この世界で俺だけが【レベルアップ】を知っている


 そんなこんなで、とくに見どころのないコボルト戦が終わったあと。
 俺は物資調達のために、城壁内にある倉庫へと向かった。

 というか、物資の調達こそがここに来た目的だったからな。
 案内用の看板があるわけでもないので少し道に迷ったが、だいたい荷車のわだちをたどっていったら倉庫の群れが見つかった。
 とりあえず、倉庫の内のひとつに入ってみると。

「おお……」

 どうやら武具の倉庫だったらしい。
 倉庫内には、多種多様な武具が並んでいた。おそらく魔物によって体の作りが違うためだろう、同じ種類の武器や防具でもさまざまな大きさや形のものがある。
 少し探せば、人間が使えるサイズのものもたくさんあった。

「これは……魔剣か?」

 ふと、目についた剣のひとつを手に取ってみた。
 剣身にはうっすらと青白く発光している魔術紋様が刻まれている。
 たいした魔力が込められているわけではないが、なかなかに質はよさそうだ。

『それは不朽の魔剣ね。魔物の間でよく使われてるやつよ。保護魔術をかけてあるから、手入れなしでも切れ味が落ちにくいらしいわ』

「へぇ、それはいいな」

 本来、剣のような磨かれた刃はすぐに錆びる。
 ちょっと雨に濡れただけでも、放っておけば、その日のうちに錆び始めているぐらいだ。

 だからこそ、頻繁に刀油を塗り替えたり研ぎ直したりと手入れしなければならないが……今の環境だとそうはいってられない。
 互助組合(ギルド)があった時代とは違い、定期的に拠点に戻れる環境ではないのだ。

「とりあえず、この剣を4つもらっていこう」

『4つも?』

「剣は消耗品だ。どうせ魔物と戦えばすぐに折れるし、敵の体に刺しっぱなしにすることも多いからな」

 強敵との接近戦になったときに、剣をいちいち抜いている余裕はないのだ。
 刺さった剣を抜くのはけっこう大変だし、魔物は急所を刺しても平気で反撃してくるやつが多いからな。
 素人冒険者が剣1本だけ持って狩りに出たあげくに、剣を抜くのに手間取って殺されるのはよくある話だった。

「ふむ……」

 いくつか試しに剣を握って、軽く素振りしてみる。

『なにか違うの? どれも同じ剣じゃない』

「いや、剣を見るうえで重要なのは持ち手部分だ」

『持ち手?』

「剣の扱いやすさに直結するのが持ち手だ。いくら剣身がよくても、握りにくければそれだけで剣の威力も技の冴えも格段に落ちる」

 剣身はよほど粗悪なものじゃないかぎりは、“物質強化(ミ・ベルク)”の魔法で強靭化すれば使うことができるが。
 しかし、持ち手部分はそうもいかない。

 とくに柄が握りにくいのは致命的だ。
 戦闘中は血や汗で手が滑りやすいので、うまく握れないと剣がすっぽ抜けてしまうことが多い。

 それに粗悪な剣の柄は、戦闘の衝撃ですぐに壊れてしまう。
 いくら剣身がよくても、柄が壊れてしまえば、ほとんど使い物にならなくなる。
 ……と、そんなことをフィーコに語ったのだが。

『これっぽっちも興味ないわ。わたし、武器なんて軟弱なものは使わないもの』

 退屈そうなあくびで一蹴された。

『それより、食べ物を見に行きましょう? 人肉の瓶詰めとかあればいいんだけど……』

「それを俺の体で食うつもりか」

『冗談よ。わたしはグルメなの。若くて綺麗で新鮮なメスの肉しか食べないわ』

「でも、俺のことは食おうとしてただろ」

『あれは……あなたから美味しそうな匂いがしたから、つい……』

 俺に顔を寄せて、すんすんと鼻を鳴らす。

『うーん……前より美味しそうな匂いになってるわね。レベルが高いほうが肉質もいいのかしら? もっとレベルが上がったあなたを食べるのが楽しみだわ』

「言ってろ」

 ともかく、装備を整え終わる。
 剣は左右に2振りずつ腰にさげ、他にもナイフをいくつかもらっておく。

 食料や道具類もそろえ、最後に荷物袋や装備の隙間に、防音や擦れ防止のための布切れをつめれば準備完了だ。
 補給がほとんどできない環境のため荷物は多めだが、レベルが上がったおかげで、これぐらいの重量なら難なく運ぶことができる。

「よし、一気に戦力アップだ。お前の情報のおかげだな」

『……ふぇっ!?』

 なんか、びっくりされた。

『な、ななな、なによ、突然。そ、そんなこと言っても、わたしたちは敵同士なんだからね! 勘違いしないでよね!』

「…………」

 誇り高き不死鳥、チョロかった。
 そんなことより、これで物資も手に入ったな。
 これでようやく、まともに冒険をすることができる。

「それじゃあ、行くとするか」

 こうして、俺は人狼の城を後にしたのだった。
 人狼の城を出発してから3日後。
 俺は森の中で、魔猪(ランスボア)と対峙していた。

 魔猪の口元にぶら下がっているのは、食べかけの人間の腕。
 おそらくは近くの村にでも入って、人間をつまみ食いしてきたんだろう。
 食事の邪魔をしたせいか、ふしゅるるる……と魔猪はでかい鼻を不機嫌そうに震わせ――。

『来るわよ』

「……ああ」

 突撃槍(ランス)を思わせる巨大な牙が、高速回転しながら迫ってくる。
 魔猪が牙を振り回すたびに、樹齢うん百年はありそうな大木が軽々とちぎれ飛ぶ。障害物などこいつの前では、ただこちらの視界を遮るだけのものでしかないようだ。
 俺は魔猪の突進を避けながら、近くで退屈そうにふよふよしていたフィーコをちらりと見た。

「フィーコ、こいつの天恵(ギフト)はわかるか?」

『知らないわよ、こんな野良の魔物の天恵(ギフト)なんて。どうせ、牙がぎゅいーんって回る天恵とかじゃないの?』

「まあ、だろうな」

 魔猪の額を見ると、そこに刻まれているレベルは14。
 野良にしてはそれなりのレベルだが……同じくレベルが10台のオーガが“筋肉量を操作させる天恵”であったことからも、たいした天恵ではないと予想はつく。

「とりあえず、やっかいな天恵でもないなら話は簡単だな」

 俺はこちらを睨んでくる魔猪と向き直った。
 ふたたび突進しようとしてか、牙がまた高速回転を始める。

「俺を食うつもりか? 残念だが……」

 手にした剣に、風の魔力をからみつかせる。

「――俺が、お前を喰うんだ」

 森をえぐり飛ばしながら突進してくる魔猪。
 俺はその突進と真っ向から対峙し――剣を振り下ろした。

「――風王剣(フゥゼ・ハルテ)

 剣が、虚空を斬る――。
 その刹那、剣身にからみついていた風が、鋭い衝撃波となって放たれた。
 それは、まさに飛び翔る剣撃。
 ひゅん――ッ! と、風はうなり声を上げながら魔猪へと迫り、その巨体の中心を……通過した。

 魔猪の突進は止まらない。
 だが、俺に衝突する寸前……。
 その巨体はまるで俺を避けようとするように、左右に真っ二つに分かれ――ずしんっ! と、ふたつの肉塊が地面を転がり、衝撃で木々がざわざわと震えだす。

