「がんばってください」
ソフィアの応援が聞こえた。
ゼノアスとの戦いで体のあちらこちらが悲鳴を上げていたけど……
うん。
まだがんばることができる。
力と勇気が湧いてきて、今まで以上に強く剣撃を放つ。
「くっ……ここに来て、さらに加速するか!」
「もう二度と負けられないんだ!」
大事な人を守りたい。
そして、この人を超えたい。
二つの想いが僕を強くする。
今まで越えることができなかった壁。
なかなか気づくことはできなかったけど、行く手を塞いでいた壁。
それは、ソフィアと同じ『剣聖』のレベルに繋がる領域。
そこに今。
僕は到達していた。
「あなたに、勝つ!」
「そのような結末を認めると思うか!?」
ゼノアスが全身から圧倒的な闘気を放つ。
「吠えろ、グラム!!!」
魔剣が不気味に輝いた。
嫌な気配を受けて、それと同時に、天災と相対したかのような『力』を感じた。
魔剣の力を完全に引き出した状態で戦う。
正真正銘、これがゼノアスの本気だろう。
でも……
「俺の剣に断てないものはないっ!!!」
「……ううん」
僕は静かに彼の言葉を、想いを……生きてきて積み重ねてきたものを否定した。
「今のあなたの剣は怖くない」
「なっ……!?」
ゼノアスの全力の一撃。
それは山を断つ。
海を割る。
それだけの威力が込められていたけど……
僕は、それをしっかりと受け止めた。
流星の剣が折れることはない。
なんとか耐えてくれている。
僕の体が壊れることもなくて、こちらも耐えていた。
「なぜだ!? なぜ、俺の剣が届かない!? 受け止めることができる!!!」
「言ったよね? 今のあなたの剣は怖くない、って」
さっきまで、ゼノアスはとても大きく見えた。
超えることができない山のように、果てしなく大きく見えた。
でも、今は小さい。
とても小さく、儚く、脆い。
それはなぜか?
魔剣という歪な力にすがったからだ。
「僕の剣は、あなたとは違う」
リコリスの、アイシャの、スノウの……たくさんの人の想いが込められている。
そして、剣を通じてソフィアの想いを感じる。
そうだ。
この剣は希望でできている。
ならば、負の怨念で作られた魔剣に負けることはない。
「僕はあなたに勝って、大事なものを守る! どこまでも!!!」
「ぐっ!?」
ゼノアスの腹部に蹴りを叩き込んだ。
これでトドメとはならないものの、ダメージは通り、ゼノアスはわずかに体勢を崩す。
その隙を逃すことなく、僕は剣を構える。
天を突くように大上段に構えて……
「神王竜剣術、壱之太刀……破山っ!!!」
そして、一気に振り下ろした。
ギィ……ンッ!!!!!
世界が砕けたかと錯覚するような音が響いた。
グラムが砕ける。
折れた刃が宙を飛び、くるくると舞う。
「ぐっ、あ……!?」
直接刃は受けていないものの、魔剣を砕かれた際に発生した衝撃波に巻き込まれたゼノアスは地面に膝をついた。
すぐに立ち上がろうとするけど、足が震えてしまい、再び膝をついてしまう。
そんな彼に剣を突きつけた。
「終わりだよ」
「くっ……」
ゼノアスは僕を睨んで……
しかし、ややあって苦笑した。
「俺の負けか……」
「うん、そうだね」
「高慢かもしれないが、正直なところ、俺が負けるところは想像していなかった。いつも勝つと思っていた。その慢心が敗因になったのかもしれないな」
「……ううん、それは違うよ」
「なに?」
ゼノアスがどんな人生を送ってきたのか、それはわからない。
きっと、僕が想像もできないような壮絶な人生だったんだろう。
だから、たぶん、そのせいで歪んでしまった。
彼は、もっとも大切なものを見失ってしまった。
「強くなりたい。力を追い求める。それは、たぶん、悪いことじゃないと思うんだ。誰もが思うことだと思う」
「なら……」
「でも、なにもかも一人で成し遂げようとするなんて、ダメだよ」
ゼノアスは常に一人だった。
仲間を頼りにすることはない。
背中を預ける相手がいない。
それはとても寂しいことで……
辛いことで……
そして、弱いことだ。
一人だから傷つくことはない。
でも、一人だから成長することもないんだ。
「誰かを頼りにするべきだったんだ。心を許す相手を見つけるべきだったんだ。それをしないから……強くなることができても、今回のように、いつか終わりが訪れる。限界がやってくる」
「他者を必要とするのは弱者がすることだ」
「そうだね、弱い行為かもしれない。でも、それでいいんじゃないかな?
