キコがなんとか、
アスファルトの道路に出て
一息を着いた頃
テクテクと歩く処を 、
後ろから上がってくるグレーの
軽自動車にクラクションを
鳴らされた。
『プッ!』
なんやろか?
呼ぶ様に鳴らされた音に、
キコは 怪訝な顔で
振り向く。
少し、
グレーの軽自動車は
速度を
キコに合わせて、
頭1つ分だけ出すと、
止まった。
『ウーーーーーーーン』
ウインドウが開く。
「大丈夫ですかー!どこまで、
行きますー?乗りますかー?」
立て続けにキコに質問する
女が、運転席の窓から
顔を出してきた。
ポニーテールをした
長い黒髪。
気の強そうな口調とは裏腹に、
意外と清楚な
美人顔だ。
ただ、窓に片腕を引っ掛け
出している様は、
どこか、、
組の姉さん。
キコの頭に
真っ先に浮かんだのは、
前職の 『現場』で見た、
輩をまとめる、独特のオーラの
女人達だった。
「あのぉ、上のお寺さんとか
行きはりますぅ?それなら、
ありがたいんですけど。 」
キコは、声を掛けてきたのが
女人だけと、しっかり確認すると、
相手の申し出に乗っかる
事にする。
「いいですよー。あたしも、
上にある お寺に行こかと、
思ってたんでー。どうぞー。」
ポニーテールを黒光りさせて、
キコに、
助手席を指差す彼女。
何故か、
カーステから演歌が聞こえる。
ラジオらしかった。
「上のお寺さんて、
有名ですのん?ちょっと道に
迷ってたんで、そーゆーのん、
わからんで 歩いてたんです。」
キコは、前職もあるが
性格的に初対面でも
緊張はしない。恐いもの知らずと
よく揶揄されたものだ。
「なんか、ご利益あるんなら、
わたしも、
お参りしてみましょかね。」
キコは隣で運転する
相手に、空気を読んで、
話題をふる。
「ご利益いうかー、、
知りませんー?
『亡者の古道参り』ここですよ」
フロントガラスから、
視線を動かすこと無く、
ポニーテールの彼女は答えた。
「『亡者の古道参り』ですかぁ」
キコも、フロントガラスを
見たまま、おうむ返しに
答えたが、
彼女の言葉に、俄然
まさかやけど、この姉さん、
幽霊とかと、ちゃうやろか。
寒くなって、隣の足元を見る。
キコの出身は、
古都郊外の酒蔵の町。まあまあ、
妖怪忌憚な話もある。
因習深い都も近ければ
まずまず迷信深くもなるもの。
「それでぇ、人が少ないんです
かねぇ、古道の割にねぇ。」
と、話して 誤魔化すうちに、
少し鬱蒼しさが晴れて、道が
開けた。
キコの話に合図ちを打つ
わけでない運転席の彼女が、
徐に
「あれー、なんや?けったいな
ソーラーやなぁー。あ、
すんませんねー。ほら?
あれ、なんですかねー。」
驚いて口にした方向を見ると、
確かに運転側の山の傾斜に、
白く光る板が並んでいる。
にしても、並びがおかしい。
「ちょっと気に成りません?
車、停めていいですかー。」
運転する彼女が止めれば
キコも文句は言えるはずなく。
白い板並びの横路肩に
車が寄せられ、仕方なくキコも
一緒に外に出る。
「なんやー!これー!」
一見すると判らないが、
少し引いて俯瞰すると、
規則的な白い板の意味が嫌でも
判った。
運転手の彼女は、
はしゃぎながら電話で写真を
撮り始め、
キコに
「すんません。ちょこっと、
撮ってもらって、ええですかー」
と、その形を入れて写真取りを
ねだってきた。
ホンマやのん?これとりはるん?
内心、キコは、辟易しつつも
一泊の恩ならぬ一車の恩だ。
「いいですよぉ。」
お客さん用の、笑顔を張り付けて
電話の画面を覗く。
彼女のポーズに、若干引きつつ、
『カシャ』
シャッター音を鳴らした。
「これで、いいですのん?」
キコが彼女に写真を
確認してもらうと、
「あー、ええですやん!ええ!
ありがとうーございますー。」
と、彼女は 今度は
満面の笑みを顔に湛えて
チョチョイチョイと電話を操作すると、
キコに 電話の
表示画面を見せてくる。
そこには、
SNSにアップされた、
キコの手で撮れたてホヤホヤの
白い巨大 『卍』マークの横で、
中指を立てて、ガンを飛ばす
ポニーテールの清楚な美人の
『真面、卍。』の文面が
誰かに向けて 吼えていた。
車を降りて、杉木立をの階段を
登ると、意外にも山頂に
露道が幾何学にのびる
前庭に出る。
ずっとその奥に 朱色の鳥居が
見えて、
鳥居を潜ると本堂があった。
『亡者の熊野参りといいまして、
人は亡くなり魂になりますと、
こちらの寺にやってくるのです』
そして2人の女が、
フワフワウェーブヘアの
パピヨン犬みたいな
女から、説教ならぬ、説明を
受けて 阿弥陀如来の
前に正座をしていた。
『 枕飯を3合炊く間にです、
分かります?枕飯?亡くなった
方にお供えするために、
わざわざ屋外で炊いた白米を、
椀に高盛にしまして、箸を垂直に
立てたモノが、枕飯です。』
板床に正座をする2人の足は、
後ろからみれば、
ムズムズと忙しないわけで。
『でも考えてみてください。何故
1合ではないのでしょう?
昔の1膳飯とは、お嫁入りの時、
お引っ越しと、戻らない旅立ちで
出されてきました。 ましてや、
死出の旅。故人の最後の食事。』
足の痺れは最高潮と予測される。
「あのー、で、
貴女様は、どなたさま?」
黒髪ポニーテールの女が、
片手を肘から綺麗に90度に挙手。
『ですから、現在は1合だけ、
もしくは 必ず椀に入れきる為に
椀に擦り切りいっぱいだけ炊く
のです。それを、こちらの伝承
では、3合炊く間と云われる。』
難なく、
ウェーブヘアを
ライトブラウンにカラーリング
する、パピヨン犬女は、
黒髪ポニーテールを無視した。
「はい!『黄泉の入り口』って、
言われるからやわ!死出の旅に
食べる弁当にせんと!ダルに
やられたら、たまったもんじゃ
ないし。ひもじい!です!」
本堂の天井に届く勢いで、
今度は
パーマっ毛ショートヘアの女が
手を挙げて答えた。
「えー?!あんたー、ここで、
そんな感じ?ないって、これ」
そのショートヘア女に、
ポニーテール女が ツッコんだ。
が、ウェーブヘア女が、
ショートヘア女をビシッと指さす
「はい!いい着眼点!古来の葬法『殯ーもがり』では 復活の
呪術的儀式でした。そもそも、」
そもそも?
