「ガァアアアアアッ!!!」
ブルーアイランドを覆い尽くすかのように、獣の声が響いた。
その声は刃のように鋭く。
怨霊のようにおどろおどろしく。
そして、激しい怒りに満ちていた。
「な、なんだあの化け物は!?」
「おいおい、勘弁してくれよ……」
「くそっ、暴徒の対処で手一杯なのに、こんなやつが現れるなんて」
「なんなんだよ、今日っていう日は、いったいどうなっているんだ!?」
その獣は災厄と呼ぶ以外にない。
巨大な体は、歩くだけで大地を揺らして。
鋭い爪は、石や鉄を簡単に貫いて。
漆黒の毛は鎧のように固く、刃を通さない。
冒険者や騎士、憲兵達は絶望する。
こんなヤツ、いったいどうすればいい……?
――――――――――
「追いついた!」
走ること少し……
街の中心部で暴れているスノウに追いついた。
すでに戦闘が開始されていた。
冒険者や騎士達が武器や魔法で攻撃する。
剣、斧、槍、弓、槌……
火、水、土、風、雷……
ありとあらゆる攻撃が撃ち込まれるものの、スノウは健在だ。
どれもダメージを与えることができていない。
「ガァッ!!!」
スノウは怒りに吠えて、突撃した。
単なる突撃だけど、あの巨体でそんなことをされれば、それだけで即死級の兵器となる。
冒険者や騎士達は、慌てて散開。
ドガァッ!!!
スノウは頭から2階建ての建物に突っ込み、崩落させた。
巨大化したばかりだからなのか、自分の体をうまくコントロールできていないみたいだ。
おかげで、というべきか、まだ死者はいなさそう。
ただ、怪我人はたくさん。
崩落した建物に巻き込まれそうになったり……
飛んできた瓦礫がぶつかり、血が流れたり……
次々と脱落者が増えていく。
問題はそれだけじゃない。
ある程度の数を減らしているものの、暴徒は未だ健在で、暴れ続けている。
憲兵達が主導になって、市民達の避難をさせているが、スノウのせいでうまくいかない。
……状況は非常に厳しい。
「フェイト、どうするのよ!?」
「……おとーさん……」
「……」
リコリスの焦り顔なんて、初めて見たような気がする。
アイシャは泣きそうになっていて、すがるようにこちらを見ていた。
少し考えて、結論を出す。
「リコリス、アイシャをお願い。少しなら、守れるよね?」
「そりゃ、まあ……フェイトは、どうするつもりなのよ? もしかして、スノウを……」
「うぅ……」
リコリスは気まずい顔になり、その先の台詞は口にしない。
でも、アイシャはそれだけで察したらしく、さらに表情が歪んでしまう。
そんな娘の頭を、ぽんぽんと撫でた。
それから、安心させるように笑顔を向ける。
「大丈夫だよ」
「おとーさん……?」
「スノウを殺したりなんかしない。でも、放っておくことはできないから、どうにかして止めてみせるよ」
出会ったばかりだけど……
でも、スノウは家族だ。
見捨てるなんてことはしない。
切り捨てるなんてこともしない。
絶対に助けてみせる!
「とはいえ……」
今のスノウは、たぶん、SSSランク級の力を持っているだろう。
ソフィアならなんとかなるだろうけど、僕だと力不足。
たぶん、返り討ちに遭う。
「それでも」
僕だって、男だ。
大事な娘の涙を止めるため。
大事な家族を取り戻すため。
ここで立ち上がらなければ、なんのために剣を持っているのか?
なんのために冒険者になったのか?
「よし……いくよ!」
僕は、雪水晶の剣をしっかりと握りしめて、暴れるスノウに向けて突撃した。
スノウは見上げるほどに大きい。
それなのに動きは速く、風のように動いている。
暴れまわっているだけで、明確な攻撃はしていない。
それなのに、冒険者と騎士達は蹴散らされている。
建物が崩れ、噴水などが踏み潰されている。
「これ、どうにかしないと……!」
こんなところで戦えば、周囲にどれだけの被害が出るか。
スノウをうまく止められたとしても、街が半壊したら意味がない。
「まずは注意を引きつける!」
タイミングを図り、前に出た。
強く強く、剣の柄を握り……
「破山っ!!!」
一番使い慣れていて、一番威力があるだろう技を繰り出した。
やりすぎてしまわないか?
