背後に居る老婆を見ようとちらりと振り返る。
老婆は私をじとっと見続けていた。
老婆の気味の悪さに、私の足取りは急かす。
妻と娘の元へ向かう。
妻は私を席から見ていた。
私を見た妻の表情は仄かに安堵する。
「すみません、どうでしたか?」
歩いている途中、右側の席の人が話しかけてきた。
その声は中性的で物腰の柔らかく優しかった。
私は立ち止まり、その人に顔を向ける。
そこには、一人の青年の男性が座っていた。
足を揃えて座り、両手を膝の上に乗せている。
その両手は、僅かに握り拳を作っている。
男性の隣には、ギターケースが置かれている。
私は、ふと、川瀬で演奏していた男性を思い出した。
白いシャツにジーンズ。
服装も同じだった。
あの男性に違いない。
「誰も居ませんでした」
「そうですか、ありがとうございます」
その青年は、小さく頭を下げてお礼を言う。
「いえ」
私は、さっと答えて、妻と娘の元へ急ぐ。
次の瞬間、店内の照明が点き、テレビから音声が流れ始めた。
眩くて強い刺激に思わず、目を閉じて、立ち止まる。
目を閉じると何も見えなくなった。
照明の明かりが、まぶたに当たり、ほんのり赤みに帯びた白色の視界を映す。
不安感からすぐに目を開けたい。
しかし、思うように開いてくれない、まぶたに不安が増していく。
逃げたいのか立ち向かいたいのか、私の鼓動が高鳴る。
その鼓動に合わせて、そわそわとして体の内側で何かが掻き立てる。
薄っすら目を開ける。
目が明かりに慣れると、まぶたが更に少し開くようになる。
光に慣れていきながら、まぶたを開いていく。
完全に照明の明かりに慣れ、視界がはっきりとする。
私は無意識のうちに、妻と娘の存在を確認していた。
妻と娘はテレビを見ていた。
気が付けば、客の皆はテレビに釘付けだった。
テレビに映る映像に私は驚愕した。
テレビには、青々とした山が映っている。
その山には霧が立ち込めて山の形が微かに見える程度だった。
カメラマンは、その山の麓から撮影しているようだ。
ガードレールが設置されている二車線道路から山を見上げるような映像。
その道路は一台も車は通っていない。
画面の左上には、『ライブ』と表示されている。
カメラマン荒い息づかいが映像に入り込む。
映像は山の斜面を通って下っていく。
そして、一人のアナウンサーにカメラが向けられた。
そのアナウンサーはカメラマンと同じ道路に居る。
アナウンサーは目尻を尖らせて、眉を下げて、呼吸が早い。
何かに畏れている事が容易に理解できた。
一つ大きく深呼吸してアナウンサーは平然を装う。
「ス、スタート!」
カメラマンは動揺を隠せぬまま早口で言う。
アナウンサーはマイクを口元に持っていく。
「ご覧ください! 突如として発生した霧の中で黒い何かが飛び交っています!」
そのアナウンサーから緊迫している事がわかる。
その中でもなるべく冷静な言葉を選んで、リポートしている。
カメラマンは映像を空に向けた。
濃霧に覆われた空。
その濃霧の中には、無数の黒い影が飛び交っている。
続いて、映像を左に動かして市街地を映した。
市街地が目下に広がっている。
その市街地は目を疑う光景が広がっていた。
高層ビルよりも背の高い黒い生物が闊歩していた。
映像はその黒い生物にクローズアップする。
その姿はこの世のものとは思えなかった。
手足が異様に長く、皮膚表面に骨が浮き出ている。
背には蝙蝠のような羽が生え、細長い尾がしなやかに動く。
肋骨も皮膚表面に浮き出ており、心臓付近が赤く点滅して光る。
長くて鋭い犬歯が二本見え、豚鼻がひくついている。
瞳は光を失い、真っ黒に塗り潰したようだった。
耳は尖り、周囲の音を細かく掴んでいる。
まるで想像上のドラキュラのようだった。
「も、もう逃げましょう」
カメラマンの震えた声がする。
映像が揺れる。
「もう少し、もう少しだけ!」
アナウンサーの表情は恐怖と勝ち気に入り乱れる。
カメラマンは手が震えているのだろう。
かたかたと、手とカメラがぶつかる雑音が止まらない。
次第に映像の中の景色が影に覆われていった。
細かく揺れ動く映像は真上を映した。
濃霧によって、姿は微かにしか見えない。
しかし、足の大きさから、山を遥かに超える巨大な生物だと理解できる。
足はすらりと長く、皮膚表面に骨が浮き出ている。
足元は犬のような骨格で、鋭い爪が剥き出しになっている。
その生物は四足歩行で闊歩する。
その足の動きは極めて遅い。
関節一つ一つの動きが、空に浮かぶ雲を見ているように遅かった。
しかし、一歩の歩幅は、ひと山を越える程だ。
一歩踏み込む度に地上を掘り返し、建物や木々が地上の土と混ざり合う。
その軌跡は、地ならしのように平面になっていた。