ウェーブヘア女が急に云い澱むと
説明されていた2人が
不思議な顔をする。
「、、、とにかく、
黄泉へ帰りと、蘇りの考えが
古道には色濃くあって、
魂となると 枕元のシキミを
1本持ち、
魂はこの寺に詣でるのです。」
ウェーブヘア女は、
なんでもないと 話を繋いだ。
「鐘を1回のみ鳴らし、
シキミをさらに先の奥ノ院、
浄土堂に供えて、
大雲越えの道を歩いていく。」
さらに聞いた言葉に、
一瞬 ショートヘア女の肩が
ビクリと動いた。
「え、それってさっきのん、、」
嫌やわ、冗談ひどいわぁと、
自分の両肩を手で抱く。
「ですからこちらの寺の鐘は、
時折、誰も居ないのに、音を
鳴らし、魂が供えるシキミで
奥ノ院の辺りは山中にシキミが
群生していると云われるのです」
じゃあ、貴女も
その音を聞いたのですね?と
ウェーブヘア女が
ショートヘア女に問う。
「いぃーややわあぁ。冗談ね?」
ウチ、リアリストやから一応。
やめて欲しいわと、
ショートヘア女が答えれば
「あなた、さっき、『ダル』
言いましたよね。妖怪ですよね」
ウェーブヘア女が追い討ちをかけて、ニコッと笑った。
「そういうわけで、
貴女達が、足を踏み入れようと
する古道は、極楽浄土の地。
入るには、
『葬送の作法』を行わなくては
なりません。
貴女達は、そのままにして死し、
浄土にて悟り、生まれ変わる。
そして、また生きる場所に無事
帰ってくる。わかりましたか?」
「「・・・・・・」」
暫く2人が喋らないのを見て、
ウェーブヘア女が
「では、わたくしは失礼します。
あ、ご住職には わたくしが、
ご挨拶しておきますので。
では、余り軽々しく道中を
行かれませんように。では。」
本堂の板床に置かれた椅子から
立ち上がる。
「あのー、そーれーでー、
貴女様は、どなたさま?」
ポニーテールの女が、再び
片手を肘から
綺麗に90度に挙手をする。
「はい!お寺さんの世話役!」
でしょ?っと
本堂の天井に届く勢いで、
ショートヘアの女も
手を挙げて ワトソンよろしく
推理の答えを求めた。
ウェーブヘア女は、
パヨン犬みたいに可愛く首を
傾げて、
「只、こちらの檀家さんに、世話
になっているだけの、
人形師。 ドール職人ですわ。」
意地悪く微笑んだ。
「「ドール、職人」」
「はい。ドール職人です。
あと、お二人だけ正座させて、
悪かったですけど、 許して
下さいね。
わたしの片足、 義足なので。」
そう言うと、ウェーブヘア女は
片足を挙げてみせる。
「「義足、、」」
ポニーテール女とショートヘア女
は、おうむ返しに返事するだけで、
この状況を処理した頃には、
住職に、女3人で古道を
歩く事を勧められて、
幾何学な露道の前庭を出て、
駐車場の車に戻ったのだった。
寺に宿坊はなく、
この時間に、タクシーは
山を上がらないと、付け加え
られて。
気が付けば、女3人で古道へ。
「ここはですね、一棟貸しの農家
民宿で、今私がお世話になって
おります。、、お2人もどうぞ」
人形職人で
片足は義足だと自分を
紹介したライトブラウンの
ウェーブヘアの女=リンネは、
車から出て来た2人に言って
民宿というわりには、
スイスの山小屋みたいな
木造の建物に、2人を促した。
「なんや登山の山小屋やわ。」
茶髪ショートカットに、グレーの
パンツスーツ姿の女=キコが、
泥だらけになったスニーカーを
脱いで、玄関に上がる。
「あ、宿の人に言うとかなー
あかんのちゃう?挨拶行くよー」
黒髪ポニーテール女=チョウコが
リンネの方に向いた。
「いいです。一応一棟を連泊して
る間に、仕事の打ち合わせで、
人も訪ねてくるので。それに、
随分よく、してもらってて。
でもまあ、食材を聞いてきます。
1人分しかないので。じゃあ、」
荷物適当に、部屋にどうぞと、
リンネは母屋らしき建物に
消えた。
「チョウコさん、リンネさんは?
ご飯どないします?こないとこ
食べに行けるとこありしません
やろ?宿かて、嫌がるやろし」
キコが、チョウコの後ろを
覗いて声をかける。
「キコさんてさー、いきなり
遠慮ないんやな。マイペース。
なあ、キコさん、都の人ー?」
リンネさんが宿に話してくるって
と、チョウコは荷物を玄関に置く
キコが、電気のスイッチを探す。
すっかり、日が傾いてくると、
周りに人口の明かりが
無い山では、
早くも夜の戸張が降りてきた。
「チョウコさんやて、
どこのお人?ていうても、和泉?
って感じやなぁ。 うちも、
都やのうて、周りのぉ府やよ。」
府ぅ~。とキコが強調する。
「ゆーても、あたし 生まれは、
関東やでー。中学で引っ越して
それからやわ。地元やないねん」
スイッチこれちゃう?と
チョウコが壁に手を伸ばすと、
小屋の中が明るく姿を現した。
ならぁ、リンネさんは?
