水神を倒したことで、嵐はピタリと止んだ。
雨は上がり、風は穏やかなものに変わる。
空を覆っていた雨雲も消えて、太陽が顔を見せた。
氾濫寸前の川は、すぐに元に戻ることはないけど……
数日もすれば元の水位に下がるだろう。
アクアレイトは救われた。
誰かの力になることができた。
そのことはとても嬉しい。
嬉しいのだけど……
――――――――――
「むううう……!」
宿へ戻ると、不機嫌そうなソフィアが。
そんな彼女の前で正座をする僕とリコリス。
「無茶はしない、って約束しましたよね?」
「う、うん。そうだね」
「でも、リコリスの話を聞く限り、無茶をしたみたいですね?」
「そ、そうかな……? 無茶っていうほど無茶はしていないような……」
「一歩間違えたら、死んでいたかも……という攻撃を受けたと聞いていますが」
「うっ」
最後、水神が口から放ってきた水流のことだろう。
確かに、あれが直撃していたら即死だったと思う。
「危ないと感じた場合は、即撤退。二人で挑む……という約束をしていましたよね?」
「えっと……あれくらいなら、そんなに危ないことは……」
「危ないです!」
ピシャリと言われてしまい、反論の言葉を失う。
「前々から思っていましたけど、フェイトは自分のことに対して鈍感です。他人の痛みには敏感なのに、自分のことになると途端に鈍感になって、おざなりになってしまいます」
「そう……なのかな?」
「そうです!」
そんな自覚はなかった。
でも……
そう指摘されると、ソフィアの言う通りかもしれない。
奴隷生活が長かったから、誰かのために、と思うことが自然になって。
自分のことをないがしろにしていたのかもしれない。
「……もう」
「そ、ソフィア……?」
突然、ソフィアに抱きしめられてしまう。
ぎゅうっと、強く強く抱きしめられてしまう。
でも、痛いと思うことはなくて……
むしろ、温かくて優しい気持ちになれた。
「話を聞いて、とても心配したんですからね……」
「……ごめん」
「罰として、このまま抱きしめさせてください」
「それ、罰なの?」
「罰です」
「そっか……なら、じっとしていないとだね」
「はい」
静かで優しい時間が流れて……
「じー……」
「オフゥ……」
「「っ!?」」
アイシャとスノウがいることを思い出して、僕とソフィアはビクリと震えた。
顔を熱くしつつ、慌てて離れる。
「おとーさん、おとーさん」
「な、なに?」
「わたしも、ぎゅってして?」
「う、うん。もちろん! ほら、ぎゅー」
「えへへ」
抱きしめると、アイシャは嬉しそうに尻尾を振った。
「にひひ、アイシャが純粋でよかったわね」
「……うるさいですよ」
リコリスにからかわれて、ソフィアはさらに顔を赤くするのだった。
翌朝。
水神がいなくなったことで、綺麗な青空が一面に広がっていた。
温かい陽の光が降り注いで、街全体が輝いている。
うん。
これなら川を渡る船も出ているだろう。
「よかった、街が元通りになって。これで旅を再開できるよ」
「っていうか」
リコリスが口を開く。
「あたしらなら、嵐の中でも、どうにかして川を超えることができたんじゃない? 無理して水神を倒すことなかったんじゃない?」
「それは……」
リコリスの言うことは、たぶん、正しいと思う。
風の足場なんてものを作れるから……
僕やソフィアがアイシャとスノウを抱えれば、あの荒れ狂う川も超えられたはずだ。
はずだけど……
「でも、嫌なんだ」
「なにがよ?」
「困っている人がいるのに、それを見なかったことにするのは……嫌なんだ」
助けることができるのなら、助けたい。
助けられないとしても、自分にできることを探したい。
そう思うのは、わがままだろうか?
