将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

「フェイト!」

 解放された僕のところに、ソフィアがものすごい顔をして駆けてくる。
 あれ、怒っている?

「手を見せてくださいっ、早く!」
「え? あ、うん。どうぞ」

 くるっと手を回して、手の平を見せた。
 鎌を掴んでいたため、ぱっくりざっくりと切れている。
 それなりに深いらしく、傷口が塞がることはなくて、血がダラダラと流れている。

「ああもうっ、こんなに大きな怪我を……!」
「え? こんなの、大した怪我じゃないよね」
「十分に大怪我です!」

 そう……なのかな?
 ソフィアは慌てているものの、僕は、実のところよくわからなかったりする。

 奴隷時代、これくらいの怪我は日常茶飯事だったから……
 これが大怪我という認識はないんだよね。
 ちょっと痛いくらい、っていう認識?

 ……ということを話すと。

「ばかっ!」

 ソフィアは涙目になり、本気で怒る。

「ばかですか、フェイト! 本当にもう……ばかっ、ばかばかばか!!!」
「え、えっと……?」
「もう、こんなにも私を心配させて……」
「……ソフィア……」

 彼女を悲しませてしまったことは、とても申しわけないと思う。

 でも、こんな時だけど、僕はうれしいと思っていた。
 涙を流すほどに心配してくれる人がいる。
 それは、とても幸せなことだ。

 ソフィアの優しさが、僕の心を温かくしてくれて……
 傷だけじゃなくて、心も癒やしてくれる。
 一人だった頃は、絶対に味わうことができなかった経験だ。

 とはいえ、泣かせてしまうほど心配をかけさせてしまったことは、やはり、とても申しわけなくて……

「ごめんね、ソフィア。できる限り、無茶はしないから」
「……できる限りではなくて、絶対に、と約束してください」
「それは……ごめん、無理かも」
「どうしてですか?」
「だって、もしもソフィアが危険な目に遭っていたら、僕は、無茶をしてでも助けようとするだろうから」
「……フェイトは、実は過保護なのですか?」
「ソフィアがそれを言う?」
「……ふふっ」

 小さくソフィアが笑う。

 よかった。
 やっぱり、彼女は笑っている方がいい。

 かわいいとか綺麗とか、そういう理由もあるのだけど……
 でも、それだけじゃなくて、見ていると、とてもほっとすることができるんだよね。
 ソフィアの笑顔には、人を安らかにすることができる、不思議な力があると思う。

「あんたら、あたしのこと忘れてない?」

 本気で忘れていたため、リコリスのジト目が痛い。

 とりあえず、適当に笑ってごまかしておいた。

「まったく……とりあえず、手、見せてみなさい」
「こう?」
「うわ。スッパリ切れてるわね……でもまあ、これくらいなら」

 リコリスが手をかざすと、温かい光に包まれた。
 時間を逆再生するかのように、傷口が塞がっていく。

「え、すごい」
「これは、もしかして妖精の力ですか?」
「まーねー! あたしくらいになると、これくらい楽勝よ、ふふんっ!」
「ありがとう、リコリス」

 流れた血は元に戻らないみたいだけど、でも、十分。
 傷口が塞がるだけで相当にありがたい。

「よし、これなら探索を続けても大丈夫かな? それで、棲み着いていた魔物は死神で終わりだよね? 実は他にも、なんていう展開はないよね?」
「大丈夫、心配しないで。あの死神一匹だけよ」
「そっか、よかった」
「ところで……そこそこ派手に戦いましたが、リコリスの大事なものは無事なのですか? あるいは、死神に荒らされているという可能性も……」
「んー……たぶん、大丈夫だと思うけど。でも、そう言われると不安になってきたわね。今すぐに確かめましょう」

 リコリスは、ふわりと部屋の奥の扉に飛んでいく。
 やはり、あそこが宝物庫なのだろう。
 リコリスの大事なものも、その中にあるはず。

 鍵が開けられた様子はないのだけど、でも、相手は死神。
 扉をすり抜けて中へ入り、悪さをしていたかもしれない。

「開きなさい」

 リコリスの呪が鍵となっていたらしく、声に反応して扉が開く。
 リコリスは扉が開き終えるよりも先に、隙間から宝物庫へ入る。

 僕達も彼女を追い、宝物庫へ移動した。

「うわぁ……」

 思わずそんな声をこぼしてしまうほど、中はたくさんの財宝で満たされていた。
 山積みされた金貨。
 たくさんの宝石がつけられた装飾品。
 中に光球が浮いている小瓶、オーロラのような羽衣……見たことのないアイテムもある。

「すごいですね……これほどの財宝が残されているなんて」
「あんたら以外の冒険者は、十層が最下層と勘違いしてて、そこで引き返していったからねー。宝物庫は手つかずで、宝は貯まる一方。で、こんな状態になってるわけ」

 妖精は宝物が好きで、カラスが光り物を集めるように、気に入ったものを収集して保管する習性がある。
 ここにある宝物も、全部、リコリスが集めたものなのだろう。

「リコリスの大事なものっていうのは?」
「……」

 返事はない。
 ただ、答えを示すかのように、リコリスは宝物庫の奥へ飛んでいく。

 後を追うと、たくさんの財宝に囲まれるようにして、簡素なお墓があった。
 とても小さなサイズだ。

 花が供えられている。
 特別な花なのか、しおれることなく枯れることもなく、優しく輝いている。

「それは……」
「あたしの友達のお墓よ」
「そう、なのですか……それが、リコリスの大事なものなのですね」
「そういうこと」

 リコリスは。どこからともなく花を取り出すと、お墓に捧げる。
 そして、両手を合わせて祈る。

 僕とソフィアも彼女に習い、祈りを捧げた。

 名前も知らないリコリスの友達……
 どうか、安らかに眠ってください。

「ここにある財宝って、大半があの子が集めてきたものなの」
「そうだったんだ……てっきり、リコリスが集めたものかと」
「財宝は嫌いじゃないけど、そこまで好きっていうわけじゃないから。あの子が集めて……でも、途中で失敗して、血だらけでここに戻ってきて……そのまま」
「……」
「大丈夫よ。気持ちの整理は、もうついているから」

 そう言うリコリスは、確かに、スッキリとした顔をしていた。
 強がりなどではなくて、特に問題はないのだろう。

「お墓が荒らされていないか、それだけが心配だったけど……でも、そんなこともなかった。で、魔物も無事に追い払うこともできた。これも、あんた達の……ううん。フェイトとソフィアのおかげよ。ありがとう」

 リコリスはにっこりと笑う。
 その笑顔は、太陽のように輝いていた。
「はい、これがフェイトとリコリスが探していた、あたし達妖精が鍛えた剣よ」

 リコリスが案内してくれた先に、一振りの剣があった。

 刀身は水晶のように透明で、宝石のように綺麗だ。
 ただ、脆いという印象はなくて、逆に力強く感じた。

 柄はシンプルなデザインで、使い勝手を重視しているのかもしれない。
 宝石が一つ、セットされている。

「あら、とても綺麗な剣ですね」
「ふふーん、そうでしょそうでしょ。なにしろ、あたし達妖精が鍛えた剣だからねー」
「これ、名前はなんていうの?」
「雪水晶の剣よ。名前の通り、雪水晶っていう鉱石を材料にしているの」
「まんまだね」
「切れ味はけっこうあるんじゃないかしら? あと、かなり頑丈で、よほどのことがない限り折れたり刃こぼれすることはないわ。壊れたとしても、勝手に修復されるみたいよ」
「自己修復機能なんてものがあるのですか? それはすさまじいですね……フェイト、私にも見せてくれませんか?」
「うん、どうぞ」

 ソフィアに雪水晶の剣を渡した。

 「これは……」「なんて綺麗な刀身」「切れ味はなかなか……」なんていう独り言が聞こえてきた。
 そんなソフィアの目は、子供のようにキラキラと輝いている。

 剣聖だから、剣が好きなのだろうか……?
 そういえば、メインに使うエクスカリバーだけじゃなくて、他にも色々と剣を持っていたっけ。

「あの、フェイト。お願いがあるのですが……」
「うん? なに?」
「たまにでいいのですが、この剣、貸してくれませんか? じっくりと眺めたくて……あとあと、手入れは私にさせてもらえるとうれしいです!」
「えっと……うん、それくらい別にいいけど」
「ありがとうございます!」

 幼馴染の意外な一面を知るのだった。

「ありがとう、リコリス。雪水晶の剣、大事に使わせてもらうよ」
「ええ、そうしてちょうだい。あたし達妖精が人間に贈り物をするなんて、滅多にないんだからね? 感謝してよ」
「うん、ありがとう」
「え? いや、その……ありがとうとか、本当にそんなこと言わないでよ。本来なら、あたしがそう言う立場にあるんだから。まったくもう、気が効かない人間ね」
「えっと……なんで僕、怒られているの?」
「ふんだっ」

 リコリスは頬を膨らませつつ、ぷいっと顔を背けてしまう。
 ただ、その頬は赤い。

 照れ隠し?