「なんだと?」
「だって、人は、もともと弱いんだから」
身体能力だけの話じゃない。
心も弱い。
騙して、裏切り、陥れて……
そんなことは日常茶飯事だ。
奴隷だった経験があるから、そのことはよくわかる。
人は弱い。
弱いけど……
「でも、手を取り合うことができる」
「……」
「一緒にがんばろう、って。一緒に強くなろう、って。手を取り合い、協力することができるんだ。支え合い、一緒に前に進んでいくことができるんだ。人は、一人だと弱い。でも、誰かが隣にいてくれたら強くなることができるんだよ」
「それは……」
「誰も頼らない。他者を拒んだ。その時点で、あなたの限界は決まっていたんだ。逆に、僕の限界は……まだ決まっていない。僕は前に進む。あなたを超えて……そして、大事な人達と一緒に」
ゼノアスと戦い、負けて、自分を見失い……いや。
それ以前に、ここ最近の僕は大事なことを忘れていたのかもしれない。
色々な事件を経て強くなったと思いこんでいたけど、それは、大事な人がいてくれたからだ。
そのことを忘れたからゼノアスに負けた。
ただ、それはいい機会になったのだろう。
おかげで、こうして大事なことを思い出すことができた。
だからこれは決意表明だ。
今後、二度と忘れることはない。
そして、力に溺れることなく、大事なものをしっかりと守っていこう、と。
「……なるほど、道理で勝てないわけだ」
ややあって、ゼノアスは再び苦笑した。
ただ、その苦い笑みは、さきほどと比べるといくらか柔らかい。
「人は弱い。でも、強い……そんな単純なことに気づくことができなかった。俺の負けだ……さあ、殺せ」
「なんで?」
「なに?」
「確かに僕が勝ったけど、殺すつもりなんてないよ。まあ、執念深く狙われたりしたら、さすがにちょっと考えるけど……でも、今のあなたにそんなつもりはないだろうし」
「しかし、俺は敵で……」
「そういうところがダメなんだよ。もっと柔らかく……というか、優しい思考を持たないと。もっともっと強くなりたいなら、そういうところから始めよう。うん。なんなら、一緒にがんばろう」
「お前は……」
「なんて言えばいいかよくわからないけど……あなたと戦うことができてよかった。剣を交わすことで、互いにわかりあえたような気がするんだ。だから、これで終わりになんてしないで、また今度、剣を交わそう? ただ、次は木剣で」
「……本当に敵わないな。俺の完敗だ」
ゼノアスは小さく笑い、そっと手を差し出してきた。
僕も笑みを浮かべて、その手をしっかりと握るのだった。
「ソフィア、大丈夫?」
「はい、なんとか……」
ソフィアに手を貸した。
ややふらついているものの、顔色は悪くない。
ポーションを飲んだおかげだろう。
「私でも無理だったゼノアスを倒してしまうなんて……」
「違うよ」
「え?」
「倒した、じゃなくて、勝った……だよ」
「……」
ソフィアは目を丸くして、
「ふふ」
小さく笑う。
「そうですね。倒しただと殺した、と同じ意味になりますからね。だから、勝った……なるほど。私では無理で、フェイトだからこそできたこと。その理由を少し理解することができました」
「?」
「おーい」
ふと、明るい声が聞こえてきた。
レナだ。
途中でふらりと姿を消したけど、いったいどこに行っていたのだろう?
