翌日。
事前に話して決めた通り、僕はリコリスと一緒にブルーアイランドの冒険者ギルドを尋ねた。
冒険者は、なんでも屋のようなものだ。
人々の生活に深く関わり、なくてはならないものになっている。
この国だけじゃなくて、ほとんどの国で冒険者制度が採用されている。
だから、ギルドがない街はないと言ってもいい。
ブルーアイランドにも、当たり前のように冒険者ギルドがあるのだけど……
「なんだろう?」
ギルドに入ってみると、やけに慌ただしかった。
職員らしき男女が忙しそうに走り回り……
冒険者らしき人々も、険しい顔であちらこちらを移動している。
「なーんか、きな臭い雰囲気ね」
「きな臭い、というか……ピリピリしている感じだね。事件でもあったのかな?」
忙しそうにしているところ、声をかけるのはちょっとためらわれる。
「えっと……」
「ねーねー、ちょっといい?」
怯む僕と違い、リコリスはガンガン前に行く。
こういうところは、素直にすごいと思う。
「あ、はい。なんでしょうか?」
僕達に気がついて、女性のギルド職員が足を止めた。
「この街での冒険者登録でしょうか? でしたら、あちらのカウンターで……」
「あ、ううん。それもあるんだけど、それだけじゃないというか……」
「なんかやたら忙しそうなんだけど、どうかしたの? 事件? 事故? それとも、このセクシー美少女アイドルリコリスちゃんがやってきて、慌てているの?」
「それは……」
リコリスのボケは無視されて、ギルド職員は難しい顔に。
それから、なにかに気がついた様子で、ハッとした顔に。
「あの……もしかして、剣聖のパートナーの方ですか?」
「え? あ、うん。そうだけど……でも、なんでそのことを?」
まだ、この街では冒険者登録はしていないんだけど……
「剣聖にもなれば、とても注目されますからね。自然と情報が入ってきますし……ちょっとやり方は悪いのですが、こちらも軽く探りを入れます」
「なるほど」
有名税みたいなものかな?
探りを入れられることも、まあ、仕方ないのかなと思う。
僕も、こんな風になれるのかな?
なれるようにがんばりたい。
「僕は、フェイト・スティア―トです」
「あたしは、ハイパーミラクルワンダフルダブルスカイ……」
「妖精のリコリスです」
「あたしの超かっこいい自己紹介!?」
かっこいいと思っていたんだ、それ。
「私は、ブルーアイランドの冒険者ギルドの職員、ファーナといいます。よろしくお願いいたします」
ファーナさんは、ペコリと丁寧に頭を下げた。
慌ててこちらもお辞儀をする。
「スティアートさんは……」
「あ、フェイトでいいですよ」
「わかりました。フェイトさんは、どのような用事で当ギルドへ?」
「今、獣人について調べてて、それでなにか情報ないかな……って思ってやってきたんだけど……」
軽く周囲を見る。
「なんだか、すごく慌ただしいけど、なにか事件でも?」
「……はい」
ファーナさんは、その場で説明をしてくれる。
人払いをしないということは、ここにいる誰もが知っているようなことなのだろう。
「実は……暴行、強盗、殺人事件が多発していまして」
意外な話だ。
ブルーアイランドは観光地だから、そういう事件が起きないように、厳しい取り締まりがされていると思ったのだけど。
「治安が悪化しているんですか?」
「はい。それも、急激に……」
「急激に? どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。この一週間で、事件が十倍に増加しました」
「十倍!?」
例えば、隣国が崩壊したとする。
その場合、難民や元騎士などが一気に押し寄せてきて、治安が悪化してしまうことがある。
でも、それでも十倍はありえない。
多く見ても三倍くらいだ。
「どういうことなんですか?」
「わかりません……本当に前触れもなく、いきなり犯罪件数が増えているんです」
「そんなこと……」
ありえるのだろうか?
でも、実際に起きている。
だから、ファーナさんも困惑して、慌てているのだろう。
「今、ギルドは対応に追われていまして……ちらっ」
手伝ってくれませんか?
