[長編]隣の席の袴田くん、死んで神になったらしい。

『俺さ、結構呆気なく死んだだろ。いろんな人が施してくれたにも関わらず、そのまま死んでいった。最強の不良だとかいわれても死には抗えない――そんなこと、考えたらわかるのにな。死んでからお前だけが見えることに調子乗って、岸谷が荒れていることを知った。アイツが悪い方に進んだらって思ったら心配でさ。……でも今日の騒動を見て吹っ切れた。アイツらは俺が居なくても大丈夫だ』
「袴田くん……」
『だから俺は、俺のやることやって終わらせるわ』

 袴田くんはポケットから黒い靄が入ったビー玉を取り出す。外の光のせいなのか、不気味に輝いて見えるそれを摘まむようにして空にかざした。

『お前が聞きたかったこと教えてやろうか。――吉川のこと』

 袴田くんが彼女の名前を口にしても、私は特に驚かなかった。むしろ想定内だ。掴んだ腕をほどくと、彼は私と向き合う。
 吉川明穂――北峰で行われたミスコンの優勝経験を持つ彼女は一年前、学校近くのコンビニで起きた指名手配犯による立てこもり事件に巻き込まれ、犯人が刃物を振り回した際に腹部に刺さり、病院に搬送された。
 ニュースではそこまでしか報道されていないが、彼女は昏睡状態であることは一部の人間しか知らない。私はそれを、岸谷くんから直接聞いていた。だからこそ、彼の忠告を告げられた彼女の事がどうしても忘れらなかった。

「……ニュースになるほどの騒ぎになって、クラスや先生から、私や岸谷くんが仕向けたんじゃないかって噂も一時流れてた。でもそれは一週間もしないうちに消えていって、吉川さんのクラスでは入学当初から持病の関係で不登校扱いにされていた。あの立てこもり事件からここまで、全部袴田くんが仕組んだことなの? 私があの時、袴田くんの忠告を聞き入れていれば、吉川さんは今も学校にいたの?」

 何度も聞こうとした。タイミングはいくらでもあった。
 でも怖かった。
 たった数ヵ月の隣の席同士で、大した会話をした覚えがない袴田くんを信用しきれなかった。それでも彼が人を殺めるような事をするはずがないと信じた。
 袴田くんはへらっと笑って言う。

『いいや、お前が関わっていなくてもいずれ俺が手を出してた。それが予定より早まっただけだ。でもまぁ……そうだよな。井浦にとってあれはトラウマもんだよな』
「そう、だけど……さっきからいじってるそれ、なに?」

『これ? 吉川だよ』

 あまりにも呆気なく袴田くんが言うから、思わず聞き流してしまいそうになった。
「……どういうこと? 吉川さん?」
『学校近くのコンビニで立てこもり事件があっただろ? あの時に回収しておいたんだ。本体は病院で寝ていることになってるけど、俺がコレを体内に取り込めば、アイツは魂を食われたことになる。――つまり、死ぬってワケ』
「……何を言ってるの?」
『そしたらお前や岸谷に関わることもなくなるし、俺も復讐できて大満足! 一石二鳥ってやつ? 俺の心残り全部をビー玉一つで解決しちまうんだから、ちょー最高じゃん!』
「ダメだよ……そんなの絶対ダメ!」

 歓喜の声を挙げる袴田くんを遮って、夜の誰もいない教室で声を荒げた。こうでもしないと彼はきっと聞き入れてくれない。それでも袴田くんは続けた。

『お前、都合よく忘れたとか言うなよ。机にされた落書きや花も、フェンスごとお前を落とそうとしたのも全部アイツの仕業だ。俺が間に合わなかったら、お前が死んでいたかもしれないんだぞ』
「分かってるよ! でも……っ」

 忘れるわけがない。
 今でも教室に行けば、机の上に飾られた花を思い出して怖くなるし、屋上のフェンスに背を向けた時は死ぬかもしれないと思ってなるべく校舎側に背を向けるようにしている。
 恐怖のあまり足がすくんで動けなくなることもあったけど、いつも袴田くんが助けてくれた。