「フェイトは、それでいいと思いますよ」
振り返ると、ソフィアが優しい顔をしていた。
「フェイトは優しいところが魅力的で……それと、それが力にもなっていると思うんです。誰かのために……そう願うことで、力が湧いてきていると思うんです」
「そう、かな?」
「そうですよ。誰かのために動き時こそ、フェイトは、一番の力を発揮していましたから」
ちょっと照れくさいけど……
そう言ってもらえると嬉しい。
「まったく、仕方ないわねー。反対はしないけど、それに突き合わされるあたしの身にもなってほしいわ」
「リコリス……つんでれ?」
「オフゥ」
「なんでそうなるのよ!? ってか、アイシャにそんな言葉教えたの、どっち!?」
「え? いや、僕はそんなことは……」
「私も、そんな言葉を教えたことはないのですが……」
僕とソフィアは、揃って首を傾げた。
たぶん……
宿に泊まっていた時、他の客の話を聞いて覚えたんだろう。
子供って不思議だ。
親の知らないところで、どんどん成長する。
これから先、どんな風に成長していくんだろう?
どんなことを覚えていくんだろう?
それを知りたい。
知りたいからこそ、彼女を狙う黎明の同盟をなんとかしないといけない。
それと……
誰かが涙を流すのを止めたいから、っていう理由もある。
感謝されなくていい。
自己満足でもいい。
ただ、そうしたいと願うから、そうするだけだ。
「……もし」
声をかけられて振り返ると、宿にいたおじいさん……ヘミングさんが。
「……ありがとう」
「え?」
「あんた達に水神様の話をして……それから、ピタリと嵐が収まった。詳しいところはわからぬが、なんとかしてくれたのじゃろう?」
「えっと、それは……」
「なにも言わなくてもよい。ただ、お礼を言っておきたかったのじゃ。本当に……ありがとう」
「……はい」
僕が戦うことで、こうして、誰かの涙を止めることができる。
なら、戦うだけだ。
「お主ら、北へ向かうのか?」
「はい。王都を目指しているんです」
「なら、これを持っていくがよい」
手の平サイズのカードを渡された。
「王都は警備が厳しいから、入るのも一苦労じゃ。ただ、この通行証があれば、問題なく入れるじゃろう」
「ありがとうございます」
「せめてもの礼じゃ。ではな」
ヘミングさんはにこりと笑い、立ち去っていった。
それから、ソフィアがリコリスに、ニヤリと笑う。
「人助けをすることで、こうして得られることもあるんですよ?」
「むぐ」
「まあ、フェイトの場合、対価を求めてのことではありませんが……でも、そういうところが大好きです」
「あ、ありがとう。僕も、ソフィアのことが……」
「はいはい、隙あればイチャつこうとするんじゃないの。ほら、とっとと行くわよ」
リコリスに促されて、船着き場へ向かう。
こうして僕達は、色々とあったアクアレイトを後にして……
王都に向けて、さらに旅を続けるのだった。
アクアレイトの北は広大な森林地帯だ。
開拓が進んでいるため、道は整備されているものの……
その全てを切り開くことは不可能だ。
この中を馬車で進むと、いざという時に身動きがとれない。
なので、歩きで森林地帯を抜けることにした。
「ねえねえ、なんで歩きなの? お嬢さま的妖精なあたしには、ちょっと過酷なんですけど」
「リコリスは飛んでいるよね?」
「あー、それ妖精差別な発言よ。飛ぶのだって疲れるんだから」
「疲れた時は、僕の頭の上に乗っかるといいよ」
「ふふん、そうさせてもらうわ」
なんで偉そうなんだろう?