 そして……静寂。


「――討伐完了だ」


 しばらくして、魔猪の額のレベル刻印から光が浮き上がり、俺の手の甲へと吸い込まれた。
 かちり、と手の甲に刻まれた紋章が変化する。

「……これで、ようやくレベル61か」

 3日ぶりのレベルアップだ。
 さすがに、そろそろ上がりにくくなってきたか。

 人狼の城を出た時点でのレベルは60。
 そこから3日間、それなりに野良の魔物を倒したのに、レベルは1しか上がっていない。
 いや、前世でのペースを考えれば充分に早いのだが。

『そんなことより……それが、今日のランチかしら?』

「ん? ああ、そろそろ人狼の城で補給した食料も減ってきたしな」

 魔猪を狩ったのは、文字通り、食べるためでもある。
 俺はさっそく魔猪の足を切り落とし、肉を剥ぎ取った。
 巨体だから足だけでも充分な量だ。
 それから、鍋に“水塊(ミルズ)”の魔法で水を張り、“手火(フェオ)”の魔法で熱した石を適時入れ、湯気があまり出ない程度に湯を沸かす。これなら焚き火をするというリスクをおかさずに温かいものを食べられる。

 最後に、魔猪の骨と肉とハーブをぼとぼとと鍋に投入して、岩塩で味を整えつつ煮ていけば――。

「――完成だ」

 本日の献立に名前をつけるなら、『魔猪のスープ~冒険者風~』といったところか。
 冒険中に食べるものといえば、だいたいこんな感じのものだ。

「ああ……懐かしい味だ」

 前世では食い飽きていたが、久しぶりに食べてみるとやたら美味く感じる。前世でも現世でも家族の記憶がない俺にとっては、これこそが故郷の味みたいなものだ。

「……はぐ……はぐ……ッ」

 作法など無視して、豪快に肉をむさぼり、骨の髄をすする。
 その様子を、いつものことながらフィーコが指をくわえて眺めていた。

『ふ、ふん……野蛮な料理ね』

「とか言いながら、どうせ食べたいんだろ」

 肉の塊をスプーンですくって、ほいほいと目の前で揺らしてやると。

『あっ……あっ……』

 と、猫のようにつられる誇り高き不死鳥。

『……って、霊体だと食べられないじゃない!』

 誇り高き不死鳥、学習能力がなかった。
 そんなこんなで、なごやかな食事が続き……。

「それにしても……快適、だな」

『なによ、いきなり?』

「いや、なんとなく……そう思ってな」

 そう、ここ3日間の道中は、まさに快適の一言だった。
 人狼の城では派手に暴れたが、まだ追っ手には見つかっていない。
 たまにフィーコに街道のほうを調べさせているが、どうやら追っ手らしき魔物たちは、俺がいたオーガの町の方面へと向かっているとのことだった。まさか、魔物の支配から脱した人間が、一直線に魔界へと向かっているとは思っていないのだろう。

 だからこそ、快適な旅となっていたが……。
 しかし、俺の冒険は“快適”ではいけないのだ。

「で、だ……」

 俺はスープの椀をいったん置いてから切り出した。

「そろそろ、まともにレベル上げがしたい」

 前世でのレベルアップのペースを考えれば、それでも充分に早いが。
 しかし、“充分に早い”では――まだ遅い。
 城を1つ潰した時点で、追っ手に見つかるのは時間の問題だ。
 フィーコぐらいの魔物に見つかる前に、どれだけレベルを上げられるかが勝負となってくるが。

「……やっぱり、これぐらいのレベルになってくると上がりにくくなるな。野良のザコをいくら倒してもダメだ」

『ま、野良の魔物は、強くてもレベル20ぐらいだものね。それ以上のレベルの魔物はだいたい知性があるし、みんな爵位を与えられて領地管理をしてるんじゃないかしら』

 爵位というのは魔物の階級だと、フィーコから説明を受けたことがある。
 目安としては、レベル20台で騎士爵、レベル30台で男爵、レベル40台で子爵、レベル50台で伯爵、レベル60台で侯爵、レベル70台で公爵……といったところらしい。
 爵位持ちの魔物は、軍事拠点や領地の管理にあたっており、野生でうろうろしていたりはしないとのこと。

「なら、強い魔物を倒したいと思ったら……どこかの町に入って、爵位持ちの魔物と戦わないとダメってことか」

『まあ、そうね』

 となれば、次にすべきことは――都市の襲撃か。

「強い魔物を倒したいと思ったら……どこかの町に入って、爵位持ちの魔物と戦わないとダメってことか」

 となれば、次にすべきことは――都市の襲撃か。

『ま、そうね』

「……なかなか面倒な時代になったな」

 レベルを上げなければならないが、そのためには都市や軍事拠点を襲わなければならない。
 だが、そうすれば当然、目立ってしまう。

「そうだ、お前がそこらの魔物に憑依して、【輪廻炎生】の力で復活しまくれば……」

『却下』

「ダメか?」

『ダメ。痛いし』

「痛くしないなら?」

『いや、そもそも、そんなぽんぽん憑依なんてできないわ。べつにわたしは憑依が専門ってわけじゃないもの。相手がわたしの憑依を嫌がれば体から追い出されちゃうみたいだし、高レベルの魔物だと憑依にも耐性がありそうだし』

「そんなうまい話はない、か」

 どのみち、不死系の魔物は、倒すたびにレベルも上がりにくくなっていくからな。
 先ほどの案を実行するにしても、それなりに強い魔物と戦いたいところだが……。

「で、この辺りに強い魔物はいるか?」

『えっ、教えてほしいの? ねぇ、教えてほしい?の』

 ……たいてい、ただでは教えてくれないんだよな。
 この不死鳥、性格悪いし。
 少しでも頼ろうとすると、すぐ弱みにつけ込もうとしてくる。

「……今回の代価はなんだ?」

『うーん、そうね……あなたの指1本食べさせてくれたら考えなくもないわ?』

「そんなに俺を食べたいのか」

『ふふふ……そろそろいい感じに肉もついてきたし、味見したいと思って……』

「おい、よだれ垂らすな」

 霊体のくせに匂いをかいだり、よだれ垂らしたり、なんでもありすぎるだろ。

『指が嫌なら、わたしを満足させるものを貢ぎなさい』

 そして、霊体のくせに無駄にわがままだ。
 思わず、溜息が出る。

「それじゃあ……猪の骨髄でどうだ?」

『骨髄?』

 鍋に突っ込んでいた出汁用の骨をひとつ取り出し、ナイフで縦に割った。
 中につまった(にく)はまだ溶けきっておらず、ぷるぷるの肉といった感じだった。軽く塩をふって“手火(フェオ)”の魔法で表面を炙ってやると、次から次へと肉汁がとめどなくあふれ出てくる。

「骨髄はスープの出汁として食べたことはあるだろうが……そのまま焼いて食べたことはあるか?」

『そ、そんな野蛮なもの、食べたことあるわけないでしょう?』

「まぁ、骨髄といってもぷるぷるの肉みたいなものだ。濃厚な脂がたっぷりで口の中でとろけるぞ。パンにつけてもなかなかいける」

『……魔界七公爵であるこのフィフィ様の力を借りるのよ? わたしが骨なんかで釣れるほど、安い魔物に見えるのかしら?』

「なら、いらないんだな」

『そ、そんなことは言ってないじゃない! もう仕方ないわね! 今回だけよ!』

 誇り高き不死鳥、安い魔物だった。
 いや……なんでこいつって、意味もなくいったん否定から入るんだろうな。

 まぁ、骨髄なんていくらでも手に入るし、いくらでもくれてやるが。
 冒険していれば、どうせ嫌ってほど食べることになるし。
 どこでも簡単に手に入って、栄養豊富で、保存が効くからな。

