ブルーヘヴンの彼方に

「さくらがおか、りほ。よん、さい……」
「りほ、どうしてないてるの?」
「りほも、おともだちと……おそとであそびたいの」

(そうだ、あたし――)

 寂しかったんだ。ずっと……。

「でも、りほは、びょうきだから、だめなんだって……。おそとであそんだら、しんじゃうかもしれないから。でも、おともだちとおはなし、しなきゃ……おともだちとも、なかよくなれない。りほには、おはなしするおともだちにも、あえないの。いやだ、そんなの。いやだよう……」
 エディ。あたし、覚えてる。
 あなたが、あたしに言ってくれたこと。

「――じんるい、みな、きょうだい」

 小さなエディが、呪文を唱えるように言った。
「なあに? それ」
 小さなあたしが彼に訊く。

「とうさんがいってた。ひとは、みんなきょうだいみたいに、なかよくなれるいきものなんだって。だから、ぼくたちもきっと、なかよくなれるよ」
「ほんと?」
「りほ。きょうからぼくたちは、ともだちだ。だから、もうなかないで」
 エディ、あたしね。
 あなたがくれた言葉を支えに、これまで生きてこられたのよ。

 その言葉を必要とする人にも、あたしの口から伝えることができて。
 あたしは、その魔法の言葉で。
ずっと欲しかった、大切な友達ができたの。

 言葉って、不思議。
 目には見えなくても、聞こえなくても。
 触れられなくても。
 消えないんだね。
 信じれば信じるほど、その言葉の意味も、威力も強くなる。

 だから、あたし。まだ死ねない。
 あたし、たった今、夢ができたの。
 ううん、正確にいうと、“思い出した”の。
 今度、あなたに出会ったら。

「ありがとう」を一番先に伝えたい。
   *
「梨歩!」

 若葉? そこに、いるの?

「梨歩ッ! 起きて! 起きてよ!」



「梨歩……」
 
 ――誰? 
 
 知らない声が、若葉の近くから聞こえる。
 
 でも、この声。どこかで聞いたことがあるような、懐かしい響きだ。


 ああ、眩しい。
 
 徐々に視界が鮮明になっていく。


「梨歩!」



「わ、か……ば……?」


 若葉。
 やっぱり若葉だ。あたし、戻ってこられたんだね。
 よかった。

「梨歩……?」


 あ、この声。さっきの。
 知らないけど、懐かしい声の人。


「え……」

 嘘でしょ?
 まさか、まさか?
「エ……ディ?」



 どうして、エディが?

「エディさん、どういうこと?」
「……」
 エディ、どうして若葉と……一緒にいるの?
 何で? 何がどうなってるの?

「……ごめん、若葉ちゃん。実は――」

 エディが何か呟いて、若葉が驚いている。


 嫌だ、すごく気まずい。
 何で、よりによってこのタイミングでエディが現れるの……?

「……と、とにかく。梨歩、無事でよかった。私、おばさんから(しら)せを受けて本当にびっくりして……そう、彼に。エディさんに――」
「やめて」
「え……」
「やめて。聞きたくない……」
「り、梨歩?」
「……お願い、帰って」
「ちょっと、梨歩。若葉ちゃんたち、遠出先からわざわざ引き返して駆けつけてくれたのよ」
「お母さんは黙ってて!」
「梨歩!」
「いいから! 二人とも帰ってよ!」
 嫌だ。もう嫌だ。
 何で、こうなっちゃうの?

「……会いたくない」

 こんな形で彼に会いたくなかった。
 こんな惨めな姿、彼にだけは見せたくなかったのに。

 さっきの夢の続きをどこか期待していて。
 もし、またエディに会えたなら。
 笑って、「あの時友達になってくれてありがとう」って伝えるつもりだったのに……。

「ごめんなさいね、二人とも。せっかく来てくれたのに……梨歩、ちょっと疲れてるみたい。また今度来てもらってもいいかしら?」
 お母さん、やめてよ。
「もう来なくっていいってばッ!!」
 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 あたし、今ものすごく惨めじゃん。
 あたしの知らない間に、どういうわけか二人の時間が進んでいて。
 ずるい。
 どうして、あたしばっかりこんな思いしなくちゃいけないの。
「梨歩、一度落ち着きなさい」
「出てって! 出てってよ!」
 嫌い、嫌い、嫌い。
 誰も、あたしの気も知らないで。
 何なのよ。

「わかったわ。今日は帰るね、梨歩……」
「驚かせて悪かった。それじゃ、僕も今日はこれで失礼するね。お大事に――」
「病人扱いしないでよ! 好きでこんな躰になったわけじゃないのに……」
 ああ、最低だ。
 あたし、今……若葉にもエディにも八つ当たりして。
 
 でも、抑えられない。こんなの、いつものあたしじゃ、ない。
「……ごめん。無神経だったね」
 違う。エディは悪くない。
 
「――もういい。早く……行って」
 こんな言い方しかできない自分が、嫌い。
 あたしは二人に背を向ける。
 布団越しに、ドアの閉まる音がした。

「う……ぅっ」
 
 あたし、なんてひどい奴なんだろう。

 今、ものすごく……若葉が妬ましいって思ってる。
 今までにない、真っ黒なドロドロしたヘドロみたいな感情が渦を巻いていて。
 気持ち悪い。
 吐き出せば楽になると思ったのに、残ったのは罪悪感と虚無感だけ。
 どこにぶつけたらいい?
 誰に言えば、わかってくれる?
 そんな人、きっといない。
 だって、たった今。
 唯一無二の親友を、あたしが傷つけてしまったのだから。