投了しますたw(おしらせ)/+その後

一部サンプル記事の再掲載


先に述べたとおり、「たぬそば雑記」は設定を(サイト運営の判断で)非公開に切替されただけですので、原稿データそのものはユーザー編集ページに残っています。
とりあえず、当たり障りのなさそうな部分(東洋史、SF作品、日本人論のページ)を他のユーザー読者の人たちへの証拠(みたいな)意味で転載しておきます。

ひとまずは放置で様子見(やるだけ無駄な徒労との判断ですw)。
なお、この「投了~」は続きを書く予定もないので完結設定にでもしておきます。
「腐れ儒者の起源について・岳飛のこと」

 近ごろに古代中国の儒教古典などパラパラやっていて(現代語訳部分を読み流しているだけだが)、「秦の始皇帝が焚書坑儒したり、漢の高祖や宣帝が儒者を嫌ったのも理由がないわけではない」と感じた。
 なぜならば言っていることは立派なのだが(それなりに有益ではある)、基本が口説の徒であり、弁論に長けているがために幾らでも空理空論を重ねて自己正当化や誤魔化しが出来てしまい、最悪は奇麗事と道徳理論を悪用して偽装と詐欺デタラメでも(やろうと思えば)幾らでも出来てしまう(究極の卑怯卑劣にもなりうる)。
 おそらく古代の最悪事例は王莽だろうが、儒教的な倫理を悪用して自己正当化しながら政敵を陥れ、最後は前漢王朝の簒奪までやってのけた(以後の王朝簒奪の様式や腐れ儒者の元祖w)。朝鮮儒教の「(歪んだ)道徳志向」などもそうで、自分自身が正しくあろうとか公利国益を計るのでなく、単純に儒教思想の倫理や礼儀を政争(保身と偽装や詐欺と陥れ工作)の道具にするのである。日本の民主党が「リベラル」を偽装して国民を騙したし、今のシナ共産党の「孔子学院」は完全に詐欺どころか工作機関である。

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ただ、(ウェブで見かけただけで詳細未確認だが)昨今の一部の学者が言うように「孔子はカルト教団の詐欺師と大差がなく、(易姓革命で)王朝と国権の簒奪を狙っていた(それで周の文王を賛美した)」というには誤りであると思われる。
なぜなら白川静の著作を読むとわかるが、孔子は屈原などと同じで「祭祀階級(職業や地位として)」の出身と自己意識である(共に世の堕落と古い倫理や秩序の崩壊を憂えている)。そして孔子がもっとも尊敬したのは「周公」であり(頻繁に夢に見るほど)、兄の武王や甥の成王を助けた史上屈指の宰相摂政で祭祀階級の長だった人物。ゆえに孔子が目指したのは「王の師」「キングメーカー」なのであって、最たる欲望は理想の国や社会の実現(と聖人賢人としての名誉欲)であったと考えるのが自然である。だから古い儒学者の異様な尊大さはおそらく、「聖人賢人(祭祀階級の理想存在)は世俗君主より格上」という意識から出ているのだろう。
その後に最初の長期統一王朝の漢の時代に董仲舒や劉向などの学者が出て、儒教が正式に官学になったようだが、やはり堕落して王莽みたいなのが出てくる。実は老荘思想も、元は祭祀階級の教えが源流らしいが、同根の微妙に異なる老荘思想が儒教と同時に発達したのは(官学になったゆえに欺瞞的になりがちな儒教への)アンチテーゼと自己批判や補完の意味合いもあったのだろうと考えられる(日本では神道や仏教と相互補完したわけだが、李氏朝鮮では儒教一色であり、そういうバランス感覚がないから完全に腐敗して悪名高い「朝鮮儒教」に成り果てた)。

(注、補足考察)専門家からそういう言説(孔子の詐欺師説)が出てくるのは、昨今の中国韓国などの現状への批判を暗に含んでいる? それとも頭のおかしい左翼学者なのか?
別の話だが前に角川クラシック(ビギナー)の「易経」を見ていたら「困」の解説で「赤い服のお偉方に困(くる)しめられる」という訳文があったが、自分が聞くところでは赤は当時の囚人服の色でもあるそうでむしろ「赤い囚人服を着せられて苦しむ」が正しい訳文でないかと思うが、共産党に睨まれるのをはばかったのか(または逆に)暗に批判したかったのだろうか?  しかしそんなふうに学識を玩んで態度を曖昧にするのが「儒教的な姑息さ」ではないのか?

