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──バンッ
今日の朝も、理不尽に突っかかってくるやつが現れた。
藍原、だ。
「おいっ、昨日のあれは何だよ!」
つい最近、こんなやりとりをしたことを思い出す。
あれは確か、三日月さんが僕に用がある、と言って教室までやって来たんだっけ。
「……あれって?」
僕に尋ね返されたことにムッとしたのか、だからぁ、と声を荒げたあと、
「昨日、三日月さんと一緒に河川敷にいたらしいじゃないか!」
うわ、最悪だ。よりによって、あの場面を見ていたやつがいるなんて。
でも、そんなことに頷いてしまえば、藍原の逆鱗に触れかねないので、
「……なんのこと」
とぼけてみることにした。
けれど、それで納得するわけもなく、
「俺の同中のやつがお前と三日月さんを河川敷で見たってやつがいるんだよ!」
と、言葉をまくし立ててくる。
確かに、一緒にいた、のは事実で。
三日月さんが、四つ葉のクローバーを探してみたい、なんて言うからだ。
「で、どーなんだよ!」
少しイラついたように僕を急かす。
「…ああ、そういえば、僕が家に帰るとき後ろにいたかも。なんでも帰り道が同じだったらしいから一緒にいた、って勘違いされたのかな」
だから僕は、咄嗟に嘘をついた。
藍原の同中のやつが僕と三日月さんを河川敷で見かけた、と言っていたけれど、それはあくまで見かけただけであって、一緒に四つ葉のクローバーを探していたことまでは気づかれていないらしい。
「ほんとかよ」
「嘘だと思うなら本人に聞いてみたら」
いや、実際に聞かれて困るのは、もちろん僕だけれど。
そんな強気な発言してるけど、実際は手に汗握っていた。
でも、ここまで言わなきゃ真実味がないから。
「そっ、そんなことできないからお前に聞いてるんだろーがっ!」
顔を真っ赤に染めて、僕に突っかかる。
まるで僕は、責められている気分だ。
ほんっと、八つ当たりにも程がある。
「今答えたじゃん。それとも僕の言ったことが信じられない?」
全部、僕が何でも言うことを聞くとでも思っているのか。
そんなの、大間違いだ。
僕は、黙って言うことを聞くロボットなんかじゃない。
「茅影、お前…」
「なに?」
僕が言い返したことがそんなに驚くのか。
僕が言い返さないとでも思っていたのか。
藍原の今の表情は、まるで鳩に豆鉄砲を食らったかのようだった。
しばらく固まっていたあと、べつに、と視線を逸らしたのは藍原の方で、
「じゃあ最後に聞くけどさ、お前、三日月さんのこと好きなのかよ」
「……は? え?」
「どーなんだよっ」
全く状況について行けない。
どうしたらそんな話に逸れるんだよ。ていうか、一緒にいただけで好きって聞かれるとか、どういうことだよ。
みんな頭の中、色恋的な感情ばっかだな。
僕が、三日月さんを好き?
……笑わせてくれるな。
だって僕は、
「……全然、好きじゃない」
あんな自己中っぽいタイプの人は特に苦手だ。
勝手にテリトリーを乱されるみたいで、できることなら関わりたくなかったのに。
「ほんとに好きじゃないんだな?」
「…そう、言ってんじゃん」
誰かを好きとか、僕にはない感情だ。
今までも、そしてこれからも。
「…分かった」そう告げると、机から手を離して、
「ムキになって悪かったな」
「え?」
「…なんだよ」
藍原がいきなり謝るから、僕も、鳩に豆鉄砲食らった気分になった。
「あ、いや、なんでもない」
そう答えると、困惑したような気まずそうな表情を浮かべたまま髪をわしゃわしゃをかいたあと、じゃあな、と言って去って行った。
藍原が、謝った……。
その事実がいまだ信じられなくて、藍原の背中を目で追ってしまう。
──ピコンッ
直後、スマホが鳴ってハッとする。
こんな時間に誰だよ……。
僕にメッセージを送る相手なんてほとんどいないから、母さんから買い物頼まれるとかか?
