僕たちは「青春」を追いかける。



──ピコンッ

放課後、帰り支度を済ましたあと、まだ文庫本の上に置きっぱなしで机の中に入っていたスマホが鳴った。


『裏門に来てね!』


相手は、連絡先を交換した三日月さんだった。


できることならこのまま無視して帰路につきたい。
だって、三日月さんに関わるとロクなことがない気がするから。


けれど、“一緒に青春しよう”という言葉を承諾してしまった以上、三日月さんと関わらないというのは無理な気がする。

連絡先を交換した上に、このまま僕が裏門に行かなければ明日の朝一で教室に来かねない。


「あー……選択ミスったかな…」


思わず、ポツリと呟いた。

スマホ画面を開いて三〇秒。


できることなら、昨日に戻りたい。

そうすれば、三日月さんと関わらずに済む選択をできるかもしれない。


──僕は、盛大に後悔をした。

重たい足取りで向かった裏門には、壁に背を預けてスマホ画面を凝視していた。

まだ、僕には気づいていないらしい。


「おーい」


声をかけるけれど、無反応で。

かといって、肩を叩いて、待った?なんて言えるような間柄ではない。

むしろまだ、三日月さんを警戒している。

……いや、三日月さんの周りを、だ。


可愛い転校生として知られている彼女のことを、どこで誰が見ているか分からないからだ。

藍原のように本気で好きなやつがまだ他にもいるかもしれない。

そいつがここを見張っていたら、僕はまた窮地に立たされるはめになる。


……て、やめやめ。どんどん考えが卑屈になってんじゃん。こんなんだから僕は、影が薄いとか暗いとか言われるんだろ。

と、頭を振ってかき消した。


すると、おもむろに顔を上げた彼女が、あ、と僕を見て声をもらす。


「いつ、来たの?」


なんて、ひどい質問だと思った。

まるで僕の存在に気づかなかった、とでも言いたげな言葉で。


「……今だけど」


不満に思いながら声を落とすと、そっか、と笑ってスマホをかばんの中にしまった。

“ごめん、気づかなかった”

なんて言われなかっただけマシだけど。

「それよりなんでこんなとこで待ってんの」


彼女を待たずに歩き出すと、それは、と言いながら僕の隣へと並んで、


「向葵くんに用があったからに決まってるじゃん。さっき連絡したでしょ?」


確かに連絡は来た。けれど、裏門に来てね、としか書かれていなくて。

僕が今聞いたことは、


「なんの用?」

「なにって約束したでしょ? 一緒に青春しようって。そのために話し合おうと思ってさ!」


僕なんかよりもテンションの高い彼女とは、波長も何もかも違うのに、どうして僕はここにいるんだろう、そんな疑問が湧いてならない。


「話し合うほど大ごとなわけ」

「え? だって話さないとちゃんと向葵くん協力してくれないでしょ。意味もなく他人のことに首突っ込むタイプじゃなさそうだし」


そう告げられて、まあ確かにそうだけど、と心の中で返事をする。

でも、意味もなく──、のところからは一言余計だった気もするけど。


「だからまずは、向葵くんに説明しようと思って!」


もう名前で呼ばれることに違和感がなくなってきた僕。というよりは、彼女に何を言っても聞かないからと諦めてきた方が正しいかもしれない。


そもそも彼女の言う青春って、


「……どんなことすんの?」

長年一人で過ごしてきた僕に、“青春”がどんなものなのか検討もつかない。


「ふつうの青春なら、人を好きになったり、恋したり、好きな人と一緒に帰ったり、大人数でフードコートに行って話したりゲーセン行ってプリクラ撮ったり」


どうやら僕は、その“ふつうの青春”さえできていないことを知り、

「……へぇ」

途端に虚しくなった。


そんな僕に、でもね、とズイッと顔を向けると、私がやりたい青春は違うの、と前置きをして、


「放課後帰り道にアイス半分こしたり、河川敷で四つ葉のクローバー探したり、屋上で大の字で寝転んだり、星を一緒に見たり、海ではしゃいだり、それから……」


指を一つずつ折りながら数えていき、次から次へと溢れてくる言葉に。


「──ストップ!」

「なに?」

「いや、なにって……やりたいことって、そんなにたくさんあるんだ……」


呆気にとられていると、ここからが肝心なところなんだけど、と前置きをすると、


「その青春を写真に撮ってSNSにアップしたいと思ってるの」


いつのまにか自分のスマホを、かばんの中から取り出して画面を僕に向けてくる。


「……は? SNS?」

「うん」


けれど、それを聞いた僕は、


「──いや、無理むり!」


思わず、彼女の方を向いたまま後ずさった。

そのせいで壁にドンッとぶつかって背中を打った。

いきなりすぎるだろ。ていうか、自分早まりすぎたのか……?