「アイシャちゃんは大丈夫ですか? 疲れた時は、私がおんぶしてあげますからね」
「大丈夫、がんばる」
「うんうん、アイシャちゃんは偉いですね。すぐ人に頼ろうとする怠け者さんとは大違いです」
ちらりとリコリスを見て、ソフィアがニヤリと笑う。
「むっ。あたしが怠け者なんて心外ね」
「リコリス、とは言っていないのですが」
「どう見てもあたしのことでしょ! まったく……いいわよ、これくらい、ずっと飛んでてやろうじゃない!」
見事、挑発に乗せられたリコリスはがんばって飛び続けることに。
僕は、別に頭の上に乗っても構わなかったんだけど……
でも、そうか。
甘やかしてばかりだと、本人のためにならないよね。
「オンッ!」
ふと、スノウが吠えた。
ぐるるる、と低く唸る。
僕とソフィアは、アイシャとスノウ、それとリコリスを背中にかばい、それぞれ剣に手を伸ばす。
「魔物かな?」
「すぐ近くにはいないと思いますが、間違いないと思います」
神獣であるスノウがここまで敵意を見せるなんて、魔物以外にいないだろう。
そう判断した僕達は、警戒態勢に移行しつつ、ゆっくりと進む。
ほどなくして、剣戟の音が聞こえてきた。
「無理に攻撃をするな! 守備に専念しろ!」
「二人一組で当たれ!」
「くっ、動きが速い……!?」
これは……
音がする方に視線を走らせると、道の先に馬車が見えた。
馬が二頭使われている馬車で、豪華な装飾が施されている。
そんな馬車の周囲には、武装した兵士が六人。
それぞれ馬車を背中にかばい、魔物と戦っている。
どうやら、旅人が魔物に襲われているみたいだ。
「スノウは、あれに反応していたのかな?」
「みたいですね。馬車を襲っているのは……ファイアベア。なるほど、厄介な相手ですね」
ファイアベア。
名前の通り、熊型の魔物だ。
体は大きく、力が強いだけじゃなくて、動きも素早い。
さらに火を吐くという、とんでもない能力を持った魔物だ。
そんなファイアベアが、三頭、馬車を襲っている。
思わぬ強敵を相手に、護衛の兵士達は苦戦しているみたいだ。
「フェイト、アイシャちゃん達をお願いします」
「うん、了解」
頷くと同時、ソフィアが駆けた。
その動きは、まさに風のように。
一瞬で馬車の近くに駆け寄り……
「ふっ!」
駆け抜けると同時に剣を振る。
キィン!
刃の軌跡に沿って、ファイアベアの頭部に傷が入り……
そのまま胴体と分かたれた。
電光石火の一撃。
さすがソフィアだ。
「な、なんだお前は!?」
「いや、待て。その剣、その姿……」
「もしかして、剣聖ソフィア・アスカルト!?」
「助太刀します。あなた達は馬車をお願いします」
返事を待たず、ソフィアは再び駆けた。
真正面からファイアベアに突撃する。
普通の人なら無謀な行為と嘆くところだけど……
彼女の場合は違う。
不意を突くとか死角に回り込むとか、そういう搦手は必要ない。
それほどまでに実力差がある。
「ガァ!」
ファイアベアが豪腕を振り下ろした。
しかし、ソフィアは剣を一閃。
その腕を切り飛ばしてしまう。
さらに、返す刃でファイアベアの胴体を斬る。
刃は胴体を両断して、ファイアベアを物言わぬ躯にする。
最後の一匹は、敵わない相手と悟ったらしく逃げ出すが……
「すみませんが、人を襲った以上、逃がすわけにはいきません」
ソフィアはあっさりとファイアベアに追いついて、その首を跳ね飛ばした。
すごい。
わずか十秒足らずで全滅させてしまった。
「あ、ありがとう。助かったよ……」
「どういたしまして。それよりも、馬車の中の人は……」
「素晴らしい!!!」
馬車の扉が開いて、中から二十代くらいの男性が姿を見せた。
彼は感動した様子でソフィアの手を取り……
そっと、その手の甲にキスをする。
「……へ?」
あまりにも突然のことに、ソフィアは目を丸くしてしまう。
さすがに、手の甲にキスをされると思っていなかったらしく、されるがままだ。
一方、相手の男性はソフィアの手を握ったままだ。
その状態で熱く語る。
「あなたがかの剣聖か。その実力はもちろん、それだけじゃなくて、とても美しい。まるで一流の美術家が描いた絵画のよう……いや、それ以上だ。神が作った奇跡としか思えない」
「え? あ、はあ……」
とんでもない口説き文句だけど、ちょっと遠回しな言い方のせいか、口説かれているという実感がないらしい。
ソフィアは生返事を返してしまう。
「そう……あなたは、女神。地上に降臨した女神そのものだ。この運命的な出会いに、全ての人々に感謝を捧げたい」
「えっと……」
「魔物に襲われた時は覚悟をしたが……なるほど。このような出会いがあるのならば、逆に感謝しなくてはならないな。女神と出会うきっかけをくれた魔物にも感謝を」
「あのー……」
これはどうしたら?
そう困った様子で、ソフィアがこちらを見て。
「あっ」
ソフィアの困り顔を見て、ようやく我に返る。
冷静に解説していないで、やるべきことがあろうだろう、僕!