「あ、そうそう。せっかくだから、他のお宝も持っていっていいわよ」
「え?」
「ここに置いていても、埃を被らせるだけだもの。なら、有意義に使ってもらった方がいいわ」
「えっと……」

 ソフィアと顔を見合わせる。

 僕に任せます、という感じでソフィアは小さく頷いた。

「リコリス」
「なに?」
「うれしい話だけど、遠慮しておくよ」
「え? なんでよ。ここにあるお宝、けっこうなレアものよ? 全部売れば一生遊んで暮らせるし、二人は冒険者なんでしょ? 冒険に役立つものもたくさんあるわよ」
「でも、リコリスと友達が一緒に集めたものなんだよね?」
「あ……」
「二人の思い出を持ち出すようなこと、できないよ」
「……バカなんだから」

 そんなことを言いながらも、リコリスはどこかうれしそうにしていた。
 鈍いと言われることのある僕だけど……
 なんとなく、彼女の性格を掴むことができた。

 素直じゃないけど……
 でも、とても優しい妖精なのだろう。

 そんなリコリスと、これからも一緒にいたいと思う。
 そう思った僕は、気がつけば口を開いていた。

「ねえ、リコリスはこれからどうするの?」
「んー、どうしようかしら? ここにあるお宝を使って、今度こそ、侵入不可能な結界を展開してお墓を守って……その後は、適当に旅でもしようかしら? あたし、ずっとこのダンジョンにいたから、そろそろ外が恋しいのよね」
「なら、僕達と一緒に行かない?」
「は?」

 リコリスの目が丸くなる。
 それから、体全体を傾けて、全身で疑問をアピールしてみせる。

「どういうこと?」
「いや、そのままの意味だけど」
「あたしが、フェイトとソフィアの仲間になる、っていうこと」
「うんうん、そういうこと」
「……はぁ?」

 ものすごく呆れた顔をされてしまう。
 言葉にしないものの、あんたバカ? と言われているかのようだ。

「あんたバカ?」

 あ、言われてしまった。

「妖精が人間の仲間になるなんて、聞いたことないわ。ありえないでしょ。そもそも、あたし達妖精は、人間のせいで数が減ったのよ? そんな人間の仲間になんて、なると思うの?」
「うーん……そう言われてみると、そうかも」
「考えてなかったわけ……?」
「思いつきみたいなものなんだ。リコリスと一緒なら、きっと楽しい旅ができるだろうな、っていう。それと……」
「それと?」
「一人よりは二人。二人より三人。旅は、たくさんいた方が楽しいと思うんだ。一人は……寂しいよ」
「……」

 リコリスは再び目を丸くして……

「あはははははっ!!!」

 大爆笑。

「オッケー、オッケー! うんうん、いいわ。フェイトってば、最高なんだけど。こんなおもしろい人間、初めてかも」
「フェイトですからね」

 なぜか、ソフィアが誇らしげになる。
 そんなソフィアにリコリスの視線が移動した。

「ソフィアは、あたしが一緒でいいの?」
「はい。リコリスと一緒なら、とても楽しいと思います」
「ふーん……フェイトと二人きりじゃなくてもいいの?」
「それは、正直悩ましいですけど……ですが、リコリスなら歓迎ですよ」
「ふーん」

 ちょっと考える仕草を見せて……
 それから、リコリスはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

「それって、あたしが妖精だから安心してる、ってこと? フェイトをとられる心配はない、とか?」
「……そのようなことはありませんよ?」
「今の間はなにかしら? でも、まあ……」

 リコリスは、ふわりと飛んで、僕の隣に。
 そして、そっと顔を寄せてきて……

「んっ」

 頬にキスをしてしまう。

「えっ」
「なぁっ!!!?」
「くふふ」

 リコリスは悪人のような笑みを浮かべて、ソフィアは愕然とした。

「あたしも、これくらいのことはできるんだけどねー?」
「……フェイト。そこの悪い虫を切り捨てようと思うので、少し離れてください」
「あはははっ、余裕がぜんぜんないじゃない。そんなんで、あたしが一緒にいても平気なのかしら?」
「やっぱり、リコリスは一緒に来てはいけません。反対です!」
「だーめ。もう遅いんだから。すごく楽しそうだから、あたしも一緒してあげる」
「フェイト! リコリスをここに封印して、立ち去りましょう!」
「ふふっ。これからよろしくね、フェイト。ソフィア♪」

 にっこりと笑うリコリス。
 ひとまず……
 これから騒がしい日常を迎えることになりそうだ、と苦笑する僕だった。
 街に戻った頃には、すっかり日が沈んでいた。
 そのまま宿へ。

 そして、翌日。
 俺達はギルドを訪ねた。

「すみません」
「あ、スティアートさん。それに、アスカルトさんと……よ、妖精?」

 ふわふわと飛ぶリコリスを見て、受付嬢の目が丸くなる。

 希少種と呼ばれていて、なおかつ人間嫌いの妖精が一緒にいることに驚いているのだろう。
 受付嬢だけじゃない。
 たまたまギルドを訪れていた他の冒険者達も、物珍しそうな視線をこちらに送ってきていた。

 ただ、物珍しそうに見るだけで、リコリスを捕まえて一攫千金を企む者なんていない。
 人によって妖精狩りが行われたものの……
 その後、狩りに参加した人のほとんどが謎の死を遂げたのだ。
 しかも、むごたらしく長い間苦しむという方法で。

 真実かどうかわからないが、妖精の呪いと言われている。
 以来、妖精を狩る人はほとんどいなくなり、絶滅手前で安全が確保された、というわけだ。

 とはいえ、呪いなんてウソっぱちだ、と気にしない人がリコリスを狙わないとも限らない。
 何事もないように、街中などでは、常に気を配らないと。

「どうして、妖精が一緒に……?」
「友達になったんだ」
「な、なるほど……?」
「それよりも、馬車の手配をしてほしいんだけど」

 ギルドでは依頼を斡旋するだけじゃなくて、馬車の手配なども行ってくれる。
 自分で手配してもいいのだけど、伝手のあるギルドの方が色々と効率的なのだ。

「馬車ですか? どちらまで?」
「ちょっと遠いんだけど、リーフランドまで」

 リーフランドというのは、大陸の南端にある港町だ。
 交易と漁業で栄えていて、とても活気のある街……らしい。

 シグルド達の奴隷にされてから、色々な街を見て回ったのだけど、リーフランドに行ったことはまだない。

 どうして、リーフランドに向かうのか?
 それは、リーフランドがソフィアの第二の故郷だからだ。

 親の仕事の都合で、ソフィアは幼い頃、リーフランドに移住した。
 依頼、そこで長い時を過ごして……
 そして、冒険者になり旅に出て、今に至る。

 ソフィアは僕のことを両親に紹介したいらしく、ぜひ、と言われた。
 僕としても、久しぶりにおじさんとおばさんに会いたいので、二つ返事で了承した。
 リーフランドを訪ねた後は、僕の故郷を案内したい。
 ソフィアの第一の故郷でもあるから、きっと懐かしいと思ってくれるだろう。

