反転の呪いを受けた最強バッファーは最狂デバッファーとなって無自覚無双でスローライフを送る?

「じゃあクイ。ここから町の中に向かって頼むよ」
「任せろ!」
「お前にしか出来ない仕事だからな。頼りにしているぞ。あと少し大きめで頼む」
「任せろ! オレにしか出来ない仕事だからな!!」

 デバフのおかげか、夜の間にマリンローの近くまでやってくれた。
 あまり近づきすぎると川を陣取っているモンスターに見つかってしまう。
 ウーロウさんの鱗が乾かない様、たくさんの水を用意して収納袋に入れて陸地を移動。
 町を囲む防護壁が見える所まで来たら、あとはクイに地下道を掘って貰うだけだ。

 さすがに時間がかかるので俺たちは一休み。

 東の空が白み始めた頃、

「ラル兄ぃ、掘ったぞ!」

 と、元気よくクイが穴から出てきた。

「言われた通り、まーっすぐ掘って上に建物のある所に穴を開けたぞ!」
「よく頑張ったな。ありがとう。疲れたのなら休んでいてもいいぞ」
「オレまだまだやる! オレ強い!」

 うん。まぁ敵をバフって弱体化させるから、クイでも平気か。

「よし、それじゃ──」

 起きてきた全員に向かって、

「朝ごはんにしよう!」

 そう伝えた。
 腹が減っては戦は出来ないって、昔の偉い人が言ったとか言わないとかね。





「誰かの家かな?」

 クイが掘った穴は、人がひとりやっと通れる大きさだったけどそれで十分だ。
 穴の先は民家のようだったけど、住人の姿は見えない。
 まぁ家の中の様子からして、連れていかれた……んだろうな。

「ここは……知り合いの家です」
「魚人族の?」
「はい……小さな子供もいたのですが」

 全員連れていかれたのか。

「ラル、外静か。モンスターあまりいないみたいだぞ」
「本当か? もしかして引き返したんだろうか?」
「でもゼロじゃないし、人間の臭いは結構する」

 海賊か。
 窓の隙間から外の様子を覗くと、見るからにガラの悪そうなのが何人も見えた。

「ウーロウさん」
「あれは海賊です」
「分かりました。じゃあみんな。まずは俺が──」
「「了解」」

 そっと窓を開けて、見えている範囲にいる者全員にスピードアップを付与。
 すぐに彼らは異変に気付くが、気づいても全員がゆぅ~っくりとしか動けない。

「もう一つ。"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"」
「よし、行くぞ!」

 二つ目のバフを見届けて、アーゼさんが飛び出した。
 すぐにティーとリキュリアが飛び出し、更にウーロウさんも続いた。

 ん?
 クイはどこにいったんだろう?

「オレは強い! オレは強いんや!!」
「え? アーゼさんの肩に乗ってんのか!?」

 クイのやつ、ちゃっかりアーゼさんの肩に捕まってやんの。
 
 さて、俺もじゃんじゃんバフろうか。

 俺たちの姿を見て「てめぇーら! どっから入ってきやがった!」とか言って武器構えて走って来る奴らには、とりあえずスピードアップ。
 それからウーロウさんを呼んで、町の住民かどうか確認する。
 まぁ町に住んでいた人間は、逃げるか裏切って海賊を招き入れたような連中なので、スピードアップバフぐらい問題ないさ。

「海賊です」
「そうですか。じゃあ追加バフっと──」

 バフれる。バフれる。
 楽しいなぁ。

 肉体強化までバフれば、ひ弱な魔術師である俺でも杖の一撃で倒せる。
 相手を動けなくすればいいので、足を思いっきり叩けば呆気なく骨が折れて海賊が悲鳴を上げた。

「ラル! あっちから二十人ぐらいくるぞ!」
「そうか。二十人か!!」

 二十人にバフれるんだ!!

 悲鳴を上げて転げまわる海賊を無視してティーが指さす方角へと行くと、武器を構えて走って来る連中が見えた。

「はぁ、はぁ……"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"!」

 バフるとき、仲間たちより前に出なければならない。
 だけど相手との距離があれば何も怖くない。
 ずっとたくさんのモンスターと戦って来たんだ。二十人の海賊なんて、少ないぐらいだ。

 ただ普段バフるのはパーティーの仲間にだけ。
 王様の「ラルはいったい何人同時にバフれるのだ?」という素朴な疑問から始まり、王国騎士団相手にバフってみたら一〇八人までいけた。
 それ以上だと正直、人の姿が上手く認識できなくて付与できないというのが分かったんだよね。

「な、なんだ!? なんで体がっ、くっ。う、動かねぇ」
「いやいや、動いてるから。ただ超遅くなってるだけ。さぁ、どんどん行こうか?」

 俺は杖を握りしめ、次のバフの詠唱に入る。

 この時きっと、顔が物凄く緩んでいたと思う。

 悪い連中をバフるって、こんなに楽しいことだったんだ!

「ふはは。バーフ、バーフッ」
「ラ、ラル……怖い……」
「ラル殿、気を確かに持て!!」
「ふふふ、ふふふ。楽しいなぁ。もっと海賊いないかなぁ」

 船着き場のほうへと進みながら、向かってくる海賊をどんどんバフっていく。
 それにしても、海賊というには人数が多くないか?
 一隻の船に乗り込める人数じゃない気がするけど。

「ウーロウさん。海賊船は何隻来ましたか?」
「船着き場に入って来たのは四隻です。他にも海上に三隻いました」
「全部で七隻!? 海賊にしては多すぎる……」

 もちろん海賊だって徒党を組んでいる奴らだっているだろう。
 だけど七隻を動かせるだけに人数がいたら、食料の問題とかでいろいろ無理が生じるはず。

「救援要請を伝えに行った者たちは、元々リデンの人間だって言っていましたね?」
「え、ええ。それが何か?」

 リデン──マリンローと同じく海岸の町だ。
 ただ近海の潮の流れの影響で大型船も停泊しにくく、港町としてはあまり栄えていないんじゃなかったかな?

 もし……もしもだ……。

 リデンがマリンローを狙っていたら。

 魚人族が欲しい海賊と、町そのものが欲しいリデンとが手を組んだとしたら……。 
 
 その予感は船着き場までやってくると、現実のものとなった。
 船着き場に到着すると、そこには信じたくなかった光景があった。
 停泊している船は二隻だけ。
 片方はおなじみの黒字に白い髑髏マークの海賊旗。そしてもう片方は──

「そんな……リデンの旗が……」

 ウーロウさんが愕然と肩を落とす。
 やっぱり……リデンが一枚絡んでいたようだ。

 だけど俺はある点にだけほっとしている。
 リデンはドリドラ国に所属する地方都市だけど、船に掲げられている旗はリデンのものであってドリドラ国のものではない。
 ってことは、国そのものは関わっていないのだろう。

「ま、地方都市だろうが国だろうが、隣人に危害を加えると言うのなら懲らしめておかないとな」
「ラルさん……」
「さ、ウーロウさん。行きますよ!」
「はい!」

 わざと大きな声を出して、船の中にいる海賊や兵士が出てくるように仕向けた。
 外にいた連中には感謝の気持ちを込めてバフ。
 弱体化したところにアーゼさんたちが次々と止めを刺して行く。

 船を制圧するのはそう難しくもなく、十分ほどで全員物言わぬ骸となった。

「デインズ! デインズか!?」

 船の中に隠れている奴らがいないか見て回っていると、ウーロウさんが大きな声を上げた。
 薄暗い船倉に、何人──いや何十人もの魚人族が鉄格子内に閉じ込められている!

