「まずは、感謝を述べさせてもらいたい」
翌日。
僕達はアルベルトに呼ばれて、大きい客間に集まった。
「ソフィア・アスカルト殿。フェイト・スティアート殿。リコリス殿。アイシャ殿。スノウ殿。私の無茶な要請に応えていただき、深く感謝したい。ありがとう」
アルベルトは一人一人の顔をしっかりと見て、最後に頭を下げた。
貴族は民の上に立つ者だ。
そうそう簡単に頭を下げてはいけないし……
プライドが高く、そんなことができない者も多い。
でも、アルベルトは違う。
彼は真摯に僕達に向き合ってくれている。
……なんか、彼に嫉妬していた自分がひどく小さな存在に思えてきた。
「現在、この街は父の……いや、グルド・ヒルディスの圧政で悲鳴をあげている。民は苦しみ、財は溶けて、人々は他の街へ逃げている。このような状況を放置したら、どれだけの涙が流れることか……それを止めるため、あえて、私は罪を犯そうと思う」
革命とか、救世とか。
そんな良い言葉を使わないで、あえて悪い言葉を使う。
そこにアルベルトの性格が現れているような気がした。
それに比べたら僕は……
って、ダメだダメだ!
色々と思うところはあるけど、でも今は、目の前のことに集中しないと。
協力するって決めたんだから、迷惑をかけないようにがんばろう。
やるべきことはやる。
「それ、具体的にどうするのです?」
ソフィアがそんな質問を投げかけた。
アルベルトは、前々から今回の計画を考えていたみたいだ。
でも、詳細を知らされていない僕達は、自分の役割を知らない。
「グルドが悪事に手を染めていることは間違いない。その証拠を掴むことができれば、領主の座を蹴落とすことも可能だろうが……それはしない」
「時間がかかるから、ですね?」
「ああ、その通りだ」
まっとうな手段を取れば、必ず領主を追い落とすことはできる。
それだけの悪事を積み重ねている、と聞く。
ただ、それでは遅い。
どうしても時間がかかってしまうから、その間に、どれだけの人が苦しむか……
それを許せないからこそ、アルベルトは簒奪という最終手段に出ることにした。
「取るべき方法は一つ。そして、とても単純なもの……クーデターだよ」
「……」
とても物騒な話に、自然とこちらの気持ちが引き締まる。
ちなみに、アイシャとスノウには聞かせられない話なので、最初の挨拶を終えた後、二人は部屋の後ろでリコリスと遊んでもらっている。
「物理的にグルドを拘束して、私が領主の座につく。その後、不正の証拠を見つけることで、国に正当性を主張する」
「それ……けっこう、危うい作戦では?」
物理的に領主を排除するなら、なんとかなると思う。
ソフィアがいるから、こちらの戦力は十分だ。
もちろん、僕も全力で戦う。
ただ……
その後の正当性を主張する、というのはうまくいくのかな?
下手をしたら、簒奪を正当化するため証拠をでっちあげた、と判断されるかもしれない。
あるいは、不正の証拠を見つける前に国が動いてしまうとか……こちらは、色々な不安要素があって、それを完全に拭い取ることができていない。
「うむ、スティアート殿の言いたいことはよくわかる」
「なら……」
もっと慎重に作戦を考えた方がいいのでは?
そう言うよりも先に、アルベルトが言葉を続ける。
「私が領主の座につけなかったら、その時はその時だ」
「え?」
「一番の目的は、グルドを領主の座から排除することだ。そうすれば、レノグレイドの状況は大きく改善される。もちろん、私が領主となって正しい方向へ導いていきたいが……それが叶わなくても、グルドを排斥できれば、まずはそれでいい。結果、私が反逆者として処罰されようが構わない」
「……」
僕は、アルベルトのことを小さく考えていたのかもしれない。
街のために自分が犠牲になって構わない。
そうすることが務め。
まさか、ここまで強い決意と覚悟を持っていたなんて……
いつの間にか、アルベルトに対する嫉妬は消えていた。
代わりに、憧れに近い感情が生まれる。
彼のように……
強い決意と覚悟を持つ、そんな人になりたい。
そうやって強く大きく成長したい。
そう思うようになっていた。
「わかりました」
「フェイト?」
「僕は、ソフィアみたいな力はないけど……でも、全力であなたのサポートをしたいと思います」
「ありがとう。スティアート殿を頼もしく思うよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。アルベルトさん」
アルベルトさんが手を差し出して……
僕は笑みを浮かべつつ、その手を握る。
「……」
「……」
言葉は必要ない。
そんな感じで、しっかりと握手をした。
「む? なにやら私の知らないところで二人の仲が……なんだか、ジェラシーですね」
一人、ソフィアが妙な方向で拗ねてしまうのだった。