「で、情報は?」

『ちょっと空飛んで見てくるわ』

「この辺りの地理は知らないのか?」

『知ってた気がするけど忘れたわ』

「……インコ頭」

『ほ、他の魔物の領地なんて、わざわざ全部覚えてるわけないでしょう? どうせ空を飛べば、どこになにがあるかなんてわかるんだから』

 そう言って、フィーコは両手を広げてぱたぱたさせながら飛んでいった。
 それから、俺がスープをあらかた食べ終わったころ、地上に戻ってくる。

『あー! スープ、もうほとんど残ってないじゃない!』

「お前が遅いのが悪い。で、情報は?」

『……遠くに大きな“養殖場”があったわ。人間の足で2~3日の距離かしら』

「養殖場……というと、魔物が人間を食うために育ててる町か」

 俺がいたオーガの町みたいなところだろう。
 前にフィーコから聞いた話では、今では人間の町のほとんどが、そういう“養殖場”とのことだった。それ以外の町でも、人間が魔物に支配されて税や生贄を捧げてはいるらしいが。

「大きな町ってことは、そこを管理してる魔物もそれなりのレベルだと考えていいのか?」

『そうね。町の大きさは領土の大きさみたいなものだし。町が大きくなるにつれて管理する魔物もたくさん必要になってくるから、そうなるとまとめ役になる高レベルの魔物がいるはずだわ』

「なるほど……まぁ、とりあえず、その町に行ってみるか」

 そんなこんなで、次の目的地が決まったのだった。

 それから3日間、川沿いに森を進んでいき。
 やがて、海辺に出たところで、その都市は見えてきた。

「……でかいとは聞いてたが」

『近づいてみると、予想以上にでかいわね……』

 前世基準で言うと、小国の都ぐらいのサイズはあるかもしれない。
 そんな規模の都市が、背の高い鉄柵の中にすっぽりと収まっていた。

「ここは城壁じゃなくて柵なのか。これじゃあ、わりと簡単に登れそうだな」

 柵が内側に反っているため登りにくいかもしれないが、人間を閉じ込めるにしては心もとない。なんなら、頑張ればこの柵を壊すこともできそうだ。

「なんか檻としての機能よりも、デザイン面を重視して作られてるって感じだな」

『ま、こういうところ、管理者(かいぬし)の趣味が出るわよね』

「趣味で決まるのかよ」

『人間をちゃんと管理できるなら、あとはなんでもいいってことよ』

「けっこう適当だな」

『その分、人間を脱走させたりしたら罰も厳しいって言うけど』

「へぇ。それじゃあ、ここの管理者とやらは、ずいぶん管理に自信があるってことか」

『わたしの名推理によると……たぶん、ここを管理してるのは鳥系の魔物ね。なんか柵が鳥かごっぽいし』

「そうか?」

 だが、言われてみれば鳥かごを模している、と言えなくもない気がしてくる。
 上部が内側に反っているのが、とくに鳥かごっぽさを演出しているというか。

「でも、鳥かごっぽいと、なんで鳥系の魔物だってわかるんだ?」

『鳥系の魔物にとっては鳥かごは支配の象徴なのよ。ソースは、わたし』

「そういえば、お前も炎で鳥かごを作ってたな」

『ふふ、なかなか出来がよかったでしょう? ……仕事が退屈すぎて、数百年ぐらい炎でインテリアとか作ってたから……』

「働けよ」

 というか、鳥系の魔物がいるってわかってたなら、もっと早く言ってほしかった。
 魔物は夜行性が多いからあえて昼に接近したのに、鳥系の魔物はほとんどが昼行性だ。これでは意味がない。

 とはいえ、フィーコとは完全な協力関係でもないから、そんなにサービス精神を求めることはできないが。
 それはそうと。

「……しかし、監視がここまでないと逆に気味悪いな」

 辺りを見るが、やっぱり監視の魔物はいない。
 俺がいた町は、オーガに四六時中監視されていたから、なんだか違和感がすごい。
 こんな柵なんて、レベル1の人間でもよじ登れると思うのだが。

『よっぽど人間の管理に自信があるんでしょうね』

「まぁ、ここで考えていても仕方がないか――風王脚(フゥゼ・デルタ)

 風属性の上級付与魔法で、足に魔法の風をまとわせて飛び上がった。
 宙を蹴ってさらに高くへ飛び、柵を越える。
 最後に軽く宙を蹴って、着地の衝撃と音を消せば……。

「はい、侵入成功……と」

『あっさり入れたわね。一悶着あったら面白かったのに……つまんないわ』

「いや、あまりにもあっさりすぎる気もするが……」

 監視がないにしても、侵入すればどこかから魔物が飛んでくることも考えていたが……そういう気配もない。

「……こんなの入りたい放題じゃないか」

『ま、わざわざ侵入したがるのなんて、あなたぐらいでしょ。せっかく養殖場から脱出した人間がわざわざ別の養殖場に入ってくるなんて、さすがに誰も想定してないわ』

「でも、ここまで簡単に出入りできると、オーガの町から脱出するのに苦労したのがアホらしくなってくるな……」

 それはそうと。

「とりあえず、魔物を探すか」

 この町に入った理由は、ただ1つ。
 魔物を狩ってレベルを上げるためだ。
 フィーコレベルの追っ手と衝突するのも時間の問題だろうし、早いうちに超級魔法が使えるようになるレベル70まで上げたいところだ。

「まずは、そこらの人間に聞き込みでもするか」

『そうね』

 そんなこんなで、俺は町の通りへと出ていき――。


「…………は?」


 思わず、足を止めた。
 俺の目に入ってきたのは――美しい町だった。

 清潔で、綺麗で、色彩も豊か。
 町ゆく人たちの服装も、ちゃんと洗練されている印象がある。

「外から見て、綺麗な町だなとは思っていたが……ここまでだとはな」

『……ほ、本当に、ここの人間は家畜化されてるのかしら?』

 魔物であるフィーコでさえも戸惑う光景らしい。
 ここにいる人間は家畜というには、あまりにも豊かな暮らしをしているように見える。
 むしろ、魔物の支配下にないはずの俺の格好のほうが、みすぼらしくて浮いているほどだ。

 しかし、なぜだろうか。どこか……嘘っぽい。
 その違和感の正体はすぐにわかった。


「……」「…………」「……」「………………」「…………」「……」「………………」「……」「…………」「………………」「……」「……」「…………」「……」「…………」「………………………………」「……」「………………」「……」「……………………』「…………」「……」「……………………」「……」「……」「…………………………」


 誰も、なにもしゃべっていないのだ。
 談笑しているらしき人々も、口を動かしているが……無言。

 死んだ目で、顔に笑顔の失敗作のようなものを貼りつけているだけだ。
 その様子は、外見だけを作り込んだドールハウスを思わせた。

「…………なんだ、この町は?」
 俺が魔物を狩るために入ったのは――美しい町だった。
 清潔で、綺麗で、色彩も豊か。
 町ゆく人たちの服装も、ちゃんと洗練されている印象がある。
 しかし……。


「……」「…………」「……」「………………」「…………」「……」「………………」「……」「…………」「………………」「……」「……」「…………」「……」「…………」「………………………………」「……」「………………」「……」「……………………』「…………」「……」「……………………」「……」「……」「…………………………」