「か、鍵……倒した海賊たちの中に、鍵を持っている者がいなかった?」
「いたとしてもわざわざ確認して止めをさしてはいなかったからな……探してくるか?」
「アーゼさん待って! ラル、あなた施錠魔法は使えないの?」
「施錠……あ!」

 鍵を掛ける魔法が施錠魔法だ。
 反転させれば、鍵を開ける魔法ってことか!

「"閉ざせ──キー・ロック"」

 唱えると、カチャリと音を立てて鉄格子の扉が開いた。

「動けますか?」
「あ、あぁ……あんたは?」
「俺はラルといいます。ウーロウさんの要請を受けて、皆さんを助けに来ました」
「人間……が?」

 きょとんとする魚人族の男性の前に、ウーロウさんが駆け寄る。

「この方はな、魔王を倒した勇者なんだぞ!!」
「「なんだって!?」」
「待って待って待って!! そこ誤解を生むから正しく伝えてくださいよっ」

 俺は勇者じゃなくって、勇者パーティーのバッファーなんだってば!





「ありがとうございます勇者様。わしはこの町の町長をしております、ポッチュラと申します」
「いえ、あの……勇者ではなくてですね」
「存じております。勇者パーティーの方なのでしょう? つまり勇者様のおひとりということではないですか」

 勇者パーティーの全員が、勇者だって認識のようだ。
 そういうことなら仕方ない。はぁ……。

 二隻の船の船倉には、それぞれ三〇人ほどの魚人族が捕らえられていた。中には他の種族も混じっていて、だけどもその全員が亜人──人間てはない種族の人たちだ。

「傷の手当、全員すみましたかね?」
「えぇ、おかげ様で。出血の多かった者は、港の宿舎に運んで休ませますので」
「そうしてください。回復魔法では増血効果はありませんので」

 傷を負っているのは抵抗した人たちだという。だから男性がほとんどだし、あとドワーフには重傷者も多かった。
 大地の妖精族であるドワーフは、力自慢の戦士が多い。
 頑固者で、そして義理人情にも厚かった。
 きっと、同じ町で暮らす住民が連れ去られるのを見て戦ったのだろう。

「さて、町の人がどこに連れ去られたかだな」
「それなら……わしが知っておる」

 魚人族に支えられ、やって来たのはひとりのドワーフだった。
 さっき怪我の治療をした人だったな。かなり傷が深く、出血も多かったはず。

「休んでいないとダメですよ」
「休んでなんかいられんわい。隣人がみんな連れていかれたんじゃ。わしだけのうのうと休めるかっ」

 こういうところがドワーフらしい。

「町長、近海の海図を」
「う、うむ。おい、誰かダンダさんに椅子を持ってきてやってくれ」

 町長が慌てて近くのため物へと向かい、暫くすると大きな包み紙を持ってやって来た。
 その紙──海図が船着き場の地面に広げられる。
 するとダンダと呼ばれたドワーフが椅子から下りて、海図の脇に腰を下ろした。

「ここだ。わしが奴らに捕まった時、別の船が出航準備をしておってな。奴ら、海難島に向かうとか言っておった」
「海難? 随分物騒な名前の島ですね」
「本来は群青島という名前で、海図なんかにもそう記されています。ただ……海難事故多発地帯でして」

 それで船乗りや海岸沿いに暮らす人たちからは、海難島と呼ばれているのだと町長さんが教えてくれた。
 島の周辺には岩礁があり、海流も渦を巻くように流れているそうな。

「しかし魚や珊瑚が多く、なんとか漁に出ようとする船もいるのですが……」
「船が近づこうとすると、潮の流れが急に変わるんじゃ。それでも無理やり島に近づこうとすれば、沈むんじゃよ」
「なんだか人為的な感じですね」

 そう呟くと、町長がぽつりと「海馬がおりますから」と漏らした。

「え!? スレイプニールがこんな近くに!?」

 海図の上では、マリンローからそう遠くはない場所に島はあった。
 むしろ俺たちのキャンプ地のほうが遠いぐらいだ。

「年がら年中いるわけじゃねぇ。年に一度の祭りんときぐらいだ」
「しかし島には年がら年中、近づけないのです。恐らく結界のようなものが張られているのでしょう」
「なるほど……スレイプニールならそれぐらい可能でしょうね」

 しかし、そうなると海賊たちはどうやってスレイプニールに近づいたのか。

「もしかして、その祭りの時だけ島に近づける……とか?」

 俺の質問に、町長さんとダンダさんが頷いた。
 祭りの当日だけ、島に上陸することができる。その日だけが島の周辺で漁が許されているのだとか。

「島に上陸してスレイプニールをテイムしたのか」
「祭りは二カ月前に終わっております。その時に……ということか」
「そうでしょうね」

 今、島の周辺の潮が穏やかになっているだろう。
 だけど仲間以外の船が近づけば、きっとスレイプニールの力を使って潮の流れを変えてくるはず。
 なら──

 船着き場に停泊している船を見上げる。
 海賊船とリデン所属の船だ。

 問題は……

「船って、どうやって動かせばいいんですかね?」

 本はたくさん読んだ。
 残念なことに、船の操舵方法を解説した本は──読まなかった!





「まもなく海難島が見えてきます」
「分かりました。それじゃ、よろしく頼むよ」

 ウーロウさんと、他二十人ほどの魚人族が船を操作してくれている。
 彼らは泳ぎが得意だから、一見すると船の操作なんて必要ないだろうと思ったらそうでもないらしく。
 さすがに海流に逆らって泳いだりはできないし、人間が丸一日歩き続けるのが困難なのと同じで彼らも丸一日泳ぐのは体力的に無理なんだとか。
 だから操舵もするし、むしろ得意なんだって。

 そして俺が「頼むよ」と言った相手は──

「……ちっ」

 捕虜にした海賊十人を乗船させている。
 甲板の上に海賊以外の者ばかりでは、乗っ取ったこともすぐにバレてしまうだろう。
 そうなったらスレイプニールの結界に弾かれて、常陸できなくなると思う。
 それで乗船させたんだけど。

「あ、そういう態度? うん、いいよ。それならそれでいいよ。"リラクゼーション"」
「うぎっ……う……うぅ……気持ちワリぃ……わ、分かった。分かったから、勘弁して……く……うぉえぇー」
「うわっ。吐くなら船の外で吐いてくれよ。うわぁ、汚いなぁ」

 手招きして海賊を呼ぶと、吐しゃ物を掃除させた。

「別に何かしろって訳じゃないんだ。ただ甲板に立って姿を見せていればいいから」
「そ、そうしたら見逃してくれるっていうのか?」
「そういう訳にはいかないよ。ただ協力してくれたってことは、ちゃーんと報告しておくから」

 ただどこの誰に報告するとは言っていない。
 そもそもどこに報告すればいいんだろうね。
 マリンローは独立地帯だし、あの町で一番偉いのは町長さんだ。
 町長さんは彼らが乗船する場面も見ているし、今さら報告する必要もない。海賊たちをどう裁くかは、町長次第だ。

 島に近づいて来たら、海賊たちにはスピード・アップのバフを付与。
 船乗りには手旗信号なんてものがあって、言葉とは別の手段で連絡を取り合うことができる。
 海賊にもあるのかどうかは分からないけれど、もしあったとしても動きが超スローモーションならなにも伝えられないだろう。

 そうして何事もなく、海賊船は島へと接近した。

 急ごしらえされた船着き場があって、しかし一隻かせいぜい二隻が停泊できる程度しかない。
 この船ともう一隻のリデンの船がマリンローに残っていたのは、一度に何隻も戻ってきたところで島に上陸できないからだろう。

 ここまで特に潮の流れは変わることなく順調に進み、そして──

「意外とあっさり入れたの」
「そうですね。あ、ダンダさん。俺の前に立たないでくださいね。バフは目視した相手に付与されるんで」
「分かっとるわい。わしとてまだ死にたくないわ」