2人が荷物を玄関から中に
移動させると、リンネが
野菜と、米を手に戻ってきた。
「女将さんが、食材を分けてくれ
ました。これで、ご飯作れます」
カレーにしましょう。
リンネが、2人の前を通りすぎて
小屋の中に進んでいく。
玄関の明かりだけが灯る小屋で、
ほの暗い部屋に入ると、
チョウコが声を上げた。
「うぇー、ここって絶景ビュー
やん!!めちゃぜいたくー。」
「いやぁ、ほんまええ景色や。」
「夜に明かりを消すと、星が
すごいですよ。山の醍醐味です」
リビング一面が
展望ガラス張りになって、
夕方の山合の影と、空が、
カクテルグラデーションを創る。
もう、その上空には一番星さえ
煌々と光っていた。
「そうや、リンネさんて、どこの
人ー?ここじゃないやんねー。」
チョウコが、リンネの荷物を
手伝って持つと、
リンネが リビングの電気をつけた
「、、加太に住んでます。」
「ふうん。あんま、らしくない
しゃべりやから、意外ー。」
チョウコの返事に合わせて
紀州のお人ですかぁと、キコが、
炊飯器を洗う。
「キコさん、ほんまちゃっとやる
のん、躊躇ないなー。普通、米
やりますとか言うとこやん。」
「えぇ、さっきカレーやて言うて
はりましたやん。米洗いますぅ」
キコが炊飯釜にチョウコから
渡された米を入れる。
「あの。お2人はご友人で?」
『チャッチャ、チャッチャ』
研ぐ音をBGMに。
「ちゃうちゃう。ヒッチハイク
して来よった、全然他人やよ。」
『ザーーーーー』
じゃがいもを見つけて洗えば。
「それ違いますわ。チョウコさん
が、車でナンパしてきはったん
でしょ?クラクション押して」
『♪♪~♪♪♪♪~』
炊飯器のスイッチ曲が流れる。
「ふつう山ん中、女1人ヘロヘロ
で歩いとったら、クラクション
鳴らすやろ?リンネさん、包丁」
リンネが、玉ねぎを剥くため
手に取ると、チョウコの言葉に、
少し間を溜めて 呟いた。
「怖いですね。」
えー、別に子供じゃないし
包丁大丈夫やってー。
あらぁ、チョウコさん警戒され
てますかぁ。
人参やジャガイモを持つ
2人の女達は、揃ってリンネを
見て
それぞれにしゃべる。
「今ので、長く独り暮らし
してきた感じしますよね。
私たち、空気が似てますよ。」
キッチンの備え付けから、3本
包丁を出して
「初めて会った割にはですけど」
1本を自分の前に置くと、
あとの2本をそれぞれ2人に
渡す。
「それに、ふつうじゃない。」
そしてリンネは、
玉ねぎの皮を剥ききって、
置いていた包丁でタンと切ると。
「だって、そうでしょ。」
『トントントントン』
千切って、
「亡くなった人の魂に会いたい
から、寺で待たせてくれなんて」
『貴女も、貴女も。』
黙っままの、
チョウコとキコの間に置いた鍋に
玉ねぎを入れる。
「、、、肉は、、、」
「お肉先やわ、、、」
チョウコとキコの目は、間の鍋に
注がれる。
「お肉は入なし!生臭禁止で!」
行くのですよね?
待つのですよね?
リンネはそれだけ伝えて、
コンロの火を付けた。
チョウコはジャガイモを、
キコは人参を 鍋に入れる。
他人3人でカレーを創れた頃
には、星は澄んだ空に
高く昇っていた。
朝の光に照らされ農家民宿は今
たなびく
雲海の中にあった。
チョウコとキコはそれを
リビングの全面展望窓から
呆然と眺めている。
「あたし、とーとー
死ねたーって、思ったわー、、」
チョウコは微動だにせず、
雲海に沈む山を見ている。
キコはそんな自嘲気味な
チョウコの言葉を、無言スルー
して
チョウコの隣で雲海、、
というよりは
民宿さえ濃霧に飲まれつつある
光景を やっぱり眺めて
いる。
雲を取る場所と言われる
山域がこの先にあるのを
2人は感じて
自分達の望みが
叶うかもしれないと
朧気に期待している
もう、その雲海の、濃霧の
向こうに 人影が
見えそう、、なのだから
チョウコとキコは、
展望窓を開けて、濃霧に沈む
底が見えないテラスから
その先に脚をふみだそうと
していた。
「何、しているのですか。」
リンネの鋭く冷静な声が
2人の襟首を掴んだ。
そして、文字通り
2人の首根っこを引っ掴かんで
リンネは、
2人をリビングのソファーに
ポイと転がす。
「昨日から、本当いい加減に
してくださいよね。何処にいく
つもりだったか知りませんけど」
何の為にこっちが用意してる
と思ってるんです?と、
リンネは
リビングのローテーブルを
指差した。
「あ、これぇ。」
キコが、テーブルの上に
畳まれたモノを拡げた。
さっまで、どこか意識が
薄かったチョウコの目も開く。
「死に装束やん!」
菅笠と杖、そして
そこには真っ白な着物が
チョウコの手で持ち上げられ。
「着ますか?!着ないですか?」
リンネの言葉に、
チョウコとキコは 楽しそうに
「「着ぃるう~」」
朝の冷たい空気を震わせ
揃えた声で 答える。
リンネは、「やれやれです。」と
2人と違って悲しそうな笑顔を
した。
朝の光が強さを
だんだんと増していくと、
早朝の幻想は消えて
日常の山小屋が
姿を現す。
晴れれば
俄に鳥の囀ずりが賑やかに
聞こえ、鶏が嘶くと、
リンネは
チョウコとキコを
宿の母屋に朝食が用意されている
からと、連れ出した。
「ザ、精進やな!」
「古き良き朝食。です、やろ?」
「キコさんやって、闇にそれ
『イケズ』っぽいやん。こわー」
「すいません、女将さん。
この人達、デリカシーないだけ
で、きっと悪気はないです。」
「うわ、キッツー。」
「1番性根悪いわなぁ」
「「「頂きます。」」」
農家民宿の女将が
『ゆんべは、よう寝れましたか』
とお膳を並べ
ニコニコと3人のやり取りを
見ながら、
囲炉裏を囲んでいる。
そこに、
大将が土間から串を持って
囲炉裏に差した。
「鮎ですのん?」
キコが冬にも食べるんですねぇと
紀州漆器の椀から
甘味の白味噌汁をすする。
「鮎ちゃうやろ!都のお人は、
川魚は、なんでも鮎やな。
紀州ゆーたら、アマゴやん!」
大将がアマゴを串にしてくれた
のだ。
チョウコが
古代米なる黒い『イザナミ米』
を混ぜた
おにぎりを頬張る。
「きんのー、アマゴさー解禁ぃ
なったのし。焼けてら、かやして、ようさん おあがりよしー。」
大将がやんわり笑うと、
「アマゴ?サクラマスやの?」
琵琶湖のサクラマスはもっと
大きいからなぁとか
言いながら
キコは大振りの梅干しを摘まむ。
チョウコは
「サクラマス?何ーそれ?」
ややこいわー。とか
蕗の薹の佃煮を口にしては
シブイわー。とか口を動かす。
そんな2人に大将曰く。
渓流の魚は
川で過ごす陸封型と、
川に戻る降海型があって、
名前が替わるという。
山の女の如く美しい
『渓流の女王』ヤマメは、
サクラマス。
春を呼び、梅雨や初夏を
愛する『渓流の宝石』アマゴは
サツキマス。
そして『渓流の王様』イワナは、
紀州は一地域で生存し
名をキリクチと呼び
殆ど
海に降りない種だが、
アメマスとなるとか。
「だから、
キコさんのサクラマスは
ヤマメで、間違いですし、
精進料理は、魚もタブーです!」
と、プンスカ怒りつつも
大将に、リンネは
「でも、折角なので 頂きます!」
と言って、アマゴを囲炉裏で
ひっくり返した。
「えー、精進とか
意味わからんけどー?古道を
歩くって 生モノアカンのー?」
リンネがひっくり返すアマゴに
チョウコが、女将から
天然黒塩と、梅塩を渡され
1舐めして振り掛ける。
キコも、塩を各々舐めると
「いやぁ、美味しいやぁん。」
と、片手に梅塩をさらに乗せた。
「古道の詣は本来、先に精進の
儀礼をするんです!小屋に何日
か籠って匂いのキツイ
野菜も、肉も魚を断つんです!」
呑気な空気の2人にリンネは
ピラリと1枚の紙を寄越して
「ここにある、言葉を使うのも
タブーですからね。はい!!」
あと、ツッコミとか要りません
から!!とリンネは
焼けたアマゴ串に
かぶりと食らい付いた。
投げられた紙には
忌詞として30の言葉が並ぶ。
「えぇ、何やろか。仏さんは、
サトリ? お経はアヤマキ?