という心配はない。
ゼロだ。
むしろ、これじゃあ足りない。
もっともっと強い攻撃を繰り出さないと、今のスノウに届くことはないと感じている。
その感覚は正しくて……
刃はスノウの毛を切ることもできず、鈍器で叩くような結果に終わる。
「グルルルッ……!」
刃は通らなかったけれど、衝撃は伝わったらしい。
それなりのダメージも与えられたらしく、スノウが怒りに満ちた目でこちらを睨む。
よし。
うまいこと注意を引くことができた。
「こっちだよ!」
「ガァッ!」
獣や魔物を前にした時、一番やってはいけないのは背中を見せることだ。
そんなことをしたら、これ幸いと追いかけて攻撃してくる。
奴隷時代の経験で、そんなことを学んだ。
スノウも例外ではないらしく、勢いよく追いかけてきた。
このまま、街の外まで誘い出したいところだけど……
「は、速い……!?」
歩幅の差が圧倒的に違う上に、風のように速く動くことができる。
こうして敵を引きつけることは何度もやっていたから、それなりの自信があったんだけど、すぐに追いつかれてしまう。
スノウが前足を使い、僕を薙ぎ払おうとする。
体を逸らすようにして、なんとか回避。
目の前をスノウの前足が通り抜けていって……
ゴォッ! という風が吹き荒れる。
直撃していたら……と、ゾッとする。
「このっ!」
カウンターで剣を叩き込む。
刃が通らないことは確認済みなので、横にして、鈍器のように使う。
ギィンッ!
鉄を叩いたような感触と音。
毛だけじゃなくて、体も固いらしい。
ただ、小さいながらもダメージは受けている様子で、スノウは再び怒りに吠えた。
うまい具合にヘイトを稼ぐことができている。
それは良いことなんだけど……
「これ、どうやって街の外まで誘い出せば……うわっ!?」
逃げる。
しかし、すぐに追いつかれてしまう。
その繰り返しで、なかなか進むことができない。
このままだと被害が拡大する一方だ。
それに、スノウの攻撃はとても強力で速い。
何度も何度も避けられるかどうか。
「……ううん、ダメだ。弱気になったらいけない」
泣き出しそうなアイシャの顔を思い出した。
アイシャにあんな顔は似合わない。
やっぱり、笑顔が一番だ。
その笑顔を取り戻すために、僕は、できることを全力でやらないと!
諦めたり絶望したり、そんなことをしているヒマはない。
「はぁっ!」
攻撃と撤退。
それを交互に繰り返しつつ、少しずつだけどスノウを砂浜の方へ誘い出していく。
今のところ順調だ。
スノウの注意は僕に向けられていて、街に対する被害も最小限に押さえられている。
問題があるとすれば、僕の体力だろうか。
まだ十分も経っていないのに、息が切れ始めていた。
この状態のスノウと戦うことは、それだけ体力の消費が激しい。
そして……それがミスを誘う。
「ガァアアアッ!!!」
「しまっ……!?」
石を踏んでしまい、わずかに動きが止まってしまう。
その隙は逃さないというように、スノウは吠えつつ、前足を叩きつけてきた。
スノウの前足が目の前に迫る。
あまりにも速く、そして、巨大だ。
今から逃げることは難しい。
なら受け止めるしかない!
僕は気合を入れて、剣を構えて……
ギィンッ!
一つの影が割り込んだ。
風にたなびく綺麗な髪。
女神さまはこんな感じなのかな? と思うような容姿。
そして、誰よりも力強い瞳。
「ソフィア!?」
「私のフェイトに……なにをしているのですか!!!」
どこからともなく現れたソフィアは、スノウの一撃を軽々と受け止めてみせた。
それだけで終わらなくて、怒りの形相でカウンターを繰り出す。
まずは前足を弾いて……
それから、クルッと回転しつつ、下から上に刈り上げるかのような蹴り。
ウソみたいな光景だけど、スノウが吹き飛んだ。
「えぇ……」
ソフィアの方が圧倒的に小さいのに、暴走状態のスノウを吹き飛ばしてしまうなんて。
これが剣聖の力?
頼もしいのだけど……
でも、ちょっと怖いかも。
「どこの誰か知りませんが、見掛け倒しのようですね。これならまだ、あの泥棒猫の方が面倒でしたよ」
泥棒猫って、レナのことかな?
「この混乱を収めるためにも、すぐに終わらせてあげますね」
そう言って、ソフィアは追撃に移ろうとして……
「ソフィア、待って!」
必殺の一撃を放とうとしていることに気がついて、僕は慌てて止めた。
駆け出そうとしていたソフィアは、僕の声に驚いた様子で、軽く体勢を崩す。
たたらを踏みつつ止まり、何事かと振り返る。
「なんですか、フェイト?」
「ちょっとまって。あの魔物は……」
「わかっています。あの泥棒猫が用意したもの、と注意してくれようとしたのでしょう?」
「え、レナが関わっているの?」
「はい、そうみたいですよ。詳細は知りませんが……彼女が魔剣をばらまいて、街の秩序を崩壊させて、あの魔物を召喚したらしいです。具体的な方法は不明ですけどね」
「レナが……」
悪い子じゃないと思っていたけど……
でも、やっぱり僕の考えが甘いのだろうか?