「……こんなの、ちがうよ」

 私はお気楽で、自分勝手な人間だと思う。
 殺したくなるほど恨んでいても、許してあげてって言っちゃうし、殴り合いの喧嘩よりも話し合いで平和的に終わらせたい。袴田くんの後悔や怒りすべてを、私は理解してあげられない。

「こんなの復讐でも何でもないよ! 袴田くんは、卑怯な手を使う人間じゃない!」

 生前の彼と関わりがほとんどない私にとって、この言葉は彼にとって、侮辱に聞こえてしまうかもしれない。
 でも他に、言葉が見つからない。

「袴田くんに、悪役は似合わないよ」

 言葉足らずでごめん。でもこれしか彼に伝えられない。選択を後悔する前に立ち止まってほしいだけなのに、私の言葉が彼を追い詰めるばかりだ。
 すると、窓の外で一発目の花火が打ち上げられた。視界の端に黄色の大きな花が夜空に咲くと、色とりどりの花火が次々と上がっていく。こんな状況でなければもっと素敵に見えただろう。

『……お前は、あの頃から何も変わってないんだな』

 花火の打ち上げが一瞬止まると、袴田くんは私に提案した。
 ……いや、提案というより、挑戦状というべきか。

『止めたいなら、俺の心残りを見つけてよ』

第三章 渾身の一撃    〈了〉
「あの時こうしておけばよかった」と後悔することは、生きていれば何度も経験する。
 例えば、受験勉強のために買っておいた牛乳パックのミルクティーを、知らぬ間に家族が飲み干していたとしよう。冷蔵庫に入れる前に自分の名前を書いておけばよかったし、周りにも「飲むな」と釘を刺して置けばいいだけの話だ。しかし、いくら名前を書いておいても牛乳パックの柄に紛れて見えなかったり、油性ペンだと思って使ったら水性ペンだったと、先回りしても問題は発生する。
 そうやって、試行錯誤をしながら在りつけたミルクティーは、受験勉強のお供とはいえ、さぞ美味しかったことだろう。

 でも生きていれば牛乳パックのミルクティーなんて何本も飲めるし、誰かに飲まれてもまた買い直せばいい。間違えても失敗しても、別の方法でやり直せばいい。

 ――だから、目の前にいる彼が死んだ後に道を外れようとした時、引き戻さなければならないと思った。
 どれだけ試行錯誤をしたって、死んでしまったら次の対策なんて考えられないのだから。
  *

 ひと騒動があった夏祭りから数週間後、北峰高校は新学期を迎えた。
 あれから南雲第一がいつ突撃してくるかと構えていた岸谷くんたちだったが、トップである高御堂晃から「今後一切関わらない」といった内容を、高御堂の取り巻きが直接言いにやってきた。岸谷くんは何か察したようだったけど、何も言わなかった。
 その日を堺に、北峰と南雲の喧嘩は減っていった。何十年前のマドンナ争奪騒動から続いたこの喧嘩も、ようやく幕を閉じることになるだろう。
 それもあってか、校内が以前より明るく活気に溢れた様子で賑わっていた。

「さぁ、文化祭の準備進めるよー!」

 本日の授業をすべて終えた放課後前のホームルームでは、文化祭委員が中心となって、教室の内装や展示物について説明が行われている。
 夏休みが明けたばかりとはいえ、すでに文化祭まであと二週間と迫ってきていた。秋の季節に行う当校の文化祭は、夏休み期間中に部活内での出し物や屋台、クラスごとのパフォーマンス練習を含めて、休みが少しだけ長く取られている。夏祭りでの屋台が練習用として出してたのもその為だった。
 私がいるクラスは、展示を兼ねた休憩スペースの提供だけのため、夏休みは準備することも何もなかったから、クラスメイトに会うのも随分久々だった。

「机は四つで一つの島を作って、テーブルクロスを掛ける予定だから、机の中は空にしておいてください。それと、今まで授業で作ってきた模造紙を持ってきたので、どれを飾るか決めたいです。今日はこれだけ決まったら解散! 部活の準備に行く人は行っていいよ。だから早く決められるように協力してください」