何ぃ、全然わからへんわぁ。
お寺さんは、ハホウ?で、
お堂がハチスねぇ。これ、
なんで忌み言葉なんやろか?」
キコが拾った紙を読むと、
チョウコがそれを覗く。
「あー、でもこっからは、
それっぽいんちゃう?ほら、
怒りはナタム。病はクモリ。
血いは、アセ。
男はサヲやて!!え?そーゆー
意味ちゃうのん?ごめんやで。
女はイタ?うーん。
法師、尼はソキ 。
死はカネニナル?なんで?
葬?はヲクル。これ解る。
卒塔婆はツノキ
墓はコケムシ。俳句やなぁ。
啼く?はカンスル。
え?何て読むの?これ?」
急にチョウコが紙からリンネに
目を上げた。
「打擲ちょうちゃくです。
叩くは、ナヲスといいます。」
リンネが答えると、最後にキコが
「あ、米はハララって言うやぁ」
紙を持ち上げた。
「厳しい、食と言葉の作法が、
古道を歩く本来のルールです。
口から出るモノ入れるモノの
作法。お2人は、出来ます?」
焼けて丁度いい塩梅の
アマゴの串を、
手にしてチョウコもキコも頷いた
「ほんなら、服装も着物きる?
昔話のお姫さんみたいな
カッコするんやんなぁ。ほら」
一寸法師のお椀みたいな帽子でと、キコが真顔で聞く。
「?着物?一寸法師?ですか。」
「知ってるー!『蟻の詣』やん!
コスプレみたいな着物来てるの
ニュースでみたー。肩に帯して」
チョウコもキコに賛同する。
「あえ『むしたれいた』と
ちやう?ほれー、市女笠にぃ
魔除けの赤帯でぇ壺装束のよし」
女将がリンネに助け船を出した。
それに気がついたリンネが
チョウコとキコに伝えたのは
「あのですね。平安貴族の壺装束
なんか着て、古道を歩こうもの
なら100メーターも歩けませんよ
ヒルもウジも居てるのに!!」
あれは、広告イベント用です!
との夢のない リンネによる
現実と、
「白装束で菅笠に杖!マストで」
の
一択ファッションだった。
白い巨大 『卍』マークの横で、
中指を立てて、ガンを飛ばす
ポニーテールの清楚な美人が
『真面、卍。』と
画面の向こうにいる
誰かに向けて 吼えているのを、
アップされたSNSの画面から
汲み取って、
わたし、キコは
隣でハンドルを
握るポニーテール清楚美人に
思い切って聞いたわけで。
「えーとですね。さっきの写真、
誰に向けて アップしたとか、
あったりしますのん?なーんて」
すいません、初対面で、しかも
ヒッチハイク同然で車乗せて
もろてるのに、アハハ汗。
って感じに。ね。
「旦那に。てか家に女連れ込んで
妻を締め出す、やり◯ん不貞
亭主 に向けて。
ですわ。って感じで
答えになってますー?エヘヘ」
見たら、ペコちゃん舌出しで、
可愛く笑いながら、
首を親指で真横に切る
DEATH ポーズをされた。
スゴいな。
ポニーテール清楚美人なのに。
笑えた。
「やー!ネタですかぁ?もしか
して。ならスゴいウケますぅ」
そして、何故か自己紹介をお互い
交わしてしまった。
波長があってしまったらしい。
これじゃあ
まるで、ロードムービーだ。
「アハハ、でもねキコさん。
ネタでもなんでもなくって、
真面な話なんですよ。だって、
今のわたし、逃走中なんで。」
そう大笑いする
ポニーテール美人チョウコさんは
愛人を連れ込んで情事に及ぶ
亭主の部屋に
車で突っ込んで、逃げたて
ホヤホヤの今なのだと、
告白してきた。
ガッデーム!!やっぱり姉御?!
そっちの人?!
えらい車をヒッチハイク
したかも、わたし。
「いやぁ、えらい思い切りはり
ましたなぁ。そんな派手な事、
チョウコさんとこでは、普通
ですのん?えらい威勢ええわ。」
ここは、ちこっと探りいれとく。
輩の筋なら、すぐに
お暇させてもらおう。うん。
そんな事を考えてるの
バレバレやったか、
チョウコさんが ミラー越しに
わたしを見てニンマリした。
「うち、よう間違われるんやけど
ちゃんとカタギですよ。フフ」
あ、居心地悪くて、
何か恥ずかしい。図星ってね。
「どうしはるんですか。まあ、
赤の他人ですけど。気になり
ますし。好いたご主人とはいえ、
別れはるんでしょうね。普通」
フロントガラスを見たまま、
カーラジオの演歌?をBGMに
空気を繋げる。
なのに、
「どうやろ、初めから、好いた
相手じゃなかったってのが、
ホンマのとこですねん。あかん
ね、上手くいくはずないわ。」
そりゃねー、て言うチョウコさん
のガラスに映る顔は
言葉と裏腹に寂しげで、
「好きやないって、ご主人とは
そーゆー結婚しはる家とか?」
ほら、家同士のーとか、
義理の見合いーとか、ですのん?