 なお、追加で二点ほど指摘しておきたいことがある。
 古代中国末期(三国志の時代)には総人口の七割が死んだと言われていて、それ以降には中国は北方民族の大規模な流入と混血などで、民族の性格や血筋そのものが変わっている。ゆえに「文は秦漢、詩は唐の時代のものが優れている」とされ、歴史の経過で民族や政治文化に独特の変化や発達があったことを見落としてはいけない(今の中国を古代中国と全く同一視するのは間違い)。
 それから「孟子」(性善説の理想主義)の評価が高まったのは中近世の北宋南宋の時代だが、その頃は内政が割合に上手く行ったようで、経済や文化で栄えたようだ(最後は北方民族に制圧されたとはいえ長期間の繁栄を享受して周辺にも利益と恩恵があった)。当時に(北方からの)侵略危機に奮起して最後まで抗戦した岳飛や文天祥は儒教思想の英傑である。それとの比較だけでも、今どきの日本の左翼日和学者や知識人などの「腐れ儒者」的な異常性と卑怯卑劣は明らかだろう(かえって「余命三年時事日記」プロジェクトの懲戒請求チームのような連中が義士なのである)。
「大陸の「後宮ロマンス」の虚構」

 しばしば外国の「後宮」を舞台とした宮中もののロマンスがエキゾチックな関心から美化されて描かれるようだが、現実はずっと過酷であったと思われる。
 たとえば「漢の呂后(りょこう)」などで調べてみれば、皇帝や王侯の愛情や後継者争い(さらには我が子の境遇のために妃たちは血眼になる)はしばしば陰惨を極めた。日本では天皇ですら(十七条憲法ではないが)ルールや公正さを尊重したが、中国では権力者が過剰に絶対で日本以上の独裁的暴君であった。
 三国志で客人(劉備)をもてなしするに肉がなかったので、妻を殺して食肉にした逸話があるそうだ。また、これは三国志の直後の晋(しん)の時代のことだが、後宮に大量の美女を集めたものの、毎夜の相手を選ぶのに(面倒で)羊の車で「偶然立ち止まった部屋の女」を選んだという話がある。
 唐の則天武后にしたところで(記憶が正しければたしか)元は父帝の妾で、自分と一族の権勢を死守するために手段を選ばず凶暴化するしかなかっただろう(敗北は死を意味する)。あの楊貴妃にしたところで、皇子の妃であったのを皇帝が見初めて愛人の妾にした事情がある(貴妃は複数ある皇帝の妃の位階)。
 また外戚(母方の親族)の横暴を未然に防ぐため、後継ぎの生母を殺すようなことまで行われていた(漢の武帝や、北方人おうちょうなど)。
 中国「後宮」の現実は日本以上に「(女は)非人格的な物扱い」で、生存闘争も数段に過酷であった。


 日本の平安時代には女流文学が栄えたし、それ以前から女性の作った詩歌が多く残っている。しかし中国ではほとんど皆無なのであって、極度の男性至上主義の文化であった。
 たとえば「内侍(ないし)」という官職は日本では女官の役職であったが、中国では宦官(去勢された男の宮中役人)なのである。中国の「後宮」は、天皇の生ぬるい宮廷のように女性に人としての人格を認めていなかったのである。


(追記)
 このサイトの宣伝広告に「後宮」の作品が出ていたので(苦笑)。
SF作品の今昔(人造人間テーマ)

1
 こんなこと(先の古いSF漫画「BLAME」についての記事)を長々書いたりしたのは、一つには「月のオートマタ」(つい先日にこちらでスマホから書いて公開した)なんてのを書いた背景の紹介を兼ねている。自分はあまり詳しい方ではないけれども、ちょっと記憶に残っている作品をいくつか上げてみたい。