 重傷を負っていたはずなのに、数時間休んだだけで完全復活してるよこのドワーフ。
 ふふ、さすがドワーフだ。

 桟橋にはピシっとした装備の男たちは十数人いた。
 リデンの兵士だろう。

 わくわくする。またバフれる。

「も、もういいかな?」

 船を漕いでいた魚人族のみなさんは、まだ甲板に上がって来ていない。
 ここにはキャンプから同行しているアーゼさん、ティー、リキュリアとダンダさん、そして数人の魚人族だ。
 俺を入れても十人もいない。

 いないけど──

「準備OKよ」
「問題ない」
「ボクも!」
「オレも!」

 あ、クイを入れたら九人と一匹か。

「よし、それじゃあ──おぉーい、みなさーん! 今からバフりまぁ~っす!!」

 そう声を掛けると、リデン兵が驚いた顔で一斉にこちらを見た。

「"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、"その肉体を強化し、鋼のごとき強さとなれ! フルメタル・ボディ"、"肉体は武器となり、敵を打ち倒す戦神の加護を与えん。バトル・ボディ"、"リラクゼーション"、"あらゆる属性への抵抗を高める力となれ──レジスト・エレメントアップ"!!」

 ふふふ。奮発したぞ♪

 魚人族には水属性魔法を使える人も結構いる。ウーロウさんも使えるといい、今回参加した魚人族の半数は魔法を使えた。

「"アクアスプラッシャー"!」
「"アクアスプラッシャー"!」

 ウーロウさんともうひとりがさっそく魔法を放った。

 急に動きが鈍って慌てふためく──といっても、口だけで体は全然慌てられていないリデン兵は、次々に悲鳴を上げながら水弾によって吹き飛ばされていった。

「えぇー!? なんでや! なんでオレの分残してくれんの!?」
「え、あ……す、すまない」
「ちゃんとみんなの活躍場面も残してくれんと、困るんやで!」
「ほんと、すまない。ほんと……」

 クイ……なんでお前はドヤ顔なんだ?

 だけど二人の水魔法使いの活躍で、他のメンバーは何もしないまま桟橋の制圧が済んだ。
「ラル、あれはなんだ?」
「ん? あれは……水の精霊ウンディーネだね。スレイプニールが召喚したんだろう。ごめんね、"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 常陸したのは岩場で、お国は洞窟のような場所が見えた。
 捕虜にしている海賊は、そこがアジトだと嘔吐しながら教えてくれた。

 洞窟は海水が流れ込んでおり、入口にはぷかぷかと水が浮かんでいるのが見える。
 これがウンディーネだ。
 よく見ると分かるけれど、手のひらサイズの女性エルフのような形をしている。

「ラル、精霊にもバフ効くのか?」
「効くよ。まぁバフにもよるけどね。ほら、見てごらん」

 魔力を上昇させるバフ、パワー・マジック。
 精霊は魔力の塊みたいなものだ。生命力がそのまま魔力に直結している。

 魔力を上昇させるバフを反転すれば、魔力を低下させる効果に。
 精霊は魔力が低下するとこの世界では具現化できなくなって、精霊界に戻ってしまう。つまり消えるのだ。

 洞窟の前でふよふよしていたウンディーネたちは、全てはすぅーっと消えてしまった。

「さ、中に入ろうか」
「ラル殿は怖いものなしだな」
「え? そんなことないですよ。魔王や四天王なんかやっぱり怖いですよ。あとドラゴンとかも。なんせ俺、ただのバッファーですから。攻撃魔法もろくな威力がないし、当然ですが接近戦も出来ませんからね」
「怖いものの基準がおかしい……」

 お、おかしい?
 いや、魔王とか四天王とかドラゴンって、みんな怖いよね?
 べ、別におかしいこと言ってないと思うんだけど?

「ラル。人間の臭いが洞窟の奥からこっちに向かって来ている」
「海賊かリデンの兵士かな。バフよぉーい!」
「ラル兄ぃ楽しそうだな! よし、俺も……ん? ラル兄ぃ、こっちに来てる奴、テイマーやで」
「ん? そうなのか?」
「テイマー特融のにおいしとる」

 従魔にはテイマーが近くに来ると分かるようになるらしい。
 確かにテイマーは普通の魔術師とは毛色が違う。

「バフ変更。さぁ、来いっ」

 手をわきわきしながら、逸る気を押さえて洞窟をガン見する。
 ほどなくして、リデン兵と思われる男たちとローブ姿の男がひとり出てきた。

「ありがとうございます! バフらせていただきますっ! "韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"、そんでもって"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 お礼を言ってからバフる。

「バフ!? な、なんだこれはっ。か、体がいうことをきかない」
「これがバフだと!? デバフの間違いだろうっ」

 ある意味正解だけど、ここは不正解ってことにしておこう。
 だって俺の魔法は確かにバフなんだもん!
 呪いで効果が反転しているだけだもんコンチクショー!!

 しかしローブの男にも一発でバフが付与されたようだ。
 不意打ちってのあったんだろうな。
 いや、バフだからこそ抵抗されなかったに違いない。

 デバフや精神攻撃系の魔法は抵抗が可能だ。勝敗は術者と対象の魔力で決まる。より魔力が高い方が勝つが、まぁ例外としてはアレスやレイみたいに、鍛え上げられた精神力ってのもあって、唯一戦士系が魔術師に勝てる要素でもあった。
 また魔術師同士の場合、魔力以外にも不意打ちによる勝利もある。
 今回はこれによるものだろう。

 相手はスレイプニールを使役するようなテイマーだ。生半可な魔力では勝てるはずがない。

「よし、念のため上乗せしておくか。"汝の魔力を解放せん! パワー・マジック"」

 バフは通常だと能力の上乗せを出来ない。
 が、制度を上げまくった俺のバフは、三回までは上乗せが出来た。
 ただマリアンア曰く「バフられた側の身体的負担が強いようです。効果が切れると凄く……疲れるんです。ごめんなさい、ラル」なんだとか。

 今回は味方相手にバフっている訳じゃない。
 疲れようが苦しかろうが、俺には関係ないので心置きなくバフった。

「き、さま……な、何をした!?」
「何って、バフっただけですよ?」

 息まくローブ男と、必死にこちらに向かって駆け出そうと最初の一歩をやっと踏み出したリデン兵。その手はまだ剣の柄には届いていない。
 その前に魚人族が雄叫びを上げ、武器を手に飛び掛かっていった。後ろからどすどすとダンダさんも付いていく。

 アーゼさんたちは動かない。

「仲間の敵討ちだ。成し遂げさせてやろう」
「そういうことですか。ダンダさん、テイマーを先にやってください。スレイプニールが来ては面倒ですから」
「承知した」

 ふんすっと大きな戦斧──ハルバードを抱えたダンダさんがテイマーに迫った。
 そしてハルバードを振りかざして……だがそれを邪魔するモノが現れた。

『待て、ドワーフよ』

 膨大な魔力を感じて、久方ぶりに身震いをした。

 すぐ脇の、水路のように繋がった海水から現れたのは、純白の馬。

 いや、下半身がまるで人魚のような──海の魔獣、スレイプニールだ。
 
 ごくりと喉を鳴らし、俺はスレイプニールに向け呪文を唱える。
 もちろん、バフだ。

 だがスレイプニールがこちらを見た。

 目が合う。

 冷たいものが背中を流れる気がしたが、でも何故か次の瞬間には恐怖を感じなくなっていた。

 青空を映し出した海面のように真っ青は瞳が、とても柔らかな光を宿してこちらを見つめてくる。

『人間よ、案ずるな。我はそこなテイマーに復讐をするだけだ』
「復讐、ですか?」

 テイマーの魔力が低下したことで、スレイプニールは従属に抵抗して打ち勝ったようだな。

『そうだ……よくも……よくも我が子を盾にしよったな!』

 子を盾に?
 スレイプニールの子供を捕まえ、それで従わせていたってのか?
 
