人類が〈キュベレー〉をつくるより遥か昔。
〈人類崩壊〉以前に百獣の王とも
呼ばれた動物がライオンだという。
食肉目の大型野生動物であり、
日がな一日ごろごろと寝ているので
動物園ではとても観察しやすい。
オスとメスではタテガミの有無が
判別の材料になり、老若男女誰にでも
わかりやすい優秀な商品だった。
本来ライオンという動物は乾いた草原に棲む。
十数頭のメスが集団で狩りをして
ときに子育てをし、数頭のオスは
メスを他所のオスから守る。
厳しい野生環境では、
自らの遺伝子を残すために群れを形成する。
いまでは雌雄2頭が
コンクリートで作られた土地と、
水堀と鉄柵で囲んだ檻に展示してある。
私はこの転府、聖礼市に
広大な『檻』を創生して財を成した。
檻の中にいる復元した機械動物を見ようと、
毎年何千万の人が訪れた。
映像でしか見られなかった動物が、
機械動物として復元されて喜んだ。
海洋生物を復元し、水族館も建てた。
娯楽に飽くなき人は、こぞって群れをなした。
音楽や演芸など個人や集団で
生み出せるこれらの娯楽に比べ、
檻の世界は人々を魅了するものだった。
人は〈人類崩壊〉以前の世界に関心が高い。
〈NYS〉になり、転府で暮らす人々には
潜在的に、望郷の念があるのではなかろうか。
ただそれはあくまで私の想像に過ぎない。
過去に恐竜を復元したこともあったが、
男性以外からの評判はすこぶる悪かった。
曰く幻想の度が過ぎるのだと。
生身の映像が保管されているわけでもない。
湖に浮かぶ首長竜など冗談染みた映像の典型だ。
卵生で哺乳類のカモノハシに比べれば、
私にはまだ理解可能な範疇であるとも思う。
恐竜は商品サイズに比例して
施設も大きくなりがちなので、
結局短期間で閉園した。
水族館では恐竜時代よりも、
遥か昔に繁栄した巨大エビなども
復元を試して併設展示したが、案の定
誰からも見向きもされない代物になった。
それでも大勢の人が私の前に列をなし、
貴重な機械動物を自分のものにしたいと考えた。
並ぶ人の数が多ければ多いほど、
購入価格で競い、商品の値段は釣り上がっていく。
生命に対する支配欲、希少性に対する独占欲が、
人を動かす原動力になるのだと理解した。
とても不思議な光景だった。
鏡の前の醜い動物の輪郭を思い出し、
笑いがこみ上げた。
同時に私の中に強烈な退屈を生み出した。
人生道半ばで満足することに
強い不快感を覚える。
群れの中の動物を見て、
満足する私もまた
〈NYS〉でできた動物だ。
不快感の正体は同族嫌悪。
人という動物の集団が文化を生み、
社会を作り、文明を築いた。
他の生物と共に滅びゆく運命の中で、
どういうわけか環境耐性となる
〈NYS〉を編み出した。
新青年構想。
〈NYS〉は生命の自然な変化ではない。
もちろん、趣味や偶然の産物でもない。
全て〈ALM〉が作り出したものだ。
趣味に生きるいまの人には
到底編み出すことはできない。
その原動力はなにか。
檻の中の、ライオンを眺めて考えていた。
オスとメスの性差か。
生存率を高める為に野生では群れをなす。
異性に対する魅力、
たくさんの子を生み育てる肉体。
ライオンは狩猟を行う。
かつては人も同じであったという。
肉体、能力の差…。
餌を獲得しやすければ、
雌雄に関係なく魅力はある。
資産による格差…は動物にはない。
クマやリスのような冬ごもりであっても、
食料の貯蔵には限度がある。
土地・家屋・金銭は人が持つものだ。
人が持つもの…。
暴力と支配…。
絶滅に対する恐怖か…。
叔父との記憶が蘇り、深くため息をつく。
50歳を過ぎて独身の私に相利共生や愛など、
綺麗な言葉が思い浮かぶはずもなかった。
群れを成すライオン。百獣の王。
その群れを破壊するのもまた同族のライオンだ。
メスを守るべきオスが
他所からきたオスに負けてしまうと、
育てていた子供は噛み殺されてしまう。
これはメスの発情を促すための行為とされる。
他所からきたオスが群れの頂点に立ち、
自分の遺伝子を残す。
人が他人の家族の子供を殺めれば、
ただちに〈更生局〉に連行される。
当然の帰結だ。
詐欺・窃盗・殺人などが起きれば
〈更生局〉が対象の人を隔離する。
他者を欺き、陥れてはいけない。
落とし穴を作ってはいけない。
破ったものは〈更生局〉によって
社会から隔離されるのが世の理。
それが社会のルールだ。
同じ動物であっても、人とライオン。
自然との違いはここにある。
文化、社会、文明には必ずルールが存在する。
それは人が生み出した知恵であり法だ。
しかし法にも限度がある。
環境耐性だ。
自然が生命に死を与える。
自然の変化で生物が死に至る状況であれば、
〈更生局〉の出番はない。
過去の人類は〈NYS〉を編み出す
必然に迫られた。
だが〈NYS〉を編み出したのは自然ではない。
同じく人が編み出したものだ。
群れの古きオスが死に、新たなオスが
自らの遺伝子を残す為に生み出した
新たな法だ。
〈NYS〉、〈更生局〉、〈キュベレー〉…。
転府に生きる全ての人の法が、
なにによって築かれてきたか。
想像するだけで笑いがこみ上げてくる。
その想像が私の退屈を埋めてくれる。
さぁ、〈ALM〉でできた『檻』を抜け出そう。