「だ、大丈夫ですか!?」
慌ててソフィアと男性の間に割り込んだ。
無理に引き離したら不興を買うかもしれないと思い……
慌てているフリをして、二人を引き離した。
「む、君は……?」
そこでようやく僕の存在に気がついたらしく、男性は不思議そうな顔に。
それから、護衛の兵士に耳打ちされて、納得顔になる。
「おお、そうか! 剣聖殿と一緒に助けてくれたのか。なるほど、なるほど。君にも感謝しなければいけないな。ありがとう」
「え? あ……はい。どういたしまして」
邪魔をするな、とか。
私と彼女の間に立つな、とか。
そんなことを言われると思っていたけど、ぜんぜん違う。
純粋に僕に感謝しているみたいだ。
これで、実は違うことを考えていた、となったら、この人は相当な役者だ。
「剣聖殿に、将来有望な少年……うむ。このような出会いがあるなんて、今日はとても素晴らしい日だ。我が領の記念日にしたいな」
「えっと……」
やっぱり、この人はとても偉い人だ。
貴族であることは確定。
それと、今のセリフから考えると、どこかの領主でもありそうだ。
あるいは、その関係者。
「色々と話したいことはあると思うけど……思いますけど、まずは、ここを離れませんか? また、魔物に襲われないとも限らないので」
「おお、そうだったな。それもそうだ。それで……」
「はい、僕達も一緒に行きます」
いいよね? とソフィアを見ると、迷う間があってから、小さく頷いた。
いきなり口説かれて困っているのだろう。
「ただ、連れがいて……」
「ふーん、イケメンね。でも、この超超超プリティかわいいガールリコリスちゃんには敵わないわねー」
「おとーさん?」
「オンッ」
「ほう。リコリスに獣人の幼子に銀狼……これはまた、珍しい」
男性の目が輝いた。
ただ、悪巧みをしているという感じはしない。
どちらかというと、正義のヒーローを目の前にしたような子供のような感じだ。
「この子達も一緒でいいなら」
「うむ、うむ。もちろんだ。その者達は、二人にとって大事な存在なのだろう? ならば、それを拒むような恥はせぬ。ぜひ、歓待をさせてほしい」
ものすごく話がわかる人だ。
ちょっと変なところはあるけど……
でも、実は良い人なのかな?
「それと……招くと言っておいてすまないのだが、護衛を頼めないだろうか? ここは、思っていたよりも凶悪な魔物が多くてね。我が兵士達を信頼していないわけではないのだが、安全には安全を重ねておきたい。もちろん、相応の謝礼は払おう」
「はい、構いません」
「うむ、助かる。ではすまないが、頼んだ。ああ、そうそう。そちらのレディ達と子狼は、私の馬車に乗るといい。まだしばらく歩くことになるから、その方がいいだろう」
「あ、ありがとうございます」
自分の馬車に乗せてくれるなんて……
この人、変わっているだけで、ものすごく良い人?