「えっ、スティアートさんとアスカルトさん、街を出ていってしまうんですか?」
「はい、そうですが?」

 ソフィアがにっこりと笑いつつ、しかし、冷たく応える。
 この街のギルドでは、色々なことが起きたから、良い印象は抱いていないのだろう。
 たぶん、内心ではざまあみろ、と思っているに違いない。

 ただ、命令に逆らえない受付嬢に罪はないから、あまり意地悪はしないであげないでほしいのだけど。

「そうですか、残念ですね……はい、わかりました。では、馬車の手配をしておきますが、どの程度のランクの馬車を希望しますか?」
「長旅になると思うから、高いランクのものですね。それなりに高くなっても構いません」
「わかりました。では、二つか三つ、ピックアップしておきますね。長距離の馬車となると、手配に少々時間がかかるため、数日ほど待っていただければ」
「構いませんよ」
「では、三日後くらいに来てもらえれば。あっ……それと、今、時間はありますか?」

 なにか思い出した様子で、受付嬢がそんなことを尋ねてきた。

「時間はあるけど……」

 何事だろうと、ソフィアと顔を見合わせる。
 そんな僕達に、受付嬢は恐る恐る言う。

「えっと、ですね……つい先日、新しいギルドマスターが着任されまして、それでお二人に挨拶がしたい……と」
「さあ、行きましょう、フェイト。私達に余分な時間なんてありませんよ」
「あああああっ、待って、待ってください! 以前のことなら、いくらでも謝罪いたしますぅ! でもでも、私も上からの圧力で動けなくて、あ、いえ、とにかくすみません!!!」

 哀れみを誘うほどに、受付嬢が全力で引き止めてきた。

「ソフィア、話を聞くくらいなら……」
「甘い、粉砂糖と練乳とはちみつをかけたパンケーキくらい甘いですよ。冒険者を相手にする受付嬢は、並大抵の心では務まりません。この哀れみを誘う言動は全て演技。私達を引き止めるためなら、なんでもやるのですよ」
「そう、なのかな……?」

 だとしたら、相当なものだと思うけど……
 ただ、本気の部分もいくらか混じっているような気がした。

「でも、あと数日はこの街に滞在することになるし、戻ってこないとも限らないし、ギルドマスターに面会できるのなら面会しておいた方がいいんじゃないかな? 知っているのと知らないのとでは、対処方法も違ってくるだろうし」
「それは……まあ、確かにその通りですね。わかりました、話を聞きましょう」
「ありがとうございます、ありがとうございます!」

 ひたすらに感謝する受付嬢に案内されて、客間へ移動する。
 紅茶を飲みつつ、待つこと五分ほど。

「おまたせ、またせちゃったかな?」

 姿を見せたのは、メガネをかけた飄々とした男だ。
 前ギルドマスターが戦士とするのならば、この男は文官という感じ。
 剣よりも本を持つのが似合うだろう。

「僕が、この街の新しいギルドマスターのクリフ・ハーゲンだよ。よろしくね」
「えっと……はい、よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」

 ギルドマスターらしくないなあ、と意表を突かれる僕。
 対するソフィアは警戒しているらしく、ピリピリとした雰囲気だ。
 相手の言動に惑わされることのないソフィアは、すごく頼りになる。

「それで、挨拶がしたいということでしたが……私達になにか話でも? 私達の方からは、なにもありませんが」

 つまらない話なら覚悟してください、というような感じで、ソフィアは、半ばクリフを睨みつけていた。
 ちょっと怖い。
 剣聖だから、圧もすごいんだよね。

 でも、そんなソフィアの勢いに飲まれることなく、クリフは飄々とした態度を崩すことはない。

「まあまあ、そんなに警戒しないで。あ、ドーナツ買ってきたんだけど食べる? この街一番のドーナツで、すごくおいしいよ?」
「けっこうです」
「僕はもらおうかな?」
「えっ、フェイト!」
「食べ物に罪はないし、それに、確かにおいしそうだよ?」
「それはそうですが、もしかしたら毒が仕込まれているかもしれません」
「大丈夫。奴隷時代に毒に等しいものをたくさん口にしてきたから、ある程度の耐性はあるよ」
「それ、誇るところですか……?」

 ソフィアは呆れたように吐息をこぼして……
 それから、やれやれとドーナツに手を伸ばす。

「なにか入っていたら、承知しませんからね?」
「そんなことはないよ。約束する。これは、二人をもてなすために自腹で買ってきたものなんだ。まあ、自腹といっても、そんな大した金額じゃないんだけどね」
「……いただきます」

 飄々とした態度のクリフと、凛としているソフィア。
 この二人、水と油みたいだなあ。

「それで、話というのはなんですか?」
「謝罪と依頼、この二つだよ」
「まずは……ごめんなさい」

 ギルドマスターは席を立ち、その場で腰を深く折り曲げて、頭を下げる。
 突然の行動に、僕とソフィアは目を丸くした。

「前任者がとんでもないことをしていたみたいで、同じギルドの関係者として、深く謝罪するよ。すみませんでした」
「えっと……」
「特定の冒険者を贔屓するだけじゃなくて、スティアートくんに対する不当な扱いや、その他、諸々の犯罪……とても許されることじゃない。改めて、謝罪をさせてください」

 ストレートに謝罪をされるとは思っていなかったらしく、ソフィアが戸惑うような顔に。

 僕も驚いていた。
 ギルドって、けっこう面子を重視するところがある。
 荒くれ者が多い冒険者をまとめなければいけないから、舐められたら終わり、みたいな考えがあったりする。

 なので、面子が潰れるようなことは、できる限り避ける傾向にあるのだけど……
 でも、クリフは素直に頭を下げた。
 なかなかできることじゃないと思う。

「もちろん、言葉だけの謝罪で納得できないと思うからね。色々と補填をさせてもらうつもりだよ。例えば、馬車を手配したみたいだけど、半分はギルドで負担させてもらうよ」
「いいんですか?」
「もちろん。金で謝罪が成立するとは思っていないけど、ただ、それでも誠意は示さないといけないからね。できる限りのことはしていくつもりだよ。二人からなにか要求があるのなら、できる限り応えていきたいと思う」
「では、シグルドの仲間達を死刑にしてくれませんか?」
「ちょ」

 いきなりの要求に、思わず僕が慌ててしまう。
 ただ、クリフはこうなることを予想していたのか、落ち着いている。

「うーん、ごめん。それは難しいかも。冒険者達は、すでに裁判にかけられて刑が確定しているからね。それを覆すのは難しいかな」
「シグルドは死刑ですが、確か、残りは強制労働奴隷でしたよね?」
「うん。でも、強制労働奴隷なんて長生きしないし苦しいだけだから、ある意味で、死刑よりも辛いかな。だから、それで満足してくれないかな?」
「まあ……いいでしょう」
「ごめんね、いきなり要求に応えられなくて。でも、できる限りの謝罪はしたいと思っているのは本当のこと。だから、いつでもなんでも言ってほしい」

 ちょんちょん、と隣に座るソフィアを肘で軽く突いて、小声で尋ねる。

「……いい人かな?」
「……まだ断定はできませんが、少しは評価してもいいかもしれませんね」

 クリフがウソをついているようには見えないし、演技というわけでもなさそう。
 これで心に黒い感情を秘めているとしたら、相当な役者だ。

 ソフィアが言うように、信頼を寄せることは危険なのかもしれないけど……
 ひとまず、多少は信じてもよさそうだ。

「謝罪については、ひとまず了解。なにかあれば、ギルドマスターを頼りにさせてもらうね」
「クリフでいいよ」
「うん、クリフ。それで……依頼っていうのは?」
「実は、ちょっと困ったことが起きているんだ」
「どんなこと?」
「いやー、実は、スタンピードが発生しそうなんだよね」
「「ごほっ」」