2
 古い海外の小説作品で「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」なんていう、レプリカント(人造人間)を描いた作品があり、映画「ブレードランナー」の原作だとかいう。著者のディックは「現実崩壊」をテーマにしたような作品が多いのだが、実は映画「トータルリコール」の原作は彼の短編であったりする。
 人造人間の最初の作品といえば「フランケンシュタイン」(シェリー夫人)だろうが、実はバイロンやシェリーといったロマン主義の時代とサークルから出ている。ただゴーレム(土の人形?)を使役したり、ヨーロッパ以外のゾンビ(死体を呪術で使役)などの伝説もあったわけで、「いきなり全くなゼロからポンと出た」のではないとも思われる。フランケンシュタインの冒頭では聖書のヨブ記の一節が引用されていた覚えがあるが、実は同じ聖書のエゼキエル書の部分に、屍の残骸から人間が再生して生き返る(神様が見せた幻覚)シーンがあるわけで、そういう過去の知識や素養のベースは案外に馬鹿に出来ないだろう。

 他には、ヴァーリィの「蛇遣い座のホットライン」なんて作品があるが、記憶のコピー転写や人間の複製、人体の改造なんかを、これでもかというくらいに無茶苦茶書いている(固定観念崩壊w)。
 一昔前に人気があった、サブカルチャーの正統派ジャンルで作品数があまりにも多すぎるため、一部の気の向いたものしか読んだことがないのだけれども、それでも昔読んだコミックの更に元になったアイデアが見つかるわけで、物事の歴史を感じた次第。


3
 YouTubeでゲームの実況動画を見たりもしていたのだが、単にドタバタでも下らないバラエティよりはまだ面白く感じる(そもそもテレビ番組なんか十年以上もろくに見ていないw)。
 中にはドラマ性やストーリー性が高い作品もあるわけで、アンドロイドを扱った「デトロイト」という作品は秀逸だった。
 似たテーマのもの(?)で「ニア・オートマタ」という作品があるそうなのだが、残念ながらそっちはよく見ていない(タイトルのイメージだけ)。なお自分的には、ホラーやアクションやファンタジーなどの、映画感覚で見られるものを好んで視聴していた覚えがある。
日本人の一番嫌なところ

 日本人の一番嫌なところは、「みんながそうしているから」という、良くも悪くも病的なまでの協調性と同調圧力、そして「君子危うきに近寄らず」の事なかれ主義・小市民主義の異常な謙虚さだ。
 たぶんみんなが砂漠の強行軍やら断崖絶壁や肥溜めに向かって行進したら自分もそうするだろう(笑)。私は嫌だが。
 たしか「余命三年時事日記」(この話で言っている記事、余命の移転復活前の過去記事は「余命三年時事日記ミラーサイト」をウェブ検索して参照のこと)が「昔から日本軍は全滅の定義、一定数やられたら「全滅と同じ」が通用しない。逃げずに義務に忠実に最後まで戦うから」と書いていたが、必ずしも褒められたことだろうか? たしかに意味をわかっていてやっているなら立派だが、「みんながそうしているから」という無意識の協調性でそうしているなら「真面目で愚直な馬鹿」という一面も多分にあるだろう。軍隊の格言では「頭の悪い働き者は(間違った命令を生真面目に実行し続けて)味方を敗北に導く」のだそうだが、そういう落とし穴がある。たとえばみんなで地雷原に突撃するような場合、たしかに戦略や作戦として必要な場合もあるだろうが、「その作戦が正しいか」を判断できないため、作戦が間違っていたり誤情報に踊らされた場合にはしばしば悲劇を招く。

 たとえば「敗戦革命」と言う言葉があるが、前大戦は共産コミンテルンのシンパ工作員に焚きつけられて自滅させられた面がある(江崎道朗氏の著作など参照)。戦後にも跋扈され続けて、この二十年くらいは在日コリアンや共産腐敗マフィアに「二度目の敗戦革命」をやられたようなものなのである。
 およそ二度あることは三度あるわけで、日本人は優良な羊や豚のようで、たとえ子供や孫がその犠牲になっても阻止する知力も気概や能力もない。ただ「謙虚に盲従」して「美しい土下座」を貫くのみである。それゆえに「犯罪者に統治されるしかない」という絶望的な見方にもなったりするわけだが。

 いわゆる「まともな普通の日本人」の皆さん方は、その辺はどう考えているのだろうか?