 子供を人質にし、その間にテイミング魔法で強制的に従わせていたのか。
 なんて卑怯な奴だ。

 それを聞いてダンダさんが後退する。
 と同時にスレイプニールが身を乗り出し、海から上がって来た。

 あぁ、なんて美しい魔獣だろうか。
 馬である上半身は真っ白は毛並みで、その鬣は長く、海中にいたというのにさらさらと靡いている。頭にはユニコーンを思わせる角があって、下半身の魚の部分もうっすらと虹色に輝いていた。

 が、テイマーにとっては恐怖の対象だったのだろう。

「ひあっ。、ひぎやああぁぁぁぁぁぁーっ!?」

 ただただひたすら悲鳴を上げていた。
 たぶん必死に逃げようとしていたのだろう。だけど俺のバフで超スローモーション。

「ゆるしてくれっ、ゆるしてくれっ。お、俺はリデンの領主に命令されただけで、俺は何も悪くな──」

 それがテイマーの最後の言葉だった。

 スレイプニールが従属から解放されたことで、残ったリデン兵の戦意は失われた。
 戦々恐々で逃げ出すが、ここは島だ。
 桟橋には俺たちが乗って来た船の他にもう一隻あったが、船の周辺には水棲モンスターがわんさか群れていた。

 もちろん、そうさせたのはスレイプニールだ。
 まぁ自業自得だ。

「スレイプニールよ。子供を盾に取られたと言っていましたが、その子はどこに?」
『……ここにはいない。南西の方角で気配を感じるが……』

 南西か。リデンの方角だな。

「恐らくリデンという人間の町でしょう」
『そうか。ではその町の人間どもを皆殺しにしてくれよう』
「い、いやお待ちください! 町の住民にはなんの罪もありません!」

 誰が悪くて誰がそうじゃないのか。
 人外であるスレイプニールには理解できないだろう。

 リデン兵には同情しない。彼らだってスレイプニールを怒らせるとどうなるかぐらい分かってて作戦に参加したのだろうから。
 だけど町に暮らす住民たちは関係ないはずだ。

「そこで暮らす人々は、きっと何も知らないはずです! 悪いのはリデンの領主。そしてあなたを敵と認識する者たちです!」
『ではその者らとそうでない者らを、どう区別するつもりだ? ひとりずつ問いただして殺せばよいのか?』
「……俺に考えがあります。ただその前に……」

 ウーロウさんを呼んで、マリンローは今後リデンとの関係をどうするのか尋ねた。

「同盟はもちろん破棄でしょう。そして我々もリデンには報復をすると思います」
「やはりそうですか。しかしリデンを襲撃すれば、ドリドラ国が黙っていないかもしれない」

 だからといって魚人族の恨みが晴らされる訳じゃない。襲撃時に命を落とした魚人族も、そう少なくもなかったのだから。

「リデンを襲撃したあと、ドリドラに攻め入れられては意味がありません。少し、時間をいただけませんか?」

 まずはマリンローへ戻ろう。
 スレイプニールには、必ず子を救い出すからと一旦落ち着いて貰うことにした。
 もし救えなかった場合は、俺の胃の血を捧げると約束して。

 連れ去られた魚人族を救い出し、乗って来た船ともう一隻に乗り込んでマリンローへと向かう。
 ただ全員が乗れる訳ではないので、体力のある魚人族は泳ぐことになった。
 彼らが安全に泳げるよう、スレイプニールが水棲モンスターを寄せ付けないようにしてくれたのが有難い。

 生き残ったリデン兵や海賊たちはそのまま島に放置。
 生きて島から脱出することは出来ない。
 島は大きくはないが、陸上のモンスターも生息しているという。しかもCランクやBランクの、決して弱くはないモンスターが。





「確かに……感情に任せてリデンを攻めれば、ドリドラ国からの報復もありましょうな。しかし……だからといってこのまま同盟を続けるなど──」
「もちろんです。ですから二日だけ待っていただけませんか?」

 マリンローに戻って来た俺は、町長にリデンへの復讐を待つように頼んだ。それはスレイプニールにも同様にだ。
 
「分かりました……勇者殿を信じて待ちましょう」
『勇者とな? まさかそなた、あの魔王デスギリアを倒した人間であったか!?』

 町長の言葉を聞いて、スレイプニールが身を乗り出し、船着き場へと上がって来た。

「ち、違います! 俺は勇者アレスのパーティーに所属していたバッファーですっ」
『ほぉ、ほぉ。なるほどなるほど。しかしバッファーというが、港へ戻ってくるまでに魚人たちに掛けていた魔法はデバフであろう? なんともおかしな状況のようであったが』


 おかしな──とは、魔法はデバフなのに、効果がバフであることを感じっていたのだろう。
 さすがスレイプニールだ。魔力の流れて察していたとは。

 ながながと説明していたら時間もないので、簡潔に、呪われたとだけ説明して、俺は空間収納袋からリングを取り出して──王都へと飛んだ。





「──ということがございまして」

 王都に到着した俺は、脇目も振らずにお城へと向かった。
 国王への謁見を申し入れればすぐに通され、こうしてマリンローの現状を報告することが出来た。

「なるほどのう。スレイプニールの子を捕まえ、どうしようというのかの?」
「陛下。かの魔獣の生き胆を喰らえば、寿命は三百年伸びる……というような、そういう噂もございまして」

 陛下の近くに控える、宮廷魔術師のスレイブン師がそう話す。
 俺に魔術を教えてくれた人のひとりだ。

「どうせそのような噂、眉唾ものであろう」
「御意。真意を確かめようにも、スレイプニールは強力な魔獣故」
「真意であろうと、魔獣の怒りを買って民の命が脅かされるのであれば国王としては失格であろう。王だけでなく、領主だろうとなんだろうと、人の上に立つ者全て同じこそが言えよう」
「まとこに。それでラル──ラルトエンよ。お前は陛下にどうして欲しいのだ?」

 普段なら俺のことをラル──と愛称で呼ぶ師も、一応公務中であるので正式名で俺を呼んだ。
 その師に会釈をし、俺は陛下に向かってこう訴えた。

「ドリドラ国王へ真意を確かめて頂きたいのです。今回のことが国として起こしたことなのか、それともリデンの領主が勝手にやったことなのか。もしドリドラ王の命令によるものであったなら……」
「その時はスレイプニールがドリドラ王都を滅ぼすであろうな。王都は海岸から近いしの」
「まぁ予想なんですけど、少なからずドリドラ王も関与しているとは思うんですよ。そうでもなければ、臣下か同盟都市を攻めて黙っているはずがありませんからね」

 深く関わっていないにしても、リデン領主の愚行を見逃してやっている訳だ。何かしらの対価を求めているだろう。
 たとえば、スレイプニールの生き胆とか。

「マリンローの魚人族とスレイプニールが報復するために町を襲撃します。なんとか市民を巻き込まずに済むよう、手を打ちます。ですので──」
「リデン領主とそれに従う私兵らを討ち取ることを黙認するよう、ドリドラ王に進言しろということか?」
「お願いできますでしょうか?」

 フォーセリトン王は片目を閉じ、それから囁くように俺に向かった言った。

「マリンローはドリント国と同盟を解除するであろう?」
「そりゃあまぁ。裏切りを受けてまだ同盟を結ぶ必要性が、魚人族にはありませんしね」
「そこでだ!」

 陛下は目を輝かせてこう言った。

「我がフォーセリトン王国と新たに同盟を結ぶというのは?」

 その橋渡しを、俺にやれ──ということらしい。

 ま、俺としては意義は無いし、マリンローとはいい隣人でいたいと思っている。
 何かと便利そうだしな。

「町長さんには俺の方からお願いしておきますよ、陛下」
「ヨシ! ヨシ!! スレイブン、さっそく伝達の珠を持って来るのだ」
「かしこまりました」

 御年五〇を過ぎた陛下だけど、時々こうして少年のような言動をとる。
 そこが国民からも親しまれる要因なんだろう。俺も嫌いじゃない。
 
 さて、ドリドラ国王はどう返事を返してくるかな?
 