 誰も、なにもしゃべっていなかった。
 談笑しているらしき人々も、口を動かしているが……無言。
 死んだ目で、顔に笑顔の失敗作のようなものを貼りつけているだけだ。
 その様子は、外見だけを作り込んだドールハウスを思わせた。

「…………なんだ、この町は?」

『なんだか、趣味が悪いわね』

 全てが綺麗に整えられているが、それゆえに全てが偽物臭い。
 これならまだ、ボロ布をまとったいかにも家畜な人間たちが歩いていたほうが健全に思えてくる。

「……俺たちのいた町が家畜小屋だとしたら、この町はペットハウスといったところか」

『そうね。その認識でいいと思うわ』

 フィーコが頷いた。

『魔物の中には2種類のタイプがいるの。人間を家畜として見るタイプと、ペットとして見るタイプよ。上流階級の魔物ほどペット扱いは多いわね』

「なんでだ?」

『それはもちろん、小汚い人間を食べるのは嫌だし、見栄だって張りたいのが魔物心じゃない』

「なるほど、お前も人間をペット扱いするタイプか」

『当たり前でしょう?』

 そんな話をしながら、町を歩いていく。
 住民たちは俺に目を向けると、ぎょっとしたように顔をそむける。
 というか、フィーコを見て顔をそむけている。

「魔物を恐れてるのか……? とすると、それなりに魔物に虐げられてはいそうだな」

『そんなことより、せっかくだし、なにか食べていきましょう?』

 フィーコがそわそわと屋台のほうを気にしていた。
 俺も視線を追って見ると、食べ物の屋台も多く出ているようだ。
 これなら今日の分の食事には困らないだろう。
 と、そこで――はっとした。

「こ、これは……“甘きもの”の匂いッ!?」

『え……いきなり、なに?』

「……ッ! こっちだッ!」

『え、なに? なんなの?』

 俺は駆けだした。いても経ってもいられなかった。
 まさか、この時代に“あれ”があるとは……。
 嗅覚を頼りに、ひとつの屋台へと駆け込む。
 その屋台の店主がぎょっとしたような顔をしてきたが、かまってはいられない。

「あの、“甘きもの”は……ありますか?」

『敬語?』

「…………?」

 店主には伝わらなかったらしく無言だ。

「こ、言葉が通じないのか……?」

『いえ、“甘きもの”じゃ意味不明でしょう? それって、なに? スイーツのこと?』

「“甘きもの”をそんな軽々しい名前で呼ぶな」

『とりあえず、プリンとかあるならよこしなさい。なんか、わたしも食べたくなってきたわ』

 フィーコが言うと、店主がびくっとしながら頷いた。
 まぁ、魔物に管理された町に暮らしているところに、いかにも魔物っぽいやつが話しかけてきたら、そりゃ怯えるだろう。

「そういえば、代価だが……」

 他の屋台のほうを見ると、客は配給札らしきものを通貨代わりにしていた。ここは俺のいたオーガの町と同じだ。
 とはいえ、この町の配給札なんて持ってないから物々交換をしたいところだが……。

「猪肉とかいるか?」

「…………」

 店主はぶんぶんと首を横に振る。
 いらない、ということらしい。
 他にもなにか出そうとしたところで、店主は制止するように手を出してきた。

「なにもいらないってことか?」

「…………」

 こくこくと頷く。

「まぁ、無料(ただ)でいいなら助かるが」

 そこでなんとなく察したが、おそらくここにある屋台は魔物のために用意された店なんだろう。とくに贅沢品の屋台は、採算が取れるほど客が入っていないように見えるし。

「…………」

 それからしばらくすると、皿に飾りつけられたプリンが現れた。
 皿を受け取ると、店主はそれ以上は関わり合いになりたくないとばかりに、あからさまに顔をそむけてくる。

『ふふ……完全に魔物だと思われてるわね、あなた』

 フィーコがにまにまと笑う。

「たしかに、お前みたいなのをつれ歩いてたら、そうなるだろうな」

『つまり、わたしのおかげで甘い汁が吸えたってことね……スイーツだけに』

「………………」

『無言やめて』

 まぁ、ともかく今は“甘きもの”だ。
 とりあえず、近くにあったテラス席で食べることにする。

 プリンが乗った皿をテーブルに置き、俺は居住まいを正して向き直った。
 “甘きもの”との18年ぶりの再会だった。

「…………ずっと……ずっと……会いたかった」

『泣いてる……』

「人はパンのみによって生きるにあらず。“甘きもの”によって生きるのだ」

『ちょっと、なに言ってるのかわからない』

 前世では、“甘きもの”こそが俺の活力だった。
 冒険者だから長期間の粗食にも耐えられるとはいえ、それが18年も続くとさすがに精神が摩耗する。“甘きもの”を知ってしまっている舌にとっては、なおさらだ。

 もはや、この時代では“甘きもの”と出会えないだろうとあきらめていたが。
 まさか、こんなところで出会えるとは……。

「――――いただきます」

 厳かに食前の祈りを捧げて、俺はスプーンを手に取った。
 わずかな所作にも手を抜けない。そうしなければ、“甘きもの”に失礼だ。

『……あら? あれって、魔物じゃない? ねぇ、テオ……ねぇってば……』

 フィーコがなにか言っているが無視だ。
 どうせ、いつものように『一口食わせろ』とか言っているのだろう。
 そんなのは不可能に決まっている。
 それよりも、全神経を目の前の“甘きもの”に集中させよう。

「……………………」

 周囲から雑音が消える。色が消える。あらゆるノイズが取り払われる。
 もはや、この宇宙には俺と“甘きもの”のふたつしか存在しない。
 そして、今――俺は“甘きもの”とひとつになるのだ。

 俺はスプーンで、すっと、やらわかなプリンをすくい取った。
 そして、一口……食べようとした、ところで――――。


 ――どしゃんッ!!


 突然、空から人間が降ってきた。

「…………は?」

 隕石のようにテーブルに着弾したその人間は、テーブルをべきっと真っ二つにへし折り、その衝撃で皿に乗っているプリンを宙へと飛翔させた。
 “甘きもの”に集中しきっていた俺には、とっさに反応できなかった。

 死の間際のようにスローモーションで流れる世界。
 その中で、ぷるぷると波打ちながら放物線を描くプリン……。

「――ッ!? ――肉体強化(バ・ベルク)ッ!」

 我に返り、とっさに手を伸ばすも――すでに遅い。
 その手はむなしく宙を切り。
 べちゃっ、と“甘きもの”は地面に落下した。


「……ぁ…………ぁあああぁああ――――ッ!?」


『かつてない悲痛な叫び……』

「ま、まだだ……ッ!」

 俺は地面に落ちた“甘きもの”へとスプーンを向けた。
 まだだ……まだ、全てが終わったわけではない。
 地面に落ちようが、“甘きもの”は“甘きもの”だ。
 まだ食べられる。
 否――食べなければならない。
 俺はスプーンをふたたびプリンにさし入れ――。

 ――ぐちゃっ。

 と、空から降ってきた鉤爪つきの足によって、プリンが踏み潰された。
 手にしていたスプーンも、べきり、とへし折れる。

「くすくす。人間壊れちゃったぁ?」「くすくす。まーだだよぉ」「くすくす。まだまだ遊べるねぇ」

 子供のような妙に舌っ足らずで甘ったるい声。
 顔を上げると、そこには3匹のハーピィがいた。

 鳥のような翼を持っている少女――のような怪鳥の魔物。
 ハーピィたちは踏みつけたプリンのことなど気にすることもなく、くすくすと悪戯っぽく笑いながら、今しがた降ってきた青年へと襲いかかる。
 いたぶることが目的なのだろう。あえて急所は狙わず、生きたまま人間を食っている。

