つめてくる。

『人間よ、案ずるな。我はそこなテイマーに復讐をするだけだ』
「復讐、ですか?」

 テイマーの魔力が低下したことで、スレイプニールは従属に抵抗して打ち勝ったようだな。

『そうだ……よくも……よくも我が子を盾にしよったな!』

 子を盾に?
 スレイプニールの子供を捕まえ、それで従わせていたってのか?
 
 子供を人質にし、その間にテイミング魔法で強制的に従わせていたのか。
 なんて卑怯な奴だ。

 それを聞いてダンダさんが後退する。
 と同時にスレイプニールが身を乗り出し、海から上がって来た。

 あぁ、なんて美しい魔獣だろうか。
 馬である上半身は真っ白は毛並みで、その鬣は長く、海中にいたというのにさらさらと靡いている。頭にはユニコーンを思わせる角があって、下半身の魚の部分もうっすらと虹色に輝いていた。

 が、テイマーにとっては恐怖の対象だったのだろう。

「ひあっ。、ひぎやああぁぁぁぁぁぁーっ!?」

 ただただひたすら悲鳴を上げていた。
 たぶん必死に逃げようとしていたのだろう。だけど俺のバフで超スローモーション。

「ゆるしてくれっ、ゆるしてくれっ。お、俺はリデンの領主に命令されただけで、俺は何も悪くな──」

 それがテイマーの最後の言葉だった。