『よう、高御堂。相変わらずセコイことして楽しんでるみたいじゃん』
「袴田……!? なぜだ、お前は死んだはずじゃ……!?」
『んなもん、お前が一番わかってんだろ。高御堂コーポレーションで資材を運ぶときに使ってる大型トラック。俺はアレに轢かれたんだから』
お前もあの時乗ってたんだろ、と袴田が言う。
一年前のあの日――朝まで出歩いていた高御堂は、従業員に迎えにくるように言いつけた。送迎はよくあることだったので、従業員は荷物を運ぶついでとして高御堂を道中で拾って会社へ向かった。
しかし、信号に従って交差点に入っていくと、突然北峰の生徒がトラックの前に飛び出してきたのだ。運転していた従業員は慌ててブレーキをかけたが間に合わず、生徒と衝突してしまう。
当時、高御堂は眠っていたため、その場面を目撃していない。従業員は学校同士の喧嘩事情を知っていたこともあって「社長の息子に疑いが掛けられた困る」と、そっと高御堂を現場から逃がしていたのだ。
『あの時運転してた奴はちゃんとブレーキを踏んで止めようとしていたし、救急車が到着するまで何度も声をかけてくれた。……どう足掻いてもあれは逃れられなかったんだ。今さら事故のことを責めようとは思ってねぇよ』
「それじゃあなぜ……!」
『ウチの奴らがたいそう世話になったから、礼でもしてやろうと思ってな』
袴田はそう告げた途端、間髪入れずに高御堂の腹部を蹴り飛ばした。咄嗟に受け身をとろうと地面に手が着いたと同時に、袴田は距離を詰めて胸倉を掴んで建物の壁に叩きつける。
「ひぃ!」
『情けねぇ……これでよく南雲のトップとか名乗れたな』
「ま、待ってくれ! 俺は北峰に負けたんだ、すでに今回は決着がついて……」
『は? 学校同士の決着なんてどうでもいい』
高御堂は耳を疑った。あれだけ学校を背負っていた彼が「どうでもいい」などと口にしたことが信じられなかった。
「どうでもいいって……ふざけるな! 俺達は学校の伝統のために今まで……」
『すでに死んでる人間が、学校の意地を背負ってどうすんだよ。あれはもう岸谷が引き継いでる。ただ、無関係な奴を巻き込んでるお前のやり方は気に食わねぇ。だから俺が、独断で動いてるわけ』
胸倉を掴む手が更に強くなる。壁に抑えつけられているだけなのに、首を絞められているような感覚だった。必死に抵抗しようと高御堂は拳を固めるが、袴田の殺気立った目を見て、途端に力が抜けていく。今までの喧嘩で見せた余裕の表情ではなく、本気で怒っている時の表情だと察すると、震えが止まらなかった。
袴田は彼の怯えた表情を見て、『くははっ』と嘲笑う。
『今後アイツらに関わるな。破ったその時は――わかってんだろ?』
警察の事情聴取から解放されたのは、丁度抽選会が後半に差し掛かったところだった。
すでにブースの片付けを終えていた佐野さんと野中くんは、手当されて戻ってきた私と船瀬くんの姿を見て驚き、何があったのかと問い詰められた。佐野さん相手に隠し通せるはずもなく、白状すると、二人は涙目になりながら私達に怒ってくれた。
「もっと自分を大切にして! もうダメ、喧嘩絶対ダメ! キッシーに言って根本的に無くしてもらおう!」
「いや、それはどちらかというと学校側が……何でもないです!」
なぜか闘志を燃やしている佐野さんに、野中くんと船瀬くんは未だついていけず、ひとまず花火が見える特等席――学校の屋上へ移動することにした。岸谷くんが「袴田もいた方が楽しいだろう」と提案してくれて、屋上の鍵を貸してもらえることになったのだ。後で彼も合流するという。
軽く食べられるものを持って行くと、相変わらずコンクリートとフェンスだけの寂しい光景が広がっている。学校の屋上に、しかも夜に立ち入れることなど普通はできないから、優越感に浸ってしまう。
しかし、袴田くんの姿はどこにもいない。お気に入りの給水タンクの上で寝ているのかと思いきや、隠れている様子もなかった。どこか散歩にでも行っているのだろうか。
「あれ、井浦ちゃんどうしたの?」
「ちょっと、教室に忘れ物を取りに行ってくるね」
「もう少しで花火始まっちゃいますから、早くしてくださいねー!」
ぼんやりと照らされた階段と廊下を抜けて、数日ぶりの教室に向かう。グラウンドから届く光が校舎まで届いて教室の窓側の席を照らしている。