これだけのことをしでかしている。
普通に考えて、悪人確定だ。
「では、フェイトはここで待っていてください。すぐに片付けて……そういえば、アイシャちゃんとリコリスは?」
「えっと」
今はレナのことは後回しだ。
とにかく、スノウのことをなんとかしないと。
「アイシャとリコリスなら大丈夫。それよりも、あの魔物を殺したらダメ」
「え? なぜですか?」
「あれは、スノウなんだ」
「あの魔物が……スノウ?」
「信じられないかもしれないけど、でも、本当のことなんだ。スノウが突然苦しみだして、突然、あんな風になって……なんとかして止めないと!」
「それは……ですが……」
ソフィアが迷うような表情に。
ややあって、意を決した様子で言う。
「フェイト言われて気づきました。確かに、あの魔物はスノウだと思います」
「じゃあ……」
「助けたいのは私も同じです。しかし……助けられるのですか?」
その問いかけに対する答えが思い浮かばない。
絶対に助けたい。
アイシャの友達ということもあるが、スノウは、もう僕達家族の一員だ。
過ごした時間が短いとしても、それは変わらない。
でも、どうやって助ければいい?
元に戻す方法は?
……なにもわからない。
「あの魔物がスノウだというのなら、私だって、どうにかして助けたいとは思います。しかし、その方法がわからないことには……」
「それは……そうだけど」
「あの状態のスノウを放っておけば、どれだけの被害が生まれるか。いえ、すでにかなりの被害が出ています。放置することはできません。すぐに無力化しないと」
「まさか……」
「気絶させられるのなら、そうしますが……そうでない場合は。それが、剣聖としての役目です」
ソフィアが気まずそうに目を逸らす。
つまり、無力化が難しい場合は……殺すということだ。
わかっている。
ソフィアはなにも悪くない。
むしろ、この緊急時に甘いことを言う僕の方が悪い。
だけど……
それでも僕は……!
「ですが」
迷う僕に、ソフィアはまっすぐな視線を向けてきた。
今度は、僕が知るいつものソフィアのものだ。
「私はアイシャちゃんのお母さんですから。お母さんとしての役目も果たさないといけません」
「ソフィア!」
「フェイトは、どうしますか?」
「もちろん、決まっているよ」
ソフィアのおかげで迷いが晴れた。
改めて、覚悟を決めることができた。
「スノウを取り戻す!」
「グルルルゥ……!」
スノウが起き上がり、怒りに満ちた目をこちらに向けてくる。
ソフィアの乱入は予定外だけど、十分にヘイトを稼ぐことができた。
「ソフィア、背中を向けて浜辺の方まで逃げるよ」
「えっ、逃げるのですか?」
「うん。今の状態なら、背中を見せて逃げれば、喜んで追いかけてくると思う。逆に下手に立ち向かうと、警戒して逃げられるかも」
野生の動物と同じだ。
獲物が自分より格下と判断したのなら、徹底的にやる。
自分と同等か上と判断したら、撤退も考える。
「なるほど、魔物もそのような習性があるのですね。さすがです、フェイト」
「奴隷時代に学んだものだから、なんだかんだで、あの時の経験が活きているみたい」
人生、どんなことが役に立つかわからない。
「でも、ソフィアは知らなかったの?」
「私の場合は、全て斬り伏せてしまえば済んでいたので」
「さ、さすがだね……」
剣聖だからこそ、そんなことができるのだろう。
たぶん、ソフィアの中に撤退の二文字はない。
代わりにあるものが、殲滅か追撃、とかかな?