机の中からスマホを取り出して、画面を開く。
【今日の二限目あとの休み時間、屋上階段に来てね! 絶対だよ!
追伸、来なかったら教室まで迎えに行くから】
メッセージの送り人は、母さんなんかではなく、三日月さんだった。
今までは、放課後に呼び出されることが多かったのに、今日は午前中?
しかも学校の中で?
学校で会うとなると誰に見られるか分からないから、できることならこのまま無視をしたいし気づかなかったフリをしたい。
でも、最後の文を見て僕には拒否権などないと思った。
だってそれは、まるで脅迫めいていたのだから。
だから僕は、
【分かった】
それだけ打ち込むと、スマホをしまった。
二限目あとの休み時間になって、僕は、誰にも気づかれないように屋上の階段へと向かった。
すると、すでに三日月さんは階段に座って待っていた。
僕に気づくと、スマホに落としていた視線を向けて、
「ちゃんと来てくれてありがとう!」
まるで、こうなることを予測していたかのように笑った。
けれど、僕からすれば、
「……そりゃあ、あれだけ脅迫されたら誰だって来るでしょ」
「脅迫? なんとことー」
髪の毛を指に絡めてクルクルと遊びながら、それより、と言って立ち上がった。
「見つからないうちに早く行こう!」
こんな場所に呼び出されて行く場所なんて、一つしか検討がつかないけれど、
「……どこに?」
「屋上!」
案の定、分厚い扉を指さした。
「いや、なに言って…」
「なにって屋上に行くんだよ?」
まるで、僕がおかしいのかと言いたげな表情で、キョトンとしたから、
「じゃなくて、もうすぐ授業始まるじゃん! なのに、なんで…」
「だから」僕の言葉に被せたあと、分厚い扉のドアノブへと手をかけて、
「授業サボって、屋上で青春してみたいから」
そう言って、ニコリと笑うと、ドアノブをひねる。
ガチャっと音を立てて開いた扉の向こうから、まばゆい光が差し込んで、僕は思わず、目を細めた。
三日月さんは、扉を跨いで屋上へと踏み込んだ。
「ちょ、…本気なの?」
けれど、僕は、まだそこを跨ぐことができなくて、僕と三日月さんの間にある扉が大きな境界線に見える。
そんな僕を見つめて、本気だよ、と声を落としたあと、
「向葵くんもそんなところに立ち止まってないで早く来たら?」
「だ、だけど…」
「それに扉開いたままだと、ここに誰かがいるってすぐに気づかれちゃうよ」
判断できない僕に追い討ちをかけるように告げられた言葉に怖気付いて、致し方なく僕も足を踏み入れた。
瞬間、チャイムが鳴って、
「これで授業サボった共犯だね!」
なんて言ってクスッと笑ったあと、
「もし見つかったとしたら一緒に怒られようね」
「……やだよ」
一も二も切り捨てて、突き放す。
授業サボった共犯になんて、されたくない。
第一僕はここに呼び出されただけだ。自分の意思で授業をサボろうと思ったわけじゃない。
それに、三日月さんと僕は違う。
三日月さんは、授業をサボったり屋上に行ったり、そんなの当たり前かもしれないけど、僕は違う。
授業なんて一度もサボったことなければ、学校だって休んだことがない。
だから当然、僕がいなければ先生たちだって怪しむだろう。
「んー、風が気持ちいいねぇ」
そんな僕の心なんて知らずに、大きく両手を広げて、空を見上げる彼女。
「なんか不思議だよね」
「……なにが?」
「授業中なのに向葵くんと一緒にいるって。だってさ、体育以外ではほとんどないでしょ?」
そんな一緒にいてたまるかっ。
それに僕は、今でも先生に見つかるんじゃないかと不安しかない。
最悪、藍原に見つかりでもすれば、僕が文句言われるんだからな。