ってフォローっぽく聞くしか
ないでしょ!!
チョウコさんは、
やっぱりハンドル握って
前を見ている。
「あ、ええです。聞き過ぎ
ましたわぁ。今のんは無しで。」
わたしは、
話を変える為に 鞄の中をごそごそ
して、缶コーヒーを出した。
「良かったら?コーヒーどうぞ」
ちょっと懐かしいメーカーの
缶コーヒー。今は 珍しくなった
このコーヒーを
途中で見つけた自販機で、つい
買ってしまったのだ。
それがまた地雷とは。
「この缶コーヒー、、あの人、
リュウちゃんが好きやったやつ」
あ、不貞亭主?
「わ、ごめんなさい。へんなこと
思い出させてしもたわ。なら、
コーヒーはいらん?いらんね?」
はい、失礼しました。
直させてもらいますぅ。
てか!!
「わあーー!どないしはったん?
チョウコさん、ダダ泣きやん!
うわ、運転、運転ちゃんとして」
チョウコさんが 子供みたいに
えぐえぐ言うて泣いてますけど!
「止めましょ!車!一旦止めて」
凄い演歌がシンクロしてもう、
何がなんだかの状況!!
まあ、慣れてもいるけど
前職的に。
「チョウコさん、えーっと、
コーヒーは無しやろうし、他、
あ、コンビニおにぎり。
いります?ほら、食べません。」
わたしは、鞄に残ってた
最後のおにぎりを 剥いて
半分を無理から
チョウコさんに渡した。
「うー、うー、うー!、そこ、」
泣くのを堪えて、チョウコさんが
後ろの席のビニールを指さす。
お茶のペットボトルがあった。
1本のペットボトルを開けて、
もう空になってる水筒に
自分の飲む分を分けて、
残りは
チョウコさんに渡す。
1つのおにぎりと、
1本のペットボトルを分ける。
それが、なんだか
久しぶりで ニンマリしてしまう。
「う、う、ど、どうし、た、の」
泣きエズきながらチョウコさんが
聞いてきたから、
それも笑える。
「あは、いや、そーいえば
亡くなった夫とも、よくこー
して分け分けしたなあって、」
ほら、食べる物を分けるって
いろいろ距離感の思い出があって
微笑ましくなって
しまいました。
って、チョウコさんに
何気なくしゃべってしまった。
「キコさん、既婚者?って、
ダジャレか?やけど、ちがうで。
キコさん、旦那さん亡くしてる
のん?え、そうなん?なら、」
チョウコさんが、
さっきまで えぐえぐ泣いてたのに
急にわたしの肩を掴んでくる。
どうした?!
「え、はい。まあ。その。」
アホな返しやわぁって反省して
たら、チョウコさんが、
おにぎりを片手に、
「うちもな、初恋の恋人を
亡くしてん。それで、あんなのと
半分自棄で結婚したようなもん」
やから、
やから?
今から 亡くなった彼に会いに
いくねん。
キコさんも行かへん?
へっ?!
へやない。
フロントガラス越しじゃない、
チョウコさんは、
真っ直ぐわたしの方を見て
そんな馬鹿げた話をしてきた。
それが、
2人でそのまま、件のお寺さんに
行くことになるとは、
世の中はミラクルに
溢れている。
これが
巨大卍マークの後で、
チョウコさん缶コーヒーで泣く
事件と 語り継がれる。
わけあらへんわ。
チョウコとキコと、リンネが
朝食を終えて、
母屋から外へ出ると、
丁度白のオープンカーが
農家民宿の駐車場に止まった。
流石に冬場の山では
寒いのかシェードは下りている。
出て来たのは、
タレ気味の目をした 白スーツの
男で、
その人物を見たキコと、リンネが
「「ハジメさん!」くん?!」
同時に叫んで、
3人が顔を見合わせた。
!!!
オープンカーから降りた
白スーツの男も 驚いた表情で、
「あれぇ~?あれれぇ~?」
しか、しゃべらない。
チョウコはそんな3人を見て
キョトンとしている。
白スーツの男はふとキコを見て、
「あ~~~!そうかぁ!うぁ~、
1人じゃあなかったんだぁ~。」
いきなり、1人で納得している。
???
「とにかくさぁ、ここわぁ、
レディドールにまず~、
挨拶するよん~。ご機嫌は?」
そう言うと恭しくまるで
王子が、ダンスを誘うような
ポーズを取る。
「 冗談はやめてくださいね。
ハジメさん! お2人に紹介を
します。わたしの作品を扱う
ギャラリーのオーナーで、
ハジメさんです。今日、
打ち合わせだけ予定してまして」
リンネが言うが早いか、
ハジメは人懐っこい笑みで、
チョウコと 、、キコにも
名刺を手渡す。
そこにはギャラリー名で
『 武 々 1 B 武久 一 』と
印刷されていて、
「 それでぇ、キコちゃんとはねん
前職での知り合いぃ、ボクの
親友の、ダーリンだよん~。」
ハジメは自己紹介すると、
レディ達ヨロシクと、ウインクを
投げた。
チョウコが、うへぇ顔をするのを
横目に、ハジメは
リンネに聞いてくる。
「でぇ、レディドールは~?
彼女達とシェアリゾートぉ?」
「 そのようなものですかね。
明日に朝から 古道を歩く予定
をしてます。けど、キコさん
お仕事とか、お家とか大丈夫
ですか?連絡して下さいね。」
遭難はしないつもりですけど、
と言いながら、キコの表情から
さりげなく
ハジメを、山小屋へ促す。
「 ほなら、ちょこっと電話
させてもらうわ。あ、ハジメ
くん、うち今 ほらOBの山内
さんとこでお世話なってるん
やわぁ。また、後でなぁ。」
キコは、チョウコとリンネに
電話を振って
このまま外でかけると
席を外す。
「 ならー、あたしはリビングで
装束の試し着でもしとくなー。
ほんなら、ごゆっくりー。」
チョウコも手を振って山小屋に
入っていった。
「 世間てぇ、狭いよねん。まさか
キコちゃんに会うとはビックリ
だよぉ。そうかぁ、なら間違い
ないなぁ。面白いねん。ふふ」
ハジメは口を弓なりにして、
顎を手で撫でる。
「 何の話ですか?打ち合わせ、
例の夏の芸術祭で オーダーが
あった件でしょ?あ、作品!」
話ながらリンネとハジメも
山小屋に入って、
1階のリビングとは別に2階へ
上がる。
「 もう!!ハジメさん!あれ、
何ですか!友達とかSNS教えて
くれた時驚いたんですよ! 」
リンネは 2階のドアを開けて、
自分の電話を表示する。
そこには、
等身大のリンネの作品人形と
イルミネーションの中
写真撮影するハジメが
アップされていた。
「 あぁ!!それ!すごいよねん。
あっという間に話題になった
よん。今ちょっとしたぁブーム」
ハジメは、イタズラが成功した
子供の顔でリンネを見返す。
「 もう!この子だって、本当は
オーダー受けるつもりなかった
子なのに!酷いです!晒すとか」
どーしてくれるんですか!