 実行委員の()()さんの一言で皆の目の色が変わった。教卓に並べられた模造紙を一人が広げると、皆が群がって内容を確認していく。北峰のクラス替えは、入学時と二年生へ進級するだけ。担任も昨年から変わっていなかったから、すべて先生が管理してくれていたらしい。
 なかでも量が多かったのは、二年の時に社会の授業で作られた豆知識年表だ。班ごとに過去の偉人をピックアップし、その人の生涯を掘り下げてまとめたもので、あっと驚くエピソードや悲しく辛い事実が出てくるたびに、誰もが目を輝かせた。
 模造紙にまとめるのだって、小学生の夏休みで出された自由研究以来で懐かしいと笑いながら、それぞれ楽しそうに書いていたのを思い出す。

「あ、おい。袴田の名前があるぞ!」

 クラスメイトの一人が声を上げた。模造紙に大きく書かれたタイトルの右下にある、班員の名前の中に「袴田玲仁」の名前を見つけたらしい。走り書きのように書かれたその文字は、袴田くん本人が書いたものだ。

「袴田って意外にちゃんと授業受けてたよな」
「確かに……よく喧嘩してるから怖いと思ってたけど、話してみたらそんなことなかったし」
「いい奴だったよな!」

 思い出話に花を咲かせるクラスメイトに、私はそっと周りを見渡した。いつもなら嬉しそうに頬を緩める彼の姿は、今日もない。

「井浦さん、どうかした?」
「……ううん、何でもない」

 誰もいない教室の一番後ろにある窓側の席を見つめながら、声を掛けてくれたクラスメイトに適当に答えた。
 夏祭りの日を堺に、袴田くんと会っていない。
 休みが明けてすぐに教室や屋上を探したが、彼らしき人物は見当たらなかった。
 彼の姿が見える条件から私が外れて、目に映らなくなってしまったのかもしれないと不意に思ったことがある。私が無意識にいないものと捉えている可能性も捨てきれない。
 今も窓側の席で寝ているか、屋上でお気に入りの給水タンクの上で昼寝をしているか。はたまた、気分転換に町に出掛けているのかもしれない。近くにいるかもしれないという思考を持ちながら生活するのは、監視カメラで視られているよりも苦痛だった。

 ――『止めたいなら、俺の心残りを見つけてよ』

 あの日、袴田くんから半ば強引に渡された挑戦状にずっと悩んできた。
 彼が成仏しないことに不思議と思いながらも深く考えたことは正直なかったかもしれない。一緒にいることが多くて、生前のように話す姿は生きているものそのものだった。
 幽霊がこの世に留まるのは、生前の後悔や心残りといった未練があるからだと聞く。
 以前、袴田くんが言っていた、彼にとって学校がすべてが本心なら、彼は日々を高校生として過ごす中で心残りを解消していたはずなのだ。だからそれ以外と考えるのなら、一つだけ。
 自分を死に追いやった張本人――吉川明穂への復讐だ。
 例え背中を押したのが彼女でなかったとしても、袴田くん自身が日頃から鬱陶しく思っていた可能性もある。ストレスが恨みに繋がっても不思議ではない。
 それに夏祭りのあの日、黒い靄が渦巻くビー玉を掲げて見せてきたそれを、吉川さんの魂だという。
にわかに信じられないが、彼女が起きない理由があるとするならそれが原因かもしれない。
 しかもそのビー玉を体内に取り込めば、彼女は死んでしまうとまで言っていた。
 今まで普通に人が食べるもの――特に岸谷くんのお弁当とか、岸谷くんに買わせたコーラとか――を口にしているのは何度も見てきたし、空になっているのも私以外の人でも確認している。だから生前と同じように空腹になるのかと思い、本人に聞いてみると「食べたいときに食べているだけ」と、ざっくばらんに流されてしまった。
 春先に見た、桜の花びらが彼の手の中でボロボロに崩れて消えてしまったあれは、桜の花びらから精気を吸い取っていたとしたら――それが彼にとって本当の食事だったのかもしれない。
 しかし、どうして一年もの間、袴田くんは彼女の魂を食べずに保管していたのだろう?
 あのビー玉は魂そのものと、彼自身が言っていた。体内に取り込むだけで死に直結するのなら、その代償として袴田くん自身にも影響があるのかもしれない。それとも、取り込んだことで成仏ができないと思ったから、今まで人のものを食べて紛らわせていたのか。考えれば考えるほど混乱する。

