僕たちは「青春」を追いかける。


「それ、僕に聞く?」

「だってこの街に詳しいでしょ」


僕が知ってて当たり前。僕が知ってて当然だ、とでも言いたげな表情で、僕を見る。

けれど、友達もいなければ、放課後誰かと遊びに行ったことのないこの僕が、


「そんなこと知ってると思う?」


僕は、知らない。

生まれてずっとこの街にいるのに、何も知らない。

僕が住んでる街のことなんて今まで知ろうとも思わなかったし。


「向葵くんなら知ってるかなって思ったんだけど」

「なんで?」

「だって向葵くん、あの文庫本好きでしょ?」


そう告げられた瞬間、藍原に貸した文庫本が頭に浮かぶ。

僕は「あ」と声をもらす。

なぜならば、あの中に登場する展望台はこの街が題材となっているからだ。


「だから、あの展望台がどこにあるかも知ってるのかなって思ったんだけど…」


違ったらごめん、と声色を落とした三日月さん。


……ほんとだ。三日月さんに言われて思い出した。

僕は、あの展望台に幼稚園児のときも小学生のときも家族と一緒にいったことがある。

あの場所から見える景色が僕は好きで、何度も親にせがんだ。

たくさんの建物と、たくさんの自然と、遠い遠い向こうの彼方に広い海が広がって見える。
夜になると、ネオンの光がキラキラと輝いて、花火大会になると絶景ポイントだとこぞって人が集まった。

そんな思い出の場所を僕は、いつから忘れてしまっていたんだろう。


「……知ってる」

「え」

「今、思い出した。三日月さんが文庫本のこと言ってくれたから」


ついでに昔の記憶も。

懐かしくて、楽しくて、家族で行くあの雰囲気が僕は好きだった。

だから、


「……今から行ってみる?」


立ち止まって僕は、三日月さんを見つめた。

そしたら三日月さんも僕を真っ直ぐ見つめた。


そして、


「行ってみたい」


告げたあと、唇が弧を描いた。


つられて僕も、笑った。

* * *

「うわー、きれー」


展望台につくと、三日月さんは声を張り上げた。

その姿を僕は後ろから見つめた。

まるで、小さな子どもが楽しそうにはしゃいでいるような姿に見えて。


「…かわい」


思わず、口をついて出た。


………ん? 今のなんだ? は? 僕が誰を可愛いって?

いやっ、今のは何かの間違いだよな…?!


フェンスに手をつきながら、んー?と僕の方へ振り向くと、


「向葵くんどうかしたの?」

「いやっ、なにも!」


首がもげそうなほど振って否定すると、ふーん?といまいち納得してない顔色を浮かべながら、また景色へと視線を戻す。


……あっぶない。もう少しで聞かれるところだった。


ていうか、僕は何を考えていたんだ。

可愛いってのは、ただ単に子どもみたいに見えただけであってそれ以上でもそれ以下でもない……よな?

なんで自分の言葉で動揺してるんだよ。


「向葵くんもこっち来ればー」

「え?! …ああ、うん」


ぎこちなく返事をしたあと、おそるおそるフェンスへ近づくけれど、三日月さんから距離を取った。


それなのに妙な胸騒ぎが落ち着かない。

高台に来たからか? 子どもの頃は大丈夫でも今はダメになったとか?