「レナ、いったいどこに……って、うわぁあああ!?」
「ちょ、乙女を見るなり悲鳴をあげるとかひどくない?」
「いや、だって……」
あちらこちらに怪我をしているらしく、全身、血まみれだ。
ちょっとしたホラー。
「だ、大丈夫なの……?」
「大丈夫、大丈夫。半分くらいは返り血だから」
それじゃあ、残り半分はレナの血ということになる。
「た、大変だ。ほら、ポーション。飲んで!」
「え? あ、うん」
言われるままレナはポーションを飲んだ。
「ふぅ……ちょっと楽になったかも。ありがと、フェイト♪」
「大丈夫なの……?」
「本当に平気だから。ボク、これくらいの怪我は慣れているからね。日常茶飯事だし。ね、ゼノアス?」
「そうだな」
ゼノアスがいることを不思議に思うことなく、気軽に声をかけていた。
「俺達にとって、これくらいの怪我は当たり前のことだ」
「そうそう。血が流れない日なんてなかったし、定期的に骨を折っていたからねー。ほんと、大したことないんだ」
さらりとえぐい話をしないでほしい。
「ところで、なんでゼノアスがここに?」
「剣聖と戦い、次にフェイトと……勝負をした」
「ふぇ?」
「そして、負けた」
「えぇえええええ!?」
マイペースを貫いていたレナだけど、ここで思い切り驚いた。
「え、嘘。マジ? フェイトってば、ゼノアスに勝ったの……?」
「あ、うん。一応」
「すごぉ……」
心底驚いている様子で、レナは呆然とつぶやいた。
それだけ驚きが大きのだろう。
でも、よくわかる。
ゼノアスはとんでもない強敵で、勝てたのが不思議なくらいだ。
「さすがフェイト! ボクでもできないことをやってのけちゃうなんて、うんうん、ますます惚れちゃった♪」
「やめなさい」
「ぶーぶー、ちょっとくらい、いいじゃん」
僕に抱きつこうとしたレナがソフィアに阻止されて拗ねた。
「それよりも、レナはどこでなにをしていたんですか?」
「ん? えっと……場所はよくわからないけど、リケンと戦ってた。あ、リケンっていうのは黎明の同盟の幹部の一人だよん」
さらりと重大なことを言う。
「そ、それで結果は……?」
「見ればわかるでしょ? ボクがここにいるっていうことは、ボクの勝ち。いえい、ぶい♪」
「さすがというか、なんというか……」
「あれ? ちょっとまって」
レナがリケンを倒したということは……
「ゼノアスに勝って。レナは、そもそも僕達の味方。なら……黎明の同盟の幹部は全滅した、っていうこと?」
色々なことが起きて、ちょっと混乱してしまうけど……
でも、黎明の同盟の幹部は全滅した。
これで敵の力を大きく削ぐことができた。
本拠地に突入しているであろうエリンとクリフの援護をすることができた。
ただ、彼女達だけに任せておけない。
僕達もすぐに追いかけないと!
「とはいえ……」
「おとーさん! おかーさん!」
「オン!」
「やっば、なにこれ。魔法で爆撃されたみたいに酷いことになってるし」
アイシャ達のことを放っておけない。
ゼノアスがここにやってきたということは、敵はアイシャの場所を掴んでいるのだろう。
すぐ別の場所に移さないといけないけど、安全な場所はどこだろう?
どこなら絶対に安全といえるだろう?
考えても答えが見つからない。
僕達の傍にいることが一番安全なのでは? なんてことも考えてしまう。
「実際、それが一番ですね」
ソフィアはどこか諦めた様子で言う。
「幹部は倒しても、敵はまだまだ残っています。本拠地だけではなくて、王都全体に潜んでいるでしょう。安全な宿だと思いアイシャちゃん達を預けたら実は……なんていう展開もありますね」
「やば! そうなたったら美少女ぷりてぃ妖精リコリスちゃんのピンチじゃん! やめて、酷いことするつもりでしょう! あんなことやこんなことを!」
「オフッ」
「ぎゃー!?」
うるさい、という感じでスノウがアイシャをぱくりと咥えた。
なんか……この感じ、すごく久しぶりのように感じた。
笑うだけじゃなくて、なんだか心が温かくなって、活力が湧いてくる。
「でも、それはそれで大変じゃない? 本拠地に行けば、敵はアリのように湧いてくると思うし。三人を守るとなると、二人は護衛が欲しいけど、難しくない?」
レナがそんな疑問を投げかけてきた。
確かにその通りだ。
同行するとなると、アイシャ達の護衛に専念しないといけないけど……
それは一人だと難しい。
安全を確実に確保するため、二人は欲しい。
僕とソフィアとレナ。
人数は足りるけど、そうなるとアタッカーが一人だけに。
できることは限られてしまい、なんのために応援に行くのかわからなくなってしまう。
「……なら、俺が手伝おう」
「ゼノアス?」
どんな回復力をしているんだろう?
ゼノアスはもう普通に動くことができる様子だった。
「え、ゼノアスが手伝ってくれるの? ボクとしては、まあ、嬉しい話だけど……なんで?」
「敗者は勝者に従うものだ。それに……妹分の友を守るために戦うというのも悪くないだろう」
妹分っていうのはレナのことかな?