夜。
「……」
ソフィアは庭に出て、月夜を見上げていた。
その横顔は無表情で、なにを考えているか察することは難しいだろう。
ザッ、という草を踏む音。
それでもソフィアは振り返らない。
ただ、月夜を眺める。
「綺麗ですね」
姿を見せたのはアルベルトだった。
ソフィアの隣に並んで、同じく月を見上げる。
「眠れないのですか?」
「それ、私のセリフですよ」
「はは……いや、情けない話ですが、緊張していまして。いよいよ明日と思うと、なかなか眠ることができず」
明日、レノグレイドの領主グルドは、鉱山を視察することになっていた。
採掘量が若干落ち込んでいるため、その調査に同行するためだ。
場所が場所だけに、大人数で行くことはできない。
また、街の中ということで護衛は最小限。
グルドを討つ絶好の機会であり……
いくらかの検討が重ねられた結果、作戦を実行することとなった。
急といえば急な話だ。
しかし、こういう機会は突然巡ってくるもの。
このチャンスを逃せば、次はいつになるかわからない。
その間、民は苦しみ続ける。
大規模な武装蜂起が発生するかもしれない。
それらのことを考えると、この機会を逃すわけにはいかない、という結論になったのだ。
「少し意外ですね」
「おや、なにがでしょうか?」
「これだけのことを考える人なので、とっくに覚悟は決めていると思いました」
「覚悟なら決めていますよ」
アルベルトは即答した。
その顔に迷いの感情はない。
怯えの色もない。
ただ、まっすぐに前を向いていた。
「なにがあろうと、父を……グルドを討つ。そして、街を救う。そう決意をしております」
「それなら……」
「ですが、私も人間ですからね。感情を完全に制御することはできない。覚悟は決めましたが、それでも、時折、感情が揺らいでしまうのですよ」
「……そうですか」
ソフィアはアルベルトの感情に理解を示した。
なぜなら、ソフィアも緊張しているからだ。
力を貸すと決めたものの……
失敗したら、とんでもないリスクを負うことになる。
死ぬかもしれないし、そうでなくても、指名手配などをされて一生が終わるかもしれない。
自分一人だけなら問題ないのだけど……
フェイトやアイシャも関わってくると、さすがに緊張せずにはいられない。
リコリス?
彼女は……まあ、なんとでもなる。
「ただ、明日になる前にアスカルト殿に会えたのは幸いでした」
「なにか私に話でも?」
「はい」
困った……と、ソフィアは内心で眉をたわめた。
おそらく、妻になってほしいとか、そういう話だろう。
アルベルトのことは嫌いではない。
誠実な人であるし、能力も高い。
ただ、すでにフェイトがいる。
自分は彼のものだ。
他の誰かのものになるなんて、欠片も想像することができない。
「一つ、お願いがあります」
アルベルトは、そんなソフィアの内心を察したのか、直接的な話はしない。
「今回の件がうまく解決したら……その時は、こうして、また二人で話をする機会をいただけませんか?」
「それは構いませんけど……今じゃなくていいんですか?」
「今はやめておきましょう。そうしてしまうと、気が緩んでしまいそうなので。ですから、話は事件が解決した後に」
「……それ、フラグになりません?」
「なるかもしれませんね」
アルベルトは笑う。
「ですが、そのようなフラグ、へし折ってやりましょう」
「あら」
「そして、またアスカルト殿に話をする機会をいただきたいと思います」
思っていた以上に強い人だ。
ソフィアは、心の中でアルベルトに対する評価を上方修正した。
もっとも、それでもなお、フェイトに届くことは絶対にないのだけど。
「わかりました、約束します」
「ありがとう」
よほど嬉しいらしく、アルベルトは子供のように笑う。
「それと、もう一つ。わがままを言ってもいいですか?」
「なんですか?」
「もう少しだけ、一緒に月を眺めていてもよろしいでしょうか?」
「……いいですよ」
ソフィアとアルベルトは、それ以上は言葉を交わすことなく、静かに月を見上げるのだった。
日が変わり、いよいよ作戦決行の日になった。
僕達は、あらかじめ鉱山に先回りした。
他にもアルベルトが用意した人達がいる。
物陰に潜み、領主がやってくるのを待つ。
「いよいよですね。フェイトは緊張していませんか?」
「うん、大丈夫」
これでも、それなりの修羅場はくぐり抜けてきたつもりだ。
だからなのか、自分でも驚くくらい落ち着いていた。
「……アイシャとスノウは大丈夫かな?」
「リコリスが一緒なので、問題は……いえ、一緒だからこそ問題なのでしょうか?」
「あはは、ひどいね」
アイシャ達は、街の宿で待ってもらっている。
巻き込まれたら大変なので、さすがに一緒に連れて行くわけにはいかない。