「浜辺まで誘導するよ」
「はい」
背を向けて逃げると、予想通りスノウが追いかけてきた。
逃さない。
この牙を突き立ててやる。
そんな感じで、殺意たっぷりだ。
うまく誘導できたことは予想通り。
でも、予想外のこともあって……
「は、はや!?」
歩幅が圧倒的に違う。
それだけじゃなくて、これだけの巨体なのに、しなやかに動くことができる。
予想以上の速度で、浜辺まで誘導する前に捕まってしまいそうだ。
「フェイト!」
「あっ」
ソフィアが手を引いてくれた。
グンと加速することができて、スノウよりも速く駆けることができた。
「ありがとう、ソフィア」
「いえ、どういたしまして」
とはいえ、これは大変だ。
無理矢理走らされているようなものだから、足が追いつかなくて、転んでしまいそうになる。
でも、我慢。
気合でなんとか乗り切る。
そして……
「見えた!」
浜辺に到着した。
不幸中の幸いというべきか、暴徒の事件で避難が行われていたらしく、遊泳客はゼロだ。
浜辺を管理する冒険者が数人、残っているだけ。
「な、なんだ、あんたらは?」
「細かい話は後! 今すぐ、ここから逃げて!」
強く言いながら、後ろから迫るスノウを指差した。
冒険者達は一斉に顔を青くして、慌てて逃げ出す。
スノウがそちらを追いかけないか心配だったけど、杞憂に終わる。
第一ターゲットは僕達みたいで、まっすぐこちらに突撃してきた。
「フェイト、いきますよ」
「うん!」
アタッカーはソフィア。
僕はサポートだ。
まだまだ圧倒的な実力差があるため、彼女がアタッカーを務めるのは当たり前。
ただ、いくらソフィアでも、スノウのような相手と戦うのは初めてだろう。
細かいところでミスが出るかもしれない。
それをフォローするのが僕の役目だ。
「ガァッ!」
スノウが吠えて、突撃をしてきた。
その巨体を活かして、そのまま轢き潰してしまおう、という考えなのだろう。
でも、甘い。
ただの突撃なんて、ソフィアに通じるはずがなくて……
ソフィアはミリ単位で攻撃を見切り、回避。
同時にカウンターを叩き込む。
スノウが悲鳴をあげて転がる。
鉄のような毛で覆われているが、ソフィアの聖剣を防ぐことはできなかったみたいだ。
「ふふ、やりましたね」
機動力を奪うことができて、ソフィアは満足そうに言う。
だけど……
「ソフィア、まだだよ!」
「え?」
スノウがゆっくりと立ち上がる。
ソフィアにつけられた傷は、時間が逆再生するかのように急速に癒えていく。
「再生能力だ!」
「しかも、なんてデタラメな速度……自然治癒というレベルではありませんね」
ソフィアが険しい表情に。
その理由はよくわかる。
世界には色々な魔物がいて、中には自然治癒という特殊能力を持つ個体がいる。
その名前の通り、自然に傷が治ってしまうという能力だ。
ただ、どれだけ強力な力を持つ魔物でも、足を斬られれば、その治癒に数日はかかると言われている。
今、スノウが見せたように、十秒足らずで治ってしまうなんてありえない。
「規格外すぎますねっ!」
ソフィアは剣を振り、スノウの突撃を防いだ。
その間に、僕はもう一度、スノウの足を斬りつける。
今度は刃が通る。
しかし、その後の結果は変わらず。
ソフィアの時と同じく、スノウの傷はすぐに治癒されてしまう。
「これじゃあ、どうやって無力化すれば……」
「時間があれば、罠を作成するのですが、それは難しいですね」
「罠を作れたとしても、うまくかかるかどうか、ものすごい微妙なところだよね」
「まったくです」
スノウの攻撃をなんとか防ぎつつ、攻略法を探す。
僕一人だけだったら、一分と保たなかっただろうけど……
でも、今はソフィアが一緒だ。
彼女と一緒なら、何分でも耐えられることができそうだ。
とはいえ、街の被害やその後のことを考えると、早々に決着をつけたい。
「それに、泥棒猫がやらかす前に、なんとかしたいところです」
「レナがなにか企んでいるの?」
「スノウをこのようにしたのは、泥棒猫の仕業です。このままスノウを放置しておくとは思えません。なにかしら、どこかのタイミングでちょっかいをかけてくるはずです」
「……レナ……」
悪い子には見えなかった。
常識とか足りないところはあるけど、でも、笑顔の綺麗な女の子だった。
それなのに、どうしてこんなことを……?
黎明の同盟って、いったいなんなんだろう?
思うところは色々とあるのだけど……
でも、今は考えるのはやめておこう。
今、最優先に考えるべきことはスノウだ。
「魔法で眠らせるとか?」
スノウの前足を避けて、カウンターを繰り出しつつ、相談を続ける。
「スノウはそこらの魔物とは違います。魔法に対する高い抵抗力を持っているでしょう。並の使い手では……ふっ!」
ソフィアも器用にカウンターを放ちつつ、話を続けていた。
ただ、彼女の場合は、一度に数回の斬撃を繰り出している。
スノウの治癒能力のこともあって、あまり遠慮はしていないみたいだ。
「リコリスならどうかな?」
「可能かもしれませんが……今、アイシャちゃんの傍を離れてしまうのは、ちょっと困りますね」
「そっか……うーん、そうなると……うわっ」
スノウがくるっと回転したかと思うと、尻尾を鞭のように薙ぎ払ってきた。
予想外の攻撃に、少し反応が遅れてしまう。
危ういところで回避に成功するものの……
「なんか……攻撃速度が上がってきていない?」
「私達の動きに慣れてきたのか、あるいは、自分の体の動かし方を理解してきたのか……」
スノウがこの状態になって、まだ時間が浅い。
生まれたばかりの雛のようなもの。
だから、今までは思うように体を動かせていなかったのだろう。
でも、時間が経つことで慣れてきて……
100パーセントの力を発揮しつつある。
恐ろしい話だった。
今までが全力じゃなくて、まだまだ余力があったなんて。
これで全力全開になれば、どうなるか?
