「へ?」
「半ば強引に呼び出して付き合わせちゃったから、大丈夫だったかなって」
先を歩く美玖ちゃんと佐野さんが振り返って、少し不安げな表情を浮かべた。
突然呼び出されて特に用事もなく、ただお喋りをカフェで長居していただけ。今までの私だったらきっと首を傾げて途中で帰っていたことだろう。何度か蚊帳の外になっていた私に気づいて話に入れてくれた、二人には感謝しかない。
「楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」
「なら良し! じゃあ次は名前呼びね!」
満面の笑みでハードルの高い要求をする佐野さんの隣で、美玖ちゃんもどこか安堵したような顔をしている。私自身がもっと積極的にならねばと痛感した。
しかし、元から人と関わるのが苦手な私が、こうやって休みの日にお喋りのためだけに外に出たのは大きな進歩だ。今頃学校で退屈しているであろう袴田くんに、今度自慢しよう。
すると、駅まであと少しのところで突然、南雲第一高校の制服を来た不良たちが立ちふさがった。
自分より何十倍も大きく、体格の良い彼らに思わず後ずさった。近辺の学校の夏休みが同じ時期だに入ることは知っていたけども、南雲の生徒があまり利用しない駅に出没するとは思わなかった。
しかし、彼らには船瀬くんにしか見えていないようで、佐野さんと美玖ちゃんを押しのけると、彼の正面に来て見下した。
「あれぇ? 船瀬クンじゃんー。元気だった?」
「女子に囲まれて帰るなんて、良いご身分だな?」
「……な、何か、ご用ですか?」
「そんなに怖がらないでよ、同じ仲間じゃん? 少しの間とはいえ、こっちに加担してたんだからさぁ。仲良くやろうぜ」
南雲の生徒の一人が、船瀬くんの怪我をしている右腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
あと数センチのところで、私は咄嗟に船瀬くんの左腕を引っ張ってこちらに引き寄せた。南雲の生徒の手は空振りに終わると、今度は私を睨みつけてくる。
ここには袴田くんや岸谷くんのように、同じ穴の狢で話ができる人間がいない。かといって、船瀬くんが手を振り払うことによって「先に手を出したのはそっち」だと言いがかりをつけられ、大事になるかもしれない。
この場を穏便に収められる人物がいない以上、私たちには逃げる以外の選択肢しかない。しかし、怪我人の船瀬くんと、怯えている佐野さん達を連れて、どうやって穏便にこの場を抜け出そうか。咄嗟のこととはいえ、相変わらず無謀なことをした。
「てめぇ……自分が何してるかわかってるのか?」
「……わ、私は彼の腕を引いただけです。それより、用がないならそこをどいてくれませんか? この近くに交番がありますし、今すぐ警察を呼ぶこともできます。……身に覚えのない理由で警察沙汰になるのは、お互い嫌でしょ?」
「ハッ! 女子のくせに脅しかよ。そうだよな、お前らは泣いておけば許されるもんな」
「……喧嘩しか脳がないアンタらみたいに、挑発に乗るほどバカじゃないよ」
間髪入れずに言った言葉に、南雲の生徒は顔を真っ赤にした。
全く、テンパっているときに自分の思った事を口に出してしまう癖がこんなにも治らないなんて。どうやら私は学習しないらしい。
指の関節を鳴らして威嚇を始めた彼らは、今にも襲い掛かる雰囲気を醸し出している。今から岸谷くん電話をしても間に合わない。……というより、連絡先を未だに知らない。
「――耳を塞いでください!」
突然知らない声が聞こえたかと思えば、同時に甲高いブザー音が辺り一帯に鳴り響いた。耳を塞いでも聞こえてくるその音は、駅へ向かう通行人や店じまいを始めた商店街にも届いているようで、道を挟んだ向こう側の交番から警察官が走ってやってくるのが見えた。
「チッ……! おい、一旦引くぞ!」
南雲の生徒の一人が指示を出すと、他の仲間もつられて反対の方向に走って去っていく。彼らが見えなくなる頃にようやく警察官が到着すると、ブザー音は止んで静かになった。足を止めてこちらを見ていた通行人も、躊躇いながらも駅の方へ向かっていく。