一応、リコリスが護衛についてくれているんだけど……
うーん、心配だ。
「……あのさ」
「はい、なんですか?」
「甘い、って言われるかもしれないけど……できれば、あまり相手を傷つけたくなくて」
領主を守る人はたくさんいる。
お金で雇われていたり、領主に忠誠を誓っていたり。
「悪い人もいるかもしれないけど、でも、今回の敵は同じ人間で……できるなら、あまり……」
「甘いですね」
「うっ」
バッサリと言われてしまう。
「気持ちはわからないでもないですが、そのような甘い感情を持っていると、いざという時、命取りになりますよ」
「それは……」
「敵は、敵。非情にならなければ、こちらがやられてしまうかもしれません」
「そう……だよね」
「ですが」
ソフィアがにっこりと笑う。
「私は、そんなフェイトが好きですよ」
「……ソフィア……」
「わかりました。傷つけないというのは無理ですが、なるべく命はとらないようにしましょう。フェイトは、そのために全力を尽くしてください。私がサポートします」
とても頼もしいけど、でも……
「いいの、かな? 僕は、ソフィアを無理に危険に晒しているかもしれなくて……」
「これくらい、危険なんてことはありませんよ」
ソフィアはドヤ顔で言う。
「なにしろ、私は剣聖ですからね」
「……」
「それくらい、なにも問題ありません。ちょちょいとやってみせましょう」
「……」
「ど、どうして黙ってしまうのですか?」
「ううん、なんでもないよ……うん。ありがとう、ソフィア」
僕のパートナーは、とても頼りになる。
そして、とても優しい人だ。
なんだかんだ言って、ソフィアも僕と同じ気持ちでいてくれているんだと思う。
「がんばろうね」
「はい」
よし、気合が入ってきた。
入ってきたんだけど……
「合図、遅いね?」
時計で時間を確認する。
領主が鉱山にやってきたら、アルベルトが合図を送ってくれるはずなんだけど……
その合図が一向にない。
予定時間を過ぎているのに。
「トラブルでしょうか?」
「そうやって言葉にすると、本当にそうなりそうな気が……」
「大変です!」
若い男性がこちらに駆けてきた。
アルベルトの執事の一人で、連絡係を務めている人だ。
汗をたくさん流すような勢いで、ものすごく慌てている。
「どうしたんですか?」
「それが、その……! アルベルトさまとは別の者がクーデターを起こしてしまい、街が戦場に……!!!」
……とんでもないトラブルが起きていた。
急いで鉱山を出ると、
「これは……」
街のあちらこちらで火の手があがっていた。
風に乗って人々の怒声と悲鳴が聞こえてくる。
「ひどい……」
「どうして、こんなことに……」
「アスカルト殿! スティアート殿!」
振り返ると、アルベルトが駆けてきた。
普段の冷静な姿はどこへやら、大粒の汗を流して、焦りの表情を浮かべている。
「よかった! 二人共無事だったか」
「いったい、なにが起きているんですか?」
「……いいようにやられてしまった」
アルベルトは苦い顔をして語る。
グルドは、アルベルトの簒奪計画を見抜いていたらしい。
圧政を敷く愚者だとしても、悪知恵は働くようだ。
「父は……グルドは、この機会に私を含めて、反乱分子をまとめて潰すことを計画した」
「と、いうと……まさか」
とある可能性に思い至り、顔を青くした。
アルベルトは、その通りというように頷く。
「グルドは、巧みに情報を操作して、私達とは別の革命軍を動かしたのだよ。本来なら、まだ猶予があるはずなのに……うまいこと動かされてしまったのだろう」
「そうやって反乱分子を煽り出して……それだけじゃなくて、僕達の行動を阻害するために、ぶつける?」
「ああ、その通りだ。おかげで、私達の計画は大きく狂ってしまった。そして……」
とても苦い顔をして、アルベルトは街を見た。
火の手はどんどん大きくなる。
怒声と悲鳴も、それに合わせて大きくなる。
「ひどい……」
「グルドは愚かな為政者ではあるが、まさか、平然と守るべきはずの民を巻き込むなんて……」
人の心がないのか。
そんな怒りの感情を宿して、アルベルトは拳を強く握っていた。
「……街の状況はわかりますか?」
一人、努めて冷静を貫いているソフィアは、静かにそう尋ねた。
「もう一つの革命軍が、街のあちらこちらでデタラメに暴れている。彼らはグルドを探し出して処刑するつもりのようですが……残念ながら、ヤツの方が上手です。うまい具合に誘導されて、このままだと各個撃破されてしまうでしょう」
「被害状況は?」
「……見ての通りですよ。街全体に及んでいる」
この事態を止められなかった責任を感じているらしく、アルベルトはとても悔しそうだ。
でも、今は後悔している時じゃない。
この事態を止めることだけを考えないと。