どれだけの被害が生まれるか?
「くっ……」
本当なら、スノウを討伐しなくてはいけないのかもしれない。
元に戻す方法はなくて、無駄なことをしているのかもしれない。
それでも。
諦めるなんてことはしたくない。
全力であがいて、あがいて、あがいて……
ギリギリまで追いつめられたとしても、それでも諦めることなく、みっともなくてもあがき続けたいと思う。
僕はもう、理不尽なんかに負けたくない!
「スノウッ!!!」
だから、呼びかけた。
強く、ありったけの声で。
みんなで一緒に考えた名前を呼ぶ。
「スノウ! 僕だよ、フェイトだ!!!」
「グルルルゥ……!」
「こんなことをしたらダメだよ! 思い出して、キミはとても優しい子で、アイシャの友達だったじゃないか! 僕達の家族じゃないか!!!」
「グゥ……!」
「だから、戻っておいで……スノウッ!!!」
「ウゥ……」
それは奇跡なのか。
あるいは、必然なのか。
僕の声が届いた様子で、スノウは動きを止めた。
「スノウ!!!」
「ウゥウウウウウ……」
スノウが迷うような唸り声をこぼす。
こちらを見て、いつものような甘える目をして……
しかし、すぐ狂気に飲まれてしまい、殺意を宿す。
その繰り返しで、一気に情緒不安定に陥った。
説得できる可能性が生まれたことはうれしいことだけど、でも、情緒不安定というのは困る。
今以上に暴走する確率が増えたようなもので、あまり好ましくない。
どうにかして、正気に戻ってほしいのだけど……
「……フェイト」
ソフィアは厳しい表情をして、聖剣を握りしめた。
「いざという時は……スノウを斬ります」
「ソフィア!?」
「常識はずれの再生能力があったとしても、今はまだ、能力的に不完全な様子。今ならまだ、斬ることができます」
「ダメだよ、ソフィア! 相手はスノウなんだよ? それなのに……」
「スノウだからこそ、です」
ソフィアは強い決意を宿した顔で言う。
「大事な家族だからこそ、これ以上の暴走を許すわけにはいきません。そんなことは、スノウ自身が望まないでしょう。他の人を傷つけることなんて、したくないと思っているでしょうし……もしも、アイシャちゃんを傷つけるようなことがあれば?」
「それは……」
「そのようなことになれば、スノウ自身が深く後悔するでしょう。自分を責めるでしょう。だから……そのようなことになる前に、覚悟を決めないといけません」
「それは……わかる、けど……」
ソフィアの言っていることは、圧倒的なまでの正論だ。
正しさしかなくて、反論なんてできない。
短い間だけど、一緒にいてわかったことがある。
スノウはとても優しい子だ。
アイシャのことが大好きで、僕達にも懐いてくれている。
人を傷つけるなんて望んでいないし、ましてや、アイシャを傷つけるなんて絶対にしたくないはずだ。
だから、そんなことになる前に……
「……ダメだよ! ダメだ、絶対にダメだよ!」
「フェイト?」
ソフィアが正しいことはわかる。
わかるけど……でも、心が納得してくれない。
僕らは道具じゃない、人間だ。
理屈だけで納得するものじゃなくて、心がある。
それを無視していたら、人である意味がないじゃないか。
「スノウを斬っても、なにも救われないよ。終わりになるだけで、なにも始まらないよ」
「ですが、元に戻す方法がわかりません。これ以上の被害を出す前に、最悪の事態になる前に……」
「嫌だ」
「フェイト、聞き分けてください。戦場では、時に冷酷な決断を下す必要があります。そして、ここはもう戦場です。スノウに私達の声は届いているかもしれません。しかし、元に戻すことは難しく……ならばもう、後の選択肢は一つしかないじゃないですか」
「それでも、嫌だ」
「フェイト!」
「僕は!!!」
強く言うソフィアに対抗して、僕も声を大きくした。
今までにない様子に、ソフィアは気圧されたらしく言葉を止める。
「家族を見捨てるなんてこと、絶対にしたくないんだ」
「……フェイト……」
「そんなことをしたら、もう笑えないよ。幸せになんてなれないよ。僕は、ソフィアと一緒に幸せになりたい。でも、今は少し変わっていて……アイシャやリコリス。そして、スノウも……みんな一緒に、家族で幸せになりたいんだ。誰か一人でも欠けるなんてダメなんだ。そうやって幸せを掴むために、僕は強くなりたいと願ったんだ……だから、だから僕は……!!!」
「……すみませんでした」
ソフィアに優しく抱きしめられた。
「そうですね、フェイトの言う通りですね。ここでスノウを斬ってしまえば、私達は、もう二度と笑えないでしょうね……そもそも、こんなに簡単に諦めるべきではありませんね」
「ソフィア!」
「あがいてあがいて、失敗してもあがいて……最後まで諦めることなく、あがき続けましょう!」
「うん!」
一緒に剣を構えて、再び暴走するスノウを迎え撃つ。
行動不能に陥らせるために、致命傷は避けて、足などへ攻撃を繰り返して……
合間に何度も呼びかける。
家族の名前を口にする。
「ウゥ……オォオオオオオ、グルァアアアアアッ!!!?」
三十分ほど交戦を続けて、少しずつスノウの様子が変わってきた。
暴走は続いている。
でも、攻撃をためらうような場面が増えてきた。
なにかを思い出すかのように、僕達をじっと見つめる機会が増えてきた。
「これなら、いけるかもしれないね!」
「ですが、あとひと押しが……」
ソフィアの言う通り、決定打が足りない。
少しずつだけど、スノウは正気に戻ってきている。
攻撃が減っていることがその証拠だ。
ただ、未だ暴走は続いていて……
それに、元の子犬サイズに戻す方法もわからない。
絶対に諦めない。
諦めないのだけど、このままだとまずい。
ただ単にあがくだけじゃなくて、解決策を見つけるために考えていかないと。
どうする?