そんな感じで、ファーナさんがこちらを見た。
ちょっとあざとい。
「う、うーん……」
こんな事件が起きているのなら、協力したいと思う。
ただ、ファーナさんが求めているのは、ソフィアの力だろう。
僕が協力をすれば、ソフィアもセットになると思っているはず。
でも……
そんな状況でアイシャを一人にするわけにはいかない。
安全を考えるなら、ソフィアに一緒にいてもらうのが一番だ。
そうなると彼女は動けないわけで……
「ちょっと、戻って相談してみますね」
今は、そう返すのが精一杯だった。
ソフィアとアイシャは手を繋いで、街中を歩いていた。
「えへへー」
ライラの家に向かわなければいけないのだけど……
途中、商店街の方から良い匂いが漂ってきて、アイシャが釣られてしまう。
露店の肉串を前にして、アイシャの尻尾ははちきれんばかりに横に振られていた。
ただ、アイシャはいい子だ。
ほどなくして我に返り、本来の目的があると、ごめんんさいと謝る。
必死に我慢する幼子。
しかも、それは愛しい娘。
そんな子供のわがままを聞かず、なにが親か?
というわけで、ソフィアは肉串を買い……
今に至る。
「あむ」
空いている手に肉串を持つアイシャは、ぱくりと二口目を食べる。
肉はしっかりと焼かれていて、ほろほろと溶けるように柔らかい。
おそらく、焼く前に煮込まれているのだろう。
そして、最後に焼き目を付けて旨味を閉じ込めて、客に提供する。
「あぅ♪」
アイシャはとても幸せそうな顔をして、やはり尻尾をブンブンと横に振る。
そんな娘を見るソフィアも、とても幸せそうな顔をしていた。
うちの娘、世界一かわいい。
最強だ、無敵だ。
アイシャこそ、世界の至宝であり、最強の天使なのだ。
そんなよくわからないことを考えていると、
「どけどけぇっ!」
突然、街中が騒がしくなった。
目を血走らせた男が騎士と争っていた。
男は片手に赤ん坊、もう片方の手に剣を持っている。
「おいっ、バカな真似はやめろ!」
「子供を離すんだ!」
「うるせえうるせえうるせえ! コイツは俺のガキだ、俺の子供だ! 俺のものなんだよぉっ!!!」
男は目を血走らせて、泡を吹き飛ばすような勢いで叫ぶ。
子供を抱えているということは、妻から離婚を切り出されたか?
そして、親権を奪われそうになったのか?
それを拒み、凶行に及んだか。
ソフィアは、一瞬でだいたいの状況を見抜いて……
そして、腰の剣を抜いた。
「アイシャちゃん、少し、ここで待っていてくださいね? 決して、私の目の届く範囲から出てはいけませんよ」
「うん。おかーさん、がんばって」
「はい」
娘の応援で元気百倍。
ソフィアは、アイシャに優しく笑いかけて……
そして視線を男に移して、冷たく目を細くする。
「詳しい事情は知りませんが……」
一歩。そしてまた一歩、前へ進んでいく。
「おいっ、こっちに来るな!」
「見てわかるだろう! この男を下手に刺激したら……」
「あ……いや、待て。この人は……」
ソフィアの接近に気がついた騎士達は警告を発して……
次いで、その正体を知り、驚きの表情に。
「なんだてめえは!? くるな、俺に近づくんじゃねえ!」
男もソフィアに気がついて、剣の切っ先を向けた。
「この子は俺のものだ、俺が育てていくんだ! 俺の幸せを奪うっていうのなら、お前ら、みんな敵だぁあああああ!」
「うぇ、えええ……!」
叫ぶ男に恐怖を覚えたのか、子供が泣き出した。
それでも構うことなく、男は叫び続けて、剣を振り回している。
ソフィアの視線が絶対零度に。
「同じ親として、子供から引き離されたくないという気持ちは理解できなくはありませんが……」
ソフィアは剣の柄を強く握りしめて……
「子供を泣かせる親は、親失格です!」
フッ、とその姿が消えた。
騎士も男も、突然のことに唖然とする。
どこにいった?