「八年痴呆/今は戦時中です」

あの「保守速報」や「余命三年時事日記」が登場して八年にもなる。

それ以前の小泉(朝鮮ハーフ)と民主党韓国傀儡政権(混血や帰化人やパヨ左翼だらけ)以来で、たっぷり二十年の「歴史的排便」であった。
しかも余命の外患罪告発開始から四年であるが、まだ表向きは「完全封殺」が鉄壁に継続中。

二十歳以上の日本人の大人で、何の話か分からない人。そろそろ豆腐の角で頭でも一万回くらいぶつけて死んで下さい。

「余命三年時事日記」
「余命三年時事日記ミラーサイト」
「保守速報」
「もえるあじあ」
「U-1News」

などなどをご自分でご覧になって、この七年八年に何が起きていたかご自分でどうぞ。
ちなみに「余命三年時事日記」ミラーサイトでは、最初からの過去記事と官邸メールの資料が閲覧できます。現在の「余命三年時事日記」は何度か政治圧力と恫喝で消されてから復活しており(今は日本国内でなくイスラエルの外国業者サーバ?)、左翼活動家(と在日コリアン)弁護士と懲戒請求の愛国有志たちの裁判で手一杯らしい。

    @  @  @

ここまでの結論として(令和三年三月現在)、一見は世の中が平和で良好な状態になっているようなのは、問題が解決したからでは全くない。
むしろアメリカなどの国内情勢(大統領選不正工作でバイデン民主党の犯罪政権が誕生して、トランプや軍が対策に追われているようである)、国際情勢などからしても「平和状態を偽装した戦時中」でしかない。まともに戦争すれば経済打撃や犠牲が洒落にならないから、こんな状態の駆け引きが何年も続いていると思われる。

現状は安倍などの一部の護国政治家や防衛公安と一部の愛国的官僚、余命三年時事日記プロジェクトなどの民間護国が、どうにかして国内反日利権マフィア(共産や腐敗シンパに在日など)に対抗して、「ひとまずは抑え込んで拮抗している」だけ。
もしも日本国民が痴呆お花畑状態のままなら、最悪は逆転負けすらないとは限らない。それにひとまず勝利しても、またデタラメで似たような危機や破滅になる可能性は常にあると思うw
追伸

あ、宣伝ボタン押し忘れていたのでポチッときますね。

それにしても、この五年も十年も「何事もなかったかのように普通に謙虚に真面目に生きてきた」日本人って(笑)。たぶん子供や孫が目の前で野獣の餌になろうが、地震や火災で町が壊滅しようが、頭の上からミサイル降ってこようが、意味が理解できなくて「平常心で全う普通平凡な日々」なんでしょうね(ここまでくると十分に集団狂気の範疇だろ?)。

それからこれまで散々にやらかしてきた在日や共産左翼に。「お前らはもう助からん」、なぜなら降伏勧告を延々と愚弄黙殺し続けて、最後まで虚言と組織犯罪(情報テロや工作を含め)を貫徹したら、最後にどうなるかはお察しである。
もう手後れだと思うし、どのみちに私ごときが今さらどうとか言う話ではなくなっている。「なるようにしかならない」だろうが、特に二十くらいまでの若年者で誤ってパヨに関与してしまったなら、今すぐに止めて離れることだ(運が良ければ極刑とかまでは勘弁して貰えるかもしれないし)。
追伸2(同日晩)
掲載作品の自発全削除

このお知らせ記事「投了しますたw」がフロントページの完結欄表示から削除。
それからついでに「たぬそば雑記」の設定ページで「管理者によって非表示にされたので表示に偏向できません」などと、ご丁寧に赤字で書いてある(笑)

そこでひとまず「投了しました」以外の「スイッチゲーム」「中世とルネサンス」他の全作品を自発削除することにしました。そちらは私本人による自己判断での削除ですのでよろしく。
 別件に公開していた以後の経緯や個人的な見解などのコメント文などの重要そうなものをこちらにまとめました。
 どうやら自分は同時表示できる記事(作品)件数にリミッターでもかかっている様子?w
 なお「余命三年時事日記」については本当にごくごく一部以下のコピーだけでしたので、再掲載は割愛しました。