「お待たせしました。それでは行きましょうか」

 マリンローに戻って来た俺は、船着き場で準備万端な魚人族に声を掛けた。

「ラル様、どうなりました──ん? そちらのお二人は?」

 町長が俺の声に振り返り、そして後ろに立つ二人に視線を向ける。
 ひとりは筋骨隆々の男で、名前はレイ。今はフォーセリトン王国騎士団が身に着ける鎧ではなく、胸部を覆うだけのブレストアーマーを装備している。
 一見すれば冒険者か傭兵かと思う格好だ。
 もうひとりはマントを羽織った女性で、名前はリリアン。こちらはいつもの装備だ。

 俺は転移魔法を使うとどうなるのか分からないので、危ないからとリリアンがマリンローまで送ってくれた。
 彼女は以前、ここに来たことがあるそうな。

 で、陛下がレイと共にこっそり協力して、マリンローに恩を売ってこい──と命じたのだ。
 そのことを包み隠さず町長に話すと、ちょっと呆気に取られていた。

「そ、それは内密にしていたほうがよかったのでは? その、最後の『こっそり恩を売っておけ』というのは」
「あー、いいんだいいんだ。うちの王様はそういうの気にしないお人だから」

 と、レイが豪快に笑って答えた。
 町長も魚人族の皆さんも目を丸くしている。
 でもレイの言葉のまんまな王様なんで、俺も笑ってみせた。

 それから海に目を向け、そこで待つ存在に声を掛けた。

「お待たせしました。こちらの都合は終わりましたので、約束通りリデンへと向かいましょう」

 その言葉に応えるかのように海面が盛り上がり、純白の海馬、スレイプニールが現れた。

「まぁ、なんて綺麗な海馬かしら……」
「だろ?」

 リリアンがうっとりするように海馬を見上げ、それから優雅に挨拶を交わす。

「はじめまして、スレイプニール。この度、あなたさまの子を救助するために助力させていただきますリリアンと申します」
『そなたも勇者のひとりであるな。よき魔力を持っている』
「お褒めあずかり、恐縮いたします。あとあっちでムキムキしているのは、聖騎士レイでございます。わたくしと彼とで、必ずやお子をお救いいたしますのでご安心ください」
『……間に合えば……』

 間に合うかどうか──生き胆を喰らって寿命を延ばそうと考えている奴なら、もう既に……。

 というのは考えにくいだろう。
 何故なら。

「恐らく大丈夫ですわ。スレイプニールの生き胆を喰らって寿命を……という噂には、ちゃんと食すまでの工程も解説付きですので」
『解説?』
「はい。あなたの体内には、多くの毒素が含まれておりますね?」

 リリアンの言葉にスレイプニールが頷き、海の毒を集めて浄化するのが我が役目だと答えてくれた。

 そう。スレイプニールは毒の塊でもある。
 その毒素が全部抜けきらないと、その血に触れただけで人の肌なんてただれてしまう。
 毒を抜く方法は一つ。
 長時間、真水に浸けておくこと。もちろん生きたままだ。

「一日二日では不可能でしょう。体の大きさにもよるでしょうが、最低でも三カ月ほどは必要と書かれていましたし」
『そうか……。子が攫われて三日。無事であるか娘よ』
「無事でなければラルと一緒に、あなたさまの胃袋にお邪魔しますわ」

 そう言ってリリアンは微笑んだ。





「リキュリアさんだったわね? あなた魔族なのに、魔力が結構あるみたい」

 船上でリリアンが興味を示したのはリキュリアだ。

「そ、そうよ。あたしはその……母が人間だったから」
「へぇ。混血だと魔王の呪いの効果が薄れるのね。ねぇ、よかったら魔法を学んでみない?」
「え!? あ、あたしが魔法!?」
「んふふ。そのぐらいの魔力があれば、今回の作戦で役に立つ魔法ひとつぐらい覚えられるかもね」

 なんて女子トークが始まった。
 リリアンも無茶言うなぁ。いくらリキュリアに魔力があるからって、数時間で魔法を覚えるなんて無理だろう。

 ──と、

「思っていた時期が俺にもありました。え? え? 魔法を習得できた!?」
「ふっふっふ。人を見る目はちゃーんっとあるのよ」
「あ、あたし……魔法を使えた!」

 とリキュリアが声を発した瞬間、彼女の姿が目の前に現れた。

「わっ。ちかっ」
「キャッ!? ご、ごご、ごめんなさいラル」

 リリアンが彼女に教えたのは、姿隠しの魔法。
 ちょっと特殊な魔法で、魔術師なら誰でも使えると言う訳ではない。
 俺も一応使えるが、三秒ぐらいしかもたないし。

「あなたはたぶん、一般的な攻撃魔法とか補助魔法とかは苦手な魔力の質なのよ。でもこういった隠密系の魔法は得意だろうなぁって感じた訳」
「はぁ……」
「そして私の読みは当たったってことね! んふふふふふふふ」

 確かに今回の作戦に役立ちそうだ。

 魚人族とリリアン、それとレイは領主の館に一目散に向かって貰う。
 スレイプニールが町の近くに現れれば、恐らく真っ先に逃げ出すのが領主だろう。
 その間にアーゼさんとリキュリア、ティー、ダンダさんの四人がスレイプニールの子供の確保に向かうという作戦だ。

『ラルよ。そろそろだ』
「分かりました。じゃあ行こうか」
「「了解」」

 元気に答える者もいれば、項垂れる者もいた。

「うえぇー……お前らはいいよなぁ。溺れる心配もなくて」
「同感だ。溺れる気しかせんわい」

 レイとダンダさんだ。
 ちゃっかりクイは俺の影の中に潜っている。

「ご心配には及びませんぞ、勇者殿のダンダさん。我らがしっかりとお支えいたしますので」
「頼むぜぇ~、ほんとぉ」

 いつもは強気なレイも、今回ばかりは勝手が違うようだ。ダンダさんも落ち着かない様子で海を見つめている。
 なんせ俺たちはこれから、海に飛び込むのだから。

 レイとダンダさん以外は甲板から海に向かって飛び込んだ。
 海に落ちてすぐ、大きな水泡に包まれる。その泡が縮まって体を覆う膜のようになった。
 レイは二人の魚人と一緒に飛び込んできて、鎧の重みでそのまま沈んでいく──が、魚人族が追加で二人やって来て彼を支えてくれた。
 すぐに俺たちと同じように水泡に包まれ、そして膜となる。するとようやく浮力がついたようだ。

『これでそなたらは水中でも呼吸が出来るだろう。会話も可能だ』
「ありがとうございます」
「本当に、本当に沈まないよなぁ?」
「そうならないように、我らが付いておりますから」
「本当だなぁ? 離さないでくれよ? 絶対だぞ?」
「やっぱり船で待ってていいかのぉ?」

 まったく。海の中じゃ頼りないなぁ。

 こうして俺たちは海の中を進むことになった。
 船のまま近づけば、直ぐに警戒されてしまうからだ。ヘタすると船で上陸する前に逃げられてしまうからね。

 スレイプニールには、姿が見えない海中で待っていてもらい、そして俺たちは上陸。
 空気の膜のおかげで服もいっさい濡れていない。
 魚人族にはリリアンがさっそく透明化の魔法で姿を見えなくしている。