慌てて周囲を見るが、もう遅い。
「がっ!?」
一瞬で男の背後に回り込んだソフィアは、剣の腹で脇腹を打つ。
骨を砕く感触。
たまらずに男は倒れて……
それに巻き込まれる前に、ソフィアは子供を救い出した。
「よしよし、もう大丈夫ですよ」
「……うぅ」
ソフィアがにっこりと笑いかけると、子供はほどなくして泣き止んだ。
まだまだ未熟とはいえ、ソフィアも母だ。
子供のあやし方は慣れたものだった。
「ご協力、ありがとうございます! おい、そいつを捕縛しとけ」
「はっ!」
騎士達はすぐに我に返り、ソフィアのところにやってきた。
同時に、地面に転がり悶えている男を拘束する。
その際、ソフィアの目が驚きでわずかに大きくなる。
あの剣、魔剣に似ていないだろうか……?
「はい、この子をお願いします」
「騎士団の名誉にかけて、母親のところへ戻しましょう」
ソフィアは誠実そうな騎士に子供を預けた。
「ところで……つかぬことをお聞きしますが、あなたは、かの有名な剣聖、ソフィア・アスカルとさまでは?」
「私のことを知っているのですか?」
「もちろん。アスカルトさまの年齢で剣聖となった者は、他におりませんから」
「ちょっと照れくさいですが、ありがとうございます」
「その……もしお時間があるのなら、ご相談させていただきたいことがあるのですが」
「相談ですか? うーん……」
今日、そちらに行くと、すでにライラに連絡をしている。
今になって約束を覆すのはどうか?
しかし、騎士はとても真剣な顔をしている。
ファンとか武勇伝が聞きたいとか、そんなくだらない用事ではないだろう。
「この後、約束があるので……その後でもいいですか? たぶん、夕方か夜になってしまうのですが……」
「はい、それでも構いません! 私達はずっと騎士団支部にいると思うので、いつでもどうぞ」
「わかりました。では、また後で」
どんな話なのだろうか?
少し嫌な感じがすると、ソフィアは軽く眉をたわめるのだった。
「こんにちは」
「こん……にちは」
「おー、いらっしゃい、お二人さん」
ライラの家を訪ねると、笑顔で迎えられた。
ただ、アイシャは若干人見知りが発動しているらしく、ちょっと挨拶がぎこちない。
母としては、もっと明るく元気に育ってほしいと思うが……
アイシャの過去を考えると、無理はさせられない。
強引なことはしないで、しっかりとサポートをすればいい。
「んー、人見知りするアイシャちゃんもかわいいわね。どう? ちょっと採血を……いえウソですごめんなさい」
途中でソフィアに睨まれて、ライラは慌てて頭を下げた。
「もう、ちょっとした冗談なのに、そこまで反応しなくてもいいじゃないのさ」
「冗談だったのですか? 本当に?」
「……半分くらいは本気だったかも」
「まったく……」
やれやれと、ソフィアはため息をこぼした。
ライラはとても困った人ではあるが……
でも、嫌いではない。
知識欲が暴走することはあるものの、それ以外は優しく、誠実な人なのだ。
ソフィアはそのことを知っているため、注意程度で済ませる。
彼女が本気でアイシャの血を狙っていたとしたら、容赦なく殴り飛ばしていただろう。
「今、お茶を淹れるねー」
「ありがとうございます」
「ありがと」
「ふふ、アイシャちゃんはかわいいねー。よし、クッキーもおまけしよう!」
「わぁ」
クッキーと聞いて、アイシャが笑顔に。
うれしそうに尻尾がぶんぶんと横に揺れる。
それを見て、ソフィアは思う。
出会った頃に比べると、アイシャはだいぶ感情が豊かになってきた。
子供らしく笑い、子供らしく泣く。
それはとても喜ばしいことなのだけど……
お菓子一つでここまで喜ぶなんて、ちょっと心配だ。
悪人に、お菓子で誘われて誘拐されたりしないだろうか?
