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「――井浦さん? 大丈夫?」

 山中くんの呼びかけで引き戻される。外は鈴虫が鳴いているのが聴こえてくるほど、辺りは薄暗くなっていた。放課後にお邪魔したとはいえ、さすがに長く居すぎてしまった。

「顔色悪いよ。もしかして俺、不味いこと言った?」
「……ううん。大丈夫」

 振り払うようにして冷めきったお茶を流し込む。後からくる渋みが喉を通ると、多少なりとも落ち着きを取り戻せた気がした。そのまま頭の中で散らかった情報を整理する。
 まず、先程の袴田くんが女子生徒の安否が気になって成仏できない説は取り消そう。
 彼が後悔するほど思っていたのであれば、その女子生徒が私であることは、隣の席になった時点ですぐに分かったはずだ。今まで挨拶程度しかしていないことを考えると、分かったうえで避けていたかもしれない。岸谷くんのファンに呼び出される前に私に忠告し、教室に入るのを引き留めたのは、中学の時に私のクラスで起こった光景を目の当たりにしていたからだろう。
 ――とすると、新たな疑問が浮上する。
 私が転校しあの騒動を知っているのは、私が転校する前にいたクラスメイトと教師だけで、テレビで報道されたのはその後に起こったものが大々的に取り上げられたものだ。だから私が被害者である事は世間に知られていない。それなのに、まったく関わりのない吉川さんが、あの時と同じように机へ誹謗することを書き、菊の花を添えた光景を再現した。私にとってトラウマ同然だが、あの場に居なかった彼女が作れるはずがない。彼女はどこでその情報を知ったのか?

「オーバーヒートしてんね、井浦チャン」

 考え込んでいるところに、新しいお茶が入った湯呑を差し出された。自分が何かしたのではと慌てる山中くんの隣で、近江先輩はいたって冷静だった。

「俺も今の話を聞くまで知らなかった。まさかこんなところで繋がってるなんて、世の中は狭いな」
「そ、そそ、それは俺だってびっくりだよ!」
「大晴、井浦チャンが転校した後の騒動についてもっと教えろ。確かニュースにもなってたよな?」
「ああ、うん。ニュースだと嫌がらせによって怪我をした生徒がいたって話だったけど、実は最初に目をつけられた女子生徒が証言したらしいんだ。俺も会ったことはないんだけど、当時は不登校でずっと引きこもっているみたい」
「女子生徒……?」
「井浦さんと同じクラスにいた子だって聞いてる。覚えてたりする?」
「……うん」

 忘れるわけがない。怯え、泣きじゃくっている姿が今でも思い出せる。入学してすぐに不登校になったから、顔も名前も曖昧だけど、私には彼女しか思い浮かばなかった。

「でもね、彼女が証言してくれたのは、袴田がきっかけなんだ」
「玲仁が? なんでまた……」
「袴田が動いたのは井浦さんが転校していってすぐのこと。『同じ思いをする奴がこれ以上増えないように』って、その子と直接会って協力してもらったんだって。クラスと先生が結託してるのは目に見えていたから、警察に持って行ったらしい。最初はまともに取り合って貰えなかったけど、頭下げて、女子生徒が精神科に受診したときの診断書を見て話を聞いてもらった。現在進行形で行われていた嫌がらせも、酷くなる前に袴田が止めたんだ」
「……つーことは、表向きには知られてないけど、結果的に玲仁が解決したようなモンか」
「結局はそうなるのかな。主犯格で退学になった田中って奴、相当悪い人と繋がってたみたいで、袴田と鉢合わせすると必ず喧嘩してたみたいなんだ。だから中学は喧嘩三昧だったと思う。アイツ、いつも一人でいたから狙われやすくて……」
「それで大晴、お前はどこからその話を聞いたんだ?」
「袴田本人から聞き出しだ。これ以上関わるとまた怪我するからって、その日以来話す事はなくなったけど……今思えば、俺に話してくれたのは井浦さんに伝えるためだったのかな」