とリンネは怒りながら
部屋のデスクチェアに座る。
「 あれぇ?これって~。夏の時の
デスマスクだねん。持って来て
たのん~?いつもは、、、」
ハジメはそう言いながら
部屋を見回す。
部屋には何体ものドールが
鎮座している。
「 ええ、いつもは ここに前作品を
持ち込まないのですけど。
ハジメさんが、こっちに来るって
伺ってたので、使うかなと。」
ハジメは、部屋の真ん中に
あるソファーに座して
テーブルの『デスマスクアート』
を手に取る。
「 なんだかねん。いろいろな
事が、昨日みたいに思える~。」
思えば、このデスマスクが
着ていた装束も 使ったんだ~。
と懐かしげにして、
「 それなんだけどねん。レディ
ドール。このデスマスクアート
からぁ~、ベネチュアの仮面を
オーダーもらったゲストだけど」
ゆっくりマスクをテーブルに
戻すと、ハジメは
リンネを見つめる。
「 えっと、確か 海外ゲストの
マイケル・楊令嬢ですよね。
夏の芸術祭では、行き違いに
なってるので、お顔は拝見して
ないですけど。違いましたか?」
リンネは、ファイルを取り出して
オーダー表を改めた。
「ちょっとねん、打ち合わせぇ、
待ってもらっていいかなぁ?」
ハジメは緩いパーマ髪を
かき揚げて、息をつく。
「 まあ、こんな新型ウイルスが
まだ終息してませんからね。
かまいませんよ。いつもの
作品と違ってイレギュラーな
作品作りになりますから。」
気にしませんよ、と
リンネは デスクから立ち上がり
コーヒーをドリップして、
ハジメの前に置いた。
「 わぉ~、ここってさぁ、
やっぱり水が良いからかなぁ?
コーヒーの薫りからして
全ぇ然ん~違うよねん。はあ」
良い薫りぃ~と、ハジメは
嬉しそうに口にカップをつける。
「 悪いねぇ。あとねぇ、お願い
あるんだけどぉ、いいかなあ?」
「 何ですか?もう、また無理
言わないで下さいね。芸術祭も
本当は、出るつもりなかったのに
アーティストの交流とか 無理に
連れ出されて、困りました!」
リンネが警戒の目で、
ハジメを睨む。
「 いやだなぁ。普通にぃ~
恋のキューピッドをしている
だけなんだけどなぁ~。まあ、」
それは、置いておいてと、
ハジメはリンネに
真剣な眼差しで 言い始める。
「 これからぁ、あの2人とぉ
出掛けるならぁ、必ず連絡を
してくれないかなぁ。出来たら」
此れを持って欲しい。
と、出されたのを見て
リンネが 驚く。
「これ?!なんで?!です?!」
ハジメは、無邪気に
圧を強めて、
「GPS機能付きでぇ、つけて~」
小さい、キッズ電話を
リンネに押し付けた。
古道詣での装束は、
遍路装束とあまり変わらない。
白装束に、杖、笠姿。
敢えていうなら、
笠の文字と材か?
源平の隠れ公達が、
紀州の檜に、補強の竹と桜皮を
使って編んだのが始まりの
笠。
これを、古道詣で使われる様に
なったという。
遍路笠をはじめとする、
編笠でよく使うのは、竹。
実は竹笠は重い。
土地で取れる材料の違いだろうが、古道詣での檜笠は、
その軽さに 助けられる。
そして、笠に書かれる言葉が
遍路笠とは違う。
「笠、何も書いてないんやー。」
チョウコが自分が被る檜笠を
内側から 覗く。
昼の太陽を透かし、
所々にある補強桜皮が 黒◆の
模様を映す。
「長く詣でる方とかは、先々で
笠にメッセージ入れたりします
し、笠を売る地域の名前とか
入れてる笠もありますよ? 」
リンネが 不思議そうにする
チョウコに答えた。
「いや、ほらさオヘンロさんの笠
って、大師さんのコトバとか、
書いてるのんテレビでみるし。」
チョウコがツンツンと
笠をツツクと、キコも頷く。
「 四字熟語みたいなんやわ。
なんや、お大師さんも一緒に
旅してますよぉ、みたいなの」
「『同行二人』ですかね。
古道詣を踏襲して遍路がある
みたいなので、どうでしょ?」
そう頭を傾げて、リンネは
もともと山伏さんを、
先達に古道詣は道中に
祓いや御祓をしていくので、
戒めとか導きを笠に記す事が
なかったのかもしれませんね。
と説明した。
「古道は99王子参拝しますけど、
それにちなみながらも、敬意で
遍路は88箇所廻るとかいいます
し、霊場としては古道が先みたい
ですよ。金剛杖も発心門で、
先達にはじめて代え杖で貰え
ますし。じゃあ、いきますね。」
そういって、リンネは手にした
古道杖を振り下ろして
歩き始めた。
朝はあんなに天気が良かった。
そのままなら、
寺の駐車場では 素晴らしい
山の展望が広がっていた、はず。
が、今、寺は薄い霧に
包まれている。
「なんかー、なんかやな。」
チョウコは 思わず口を開いた。
3人の出で立ちは、
白装束に厄除けの赤い肩帯に、
檜笠、手に古道杖で、
足にはスニーカーを履いている。
木立の中をリンネの
後をついて行く。
霧の中に四方ほどの石の囲いと
木作りの説明があった。
「 日本最初の焼身往生の場、
火定跡って、これ、、」
読んだキコが呟いた単語に、
「 火定ってなんなんー?」
チョウコがリンネの肩に
手を掛けた。
「 火定は、生きながら身を
焼いて、諸仏を供養するんです」
上人の体は、灰になっても