どうすればいい?
……そうやって考えていたせいで、隙が生まれてしまう。
「ガァッ!」
「しまっ……!?」
一瞬の隙を突かれてしまう。
スノウの巨体が目の前に迫り、鋭い牙が迫る。
防御は間に合わない。
回避も不可能。
これは……
「スノウっ!!!」
その時、アイシャの声が響いた。
振り返ると、リコリスを頭に乗せたアイシャの姿が。
どうしてここに!?
慌ててリコリスを見ると、目が合い、ごめんごめんというジェスチャーをされる。
文句を言おうとして……
でも、リコリスがぽんぽんとアイシャの頭を叩いた。
「この子を信じてあげなさいよ」
そう言われたら、もうなにもできない。
僕達がスノウのことを心配しているように、アイシャも気にかけている。
どうにかしたいと思っている。
そんな当たり前のことを忘れていた。
「っ」
今すぐ駆け出して、安全なところに避難させたい。
でも、それが正しい選択とは限らない。
僕がやるべきことは、アイシャを見守ることだ。
「スノウ」
アイシャは一歩、前に出てスノウに近づいた。
頭の上のリコリスがビクリと震えて、怯えたような気がするが……
まあ、それは見なかったことにしておく。
「ウゥ……!」
「大丈夫だよ」
スノウは威嚇するが、アイシャは逃げない。
怯えることもない。
いつもの優しい顔をして、おいでというように両手を広げる。
そんな彼女を見て、スノウの方が怯えるように、一歩下がる。
アイシャはなにもしていない。
ただ、いつものように微笑んでいるだけ。
それなのに、スノウが気圧されていた。
「ガゥ……ウウウゥ……!?」
スノウが苦しんでいた。
たぶん、己の破壊衝動と戦っているのだろう。
理由はわからないけど、今のような姿になって暴走してしまい、なにもかも壊してしまいたいという衝動に駆られた。
それはアイシャも例外ではなくて、彼女に牙を突き立てようとした。
でも、そんなことはしたくない。
絶対にしたくない。
そんな良心が戦っているらしく、スノウが苦しそうにする。
「がんばって」
アイシャはさらに距離を詰めた。
もう目と鼻の距離にスノウがいる。
大きくなったスノウを見上げて……
にっこりと笑う。
「帰ろう?」
「アァアアアアア……!!!」
スノウが吠えて……
「スノウ」
アイシャは、そっとスノウに触れた。
瞬間、光があふれた。
「うっ……な、なんですか、これは!?」
「わからないけど、でも……」
嫌な感じはしない。
むしろ、温かくて心地よくて……
この光を浴びていると、とても優しい気持ちになることができた。
「ん」
光の源はアイシャだ。
なにが起きているのかさっぱりわからないけど、アイシャが輝いていた。
髪がゆらゆらと揺れて……
尻尾がふわりと揺れて……
そんな中で、白銀の光を放っている。
膨大な魔力があふれている?