袴田くんは自分の机に寄り掛かって窓の方を眺めていた。教室の入口からだと後ろ姿しか見えないから、彼がどんな顔をしているのかは分からない。
声をかけようか躊躇っていると、袴田くんが察したのか、顔だけをこちらに向けた。
『井浦? 何してんの?』
「えっと……は、袴田くんが屋上にいなかったからここかなって」
『は? 今日は出入り出来ないハズだろ。わざわざ登ってきたわけ?』
「岸谷くんが屋上を開けてくれたの。佐野さんと船瀬くん、野中くんも一緒」
『うわっ……相変わらず濃いメンバー揃ってるな』
「……袴田くんも、でしょう?」
呆れてそう言うと、『それもそうか』と鼻で笑ってまた窓の方を向いてしまう。逆光でよく見えなかったけど、何となく思いつめているような気がして、私は彼の隣に立った。
『どうした? そろそろ花火だろ?』
「……船瀬くんから聞いた。袴田くんが助けてくれたって」
警察の聴取で詳しい話をした後、船瀬くんが私にだけこっそり教えてくれた。
時間が止まったかと思えば、突然現れた金髪の人物に指摘されたうえ、一発殴られて目が覚めたのだという。詳しい話は教えてくれなかったし、なぜ殴られる破目になったのかは分からないけど、船瀬くんは以前よりスッキリした顔をしていた。
「私が袴田くんと同じクラスだったって言ったんだって? 会った時にお礼を言いに行くから呼び止めておいてくれって頼まれたよ」
『くははっ。大したことしてねーよ。ただ、アイツが復讐するためにちょっと手を貸しただけだ』
袴田くんはそう言って小さく笑った。その表情はとても生き生きとしていて、喜んでいるように見えた。復讐なんて物騒な言葉が、今だけは希望のような言葉に聞こえてしまうくらいに。
もうじき打ち上げ花火が上がるのか、グラウンドのライトが消えて屋台の灯りだけが残った。今頃多くの人たちが空を見上げて待ち構えているのだろう。屋上で待っている佐野さんたちも楽しみにしているはずだ。
『そろそろ始まるな。屋上に行くなら……井浦?』
ずっと黙っている私に、袴田くんは顔を覗き込むようにして聞いてくる。弱いながらも外の光で照らされた金髪が白っぽくて、このまま溶けてしまいそうに見えた。
私は思わず彼の腕を掴む。長袖越しから伝わってくる彼の体温は、氷のように冷たかった。
「……何を、考えてたの?」
『急になんだよ』
「この間まで岸谷くんに自分の姿を見せられたのに、急に声だけしか共有できなくなってたのが気になった。楽しいことが好きな袴田くんが、ずっと屋上で見物してるとは思えない。……顔を合せてなかったから、余計に気になって」
本当は、ずっと前から違和感を感じていた。
夏休みが終われば、袴田くんが事故に遭った秋がやってくる。もう一年もこの世を彷徨っているのに、彼は一向に成仏しようとはしない。生きていた頃の心残りがあるからと思い込むようにしていたけれど、条件付きとはいえ突然現れて助けに入ったり、時間を止めて巻き戻したりなんて、幽霊にしては特殊な能力を持ちすぎている。人が亡くなった後のことは私には分からないけど、彼は異常な存在なのではないか、と思ってしまうのだ。
すると袴田くんは、小さく息を吐いて窓の方を向いた。
『俺さ、結構呆気なく死んだだろ。いろんな人が施してくれたにも関わらず、そのまま死んでいった。最強の不良だとかいわれても死には抗えない――そんなこと、考えたらわかるのにな。死んでからお前だけが見えることに調子乗って、岸谷が荒れていることを知った。アイツが悪い方に進んだらって思ったら心配でさ。……でも今日の騒動を見て吹っ切れた。アイツらは俺が居なくても大丈夫だ』
「袴田くん……」
『だから俺は、俺のやることやって終わらせるわ』
袴田くんはポケットから黒い靄が入ったビー玉を取り出す。外の光のせいなのか、不気味に輝いて見えるそれを摘まむようにして空にかざした。
『お前が聞きたかったこと教えてやろうか。――吉川のこと』
袴田くんが彼女の名前を口にしても、私は特に驚かなかった。むしろ想定内だ。掴んだ腕をほどくと、彼は私と向き合う。