舌が残って経を読む声が
響き、無数の鳥がそれに
声を合わせて鳴いたそうですと、
石の囲いの辺りに手を合わせて、
「 秋になると、ここには青紫の
リンドウが咲いて、それが苔の
緑に映えて、綺麗ですよ。」
まるで寄り添うみたいに地面に
張って咲くのですと 2人に
話して
歩みを続けた。
チョウコとキコは、
ゴクリと唾を飲んで 石囲いを
横に階段を登る。
寺は古道の「かけぬけ道」
にある「黄泉の国の入り口」。
石畳は既に苔むして、霧の中に
何か見えそうな幻想を誘い
平衡感覚が麻痺しそうになる。
「え、誰かいてへん?」
チョウコとキコが、リンネの
白装束を掴んだ。
そのまま、お構い無しに進む
リンネに連れられたのは、
霧に浮かぶ
山道脇の 『像』だった。
「いや、やわぁ、、」
キコが ホッとした声をすると、
同時に リンネが2人に告げた。
「ここが、奥の院です。」
お堂の前で
リンネが手を合わせれば、それに
習って2人も手を合わせる。
そしてその先には、
キコが山の中で聞いた鐘の音の
正体『亡者のひとつ鐘』が
あった。
「じゃ!お先にー。」
お賽銭を入れて鳴らそうとする
チョウコに、
「待って下さい!」
リンネが指を指したのは
横に備え付けられた。
『ひとつ鐘を突く方は、
秘密血脈をお持ち下さい。』
との文字と、、白封筒。
「 浄土への約束手形です。
大日さまと縁をむすぶ、
お大師さまの血統書です。
棺の中に入れてもらうと、
浄土に導びいてくれるんです」
リンネが、チョウコとキコに
封筒を渡す。
賽銭を渡して
リンネに言われるまま
チョウコもキコも、『秘密血脈』
なるモノを
白装束の懐へ大切に入れた。
「じゃ!お先にー。」
チョウコが
ひとつ鐘を 鳴らす。
『 コーーーーーーーーーーン 』
キコも鐘をならして、
『 コーーーーーーーーーーン 』
リンネが最後に鳴らす。
『 コーーーーーーーーーーン 』
深くなる霧の中に
3つの鐘の音は静かに消えた。
そうして、
ここに思い残すことは終えたと、
更に濃い
霧に纏われながら
女3人 亡者の出会いに向かう
のだ。
まだ旅は、始まったばかり。
「なあー、リンネさん。
この道ってもう
『亡者に会える道』になるん?」
チョウコが苔むす階段を少しずつ
登る先頭のリンネに聞いた。
リンネの身長は高くないから、
チョウコの目の前に、
檜笠が上下に揺れている。
その片手には
古道杖。
反対の手には
クライミングのステッキ。
「チョウコさん、なにを言って
いるんです?まだまだ先です!」
リンネは振り返らずに、
確実な足取りで2本の杖を
使って階段を登り、
答える。
古道は、
三山を中心に参詣道が延びる
巡礼の山道。
総本宮大社、
磐座がある新宮の大社、
大滝の大社、
に通じる参詣道は、
古来から6つのルートが
存在する。
大坂城を起点としたルートと、
伊勢の神宮から入るルートの
どちらかから半島に入り、
小辺路、中辺路、大辺路
そして吉野から三山を繋ぐ
修験の奥駈道ルート。
総本宮は西方極楽浄土、
新宮は東方浄瑠璃浄土、
滝の大社は南方補陀落浄土
とされ、
古道三山が浄土の地と見る。
「この山は、まだ南の入口です
し、本当なら『かけぬけ道』を
歩いて三山の1つ『滝の大社』
に、参詣するのが順番ですけど」
今回は三山詣でが目的では
ないので、そのまま山の
高原公園に行きますから、と
リンネは出て来た看板を指さして
2人に説明をした。
「え、、ウソぉー。ほんなら、
どこに、その道はあるんよ。」
キコが、電話で地図を写真に
撮っているのを見ながら
チョウコが聞くと、
リンネが 地図の先にある
雲取越えと書かれた道を示した。
「ここからこの道です。」
本来なら
滝の大社から総本宮への道は
雲取越えとして、
西の33観音巡礼のメインルート。
滝の大社と総本宮の間を
使って行く。
「このルートを、古来の人は1日
で歩きましたけど、さすがに今は
2日に分けて歩くのが普通です」
半島の古道はしばしば
現代の国県道に組み込まれる。
これには半島の中央部が
湿気山と谷に深く覆われ、
交通開発が
今も容易ではないからだ。
それだけ 歩くのも
簡単ではない古道。
だから古来の人々は、
この山合谷合の地形を利用して、
総本宮と新宮の大社
を巡拝するのに
川舟下りをも
利用してきた。
「 そして、わたしたちがいる
のはまだココ。滝の大社から
南に2時間弱歩いた場所。まだ
入口になるんですから!!」
リンネは当たり前の顔をして
看板のはじっこを指さした。
「えぇ?じゃあ、これは、
今日着かへんってことやん?
ホンマ歩くんやなぁ古道って。」
キコが看板をシゲシゲと見つめて
ぼやく。
チョウコは、そっと リンネの足を
盗み見た。
それでもと、
リンネが言うには
この
『かけぬけ道』は、寺と滝の大社を繋ぐ南の道として、
今も苔むす石畳が
美しく残る歴史道。
特に趣ある階段道には
見晴らし台から、富士山も
見える なかなかの道なのだと
豪語した。
あいにくの 霧だが。
チョウコが、リンネの足を
見ていた事には、
キコも気が付いていた。
「リンネさん、ホンマにええの?