いや、でも魔法という感じはしない。
リコリスもなにが起きているかわからないらしく、ぽかんとしていた。
「スノウ、帰ろう?」
「……クゥン」
すごい。
スノウが少しずつ小さく……元の大きさに戻っていく。
黒くなっていた毛も、元の銀色に戻っていく。
「これ……アイシャがやっていることなのかな?」
「わかりません……」
僕とソフィアは、もう、呆然とするしかない。
人智を超えた現象と言っても過言じゃないと思う。
そして……
「オンッ! ハッハッハッ……!!!」
「ふふ、よしよし」
元の姿に戻ったスノウは、母親に甘えるかのように、アイシャの胸に飛び込んだ。
アイシャは、小さな子犬をしっかりと受け止めて……
とびっきりの笑みを浮かべるのだった。
「ウソだぁ……」
突然の第三者の声。
慌てて振り返ると、レナの姿があった。
いつもの笑顔はどこへやら。
目を大きくして、とても驚いているみたいだ。
「完全に堕ちたはずなのに……あの状態から元に戻るなんて、聞いたことがないよ……堕ちた神獣を手に入れられるはずだったのに、それで新しい魔剣を作ることができるはずだったのに……」
「レナっ!」
真っ先に動いたのはソフィアだ。
攻撃対象をすぐに切り替えて、聖剣で斬りかかる。
「くっ」
ほぼほぼ反射だけで、レナはソフィアの攻撃を防いでみせた。
ただ、精神的なショックが大きいらしく、その動きにキレはない。
ソフィアの連撃を防ぐことで精一杯な様子で、苦い顔をしていた。
「よく姿を見せることができましたね! 今すぐ、ここで、叩き切ってあげます!!!」
「あーもうっ、今は君なんかに構っているヒマはないんだよ!」
「くっ!」
レナはその場でくるっと回転して、その勢いを乗せてソフィアを蹴りつけた。
ソフィアは剣でガードするものの、勢いを殺すことはできず、吹き飛ばされてしまう。
「ソフィア!」
「私は大丈夫です! それよりも……」
レナは今までにない焦りの表情を浮かべていた。
そして、魔剣をアイシャとスノウに向ける。
「させる……かぁっ!!!」
「っ!?」
アイシャとスノウ、それとリコリスを背中にかばい、レナと対峙する。
彼女の放つ刃をガードして、カウンターを繰り出す。
「どいて!」
「どかないよ!」
「嫌いになるよ!?」
「君が勝手に言っていることだから!」
何度か刃を交わす。
いつものレナなら、僕なんかが相手になるわけがない。
防ぐのは一度が限界で、そこで倒されてしまうだろう。
でも、今は動揺しているせいか、剣が鈍い。
おかげで、なんとか食らいつくことができた。
「一つ確認するよ!」
「なにさ!?」
「スノウにあんなひどいことをしたのは、レナでいいの!?」
「そうだよ、そうさ! でも、それのなにが悪いのさ! 正義はボク達にあるんだ!」
「そんなもの……!!!」
レナの過去がどんなものなのか、それはわからない。
スノウの正体がどういった存在なのか、それもわからない。
だけど。
あんなにも無邪気で優しい子を暴走させて……
たくさんの悲しみと恐怖をばらまいて……
それが正義?
それが大義?
「認めてたまるかぁあああああっ!!!」
「っ!?」
ありったけの想いを乗せて。
ありったけの気持ちを込めて。
全力で剣を振り下ろした。
ギィンッ!!!
「……あ」
雪水晶の剣が……折れた。
負荷に耐えられず、刃が半ばから折れて、宙を舞う。
破片がキラキラと舞い、輝いていた。
でも……
「なっ!?」
レナが持つ魔剣もタダでは済まなくて、その刀身にヒビが入っていた。
折れるとまではいかないが……
しかし、もう使い物にならない。
「う、うそだぁ……ボクの魔剣が、ティルフィングが……そこらの剣に傷つけられた……?」
呆然とするレナだけど、状況を思い出したらしく、すぐ我に返る。
こちらを睨みつけて……
次いで、怒りの感情を消して、笑う。
ものすごく楽しそうに、うれしそうに、喜びを携えて笑う。
「あはっ、あはははははは!!! あははははははははははははははははっ!!!!!!」
「レナ……?」
「ダメ。うそ、なにこれ。もう笑うしかないよ! ボクの魔剣が負けるなんて、しかも普通の剣に……あはははっ、すごいすごいすごい、本当にフェイトはすごいよ!!!」
レナの目は子供のように、キラキラと輝いていた。
英雄を見るような目を僕に向けている。
「あー……ホント、ダメだ。なんかもう、黎明の同盟の悲願とか、そういうのどうでもよくなってきちゃうよ。それよりも、とにかく、フェイトをボクのものにしたいな」
「……悪いけど、売約済みだから」
「そういう意思の硬いところも、好きだよ♪ ボク色に染め甲斐があるからね……ふふっ」
レナは、一歩後ろへ下がる。
「ティルフィングを壊すなんていう、本当にすごいものを見せてもらったからね。今回は、おとなしく引くね。じゃあね、フェイト。いつか、絶対にボクのものにしてみせるから♪」
レナは、パチリとウインクをして……
その姿は、空気に溶けるかのようにして消えた。
レナが撤退したからなのか、ブルーアイランドの騒動は急速に治まっていった。
スノウは元に戻り……
暴徒も数を減らして、ほぼ全て拘束された。
こうして事件は解決したのだけど、被害は大きい。
たくさんの人が傷ついて、たくさんの建物が壊れた。
死者も少なくない。
どうして、レナはこんな惨劇を引き起こしたのか?