どんどん評価が上昇していく。
でも……
「……」
「どうしたのですか、フェイト?」
とあることを思い返して、ついつい、面白くない顔をしてしまう。
それを見たソフィアは不思議そうな顔に。
「ううん、なんでもないよ」
この人は、ソフィアの手の甲にキスをした。
そのことがもやっとして……
ついつい嫉妬してしまう僕だった。
アクアレイトの北には広大な森が広がり……
それを抜けたところには、山が連なっていた。
その麓に広がる街が、レノグレイドだ。
アリの巣のように鉱道が伸びていて……
そこからとれる色々な鉱石が主な産業だ。
それ故、鉱山都市とも呼ばれているらしい。
僕達が助けた人は、アルベルト・ヒルディス。
レノグレイドの領主の息子だった。
ちょっとした用事でアクアレイトに出かけていたらしいけど……
その帰り道、魔物に襲われてしまったらしい。
そこに僕達が通りかかり……という状況だ。
「おー」
護衛は無事に終わり、僕達は、そのまま屋敷に案内された。
広いだけじゃなくて綺麗な調度品が並ぶ屋敷内を見て、アイシャが目をキラキラさせた。
巫女とか姫様とか言われているけど、やっぱり子供。
こういうところは好きなんだろうな。
「どうぞ、こちらへ」
メイドさんに案内されて、客間へ。
「こちらでお待ちください。なにかあれば、遠慮なく申しつけください」
そう言って、メイドさんは部屋の端に待機した。
ちなみにアルベルトは、最初に、領主である父親に報告しなければいけないと、今はこの場にいない。
本当は僕達とすぐに話をしたいのだけど……と、言っていた。
その態度に嘘はないように見えて、彼の人柄が表れているみたいだ。
……だからこそ、余計にソフィアの手の甲にキスをしたのがもやっとする。
「どうしたのですか、フェイト」
「え?」
「なにやら怒っているみたいですけど……」
「そ、そんなことはないよ」
感情が表に出ないように、表情はきちんとコントロールしていたはずだ。
でも、そんな僕を見てソフィアが優しく笑う。
「確かに、いつもと変わらない顔ですけど……でも、私にはわかります。どれだけ隠そうとしていても、フェイトの心はわかりますよ」
「……ソフィア……」
「どうしたんですか?」
優しい声で言われると、隠し続けることはできなかった。
「その……さっき、手の甲にキスをされたよね?」
「あ」
「それで、えっと……なんていうか、こう……もやもや、っと」
「……っ!」
ソフィアは、なぜかぷるぷると震えて、
「あーもうっ、フェイトはかわいいですね!!!」
「うわ!?」
思い切り抱きしめられてしまう。
「嫉妬ですか!? 嫉妬ですね!? もう、そんなことをするなんて、フェイトったら。そんなフェイトもたまらなくかわいくて、抱きしめてしまいたくなります」
「もう抱きしめているよ……」
「かわいすぎるフェイトが悪いんですよ?」
僕のせいなの……?
「でも……安心してください」
ソフィアの力が緩んで、さきほどまでと同じような穏やかな声で言う。
「私の心の中にいるのは、フェイトだけですよ。好きというカテゴリーなら、たくさんの人がいますけど……異性として愛しているのは、フェイトだけです。この部屋は、あなただけのものです」
「そ、ソフィア……」
「だから、大丈夫です」
「……うん」
嬉しくて。
温かい気持ちになって。
反射的にソフィアに手を伸ばして……
「あんたら、領主の屋敷でまでイチャつくとか、すごい根性ね」
「「っ!?」」
リコリスの言葉で我に返り、僕とソフィアは同時にびくんと震えて、離れた。
あ、危なかった……
リコリスの言う通り、こんなところでこんなことをしたらダメだ。
「またせた」
絶好のタイミングなのか、それとも最悪のタイミングなのか。
扉が開いて、アルベルトさんが現れるのだった。
「こちらから招いておいて、待たせてしまうなんて申しわけない。なるべく早く用事を片付けたのだが……うん? 二人共、顔が赤いがどうかしたのかな?」
「「な、なんでも!!」」
そうやって、慌てて首を横に振る僕とソフィアだった。
「まずは、礼を言わせてほしい。護衛を引き受けてくれて、ありがとう」
アルベルトが小さく頭を下げる。
領主の息子という立場なのに、一介の冒険者に頭を下げるなんて……
なかなかできることじゃない。
それに、顔も整っていて。
背も高くて。
「……」
この人と競ったら、僕は勝てるのだろうか?
実力じゃなくて、男としての魅力が勝っているのだろうか?
ついつい、そんなことを考えてしまう。
それに気づいてか気づいていないのか、アルベルトは話を進める。
「どうぞ、私のことはアルベルトとお呼びください」
「では、私達のことも名前でどうぞ」
「わかりました、ソフィアさん、フェイトくん。アイシャちゃん、スノウくん」
気さくな人だ。
性格も良い。
そうなると、この人がライバルになったら……
って、ダメだダメだ。
なにか真面目な話があるみたいだから、今は、そっちに集中しないと!