足とか、、大変ちゃうって、
今更やねんけど、ほら、なぁ?」
今度はチョウコがキコを
チラリと見てくる。
「杖がありますし、ゆっくりなら
問題ないです。気にしないで。」
リンネは、やっぱり振り返らず、
看板から離れて
進み始めた。
リンネの足は、一見すると普通に
見えるが、
昨日の夜に 見せられた片足は
「指、なかった。」
義足というより、リンネが
付けているのは 足付け指。
機能性より、見た目の為の
装着具だった。
『義足とか、付け足って
古代インドにはすでにあったん
ですよ。青銅の義足とかも
遺跡から発見されたりしてます』
そういって、リンネは見せていた
足に、ラバーの指を着けて
靴下を履いた。
『人間って、足の小指を怪我する
だけでバランスがとれないから、
正座から立ち上がるのは、
床を掴めないので 出来なくて』
イメージしやすいように、
義足だと言いました。
リンネは、何でもないと顔に
作ってチョウコとキコに
厳密には、付け指ですと
説明して、事故で指を失ったとも
話してくれた。
義足は膝がある、無しで
運動負荷が全然違うから、
自分は 足首と足の平があるのは
有難い事だとも。
それでも、
その足で、チョウコとキコを
案内してくれる
理由は、
結局昨日、リンネは
話さなかった。
チョウコとキコの不思議な
先達、リンネ。
その
背の低い檜笠から、
1つに括られた
ライトブラウンのウェーブヘアー
が馬のシッポみたいに
揺れていて、
「あれ?なんや、中国の古事
みたいやわぁ。アハハ。」
急に最後尾のキコが笑うと、
真ん中のチョウコが
振り返る。
「ソレナニよ?」
「いやぁ、わたしら ハエやなぁ」
キコは、また肩を揺らして
そんな2人に リンネが
先頭で呆れたため息を
つくのが
チョウコにも わかった。
眺めが開けているであろう、
木立の隙間には、
以前
深い霧が 立ち込める。
馬、ハエ3人の前途を
占うように。
途中古道から横に伸びる
急な木の階段を上がると、
リンネが
チョウコとキコに
「ここでお昼にしましょう。」と
休憩を合図した。
そこは、
開けた冬枯れの高原で
キャンプも出来そうな公園。
木立を抜けると
不思議に霧が
晴れるのだと
チョウコとキコは、
高原で気が付いた。
東屋らしいものや、
トイレも見えて、3人はベンチに
腰を下ろす。
「女将さんにお願いして
おきましたから、頂きましょ」
リンネが用意した各々の
山谷袋には、
宿の女将が
弁当を新聞に包んで入れて
くれていたらしい。
山谷袋は、遍路の白い布カバンで
肩掛けが本来だが、
リンネはリュックタイプを
用意していた。
ガサゴソと、
新聞を鳴らして
開けながら、
「お2人とも、この高原公園まで
しか、タクシーは入れませんよ。
これからの道は、今の何十倍の
しんどさが、6時間あります。
リタイヤ出来ません。この先は
進むしかない。どうします?」
リンネがライトブラウンの
ウエービヘアを解いて、
2人に駄目押しで
問うてきた。
山道は所々白い霜が
降りていたが
今は3人とも汗をかいている。
勾配はキツくて息が
上がったのだ。
それでも、
キコは新聞を開けて
「高菜と、さんまのお寿司やわ」
と喜んでテンションを
上げると、ラップの寿司を
チョウコに見せている。
「行くって!帰らへんで!」
チョウコはリンネに答えて
拭いた手で
横に添えられたズイキの煮物を
チョイと口に入れると
檜傘をとった、
黒髪のまとめ髪を揺らした。
「 うちかて、行くわな。
当たり前やわ、リンネさん。」
キコも、さんま寿司を口にして、
その柚子の風味に
顔を緩めると
パーマをした
ショートヘアが 寒風に
靡いた。
もし夏なら、
青々とした芝生が高原には
広がっているだろう。
「、、わかりました。あと、
その高菜の寿司は『めはり寿司』
さんまの寿司は、『さいらの鉄砲
寿司』って、紀州ではいいます。
さんまを、さいらって言うんで」
特に『さいら寿司』は
晴れ料理なんで、
女将さんの気遣いですねと、
リンネが口添えつつ
地図を出してくる。
ズイキのジューシーな
煮物。
醤油ご飯を巻いた
めはり寿司。
柚子が効いた
さいら寿司。
冬枯れの森に、
白い霜が降りた高原は、
充分に寒く、
郷土の弁当を女子達は
堪能して、トイレを済ますと、
すぐに出立準備だ。
リンネが
これからの行程を
出してきた地図で説明する。
「 今から1時間半、坂を上がって
1つ目の峠になる舟見峠を目指
します。それから、色辻川に出
て、次は地蔵茶屋跡に。
石倉峠をこえて、さらに越前峠
をこえて、古道の写真でも見る
有名な円座石をすぎたら、
集落に入って、今日の宿です」
日がすぐに落ちますから、
ヘッドライトを点けますと
山谷袋を指さし
言われてると、
「そんな時間になるん?」
チョウコが不安げな顔をした。
それを、リンネは
肩眉を上げて揶揄した。
「何言ってるんですか?これから
先の道は、お2人ご希望の道で、
願ったり叶ったりになるかも
しれませんよ?足元は気を付けて
いきましょう。滑りますから。」
まあ、暗くなる前に集落を
目指しますけどと、
リンネが笑う。
そんな中でキコが、
「ホンマにうちら会えるやろか」
とそっと呟くのを
リンネは聞いていたのだろう。
顎に片手を当てて、
真面目な顔をキコに向ける。
「 よく、古道を歩く旅人に、
説かれるんです。
古道詣は『旅』が大切。
死出の山路越えでは、
阿弥陀如来が、この『旅』の
ありがたさを教えくれる。
って、目的が達成するよりも、
この道中に目的があるって
事らしいですよ、キコさん。」
パンパンと手を打ちならし
背負いの山谷袋に、
地図を畳んで
リンネが立ち上がると、
チョウコとキコも
パンパンと腰を叩いて
後に続く。
「ところで、キコさんて、
ハジメさんとお知り合い
なんですね。びっくりしました」
数歩を踏み出し
リンネが キコに振り替えった。
「あぁ、そやねぇ、前の職場が
一緒ってゆうても、部署は
ちごうたんやけど。そいでも、
旦那の友達やったから、なんなと
ようしてもろて。ほんでも、
何年かぶりやわ、会ぉたんわ。」
高原公園から、
再び古道に戻る。
途端に
霧がかる木立の中に入り、
ザク、ザクと霜を踏みしめ
3人で進む。
「まさかねぇ、ハジメくんが
ギャラリーのオーナーやって、
不思議といえば、不思議やけど
なんや、なっとく?やろか?」
足音に紛れて
キコがフフと少し笑うと、
今度はチョウコが
「なあ?キコさんて、何の仕事
前はしてたん?今と違うやんな」
勢いよく
キコを振り返った。
「うーーーーん。そやねぇ。」
キコは、少し考えて
歩きながら ゆっくり話始めた。
3人の周りには更に霧が
囲むと、
白い装束が、霧に溶けていく。
生き物の輪郭を
曖昧にする霧で、
キコは
過去を思い出す。