 気楽に言うクリフだけど、とんでもなく重要なことを口にしているわけで……
 僕とソフィアは、思わずむせてしまう。

「スタンピードって……なにかの要因で魔物が大量発生して、一気に押し寄せてくるヤツだよね?」
「ええ……もしも本当ならば、街一つ、簡単に滅びますね。そのように呑気にしている場合ではないと思うのですが」
「でもさ、慌てても仕方ないでしょ? それよりも、落ち着いて対策を考えた方がいいと思うんだよね」
「それはそうだけど……」
「落ち着きすぎでは……?」

 この人、小物なのか大物なのか、とても判断に困る。
 あるいは、とんでもないバカなのか。

 うーん。
 新しいギルドマスターは、どうにもわからない人だ。

「今、ありったけの冒険者を集めているところなんだ。もちろん、憲兵隊とも連携をとっているよ。そんなわけで、できればでいいんだけど、二人にも協力してくれたらなあ……っていう話なんだよね」
「ただの協力要請なのですか? ギルドマスターならば、強制すればいいのでは?」
「スタンピードの対処なんて、下手すれば死んじゃうからねー。さすがに、そこまで強制はできないよ」
「ふむ?」

 クリフの真偽を見定めるかのように、ソフィアがじっと見つめた。
 かなり鋭い視線で、ウソをついていたり悪いことを考えていたら、冷や汗を流してしまいそうなものだけど……
 クリフは変わらず、のほほんとしたままだ。

 本当によくわからない人だ。

「私達が断れば?」
「困っちゃうかな。アスカルトさんの力はすごく頼りにしているから、作戦が大幅に狂っちゃいそう」
「私は、フェイトを危険な目に遭わせることには反対なのですが……」

 ソフィアがちらりとこちらを見た。
 判断は任せます、という感じだ。

「やるよ」

 この際、クリフがなにか企んでいるかも? という懸念は無視する。

 スタンピードが現実のもので……
 この街に被害が出ようとしているのなら、それを放っておくことはできない。

 ここは故郷というわけじゃないし、特に思い入れがあるわけでもない。
 それでも、見捨てることはできない。
 できることがあるのなら、やれるだけのことをやりたい。

「冒険者は人のためになることが義務というか使命というか、その在り方だと思うから」
「なら、私も参加しますね」
「うん。二人でがんばろうね」

 スタンピードなんて経験したことがないし、冒険者初心者にしては無茶苦茶な難易度だと思うけど……
 でも、ソフィアが一緒なら、なんでもできるような気がした。

「いやー、よかったよかった。もしも断られたら、どうしようかと思っていたよ」
「……その時は、フェイトを人質にして、私に言うことを無理矢理聞かせていましたか?」
「まさか、そんなことはしないって。っていうか、そんな発想が出てくるっていうことは、前任者はけっこう無茶苦茶なことを?」
「けっこう、どころではありませんよ」

 前任者が退陣させられて、それから少し後に聞いたのだけど……
 シグルド達をいいように使い、自分を正義と信じて疑わず、手段を選ばない。
 なかなか無茶をやっていたらしい。

 そんな前任者に強い敵意を持っているらしく、ソフィアの声は尖ったものだ。

「あー……これは、僕とキミ達との間に情報の差があるかな? 一通りのことは全部教えてくれ、って言ったんだけど……まったく、ギルドの隠蔽体質にも困ったものだね」
「っ」

 瞬間、わずかにではあるものの、クリフから怒気がこぼれた。
 思わず緊張してしまうほど鋭いもので……
 この人、見た目通りのヘラヘラした人じゃないのかもしれない。

「ごめんね、スティアートくん。アスカルトさん。前任者については、改めて話をした方がよさそうだ。情けない話だけど情報が揃っていないみたいで……さっき話した賠償じゃあ、たぶん、ぜんぜん足りないよね。僕としては本当に申しわけないと思っていて、できれば、謝罪の機会を与えてほしい。だから、今度、改めて話をしたいんだけど、どうかな?」
「えっと……うん。それは別にいいけど」
「よかった、ありがとう。スティアートくんは優しいね。って、その優しさに付け入るような真似をしちゃダメか。うん、大丈夫。謝罪と賠償はしっかりとさせてもらうから。あと、今後、こんなことは起こさせないと誓うよ」

 そう言うクリフは、ちょっとした迫力があった。
 もしかして、この人、ギルドではけっこう偉いのだろうか?

「話が逸れているよ?」
「あ、すまないね。でも、こっちの話も大事だったから。えっと……それじゃあ話を戻すけど、スタンピードについての話だ。改めて確認になるけど、スティアートくんもアスカルトさんも、参加してくれるってことでいいのかな?」
「うん」
「はい」
「よかった、助かるよ。これでなんとかなりそうだ」

 僕はともかく、剣聖であるソフィアのことはとても頼りにしていたのだろう。
 安心した様子で、クリフは小さな笑みを浮かべる。

 僕も頼りにされるように、がんばらないといけないな。

「ところで、魔物の襲来はいつ頃なんですか?」
「あ、そうそう。大事なところを言い忘れるところだった。魔物の襲来は、明日かな」
「「明日っ!?」」
 スタンピードの予兆を見つけることは、そんなに難しいことじゃない。
 ありえないほどの数の魔物が集まり、巨大な群れを成す。
 そのようなものを、普通なら見逃すはずがない。

 ただ、例外はある。

 例えば、ダンジョンの内部。
 例えば、人が赴かない奥地。

 そんな場所で魔物が群れを成した場合、どうしても発見が遅れてしまう。
 今回もそんなケースだったらしく、発見した時は、すでに相当数の魔物が群れを成していて……
 弾ける寸前。
 スタンピード発生まで、数日に迫っていたという。

 それから、慌てて準備をして……
 残り一日というところで、僕達に声がかかったらしい。

「人間って、けっこうめんどくさいのね」

 夜。
 迎撃準備に避難準備。
 街中がてんやわんやの状態の中、リコリスはマイペースにそんなことを言う。

「魔物が迫っているなら、逃げればいいじゃない。なんで、そうしないわけ?」
「簡単に街を捨てることはできないからね。うまく逃げられたとしても、生活の基盤になる街がないと、やっぱり死んじゃうよ」
「ふーん、やっぱり人間って面倒なのね。あたしのような妖精なら、街なんてなくても、どこででも生きていけるわよ」

 妖精の生態って、どうなっているんだろう?
 ふと興味を覚えるのだけど……でも、今はそんなことを話している場合じゃないか。

「むう」

 明日、いきなり決戦。
 活力をつけるために、宿でたくさんの食事を食べているのだけど、ソフィアの表情は優れない。

「どうしたの?」
「いえ……作戦を聞いて、やはり不安になってしまいまして」
「二面作戦か」

 スタンピードは、有象無象の魔物の群れと、連中の中心となる女王が存在する。
 魔物の群れを倒すだけでは、スタンピードを制圧することはできない。
 女王を討伐して、ようやく制圧することができる。

 その女王を討伐する役目を与えられたのは……

「まさか、フェイトが女王討伐の任に選ばれてしまうなんて」

 そう、僕だったりする。

 女王は他の魔物を従えているため、相応の力を持つ。
 剣聖であるソフィアが相手をするのが適任なのだけど……
 ただ、今回は準備時間が圧倒的に足りないということで、人が少ない。