「剣聖であるソフィアさんは、さすがの腕でした。それだけじゃなくて、フェイトくんも素晴らしい力を持っている。二つ名や称号を持っていないのが不思議なくらいだ」
「あ、えっと……冒険者になって、まだ日が浅いので」
「なんと。それなのに、あれほどの実力を……才能があるんだね」
「あ、ありがとうございます」
アルベルトはソフィアだけに話をするのではなくて、僕にも声をかけてくれる。
というか、友達のような感覚で親しく話をしてくれる。
本当、良い人だ。
「……そんな二人を見込んで、お願いしたいことがあるのです」
アルベルトは軽く手を振り、メイドさんを部屋の外に下がらせた。
他の人には聞かせられない内容、っていうことか。
「あの、アイシャとスノウは……」
「もちろん、二人のことも信頼しているよ」
とてもありがたい言葉だった。
「それは、依頼っていうことですか?」
「ああ、その通りだよ」
「どうして僕達に?」
「二人は腕が立つだけではなくて、信頼できるように思えた」
「出会ったばかりなのに?」
「一応、私は人を見る目があるつもりなのさ」
ひとまず話を聞いてみよう。
そう判断して、続きを促す。
「これからする話は、絶対に内密にしてほしい。ソフィアさんとフェイトくんだからこそ、話をする。依頼を請ける請けないは、後で判断してもらって構わないけれど、他言無用ということだけは、今ここで誓ってもらいたい」
「わかりました、絶対に話しません」
「ええ。女神に誓います」
「ありがとう」
そう言って笑うものの……
アルベルトは、すぐに笑みを消して、重い表情になってしまう。
彼をこんなにさせてしまうなんて……
いったい、どんな依頼なのだろう?
緊張して、でも、ちょっとだけわくわくした。
冒険者の生活に、すっかり馴染んだ、っていうことなのかな?
「依頼というのは……この街、レノグレイドの領主である父を追い落とす手伝いをしてもらいたい」
「追い落とす、って……」
とんでもない話が飛び出してきた。
最初は、聞き間違いかと思うけど、
「父を蹴り落として、私が領主の座につきたいのだ」
改めて、そんなことを言われてしまう。
まともそうな人に見えて、その裏で、簒奪を考えていたなんて……
なんて人だ。
このことは、すぐに報告をして……
って、待てよ?
驚きのあまり短絡的な思考になりそうだったけど、よくよく考えてみるとおかしい。
出会ったばかりの僕達に、そんなことを話すわけがない。
普通の人なら、悪事に加担するかどうか、時間をかけて見極めるものだ。
強いから、という理由で協力を求めるほど、アルベルトは短慮ではないだろう。
「……なにか事情があるんですか?」
ひとまず話を聞いてみよう。
ソフィアも賛成らしく、口を挟まない。
「ありがとう。きちんと話を聞いてもらえて、嬉しいよ」
「請けるかどうか、それは未定です。ちゃんと話を聞いてからです」
「もちろん、それでいいさ」
そして、アルベルトは事情を語る。
この街……レノグレイドは、銀鉱山で栄えているらしい。
銀を採掘して、輸出。
あるいは街で加工して、他所へ売る。
街の人はそうやって生計を立ててきた。
しかし最近、その構図にほころびが生じてきたという。
「流行病が発生してね。多くの人が病に倒れてしまったんだ」
「そんなことが……」
「幸いというべきか、致死性は低い。高熱は出るものの、一週間くらい寝ていれば治るんだ。ただ、感染力が高く、有効な治療法も確立できていないため、うまく対処することができなくてね……情けない話だ」
そう語るアルベルトは、自分の力不足を心の底から嘆いているみたいだ。
「この非常時にするべきことは、治療と感染拡大の防止の徹底だ。感染してしまった者は、最悪の事態にならないようにしっかりと治療して、仕事を休み、感染が拡大しなように隔離しないといけない。いけないのだけど……」
アルベルトは苦い顔に。
「父は……領主は、それを許さなかった」
鉱石の採掘がストップすれば、収入がストップする。
一時的ではあるものの、街の財源を失うことになる。
「父は言ったよ。このような病など恐れることはない、今まで通り、いつも通りの日常を過ごすことを命じる……と」
「それは……」
わからない話じゃない。
経済がストップしたら、やがて、街が崩壊してしまう。
それを避けるために、必要以上の制限はかけない。
理解できない話じゃないけど……
だからといって、まったく制限をかけないのはいかがなものか?