吉川明穂――北峰で行われたミスコンの優勝経験を持つ彼女は一年前、学校近くのコンビニで起きた指名手配犯による立てこもり事件に巻き込まれ、犯人が刃物を振り回した際に腹部に刺さり、病院に搬送された。
ニュースではそこまでしか報道されていないが、彼女は昏睡状態であることは一部の人間しか知らない。私はそれを、岸谷くんから直接聞いていた。だからこそ、彼の忠告を告げられた彼女の事がどうしても忘れらなかった。
「……ニュースになるほどの騒ぎになって、クラスや先生から、私や岸谷くんが仕向けたんじゃないかって噂も一時流れてた。でもそれは一週間もしないうちに消えていって、吉川さんのクラスでは入学当初から持病の関係で不登校扱いにされていた。あの立てこもり事件からここまで、全部袴田くんが仕組んだことなの? 私があの時、袴田くんの忠告を聞き入れていれば、吉川さんは今も学校にいたの?」
何度も聞こうとした。タイミングはいくらでもあった。
でも怖かった。
たった数ヵ月の隣の席同士で、大した会話をした覚えがない袴田くんを信用しきれなかった。それでも彼が人を殺めるような事をするはずがないと信じた。
袴田くんはへらっと笑って言う。
『いいや、お前が関わっていなくてもいずれ俺が手を出してた。それが予定より早まっただけだ。でもまぁ……そうだよな。井浦にとってあれはトラウマもんだよな』
「そう、だけど……さっきからいじってるそれ、なに?」
『これ? 吉川だよ』
あまりにも呆気なく袴田くんが言うから、思わず聞き流してしまいそうになった。
「……どういうこと? 吉川さん?」
『学校近くのコンビニで立てこもり事件があっただろ? あの時に回収しておいたんだ。本体は病院で寝ていることになってるけど、俺がコレを体内に取り込めば、アイツは魂を食われたことになる。――つまり、死ぬってワケ』
「……何を言ってるの?」
『そしたらお前や岸谷に関わることもなくなるし、俺も復讐できて大満足! 一石二鳥ってやつ? 俺の心残り全部をビー玉一つで解決しちまうんだから、ちょー最高じゃん!』
「ダメだよ……そんなの絶対ダメ!」
歓喜の声を挙げる袴田くんを遮って、夜の誰もいない教室で声を荒げた。こうでもしないと彼はきっと聞き入れてくれない。それでも袴田くんは続けた。
『お前、都合よく忘れたとか言うなよ。机にされた落書きや花も、フェンスごとお前を落とそうとしたのも全部アイツの仕業だ。俺が間に合わなかったら、お前が死んでいたかもしれないんだぞ』
「分かってるよ! でも……っ」
忘れるわけがない。
今でも教室に行けば、机の上に飾られた花を思い出して怖くなるし、屋上のフェンスに背を向けた時は死ぬかもしれないと思ってなるべく校舎側に背を向けるようにしている。
恐怖のあまり足がすくんで動けなくなることもあったけど、いつも袴田くんが助けてくれた。
「……こんなの、ちがうよ」
私はお気楽で、自分勝手な人間だと思う。
殺したくなるほど恨んでいても、許してあげてって言っちゃうし、殴り合いの喧嘩よりも話し合いで平和的に終わらせたい。袴田くんの後悔や怒りすべてを、私は理解してあげられない。
「こんなの復讐でも何でもないよ! 袴田くんは、卑怯な手を使う人間じゃない!」
生前の彼と関わりがほとんどない私にとって、この言葉は彼にとって、侮辱に聞こえてしまうかもしれない。
でも他に、言葉が見つからない。
「袴田くんに、悪役は似合わないよ」
言葉足らずでごめん。でもこれしか彼に伝えられない。選択を後悔する前に立ち止まってほしいだけなのに、私の言葉が彼を追い詰めるばかりだ。
すると、窓の外で一発目の花火が打ち上げられた。視界の端に黄色の大きな花が夜空に咲くと、色とりどりの花火が次々と上がっていく。こんな状況でなければもっと素敵に見えただろう。
『……お前は、あの頃から何も変わってないんだな』
花火の打ち上げが一瞬止まると、袴田くんは私に提案した。
……いや、提案というより、挑戦状というべきか。
『止めたいなら、俺の心残りを見つけてよ』
第三章 渾身の一撃 〈了〉
「あの時こうしておけばよかった」と後悔することは、生きていれば何度も経験する。