 女王を倒すことができても、それまでの間に街が蹂躙されては意味がない。
 ソフィアは防衛のため、その他の魔物を担当することに。

 そして僕は、ソフィアに剣を教えられていることと、シグルドを倒した功績を認められて、女王の討伐を任された。

「スタンピードの核となる女王は、他の魔物よりも強力……ですが、津波のように押し寄せてくる魔物の群れの相手も危険で……うぅ、私はどうすれば?」

 ソフィアがものすごく悩ましい顔をしていた。
 僕のことを心配してくれているのだろう。

 正直なところ、僕に女王の相手が務まるかわからない。
 他に適任者がいそうな気がするのだけど……

 でも、今は弱気は封印。
 後ろ向きな発言をしたら、ソフィアに余計な心配をかけてしまう。

「大丈夫だよ」
「フェイト?」
「僕は、ちゃんと女王を倒してみせる」
「ですが、女王はとても危険で……」
「それでも大丈夫。だって、ソフィアに剣を教えてもらったし、それに、リコリスからもらった雪水晶の剣がある。これは、ソフィアとリコリスの絆のようなものだから……僕は負けないよ」
「……そうですね。フェイトなら、きっと大丈夫ですね」
「そーそー、いざとなったら、あたしがなんとかしてあげる」
「ちょっと待ってください。もしかして、リコリスもついていくつもりですか?」
「そうだけど?」
「ダメですよ、そんなことは!」

 なぜか、ソフィアが猛反対する。

「本当は私が一緒に行きたいのに、ぐぐっと我慢して……それなのに、リコリスが一緒するなんてずるいです。反則です」
「反則って、あんた……」

 やれやれ、とリコリスが呆れてみせた。
 子供を諭すように言う。

「あんた、強いなら知ってるでしょ? あたしのような妖精は、戦闘能力は低いけど補助に長けているの。色々とサポートできるから、フェイトについていくのは当然じゃない」
「ぐぐぐ……し、しかし」

 ソフィアはとても悔しそうにして……
 ややあって、色々な感情を飲み込んだ様子で、吐息をこぼす。

「……フェイトのこと、しっかりとサポートしてくださいね?」
「ふふんっ、この完璧超絶可憐妖精リコリスちゃんに任せておきなさい! どんな相手だろうが、あたしがフェイトを勝たせてあげる。妖精の加護は伊達じゃないわ」
「うん、頼りにしているよ」
「まっかせなさーい!」

 得意そうに胸を叩いて……
 そして咳き込むリコリスを見て、僕とソフィアは本当に大丈夫なのかな? と、ちょっとだけ不安になるのだった。

 その後、明日に備えて早めに休むことに。
 宿に戻り、ベッドに横になる。

「……」

 ただ、眠気はやってこない。
 明日のことを考えると、どうしても緊張してしまい、すぐに眠ることはできなさそうだ。

 そんな時、扉がノックされた。

「はい?」
「私です」
「ソフィア?」

 扉を開けると、寝間着姿のソフィアが。
 ちょっと……色々な意味で見ることができない。

「ど、どうしたの?」
「その……一言だけ、伝えておきたいことがありまして」
「伝えておきたいこと?」
「はい。その、えっと……」

 ソフィアは意を決したような顔になり、ぎゅうっと、抱きついてきた。

「そ、ソフィア?」
「……」
「えっと、あの……」
「……うん」

 そっと、ソフィアが離れた。
 今のは……?

「その……お守り代わりといいますか、誘惑をしているといいますか、その……そんな感じです」
「え? どういうこと?」
「ですから、その……今、私に抱きしめられてうれしかったですか? どうですか? 正直に答えてください」
「それは……う、うん。うれしかったよ。すごくドキドキした」
「なら……また、してあげてもいいですよ?」
「え?」
「それどころか、その……もっと好きなことを、フェイトが好きにしていいですよ?」
「ええっ!?」
「でも、それはフェイトが女王を倒して、無事に帰ってきたらです。そのご褒美です。だから……」
「……うん。大丈夫。必ず帰ってくるよ」

 抱きしめる代わりに、そっと、ソフィアの手を握るのだった。
 翌日の早朝。
 陽が登ると同時に作戦が開始された。

 魔物であろうと、基本的に夜は寝る。
 ただ、スタンピードとなると、ほぼほぼ全ての魔物が興奮状態に陥り、日夜関係なく暴れ続ける。
 そのため、時間帯による奇襲は無意味だ。

 奇襲を考えることなく、こちらが万全の状態で戦える時間帯を選んだ。
 故に、早朝。
 太陽の光を背に戦い……
 長時間の戦闘になったとしても、問題がない。

「はっ、はっ、はっ……!」

 僕は森の中を駆けていた。

 今、街は大量の魔物が迫り、最大のピンチを迎えている。
 でも、心配はしていない。

 あそこにはソフィアがいる。
 最強無敵の剣聖がいる。
 彼女の守りを突破して、街に害を及ぼす魔物なんているわけがない。
 安心して任せることができる。

 だから……
 僕は、僕の役目をきちんと果たさないといけない。

「そこっ、右! それから五分くらいまっすぐ進んだ後、左へ!」
「了解!」

 肩に乗るリコリスのナビゲートで、森の中を進む。
 彼女によれば、この奥にスタンピードの元凶となる、女王がいるらしい。

 みんなが持ちこたえている間に、女王を倒す。
 絶対に失敗はできない。
 必ず成功させてみせる!

「最後よ、ここをまっすぐ、五百メートルくらい進んだところに女王の反応があるわ。他に魔物はいないと思うから、まっすぐに駆け抜けなさい」
「オッケー!」
「それと、あまり気負わないように」
「え?」
「あんた、めっちゃ気負って緊張してるじゃない。どうせ、失敗したらどうしようとか、そんなこと考えてるんでしょ?」
「それは……」
「やめやめ、そういう暗い考えはやめましょ。失敗しても、まいっか、ってくらい気楽にいかないと。じゃないと、とんでもないところでミスするわよ」
「……」

 なんていうか、目からウロコが落ちた気分だった。
 大役を任されたのだから、それ相応の責任感を持たないといけないと思っていたのだけど……

 でも、リコリスはそんなものはいらないという。
 それよりも、気負わずいけという。

「うん、ありがとう」
「ふふん、良い顔になったじゃない」

 リコリスのおかげで緊張がとれた。
 これなら、うまくやることができそうだ。

 残り三百メートル。
 僕はまっすぐな足取りで、一気に駆け抜けた。



――――――――――



 スタンピードの核となる魔物は女王と呼ばれているが、その魔物が産卵などをしているわけじゃない。

 魔力を含む鉱石を偶然口にした。
 過酷な生存競争を勝ち抜いた。
 他者の介入で力を得た。

 ……などなど。
 特別な要因により力を得た魔物のことを、女王という。 

 女王は他の魔物にはない、強烈な魔力と闘気をまとっていて……
 その力に惹かれてやってきた魔物を、圧倒的なカリスマで従える。

 魔物の頂点に立つ。
 故に、女王。

 調査班の報告によると、今回のスタンピードの核となった女王は、ラフレシアという魔物らしい。
 見たことはないけど、知識はある。
 植物タイプの魔物で、巨大な花に無数の蔦が生えているとか。

 その力は圧倒的。
 Sランクに分類される魔物で、毒を使いこなし、たくさんの冒険者が犠牲になってきたという。

「この辺りよ」

 リコリスの案内で、森の中にぽっかりと空いた広場に出た。
 魔物の姿は見えないけど……

「うん、間違いなくここにいるね」

 魔物が放つ瘴気が満ちていた。
 ちょっとでも気を抜けば気絶してしまいそうなほど濃厚な瘴気で、長く留まっていたら、病気にかかったり体調を崩してしまうかもしれない。

「どこにいるのかしら? 反応は、確かにここからするんだけど」
「うーん……隠れているのかな? 隙をうかがっているとか?」
「女王なのに、ずいぶん小心者なのね」
「女王だからこそ、慎重になっているのかも」

 女王は強いだけではなくて、賢い。
 自分が生き延びるために、囮を用意したり人質をとるなど、普通の魔物は絶対にとらないような行動を取る。
 今回も、なにかしら罠があるのかもしれない。

「……」

 自然と緊張感が増していく。
 ピリピリと空気が張りつめる。

 僕は雪水晶の剣を抜いて、いつでも動けるように構えた。

「リコリス、絶対に僕から離れないで」
「大丈夫よ。ちゃんと紐でくくりつけて、落ちないようにしているから」

 それは、大丈夫なのかな……?
 僕と魔物の間に挟まって、押しつぶされてしまうこともあると思うんだけど。

 でも、空を飛ぶ魔物もいるし、上空が安全地帯というわけじゃない。
 そのことを考えると、やっぱり、僕の傍が一番安全なのかな?