そんなことをしたら病は拡大する一方だ。
収束は遠ざかり、余計に経済にダメージを受けてしまう。
制限をかけつつ、経済も回していく。
そのバランスをうまく取ることが大事だ。
「それどころか、財源が減ったからと、税を上げると言い出した」
「えぇ……」
「多少の熱なら問題ない、鉱山に出ろ、とも言った」
「えぇぇぇ……」
領主の発言の方が問題だらけだ。
「前々から、色々と怪しいところはあったのだけど……ここに来て、利己的な思想が目に見えて現れるようになってね。このままでは、街が破滅するか……あるいは、父が破滅するだろう」
「なるほど」
そうなる前に領主の座から蹴落としてしまう、というわけか。
アルベルトの考えは過激なものだけど……
時間がない今、他に有効な手はないだろう。
この状況が長引けば長引くほど、人々と街にダメージがいくのだから。
「このまま、街の治世を父に任せておくわけにはいかない。だからこそ、荒々しい手段ではあるが、父を追い落とすことにした」
「なる、ほど……」
「どうだろう? 私に協力してくれないだろうか?」
「……少し考えさせてくれませんか?」
今は、そう答えるのが精一杯だった。
その日は、そのまま屋敷に泊まることになった。
アルベルトの客人として、滞在許可が降りたのだ。
僕達に与えられた客室は一つ。
でも、とても広く、ベッドも四つあった。
「あー、ふかふかのベッド、素敵だわー」
リコリスはさっそくベッドにダイブするものの、僕達はそんなことはしない。
部屋の中を見て回り、間取りを確認して……
それと、とあるものを探す。
「フェイト、どうでしたか?」
「大丈夫だと思うよ」
「私の方も、問題ありませんでした」
「おとーさん、おかーさん。なにをしているの?」
アイシャが不思議そうに小首を傾げた。
「えっと……盗み聞きをしている悪い人がいないか、調べていたんだ」
「おー」
「アイシャちゃんも、誰かに見られたりしたら嫌でしょう? だから、色々と確認をしていたんですよ」
正直なところ、アルベルトのことは信用していない。
話に矛盾はなかったけど……
でも、それだけで出会ったばかりの人間を信用することはできない。
それは向こうも同じのはず。
だから、客室に盗聴の魔道具を仕掛けるなどすると思っていたんだけど……
それらしいものを見つけることはできなかった。
アルベルトは僕達のことを信用している……なんて、そんな甘い話はないと思う。
盗聴の魔道具などを設置して、見つけられてしまった時は立場が悪くなる。
だから、あえてなにもしない……そんなところだと思う。
「これなら、一応、気兼ねなく色々な話をすることができるね」
「どうでしょうか……私達が盗聴の魔道具を見つけられなかった、という可能性もあります。あるいは、そういったものに頼らず、相手の動向を探ることができる方法を持っているかもしれません。そういうことを考えると、なかなか……」
「いいんじゃないかな?」
「え?」
「その時は、その時だよ。アルベルトが妙な行動に出たら、それはそれでわかりやすいよ。敵、って判断できる」
「……」
「なにも仕掛けられていないなら、それはそれでよし。少しだけ彼を信用することができる。どっちに転んでも損はないんじゃないかな?」
「……フェイトは、いつの間にか大きくなっていたのですね」
「え? え?」
ぎゅうっと、抱きしめられてしまう。
なんで?
というか、その、当たって……
「ふふ、気持ちいいですか?」
「な、なんのことかな!?」
慌ててソフィアから離れた。
「そ、それよりも、これからのことを決めないと」
「ごまかしましたね?」
「おとーさん、ごまかしたー」
「アイシャまで!?」
「子は親のことを真似るものよ」
リコリスが苦笑して、そう締めくくる。
「まあ、冗談はここまでにして……フェイトの言う通り、今後のことを話し合いましょう」
「アルベルトに協力するか、しないか……だね」
彼がやろうとしていることは、とても過激なことだ。
例えるなら……
足が病気になった時、普通は、病気の原因を特定して治療しようとする。
しかしアルベルトの場合は、他に病気が転移しないうちに、足を切り落としてしまう、というものだ。
とても過激な方法だけど、でも、一概に否定することもできない。
時と場合によっては、それが正しいこともある。
「もうどうしようもないほど領主が腐っているとしたら、彼のすることは正しいですね」
「うん……時間をかければかけるほど、街がダメージを受けてしまう。たくさんの人が苦しむことになる。だから、そうなる前に一気に決着をつける。悪いことじゃないと思う」
「ですが……彼の話が正しい、という前提があってのことですが」
そこだ。
アルベルトの話を聞いただけで、他に情報を持っていない。
彼が正しいのか。
それとも、実は領主が正しいのか。
それを判断することができない。
「まずは情報を集めないといけないね」
「しかし、私達の外出が許されるかどうか……」
「なら、このウルトラミラクルウルトラ妖精リコリスちゃんに任せなさい!」
今、ウルトラって二回言ったよね?