「井浦ちゃん? 大丈夫?」
「……へ?」

 気づいた時には、目の前にスクールバッグを肩に掛けて立っている佐野さんがいた。すでに教室はがらりとしていて、私と佐野さん以外誰もいない。教卓の上には文化祭委員が持ってきた模造紙が散乱している。誰も片付けずに帰ったらしい。

「佐野さん、ホームルームは……?」
「随分前に終わったよ。先生に受験のことで呼び出されて職員室から戻ってきたら、井浦ちゃんがボーッとしてたんだもん。びっくりしちゃった」
「……そんなに時間経ってた?」
「そうだよ。気付かなかった? ……井浦ちゃんのことだから、別のことを考えていたんでしょ?」

 フフッと小さく笑って、佐野さんが近くの席から椅子を引っ張ってきて座ると、机に肘をついて聞いてくる。

「なんかあった? 心ここにあらずって顔してるよ」 
「……何でもないよ。ボーっとしてただけ」

 内容が内容なだけに、他人に相談できるようなものではない。私が黙っていると、見かねた佐野さんは小さく溜息をついた。

「前に井浦ちゃん言ったよね?『私は佐野さんが思っているような人間じゃない』って。確かにあの時は強引に連れ出したこともあって、信用してもらえなかっただろうし、私も井浦ちゃんのことわからなかったけどさ。一緒に放課後に寄り道して沢山話して、テスト勉強一緒にやって、夏祭りでかき氷まで売った。結構濃い時間だったと思わない?」
「……思う」
「でしょ? だからもうわかるよ。井浦ちゃんが――ううん、楓が他人のことを考えすぎてパンクしてること」

 ――佐野さんはいつもそうだ。周りをよく見ていて、誰かの表情を察して、話を聞いてくれる。船瀬くんが脅されていた時も、夏祭りで危ない目に遭った時も泣きながら叱ってくれた。人の為を思って、自ら悪役になれる人だと思う。
 それに比べて私はどうだろう。思っていることは全部綺麗事で、口先だけで行動に移そうとはしない。稀にあったとしても、それは稀でしかない。

「一人で考えてたって出てこないときは出てこないんだから、周りを頼るべき! ……私でよければ、いくらでも付き合うよ」

 佐野さんがニッと口元を緩めると、私も自然に笑っていた。この人には一生敵わないと思うと共に、とても心強く思った。

「じゃあ……もし、もしもだよ? つい最近話すようになった知人が、人の道を踏み外そうとしていたらどうする?」
「……すっごく極端な質問ね。殺人事件にでも関わっちゃった?」
「た、例えばの話だから!」

 怪しいとしかめっ面をしながらも、佐野さんは少し考えて口を開いた。

「私は止める前に話を聞く。何があったのか、どうしてその考えになってしまったのか、とか」
「その人が行方不明だったら?」
「それって行動を起こそうとしてるってこと? だったら探しにいくよ。行きそうなところにあたりをつけて……ああもう、まどろっこしい! 誰の話よ! 私も知ってる人!?」
「だから例えだって!」

 話を聞いているうちに腹立ってきたのか、ヒートアップしていく佐野さんを落ち着かせる。
 確かに袴田くんの事だと言ってしまえば楽だけど、事実上亡くなっている彼の話を出したところで別の問題が発生してしまう。考えているうちに、佐野さんは独り言のように小声で知り合いを片っ端から上げ始めた。