 ただ……

 危険を犯してでも僕についてきて、サポートしてくれたリコリスには感謝しかない。
 スタンピードを解決したら、なにかおいしいものをごちそうしよう。
 確か、妖精ははちみつが好きだったはず。
 こんな甘い匂いがするはちみちを探して……

「って、甘い匂い?」

 いつの間にか、濃厚な甘い匂いが周囲に漂っていた。
 突然のことに驚いて、最大限に警戒をする。

 すると……

「っ!?」

 ガァッ!!! と地面が爆発して、そこから巨大な魔物が姿を見せた。
 その魔物はラフレシアに似ているものの、しかし、違う魔物だった。
「げっ、なんであんなヤツがここに!?」

 とにかくも魔物から距離を取っていると、リコリスが盛大に顔を引きつらせた。

「知っているの? 僕は知らない魔物なんだけど……」
「ラフレシアの上位個体で、SSランクのゼフィランサスよ。全てにおいてラフレシア以上の力を持っているわ。いわゆる、希少種っていうヤツね」
「なるほど」

 ラフレシアに似ているものの……
 巨大な花から人型の体が生えている。
 目はないが、鼻と口がある。
 キィイイイとガラスが擦れるような鳴き声を発していて……
 髪の代わりに無数の蔦が生えていて、不気味にうごめいている。

 これが希少種。
 SSランクの魔物、ゼフィランサスか……

 圧がすごい。
 ソフィアほどじゃないけど、彼女に近い闘気を感じる。
 それだけの相手ということか。

「やばいって、マジでやばい……なんで、こんな災害みたいなヤツを相手にしないといけないわけ? ラフレシアじゃなかったの?」
「そんなにやばいの?」
「当たり前じゃない! Sランクが単体で街を滅ぼすのなら、SSランクは単体で小さな国を滅ぼす、って言われているの。それだけの戦闘力を持っているのよ!?」
「つまり……正真正銘の怪物、っていうなんだ」
「正直に言っていい?」
「なに?」
「勝ち目はゼロパーセントよ」
「……」
「あたし達はここで終わり。象にアリは立ち向かうことはできないの」
「……それでも」

 なにもしないで諦めたくない。

「正直、こんなヤツを相手にするなんて、思っていなかったんだけど……でも、やれるだけはやってみるよ」
「ちょっと、無茶言うんじゃないわよ。相手は、SSランクなのよ? 小さな国なら、たったの一体で滅ぼしてしまう力を持っていて、討伐には数百人単位の冒険者が必要、って言われているような相手よ? 敵うわけないじゃない!」
「でも、逃げられないんでしょ?」
「それは……」
「なら、あがくだけあがいておきたいな。倒すまではいかなくても、粘れば、ソフィアが駆けつけてくれるかもしれない」
「あ……そ、それもそうね。あの剣聖なら、ゼフィランサスも敵じゃないかも……よし! フェイト、がんばって時間を稼ぎなさい!」
「途端に元気になったね」
「カラ元気よ。ほんとは、めっちゃ怖いんですけど」

 リコリスは小さく震えていた。

「フェイトがやられたら、あたしもやられちゃうんだからね。がんばりなさいよ」
「大丈夫。リコリスが逃げるまでは、やられないでみせるから」
「……ちょっと、なによ。あんた、あたしを逃がすために犠牲になるつもり?」
「うーん……できれば、そんなことはしたくないんだけど」

 でも、相手はSSランク。
 僕にとって未知の領域だ。

 この前、フェンリルを倒すことができたけど……
 だけど、ゼフィランサスはさらにその上のランク。
 ランクが一つ上がるだけで、かなりのレベル差がある。

 勝つのは、たぶん難しい。
 時間を稼ぐつもりだけど、長く保つかどうか。
 それならば、今のうちにリコリスには安全なところに……

「バカにするんじゃないわよ」
「いててっ」

 頬をおもいきりつねられた。

 リコリスは小さいから、あまり力はないのだけど……
 ぐりぐりと回転するようにつねっていて、けっこう痛い。

「あたしは、フェイトの仲間。仲間を見捨てるようなことはしないわ」
「……リコリス……」
「想定外の格上が相手だろうと、死ぬかもしれなくても、一緒にいてあげる。っていうか、あたしのサポートがないと厳しいでしょ」
「それは、まあ……でも、いいの?」
「二度言わせるんじゃないわよ」
「……うん、ありがとう」

 この小さな友達は、なにがあっても絶対に守ろう。
 そう決意して、雪水晶の剣の柄を強く握りしめる。

「よし、いこうか!」



――――――――――



「フェイト、大丈夫でしょうか……?」

 迎撃準備を整える中、ソフィアは彼方の空を見た。

 フェイトは今、女王の元へ向かっている。
 彼は規格外の力を持っているため、ラフレシアが相手なら心配する必要はないのだけど……
 それでも、ソフィアは心配になってしまう。

 怪我をしていないだろうか?
 毒を受けていないだろうか?

 問題ないとわかっていても、それでも心配をしてしまう。
 それが乙女心というものだ。

「危なくなった時は、すぐに撤退するようにと言っておきましたが……フェイトのことだから、無理をするかもしれませんね」

 気になる。
 心配だ。

 とはいえ、すでに行動を開始した以上、どうすることもできない。
 今はフェイトを信じて、自分の役割をしっかりと果たすこと。
 それもまた、良い女というものだ。

「やあやあ、調子はどうだい?」

 クリフが声をかけてきた。
 決戦の前だというのに、いつもと調子が変わらない。

 ギルドマスターともなれば、常に心に余裕を持っているのだろうか?
 あるいは、ただ単に能天気なだけで、大したことはないのか?

 ソフィアは、ひとまず後者だと考えることにした。
 前任者のせいで、基本的に、彼女はギルドマスターを……ギルドというものを信じていない。

「なにも問題はありませんよ。万全の状態で、魔物を迎え撃つことができます」
「なるほど。さすが、その歳で剣聖の域に達するだけのことはあるね。頼もしいよ」
「ギルドが頼りになりませんからね。自然と、力を身につけることになりましたから」
「あー……それについては、ホントに申しわけない。僕もなんとかしたいと思っているんだけど、こう、なかなかうまくいかなくてねぇ。やっぱり、急な改革はどこかで歪みを生むのだけど、でも、時に大胆な改革も……って、ごめんごめん。よくわからない話になったね」
「はぁ……」

 よくわからない男ではあるが、もしかしたら、悪人ではないのかもしれない。
 ソフィアはそう判断して、少しだけ警戒度を下げた。

「それで、なんの用ですか? ただ単に、様子を見に来ただけではないのでしょう?」
「鋭いね。実は、頼みたいことがあるんだ。他の冒険者達を激励してくれないかな?」
「激励ですか?」
「ベテラン勢がちょっと少なくてね。スタンピードを経験したことのない者が大半なんだ。残念ながら、腰が引けている者が多い。そんな彼らに……」
「剣聖である私が激を入れてほしい、と?」
「そういうこと。頼めるかな?」
「はぁ……仕方ありませんね」

 見世物扱いは勘弁ではあるが、しかし、上に立つ者がやるべきことをソフィアは理解している。
 時に導いて、先頭に立たなければいけない。

 ぶっちゃけてしまうと、ソフィアはフェイト以外のことはどうでもいいが……
 それでも、同じ冒険者である仲間を見捨てるほど冷たくはない。

「みなさん、聞いてください」

 ソフィアは集まった冒険者達の前に移動して、呼びかける。
 特に大きな声ではないのだけど、凛として透き通るような音色に、誰もが話を止めて彼女の方を見た。

「これから私達は、数え切れないほどの魔物を相手にします。その数は、おおよそ五千。ここに集まった冒険者、憲兵は全部で二百人ほどですから、一人で二十五匹の魔物を斬る計算になりますね」
「……」