「このような事態を招いてしまい、巻き込んでしまい、申しわけない……ただ、これ以上悪化させるわけにはいきません。お二人共、どうか力を貸してください!」
「すみませんが、私は無理です」
「えっ」
断られるとは思っていなかったのか、アルベルトは呆気にとられた表情に。
ただ、僕はソフィアの考えていることを理解した。
というか、ほぼほぼ同じことを考えている。
「私は、アイシャちゃんとスノウとリコリスを守らないといけません。彼女達のところへ向かいます」
「し、しかし、この惨事を止めなければいつまでも……」
「そちらはフェイトに任せます」
「うん」
ソフィアなら、そう言うと思っていた。
だから、すぐに頷くことができた。
ソフィアは家族を守る。
そして僕は、家族に害を成す根源を断つ。
適材適所だ。
「グルドの居場所に心当たりは?」
「……あります」
「では、フェイトと一緒に……お願いします。私は、大事な家族を守らなければいけないので、動くことはできません」
「しかし……いや、うむ。わかりました。彼と一緒に、必ずこの事態を収拾してみせましょう」
僕は剣聖ではなくて、ただの冒険者。
信じられるのかどうか、アルベルトは迷っていた様子だけど……
それも少しで、すぐに納得してくれた。
こういうところ、彼は本当にすごいと思う。
疑問は色々とあるだろうけど、それらを全て飲み込んで、今できることをやる。
最善の手を打つ。
なるほど。
アルベルトの方が、よっぽど領主にふさわしい。
「スティアート殿、行きましょう!」
「はい!」
駆け出そうとして、
「フェイト」
声をかけられて、ソフィアの方を見る。
彼女は心配そうにしつつ、でも、微笑んでいた。
「がんばってくださいね」
「うん!」
ソフィアの応援があれば百人力だ。
僕は気合を入れて、今度こそ、アルベルトと一緒に駆け出した。
「どうやら、思っていたよりも紳士な方みたいですね」
フェイトとアルベルトを見送り、ソフィアはぽつりと呟いた。
自分が前線に立たないと言えば、アルベルトは難色を示すだろう。
フェイトではなくて、自分に協力してほしいと言うだろう。
そんな予想をしていたソフィアだけど……
それは外れることに。
アルベルトは必要以上にソフィアを求めることはなくて、わりとスムーズにフェイトを受け入れた。
フェイトを信じることにした、というだけではなくて……
戦争のような状況なので、女性であるソフィアを前線に立たせたくない、という想いが働いたのだろう。
「気を使っていただけるのは、嬉しいですけどね。でも」
やれやれ、とソフィアはため息をこぼす。
女性として扱ってもらい、優しくしてくれることは素直に嬉しい。
でも、それでは不満なのだ。
男女関係なく、好きな人の力になりたい。
隣に立ちたい、と思う。
フェイトは無自覚にそれを理解しているのか、ソフィアを必要以上に縛ることはしない。
アイシャ達を守る役目も危険だけど、ソフィアなら大丈夫と信じて任せていた。
そうやって、互いに互いを支え合う。
それが、ソフィアが求める理想的な関係だ。
「だから、私はフェイトが大好きなのですよ」
――――――――――
ソフィアは風のように……
いや。
それ以上の速度で駆けて、アルベルトが所有するセーフハウスの一つに向かう。
彼のような立場になると、街に複数の避難場所を持つ。
そのうちの一つにアイシャ達がいる。
ソフィアは、大事な家族達の無事を確かめようとして……
「あーもうっ、うっとうしいわね!」
セーフハウスに近づいたところで、聞き覚えのある声が響いてきた。
そちらに視線をやると、素早く空を飛ぶリコリスと、それを追いかける暴漢達の姿があった。
「こっちに来るんじゃないわよ!」
リコリスは高速で飛びつつ、自分を追いかけてくる暴漢に手の平を向ける。
すると、地面が盛り上がり植物の蔦が飛び出してきた。
それらは意思を持っているかのように、暴漢達に絡みついて、その動きを封じる。
「ふふん、見たか! これが、絶対無敵万能超越最強完璧美少女妖精、リコリスちゃんの力よ!」
ドヤ顔を決めるリコリスだけど……
「ふん、これくらいで止められると思うな!」
「甘いんだよ!」
「ぴゃあ!?」
暴漢達は力任せに拘束を解いて、再びリコリスを追いかける。
「うーっ、あたしは戦闘は得意じゃないの! 補助がメインなのよ!」
リコリスは、なぜか空へ逃げようとしない。
暴漢達の手が届くギリギリのところを飛行して、あちらこちらを逃げていた。
ただ、それも限界だ。
魔法を連発したことで魔力が少なくなり、体力も減ってきた。
だんだんと速度が落ちて、暴漢達の手に落ちる。
「ぎゃー!? 離しなさい、離しなさいよ!?」
「うるせえ、黙れ!」
「思い切り邪魔をしてくれたな? この報いはしっかりと……」
「……リコリスになにをしているのですか?」
ザンッ!
