「腐れ儒者の起源について・岳飛のこと」

 近ごろに古代中国の儒教古典などパラパラやっていて(現代語訳部分を読み流しているだけだが)、「秦の始皇帝が焚書坑儒したり、漢の高祖や宣帝が儒者を嫌ったのも理由がないわけではない」と感じた。
 なぜならば言っていることは立派なのだが(それなりに有益ではある)、基本が口説の徒であり、弁論に長けているがために幾らでも空理空論を重ねて自己正当化や誤魔化しが出来てしまい、最悪は奇麗事と道徳理論を悪用して偽装と詐欺デタラメでも(やろうと思えば)幾らでも出来てしまう(究極の卑怯卑劣にもなりうる)。
 おそらく古代の最悪事例は王莽だろうが、儒教的な倫理を悪用して自己正当化しながら政敵を陥れ、最後は前漢王朝の簒奪までやってのけた(以後の王朝簒奪の様式や腐れ儒者の元祖w)。朝鮮儒教の「(歪んだ)道徳志向」などもそうで、自分自身が正しくあろうとか公利国益を計るのでなく、単純に儒教思想の倫理や礼儀を政争(保身と偽装や詐欺と陥れ工作)の道具にするのである。日本の民主党が「リベラル」を偽装して国民を騙したし、今のシナ共産党の「孔子学院」は完全に詐欺どころか工作機関である。

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ただ、(ウェブで見かけただけで詳細未確認だが)昨今の一部の学者が言うように「孔子はカルト教団の詐欺師と大差がなく、(易姓革命で)王朝と国権の簒奪を狙っていた(それで周の文王を賛美した)」というには誤りであると思われる。
なぜなら白川静の著作を読むとわかるが、孔子は屈原などと同じで「祭祀階級(職業や地位として)」の出身と自己意識である(共に世の堕落と古い倫理や秩序の崩壊を憂えている)。そして孔子がもっとも尊敬したのは「周公」であり(頻繁に夢に見るほど)、兄の武王や甥の成王を助けた史上屈指の宰相摂政で祭祀階級の長だった人物。ゆえに孔子が目指したのは「王の師」「キングメーカー」なのであって、最たる欲望は理想の国や社会の実現(と聖人賢人としての名誉欲)であったと考えるのが自然である。だから古い儒学者の異様な尊大さはおそらく、「聖人賢人(祭祀階級の理想存在)は世俗君主より格上」という意識から出ているのだろう。
その後に最初の長期統一王朝の漢の時代に董仲舒や劉向などの学者が出て、儒教が正式に官学になったようだが、やはり堕落して王莽みたいなのが出てくる。実は老荘思想も、元は祭祀階級の教えが源流らしいが、同根の微妙に異なる老荘思想が儒教と同時に発達したのは(官学になったゆえに欺瞞的になりがちな儒教への)アンチテーゼと自己批判や補完の意味合いもあったのだろうと考えられる(日本では神道や仏教と相互補完したわけだが、李氏朝鮮では儒教一色であり、そういうバランス感覚がないから完全に腐敗して悪名高い「朝鮮儒教」に成り果てた)。

(注、補足考察)専門家からそういう言説(孔子の詐欺師説)が出てくるのは、昨今の中国韓国などの現状への批判を暗に含んでいる? それとも頭のおかしい左翼学者なのか?
別の話だが前に角川クラシック(ビギナー)の「易経」を見ていたら「困」の解説で「赤い服のお偉方に困(くる)しめられる」という訳文があったが、自分が聞くところでは赤は当時の囚人服の色でもあるそうでむしろ「赤い囚人服を着せられて苦しむ」が正しい訳文でないかと思うが、共産党に睨まれるのをはばかったのか(または逆に)暗に批判したかったのだろうか?  しかしそんなふうに学識を玩んで態度を曖昧にするのが「儒教的な姑息さ」ではないのか?

 なお、追加で二点ほど指摘しておきたいことがある。
 古代中国末期(三国志の時代)には総人口の七割が死んだと言われていて、それ以降には中国は北方民族の大規模な流入と混血などで、民族の性格や血筋そのものが変わっている。ゆえに「文は秦漢、詩は唐の時代のものが優れている」とされ、歴史の経過で民族や政治文化に独特の変化や発達があったことを見落としてはいけない(今の中国を古代中国と全く同一視するのは間違い)。
 それから「孟子」(性善説の理想主義)の評価が高まったのは中近世の北宋南宋の時代だが、その頃は内政が割合に上手く行ったようで、経済や文化で栄えたようだ(最後は北方民族に制圧されたとはいえ長期間の繁栄を享受して周辺にも利益と恩恵があった)。当時に(北方からの)侵略危機に奮起して最後まで抗戦した岳飛や文天祥は儒教思想の英傑である。それとの比較だけでも、今どきの日本の左翼日和学者や知識人などの「腐れ儒者」的な異常性と卑怯卑劣は明らかだろう(かえって「余命三年時事日記」プロジェクトの懲戒請求チームのような連中が義士なのである)。