「――――ぁァァッ!」

 青年の絶叫が辺りに響きわたる。
 他の人間たちはそれから顔をそむけながら、逃げるように離れていく。
 そんな中、俺だけはその場から動かなかった。

「…………おい」

 ハーピィたちは、その声で初めて俺に気づいたらしい。
 ぎらぎらとした黒真珠のような瞳を、こちらに向けてきた。
 幼さが残る女の子のような顔とは対照的に、その口元は凄絶なまでに血で汚れている。

「くすくす。人間だぁ」「くすくす。人間がしゃべってるぅ」「くすくす。あーあ、しゃべっちゃったぁ」「くすくす。気に入らなぁい」「くすくす。いじめちゃう?」「くすくす。爪をはいでぇ」「くすくす。手足をもいでぇ」「くすくす。目玉をつついてぇ」「くすくす。綺麗に飾りつけをしてぇ」「くすくす。綺麗な悲鳴(おうた)を聞きながらぁ」「くすくす。食べちゃおーっと」

「……今、俺を食うと言ったか?」

「くすくす。そうよぉ?」「くすくす。だって人間はぁ」「くすくす。魔物に食べられるために生まれてきたんでしょお?」

「……逆だ」

 一番手近にいたハーピィの首をつかみ――ぐしゃりと握りつぶした。

「…………え?」

 果実が破裂したかのように、勢いよく血が()ぜ散る。
 仲間の返り血を浴びて、笑顔のまま凍りつくハーピィたち。
 俺はそんなハーピィたちを順繰りに見下ろしながら、死刑を宣告するように言った。


「――――()()()()()()()()()()


「――――()()()()()()()()()()


 殺したハーピィのレベル刻印から光が浮き上がり、俺の手の甲へと吸い込まれていく。
 その様子を、残りのハーピィたちが呆然と眺めていた。

 狩ろうとしていた人間に、仲間が狩られた――。
 そのことを、すぐには頭が受け入れられないのかもしれない。
 だが、俺がハーピィたちに歩み寄ると、我に返ったようにびくりとした。

「こ、この……ッ!」「……人間がァッ!」

 悪戯好きの女の子のような顔から一変……。
 笑顔の仮面がぐにゃりと体熱で溶け落ちたかのように、その顔が苛烈なまでの憤怒に歪んだ。
 おそらく、こちらが本性なのだろう。

「死ねッ! 死ねッ! 死ねェッ!」

 ハーピィのうちの1匹が、その場に竜巻を作り出す。
 レベル13の魔物の魔法にしては、竜巻の規模が大きい。
 おそらくは、天恵(ギフト)の力。

「竜巻を操る天恵(ギフト)、といったところか」

『そうね。たしか、【風廻鳥(カザミドリ)】って天恵(ギフト)だったかしら』

「まぁ、それなら――問題ないな」

 風を操ることにかけては、俺のほうが上だ。


「――風操(フゥゼ)


 俺とハーピィのレベル差では、初級魔法で充分だろう。
 指をくいっと曲げると、俺に迫ってきていた竜巻があっさりとかき消える。

「……ッ!? な、なんで……ッ!?」

 戸惑うハーピィへ向けて、さらに風を動かした。
 竜巻を打ち消した風を、勢いそのままにハーピィの体中の穴に流し込む。

「…………ッ!?」

 ハーピィの体がみるみる膨らんでいき――ぱんッ、と破裂する。

「さて……あと1匹」

 俺が残りのハーピィに目を向けると、彼女はようやく力の差を悟ったらしい。

「……ひっ!?」

 その場から羽ばたいて逃げようとするが。

「――風操(フゥゼ)

 指をくいっと下に向けると、ハーピィが地面に墜落した。

「……ぁ……ぐッ!?」

 そのまま見えない巨人の足に踏み潰されているかのように、めきめきと音を立てて地面にめり込んでいく。

「く、くそっ……人間がッ! こんなことして、ただで済むと……!?」

 ハーピィが苦しげに叫ぶ。

「このことをセイレーン様が知ったら、人間なんて……ッ!」

「セイレーン様?」『セイレーン?』

 俺は風を操る手を少し弱めた。
 興味なさそうにしていたフィーコも、その名前に反応する。
 おそらくは、この町を管理している魔物の名前か。

『セイレーンか……なるほどね』

「知ってるのか?」

『ま、同じ鳥系の魔物だもの。どんな魔物かぐらいは知ってるわよ』

「そうか」

 俺もセイレーンという魔物の話だけは聞いたことがある。
 俺自身は戦ったことがないが、海辺の町の人々に恐れられていたのは覚えている。

「たしか……魅惑的な歌声によって船を岩礁に誘い込んで沈めさせる、海鳥の魔物だったか」

『いや、なんで知ってるのよ』

「オーガたちが話してるのを聞いた」

 なにはともあれ。 
 これは思わぬところで、魔物の情報が手に入りそうだな。

「なぁ、ハーピィ……そのセイレーンとやらについて教えてくれるよな? セイレーンは今どこにいる?」

「だ、誰が、人間なんかに……ッ!」

「言っておくが……俺は、“お願い”をしてるんじゃないぞ?」

 指をさらに下へと向けて、風圧を高める。

「――“拷問”を、しているんだ」

 ハーピィが地面にめり込み、潰れたような悲鳴を上げた。

「……ま、待って……セイレーン様のことは、話せない」

「“話せない”ということは、“話すこともできる”ということだな?」

「違うッ! 本当に話せないッ! そう、命令されてるの!」

「その命令は、命よりも大事なのか?」

「……な、なにを言ってるの、人間ッ!? セイレーン様の命令に逆らえるわけないでしょう!? だって、セイレーン様の天恵(ギフト)は……」

 ハーピィはなにかを言いかけた途端、はっとしたように表情を一変させた。
 突然、ハーピィが自分の首を握りしめたのだ。
 自殺するつもりか……と思ったが、様子がおかしい。

「や、やめッ! 違うのッ! 違う違う違うッ、話してないッ! わたしはなにも話してませんッ! お赦しをッ! お赦しを、セイレーン様――ッ!」

 ぎょろぎょろと誰もいない虚空を見つめながら、ハーピィが叫びだす。
 わけもわからず見ていると、ハーピィはそのまま自分の首を握りつぶして絶命した。
 そして、静寂……。


「…………な、なんだ?」


 さすがに戸惑う。
 辺りを見回すが、セイレーンらしき魔物の姿はない。

 なにやら、命令に逆らえないとか言っていたが……。

(これが、セイレーンの天恵(ギフト)の力か?)