老婆は私をじとっと見続けていた。
老婆の気味の悪さに、私の足取りは急かす。
妻と娘の元へ向かう。
妻は私を席から見ていた。
私を見た妻の表情は仄かに安堵する。
「すみません、どうでしたか?」
歩いている途中、右側の席の人が話しかけてきた。
その声は中性的で物腰の柔らかく優しかった。
私は立ち止まり、その人に顔を向ける。
そこには、一人の青年の男性が座っていた。
足を揃えて座り、両手を膝の上に乗せている。
その両手は、僅かに握り拳を作っている。
男性の隣には、ギターケースが置かれている。
私は、ふと、川瀬で演奏していた男性を思い出した。
白いシャツにジーンズ。
服装も同じだった。
あの男性に違いない。
「誰も居ませんでした」
「そうですか、ありがとうございます」
その青年は、小さく頭を下げてお礼を言う。
「いえ」
私は、さっと答えて、妻と娘の元へ急ぐ。
次の瞬間、店内の照明が点き、テレビから音声が流れ始めた。
眩くて強い刺激に思わず、目を閉じて、立ち止まる。
目を閉じると何も見えなくなった。
照明の明かりが、まぶたに当たり、ほんのり赤みに帯びた白色の視界を映す。
不安感からすぐに目を開けたい。
しかし、思うように開いてくれない、まぶたに不安が増していく。
逃げたいのか立ち向かいたいのか、私の鼓動が高鳴る。
その鼓動に合わせて、そわそわとして体の内側で何かが掻き立てる。
薄っすら目を開ける。
目が明かりに慣れると、まぶたが更に少し開くようになる。
光に慣れていきながら、まぶたを開いていく。
完全に照明の明かりに慣れ、視界がはっきりとする。
私は無意識のうちに、妻と娘の存在を確認していた。
妻と娘はテレビを見ていた。
気が付けば、客の皆はテレビに釘付けだった。
テレビに映る映像に私は驚愕した。
テレビには、青々とした山が映っている。
その山には霧が立ち込めて山の形が微かに見える程度だった。
カメラマンは、その山の麓から撮影しているようだ。
ガードレールが設置されている二車線道路から山を見上げるような映像。
その道路は一台も車は通っていない。
画面の左上には、『ライブ』と表示されている。
カメラマン荒い息づかいが映像に入り込む。
映像は山の斜面を通って下っていく。
そして、一人のアナウンサーにカメラが向けられた。
そのアナウンサーはカメラマンと同じ道路に居る。
アナウンサーは目尻を尖らせて、眉を下げて、呼吸が早い。
何かに畏れている事が容易に理解できた。
一つ大きく深呼吸してアナウンサーは平然を装う。
「ス、スタート!」
カメラマンは動揺を隠せぬまま早口で言う。
アナウンサーはマイクを口元に持っていく。
「ご覧ください! 突如として発生した霧の中で黒い何かが飛び交っています!」
そのアナウンサーから緊迫している事がわかる。
その中でもなるべく冷静な言葉を選んで、リポートしている。
カメラマンは映像を空に向けた。
濃霧に覆われた空。
その濃霧の中には、無数の黒い影が飛び交っている。
続いて、映像を左に動かして市街地を映した。
市街地が目下に広がっている。
その市街地は目を疑う光景が広がっていた。
高層ビルよりも背の高い黒い生物が闊歩していた。
映像はその黒い生物にクローズアップする。
その姿はこの世のものとは思えなかった。
手足が異様に長く、皮膚表面に骨が浮き出ている。
背には蝙蝠のような羽が生え、細長い尾がしなやかに動く。
肋骨も皮膚表面に浮き出ており、心臓付近が赤く点滅して光る。
長くて鋭い犬歯が二本見え、豚鼻がひくついている。
瞳は光を失い、真っ黒に塗り潰したようだった。
耳は尖り、周囲の音を細かく掴んでいる。
まるで想像上のドラキュラのようだった。
「も、もう逃げましょう」
カメラマンの震えた声がする。
映像が揺れる。
「もう少し、もう少しだけ!」
アナウンサーの表情は恐怖と勝ち気に入り乱れる。
カメラマンは手が震えているのだろう。
かたかたと、手とカメラがぶつかる雑音が止まらない。
次第に映像の中の景色が影に覆われていった。
細かく揺れ動く映像は真上を映した。
濃霧によって、姿は微かにしか見えない。
しかし、足の大きさから、山を遥かに超える巨大な生物だと理解できる。
足はすらりと長く、皮膚表面に骨が浮き出ている。
足元は犬のような骨格で、鋭い爪が剥き出しになっている。
その生物は四足歩行で闊歩する。
その足の動きは極めて遅い。
関節一つ一つの動きが、空に浮かぶ雲を見ているように遅かった。
しかし、一歩の歩幅は、ひと山を越える程だ。
一歩踏み込む度に地上を掘り返し、建物や木々が地上の土と混ざり合う。
その軌跡は、地ならしのように平面になっていた。