「写真で撮るのが無理なの? それともSNSにアップするのが?」

「……どっちもだよ」


SNSなんて今このご時世使って当たり前の時代で、高校生なんかほとんどの人が利用してる。

そんなものに写真をアップしてしまえば、五秒もあればあっという間に知れ渡る。

そんなの僕の生活を壊すのと同じだ。


「あ、でもね、写真撮るって言っても顔は載せないよ。背景をバックに撮ったり風景とか……あとは手足が多少映り込むくらい」

「……手足もアウトでしょ」


第一、制服が映ってしまえば、そこから学校名がバレてしまうかもしれないし。


「そこは向葵くんがセーフにしてよ」

「なんで、僕が…」

「そうしなきゃ写真撮れないんだもん!」


胸の前に、パチンッと両手を合わせると、


「一生のお願い!」


まるで、小学生が使う言い訳を口にした。


どうせ今までも“一生のお願い”なんて使ってきたんだろうな。


でも、みんなから騒がれている彼女なら、


「そういう青春するの僕とじゃなければできるんじゃない」


ほんとにそう思ったから言うと、え、と声をもらした彼女は、真っ直ぐ僕を見据えた。

初めからそうだったけれど、彼女は人の目を真っ直ぐ見て話す。

だから僕は、いつもその視線に負けて自分が先に逸らして、


「この前の櫛谷だっけ? …あと、藍原とかに言えば協力してくれるんじゃない」


可愛げのないことを言ってしまう。

だって、どう見ても彼女はそっち側の人間だ。


僕が望んでも手に入らなかったものを、彼女は最初から手に入れてる。
苦労せずに当然のように持っている。


だから少し、苛立った。

──これは、間違いなく嫉妬だ。


「どうして櫛谷くんたちの名前が出るの?」

「告白されてたじゃん」


なにも影の薄い目立たない僕を選ばなくても、


「あの二人なら喜んで協力してくれるんじゃないの」


それなのに、キラキラした人たちとは対照的な僕を、なぜ、選んだのか分からない。


「確かに櫛谷くんたちなら、一緒に楽しんでくれると思う」


ほら、自分でも分かってんじゃん。


「だったら」


「でも」僕の言葉に被せたあと、髪の毛を片方の耳にかけて、


「向葵くんと一緒に青春してみたいなって思ったの」

と、告げられた。


まるでそれは、僕を肯定しているような言葉で。

それが少しでも嬉しいと感じてしまった僕。


でも、そんなはずないと自分の心を否定するように、


「暗くて目立たないやつなのに?」

「自分のこと悪く言ったらダメだよ」

「だってほんとのことじゃん」


みんな言ってる。自分でも、そう思ってる。

だから、素直に自分で言った方が傷は浅いはずで。


「私、そんなこと思ってないよ」

「なんで」


被せ気味に尋ねると、「なんでって……」言葉に詰まったあと、ゆっくりと口を開いて、


「ほんとに向葵くんが暗いだなんて思ってないもん。それに存在だって薄くないし話せば明るいし存在もちゃんとあるし、おまけに口が悪いもん」


まくし立てられるように告げられた言葉のほとんどは頭に入っていない気がしたけれど、


「……僕、口悪くないから」


そこだけが妙に際立って言われたようで、咄嗟に言い返す。


そういえば昨日も同じこと言われた。

僕のどこが、口が悪いんだ。


「なんで。案外言い返すじゃん」

「……そんなことないし」

「え、だって私には、最初から敵意剥き出しだったよ? まるで猫が毛を逆立てて威嚇してるみたいに」


なんだよ、その例え。

そういうのがいちいち、


「余計だって言ってんだろ」


言葉に反応して言い返すと、ほら、と指をさされる。


「向葵くんのそういうところ」


まるで僕のことを理解されているようで、癪に触る。

けれど、最初のときより嫌だと思わないのは彼女の会話の距離に慣れてきたということなのだろうか。

……いや、全然慣れたくなんかないけど。


それに、と続けると、


「今までは言い返さずに黙ってたんでしょ?」

「……は?」


なんで僕の過去を知ってるんだ、そう思って見ていると、藍原くんたちから聞いたよ、と告げられて、ああなるほど、そう思った。


「それなのにどうして私には言い返すの?」

「べつにそんなつもりは…」


ない、のに、


「私、そんなに憎たらしい?」


なんの前触れもなく尋ねられて、「は?」と思わず声がもれる。


「だって私には結構言い返すじゃない? だから考えてみたんだけど、もうそれくらいしか思いつかないっていうか」


だからってなんで、憎たらしいって言葉が真っ先に出てくるんだよ。


今まで名字でからかってくるやつとか藍原みたいなタイプのやつらを無視し続けてきたのに、どうして彼女だけは無視できなかったんだ?

あいつらと彼女は何が違う?


……ああ、もしかして、


「しつこいから…じゃない」


彼女の顔を見て、ピンと来た。

間違いない。


彼女は、“憎たらしい”というよりは“しつこい”の方がしっくりくる。

何度拒んでも、ズケズケと他人の心に踏み込んでくるから。

「ひどい!」


すると、彼女はそう言いながらも表情は、まるで対照的な笑顔を浮かべていて、


「向葵くんのそういうところが口悪いって言ってるの!」


全然、傷ついてる素振りなんかない。


ていうか、


「……お互い様なんじゃない」

「なんで?」

「三日月さんも大概に口悪いじゃん」


最大限に文句をついてみると、ふはっ、と吹き出して笑った。


「……なに」


「いや、だって……」フククッと、笑いを堪えながら、


「やっぱり向葵くんも口悪いね」


でもさ、そう続けると、


「そっちの方が話しやすくていいと思う!」

「…は?」


僕が話しやすい? そんなこと言われたの初めてだ。


「うーん、なんていうか、壁がなくなった感じ? 素の向葵くんを見れてるっていうのかな。……あ、もちろんいい意味でね!」


“いい意味で”そう言われたことがなかった僕は、どう受け止めればいいのか分からなくて


「……あっそ」


素っ気ない態度をとってしまう。

まあ、いつものことだけれど。


「みんなの前でもそんなふうに話せばいいじゃん」


そんなふうにって、


「意識して話してないから分からないし」

「そうだとしても、絶対そっちの方がいい!」


なんて、全然説得力に欠ける。

こんな話し方で喋ったところで今さらって感じだし。


……ていうか、いつのまにか話が逸れてんじゃん。