「あれから、アイシャちゃんについてわかったことはありますか?」
「んー」
本題に入ると、ライラはなんとも言えない表情に。
あると言えば、ある。
ないと言えば、ない。
そんな感じだ。
「私も、一応学者だからね。根拠のない話はしたくないんだよね」
「この前、していたではありませんか」
「や。あれは、私なりの根拠があったんだよ。証拠はないのだけど、でも、色々な情報をまとめると他の答えはない。だから、確信に近いものはあった」
「なるほど」
「ただ、これからする話は、根拠なんてなにもないんだ。おとぎ話みたいなもの。だから、私としては変な情報を与えない方がいいんじゃないか? って迷うんだよねー」
「それでも、教えてください」
獣人は強い力を持っている。
人間を敵視して、姿を消した。
現状、判明したのはそれくらいだ。
もっと深い情報を得ないと、アイシャが狙われる理由がわからない。
そして、その理由を突き止めないと、原因を排除することも難しい。
なればこそ、不確定なものであれ情報を欲する。
その真偽はさておき……
今はどんな話でも拾っておきたい。
情報の精査は後ですればいい。
「ふう……仕方ないなあ。まあ、アイシャちゃんのおかげで私の研究が進んだところもあるし。話すよ」
「ありがとうございます」
「ただ、根拠がないってことは理解してね? ほんと、おとぎ話みたいな内容だから」
重ねて、そう前置きをしてライラが話を紡ぐ。
「以前も話したと思うけど、獣人はとても強い力を持っている。そんな獣人の中で、特別な存在がいるらしいんだよね。それが……巫女」
「巫女……?」
聞いたことのない単語に、ソフィアは小首を傾げた。
その隣で、アイシャはクッキーを両手で持ち、ぱくぱくと食べている。
「女神さまは知っているよね?」
「この世界を作ったと言われる神さまですよね? で、人間はその女神さまから魔法を盗んだ」
「へえ、よく知っているね。そんな感じで、人間は女神さまから嫌われているんだけど、獣人は好かれているっぽいんだ。強い力を持ちながらも、純粋で愚かな真似はしない。女神さまはそんな獣人を気に入り、己の使徒として迎え入れたとか」
「使徒というのは?」
「まあ、部下みたいなものかな。女神さま専属の騎士みたいなものさ」
「ふむ」
「で……その使徒は強い力をもらい、女神さまのために働いた。なにをしたのか、そこはわからないんだよね。それから役目を終えた使徒は、仲間の元に戻った。使徒は妻を迎えて、子供を作り、家族を手に入れた」
「……もしかして、その子供が巫女なのですか?」
「正解。使徒の血を引いて生まれた子供は、特別な力を持っていたらしい。故に、他の獣人達から巫女と崇められていたとか」
おしまい、という感じでライラは唇を閉じた。
以前と同じなら、ここからさらに話が続いて、解説や独自の見解が挟まるのだけど、そんなことはない。
事前に言っていた通り、この話は根拠が薄いのだろう。
だから補足することもなく、ここで話が終わる。
「なるほど……大変興味深い話でした」
「私が言うのもなんだけど、信じるのかい? 根拠なんてほとんどない、おとぎ話のようなものだよ? 学会で発表したら、爆笑されるか蹴り出されるか、そんな内容だ」
「そうかもしれませんが、ですが、私はしっくりと来ました」
アイシャは普通の獣人ではなくて、強い魔力を持っている。
巫女だから、特別なのでは?
巫女だから、狙われているのでは?
