「なんだ、店の場所も知らないのか」
「実際に行くのは初めてなの。住所は分かってるんだけど」
見渡しても人の気配はないので答えることにする。
なぜ実際に行ったことがないのかと言うと、アルバイト募集の求人広告がうちの近所のスーパーに貼られていて、面接をお願いするためにそこに電話をかけたらなぜか電話で即採用されてしまったからだ。
店の名前は「十五夜堂」。ちょっと古めかしい古風な感じの響きがいいなと思った。求人広告には仕事内容は雑務としか記されていなかったけど店の名前から考えるにきっと雑貨屋か喫茶店か、変化球だと古本屋とかだろうと踏んでいる。ネットで店の名前を調べても出てこなかったからめちゃくちゃ古いタイプの店か最近できたばかりの店かのどちらかだろう。
それにしても電話で即採用。さすがにちょっと大丈夫なのだろうかと思ったけど、店長さんの電話対応も良かったし時給はこの辺りにしては良い方だったしで断る理由はなかった。即採用に驚きながらも働く旨を伝えると、店長さんは「急に人員が必要になってしまってすぐにでも来てほしいから助かる」と話してくれた。もし働いてみて合わなければそのときにまた続けるか辞めるかを考えれば良い。それに私も早く次のバイト先を見つけなければいけなかったので即採用はありがたいといえばありがたかった。
どうしてそんなに焦ってバイトを探していたのかというと、元々バイトをしていた喫茶店の店長のお母さんが病気で介護が必要になってしまい、ばたばたするからとしばらくお店が閉まることになったのだ。しばらくといっても再開はいつになるか分からないと言われ、仕方なく他のバイトを探すことにした。大学の学費のこともあるし普段の生活費のこともあるし、実家からの仕送りだけではなかなかやっていけないのが現状だ。
「通りすぎたとかかな。ちょっと戻ってみようか」
かなり分かりにくい場所にあるのかもしれない。早めに来ておいて良かった。初日から遅刻なんて洒落にならない。
そのときヒヨコさんが私の頭から飛んだ。
「早苗、この辺りはあやかしが出るかもしれんぞ。気を付けろ」
「え、そうなの?そういう感じ?」
「他の場所より常世の気配が濃い」
「常世?」
「あやかしの棲む世界のことだ」
「あやかしの国ってこと?」
「そうだ。まぁ人間の嬢ちゃんが迷いこむことなどそうないだろうが、少し見てきてやるから待ってろ」
「ありがとう」
そこからヒヨコさんは高く飛んでいき、見えなくなった。自称神は見た目に反して意外と世話焼きだ。
そうしてヒヨコさんが戻ってくるのを待っていると、ふとこの先の路地の奥に開けた場所があるのが見えた。突き当たりかと思ったけどどうやらそこにはまだ先がある。あの辺りはまだ探していないしもしかしたら店があるかもしれないと私はヒヨコさんの忠告を忘れてそのまま真っ直ぐ進んだ。途中、人一人が通れるくらいの小さな鳥居があり、なんの疑問も抵抗もなくそれをくぐり抜けた──瞬間。世界が変わった。
そこは青々とした竹林だった。振り向くと鳥居の向こうは雑居ビルの路地。鳥居を挟んであまりにも世界が違っていた。
「すごい……この町にこんな場所があったなんて」
手入れをされているようで、ただ生い茂っているわけではなく歩くための石畳の道もある。竹の緑の隙間から太陽の光が細々と差し込んでくる光景は思わず足を止めてしまうほどに浮世離れした美しさだ。もしかして私有地だったりするだろうか。勝手に入り込んではいけない場所かもしれない。
一度戻ろうとしたとき、石畳が続く道の奥に先に開けた場所がありそこかなひっそりと佇む建物が見えた。看板のようなものがあるけどここからだと何が書いてあるかは読めない。
それだけ確認してみようと竹林を進むとそこにあったのは少しばかり古めかしい木造瓦葺きの二階建て建物。屋根に掲げられた木の看板には「十五夜堂」と記されていた。あった。ここだ。まさかこんなところに建っているなんて見つけられないはずだ。知る人ぞ知ると言ったようなニッチなお店だったりするのだろうか。
店には看板の他に大きな白い暖簾が下がっていてそこには黒い文字で「色」とだけ書かれている。色、どういう意味だろう。店に関連する文字で間違いないのだろうけど、一体何のお店だろう。文字をそのまま当てはめるとすると「色屋」ということになるけど。
そのとき晴天の空からヒヨコさんが勢い良く私の元に飛んできた。
「おい早苗!!」
「あ、ヒヨコさん。ねぇ見てこんなところにお店が」
「すぐに戻るぞ!ここは常世だ!」
「え?」
「人間が簡単に迷いこむはずないのだが、見鬼の才のせいかもしれん」
「常世って、あやかしが棲む世界って言ってた場所?ここが?」
「そうだ。だから早く現世に戻るぞ」
実に浮世離れした美しさだとは思ったけど、まさか本当に違う世界だったなんて。妖怪の棲む世界なんていうからもっと薄暗くておどろおどろしい場所だと思っていた。