 あとは何食わぬ顔で町を歩き、それぞれの持ち場へと向かった。

 俺は町の中央通りへ。
 残りは領主の館へと向かう。そこでまた二手に分かれて、領主を確保するチームとスレイプニールの子供を救出するチームとに分かれる。

 さぁて。それじゃあバフ祭りを行きますかね。 

「か、海馬《かいば》が現れたぞ!! 一般人は町の外に避難するんだ!!」

 そんな声が上がった。

 いや、俺が上げた。

「領主が海馬の子供を誘拐し、怒りくるっら海馬が町を沈めに来たんだ!!」

 嘘じゃない。ある意味本当の事だ。

「領主に従う兵士は船着き場に迎え!! 従わぬ兵士は住民の避難を誘導するんだ!!」

 従う兵士とう言葉はいいけれど、ここで従わない兵士はって出てくるのは本来おかしい。
 町に滞在する兵士なのだから、従って当然なのだから。
 でも中には何も知らない兵士もいるかもしれない。そう思っての選択だ。

 だけど俺の言葉に疑問を抱く者はいない。
 だって実際に今、町からほど近い海上にスレイプニールが現れたのだから。

「きゃああぁぁぁぁっ!?」
「か、海馬の逆鱗に触れたんだっ」
「なんてことをしやがるんだ、領主はよぉ!!」
「俺たちを巻き込むんじゃねーっ、クソがあぁぁ」

 そんな声があちこちから現れ、みんなが一斉に逃げ始めた。
 俺はというと、屋台によじ登ってそこからリリアンに借りた浮遊魔法のリングで体を浮かせて船着き場へと向かう。
 船着き場にはスレイプニールを倒そうと、兵士たちが集まっていた。

 一通り確認して、船乗りや関係のない人が逃げたのを確認すると──

「"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"」

 バフ祭りを開始した。





「何故攻撃しない!?」
「はい、バ~ッフ。"韋駄天のごとき速さとなれ──スピードアップ"」
「んなっ!? なんだ、おま──なんだこりゃあぁぁ!?」

 船着き場に追加の兵士がやってきたら、その全員に速度増加のバフを掛けまくる。

 ぬる~っく動く兵士の間をすいすいぃーっと歩き、また新しくやって来た兵士にバフっていく。
 時々傭兵や冒険者がやって来るが、ぬるぬる動く兵士が大勢いては俺に攻撃することも出来ない。その間に事情を説明し、それでもこの場に残るなら兵士と同じようにするぞと脅した。

「お、おい、ヤバいって。ありゃ勇者パーティーの魔術師だぞ」
「え? う、嘘だろ」
「嘘じゃないって! 俺、前に灼熱砂漠のドラゴン討伐隊に加わって、そん時勇者アレスを見たんだ! そのアレスのパーティーにあいつがいたんだってばよ」

 お。灼熱砂漠のドラゴン退治かぁ。二年前だったかなぁ。
 その討伐隊に参加していたという冒険者の言葉が決め手になったようで、冒険者たちが一斉に引き返していく。

「そもそもスレイプニールの女房を、ここの領主が誘拐したって話だろ? 馬鹿じゃねーのって感じじゃん」
「え? 女房なのか?」
「俺は兄妹だって聞いたぞ」
「ん? 娘じゃないのか?」
「年を取ったじーさんだって聞いたけど?」

 ……いや、子供なんだけど。
 誰だよ、女房とか兄妹とかじーさんとか言ったのは。

「はっはっは! オレとラル兄ぃに恐れをなしたか! そうともっ。オレとラル兄ぃことは、勇者パーティーの一員なるぞ!!」
「クイ、やっと出てきたのか……。まぁ今回は特にお前の出番もないから」
「がぁーん!」

 冒険者がいなくなると、傭兵たちも顔を見合わせ引き返して行った。
 それを見て必死に逃げようとする兵士もいるが、10メートル歩くのに何十分かかるか……。
 効果時間が切れれば、普通に動けるようになる。
 そうならないよう、常にバフの上書きをしていった。

 効果は変わらない。ただ効果時間がリセットされて、それから三十分続くというものだ。

 船着き場はあっという間に、ぬるぬる動く兵士で溢れかえった。
 仕方ないのでまた浮遊魔法で宙に浮き、スピード感のある動きをしている兵士に速度増加バフをばら撒いて行った。

 海上に現れたスレイプニールが近づいて来るが、何もしない。
 ただ船着き場で悲鳴を上げている兵士らを見下ろしているだけだ。

 真に憎むべき者がそこにはいないので、まだ我慢しているのだろう。

 やがて遠くから別の悲鳴が聞こえ、それが徐々に近づいて来た。

「んふふふふふ。さぁ道をあけなさぁーい!」

 リリアンが杖を振りかざし、無詠唱で氷の矢を投げていく。
 兵士は道をあけたくても、すぐには出来ない。俺がバフっているから。
 一緒にいた魚人族も水弾を撃ち込んで、なかなか動かない邪魔な兵士をふっ飛ばして行った。

「わはははははははっ。ご領主様のお通りだぜー」

 レイの楽しそうな声が聞こえる。彼は領主を肩の上に担いで、のろ~っと動く兵士を蹴飛ばしながら進んでいた。

「ラルゥ~、それ、楽しいでしょ~」
「うん、飛べるのはやっぱり楽しいね!」
「上げてもいいわよぉ~」
「じゃあ貰おうっと」
「お、おっ。ラル兄ぃ、アーゼっちたちも来たで」

 ア、アーゼっち……。
  
 リリアンたちがやって来たのとは別の路地からアーゼさんのチームがやって来た。

「えぇい、邪魔じゃ! どけどけどけぇーい!」
「ダンダ殿。そう怒鳴っても奴らはラル殿のバフで……」
「どけどけぇー!」
「ティー! あんたまで真似しないのっ」

 こちらは物理的な実力行使で兵士を蹴散らしてきたようだ。
 どかどかと歩くダンダさんがハルバードを振り回し、アーゼさんが真っ白な仔馬を抱えてていた。
 仔馬といっても、その下半身は魚だ。
 その尾の部分をリキュリアが抱えている。

「ダンダさん。スレイプニールの子供は無事ですか?」
「おぉ、ラル! 無事だがな、弱っとる。どうすればいいかサッパリじゃ。どうすればいい?」

 と言われても、俺にも分からない。
 ここは親元に届けるのが一番だろう。

 ただ──

「ごめん。船着き場に続く通路は大渋滞なんだ」
「はぁ~? はあぁぁぁぁぁ!? おいおい、渋滞させ過ぎだろラル」
「だからごめんって」

 だってこの通路しか道がないんだよ。やってくる兵士を次々にバフってたら、必然的に詰まっちゃったんだよ。
 俺は悪くない。俺はきっと悪くない。

「しゃーねぇなぁ」

 そう言ってレイは抱えていた領主をぽい捨てし、背負っていた槍を手に構えた。

「ひゃっはー! 行っくぜぇーっ」

 レイが楽しそうに槍を振り──と思ったら止めた。

「なぁラル。強化バフとか、賭けてんの?」
「いや、速度増加だけだよ」
「そうか! おらおらいくぜぇー!!」

 肉体強化のバフを使っていたら、レイの槍の一振りで胴体が真っ二つになるだろうな。
 それを察して寸止めし、バフってないと知ると嬉々として槍を振り回した。

 一振りで十人が吹っ飛び、また一振りで今度は二十人吹っ飛ぶ。
 強制的に道が開くと、俺たちはスレイプニールの下へと進んだ。
 
「スレイプニール。子の体調が思わしくないのか、元気がないようで……」

 アーゼさんとリキュリアに抱えられた子を見せると、スレイプニールが心配そうに海から上がって来た。
 それだけで辺りからは悲鳴が上がる。

「ちょっと五月蠅いわね。静かにしなさいよ──"サイレンス"」

 リリアンが容赦なくリデン兵から声を奪った。
 俺だと……声が大きくなってしまうのかなぁ……。

 スレイプニールが子を鼻で突くと、それまでじっとしていた子供が僅かに動いた。

『我らは海の精。海水ではない真水に浸っていたせいで、魔力が著しく低下しているだけのようだ』
「そうですか……元気になりますか?」
『すぐにとはいかぬが……数カ月もすれば元の元気な子に戻るだろう』