建物の壁を蹴り急降下したソフィアは、その勢いのまま、リコリスを捕らえる男の腕を切り飛ばした。
たぶん、彼は革命軍なのだろう。
街の現状を憂い、立ち上がった勇気ある者なのだろう。
普段は善良な人なのかもしれないが……
そんなことはどうでもいい。
まるで関係ない。
この男は、リコリスに手を出そうとした。
ならば敵だ。
一切容赦することなく、まるで迷うことなく、男の腕を切り落とした。
「大丈夫ですか、リコリス?」
「そ……そびぃわぁあああああ……」
さすがのリコリスも怖かったらしく、滂沱の涙を流しつつソフィアにしがみつくのだった。
「ぎゃあああ!? 腕、俺の腕が!?」
「落ち着け! これで止血するんだ!」
「くそっ、なんでこんな……てめえ、何者だ!?」
突然、空から女性が降ってきた。
降ってきたかと思えば、目にも留まらぬ速度で仲間の腕を切り飛ばした。
訳のわからない事態に暴漢達はパニックに陥っていた。
武器を抜いて怒声を飛ばして、ソフィアを威嚇する。
ただ、ソフィアは思い切り彼らを無視して、リコリスをポケットに避難させた。
「すみません、遅れました」
「ほ、本当よ! もう少しで、マジでやばいところで……リコリスちゃんがどうにかなったら、世界の損失なんだからね!」
「ごめんなさい」
「うぅ……でも、よかったぁあああああ……」
よほど怖い思いをしたらしく、リコリスは泣いていた。
命の危機に晒されたため、さすがにいつものように振る舞うことはできないみたいだ。
「もう大丈夫ですよ」
「ん……ありがと」
「ところで……」
「アイシャとスノウなら、たぶん、大丈夫よ。あたしが囮になって、セーフハウスから引き離したから……あ。でも、他の人間に見つかっていないとも限らないから、急いだ方がいいかも」
「わかりました」
「おい、てめえ!!!」
二人の会話を遮り、暴漢が怒りに叫ぶ。
「よくも仲間をやってくれたな! てめえも領主の仲間か!?」
「俺達の邪魔をするつもりか!?」
「……」
ソフィアは、ちらりと暴漢達を見た。
冷たい瞳。
絶対零度の視線。
それを受けて暴漢達はたじろいで、言葉を失う。
「よくもやってくれたな……それ、私のセリフなのですが?」
「な、なんだと……?」
「殺そうとしたのだから、殺されても文句はありませんね?」
ソフィアは怒っていた。
心底怒っていた。
あのリコリスが泣いていたのだ。
命の危機に怯え、殺されるかもしれないという恐怖に泣いていた。
いつもとまったく違う姿を見せられて……
それだけ彼女の恐怖が大きかったことを知って……
ソフィアは、完全にキレていた。
「なにを訳のわからないことを!」
「邪魔するっていうなら、お前も領主の仲間だ!」
「ここで殺して……え?」
不意にソフィアの姿が消えた。
蜃気楼を見ていたかのように、ふっといなくなってしまう。
なにが起きているか理解できず、暴漢達は困惑する。
「え?」
再び間の抜けた声がこぼれた。
それは、暴漢の一人が発したもので……
彼の左手は、いつの間にか綺麗に切断されていた。
血が流れ……
遅れて痛みがやってくる。
「なっ!? あっ、あああああ!?」
「おい、大丈夫か!?」
「い、いったい誰が……」
「私ですよ」
ソフィアは音もなく暴漢達の背後に回り込んでいた。
うろたえる暴漢達に冷たい声を浴びせて、その背中に剣を突きつける。
「あなた達が領主の圧政に抗うために立ち上がったということは知っていますが……だからといって、犠牲を厭わない、被害も気にしない、というのはいただけませんね」
「て、てめえ……」
「動かないでくださいね? 間違えて、うっかりと突き刺してしまいそうです」
ソフィアはにっこりと笑い、言う。
その笑顔が逆に恐ろしいと、暴漢達は顔を青くして震え上がった。
「本当は殺したいところですが……まあ、完全な悪人というわけでもないので、命は勘弁してあげます。ただ……」
「ひっ」
剣が軽く暴漢の背中を傷つける。
「引っ込んでいてくれませんか? あなた達は、邪魔でしかないのです」
「そ、そんなこと……」
「聞いていただけないのなら、全員……殺します」
殺気が放たれた。
質量を持つほどに鋭く重いもので……
暴漢達の心はあっさりと折れてしまい、それぞれ、ぺたりと座り込んでしまう。
それを見たソフィアは剣を鞘に収めて、やれやれとため息をこぼす。
「まったく、その程度の覚悟で……本当に情けないですね」
リコリスが入っているポケットとは違うところからポーションを取り出して、暴漢達の前に放る。
「それで治療をしてください。でないと、出血死しますよ?」
「た、助かる……」