 静かに言うソフィアではあるが、その絶望的な数字に、冒険者、憲兵達は顔を曇らせた。
 たった一人で二十五の魔物を斬るなんてこと、普通はできない。
 ベテランであったとしても、数の暴力に対抗することは難しい。
 それに疲労も蓄積するだろうし、魔物の血で剣の切れ味も鈍る。

 これから立ち向かわなくてはいけない絶望的な状況を思い知らされて、誰もが言葉をなくす。

 しかし、それに構うことなく、ソフィアは話を続ける。

「こう思いませんか? なんて、簡単な仕事なのだろう……と」
「なっ……」

 それは暴論だ。
 剣聖であるソフィアならば、確かに簡単な仕事だろう。
 しかし、自分を平均に語られても困る。

 他者をまったく顧みていない発言に、冒険者や憲兵は反発を募らせるが……
 ソフィアの次の言葉で、それは一瞬で消える。

「私達が二十五匹の魔物を斬るだけで、大事な人を守ることができるのです」
「あ……」
「家族。あるいは、仲間。あるいは、友達。あるいは、恋人。この街に住む人……家、動物、自然……それらを守ることができるのです」
「……」
「たった二十五匹の魔物を斬るだけ。それだけでいいのです。実に簡単なことだと思いませんか?」

 ソフィアは皆の前で剣を抜いて、掲げてみせた。

「私の剣は、金も名声も地位も欲してしません。必要なのは、大事な人のみ。この手で、それを守りたいと思います。みなさんはどうですか? なんのために戦うのか、スタンピードという災害に立ち向かうのか、今一度、考えてみてください」
「……」
「そして、戦う理由を再認識したのならば、剣を取りましょう。この街を蹂躙しようとする魔物の群れに、私達がここにいるぞ、と教えてやりましょう。敵は暴力しか知らない獣。心を知る私達が負ける道理はありません。さあ……」

 強く、強く叫ぶ。

「私と一緒に、魔物を蹴散らしましょう!!!」
「「「おぉおおおおおおおぉっ!!!!!」」」

 冒険者と憲兵達の勇ましい声が響き渡る。
 戦意は最高潮に達して、誰一人、怯える者はいなくなった。

 そんな彼らを見て、ソフィアは安心した。
 これなら十の力を発揮することができて、思う存分に戦うことができるだろう。
 スタンピードを乗り越えることができる。

 ……この時は、そう思っていた。
 他の冒険者、憲兵達と一緒に、ソフィアは街の門で待機していた。
 いつでも出撃できるように、すでに準備は終えた。

 後は、偵察隊の報告を待ち……
 出撃の合図を受けるだけだ。

「やあ、見事な激だったよ」
「なにか用ですか?」

 クリフが声をかけるのだけど、ソフィアは一瞥しただけですぐに視線を逸らしてしまう。

 率直に言うと、ソフィアはクリフを嫌っていた。
 愚かな真似を積み重ねてきた前ギルドマスター、アイゼンの後任だ。

 今のところ、クリフが腐っているという証拠はないが、しかし、それで簡単に心を許すことはできない。
 隠れて裏でなにかしているかもしれないし……
 あるいは、これからやらかすかもしれない。

 信頼できる人物であると判断するには、まだまだ色々と情報と材料が足りないのだ。

「うーん、嫌われたものだねえ」
「自覚しているのなら、遠くへ行ってくれませんか?」
「まあまあ、そうつれないことを言わないで。一緒にいれば、僕の良いところも見えてくるかもしれないでしょう?」
「あなたのメンタルは鉄ですか? 普通、ここまで冷たく言われれば引き下がるのですが」
「図々しいヤツ、とはよく言われるかな? あははっ」

 クリフが楽しそうに笑う。
 そんな様子に、ソフィアはさらにイラッとするものの、今は我慢した。

「それで、なにか用ですか?」
「アスカルトさんの出撃なんだけど、僕が合図するまで待ってくれないかな?」
「どうしてですか?」
「うーん……ちょっと気になることがあってね」
「気になること?」
「ごめん、詳しくは言えないんだ。ただの杞憂かもしれないから、まあ、周囲に不安や動揺を与えたくなくて」
「よくわかりませんね……まあ、構いませんよ。どちらにしても、偵察隊が戻ってこないと出撃できませんし。そこからさらに遅れたとしても、特に問題はありません。ですが……」

 ソフィアがギロリとクリフを睨みつける。

「もしも、あなたがつまらないことを考えていて、その結果、フェイトが傷ついたとしたら……覚悟してくださいね?」
「わかっているよ。まずい事態になったら、きちんと責任は取るし、スティアートさんの怒りも全て受け止めるよ」
「へぇ」

 即答するクリフに、ソフィアはわずかながら感心した。

 今の警告、実は殺気を込めていた。
 並の者ならば震え上がり、なにも答えることはできないだろう。
 力ある者だとしても、アイゼンのようによからぬことを企んでいれば、言葉に詰まるだろう。

 しかし、クリフはそれがない。
 自分にやましいことはないと言うかのように、堂々とした態度だ。

 本当にやましいことがないのか。
 あるいは、ソフィアの軽い脅しが効かないほどに肝が座っているのか。

 どちらにしても、なかなかできることではない。
 ソフィアは、少しだけクリフの評価を上方修正した。

「それで、あなたの言う懸念とはなんですか?」
「言ったでしょ? それは杞憂の可能性もあるから……」
「私一人に、こっそりと話す分には問題ないでしょう? そこまで言っておいて、黙っていられる方が迷惑です。それに、小さな可能性だとしても、事前に知るのと知らないのとでは、初動に差が出てきます。なので、私にだけ教えてください」
「気の所為か、命令に聞こえるんだけど……」
「もちろん、命令です。あなたはギルドマスターかもしれませんが、世間では、剣聖の方が立場は上なのですよ」
「やれやれ、敵わないなあ。実は……」

 クリフは苦笑しつつ、周囲に聞こえないように、小さな声で懸念していることを話そうとするが……
 それを遮るように、大きな声が響く。

「ぎ、ギルドマスター!!!」
「うん?」

 とある冒険者が慌てた様子で駆けてきた。
 偵察隊の一人だ。

「やあ、おつかれ。いつの間に戻ってきたんだい?」
「た、たたた、大変です! こんな、こんなことが起きてしまうなんて……あぁ、俺達は、これからどうすれば……」
「ふむ?」

 ひどく慌てた様子の冒険者を見て、クリフが険しい顔になる。

 今は話の続きをする間はない。
 ひとまず、ソフィアは黙り、成り行きを見守ることにした。

「落ち着いて。なにか大変なことが起きて、それを僕に報告しに来たんだろう? なら、しっかりと伝えてくれないと困るな。ほらほら、深呼吸」
「は、はい……」

 冒険者は言われるままに深呼吸をして……
 しかし、落ち着くことはできなかった様子で、あたふたしつつ言う。

「て、偵察完了しました!」
「うんうん。それで、どうだったんだい?」
「そ、それが……魔物の群れは、五千ではありません!」
「へぇ……なら、三千くらいとか?」
「い、いえ。正確な数はわかりませんが、しかし、五千を大きく超えていることは確実でして……一万、二万……いえ。下手をしたら、十倍の五万に届くのではないかと」
「……なるほど」

 クリフは落ち着いているが、

「ご、五万だって!? そんな、まさか……ウソだろ?」
「おいおい、そんな数、どうしようもないだろ……マジなのか?」
「なにかの見間違いとかじゃないのか? いや、でも、さすがに万単位で間違えるわけないか……ってことは、五千以上なのは確実?」

 五万という数を聞いて、周囲の冒険者、憲兵達はひどく動揺した。

 当たり前だ。
 敵の数がいきなり十倍に膨れ上がるなんてことがあれば、絶望しかない。
 二倍なら、まだなんとかなっただろう。
 三倍でも、多くの犠牲を覚悟すれば、街を守ることは可能だったかもしれない。

 しかし、十倍は無理だ。
 どれだけの力を持っていたとしても、敵うはずがない。
 圧倒的な数の暴力になぶられるだけであり、待ち受ける運命は死一択。
 街も蹂躙されて、全てを失うことになるだろう。

 とてもじゃないけれど、落ち着いていることはできない。

「五万ですか」

 ただ、ソフィアは落ち着いていた。
 特に動じた様子はなく、静かに話を聞いている。

「敵の速度は?」
「会敵予想時間は、さ、さほど変更はありません。今から、約一時間後に、魔物の群れは街に到達すると思われます」
「ふむ」

 冒険者、憲兵達にすがるような目を向けられて、クリフは考えた。
 この絶望的な状況を、どうにかしてひっくり返す方法はあるか?