例えば、受験勉強のために買っておいた牛乳パックのミルクティーを、知らぬ間に家族が飲み干していたとしよう。冷蔵庫に入れる前に自分の名前を書いておけばよかったし、周りにも「飲むな」と釘を刺して置けばいいだけの話だ。しかし、いくら名前を書いておいても牛乳パックの柄に紛れて見えなかったり、油性ペンだと思って使ったら水性ペンだったと、先回りしても問題は発生する。
そうやって、試行錯誤をしながら在りつけたミルクティーは、受験勉強のお供とはいえ、さぞ美味しかったことだろう。
でも生きていれば牛乳パックのミルクティーなんて何本も飲めるし、誰かに飲まれてもまた買い直せばいい。間違えても失敗しても、別の方法でやり直せばいい。
――だから、目の前にいる彼が死んだ後に道を外れようとした時、引き戻さなければならないと思った。
どれだけ試行錯誤をしたって、死んでしまったら次の対策なんて考えられないのだから。
*
ひと騒動があった夏祭りから数週間後、北峰高校は新学期を迎えた。
あれから南雲第一がいつ突撃してくるかと構えていた岸谷くんたちだったが、トップである高御堂晃から「今後一切関わらない」といった内容を、高御堂の取り巻きが直接言いにやってきた。岸谷くんは何か察したようだったけど、何も言わなかった。
その日を堺に、北峰と南雲の喧嘩は減っていった。何十年前のマドンナ争奪騒動から続いたこの喧嘩も、ようやく幕を閉じることになるだろう。
それもあってか、校内が以前より明るく活気に溢れた様子で賑わっていた。
「さぁ、文化祭の準備進めるよー!」
本日の授業をすべて終えた放課後前のホームルームでは、文化祭委員が中心となって、教室の内装や展示物について説明が行われている。
夏休みが明けたばかりとはいえ、すでに文化祭まであと二週間と迫ってきていた。秋の季節に行う当校の文化祭は、夏休み期間中に部活内での出し物や屋台、クラスごとのパフォーマンス練習を含めて、休みが少しだけ長く取られている。夏祭りでの屋台が練習用として出してたのもその為だった。
私がいるクラスは、展示を兼ねた休憩スペースの提供だけのため、夏休みは準備することも何もなかったから、クラスメイトに会うのも随分久々だった。
「机は四つで一つの島を作って、テーブルクロスを掛ける予定だから、机の中は空にしておいてください。それと、今まで授業で作ってきた模造紙を持ってきたので、どれを飾るか決めたいです。今日はこれだけ決まったら解散! 部活の準備に行く人は行っていいよ。だから早く決められるように協力してください」
実行委員の瀬野さんの一言で皆の目の色が変わった。教卓に並べられた模造紙を一人が広げると、皆が群がって内容を確認していく。北峰のクラス替えは、入学時と二年生へ進級するだけ。担任も昨年から変わっていなかったから、すべて先生が管理してくれていたらしい。
なかでも量が多かったのは、二年の時に社会の授業で作られた豆知識年表だ。班ごとに過去の偉人をピックアップし、その人の生涯を掘り下げてまとめたもので、あっと驚くエピソードや悲しく辛い事実が出てくるたびに、誰もが目を輝かせた。
模造紙にまとめるのだって、小学生の夏休みで出された自由研究以来で懐かしいと笑いながら、それぞれ楽しそうに書いていたのを思い出す。
「あ、おい。袴田の名前があるぞ!」
クラスメイトの一人が声を上げた。模造紙に大きく書かれたタイトルの右下にある、班員の名前の中に「袴田玲仁」の名前を見つけたらしい。走り書きのように書かれたその文字は、袴田くん本人が書いたものだ。
「袴田って意外にちゃんと授業受けてたよな」
「確かに……よく喧嘩してるから怖いと思ってたけど、話してみたらそんなことなかったし」
「いい奴だったよな!」
思い出話に花を咲かせるクラスメイトに、私はそっと周りを見渡した。いつもなら嬉しそうに頬を緩める彼の姿は、今日もない。
「井浦さん、どうかした?」
「……ううん、何でもない」
誰もいない教室の一番後ろにある窓側の席を見つめながら、声を掛けてくれたクラスメイトに適当に答えた。
夏祭りの日を堺に、袴田くんと会っていない。
休みが明けてすぐに教室や屋上を探したが、彼らしき人物は見当たらなかった。
彼の姿が見える条件から私が外れて、目に映らなくなってしまったのかもしれないと不意に思ったことがある。私が無意識にいないものと捉えている可能性も捨てきれない。