「まあ、腕は諦めてくださいね? 目的のためならなんでも許されると思い上がっていた、あなた達に対する授業料……ということで」
「……う……」
「では……消えてください」
「「「うあああああっ!?」」」
ソフィアの声を合図にしたかのように、暴漢達はポーションを拾い、一斉に逃げ出した。
その背中を見て、
「へへーんっ、この世界遺産的な最かわ美少女リコリスちゃんに手を出そうとするからよ! 一昨日来なさい!!!」
「リコリス……あなた、復活が早すぎませんか?」
やれやれと、今度は別の意味で呆れるソフィアだった。
「おかーさん!」
「オンッ!」
セーフハウスに移動すると、アイシャとスノウが飛び出してきた。
アイシャはソフィアに抱きついて、スノウは体を寄せる。
怯えているらしく、体が小刻みに震えていた。
ソフィアは、そんな二人を優しく抱きしめる。
「もう大丈夫ですよ。悪い人は、お母さんが成敗しましたからね」
「うぅ……」
「オフゥ……」
少し安心した様子だけど、アイシャの尻尾の毛はぶわっと膨れている。
スノウの尻尾の毛も膨れている。
まだまだ恐怖がとれていないのだろう。
そんな二人の様子を見て、ソフィアは、ちらりと後ろを見る。
そこには、セーフハウスを取り囲んでいた、革命軍を名乗る暴徒が転がっていた。
全て、ソフィアに叩きのめされたのだ。
首を切り飛ばしてやろうか?
一瞬、ソフィアは物騒なことを考える。
でも、仕方ない。
子を害されて怒らない母なんていない。
「うぅ……」
「なんて力だ……」
暴徒達は立ち上がろうとして、しかし傷が響いたらしく、すぐに倒れてしまう。
ソフィアの攻撃は、適切に的確に彼らの戦闘力を奪い取っていた。
「とりあえず、移動しましょうか」
セーフハウスは革命軍に知られていた。
援軍が来たら面倒なので、別の場所へ移動しよう。
そう考えたソフィアは、アイシャの手を引いて、スノウにおいでをする。
「おかーさん、おとーさんは?」
「お父さんは事件を解決するためにがんばっています」
「大丈夫かな……?」
「大丈夫ですよ。お父さんは強いですからね」
……あるいは、私よりも。
ソフィアは、そう心の中で付け足した。
奴隷時代の経験もあって、フェイトの身体能力はとんでもないところまで成長していた。
それから剣を持ち……
才能があったため、メキメキと上達していった。
魔剣使いのレナと、ある程度ではあるが互角に渡り合い。
水神と呼ばれていた魔物を単独で討伐してみせた。
ソフィアが彼の域に達するのには十年近くかかったというのに……
再会してから一年も経っていないのに、凄まじい成長速度だ。
「ふふ」
剣の腕で抜かれようとしているが、ソフィアは、焦りを覚えたり嫉妬したりすることはない。
嬉しさしかない。
大好きな人が強くなる。
ただただ、喜びしかないのだ。
「お前は……なんなんだよ……」
革命軍の一人がなんとか体を起こして、ソフィアを睨みつけた。
強くなったフェイトが強敵を倒して自分を助けてお姫様抱っこをしてくれる……という妄想に浸っていたソフィアは我に返り、とても不機嫌そうに革命軍を睨み返す。
「なんだ、とはどういう意味ですか?」
「なんで、領主なんかに味方をするんだ……あいつは人でなしで……金か? 金で雇われたのか……?」
「失礼ですね。お金は大事ですが、だからといって、その程度で悪事に手を染めるつもりなんてありませんよ」
「ならば、どうして俺達の邪魔をする……? これは、街を正常に戻すための聖戦だというのに……」
「聖戦……ねえ」
大きく出たものだ、とソフィアはある意味で感心した。
なんて面の皮が厚いのだろう。
やれやれと呆れの吐息がこぼれる。
「まあ、私が領主に雇われていると勘違いするのは仕方ないとしても……あなたは今、なにをしようとしたか覚えていますか?」
「な、なに……?」
「子供と子犬を襲おうとしたんですよ?」
「そ、それは……」
「自分の行いが恥ずかしいと、そう思わないのですか?」
「……大義のためだ。多少の犠牲は止むをえない」
「はぁあああああ……」
ソフィアはさらに深いため息をこぼした。
不快なため息だ。
「子供と子犬を襲おうとした理由、なにも応えてもらっていませんよね? まあ、大方、この子達が領主の関係者と思い人質にしようとした、というところでしょう。笑ってしまいますね。人質を取るような者に正義が?」
「非道な領主を敵にするのだから、それくらいは仕方ない」
「なら、どうして最初からそう言わないのですか? 大義のため、という言葉で誤魔化そうとしたのですか?」
「う……」