一体何が起こったのか。佐野さんと美玖ちゃんは「ビ、ビックリしたー!」「急すぎて心臓止まったかと思った……」と胸を撫で下ろして警察官に背中を支えられている。私の隣にいた船瀬くんも、腰を抜かして路上に座り込んだ。私も出来れば同じように座りたかった。
すると、後ろから「大丈夫ですか?」と一人の男性に声をかけられた。
艶のあるマッシュカットの茶髪にキリッとした眉の爽やかな印象の彼は、立ち上がろうとする船瀬くんを支えてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
「いえいえ、怪我は……なさそうだね。よかった」
「あ、あの……?」
「驚かせて悪かったね。君たちが囲まれていたのが見えて咄嗟に、ね」
そういって手に持っていた防犯ブザーを見せる。先程のブザー音はこれだったらしい。
「……あ、佐野先輩たち、大丈夫ですか!?」
船瀬くんは思い出したかのようにあたりを美馬渡すとこうで警察官に支えられている二人に駆け寄った。
「自分のことより彼女たちの無事を優先するとは……心配しなくても大丈夫そうだね。君は?」
「えっ……あ、はい。大丈夫です。助けていただきありがとうございました」
「皆さんに怪我がないのであればよかった。もしかして、北峰高校の生徒さん?」
「そうですけど……どうしてですか?」
「ベースケースを背負っている彼女が北峰の制服を着ているから。それにさっき絡んで来たのは南雲の生徒……昔から仲が悪いとはよく言うけど、関係のない人まで巻き込まないでほしいな」
彼は小さく溜息を吐いて言う。この近辺に詳しい人なのか、北峰と南雲にある因縁をよく分かっているらしい。
「とにかく君に怪我がなくてよかった」
爽やかな笑みを浮かべる彼に、私は今久しぶりにまともな人と話しているのだと、わずかながら衝撃を受けた。周りの人間の個性が濃いせいだろうが、彼の爽やかな笑みとで立ち振る舞いが、物語に出てくる王子様のようで、とても新鮮だった。
すると、佐野さんたちから話を聞いていた警察官がこちらにやってくるのが見えると、彼は私の手に防犯ブザーを握らせた。小学生の子が持っているような卵型で、下に付いているピンを抜くと先程の甲高いブザー音が鳴る仕掛けだ。
「ごめん、もう行かないといけないんだ。これ、よかったら持ってて」
「で、でも!」
「沢山持ってるから気にしないで。お守りにはなると思うよ。それじゃ!」
颯爽と場を立ち去るその姿は、本当に漫画に出てくるような良い人だった。
交番に移動して先程の様子を説明し終えると、思っていたより呆気なく私たちは解放された。傘泥棒の時でも堂々としていた佐野さんも、南雲の不良には恐怖が勝って、何も言ってやれなかったと悔しそうに項垂れていた。
「井浦ちゃんはすごいよ。淳太を守って前に出てたし」
「あはは……目は付けられたかもしれないけど」
「でもあの人、良いタイミングだったよね」
「しかもなかなかのイケメンだった! ……そういえば井浦ちゃん、何か貰ってなかった?」
「そういえば……えっと」
見知らぬ彼から――半ば強引に――渡された防犯ブザーを皆に見せると、佐野さんが途端に眉をひそめた。
「これってタカミドーじゃない?」
「たか……え? なに?」
「知らないの? 高御堂コーポレーション。防犯はもちろん、防災グッズを売り出してる企業だよ。ここに書いてあるでしょ?」
ブザーをひっくり返して、電池が入っているカバーの溝近くに“Takamido”と刻まれている。こんな小さなところに書かれても気づかないって。
「確か……本社って、この近くじゃなかった? 高卒でも社員募集してたから、北峰から何人か面接を受けに行ってるよ」
「じゃあさっきの人は社員さんだったんでしょうか?」
「かなぁ……?」
見た目は同い年くらいだったから、近くの高校生にも見えなくもない。高御堂コーポレーションが高卒での社員募集しているのであれば、本社に勤めている可能性もあるだろう。
「井浦先輩? 大丈夫ですか?」