「身近で道を踏み外そうな人……キッシーとか? また淳太とか……」
「いや、だから……」
「僕がどうかしましたー?」
「……え!?」

 いつからそこにいたのか、教室の入口で荷物を抱えた船瀬くんが顔を覗かせていた。入口から私の席まで距離があるのに、どうやって佐野さんの独り言が聞こえたのか。

「淳太が三年の教室近くにくるの珍しいね。その様子だと……荷物持ち?」
「はい。数学研究室に先生の荷物を戻しに行く途中で、先輩たちを見かけてつい。僕のことを名前で呼ぶのは、佐野先輩くらいしかいませんからね」
「そんなに呼んでたっけ?」
「それはもう、飼い犬を呼ぶ勢いで。何かあったんですか? 佐野先輩は粗ぶってるし、井浦先輩は困り顔だし。役に立つかは分かりませんが、聞かせてください」
 失礼しまーす、と言いながら教室に入ってくると、佐野さんが近くの椅子を引っ張ってきて座るように促した。三人寄れば文殊の知恵、ということか。
 佐野さんが先程までの話を簡単に説明すると、船瀬くんは荷物を抱えたまま首を傾げた。

「なるほど……かなりアグレッシブな人ですね。仮に岸谷先輩だったら、不良のまとめ役を担っている時点で可能性は低そうですが……」
「だから例え話だし、特定するゲームじゃないから。……それで、船瀬くんだったらどうする?」
「僕だったら頭突きしてでも止めます」

 アグレッシブなのはどっちだ。

「先輩たちも知っているように、僕は思い込みが激しいです。被害妄想も酷くて、つい最近まで他人を疑ってばかりでした。でもある人に言われて目が覚めたんです。何よりも劣っていると思っていた自分にも武器がある……ただの考えすぎから繋がった結果です。もしやられ返されたら、向こうが冷静になるようなことをします。井浦先輩の知り合いが話を聞いてくれないようであれば、僕が前に出ましょう。もちろん、話を聞いてから。頭突きは奥の手に過ぎません」
「……頭突きをした時点で大抵の人が冷静になると思うけどね」

 夏祭りの一件で袴田くんと何かあったようだけれど、詳しいことは聞いていない。それでも彼を変えるきっかけを作ったのは、間違いなく袴田くんだろう。

「そうだ、先輩に僕直伝の頭突きを伝授しますよ! 不審者に後ろから羽交い絞めにされても抜け出すコツもあわせてお教えします!」
「え!? あ、いや……」
「それは私も知りたいっ!」
「もちろんです。まずはですねー……」

 どこからその流れになったのか、いつの間にか船瀬くんから頭突きを教えてもらうことになってしまった。これは石頭であるからこそできる芸当であって、簡単にできることではない。それに後ろから羽交い絞めにあったとしても、頭突き以外にも方法はある。
 「佐野先輩、角度はもう少し後ろです!」「こ、こう?」と真剣に練習している二人を眺めていると、先程まで深く考えすぎていた自分に呆れた。この会話が、この空気がすべて私の荷を軽くするためのものだと分かった途端、思わず声に出して笑ってしまう。二人はキョトンとした顔でこちらを見ていたけど、すぐににんまりと頬を緩ませた。

「もう大丈夫そうですか?」
「うん、ありがとう。……やること、わかった気がする」

 私は鞄に必要なものを詰め込んでまとめると、背負いながら言う。

「二人に相談してよかった。後は私が頑張ってみる」
「……そっか。なんかあったら戻っておいで! 話ならいくらでも聞くからさ」
「僕も聞きますから!」
「ありがとう。それじゃ、また明日」
「頑張れーっ!」

 二人に押してもらった背中を、無駄にしない。
 私は二人を置いて教室を後にする。後ろから「金髪の先輩のことを聞きそびれた!」と船瀬くんの嘆く声が聞こえた気がしたけど、聞かなかったことにした。
 夏休み前と比べて、放課後にも関わらず多くの生徒が校内に残っている。その大半が文化祭の準備で、特に生徒会で分担された細かい部分の準備に手間取っているようだ。
 中庭では風紀委員会のメンバーが揃って、学校の正面校門に設置する看板の製作の真っ最中だ。岸谷くんが中心となり、他の委員が慣れない手つきで描いていく。
 声をかけるタイミングを伺っていると、岸谷くんの方から私に気付いてやってきた。