「後ろめたいからでしょう? 子供を利用するのは悪いことと、理解しているからでしょう? だから、響きの良い言葉で誤魔化そうとした。私だけではなくて、自分も」
「……」
革命軍は言葉も出ない様子だった。
ただ、ソフィアは言葉を止めない。
さらに口撃を続ける。
「大義のため、とか言いますけどね。それで切り捨てられる方はたまったものではありません。大義のためだから死んでくれ? そう言われて納得できる人なんて、一人もいませんよ。あなたが言われたらどうしますか? あなたの家族や恋人が、大義のためだから死んでくれ、なんて言われたらどうしますか?」
「あ……」
「あなた達のやろうとしていることを否定するつもりはありませんが……やるならやるで、きちんと覚悟を示してください。楽な言葉に逃げないでください」
ソフィアは剣を突きつけた。
「私は、そんなことはしません」
そして、冷たい目をして言う。
「私は、私の大切なもののために戦います。それを邪魔するというのなら……斬ります」
「……」
その言葉で革命軍の心は完全に折れてしまい、がくりとうなだれるのだった。
「いたぞ、領主の息子だ!」
「ヤツを捕まえて領主の居場所を……ぐは!?」
どこからともなく現れた革命軍を、アルベルトは剣で斬り伏せた。
不意打ちをしかけられているのだけど、まったく慌てていない。
それどころか、相手の命を奪わないように、きっちりと手加減している。
なかなかできることじゃない。
「強いんですね」
「なに、護身術程度さ。君には劣る」
「そんなことはないですよ」
「……なにもないような顔をしつつ、すでに私の倍以上を倒しているのを見ると、まるで説得力がないのだが」
アルベルトが苦笑した。
確かに、僕も革命軍を倒している。
きちんと手加減をしている。
ただ、一応、冒険者だ。
これくらいはやらないと恥だ。
「領主はどこにいると思いますか?」
アルベルトと肩を並べて街中を駆けつつ、そう問いかけた。
「私がセーフハウスを持つように、グルドもセーフハウスを持つ。そのどこかにいると思うが……」
「数は?」
「……わからない。十は超えるだろう。ただ、二十には届かないと思う」
「厄介ですね」
セーフハウスが一箇所に固まっている、なんてことはまずない。
街中に散らばるように配置されているだろう。
運が良ければすぐに見つけられる。
でも、運が悪いと街中を駆け回ることになる。
そんなことになれば、その間、被害は拡大する一方で……
とてもじゃないけれど現実的な方法じゃない。
「心当たりは?」
「……すまない。いくらかはあるものの……しかし、私は、グルドのセーフハウスの全てを把握しているわけではない。そうなると……」
「どこを探せばいいかわからない……というわけですね」
「ああ」
まいったな。
一刻も早く事態を解決しないといけないのに、今のところ、その道筋が見えてこない。
情報がまったくない以上、片っ端から探して回るしかないのだけど……
でも、アルベルトも全てのセーフハウスの場所を知っているわけではない。
下手をしたら空振りが続いて、いつまで経っても領主のところへたどり着くことができない。
敵を捕まえて尋問してみる?
でも、うまいこと領主の場所を知っているとは思えない。
前線で暴れ回る兵士に大事な情報を渡すとは思えないし……
「……仕方ない。時間はかかるかもしれないが、心当たりのあるセーフハウスを順に回ってみよう。その上で、グルドの居場所の手がかりを探そう」
「そう、ですね……」
それしかない。
ないのだけど……
相当に時間がかかってしまう。
被害が拡大してしまう。
ここまで関わった以上、最善の結果をつかみ取りたいのだけど……
「あれ?」
ふと、妙な気配を感じた。
「どうしたんだい?」
「えっと……ちょっと待ってください」
足を止めて、目を閉じる。
集中。
心を広げて、周囲と一体化するようなイメージ。
気配と感覚を広げていく。
ソフィアにならった探知方法だ。
無防備になってしまうものの、これなら遠くまで色々な気配を探ることができるとか。
「これは……」
覚えのある気配を感じた。
といっても、領主というわけじゃない。
領主と顔を合わせたことはないから、彼の気配なんて知るわけがない。
僕が感じた気配。
それは……
「……魔剣……」
とても禍々しい気配。
触れているだけで、心がざわざわする。
落ち着かなくて、気分が悪くなるような、ひどく不快なもの。
間違いない。
これは魔剣の気配だ。
レナと何度も戦ったりしているから、魔剣の気配とか、感覚的にだけど覚えた。
ということは……
もしかして、今回の事件、黎明の同盟が絡んでいる?