二人の関係が気になるけど、今は後回し。
「あなたが裏切らないという保証は?」
ソフィアが厳しい眼差しを向ける。
少し前まで、僕達は彼と殺し合いをしていた。
当たり前だけど、そんな相手をすぐに信じることはできない。
なにか裏があるのでは?
隙をついてアイシャとスノウをさらおうとしているのでは?
そう疑うのが自然だろう。
ただ、それはゼノアスも了承済らしく、とある首輪を差し出してきた。
「これを使え」
「これは……奴隷の首輪?」
「これで俺を縛れば逆らうことはできない。裏切ることもできない。安心できるだろう? 元々は巫女を連れて行くために使おうとしたものだが、役に立ちそうだ」
「どうして、そこまで……」
「誰かを守るために戦う。その力に興味を持っただけだ。だから、フェイト、ソフィア……お前達と一緒にいきたい。それと、レナが怪我をしてしまうのも避けたい」
「……わかりました。そこまで言うのなら」
ソフィアが納得して、奴隷の首輪に手を伸ばす。
でも、それよりも先に僕が首輪を手に取り……
「えいっ」
明後日の方向に投げ捨てた。
「ちょっ、フェイト!?」
「いいよ、あんなものは使わなくて」
「なにを……」
「あんな道具で縛っても、本当の信頼を得ることはできないよ」
力で言うことを聞かせる。
そんなことをしても得られるものはないと思う。
むしろ、失うものの方が多いはずだ。
「しかし、ゼノアスは黎明の同盟の幹部で……」
「でも、僕は彼を信じるよ」
「……」
「戦うだけじゃなくて、信じるところから始めていきたいんだ。そうしないと、なにも解決しないと思うから」
「まったく」
ソフィアが苦笑した。
話を聞いていたレナも苦笑する。
「フェイトらしいですね。本当は心配ですが、でも、フェイトがそう言うのなら私も信じることにします」
「ボクもそれでいいよ。愛する夫の言うことは、妻として受け止めないとね♪」
「だれが夫ですか!」
「フェイト♪」
「他に敵がいたみたいですね……ふふふ」
「なに、やる? やる?」
「ま、まって。いきなり味方で乱闘しようとしないで……」
「……ふっ」
ふと聞こえてきた小さな声。
それはゼノアスのもので……
「今、笑った?」
「さてな」
ゼノアスはごまかして。
それから、僕の前に騎士のように膝をついた。
「俺の剣にかけて誓おう。お前達を裏切ることはなく、俺は、俺の務めを全力で果たすことを」
「うん、よろしくね」
『それ』は深い眠りについていた。
過去に起きた戦いで大きな傷を負い、その治療のために休んでいるのだ。
王都の下にある地底湖。
その中で眠り、夢を見る。
良い夢ではない。
悪夢だ。
人間と友になった。
彼らを導いて、守り……
時には逆に諭されることがあった。
戦いになれば背中を預けることができた。
無防備な姿を晒すことができる信頼があった。
人間が大好きだった。
でも……
裏切られた。
大事なものを傷つけられて。
それから、全てを奪われて。
『それ』はなにもかもなくした。
許せない。
許せない。
許せない。
『それ』は復讐を誓い、己に従う眷属を作った。
復讐という使命を与えて、それを果たすための破壊の力を与えた。
秩序が乱れる。
混乱が広がる。
たくさんの悲鳴が流れて、たくさんの血が流れた。
でも、それがどうした?
自分は全てを奪われたのだ。
なら、奪い返してもいいだろう?
その権利があるはずだ。
迷いはない。
まっすぐで、ある意味で純粋な想いで……
『それ』は復讐を果たす。
それだけを考えて生きる。
生き物は生を求めて生きる。
他者の命を食べて自分のものにして。
子供を成して次の世代へ繋げる。
そうして生の循環を作り上げていく。
それこそが生命の持つ根本的な使命だ。
しかし、『それ』は生のことは考えていない。
ただただ奪い、死を与えることしか考えていない。
生きることではなくて、終わりのみを求める者。
それはもはや生き物と呼べるだろうか?
生き物ではなくて、まったく別のおぞましいなにかだろう。
『それ』は自身の歪みに気づいていない。
まったく自覚していない。
でも、仕方ないだろう?