そう考えると、色々なことに説明がつく。
とはいえ、この後のことを考えると、なかなか困りものだ。
アイシャが巫女と仮定して……
これから先、どうすればいいか、それがわからない。
巫女について、ライラはこれ以上の情報を持っていない。
自分で調べるしかないのだけど、情報源はゼロ。
振り出しに戻ってしまった。
一歩進んだものの、一歩下がった。
そんな感じで、有効な対策を考えることができず、悩みは残ったまま。
頭が痛い。
「……とはいえ」
「おかーさん?」
ソフィアは優しい母の顔をして、クッキーを食べている娘を抱きしめた。
なにがあろうと、守ってみせますからね。
心の中でそうつぶやいて、ソフィアはアイシャの額にそっとキスをした。
「ところで……」
ライラの視線がアイシャの後ろに向けられた。
「……」
スノウが礼儀正しくおすわりをして、じっと待機していた。
話の途中、鳴くこともない。
拾ったばかりとは思えないくらい、しっかりとした犬だった。
「その子は? この前は見ませんでしたけど……」
「アイシャちゃんが拾ってきて、そのまま飼うことになったんですよ」
「なるほど。それにしても、うーん」
ライラの興味がスノウに移ったらしく、前に移動して、じっと覗き込む。
「オフゥ……?」
目の前に接近されたせいで、さすがのスノウも戸惑い気味に鳴いた。
でも、暴れるということはない。
ライラを噛んで撃退する、ということもない。
あくまでも礼儀正しく、おとなしくしていた。
立派だ。
「よしよし」
スノウが誇らしいという様子で、アイシャがなでなでした。
スノウはおすわりを続けたままではあるが、とてもうれしそうに尻尾を横にぶんぶんと振る。
それに合わせるかのように、アイシャも尻尾を振る。
尻尾の二重奏だ。
「スノウがどうかしましたか?」
「スノウちゃんっていうんですか、この子……うーん」
ライラはスノウの顔を触ったり、体に触れたり、あちらこちらを調べる。
スノウは迷惑そうにしていたものの、それでもじっとしていた。
主の知人で……
それと、悪意がないと判断したため、されるがままになっているようだ。
「この瞳、この毛……見たことがない犬種だね」
「ライラさんも知らないのですか?」
「知らないなー。獣人研究家なんてものをやってるから、犬とかにもそこそこ詳しいんだけど、でも、見たことがないかも」
「そうですか……謎ですね」
ソフィアは困ったような顔に。
今更、スノウのアイシャに対する親愛を疑うつもりはない。
ただ、どんな犬種でどんな性質を持つのか?
それを知ることができれば、今後、なにかあった時に対応しやすくなる。
なので、ライラがスノウに興味を持った時、犬種を知ることができるのでは? と期待したのだけど……
そうそううまくいかないらしい。
「なんだろ? ホントに謎だなあ……この子、一週間くらい借りてもいい?」
「だ、だめ!」
ソフィアではなくて、アイシャがダメ出しをした。
スノウをぎゅうっと両手で抱きしめて、涙目でライラを睨む。
「うー……!」
「あ、あはは。ごめんごめん、冗談だから。そんなことはしないわ」
「……ホント?」
「ほんとほんと。ごめんね、変なこと言って」
「あんたが言うと、本気にしか聞こえないのよねー。まったく、人騒がせね。迷惑をかけたらダメなのよ?」
「それ、リコリスが言いますか……?」
そんな軽い騒動があり……
それぞれが席について、話を仕切り直す。
「そのワンちゃん、もしかしたら神獣様の末裔かもしれないわね」
「神獣?」
「使徒や巫女と同じようなもの。女神さまの従僕で、その動物バージョン」
「そのような存在がいたのですか?」
「裏付けはとれてなくて、仮説なんだけどね。でも、私はいると確信しているわ。確かな証拠はないんだけど、でも、それに近いものはたくさん発見しているもの」
「……その神獣について、教えてくれませんか?」
もしもスノウが神獣だとしたら?
その末裔だとしたら?
正体を知るきっかけになるかもしれない。
スノウのことは信頼しているが、ただ、なにか起きた時のために色々と知っておいた方がいいことは事実。
なので、ソフィアは質問を追加してみることにした。
ただ、ライラは渋い顔になる。
「んー、教えたいのはやまやまなんだけど、私もよく知らないんだよねー」
「そうなんですか?」
「巫女に関する資料は残ってても、なんでか、神獣に関する資料はほとんどないんだ。まったく別の他の資料をたくさんつなぎ合わせて、神獣という存在がいた、という推論を立てているの」
「妙な話ですね……」
もしも神獣が存在したのなら、隠蔽することは難しいだろう。
大きな力を持つ者は、なにかしらの形で後世に伝えられるものだ。
それが一切なされていないということ、どういうことか?