 数カ月も!?
 そんなに掛かるのか……なんとか直ぐに元気にさせてやりたいが。

 魔力が著しく低下……マナポーションでは魔力は回復しない。ポーションで回復するのは魔法を使うのに消耗した精神力だけだから。

 でも……。

「リリアン。魔力の供給で回復させてやれるんじゃないかな?」
「ん-、そうね。出来るかも。あー、でもあんたはダメよラル。私がやるから」
「はは、そうだね。俺が魔法を使うと、逆にあの子の枯渇しかけている魔力を全部奪い取ってしまうかもしれない」

 リリアンが魔法の糸を紡ぎ出す。その糸の先端を俺と彼女が掴み、もう片方を──

「スレイプニール。この糸を君のお子さんに結んでもいいだろうか?」
『それでそなたらの魔力を、我が子に分け与えると言うのか?』
「えぇ、そうです。俺とリリアンが魔力を少しずつ分けます。少しでも早く回復したほうがいいでしょう」
『感謝する』

 魔法の糸をスレイプニールの子の腕に結んで、それが終わればリリアンが呪文を唱えた。
 糸を通して俺の魔力が吸い取られていく。
 ゆっくり、ゆっくりと吸い取られた魔力が、スレイプニールの子供へと流れ込む。 

「ラル兄ぃ、少し毛並みが良くなったで」
「そうか。でもこっちはまだまだ余裕あるし、もう少し元気になるまで──」
「ラル、ラルごめん。私はリタイアするわ」
「あ、うん」

 リリアンが術者だし、きっと俺よりいっぱい吸い取られたのだろう。
 それでもまだ魔法は継続中で、リリアンは魔法の持続用にだけ魔力を残してくれたようだ。

「俺がその糸に触ったら、どうなる?」
「止めときなさいレイ。速攻で気絶するだけよ」
「あ、あの、あたしなら?」
「変わらないわ。数秒で倒れるわよ」
「ボクはボクはー!」
「レイと同じように速攻ね。っていうか、私とラルぐらいしか無理なのよ」

 魔力の供給というのは意外と高度な魔法で、与える方が10吸い取られても、与える方にその10がそのまま行くわけじゃない。だいたい半分行けばいい方だ。
 だから魔術師でもない者がこの魔法の供給側に周ると、とんでもないことになる。

『ラ、ラルよ……大丈夫なのか?』
「えぇ、まだ平気です。リリアンの魔力の方が多めに吸われていたみたいで」
『そうには見えなかったが……』
「ラルの魔力を測ると、だいたい装置が壊れるのよね。まぁ……きっとおかしいのよ、ラルの魔力は」

 師にもよく言われた。
 俺の魔力はおかしいって。失礼な。

「おっ、おっ。ラル兄ぃ、もういいって言っとるで」
「ん? もういいって……」

 クイの傍らで純白の仔馬がいなないた。

『あり、が、とう。ボク、もう大丈夫』
「そっか。じゃあリリアン、糸を切ってくれ」
「分かったわ。お疲れ様ラル。大丈夫なの?」
「ん? 平気だけど?」

 ちょっと気だるさがあるのかな?
 でもまぁ大丈夫だ。

 それに、まだまだやるべきことは残っているのだから。

「みなさん、お待たせしました」

 みなさんとは──

「ひっ!?」
「お、お許しくださいっ」

 リデン兵のみなさんと領主のことだ。

「頼む、許してくれっ。もう二度とマリンローもスレイプニールも襲わないっ」
「襲いませんっ。もう二度と、決して!」

 懇願する領主と兵士たち。
 本当に反省しているのかどうかは、直ぐに分かる。
 これが最後のチャンスだ。

「あ、ちなみに俺のバフは、もう効果時間が切れていますので。普通に動けますよ?」

 それを聞いて、互いに肩を抱き合って無事を祝うぐらいならまぁ……救いはあるのかな。

「ほ、本当だ。体が動く!?」
「動くぞぉぉ!?」
「呪文を唱えさせるなっ。奴を殺せええぇぇーっ!!」

 領主の号令と共に、兵士たちが武器を抜いて駆け出す。

「"スピードアップ"」

 詠唱?
 必要ないね。

「む、無詠唱!?」
「くそっ、またか!!」

 悪態をつくリデン兵に向かって、リリアンが鼻で笑っていた。

「ばっかねぇ。ラルは全ての魔法を無詠唱できるのよ。ま、ゴミ火力の魔法は更にゴミになるから、あまり使ってないんだけどね」
「ゴミゴミ言わないでくれよ。その通りだから余計にダメージくるんだからさ」
「ふふ、ごめんなさーい」

 超スローモーションになったリデン兵の前に、二人の人物が躍り出た。

「なんだろうなぁ。多勢に無勢なら勝てる──って、そんな貧相な思考しか出来ない人間って、悲しいなぁ」

 そう言ってレイが槍を構えた。その隣でダンダさんもハルバートを握る。
 レイの一薙ぎで何人もの兵士が吹っ飛び、ダンダさんの方でも大勢が宙を舞った。

「お、随分とお強い」
「勇者一行の聖騎士殿に褒められるのは、悪くないもんじゃの」
「はっはっは」

 二人は大勢の敵を前にしてもひるまず、むしろ楽しんでいるようだ。
 まぁその大勢ってのは、動いているのかいないのかもよく分からないぐらい超スローなんだけど。

 元々兵士で溢れかえっていた場所だ。手前の兵士をバフれば、後は俺のバフを順番待ちしてくれているかのように立往生している。
 浮遊リングを使って浮かび上がれば、順番待ちの兵士も一望できた。

「"スピードアップ!"」

 仲間を範囲に巻き込まないようにだけ注意して、俺はがんがんバフる。
 バグってバフって──

 仲間たちによって倒されたか、俺のバフで動けなくなったか。
 全ての兵士がそのどちらかになった時、スレイプニールが動いた。

 海から上がって来たスレイプニールの姿が変貌し、魚の尾びれだった下半身は馬のものに代る。
 ただし、足は六本。
 軍馬と言われるスレイプニールのもう一つの姿だ。

『罪なき者──というのが、全て町の外にでたようだ。そろそろ我が恨みを晴らさせて貰ってもよいだろうか?』

 それは、このリデンという町の終わりを意味する言葉だった。


 大きな波が船着き場を襲う。
 不思議なことに、俺たちだけはその波に流されることなくその場にとどまっていた。
 リデン兵はもちろん波に飲み込まれてどこかへと流されている。

「ひぃぃっ。き、貴様ら! こ、こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
「あれ? 領主がいるぜ? スレイプニールさんよ」
『その者は容易く死なせはせん』
「あ、そういうことで」
「ひいいぃぃぃっ」

 スレイプニールの言葉に恐怖を覚えた領主が、腰を抜かしながらも逃れようとする。
 が、その動きは超が付くほど鈍く、あっという間に魚人族によって囲まれた。

「こ、この町を襲えば、ドリドラ国が黙っていないぞ!」
「元はと言えばあなたが我らを裏切ったのでしょう」
「だからなんだ! 亜人の分際で、人間と同盟を組めると思っているのか!? 貴様らはわしの奴隷として一生働けば良いのだ!!」