全てを奪われたのだ。
憎しみに囚われて、他になにも見えなくなるのも当然だ。
だから、『それ』は全てを奪う。
自分が受けた苦しみを返す。
自分が受けた痛みを返す。
それだけが唯一の生きる目的なのだ。
「……」
『それ』はゆっくりと目を開けた。
何百年ぶりに意識が戻っただろう?
あまりに年月が経ちすぎていたため、地底湖の薄暗い中でも眩しいと感じてしまう。
ゆっくりと目を慣らす。
同時に思考を整理する。
本格的な休眠に入る前に分身体を作り出して、色々な命令を与えていた。
その分身体の名前は……リケンという。
しかし、今、分身体の気配が感じられない。
理由はわからないが消えてしまったみたいだ。
あれからどうなったのか?
今、なにが起きているのか?
なにもわからない。
わからないけど、それならそれでいい。
些細なことだ。
やるべきことはただ一つ。
「ニンゲンを……殺ス!」
さあ、血で血を洗う戦争を始めよう。
痛みには痛みを。
恐怖には恐怖を。
全てを黒で塗りつぶすための復讐を始めよう。
暗い負の思念に支配された獣。
かつて聖獣と呼ばれていたが、堕ちて魔獣となったもの。
その者の名前は……ジャガーノート。
ゴゴゴゴゴッ……!
突然地面が揺れた。
「うわっ」
「これは……」
地震にしては揺れ方がおかしい。
揺れ方が不規則で……
地面の下に巨人がいて大地を揺らしているみたいだ。
ほどなくして揺れが収まる。
代わりに嫌な気配が届いてきた。
絡みついてくるかのような強烈な殺意。
窒息するかのようなドロリとした悪意。
「なに、これ……? ひどい感覚だ」
「この気配……墓地の方からですね。レナ、ゼノアス。あなた達はなにか知りませんか?」
「いや、俺はなにも知らないな」
「ゼノアスは戦うことしか興味ないから……これ、ちょっと。ううん、かなりまずいかも」
「レナは心当たりが?」
「消去法だけどね」
黎明の同盟の幹部は無力化された。
リケンは倒れて、レナとゼノアスとは和解した。
残る驚異はトップだと思っていたけど、トップは大して強くないらしい。
外交能力に長けているものの、それだけ。
「なら、この気配は……誰?」
「もしかしたら、だけど……伝説にある魔獣かも」
「……魔獣……」
「ボクも見たことはないし、実在するなんて本当か知らないんだけど……他のメンバーは存在を信じていたからね。なんか、毎日祈りを捧げていたし」
「それだけ聞くと、まるで邪教ですね」
「まあ、似たようなものだよ。伝承通りなら、魔獣には復讐する権利はあると思うけど……とはいえ、色々とやりすぎているからね。そこはかばえないかな。って、話が逸れた」
レナは真面目な顔で言葉を続ける。
「こんな異質な気配、ボクも初めて感じたよ。もしかしたら、伝承の魔獣が目覚めたのかもしれない」
そんなレナの言葉を証明するかのように、
「ガァアアアアアアアァァァッ!!!」
王都全体を包み込むかのような獣の咆哮が響き渡る。
「あれは……」
「……うそ……」
果てに巨大な獣が姿を見せた。
100メートルを超えているであろう巨体。
その体は黒い毛に覆われていて、カラスの濡羽のように綺麗だ。
瞳は琥珀のよう。
三本の尾。
それと同じく、三つの頭。
ケルベロスという魔物を巨大化したら、あんな感じになるだろうか?
でも、その身にまとう殺気は別格だ。
その怨念だけで人を殺してしまうかのような、濃密な殺意。
事実、王都のあちらこちらでパニックが起きていた。
「これは……まずいね」
レナも軽口を叩くことができない。
たらりと汗を流していた。
「魔獣ジャガーノート……まさか、本当に実在したなんて」
「あれが魔獣……正真正銘の化け物じゃないか」
「あんなものが暴れたら王都は……!」
一日と保たないだろう。
「……レナ、ゼノアス。お願いがあるんだけど、いいかな?」
「え、なに?」
「リコリスとアイシャとスノウを守ってほしいんだ。できれば、三人を連れて逃げて欲しい」
「ちょっと、それ……」
「あんなヤツが相手だったら、家に隠れていても意味がないと思うから。逃げる方が安全だと思う」
「フェイトとソフィアはどうするの?」
「あいつと戦う」
とても恐ろしいことなのだけど、不思議と即答することができた。
「ならボクも……」
「レナは、けっこういっぱいいっぱいだよね? ゼノアスも」
「それは……」
「……俺達に任せていいのか? 敵だぞ」
「今もその認識が続いている?」
「……」
その沈黙が答えだ。
「お願いしてもいいかな?」
「……貸し一つだからね? 後でえっちなことしてくれないとダメ!」
「デートくらいなら」
「仕方ないな。それで我慢してあげる。ゼノアスは?」
「俺も構わない。敗者は勝者に従うのみ」
「ありがとう、二人共」
味方になってくれてよかった。
「ソフィアは……」
勝手に決めちゃったけど、よかったかな?