「……不思議って、自分で呼んでおいてよく言うよ」
ボソッと呟いた小さな声は、彼女には届いていなくて、
「でもさぁ、こういうのなんかいいよね。同じ時間を共有してるっていうのかな。向葵くんもそう思わない?」
「僕はべつに…」
全然、思わない。
むしろ、一方的に連れて来られたというか、脅迫まがいなメッセージもらったら誰だって嫌でも来るだろ。
「なんだ。てっきり同じ気持ちでいてもらえてると思ったのにー」
唇を尖らせて拗ねる彼女は、世界は自分中心に回っているのかとさえ思ってしまう。
閉めた扉の前に背を預けた僕は、
「…それで、授業中にここに呼んだのって何か理由があるんでしょ」
尋ねると、ああうん、と頷いて、くるりと僕の方へ振り向いた。
「私ね、一度屋上で大の字で寝転がってみたいと思ってたの。何も考えずに、ぼーっと空を見上げて過ごしてみたいんだ」
屋上は風が強くて、彼女の髪の毛を攫う。心地良さそうにユラユラと揺れる。
「一度くらいしたことあるんじゃないの?」
だって、彼女は目立つグループに所属しているはずで。
だったら、そんなの当たり前に経験しているはずなのに。
「ないよ、一度も」
と、わずかに声色が落ちた、気がした。
「だから、屋上が開いてるの知って、どうしてもしてみたくなったの!」
けれど、すぐに明るくなった彼女の顔を見て、今のは気のせいだったのかもと思った。
「開いてるって確認しに来たわけ?」
「え? うん、この前一度ね」
確認までしてるってもはや確信犯だな。
ていうか、べつに、
「授業中じゃなくてもよかったんじゃないの。休み時間とか昼休みとかさ」
「それじゃあ意味ないの!」
矢継ぎ早に言い返したあと、
「授業中に屋上で大の字で寝転ぶことに意味があるんだからね!」
「……サボって何の意味があるんだよ」
思わず呟くと、
「なんか青春って感じするでしょ!」
そう告げたあと、うーん、と背伸びをして気持ちよさそうに顔を緩ませる。
何が青春だよ。何が意味があるだよ。
どうせ、見つかったら怒られるのに。
僕には三日月さんの気持ちが全然理解できそうにない。
「それより向葵くんも寝転んでみたら?」
告げられて、視線を向ければ屋上の真ん中でほんとに大の字になって寝転んでる三日月さんが視界に入る。
その姿を見て、ドアに背もたれたまま立ち尽くす自分がバカらしく思えて、彼女のそばへと近づいた。
少し距離を空けてそこに寝転ぶと、視界いっぱいに広がる淡いスカイブルー。
柔らかそうな白い雲が、ゆっくりとゆっくりと動いているように見える。
僕は、こんなふうに空を見上げることがなかった。
「なんか、不思議な気分」
思わず口からもれた声に、え、と困惑した声をもらしながら顔だけを僕の方へ向けた彼女。
「授業中なのに僕たちだけがこんなことしてるじゃん。本来ならいけないことなのに……」
その先の言葉を言ってしまうと、今までの真面目な僕じゃなくなってしまうんじゃないかと口ごもっていると、
「すごく気持ちが清々しい?」
僕の心を一発で当てた彼女の声に、どきっとしながらも、「…うん」と頷いた僕。
さっきまであまり乗り気ではなかったし、授業をサボることが僕の中では許されるべきじゃないものだと思っていたから。
それなのに、
「こうやって空を見上げてるからじゃない?」
僕の顔を見てクスッと笑ったあと、だってさ、と続けると、
「人ってどこかに寝転んで空を見上げることなんか普段は滅多にないでしょ。いつも何かと向き合って、それが自分のストレスにもなってるわけだし」
確かに普段の生活でストレスを感じることばかりな気がして、あー、と納得していると。