「魔剣? なんだい、それは」
「えっと……詳細を説明すると長くなるので簡単に言いますけど、呪われた武器みたいなものです。ものすごく厄介な武器で、魔剣が原因で色々な事件が起きています」
「ふむ……その気配を感じるんだね?」
「はい」
「それは、どっちだい?」
「えっと……あっちですね」
嫌な感じがする方を指さした。
すると、アルベルトは険しい表情に。
「……私が知るセーフハウスが、ちょうどそちらの方角にあるね」
「なら……」
「もしかしたら当たりかもしれない。行ってみよう」
「えっと、いいんですか? 僕も、確証があるわけじゃあ……」
「なに、他に手がかりはないからね。無闇に探し回るよりはマシだろう。それに……」
「それに?」
「私は、君を信じているよ」
敵わないなあ……と、僕は苦笑するのだった。
工業地帯の一角。
そこに、グルドが所有するセーフハウスがあった。
外観はただの倉庫。
しかし、中は快適に過ごせるように改造されているという。
「あれが、私が知るグルドのセーフハウスなのだけど……」
「当たりかもしれないですね」
倉庫の外にいくらか人がいた。
いずれも武装してて、周囲を警戒している。
それだけじゃない。
倉庫の中から、さらにたくさんの気配がした。
これだけのトラブルが起きている中、これだけの人数がセーフハウスに集まっている。
まず間違いなく、あの中にグルドがいるだろう。
「場所を見つけられたところまではいいが……問題は、こちらの戦力だな」
僕とアルベルトの二人だけ。
うまく立ち回れば、二人でやってやれないことはない。
ただ……
「魔剣使いが敵にいたら……まずいかも」
黎明の同盟がグルドに協力していたら?
協力していなくても、この嫌な気配から考えると、敵が魔剣を持っていることは確定だ。
とても強力な武器なので、僕達だけで対処できるかどうか……ここはもう、賭けになってしまう。
「魔剣というのは、そんなに厄介なものなのかい?」
ここに来る途中、魔剣について軽く説明をしておいた。
ただアルベルトは、いまいちピンとこない様子だ。
「ものすごく厄介なものです。そうですね……」
少し考えて続きを口にする。
「鉄をバターのように斬ることができて、おまけに、身体能力を強化することができます」
「それは、また……」
「最下位の魔剣で、それです。もしもレベルの高い魔剣を敵が所有していたら……」
「最悪、剣聖殿に匹敵する力を持つ、と考えた方がいい……というわけか」
「はい」
普通に考えるのなら、一人、この場に残って様子を見る。
その間に、もう一人が援軍を連れてくる。
それが最善だ。
ただ、時間をかければかけるほど被害が拡大してしまうし……
この混乱だ。
うまく援軍を連れてこられるかわからない。
「……」
アルベルトは倉庫を睨みつつ、思考を回転させていた。
僕としては、突入する方に賛成だ。
ただ、気軽にアルベルトを巻き込むわけにはいかないので、最終的には彼の判断に従おうと思う。
「……よし」
ややあって、アルベルトは小さく頷いた。
「君には迷惑をかけてしまうが……ここは、すぐに突入したいと思う」
「いいんですか?」
「ああ、リスクは承知の上だよ。色々な問題はあるけれど……しかし、一刻も早く事態を収拾したい。そのために、できることをやると決めた」
「わかりました。僕も、できる限りのことをします」
「すまない」
アルベルトも、僕を危険に巻き込むことを申しわけなく思っているみたいだ。
その頭を下げる。
でも……
「謝らないでください」
「しかし」
「それよりは、別の言葉が欲しいです」
「それは……ああ、なるほど」
こちらの言いたいことを理解した様子で、アルベルトは苦笑した。
「君は、本当に気持ちの良い男だな。同じ男として、その格好良さに嫉妬してしまうよ」
「そ、そんなことは……」
「照れなくてもいい。それと……ありがとう」
「はい」
最初は、アルベルトに嫉妬とかしていたのだけど……
でも、今は彼に好感を持っていた。
立場は違うけど、もしかしたら友達になれるかもしれない。
そんなことを思うのだった。