「もちろん、フェイトと一緒に戦いますよ」
「うん、ありがとう」
「お礼なんて言わないでください。私がそうしたいだけですから」
「なら……」
行こう!
「オォオオオオオオオ!!!」
魔獣ジャガーノートが二度、吠えた。
それは自身の誕生を知らせる産声のようだ。
咆哮に飲み込まれるかのように王都から音が消えた。
誰もが立ち止まり、空の彼方……
王のように君臨したジャガーノートを呆然と見つめている。
でも。
すぐに悲鳴が王都を覆い尽くす。
ゴッ……ガァアアアアアッ!
ジャガーノートが炎を吐いた。
それはドラゴンのブレスに匹敵……いや、それ以上の威力を持つ。
超高熱の炎は、もはや極大魔法と同じだ。
瞬間的に無数の建物が吹き飛び、たくさんの命が失われた。
それは開戦の合図だ。
己を誇示するかのように、ジャガーノートが三度吠える。
そして、王都に住む人々は恐慌状態に陥り、我先に逃げ出した。
――――――――――
目を覚ましたら人間の街の中にいた。
長い眠りについている中で街が拡張されて、いつの間にか人間の活動範囲内に収まっていたのだろう。
なんたる不愉快。
なんていう屈辱。
まさか人間がすぐ近くにいる状態で眠っていたなんて。
大嫌いなものがすぐ近くにある。
考えるだけで腸が煮えくり返るかのようだ。
でも、ちょうどいい。
都合がいい。
これなら、すぐに人間を殺すことができる。
街を壊すことができる。
全てを奪われた。
なら、奪い返してもいいだろう?
そうやってプラスマイナスゼロにするのが道理というものだろう?
遠慮はいらない。
慈悲も情けもいらない。
必要なのは、この身を焼くほどに激しい憎しみだけ。
それがあれば他はいらない。
噛み砕いて。
叩き潰して。
燃やし尽くして。
思う限りの暴虐を繰り広げていこう。
それこそが成すべきこと。
魔に堕ちた者に残された、唯一の使命なのだから。
「ガァアアアアアッ!!!」
空に吠える。
自分はここにいる。
再び大地を踏んでいる。
故に、人間を殺そう。
それこそが自分の正義なのだから。
そうして、災厄となった魔獣は蹂躙を始めた。
始めようとしたのだけど……
「やめろっ!」
「やめなさいっ!」
二人の人間がジャガーノートの行く手に立ちはだかる。
その人間の名前は……
フェイト・スティアート。
ソフィア・アスカルト。
今を生きる人間で、そして、誰かのために戦うことができる剣士だった。
なんて大きさだ。
近くに来て、改めて魔獣ジャガーノートの大きさを実感する。
まるで巨人のよう……いや。
巨人よりも遥かに大きい。
山が動いているかのようだ。
「フェイト、いきますよ!」
「うん!」
ソフィアは右から。
僕は左から。
「破山っ!!!」
交差しつつ、全力の一撃をジャガーノートの右前足に叩きつける。
その巨体は、歩くだけで甚大な被害をもたらしてしまう。
だから、まずは機動力を奪う。
そう考えての攻撃だったけど……
「くっ、硬い……!」
ジャガーノートの毛は鋼鉄のように硬い。
それが全身を覆っていて、天然の鎧となっていた。
刃が通らず、弾き返されてしまう。
「ガァアアアアアッ!」
ジャガーノートが吠えて前足を叩きつけてきた。
虫を払うような適当な動きじゃなくて。
必ず殺すという高い殺意を持った、強烈な一撃だ。
当然、真正面から受け止めるつもりはない。
防御なんて無理。
横に跳んで回避した。
回避したんだけど……
「うわっ!?」
叩きつけた弾みで衝撃波が生まれて、それに巻き込まれてしまう。
上下左右の感覚が一瞬なくなってしまい、数十メートルを一気に吹き飛ばされてしまう。
「いたた……まるで竜巻だ」
「フェイト、大丈夫ですか!?」
ソフィアが隣に着地して、手を貸してくれた。
「うん、なんとか。でも、攻撃も防御もとんでもないね……少しやりあっただけなのに、攻略法がぜんぜん思いつかないよ」
「確かに闇雲の戦っていては難しいですね……それに」
ソフィアは苦い顔でジャガーノートを見た。
ジャガーノートはこちらを大して気にしていない。
手近な建物を破壊して回っている。
「このままだと、王都の被害がとんでもないことになりますね……」
「どうにかして街の外に誘い出したいけど、まずは僕達のことを敵としっかり認識させないと」
なにか方法はないだろうか?