「向葵くん?」


声がやけに近くで聞こえるなと思って顔を上げると、僕に距離を詰めていた三日月さんの顔がドアップで視界に映り込んで。

「ぅわあっ…!」


思わず声をあげて尻餅をついた。


……うわ、最悪。
僕ってなんでこんなに失態ばっかり晒してしまうんだよ。

恥ずかしくてしばらく顔を上げられずにいると、プッ、と笑い声がもれた。


「……な、なんだよ」

「いや〜、いきなりどうしたのかなぁと思って」


絶対僕のことからかってる。

楽しんでる雰囲気が伝わってくる。


「べつにどうもしてない。ただ今のは足が滑っただけだ」


強がるように告げた言葉だけれど、思いのほか小さくて弱々しく聞こえた。

どうせ僕のことなど信用しないんだろうな、思いながらこれからどうしようかと考えていると、


「確かにここ、少しだけ滑るもんねぇ」


言いながら、僕に向かって手を伸ばしてくる。


その手に視線を合わせると、その向こうに見えた瞳がぼんやりと見えた。
それは、少しだけ笑っているように見えて、絶対信じてない、そう思った。


「……どうも」


けれど僕はそれに気づかないフリをして、手を掴むと、立ち上がる。

瞬間、自然にパッと手は離れた。


「次は滑らないように気をつけてね」


笑いを堪えながら言っているのが見え見えで、


「……ほっとけ」

小さく毒吐く僕は、どうやらまだまだ子どものようで。

大人なら、もっと落ち着いた態度をすればこんなふうにからかわれずに済むのに。


「ほら、早く景色見よう?」


僕に向かって微笑んだ彼女に、うん、と頷いた。


「ここ、すっごく綺麗だね」

「…ああ、うん」


何年ぶりかに来た展望台は、確かに見晴らしがよくて綺麗だった。

デッキに足を乗せて、かかとを上げて、流れてくる少し生温い風を感じながら、


「まるで物語の世界の中に自分も入り込んだみたいな気分になる」


と、言って目を細めた。


「物語の世界?」


彼女の斜め後ろで声をかけると、うん、と頷いて、


「私あの文庫本好きなの。世界観とかストーリーとか特に気に入ってて、ここに来たらほんとに物語の世界に入り込んだのかなって錯覚しちゃう」


僕なんかより物語にのめり込んでいるように見えた。


「だからね、今すっごく嬉しいんだ」

「物語の題材となったから?」


それもあるけれど、と言って僕の方へくるりと顔だけを向けると、


「久しぶりにこんな綺麗な景色見れたから」


と、嬉しそうに笑った。

周りの空気と彼女の笑顔に飲み込まれそうになったけれど、わずかにいつもと違うように感じて、あの、声をかけようと思ったけれど、のどの奥に張りついて出てこなかった。


そんな僕を時間は待ってくれずに、だから、と続けると、


「向葵くんのおかげでいい思い出ができた」

「そんな大したことしてない…」


なんなら、もうずっとここのこと忘れてた。

そんな僕に、ここを紹介する資格なんてあったのかなと落ち込んだ。

そんなことないよ、と言って微笑むと、


「向葵くんがここの場所知ってたから私、来られたんだもん。だから、ありがとう」


僕を見据える瞳が、真っ直ぐ僕に向かっていて、恥ずかしい。

けれど、逸らすことさえもできなくて、


「…僕の方こそ、ありがとう」


思わず、口をついて出た。


「どうして向葵くんがお礼言うの?」

「……どう、してだろう?」

「なーんかおかしな向葵くん」


バカにされているわけでもないし、からかわれているわけでもない。

だから不思議とそれが嫌じゃなくて、むしろ、三日月さんといる時間が少しずつ心地よくなっている自分がいた。


「あっ、見て」フェンスの向こうに指をさすと、


「あそこに学校が見えるよ!」


大はしゃぎの三日月さんは、学校の姿より少し幼く見えた。

「ほんとだ」


僕がそれに返事をすると、ね、と相槌を打って笑ったあと、


「なんかさぁ、こんな綺麗な景色見てると悩みなんてちっぽけなものに思えるね」


なんて突然呟くものだから。


「…悩みがあるの?」

「そうじゃないけど」


声を落とした三日月さん。

どうしたんだろう、と心配になって声をかけようとすると、


「ただ、なんとなくそう思っただけ」


そう言って笑ったんだ。


僕は、ほんの一瞬の間が気になった。

けれど、何も聞き返すことができずに、そっか、と適当に相槌を落とした。


「それより、そんなとこにいないで一緒に景色見ようよ」


切り替わる話題に異議を唱えることもできずに、静かに頷いた僕。


彼女のそばに寄っただけで、さっきの手の余韻がまた再発するようだった。

ほんの一瞬手を繋いだだけなのに、どきどきするなんて、どこの思春期男子だよ。

好きな相手でもなければ、意識してる相手でもないのになんで……。


考えても考えても答えなんか出てこない。

出口の見えないトンネルに入り込んでしまったかのようだ。


「記念に撮っておこーっと!」


スマホを取り出すと、カシャっと写真を撮る三日月さん。

その横顔は、無邪気にはしゃぐ女の子。


藍原たちは、知らない三日月さん。

そんな彼女と、僕は一緒にいる。


今までは何とも思っていなかったのに、手の熱の余韻と鼓動の音が僕を掻き立てる。


「……なんだこれ」


ポツリと呟いた声は、地面へと落ちる。


この感情は、一体何なのか。

僕は、まだ知らない。

──いや、知りたくなかったんだ。



「おい、茅影。これ」


僕の机の前にやって来たのは、藍原で、その手にはこの前僕が貸した文庫本があった。


「え、なんで藍原が…」

「さあ。よく分かんねぇけど三日月さんが、茅影に渡してくれって」


もしかして僕が話しかけないでって言ったりしてるから気を遣ってくれたのかな。

ふーん、と興味なさげに返事をしながら文庫本を受け取る。


「もしかして三日月さん、俺のこと気になりだしたのかなー」


髪の毛をくるくると弄びながら、聞いてもいない三日月さんとの話を持ち出してくるけれど、興味がなかった僕は、視線を落として、へえ、と適当に相槌を打った。


「なんだよ。もうちょい興味持てよ」

「え? あー、ごめん。全然興味なかったから」


藍原の色恋的な話を聞くほど、僕たちは仲良いわけじゃないし。
ここでくつろがれても迷惑だ。

なんて思って、頬杖をついていると、おまえさぁ、と壁に背を預けながら、


「堂々と本音晒すなよ」

と、ふはっと笑われた。


……いやいやいや。なんだよこの状況。

困惑して固まっていると、なんだよ、と尋ねられる。
けれど、本音を言うこともできなくて、いや、と首を振った。

「あれー、二人仲良くなったのか?」


あっけらかんとした声が聞こえて、視線を向けると、小武が僕たちのそばにやって来た。


「は? 仲良く?」

「だって、おまえたちが一緒にいるって珍しいだろ」


小武が藍原と僕を交互に見ながらそう言うから、ちげぇよ、と藍原が言い返したあと誤解を解くように、


「俺はこいつにこれ返しに来ただけ」


僕の机に置いてある文庫本に指を落した。


「なぁ、そうだよな?」


突然、僕に話を振るから、へっ、と声がもれる。


「そうなの? 茅影」

「え? …あー、うん」


確かに、文庫本を返しに来ただけだ。

けれど少し前まで三日月さんの話もしていた気もするけれど。

ふーん、と僕から藍原へと視線を戻す小武は、でもさ、と口を開いて、


「藍原、今笑ってただろ」

「おー、まぁな」

「何で笑ってたんだよ」


僕の前で会話は続くから、できればよそでやってほしい、と頬杖をつきながら小さくため息をついた。

すると、茅影が、と僕を指さす藍原の声に反応して、え、と困惑した声をもらすと。


「堂々と俺の前で本音晒すからさー」

「本音?」