黙ったままの私を不思議に思ったのか、船瀬くんが顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「もしかして、さっきの人に何か言われました?」
「……ううん。なんでもない」
彼らと鉢合わせしたわりには、気持ちが悪いほどいいタイミングだった――とは、船瀬くんの前では言えなかった。
***
数日後、夏祭り前日に会場準備のために登校すると、すでにグラウンドには店ごとのテントが立ち始めていた。町内会の人も入ってきて、生徒会やボランティアの生徒が立ち会って話し合いを進めている。
とはいえ、担当であるかき氷ブ―スは、テーブルと氷を保存しておくストッカーの準備程度だが、責任者の佐野さんと町内会の人との打ち合わせをしている間、私と野中くんは体育館からパイプ椅子を運ぶ作業を手伝っていた。
「井浦先輩、大丈夫ですか? やっぱり持ちますよ」
「だ、大丈夫。野中くん、先に行っていいよ」
「……わかりました、サッと置いてすぐ戻ってきますね!」
『オイオイ。一年に負けてんじゃん。あと数メートルだ、頑張れー』
「だったら手伝ってよ……!」
六つのパイプ椅子を抱えて体育館からグラウンドへ、体力を使う作業を野中くんや他の男子生徒が涼しい顔でこなしていく。
二つを抱えて若干引きずりながら歩く私の隣を、さも当然のように袴田くんが並んだ。いつもなら幽霊みたく浮いているのに、今日はスラックスのポケットに手を突っ込んで歩いている。珍しいからか、なんだか不思議な感じがした。
『それで、そのタカドーって奴が間に入ったおかげで、喧嘩にならずに済んだって?』
「タカドーじゃなくて、高御堂。しかもそれ、ブザーのメーカーだし……」
『名乗らずに帰ったんだからタカドーで充分だろ』
「一応助けてもらった側だからね、私たち。……でも、誰も怪我しなくてよかった」
私や標的にされた船瀬くんはともかく、無関係な佐野さんと美玖ちゃんにまで巻き込まれた状況で、あの人が通りがからなかったらどうなっていただろうか。今日、隙を見て岸谷くんに連絡先を聞いておかなくては。
『助けてもらった、ねぇ……』
袴田くんが小さく口元を緩ませる。私が首を傾げると、彼は横目でこちらを見て鼻で笑った。
『偶然なんて、相当のことがない限り起こるわけがねぇって思っただけ』
「……偶然を装って、その場にいたかもしれないってこと?」
『真に受けんなよ。例え話だよ、例え話。それに南雲でそんな豪勢な名前、聞いたことがねぇ。俺がいた頃の話だけどな』
袴田くんの例え話は何度聞いても嫌な予感がする。本当に偶然かもしれないし、必然だったのかもしれない。
あの日以来、夏休みに入ったこともあって私が出歩いていないせいか、船瀬くんも南雲の生徒とは会っていないらしい。学校にいる間は岸谷くん率いる風紀委員の姿があるとはいえ、アルバイトの帰り道で鉢合わせしなかったのは少々気味が悪い。
唸って考えていると、袴田くんはつまらなそうに横目で見てくるのに気づいた。
「え、なに?」
『タカドー、そんなにイケメンだったワケ?』
「……イケメンだったんじゃない?」
佐野さん曰く。
「マッシュカットが似合う爽やか系だったよ。それがどうしたの?」
『爽やか王子系のイケメンに助けられるとか、マジで漫画の話じゃねぇの?』
「漫画だったらどれだけよかっただろうね」
『それが井浦に気があったとか』
「まさか。私が学校の屋上から飛び降りて、数メートル離れた先にある植え込みに叩きつけられても無事でいられるくらいの確率でありえないよ」
『くだらねぇ確率を出すな。何、お前イケメン嫌なの?』
「周りが濃すぎて常識人が異人に見えてしまう程度に」
『それもそうか。……ま、お前が屋上から飛び降りて助かる確率はほぼ百パーだ。安心しろ』
「なんで?」
『俺がいるからに決まってんじゃん』
さも平然と彼はあっけらかんと言い放った途端、私は持っていたパイプ椅子を地面に落としてしまった。
この人って本当に袴田くんだよね?
魂入れ替わってたりとかしてないよね?