 答えは……ある。

「キミ達は、一万なら相手できるかな?」
「は?」

 クリフに唐突に問いかけられて、偵察隊の一員が目を丸くした。

「僕とアスカルトさん抜きで、一万を相手にできる?」
「え? いや、その……」
「大事な質問なんだ。動揺するな、っていうのが難しいことはわかるけど、きちんと考えた上で答えてくれないかな?」
「それは……そう、ですね」

 じっくりと考えて……
 やや自信がなさそうではあるが、静かに答える。

「通常の倍以上の時間をかけて、遅滞戦闘に徹すれば、なんとか対処は可能かと」
「ふむふむ、良い答えだ。なら、キミたちには一万を任せようかな」
「あ、あの、ギルドマスター? それでも、残り四万が……」
「大丈夫、大丈夫。そっちは、僕とアスカルトさんでなんとかするから」

 あっけらかんと、クリフはそう言い放つのだった。
 冒険者と憲兵達は街の門に陣地を構築して、徹底防御の構えをとる。

 そして、一方……
 ソフィアとクリフは、街から少し歩いたところにある広場に移動していた。
 偵察隊の報告が正しいのならば、あと三十分後に魔物の群れが津波のごとく押し寄せてくる。

 すでに、その兆候は見えていた。
 地平線の彼方に目をやると、空が見えない。
 代わりに黒いナニカが広がっていた。

 土煙を立てながら、こちらにゆっくりと向かっている。
 視界をびっしりと埋め尽くすほどの数の魔物だ。

 大災害。
 天才。
 世界の終わり。

 そんな言葉を連想するにふさわしい光景だ。

 常人ならば、恐怖に震えて、頭の中はまっしろになっていただろう。
 だがしかし、ソフィアとクリフは平然としていた。

 ありえないほどの数の魔物が見えていない様子で……
 いや。
 まるで気にかけていない。
 それだどうしたの? という感じだ。

「それで……私が三万、あなたが一万という配分ですか?」
「そうだね。そうしてもらえると、助かるかな」
「少し比率がおかしくありませんか? 普通、逆の配分では? 逆でなかったとしても、二万二万にすることが公平だと思うのですが」
「いやぁ、できれば僕もそうしたいんだけどね。僕の戦い方の仕様上、大軍をまとめて薙ぎ払うのには向いていないんだよね」
「……そういえば、あなたはどのような武器を?」
「僕の武器はこれさ」

 クリフは、やや大きいサイズの本を見せた。
 見る者が見ればわかる、圧倒的な魔力が込められている。

「おいで」

 クリフがそう言うと、その隣の地面が歪み……
 そこから巨大な狼が姿を見せた。
 黒い毛並みを持つ狼は、体長を三メートルは超えている。

「これは……珍しいですね。魔物召喚士ですか」
「正解。というか、知っていたんだ」
「詳しくは知りませんが、魔物を使役することができる、特殊な訓練を積んだ人だという程度の情報は」
「だいたい、それで正解だよ。今までに屈服させた魔物を使役することができる。この子は、僕が最初に使役した魔物でね。愛着もあるし、長い間、戦ってきてもらっているから、それなりに強いよ」
「どれくらいの数を使役しているのですか?」
「百以上かな」
「……それらを全部戦わせれば、あなた一人でなんとかなるのでは?」
「いやー、無理。さすがにそれは無理。けっこう強い魔物も使役しているんだけど、それでも、数の暴力の前にはやられちゃうくらいだからね。僕にできることは、壁を作り、できるだけ街に敵をやらないことかな」
「なるほど」
「でも……」

 クリフがニヤリと笑う。

「アスカルトさんは、数の暴力にやられたりはしない。むしろ、質で数を圧倒するタイプだ。違うかい?」
「……」
「僕は、前任者と違って剣聖を侮ったりなんてしないよ。大事なものを踏みにじるつもりなんて欠片もないし、応援もしたいと思う。だから、今は協力してくれないかな?」
「……やれやれ。悪人ではないようですが、掴みどころのない人ですね。あなたは」

 ため息をこぼしつつ、ソフィアは背中の剣を抜いた。

 それは、伝説の聖剣。
 全てを切り裂いて、刃こぼれ一つしない。
 例え刃こぼれしたとしても、自動で修復されてしまうという。

 最強の聖剣……エクスカリバー。

「まず、私が一撃を叩き込みます。その後、討ち漏らした敵を各自、相手にしましょう。私は一人だけなので、壁役になることはできません。そちらは任せました」
「オーケー、了解だ」
「新しいギルドマスターの力、しっかりと拝見させてもらいます」
「期待を裏切らないように、がんばらないといけないね。それじゃあ……」

 クリフは魔導書を開いて、意識を集中。
 魔力を注ぎ込み、今までに使役した魔物……その全てを呼び出す。

「来い!」

 クリフを中心に影が広がる。
 それは十メートルを超えて、さらに伸びて……
 百メートルほどに広がったところで、ようやく止まる。
 その影の中から、次々と魔物が出現した。

 ゴブリン、ウルフ、オーガ、ワイバーン……そして、ドラゴン。
 クリフに忠誠を誓う、ありとあらゆる魔物が現れた。
 その数は百以上。

「これは……驚きましたね。数十種類……百以上の魔物。さらに、ドラゴンまで使役しているなんて」
「一応、ギルドマスターだからね。これくらいは普通だよ」
「さて……では、私も負けていられませんね」

 ソフィアは、聖剣エクスカリバーを上段に構えた。
 天を突くかのように大きく、高く、剣を掲げている。

「ふぅ……」

 軽い呼吸。
 目を閉じて集中。

 すると、刀身が輝き始めた。
 最初は淡い燐光を放つ程度。
 その後、魔道具による夜の明かり程度になり……
 それで終わることなく、さらに光が収束されていく。

 間近に太陽が出現したかのような、強烈な光。
 世界が白に塗りつぶされていく。

 その輝きは、離れた街で待機していた冒険者、憲兵達もハッキリと目撃して……
 それだけではなくて、遠く離れた街からも見えたという。

「神王竜剣術・仇之太刀……」

 ソフィアが目を開く。
 強い眼差しで敵を睨みつけて、そして……一気に剣を振り下ろす。

「閃っ!!!」

 剣気、闘気、覇気……全てを圧縮させて、極大の一撃を放つ。
 神王竜剣術の中で、限られた者しか使うことができない奥義の一つだ。

 剣聖であるソフィアが力を練り……
 極限まで溜めて……

 そして、それを聖剣を媒介にして解き放つ。

 その一撃は神の一撃に等しい。
 全てを飲み込み、なにもかも打ち砕く破壊の光が顕現する。

 極大の光は大地をえぐりつつ、彼方から迫る魔物の大群に着弾。
 圧倒的な破壊力に抗うことはできず、魔物達は一瞬で消し飛んだ。

「いっ……けぇええええええええええぇぇぇっ!!!!!」

 その状態で、ソフィアは、さらに剣を横に薙ぐ。

 ゴッ、ガァアアアアアッ!!!

 地上に落ちた太陽が横に薙ぎ払われて、魔物の群れを飲み込んだ。

 ほどなくして光が穏やかになり、世界に色が戻る。
 そして……

 地平線の彼方に集結しつつあった魔物は、その半分が消し飛んでいた。