朝の光に照らされ農家民宿は今
たなびく
雲海の中にあった。

チョウコとキコはそれを
リビングの全面展望窓から
呆然と眺めている。

「あたし、とーとー
死ねたーって、思ったわー、、」

チョウコは微動だにせず、
雲海に沈む山を見ている。

キコはそんな自嘲気味な
チョウコの言葉を、無言スルー
して
チョウコの隣で雲海、、
というよりは

民宿さえ濃霧に飲まれつつある
光景を やっぱり眺めて
いる。

雲を取る場所と言われる
山域がこの先にあるのを
2人は感じて

自分達の望みが
叶うかもしれないと
朧気に期待している

もう、その雲海の、濃霧の
向こうに 人影が

見えそう、、なのだから

チョウコとキコは、
展望窓を開けて、濃霧に沈む
底が見えないテラスから

その先に脚をふみだそうと
していた。


「何、しているのですか。」


リンネの鋭く冷静な声が
2人の襟首を掴んだ。

そして、文字通り
2人の首根っこを引っ掴かんで
リンネは、
2人をリビングのソファーに
ポイと転がす。

「昨日から、本当いい加減に
してくださいよね。何処にいく
つもりだったか知りませんけど」

何の為にこっちが用意してる
と思ってるんです?と、
リンネは
リビングのローテーブルを
指差した。

「あ、これぇ。」

キコが、テーブルの上に
畳まれたモノを拡げた。

さっまで、どこか意識が
薄かったチョウコの目も開く。

「死に装束やん!」

菅笠と杖、そして
そこには真っ白な着物が
チョウコの手で持ち上げられ。

「着ますか?!着ないですか?」

リンネの言葉に、
チョウコとキコは 楽しそうに

「「着ぃるう~」」

朝の冷たい空気を震わせ
揃えた声で 答える。

リンネは、「やれやれです。」と
2人と違って悲しそうな笑顔を
した。

朝の光が強さを
だんだんと増していくと、
早朝の幻想は消えて
日常の山小屋が
姿を現す。

晴れれば
俄に鳥の囀ずりが賑やかに
聞こえ、鶏が嘶くと、

リンネは
チョウコとキコを
宿の母屋に朝食が用意されている
からと、連れ出した。

「ザ、精進やな!」
「古き良き朝食。です、やろ?」

「キコさんやって、闇にそれ
『イケズ』っぽいやん。こわー」

「すいません、女将さん。
この人達、デリカシーないだけ
で、きっと悪気はないです。」

「うわ、キッツー。」
「1番性根悪いわなぁ」

「「「頂きます。」」」


農家民宿の女将が
『ゆんべは、よう寝れましたか』
とお膳を並べ
ニコニコと3人のやり取りを
見ながら、
囲炉裏を囲んでいる。
そこに、
大将が土間から串を持って
囲炉裏に差した。

「鮎ですのん?」

キコが冬にも食べるんですねぇと
紀州漆器の椀から
甘味の白味噌汁をすする。

「鮎ちゃうやろ!都のお人は、
川魚は、なんでも鮎やな。
紀州ゆーたら、アマゴやん!」

大将がアマゴを串にしてくれた
のだ。
チョウコが
古代米なる黒い『イザナミ米』
を混ぜた
おにぎりを頬張る。

「きんのー、アマゴさー解禁ぃ
なったのし。焼けてら、かやして、ようさん おあがりよしー。」
大将がやんわり笑うと、

「アマゴ?サクラマスやの?」
琵琶湖のサクラマスはもっと
大きいからなぁとか
言いながら
キコは大振りの梅干しを摘まむ。

チョウコは
「サクラマス?何ーそれ?」
ややこいわー。とか
蕗の薹の佃煮を口にしては
シブイわー。とか口を動かす。

そんな2人に大将曰く。

渓流の魚は

川で過ごす陸封型と、
川に戻る降海型があって、
名前が替わるという。

山の女の如く美しい
『渓流の女王』ヤマメは、
サクラマス。

春を呼び、梅雨や初夏を
愛する『渓流の宝石』アマゴは
サツキマス。

そして『渓流の王様』イワナは、
紀州は一地域で生存し
名をキリクチと呼び
殆ど
海に降りない種だが、
アメマスとなるとか。

「だから、
キコさんのサクラマスは
ヤマメで、間違いですし、
精進料理は、魚もタブーです!」

と、プンスカ怒りつつも
大将に、リンネは

「でも、折角なので 頂きます!」
と言って、アマゴを囲炉裏で
ひっくり返した。

「えー、精進とか
意味わからんけどー?古道を
歩くって 生モノアカンのー?」

リンネがひっくり返すアマゴに
チョウコが、女将から
天然黒塩と、梅塩を渡され
1舐めして振り掛ける。

キコも、塩を各々舐めると

「いやぁ、美味しいやぁん。」

と、片手に梅塩をさらに乗せた。

「古道の詣は本来、先に精進の
儀礼をするんです!小屋に何日
か籠って匂いのキツイ
野菜も、肉も魚を断つんです!」

呑気な空気の2人にリンネは
ピラリと1枚の紙を寄越して

「ここにある、言葉を使うのも
タブーですからね。はい!!」

あと、ツッコミとか要りません
から!!とリンネは
焼けたアマゴ串に
かぶりと食らい付いた。

投げられた紙には
忌詞として30の言葉が並ぶ。

「えぇ、何やろか。仏さんは、
サトリ? お経はアヤマキ?
何ぃ、全然わからへんわぁ。 
お寺さんは、ハホウ?で、 
お堂がハチスねぇ。これ、
なんで忌み言葉なんやろか?」

キコが拾った紙を読むと、
チョウコがそれを覗く。

「あー、でもこっからは、
それっぽいんちゃう?ほら、
怒りはナタム。病はクモリ。 
血いは、アセ。
男はサヲやて!!え?そーゆー
意味ちゃうのん?ごめんやで。
女はイタ?うーん。
法師、尼はソキ 。
死はカネニナル?なんで?
葬?はヲクル。これ解る。
卒塔婆はツノキ 
墓はコケムシ。俳句やなぁ。
啼く?はカンスル。
え?何て読むの?これ?」

急にチョウコが紙からリンネに
目を上げた。

「打擲ちょうちゃくです。
叩くは、ナヲスといいます。」

リンネが答えると、最後にキコが

「あ、米はハララって言うやぁ」

紙を持ち上げた。

「厳しい、食と言葉の作法が、
古道を歩く本来のルールです。
口から出るモノ入れるモノの
作法。お2人は、出来ます?」

焼けて丁度いい塩梅の
アマゴの串を、
手にしてチョウコもキコも頷いた

「ほんなら、服装も着物きる?
昔話のお姫さんみたいな
カッコするんやんなぁ。ほら」

一寸法師のお椀みたいな帽子でと、キコが真顔で聞く。

「?着物?一寸法師?ですか。」

「知ってるー!『蟻の詣』やん!
コスプレみたいな着物来てるの
ニュースでみたー。肩に帯して」

チョウコもキコに賛同する。

「あえ『むしたれいた』と
ちやう?ほれー、市女笠にぃ
魔除けの赤帯でぇ壺装束のよし」

女将がリンネに助け船を出した。
それに気がついたリンネが
チョウコとキコに伝えたのは

「あのですね。平安貴族の壺装束
なんか着て、古道を歩こうもの
なら100メーターも歩けませんよ
ヒルもウジも居てるのに!!」

あれは、広告イベント用です!
との夢のない リンネによる
現実と、

「白装束で菅笠に杖!マストで」

一択ファッションだった。