彼の素性を疑う反面、急に言われたことによって不意にもときめきかけた自分がいる。悔しい。
「井浦先輩ぃぃい! 野中が、野中が助けに来ましたあああ!」
パイプ椅子が落ちた音を聞きつけたのか、賑やかな声が聞こえてくる。大騒ぎで戻ってきた野中くんが息を整えながら、私が落としたパイプ椅子を取り上げると、またグラウンドに向かって走っていく。
『確かに、お前の周りは個性が濃すぎて感覚が狂いそうだな。ウケる』
「……それ、自分も入ってること分かってる?」
『そりゃあいい。上等上等』
くはは、と呑気に笑って、袴田くんは先を歩く。
その後ろ姿を見て、私はふと漫画や小説みたいなことなら、すでに目の前で起こっているじゃないかと納得してしまった。
私にしてみれば、この現状が偶然であり奇跡だと思う。本来幽霊が見えるといった霊体質の持ち主でない私が、たまたま死んだ彼と出会い、厄介事に巻き込まれて偶然いろんな人と関わった。これは必然と断言するより、偶然が重なった、の遠まわしで表現するのが妥当だろう。
「井浦ちゃーん! 動線を確認するから来てーっ!」
グラウンドから聞こえてくる佐野さんの声に慌てて走り出す。袴田くんの隣を追い抜いた時、ひんやりと冷たい空気が頬を撫でた。
夕焼けと共に、年に一度の夏祭りが始まった。
屋台から漂う焼きそばやお好み焼き、焼き鳥の匂いにつられて、近所に住む人が次々とグラウンドに入ってきた。特に今年は家族連れが多いようで、小さな浴衣を着飾った子供たちが楽しそうに両親の手を引いて急かしている。
「おねーちゃん、かき氷くださいっ!」
「ぼく、めろんがいい!」
「いちごちょーだい!」
「はいはい、順番守って並ぼうねー。焦らなくても沢山あるから、大丈夫だよ!」
タピオカの入ったジュースやカラフルな綿菓子の屋台がある中でも、定番のかき氷は列ができるほど好評だった。佐野さんが注文を聞いて、野中くんと町内会の人がひたすら氷を削り、シロップをかけて私がお客さんに手渡しする。氷削り係――という名の調理担当の二人が、これがまたテンポがよく氷を削り、並んだ列をあっという間に捌いてしまった。さらに屋台の前で漫才をして呼び込めば、次々に人が集まってくる。
「へぇ、北峰の子がボランティアなんだ。毎年そうなの?」
「そうなんですよー! 文化祭でも同じ屋台を出すところがあるので、ぜひ寄っていってください。全員が同じTシャツを着ているのが目印ですっ!」
初めてきたであろうお客さんに、すかさず佐野さんが文化祭の宣伝を入れてくる。生徒は皆、学校規定のスラックス、スカート姿ではあるが、この日のために生徒会が用意してくれたオリジナルTシャツを着て参加している。
町内会の人がボランティアの生徒と見分けがつくようにしたいとのことで作られたらしいが、これはこれで特別間があって、着ているだけでわくわくした。
第二のかき氷ピークが過ぎると、この日のために設置されたセンターステージで、催し物が始まった。小学生の金管バンドから始まって、中学生が文化祭のために練習しているダンス。当初に予定していたタイムスケジュール通りに進んでいく。
「ふーっ! ようやくゆっくり出来そうね。井浦ちゃん、疲れてない?」
「私は平気。……ってあれ、野中くんたちは……?」
お客さんが引いてやっと周りが見えるようになると、先程まで懸命に氷を削っていた野中くんと町内会の人がいつの間にか消えていた。佐野さんが「あの二人ならあっち」と言いながら、センターステージを指す。確かタイムスケジュール上だと、有志による特技発表だったような。不思議に思いながら目を向けると、「どうもーっ!」と芸人よろしく二人がステージに駆け上っていく。
「飛び入り参加オーケーだから、行ってくるって」
マイクが入っていないのか、はたまた早口過ぎて聞き取れないのか。即興とは思えないほどテンポの良いべしゃりが始まると、観客席に座ってビールを片手に見ているおじさん達が、腹を抱えて笑っていた。アルコールが程よくまわっているのか、真っ赤な顔をしながらも楽しそうだ。