今も窓側の席で寝ているか、屋上でお気に入りの給水タンクの上で昼寝をしているか。はたまた、気分転換に町に出掛けているのかもしれない。近くにいるかもしれないという思考を持ちながら生活するのは、監視カメラで視られているよりも苦痛だった。
――『止めたいなら、俺の心残りを見つけてよ』
あの日、袴田くんから半ば強引に渡された挑戦状にずっと悩んできた。
彼が成仏しないことに不思議と思いながらも深く考えたことは正直なかったかもしれない。一緒にいることが多くて、生前のように話す姿は生きているものそのものだった。
幽霊がこの世に留まるのは、生前の後悔や心残りといった未練があるからだと聞く。
以前、袴田くんが言っていた、彼にとって学校がすべてが本心なら、彼は日々を高校生として過ごす中で心残りを解消していたはずなのだ。だからそれ以外と考えるのなら、一つだけ。
自分を死に追いやった張本人――吉川明穂への復讐だ。
例え背中を押したのが彼女でなかったとしても、袴田くん自身が日頃から鬱陶しく思っていた可能性もある。ストレスが恨みに繋がっても不思議ではない。
それに夏祭りのあの日、黒い靄が渦巻くビー玉を掲げて見せてきたそれを、吉川さんの魂だという。
にわかに信じられないが、彼女が起きない理由があるとするならそれが原因かもしれない。
しかもそのビー玉を体内に取り込めば、彼女は死んでしまうとまで言っていた。
今まで普通に人が食べるもの――特に岸谷くんのお弁当とか、岸谷くんに買わせたコーラとか――を口にしているのは何度も見てきたし、空になっているのも私以外の人でも確認している。だから生前と同じように空腹になるのかと思い、本人に聞いてみると「食べたいときに食べているだけ」と、ざっくばらんに流されてしまった。
春先に見た、桜の花びらが彼の手の中でボロボロに崩れて消えてしまったあれは、桜の花びらから精気を吸い取っていたとしたら――それが彼にとって本当の食事だったのかもしれない。
しかし、どうして一年もの間、袴田くんは彼女の魂を食べずに保管していたのだろう?
あのビー玉は魂そのものと、彼自身が言っていた。体内に取り込むだけで死に直結するのなら、その代償として袴田くん自身にも影響があるのかもしれない。それとも、取り込んだことで成仏ができないと思ったから、今まで人のものを食べて紛らわせていたのか。考えれば考えるほど混乱する。
「井浦ちゃん? 大丈夫?」
「……へ?」
気づいた時には、目の前にスクールバッグを肩に掛けて立っている佐野さんがいた。すでに教室はがらりとしていて、私と佐野さん以外誰もいない。教卓の上には文化祭委員が持ってきた模造紙が散乱している。誰も片付けずに帰ったらしい。
「佐野さん、ホームルームは……?」
「随分前に終わったよ。先生に受験のことで呼び出されて職員室から戻ってきたら、井浦ちゃんがボーッとしてたんだもん。びっくりしちゃった」
「……そんなに時間経ってた?」
「そうだよ。気付かなかった? ……井浦ちゃんのことだから、別のことを考えていたんでしょ?」
フフッと小さく笑って、佐野さんが近くの席から椅子を引っ張ってきて座ると、机に肘をついて聞いてくる。
「なんかあった? 心ここにあらずって顔してるよ」
「……何でもないよ。ボーっとしてただけ」
内容が内容なだけに、他人に相談できるようなものではない。私が黙っていると、見かねた佐野さんは小さく溜息をついた。
「前に井浦ちゃん言ったよね?『私は佐野さんが思っているような人間じゃない』って。確かにあの時は強引に連れ出したこともあって、信用してもらえなかっただろうし、私も井浦ちゃんのことわからなかったけどさ。一緒に放課後に寄り道して沢山話して、テスト勉強一緒にやって、夏祭りでかき氷まで売った。結構濃い時間だったと思わない?」
「……思う」
「でしょ? だからもうわかるよ。井浦ちゃんが――ううん、楓が他人のことを考えすぎてパンクしてること」
――佐野さんはいつもそうだ。周りをよく見ていて、誰かの表情を察して、話を聞いてくれる。船瀬くんが脅されていた時も、夏祭りで危ない目に遭った時も泣きながら叱ってくれた。人の為を思って、自ら悪役になれる人だと思う。