 汚い。
 これが人間という生き物なのか。
 同じ人間として情けない。

 それが分かっているから、俺は先手を打ったんだ。
 はは、俺もまぁ汚い人間のひとりってことだよな。

「リデン領主。残念ながらドリドラ国王はあなたを助けてはくれない。それにこの件でドリドラ国が報復することもない」
「な、なにを言っておる、若造めが!」
「魔王を倒した勇者パーティーに参加させて貰っていたのもあってね、フォーセリトン王国の王様とは懇意にして貰っているんだ。王様に頼んで、ロリドラ国王に確認したんだよ。今回の件は国絡みなのか、領主がひとりで勝手にやったことなのか」
「ゆ、勇者……勇者パーティー……ひっ」

 領主は俺ではなくレイを見た。
 まぁバッファーってあんまり目立つポジションじゃないからね、いいんだよ別に。うん。

「せ、聖騎士レイ!?」
「俺こんな奴に名前覚えられてんの、なんか癪なんだけど」
「いいじゃないか、覚えられるだけまだマシさ。俺なんて速攻でスルーされて、レイのこと言われてんだぜ?」
「悪いなぁ、ラル」

 レイが肘で突いてくる。たぶん彼的には『軽く』なんだろうけど、筋肉質なレイの軽くは結構痛い。
 俺ももう少し筋肉付けたいなぁ。

「へ、陛下がわしを見捨てるというのか!? わしは……わしは陛下のために!?」
「この件に関して、ドリドラ国王は無関係だと言っている。同盟を破り、マリンローを襲撃し、大勢の死傷者を出した責任は全てあなたにあると」
「だからよぉ、リデンを襲撃して壊滅させても、ドリドラ国王は全て目を瞑るって約束してくれたんだよ。うちの王様とさ」
「な、何故フォーセリトン王国が関与する!?」

 なんでって、魚人族が助けを求めてやって来たのがフォーセリトン王国領内で、俺の所だったから。
 正確には元魔王領の蜥蜴人の集落なんだけど、そこまでたどり着けなくてこうなった訳だ。

 そもそもフォーセリトン王国とマリンローは、一応領地が接触しているんだよね。
 まぁ数百メートル程度だけど。
 だから隣人として助けた──というのはまかり通る訳だ。

「マリンローはドリドラとの同盟を破棄し、フォーセリトン王国と新たに同盟を結ぶことにした。その件に関しても、ドリドラ国王は承知してくれたどうですよ。リデン領主」

 同行したマリンローの町長が、冷たくそう言い放った。

「あんたは国から見放されたんじゃ。そうしなければ次は王都が水没する番じゃからの」

 そう言って、町長はスレイプニールを見上げる。
 純白な海馬は、ただ黙って領主を見下ろす。真っ青は空を映しだした海の色をした瞳に、暖かさの欠片も感じられない。

「ひっ」

 何かを察したのか、領主が短く悲鳴を上げた。
 その瞬間、辺りを濡らしていた海水がまとまって領主の体を持ち上げる。

『さて、では行こうか』
「ひぃいぃっ!?」
『我が子を連れ去り、陸に上げたのだ。お前にも同じように、まずは海底に連れて行ってやろう。それから三日間、我が結界で守ってやるゆえ、海底を存分に楽しむが好い』
「そ、そそ、それだけですか? そのあとは、か、かかか、か、解放、してくださるのですか!?」

 領主の言葉にスレイプニールが笑った──気がした。

『それを望むか?』
「は、はははは、はい!」
『よかろう。では三日後に結界が解けるようにしてやろう』
「ああ、ありがとうございます!!」

 領主は愚かだな。
 海底で結界が解ければどうなるか、ちょっと考えればすぐに分かることだろうに。

 水圧で死ぬか、それとも海底に生息する大型の水棲モンスターに食われるか。
 二つに一つだ。

 しかも三日間、結界内でずっとそのモンスターたちに睨まれ続けるのだから、生きた心地はしないだろうに。
 死が確定している状態で、三日間精神がまともでいられるかだな。

「じゃあリリアン。終わったって陛下に伝えてくれよ」
「分かったわ」

 伝達の珠で陛下にこのことを告げると、陛下からドリドラ国王へと伝えられる。
 そしたらドリドラ国から魔法で誰かが転移してきて、避難した住民たちの世話を任せることに。

 町の建物はほとんどなくなっている。
 住民に罪はないけれど、スレイプニールの怒りを納めるにはこうするしかなかった。
 そしてドリドラに対し、海馬を怒らせると怖いぞ──というのを見せしめにするためにもだ。

 ま、悪いことばかりじゃない。
 建物は『ほとんど』なくなったが、とりあえず夜風を凌げる程度には残してある。
 しばらくは共同での暮らしになるだろうけど、新しい建物を作るなら働き手が必要で、これまで仕事もなくその日の食べ物にも困っていたような人たちも働けるだろう。
 お金ならある。
 領主が貯えた財貨は海水で流してしまわないよう、スレイプニールには頼んでいたから。
 それは住民たちの分もそうだ。
 
 何を流して何を流さないか。
 そんな細かい区別まで出来るんだから、スレイプニールの魔力というのは計り知れない。

 やがて王都から数人の役人らしき人たちが転移の魔法でやって来ると、こちらに書状を手渡してきた。

「此度の件、陛下はまこと心を痛めておられました。リデン候の犯した罪を、お金で償うのも間違っているのでしょうが……」
「お待ちください。そういった話でしたらマリンローの町長に」
「や、そうでしたそうでした。しかし我が王からは、あなた方にもこちらの書状を──フォーセリトン国王にお渡ししていただきたく」

 異国の王様が自国の王様に当てた手紙なので、中を見ることは出来ない。
 けどまぁ、今回のことのいい訳みたいなものだろう。
 特にフォーセリトン王国が不利益になることもないのだが、要は「自分は何も知らなかったのだ」と正当化させたいのだ。
 それとフォーセリトン王国との関係を悪くさせたくないというのもあるんだろうな。

「金なぞいりません。失った同胞は戻ってはこんのだから」
「分かります。分かりますが、それでは我が王の気が済まないのです。ですから……」

 役人のお偉いさんと町長との間で話が進められていたが、どうにもうまくまとまらないらしい。
 確かにお金の問題じゃない。
 だけど……貰えるものは貰っておくに限る。
 しかしそれでは魚人族が納得できないだろう。金で解決などしたくないのだから。
 だから提案した。

「リデンの町を復興するのに、いろいろ物入りになるのでは?」
「え?」

 きょとんとした顔の役人は、一瞬首を傾げてからはっとして俺を見た。
 この役人、結構頭がきれるかも。

「町長、こうしてはどうでしょうか? リデンは復興に向けて木材やらなにやらいろいろ必要になります」
「そ、そうですな。建物も七割ぐらいは流されてしまっておりますし」
「えぇ。その資材をマリンローで用意してやるというのは? もちろん、買い取って貰うんです」
「え? しかし、マリンローでも建物が燃やされ、材木が……」

 そう。あちらの町でも木材は必要だ。
 じゃあその木材はどこから?
 魚人族は体が乾くと動けなくなるので、彼らが森に木を伐りに行くことは出来ない。買うしかないのだ。
 とはいえ、マリンローの建物は石造りやら煉瓦造りの家が多く、使用している木材の量は少ない。
 それでもゼロと言う訳にはいかず、やはり木材は調達しなければならなかった。

 そこでだ──

「町長。あなたはフォーセリトンから人を雇ってくれませんか? その人材でマリンロー周辺の森の木を伐採し、必要な分は町で、それ以外をリデンに売ればいいんです」

 他にも必要なものは、全部マリンローで買うようにして貰えばいい。
 その利益でマリンローを建て直すんだ。