「お待たせいたしました。ケーキセットでございます」
「あれ、私チーズケーキ頼んだんだけど」
やられた。ジェームズめ。
「も、申し訳ございませんッ。すぐにお持ちします」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる不気味なオカマがカウンター越しに「可愛いわねェ~」「恋っていいわねェ~」「青春よねェ~」等と連呼している。
「オーダーミスです。タルトじゃなくてチーズケーキ」
「あ~らぁ、ごめんねぇ。ついでにお詫びのクッキーそこにあるから一緒に持って行っといて~」
「まったく……」
だいたい日頃、人の話を聞かないからこうなるんだ。しかも、その尻拭いを僕にさせるとは。図々しいにもほどがある。とはいってもお察しの通り全く聞いちゃいなかったんだが。
「お客様、大変失礼いたしました。チーズケーキと、こちらお詫びに当店おすすめのローズクッキーも一緒にご賞味ください」
「あら、そんなに気遣っていただかなくてもよかったのに。でも、ありがとう。せっかくだからいただくわ」
8番テーブルのミッションをクリアすると、ちょうど彼女が会計をするところだった。
「あ、ごちそうさまでした」
「ありがとう。また来てね」
「はい」
「じゃあねぇ、若葉ちゃん」
ロゼさんが彼女に手を振る。
「え?」
「あら、彼女の名前よ。知らないの?」
くっ、先を越された……。
「あ、あの」
僕は悔しくてつい、彼女を呼び止めてしまった。
「はい?」
「僕、まだちゃんと名前言ってなかったなと思って」
「……あ、そういえば。そうでしたね」
「僕は、神城エディ」
「私は、山口若葉です。よろしく、お願いします」
よろしく、なんて言われたら。
君との未来に期待してしまうじゃないか。
ああ。心臓がうるさいくらいに鳴っているのがわかる。
ため息が出るほどの素敵な時間。
これが、君と僕の時間の始まりならば、どんなに幸せだろう。
例の彼女――若葉ちゃんと奇跡的な再会をして一週間が過ぎた。
未だに信じられない。あれから僕は、毎日若葉ちゃんと連絡を取り合っている。
実はあれからプライベートで一度、彼女とディナーデートをした。ロゼさんにはもちろん、このことは誰にも秘密だ。
それはそれは、夢のような時間だった。
誰にも邪魔されたくなくて、わざと遠い街外れの店まで彼女を連れ出すのには勇気がいったが。何とか家の車も確保し、遠出には十分な材料は揃った。そして今日は二度目のデート。僕は急いで帰宅し、着替えて車で彼女の講義が終わる時間に大学構内の駐車場で待ち合わせ、今は郊外の港町まで来ている。
海がよく見える展望カフェでティータイム。テラス席から水平線に夕陽が沈む瞬間がロマンチックだと有名な絶景スポットのはずだったのだが。
まさかの補強工事で仮囲いの足場が重なって、夕陽が見えない。こんなことってあるか。しかもよりによって今日はかなり期待値の高いデートにしたかったのに。
こうなったら……
「外、散歩しない?」
僕は彼女を外に連れ出すことにした。日没までの時間は限られている。
最高のシチュエーションを想定してここまで来たからには、今日こそは何としてもばっちり決めたい。
「はい」
会計を済ませ、エレベーターで降りていく。ガラス張りの室内から見えるのは、丘のように隆起した芝生の一角。転落防止用のフェンスの手前に、恋愛成就の鐘。鐘が風に揺られた時にその音を聞くことができたら、その恋は成就するとかしないとか。今は誰もいない。チャンスだ。
僕は足早にその地を目指して行きたい気持ちを抑えつつ、彼女の歩幅に合わせて歩く。これはとある雑誌の情報だ。読んでおいてよかった。
遠くに映ったオレンジの陽光。時折白く、赤く、雲間から覗いては、徐々に凪いだ水平線に近づくようにゆっくりと落ちていく。
最初に口を開いたのは、彼女だ。
「あの……、私、未だに信じられなくて」
「え、何が?」
「エディさんと、ここにいること」
「ああ、それは僕も思ってたよ」
「ですね。不思議な感じ」
潮風が彼女の長い髪を揺らす。
それは夕焼けの光を纏ったビロードのように靡いている。
「髪、すごくきれいだね」
あまりの美しさに、思わず触れてしまった。
「え、ああ。えっと、その……ありがとう、ございます……」
そこではにかむように笑う彼女もまた可愛くて。
「ごめん、勝手に触っちゃって」
「い、いいえ」
「ところでさ、僕と初めて会った日なんだけど」
「はい」
「すごく嬉しそうな顔していたよね。何かいいことでもあったの?」
彼女はさっと僕から視線を逸らす。
何か、まずいことでも言ってしまったか。
「ああ、あれは……その。あの時、卒業制作のウェディングブーケを作る花材をバイト先まで買いに行ってて」
「ん? ああ、それで花をいっぱい持ってたんだ」
「はい。ちょっと失敗してしまって……、学校でもらった花だけだと足りなくなっちゃって。そしたら、思いの外安く売ってもらえて嬉しくなっちゃって」
「前方も見えなくなっちゃうくらい、浮かれちゃった?」
「……はい」
俯く彼女。仕草一つ一つが可愛らしい。
「でも、そのおかげで君と出会えた」
「……!」
ああ。
嬉しすぎて、僕の中から溢れ出す言葉が止まらない。
「何気ないことだとは思うけど。少なくとも僕はあの瞬間から、君のことが忘れられずにいたんだよ」
「え?」
我ながらこっ恥ずかしいことを言っていると思う。でも、今更言葉を選んでいる余裕もない。寧ろ、一分でも一秒でも、とにかく彼女との会話が途切れないように、多少一方的にでも思いのままに話していたい。
こういうところは、父さんに似たのかもしれない。好きになったら一直線というか、狙った獲物は必ずものにするハンター精神っぽいところは。
「実は一度、無性に君に会いたくなって、あの時の青い薔薇の花だけを手掛かりにあの花屋の前まで行ったことがあるんだ。結局、怖気づいて引き返しちゃったんだけどね」
「え!?」
ほら、絶対に引いている……。
でも、話さずにはいられなかった。彼女の前で格好つけることよりも、誠実でいたい。その思いの方がうんと強かったから。
格好をつけたところで、すぐにボロが出るだろう。
それよりも、今この時間を大切にしたい。
これが最後になるなら、いっそのこと、もっと知ってほしい。格好悪い僕のことを知ってから、「ごめんなさい」と言って盛大に振ってほしい。
それでも僕は。