急いで周囲を見回して、とあるものが目に入った。
「アレを使ってみよう」
――――――――――
憎い。
憎い。
憎い。
全てを奪った人間が憎い。
人間も、人間が作り出したものも、なにもかも壊してしまえ。
憎悪に取り憑かれたジャガーノートは破壊を繰り返す。
その時、
ガァアアアアアン!!!
「っ!?」
どこからともなく飛んできた巨大な鐘がジャガーノートの頭部に直撃した。
痛みは大したことないが、それなりの質量と速度があったため、軽く仰け反ってしまう。
それと、鐘の音。
音だけは自慢の毛皮で防ぐことはできず、不協和音としてジャガーノートに届いた。
「ガアアアアアァッ!!!」
鐘を投げてきた人間の二人組を睨み、ジャガーノートは怒りに吠えた。
「ガァアアアッ!」
怒りに吠えるジャガーノートが僕達を追いかけてきた。
全力で逃げるけど、体格差が圧倒的に違うため、少しでも気を抜いたら一瞬で追いつかれてしまいそうだ。
「ソフィア、追いかけてきたよ!」
「このまま街の外まで誘い出しましょう!」
命がけの鬼ごっこだ。
背中がヒヤリとする。
とはいえ、こんなことで音を上げてはいられない。
まずは周囲に被害が出ない場所を確保しないと、まともに戦うことができない。
走って。
走って。
走って。
どうにかこうにか、ほぼ建物がない郊外までジャガーノートを誘い出すことに成功した。
「ここなら全力でいけます……閃っ!!!」
ソフィアの極大の斬撃がジャガーノートに叩きつけられた。
聞くところによると、1万の魔物を一気に葬った奥義らしい。
これならば、と思うのだけど……
「グガァッ!!!」
「かすり傷程度、ですか」
ダメージは通った。
でも、ほんの少しだけ。
なかなか絶望的な状況だ。
諦めるつもりなんて欠片もない。
でも、こいつに勝てるイメージがどうしても湧いてこない。
って、ダメだダメだ。
弱気になったらいけない。
とにかく、色々な手を試して攻略法を見つけないと。
「ソフィア、まずは足を狙おう。あの機動力を奪わないと」
「わかりました。同時に攻撃を叩き込みましょう」
「ガァアッ!!!」
ジャガーノートが吠えて、今度は炎のブレスを吐き出した。
見た目は大きな犬なんだから、竜のような真似をしないでほしい。
「くっ……!」
「これくらい!」
炎の嵐をかいくぐり、ジャガーノートの懐に潜り込んだ。
圧倒的な体格差があるものの、小さい僕達の方が小回りが効く。
「神王竜剣術、壱之太刀……」
「破山っ!!!」
ソフィアと同時に全力の攻撃を叩き込む。
速度、角度、タイミング。
全てが重なり、その威力は倍増する。
「ガァッ!?」
どうにかこうにか防御を突破することができて、多少だけどダメージを与えることができた。
ただ、人で例えるなら打撲をしたくらいだろう。
まだまだ先は長い。
「弱点とかないかな? このまま、あいつのペースに付き合っていたら……」
「機動力を奪う前提の攻撃をしつつ、他の箇所も狙ってみましょう。運にすがるような戦い方になりますが、なにもしないよりはマシかと」
「そうだね、了解」
戦力差は圧倒的。
それでも、とことん食らいついてやる。
絶対に負けてたまるものか。
決意を新たにして、僕とソフィアは再び駆け出して……
「……邪魔をするナ」
ジャガーノートが低い声でそう問いかけてきた。