私の人格を形成したのは叔父(おじ)だ。

彼は父親の弟で、幼い頃から
よく私の面倒を見てくれた。

父親は機械工学の研究者で、
母親は動物専門雑誌の編集者と、
転府(てんふ)では珍しい共働きの夫婦だった。

そのために叔父が毎日のように家に来て、
私の世話係を買って出るのが日常だ。

叔父は働いていない。
働かないことは珍しいことではない。

〈人類崩壊〉以降では、必要な仕事は
〈ALM〉の労働用〈キュベレー〉が担当する。

そもそも人類に労働は課せられてはいない。

100年近くにも及ぶ人生にとって
娯楽の創生や、趣味の充実こそが
人類にとって重要な役割を担っている。
人生、退屈こそが死に等しい。

父と母の仕事も言ってしまえば趣味の延長だ。

みんなで一緒に機械の玩具を作る。
昔の動物の映像を掘って切り抜いて配信する。
その程度のことを仕事にしている。

私もよく両親の仕事のマネごとをして育った。

〈NYS〉によって環境耐性を得た人類は、
〈ALM〉の構築する社会によって争い事のない
平和な世界を実現することに成功した。

〈人類崩壊〉以降の人の役目といえば、
減った人口を増やすことぐらいしかない。

社会的な義務とも呼べる行為を終えた両親は、
私に興味を向けることはなかった。

趣味にも(おと)(わずら)わしい存在だったのかもしれない。

あとは私が無事に成人すれば、
両親としての役割も終えるつもりだったようだ。

逆を言えば叔父は珍しい存在であった。
叔父は結婚もしていなければ子供もいない。

子育ては育児・教育用〈キュベレー〉で済む。

叔父の介在は両親にとって必要ではなかったが、
叔父は産まれたときに顔に大きなアザがあった。

叔父の両親はアザを治すことをせず、
アザを治したいという叔父の意志も
通らなかったらしい。

人は自然のままの姿が最もよい、
とする思想が叔父の両親あったようだ。

ただその考えが世間に理解されることはなかった。

顔の半分を覆うアザは他者に忌避感を与え、
社会から爪弾(つまはじ)きにされた叔父は孤立していた。

叔父はそんな境遇にあっても明るく和ませ、
どんな誹謗(ひぼう)を受けても怒らず柔和な性格だった。

計算高く、頭の回転は早かったのだと思う。

私は叔父の顔を物心がつく前から
見慣れているので、アザなど気にすることもなく
毎日を楽しく過ごした。

そんな叔父とはアニメーションや
映画を見て、マネをするのが日課だった。

私はピンク色の子供向けドレスで変身し、
ごっこ遊びに興じたり、いつも黒色の
フードパーカーを着ている叔父は悪役を演じ、
道路に魔法陣を描いたりと楽しい毎日を過ごす。

家にいない両親よりも、叔父を好いていた。

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私が叔父に犯されていたことが
発覚したのは、高校1年のときだった。

性格の裏表が激しく、共働きであった
両親の影に隠れて私に暴言を吐いていた。

いつか貰った私のお気に入りの
イヌのようなぬいぐるみを激しく叩いた。

私のかわりに怒鳴りつけ、
目の前で何度も踏みつけた。

私は叔父の行動に目をつむり、
激しい音と罵声に耳を塞いで耐えた。

「お前は両親に愛されていない。」
「捨てられてもよかった。」
「俺がとりなしてやった。」
「一生俺に感謝しろ。」

「あぁ…すまない。」
「言い過ぎた。」
「俺が愛してるのはお前だけだ。」
「見捨てないでくれ。頼む。」

(たかぶ)りをおさめた叔父は、常に改心して、
自己嫌悪に(おちい)り許しを()う。

その姿はまるで悪役そのものだった。
だから私はそれを許したのかもしれない。

かもしれない。というのも、実際に
私が許したわけではない。

私は目をつむり、耳を塞いでいたから、
暴言を受ける私はそこにはいなかった。

叔父の癇癪(かんしゃく)は何度も繰り返された。
私は泣きもせず、罵声(ばせい)を浴びる私を見ていた。

叔父は何度も謝り、私でない私は何度も許した。

やがて初経(しょけい)が訪れ、乳房や臀部(でんぶ)が発達し、
肉体が成長する頃になると私ではない私は
叔父からの暴言が、性的な暴行へと変わった。

私でない私は暴行を受ける。
私は、私でない私を見ている。

私ではない、可愛そうな子。

私は暴行を受けてはいない。

暴言を受けたのは私ではない。
暴行を受けているのは私ではない。

イヌのようなぬいぐるみ。

大好きな叔父はこんなことをしない。
そんな叔父からは私はこんな目には合わない。

ごっこ遊びの延長。

だから私は私を保っていられたのかもしれない。

そして叔父が捕まった。

家事用の〈キュベレー〉が、
私の異常を検知して通報した。

両親が自宅で発生した異常を、いつもの
叔父の癇癪(かんしゃく)が原因だと思い込んでいた。

叔父は〈更生局〉に連れて行かれた。
体液がその証拠だった。

診断結果を知っても、
両親は私を慰めはしなかった。

やはり両親は私を愛してはいなかった。

このときになってはっきりとわかった。
両親が大事なのは世間体だ。

生まれながらにアザを持ち
社会から隔絶(かくぜつ)され〈更生局〉に連行された叔父と、
精神的に不安定な叔父を(かどわ)かした不埒(ふらち)な娘。

叔父よりも成人する前に問題を起こした娘こそ、
本当に捨てられるべき存在かもしれない。

両親の目が私を拒絶する。

「私じゃない!」

私は叔父の犯行を否認した。
私は自らの被害を否定した。

だってそうだもの…。

子供の虚偽(きょぎ)の訴えなど、
大人の耳に届くはずはなかった。

いまにして思えばその発言に、
どんなメリットがあったのだろうか。

私の人格はふたりに分かれていた。