「井浦? お前も手伝いにきてくれたのか?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあって。……袴田くんのことで」

 岸谷くんは途端に顔をしかめた。そして風紀委員に作業の指示を出すと、少し離れた場所に移動して、周りに人がいないか確認して問う。

「袴田がどうしたんだよ。お前が直接聞いたほうが早いだろ?」
「……それができないから、岸谷くんに聞きに来たんだよ」

 内容が内容なだけに話しにくくて、岸谷くんには話していなかったのだ。
 花火の時のことを話すと、彼は「あのバカは……」と頭を搔き毟った。

「袴田の奴、何考えてんだ? そんなことする奴じゃなかったのに」
「やっぱり……」
「ん? やっぱりって?」
「私は、袴田くんが吉川さんのことを恨んでいても仕方がないって思った。それこそ自分を殺した張本人だと思えば尚更、憎んでいてもおかしくない。でもそれは、私が死んだ後の袴田くんを見て得た印象で、生前の彼のことはわからない。そんな私が袴田くんの心残りを見つけるなんて、無理な話なんだよ」
「まぁ……そうだろうけど。だから俺のところに来たのか?」
「うん。でも岸谷くんだけじゃなくて、いろんな人に袴田くんのことを聞きたいって思ってる」
「……本気か? アイツが関わった奴なんて沢山いるし、時間がかかるぞ」
「だから、岸谷くんが知っている中で一番近かった人と話がしたい。二人を助けたいの、お願い!」

 私は勢いよく頭を下げる。岸谷くんは葛藤しているようで、しばらく沈黙が続いた。

「許すんだな? 未遂でも、吉川がお前にしたことは犯罪だぞ」

 岸谷くんの声は、どこか怒りが込められているようだった。袴田くんのことも、意味のない喧嘩をさせられてきたことも全部を考えた上で、吉川さんを許すわけにはいかないのだろう。
 それは私だって同じだ。袴田くんが助けにきてくれなかったら、私はあの壊れたフェンスと一緒に落ちて地面に叩きつけられていたのだ。そう簡単に許せるわけはない。
 だからって袴田くんのやり方は間違ってる。

「私は生かして償わせるべきだと思うから、袴田くんを止めたい」

 頭を下げたままだから、彼がどんな顔をしているかわからない。協力できないと言われてしまえば終わりだけど、それもまた仕方がないだろう。出方を伺っていると、頭の上から大きな溜息が聞こえた。

「ったく……そんなこと言われちまったら、協力しない訳にいかねぇだろ」

 ゆっくりと顔を上げると、岸谷くんは不敵な笑みを浮かべていた。

「じゃあ……!」
「けど、俺よりももっとよく袴田のことを知っている人がいる。まずはその人に聞くべきだ」
「そうなの?」
「ああ。俺らが入学した当初、よく袴田を気にかけていた先輩が定食屋で働いてる。三日後の金曜日ならいるはずだから行ってこい。金曜日なら次の日休みだし、文化祭の準備で遅くなるって理由をつけられるだろ。その間に俺は他の奴等から袴田が生きているときに巻き込まれたトラブルがあったか探ってみる。出身の中学もここからそう離れていないし、何かわかるかもしれない」
「そ、そうかもしれないけど、さすがに急すぎない?」
「善は急げだ。向こうには俺から連絡しといてやるよ。あーそうだ、これ使え。そしたら先輩に用事だってわかるから。あと腹は空かしておけよ。白飯のおかわり自由だから」

 岸谷くんはスマートフォンのケースに挟んでいた『おんど食堂…特別券(野菜)五〇〇円』と書かれた、手のひらサイズの紙を渡された。端はボロボロで、使い込んだ跡がある。

「おんどしょくどう……?」
「先輩の名前は(おう)()(りょう)()(ろう)。――在学中に“最強の自由人”と謳われた変人だ」