スノウを暴走させて、新しい魔剣を作るとか言っていたけど……
そのために街を犠牲にしていいなんてこと、絶対にない。
今度会った時は……
「なにをするつもりなのか、真意を確かめないと」
レナを放っておくことはできない。
黎明の同盟を放っておくことはできない。
いつか……
そんな覚悟を決めるのだった。
――――――――――
それはそうと。
街の復興が一段落したところで、スノウのことが問題になった。
多くの人がスノウが暴走するところを目撃している。
その獣はなんなんだ?
また暴走するのではないか?
処分した方がいいのでは?
そんな意見が多発したものの……
ソフィアが全て黙らせた。
スノウは自分達が管理する。
もしも同じことが起きた場合、その責任は、剣聖である自分が全て負う。
そこまで言うのならと、街の人達は納得してくれた。
ありがたい。
そうして……
色々とあったものの、再び穏やかな日常が戻ってきた。
戻ってきたのだけど……
「お手」
「ワンッ」
「おかわり」
「ワンッ」
「お座り」
「オン!」
ライラさんの家の庭で、アイシャはスノウと遊んでいた。
今は躾をしているらしく、成功する度に褒めて、犬用のお菓子をあげていた。
ほんわりとする光景に和みつつ、本の山に埋もれて、たくさんの資料とにらめっこをするライラさんに視線を戻す。
「結局、アイシャは巫女っていうことでいいんですか?」
「んー、断言はできないけどね。私も、巫女についてそれほど詳しいわけじゃないし。ただ、状況を聞く限り、巫女と考えるのが自然かな?」
「だよね……」
膨大な魔力を持っていて……
それだけじゃなくて、不思議な力で暴走したスノウを元に戻してみせた。
あんなこと、普通の人にできるわけがない。
ライラさんの言う、巫女という特別な存在と考えるのが正しいだろう。
「アイシャちゃんのことが気になるなら、私が身体調査を……」
「ふふ、斬られたいんですか?」
ソフィアがにっこりと笑いつつ、剣の柄に手を伸ばした。
「ごめんなさい冗談です」
絶対本気だった。
……と思うのだけど、話がこじれるだけなので、口にはしないでおいた。
「それで、スノウのことなんだけど……スノウは神獣なのかな?」
女神さまの使い。
世界の裁定者。
救世主。
色々な言葉が使われているものの、正しい情報は見つからない。
伝説の存在とされていて、知っている人も少なく、文献もほとんど残ってなくて……
そのせいで、なにが正しいのか間違っているのか、わからないんだよね。
「たぶん、神獣で間違いないと思うよ」
「でも、どうして神獣がこんなところに……」
「んー、これは私の想像なんだけど」
そう前置きして、ライラさんは話を続ける。
「スノウくんは、この街の守り神とか、そういう存在だったんじゃないかな? あるいは、その後継者。子供なのは、そういうことだね」
「守り神がそこらを歩いているものなの?」
「うーん、それはなんとも。ただ、巫女を助けるために出てきたのかも」
「そういえば、スノウが初めて姿を見せたのは、アイシャちゃんが迷子になった時ですね」
アイシャを助けるためだとしたら、納得できる話だ。
それほどまでに、巫女は神獣に愛されているのだろう。
「暴走したのは?」
「それも証拠はないけど……たくさんの人がおかしくなって、負の感情があふれたせいじゃないかな? 神獣って、人の影響を受けやすいのかも。だから、街がおかしくなって神獣もおかしくなった」
「一応、話の筋は通っていますね」
スノウは街の守護者。
アイシャが困っていたから、助けるために出てきた。
でも、街の人々がおかしくなったたまえ、その影響を受けて暴走してしまった。
なるほど、と納得することはできる。
できるのだけど……
「結局、全部、推論でしかないんだよね」
それでもって、神獣がどういう存在なのかとか、肝心なところはなにもわからないままだ。
「これからどうすればいいのか……やれやれ、頭が痛いですね」
「悲観的になることはないんじゃないかな?」
「え?」
「わからないことは多いけど……でも、大事なところだけわかっていれば、それでいいと思うんだ」
「それは?」
「スノウも大事な家族、っていうことだよ」
神獣だろうがなんだろうが、スノウはもう家族の一員だ。
今更、どうこうと対応を変えることはない。
それはソフィアも同意見らしく、優しく笑う。
「そうですね」
「君ら、お似合いだよ。まったく」
僕達を見て、ライラさんはやれやれと苦笑するのだった。