 いや、それよりも、今は考えるべきことが他にある。
 俺は地面に倒れていた青年に目を向けた。先ほどまでハーピィに食べられていたやつだ。
 ずいぶんと血まみれではあるが……。

『生きてはいるようね』

「ハーピィがあえて急所を狙わずに食べてたんだろうな」

 ハーピィは獲物をいたぶるのが好きだという。
 思えば、人間を空から落とすというのも典型的なハーピィのいたぶり方だ。

「あんた、大丈夫か?」

 俺はその場にしゃがんで、ぱしぱしと青年の頬を叩いた。
 一応、まだ意識もあったらしい。

「……は、ハーピィは……?」

「もう殺したぞ」

「こ、殺した……? バカな……」

 青年がうっすらと目蓋を持ち上げて、怯えたようにこちらを見てくる。

「……き、君は…………人間、なの……か……?」

「ああ」

 青年にも見えるように、俺は大きく頷いてみせた。

「――俺はテオ。この町の外から来た人間だ」
「――俺はテオ。この町の外から来た人間だ」

「外から……?」

『そして、わたしは誇り高き不死鳥(フェニックス)のフィフィ・リ・バースデイよ』

「ま、魔物!?」

 青年はそこで、初めてフィーコの存在に気づいたらしい。
 ぎょっとした声を出してから、はっと口をつぐんだ。

「まぁ、こいつは俺の付属パーツみたいなものだから気にするな」

『付属パーツ……』

「……あ、えっと……?」

 青年は困惑しつつも、こちらへの関心があるらしい。

「……君は、人間なのに……魔物を倒せるの、か……?」

「ああ」

「……そ、そうか……外の世界には、そういう人間もいるのか……」

『いえ、テオだけよ、そんな人間は』

「……あ、ああ……そうなのか……?」

 彼はなにかを咀嚼するように目を閉じた。
 そして、決意を込めた目で、俺をじっと見すえてくる。

「なんにせよ……死ぬ前に、君に出会えてよかった。1つ、頼みを聞いてくれないか……? 僕の最期の……願い、だ……」

「いや、話の途中で勝手に死のうとするな」

 とりあえず、男の傷口に触れて“治癒(リーヴ)”の魔法をかける。
 前世ではソロで活動していたため、他人に対する治癒魔法は専門じゃないが……部位欠損とかじゃなければ、それなりに治療はできる。

 しばらくすると、青年の容態は安定したらしい。
 彼は上体を起こしながら目を瞬かせる。

「け、怪我が治った……? ま、まるで、魔法だな」

「いや、魔法だが」

「人間が魔法を……?」

 そういえば、この時代の人間は魔法も使えないんだったな。
 魔法の知識が得られる環境にないうえに、レベル1の魔力量では魔法の訓練もままならないから、それも仕方ないが。
 なんなら、人間が魔法を使えることを知っている者すら少ないのかもしれない。

『ま、テオはテオって種族だと思ったほうがいいわよ、もう。人間だと思うと、わけわからなくなってくるし』

「あ、ああ……」

「いや、普通に人間だろ」

 まあいい。

「で、さっきの頼みの話だが、依頼内容と条件次第では受けてやってもいいぞ」

「ほ、本当かい……?」

 まだ依頼内容を聞いていないが。
 依頼を受けるというのは、なんとも冒険者らしくて懐かしい。

「でも、僕に払えるものなんて……」

「報酬は、“甘きもの”払いでいい」

「……“甘きもの”?」

『スイーツのことよ。プリンでもおごってあげればいいんじゃないかしら?』

「すぐには無理そうなら、出世“甘きもの”払いという手もある」

「……そ、そんなものでいいのかい?」

 青年は戸惑うというより驚いたような顔をする。

「……外の世界の人間って、変わってるんだな」

『改めて言うけど、これを基準に考えたらダメよ?』

「それより、頼みってなんだ?」

「ああ、それは……」

 と、青年が語ろうとしたとき――。


 ――時計塔の鐘が、鳴った。


 かーん、かーん、かーん……と。
 都市を上から圧し潰すような、重苦しい音色。
 どこか断末魔の叫びを思わせる不吉な音に、町中の音が塗りつぶされる。

「……し、しまった……もうこんな時間だったのか……っ!」

 青年の顔が、さぁっと一気に青ざめる。
 その視線は空のほうへと向けられていた。
 俺もその視線の先を追うと――。


 ――1人の女が、都市の上空に()()()()()


 遠目からでも目につくほどに、鮮やかな色彩の女だった。
 風に長くたなびく羽毛のような緑色の髪に、女王を思わせる艶やかなドレス。
 そして――その背を飾る翼が、彼女が人間ではないことを伝えている。

「…………セイレーンだ」

 青年がぽつりと声を震わせる。

「……ぁ……ぁあ……始まって、しまう……歌鳥の儀が、始まってしまう……!」

 その絶望的な声音で、理解する。
 あの魔物こそが、この都市の支配者であることを。


「――時間だ」


 セイレーンの声が、空から降ってくる。
 不思議と頭に染み入ってくる声音だ。
 本能が警鐘を鳴らして、急いで耳をふさぐも――無駄だった。


「――“(つど)え、私の愛玩動物(にんげん)ども”」


 そのさえずりのような透き通った声が、俺の鼓膜を震わせる。

「……まずい」

 聞いてしまった。聞いてはいけなかった。
 すぐにそれを理解する。
 セイレーンの声が何度も頭蓋の中で反響して、頭の中が急速に靄がかってくる。

『あーあ、聞いちゃったぁ』

 フィーコがからかうように言ってきた。
 あきらかに、この状況を楽しんでいる。

『いいことを教えてあげるわ。セイレーンの天恵(ギフト)は――【絶対王声(ゼッタイオウセイ)】。自分よりレベルが下の相手を命令通りに操る力、と言うとわかりやすいかしら?』

「……知ってるなら早く教えろよ」

『だって、教えちゃったら面白い反応が見られなくなるじゃない』

「……性格悪いな。知ってたが」

 しかし、やっかいな能力だ。完全に初見殺し。
 両頬を叩いて抵抗しようとするが――ダメだ。
 いくら意思を強く持とうとしても、俺の足が自分の意思を無視して動きだそうとする。
 まるで、セイレーンの声に誘い込まれるように……。

 見れば、この都市の住民たちもぞろぞろとセイレーンのいるほうへと歩きだしていた。幽鬼のように意思を感じさせない足取りで、ふらふらと、ゆらゆらと、ただ歩いている――歩かされている。

「……これが、セイレーンの天恵(ギフト)の力か。さすがに、これほどの規模の町を管理しているだけのことはあるな」

『こんなに人間の管理に適した力も、そうそうないわよね』

「……柵の周りに監視がなかったのも、この力があるからか」

『ま、そうでしょうね。“逃げるな”の一言だけで、この都市にいる人間はセイレーンから逃げられなくなるんだから楽なものよね。うらやましいわ』

「……精神操作系か。よりにもよって面倒な天恵(ギフト)持ちにあたったな」

 ただ、こういった精神操作系の天恵(ギフト)の力は、前世で何度も食らったことがある。
 俺は目を閉じて、呼吸を落ち着かせた。
 そして――ぐっと、その場に踏みとどまる。

「……よし、うまくいった」

『あら? もう大丈夫なの?』

「……ああ。今のは命令の条件が緩くて助かった」

『どういうこと?』

「セイレーンの“集え”という命令には、たしかに逆らえない。なら――逆らわなければいいだけだ」

『……? ……?』

 遅かれ早かれ、俺もセイレーンのもとへ向かわなければならないだろう。
 しかし、“いつ向かうか”までは条件指定されていなかった。

 だから、自己暗示をかけて命令を解釈をし直せば、ひとまずこの場は踏みとどまることができるというわけだ。
 あくまで、その場しのぎでしかないが……。

『なーんだ、つまんないの。もうちょっと、からかいたかったのに。テオって、そういう抜け道みたいなの探すの、無駄にうまいわよね』

 まぁ、抜け道とはいっても、特別な訓練をしている俺だからできる芸当ではあると思うが。
 この都市にいる住民たちに理屈を説明したところで、すぐにできるかどうかは別だ。
 と、そこで――。