「あたしなら、すいすいっと抜け出して情報を集めてくることができるわ」
「「……」」
「二人揃って疑いの眼差し!?」
「だって……」
「ねえ?」
普段のリコリスの言動を知ると、どうにもこうにも不安になってしまう。
大丈夫だろうか?
なにかやらかしたりしないだろうか?
不用意にトラブルを持ってきたりしないだろうか?
心配の種は尽きない。
「大丈夫よ! このあたしが、見事、大きな情報を持ち帰ってみせるわ!」
「あっ、リコリス!?」
止める間もなく、窓の隙間からリコリスが飛び出してしまった。
領主の屋敷を出たリコリスは、ふわふわと街の上を飛んでいた。
妖精は希少種だ。
フェイトとソフィアがいない状態で人前に出たら、捕まってしまうかもしれない。
それくらいの危険を考える頭も、リコリスには一応あった。
「さーて、領主の情報、どこかに落ちてないかしら?」
いちいち聞き込みなんてしていられない。
そんなことをしても、正解の情報を持つ人にたどり着くのに、どれだけの時間がかかることか。
それよりは人々の話を盗み聞きした方が早い。
領主に関する噂を収集できるし……
それだけじゃなくて、こっそりと真実を話している者もいるかもしれない。
そういう時もあるため、わりと有効な手だ。
「ふふん、リコリスちゃんイヤーは、どんな会話も聞き取るのよ!」
一人なのに、リコリスはドヤ顔を決める。
調子に乗らないと生きていけない種族なのかもしれない。
「んー……」
魔法で聴覚を増幅。
さらに、必要な情報と不要な情報を選別。
そうして、街の上空で人々の会話を盗み聞きして……
「カーッ! カーッ!」
「ぴゃあ!? び、びっくりさせるんじゃないわよ!?」
カラスに襲われて、リコリスは慌てて魔法を使って追い払った。
餌と勘違いされたのだろう。
「まったく、失礼なカラスね。こんなにかわいいリコリスちゃんを見て、餌と勘違いするなんて。ううん。もしかしたら、妻にしようと思ったのかしら? 異種族も魅了するあたし……ふっ、罪な女ね」
ツッコミ役が不在のため、誰もリコリスを止められない。
「さてと、続き続き、っと」
リコリスは再び盗み聞きを始めた。
今日の天気。
子供がなかなか言うことを聞いてくれない。
景気が悪く、儲けることが難しい。
色々な会話が聞こえてくるものの、領主に関する情報は乏しい。
「んー、もうちょっと確定的な情報がほしいわね。もっと選別しないとダメね」
リコリスは、追加で魔法を発動させた。
望む会話だけを届けて、他は切り捨てるという条件を追加したものだ。
そんな魔法、妖精であっても普通は使えないのだけど……
リコリスは特別だった。
実のところ、彼女はかなり優秀だ。
魔法に関していえば、世界でトップクラスの腕を持つ。
……日頃の言動で、威厳などは皆無になってしまっているが。
「おっ、これなんてよさそうね」
とある会話が聞こえてきて、リコリスは機嫌良さそうな顔に。
詳細な場所はわからないが、街の北部……
住宅街から聞こえてきた。
複数の人の声。
なにやら議論をしているらしいが、ヒートアップしているらしく、その声量は大きい。
手遅れになる前に……
このままでは街の経済は崩壊してしまう……
あの人は自分のことしか考えていない……
最悪、武装蜂起も視野に入れて今後の活動を……
「ふんふん……なにやら、面白そうなことを話しているじゃない」
リコリスはニヤリと笑い、北の住宅街に飛んでいった。