〈人類崩壊〉以前に百獣の王とも
呼ばれた動物がライオンだという。
食肉目の大型野生動物であり、
日がな一日ごろごろと寝ているので
動物園ではとても観察しやすい。
オスとメスではタテガミの有無が
判別の材料になり、老若男女誰にでも
わかりやすい優秀な商品だった。
本来ライオンという動物は乾いた草原に棲む。
十数頭のメスが集団で狩りをして
ときに子育てをし、数頭のオスは
メスを他所のオスから守る。
厳しい野生環境では、
自らの遺伝子を残すために群れを形成する。
いまでは雌雄2頭が
コンクリートで作られた土地と、
水堀と鉄柵で囲んだ檻に展示してある。
私はこの転府、聖礼市に
広大な『檻』を創生して財を成した。
檻の中にいる復元した機械動物を見ようと、
毎年何千万の人が訪れた。
映像でしか見られなかった動物が、
機械動物として復元されて喜んだ。
海洋生物を復元し、水族館も建てた。
娯楽に飽くなき人は、こぞって群れをなした。
音楽や演芸など個人や集団で
生み出せるこれらの娯楽に比べ、
檻の世界は人々を魅了するものだった。
人は〈人類崩壊〉以前の世界に関心が高い。
〈NYS〉になり、転府で暮らす人々には
潜在的に、望郷の念があるのではなかろうか。
ただそれはあくまで私の想像に過ぎない。
過去に恐竜を復元したこともあったが、
男性以外からの評判はすこぶる悪かった。
曰く幻想の度が過ぎるのだと。
生身の映像が保管されているわけでもない。
湖に浮かぶ首長竜など冗談染みた映像の典型だ。
卵生で哺乳類のカモノハシに比べれば、
私にはまだ理解可能な範疇であるとも思う。
恐竜は商品サイズに比例して
施設も大きくなりがちなので、
結局短期間で閉園した。
水族館では恐竜時代よりも、
遥か昔に繁栄した巨大エビなども
復元を試して併設展示したが、案の定
誰からも見向きもされない代物になった。
それでも大勢の人が私の前に列をなし、
貴重な機械動物を自分のものにしたいと考えた。
並ぶ人の数が多ければ多いほど、
購入価格で競い、商品の値段は釣り上がっていく。
生命に対する支配欲、希少性に対する独占欲が、
人を動かす原動力になるのだと理解した。
とても不思議な光景だった。
鏡の前の醜い動物の輪郭を思い出し、
笑いがこみ上げた。
同時に私の中に強烈な退屈を生み出した。
人生道半ばで満足することに
強い不快感を覚える。
群れの中の動物を見て、
満足する私もまた
〈NYS〉でできた動物だ。
不快感の正体は同族嫌悪。
人という動物の集団が文化を生み、
社会を作り、文明を築いた。
他の生物と共に滅びゆく運命の中で、
どういうわけか環境耐性となる
〈NYS〉を編み出した。
新青年構想。
〈NYS〉は生命の自然な変化ではない。
もちろん、趣味や偶然の産物でもない。
全て〈ALM〉が作り出したものだ。
趣味に生きるいまの人には
到底編み出すことはできない。
その原動力はなにか。
檻の中の、ライオンを眺めて考えていた。
オスとメスの性差か。
生存率を高める為に野生では群れをなす。
異性に対する魅力、
たくさんの子を生み育てる肉体。
ライオンは狩猟を行う。
かつては人も同じであったという。
肉体、能力の差…。
餌を獲得しやすければ、
雌雄に関係なく魅力はある。
資産による格差…は動物にはない。
クマやリスのような冬ごもりであっても、
食料の貯蔵には限度がある。
土地・家屋・金銭は人が持つものだ。
人が持つもの…。
暴力と支配…。
絶滅に対する恐怖か…。
叔父との記憶が蘇り、深くため息をつく。
50歳を過ぎて独身の私に相利共生や愛など、
綺麗な言葉が思い浮かぶはずもなかった。
群れを成すライオン。百獣の王。
その群れを破壊するのもまた同族のライオンだ。
メスを守るべきオスが
他所からきたオスに負けてしまうと、
育てていた子供は噛み殺されてしまう。
これはメスの発情を促すための行為とされる。
他所からきたオスが群れの頂点に立ち、
自分の遺伝子を残す。
人が他人の家族の子供を殺めれば、
ただちに〈更生局〉に連行される。
当然の帰結だ。
詐欺・窃盗・殺人などが起きれば
〈更生局〉が対象の人を隔離する。
他者を欺き、陥れてはいけない。
落とし穴を作ってはいけない。
破ったものは〈更生局〉によって
社会から隔離されるのが世の理。
それが社会のルールだ。
同じ動物であっても、人とライオン。
自然との違いはここにある。
文化、社会、文明には必ずルールが存在する。
それは人が生み出した知恵であり法だ。
しかし法にも限度がある。
環境耐性だ。
自然が生命に死を与える。
自然の変化で生物が死に至る状況であれば、
〈更生局〉の出番はない。
過去の人類は〈NYS〉を編み出す
必然に迫られた。
だが〈NYS〉を編み出したのは自然ではない。
同じく人が編み出したものだ。
群れの古きオスが死に、新たなオスが
自らの遺伝子を残す為に生み出した
新たな法だ。
〈NYS〉、〈更生局〉、〈キュベレー〉…。
転府に生きる全ての人の法が、
なにによって築かれてきたか。
想像するだけで笑いがこみ上げてくる。
その想像が私の退屈を埋めてくれる。
さぁ、〈ALM〉でできた『檻』を抜け出そう。