「き、君……大丈夫なのかい?」

 俺の様子を見ていた青年が、慌てたように声をかけてきた。
 見れば、怪我をしてまともに動けないのに、這ってでもセイレーンのもとへと向かおうとしているらしい。

「……頼む、僕も止めてくれ!」

「ああ、わかった」

 言われた通りに、青年を地面に押さえつける。
 青年はくぐもった声を上げながら、じたばたともがく。怪我人とは思えない力だ。自分が傷つこうと気にせずに、青年は暴れ続ける。
 気味が悪いのは、まるで青年自身の意思を感じさせないことか。

「いったい……これから、なにが始まろうとしてるんだ?」

「……“歌鳥の儀”だ。止められなかった……」

 青年が悔しげに歯を噛みしめる。


「――頼む……妹を助けてくれ」
 セイレーンの命令から脱したあと。
 俺たちはいったん通りから離れ、人目――というより、魔物の目がなさそうな路地裏へと移動した。

 青年は近くにあった椅子へと縛りつけて動けないようにする。
 そうして、青年はようやく落ち着いたらしいタイミングで、先ほどの言葉について尋ねてみた。

「で、妹を助けてくれってどういうことだ?」

「……今朝、妹がセイレーンにつれて行かれたんだ」

 青年が拳を握りしめながら語りだす。

「君も見ていたからわかると思うけど、セイレーンの声には誰も逆らえないんだ。彼女に命令されると、なんというか……僕らは自動的になる。だから、僕らは魔物に反抗することも、魔物から逃げることも、自殺することさえできない。セイレーンに命じられるがまま、彼女の愛玩動物としての暮らしを強いられているんだ……」

 青年が通りのほうに目を向ける。
 そこには、列をなして歩いている人間たちがいた。

 たしかに、誰も自分の意志で動いている様子はない。
 先ほど自分の首を握りつぶしたハーピィにしてもそうだ。
 これが、フィーコが話していたセイレーンの天恵(ギフト)――【絶対王声】の力なのだろう。

 なるほど……この町の人間の目が死んでるわけだ。
 いかに見栄えのいい生活だろうと、それが全て自動的ならば……それは一種の地獄みたいなものだ。

「それと……」

 と、青年は一呼吸置いてから続けた。

「……時々、セイレーンの気まぐれで、僕らの中から“歌鳥”が選ばれる」

「“歌鳥”?」

「ああ、そうか。外の人間には通じないのか。なんと説明したらいいか……」

『とりあえず、この都市特有の生贄のとり方でしょう?』

 フィーコが焦れったそうに助け船を出す。

「生贄っていうと……俺がいた町の“投票”みたいなものか」

『そうね。というより、管理者(かいぬし)の魔物がひねくれてなければ、だいたい“投票”だと思うわ』

「生贄か……そうだね、まさにその通りだ」

 青年が忌々しげに呟いた。

「“歌鳥”は、綺麗な悲鳴を出しそうな人間の中から選ばれる。そうして選ばれた人間は、死ぬまで鳥かごに入れられて、セイレーンに悲鳴を聞かせるための愛玩動物(ペット)にされるんだ」

「ああ、なるほど。ここの人間がやけに声を出さないのは……」

「そう、日ごろから魔物に声を聞かれないようにしてるんだ。万が一にも、『綺麗な悲鳴を出せそうだ』なんて思われないようにね」

『あれって、ただ生贄になるのを怖がってただけなのね』

「あ、ああ」

 フィーコの声に、青年がぎこちなく頷く。
 いかにも魔物っぽいフィーコの前で声を出していいのか、まだ判断しかねているところもあるんだろう。
 それはそうと、だ。

「つまり、その“歌鳥”に選ばれたお前の妹を助けてほしいってことだな」

「……ああ」

 青年がうつむく。

「実は、僕自身も助けに行ったんだ。監視も甘かったし、セイレーンは人間のオスメスの区別もついてないから、こっそり僕が妹と入れ替わればバレないと思って。だけど……この町の人間にかけられている『魔物に逆らってはいけない』という命令のせいで途中で動けなくなった。そこでハーピィたちに見つかって……あのざまだよ」

 自嘲気味に笑う。

「だけど、外から来た人間なら……セイレーンの命令の影響はほとんどない。魔物たちは人間が反抗するなんて思っていないから、妹につけられている監視も甘いんだ。まだ妹が“歌鳥”にされるまで時間がある……だから、それまでに僕と妹を入れ替えてほしい」

「…………」

「こんなことを外の人間に頼むは筋違いだとわかっている。あまりにも危険すぎる。それでも、お願いだ…………妹を、助けてくれ」

 そして、青年が唇を噛みしめながら、深々と頭を下げた。
 その血が出そうなほど噛みしめられた唇から、その白くなるほど握りしめられた拳から、その震える背中から……彼がどれだけの覚悟をしているかわかった。

 魔物にとらわれ、“歌鳥”にされることへの恐怖がないわけではないのだ。
 それぐらい妹は大切な存在なのだろう。
 だが……。


「――断る」


 俺は即答する。
 青年はしばらく黙っていたが。

「……そうか……そうだよね」

 やがて力なく笑った。

「いや、いいんだ……勝手に希望を持っただけで、本当はこうなることが当たり前だったんだから」

「そうじゃない。俺が断ると言ったのは、お前のクソみたいな作戦のことだ」

「え……? でも、妹を助けられる方法なんて、他に……」

「いや、あるだろ――“セイレーンの討伐”って方法がな」

「……っ!?」

「簡単な話だ。セイレーンさえいなくなれば、お前も妹もどっちも犠牲にならずに済む」

 結局、この都市に来た目的をそのまま果たせばいいだけだ。

「む、無理だ。セイレーンは強すぎる。レベルだって65もあるんだぞ……?」

『わたしも、やめたほうがいいと思うわよ?』

 黙っていたフィーコが口を開いた。

『セイレーンの天恵(ギフト)の話はしたわよね?』

「レベルが下の相手に対する、絶対的な命令力だろ?」

『ええ。セイレーンのレベルが65に対して、あなたのレベルはまだ61。この町にいるハーピィたちをみんな倒しても、セイレーンのレベルにまでは達しないわ。ただでなくてもレベル差があるうえに……今のあなたではセイレーンに命令されただけでおしまいよ』

「だろうな」

『肉体が死ぬだけなら、わたしの【輪廻炎生(リンネエンセイ)】の力があればなんとかなるけど、精神操作まではどうにもならないわ。セイレーンを倒すにしても、外でレベルを上げてからにしたほうがいいんじゃないかしら?』

 ずいぶんとぺらぺらと話してくるな。
 たしかに、もっともな意見だ。反論なんてできない、が……。

「フィーコ、俺を試そうとしても無駄だ」

『あら、なんのことかしら?』

「とぼけても無駄だ」

 フィーコを睨みつける。

「……俺は、ここで逃げるような生き方はしていない」

 セイレーンを倒さないのならば、青年か妹のどちらかを犠牲にすることになる。
 たとえ、この程度の悲劇はいくらでも転がっているのだとしても。
 魔物に好き放題させて、まだ助けられる誰かを見捨てて……そうして、自分に失望するのはもうこりごりだ。

 なにより、今はもう戦うための力がある。
 そして、この世界で魔物を倒せる人間は――俺だけだ。
 逃げるが勝ちなんて知るか。
 ここで戦わなかったら……俺は一生、自分を許せなくなる。

『……へぇ』

 フィーコがしばらく俺を品定めするように観察してから。

『そうこなくっちゃ!』

 と、顔を一気にほころばせた。

『それでこそ、わたしが見込んだ人間だわ。そうよね……あなたは、このわたしから逃げなかったんだもの。もしも、セイレーン程度の相手から逃げるようなら……そんなつまらない人間は、この場でわたしが食べてやってたわ』

「やれるもんならやってみろ。また一方的に殺し続けてやるよ」

「……え? え?」

 青年が1人、状況についていけてないように混乱していた。

「えっと、さっきから気になってたんだけど……2人は、いったいどういう関係で?」

「敵だ」『敵よ』

「……そのわりに、仲が良さそうですが」

「そんなことはない」『そんなことはないわ』

「またハモってる……」

 青年がわずかに苦笑した。

「なんだか、不思議と……君たちなら、セイレーンも倒してしまいそうな気がするよ」

「君たちじゃない。セイレーンを倒すのは、俺だ」

『わたしが力を貸してあげてもいいのよ? 死んじゃったら困るでしょう?』

「いや、セイレーンとは1人で戦う。お前には、他にやってもらいたいことがある」

『へぇ……?』

「ともかく、お前の妹を助けるという依頼は――この俺が引き受けた」

 俺はそれだけ言うと、青年に背を向けた。


「――あとは、俺に任せろ」


 セイレーンに支配された鳥かご都市。
 その中央にある円形闘技場に、1万人を超える市民全員が集められていた。
 これだけの数の人間がいるのに――会場は静かだった。
 まるで観衆席に並べられた人間はただの背景画だとでも言わんばかりに、誰もがじっと息を潜めている。
 それもそのはずだ。
 これからなにが起きようとしているのか、ここにいる全員が知っているのだから。

 ――“歌鳥の儀”。

 それは、この都市の住民にとっては生贄の儀式に等しいものだった。

 やがて闘技場の中心に、ハーピィたちが鳥かごを運んでくる。
 中に収められているのは、人間――マリーという少女だ。
 歌が好きなどこにでもいる普通の少女だった。
 ゆえに、セイレーンに声を聞かれてしまった。いい悲鳴が出せそうだと思われてしまった。

 少女は声も出せず、恐怖にうつむくことしかできない。歯がかちかちと鳴って、全身が強張って、息ができなくて、顔を上げることなどできない。
 しかし――。


「…………“面を上げよ”」


 頭上から、声が降ってきた。

「さぁ、“お前の恐怖に歪んだ顔を、わらわによく見せるがよい”」

 その声に抗うことはできなかった。
 自分の意思に反して、自動的に少女は顔を上げる。
 それこそがセイレーンの能力だ。

 少女の上げた視界に、特別にしつらえられた貴賓席が入ってくる。
 無数の鳥かごが並べられた空間。
 床にずらりと積み重ねられた鳥かごに、天蓋からシャンデリアのようにいくつも吊り下げられている鳥かご……。
 その全ての鳥かごに(とら)われているのは――悲鳴を上げ続ける“歌鳥(にんげん)”たちだ。

 悲鳴(うた)を聞かせるためだけに飼われている愛玩動物。
 その悲鳴の合唱に包まれながら……。
 “歌鳥”たちの飼い主――セイレーンは心地よさそうに玉座に腰かけていた。

 鮮やかな薄緑色の髪と翼を持つ、鳥の魔物だ。
 まさに女王然とした優雅な姿には、そのドレスと王笏が様になっている。

「ほぅ……お前、なかなか悪くない目ね。恐怖しているけれど、まだ希望を失いきっていない。わらわ好みの目よ。だって、そういう目をする人間ほど――綺麗な悲鳴(うた)を聞かせてくれるでしょう?」

 セイレーンがぺろりと出した舌の上で、青白いレベル刻印が光る。

 そこに示されたレベルは――65。

 人間の65倍のレベル。
 レベル1の人間にとっては、絶対的な支配者に他ならない。
 彼女の命令に強制力がなかったとしても……逆らえるわけがない。

「あぁ……あぁ……こういう人間は、しっかり、じっくり、鳴かせてあげたくなるわ。命令してひねり出させた悲鳴はつまらない……自然と、本能的に、魂の底から漏れ出てくる悲鳴こそ美しいのよ」

 セイレーンが陶酔しきったような笑みを浮かべた。

「だから、今回は趣向を変えることにしましょう――“ハーピィども、この人間を鳥かごから出しておやり”」

「……?」

 少女は少し目を見開く。わけがわからなかった。
 とりあえず、ハーピィに引っ張られるがまま、ふらふらと外に出ると……。

 今度は1匹のハーピィが、少女に剣を差し出してきた。
 思わず、セイレーンのほうを見ると。

「“お前に対する全ての王声(めいれい)を解除する”」

「…………え?」

「“お前に……魔物への反抗を許可する。逃亡を、闘争を、命乞いを、そして希望を抱くことを――許可する”」

 突然与えられた、生まれて初めての自由。
 しかし、だからといって、なにかできるわけではない。
 小さな鳥かごから出たところで、そこはまだ、もっと大きな鳥かごの中でしかないのだから。

「さぁ、その剣を手に取って、せいぜい抗うがよい」

 ハーピィが差し出してくる剣を、少女は改めて見つめる。
 初めて目にする戦うための武器。
 この剣を使ったところで、人が魔物に勝てるわけがない。

 ……無理だ。不可能だ。もてあそばれているだけだ。
 セイレーンはただ、人間が見苦しく魔物に抗って、惨めたらしく希望にすがって、そうして漏れ出てきた悲鳴を楽しみたいだけなのだろう。

 わかっている。わかっているのだ。
 それでも……少女の胸の中に、確かな希望が芽生えてしまった。
 この剣を使っても、魔物は殺せないだろうけれど……。

 自分を殺すことぐらいは――できるかもしれない。


「……っ」

 ごくり、と喉を鳴らす。
 今までは自殺が禁じられていた。
 しかし、命令を解除された今なら……それができる。

 セイレーンのミスなのか、それとも計算内なのかはわからないが。
 ……楽に死ねる
 それは、この世界の人間にとっては、あまりにも甘美な希望だった。

 少女は剣に向かって手を伸ばす。
 そして、その小さな手が剣の柄に触れようとした――そのときだった。


「……剣っていうのはな」


「え?」

 気づけば、少女がつかもうとしていた剣が消えていた。
 その代わりというように、目の前に一筋の剣閃がほとばしる。


「――こうやって使うんだ」


 そんな声と同時に――すぱんっ、と。
 突然、目の前にいたハーピィの首がはね飛んだ。

「な……」

 ありえない光景だった。
 人間の絶対的な支配者である魔物が、殺された。

 唖然とする少女。その前に、1人の青年が進み出る。
 それは、今まで見てきたどんな人間とも違う青年だった。
 みすぼらしく汚れた服をまとっているが……ちらりと見えたその瞳には、燃えさかるような炎が宿っている。
 視線だけで魔物すらも焼き殺しそうな戦意――。
 そんな瞳は、今まで見たことがない。

「堕りてこいよ、鳥女――」

 青年の眼光が獲物に照準を合わせるように、呆然としているセイレーンへと向けられた。
 そして、セイレーンへと剣を突きつける。


「――さぁ、反逆開始だ」