神獣は存在していないか……
あるいは、思いつかないような理由が隠されているのか。
「私の推理で、裏付けはないんだけど……神獣は、人を守ることを使命としていたんじゃないかな? 女神さまと同じようにね。そして、人は何度も神獣に救われたことがあると思う。色々な文献を見て、情報をつなぎ合わせると、そういう結論に至るんだ」
「ということは……スノウは、いい子なのでしょうか?」
「スノウ、いい子」
ソフィアの言葉を肯定して、アイシャがスノウを撫でる。
スノウはうれしそうに鳴いて、アイシャに顔を寄せた。
「ま、わからないことはたくさんだけど……でも、問題ないんじゃないかな?」
「そうですね」
楽しそうに嬉しそうに、アイシャとスノウがじゃれ合う。
そんな二人を見て、自然と笑みをこぼすソフィアだった。
夜。
宿へ戻り、ソフィアとアイシャと合流した。
そして、互いの情報を交換する。
「……と、いうわけです」
「アイシャが巫女、か……」
獣人で強い力を持っている。
それだけじゃなくて、さらに珍しい『巫女』という存在かもしれない。
「確証はないとしても、情報が出てくることはうれしいんだけど……うーん」
「対処方法が思い浮かばないのが、頭の痛いところですね」
ソフィアの言う通りだ。
ライラさんの言う通り、アイシャが巫女だったとする。
でも、巫女というのは伝説みたいなものだから、情報がほとんどないらしい。
どうやってアイシャを守るか?
敵の目的を知る、あるいは諦めさせることはできるか?
情報が少ないせいで、そこに繋がる答えを見つけることができない。
「今は少しでも多くの情報を集めて、それでいて、しっかりとアイシャを守るしかないね」
「ですね。それよりも気になるのが……」
「街で起きている事件のこと?」
「はい。私も、男が暴れているところに遭遇しました」
当時を思い返しているのか、ソフィアは苦い顔をしていた。
「おかーさん、かっこよかった」
「そうですか? ふふ、ありがとうございます、アイシャちゃん」
でも、すぐに笑顔になる。
アイシャの褒め言葉は最強だ。
「観光地だからたくさんの人がやってくるし、乱暴な人が混じっていてもおかしくはないんだけど……」
「事件の数がどんどん増えているんですよね?」
「うん。そこに違和感があるんだよね」
観光地に来て、ついついハメを外してしまう人はいる。
でも、それは一部だけで、あちらこちらで事件が起きるのは不可解だ。
「……これは、確たる情報ではないのですが」
そう前置きして、ソフィアは厳しい顔で語る。
「私が対処した男は、魔剣のようなものを持っていました」
「えっ!? それ、本当なの?」
「断言はできません。ただ、男が持っていた剣は、魔剣によく似ていました」
「魔剣……か」
レナ……黎明の同盟が関わっていると思われる、呪われた剣。
強い力を持つものの、持ち主を狂わせることがあると、リーフランドの一件で判明している。
「ねーねー、それ、本当に魔剣なの? っぽい偽物とかじゃないの?」
その辺りをふわふわと飛ぶリコリスが、そんなことを問いかけてきた。
「わかりません。きちんと確認したわけではないですし……そもそも、私は魔剣を見定めることができません。ただ……」
「ただ?」
「とても嫌な感じがした剣でした」
「ふーん……なら、それは魔剣ね」
意外というべきか、リコリスはあっさりとソフィアに賛成してみせた。
あれこれ言うのではないかと思っていただけに、ちょっと驚きだ。
「なんで驚いてるのよ?」
「だって、リコリスがあっさりと賛成するから……」
「ちょっとフェイト。あたしのこと、どういう目で見ているのよ?」
「楽しい……妖精さん?」
「まさかの横からの不意打ち!?」
ぽつりとこぼれたアイシャの素直な感想に、心のダメージを負った様子で、リコリスはふらふらと墜落した。
「ま、それはともかく」
わりと元気だったみたいで、すぐに復活して、真面目な顔で言う。
「あたし達妖精は、魔法のエキスパートよ。だから、魔力の流れとか、そういうものに関してはけっこう敏感なの。で……ここんところ、いやーな魔力を感じるのよね」
「それが魔剣?」
「たぶんね。目の前に大嫌いな食べ物が置かれて、その匂いが漂ってくるような感じ」
わかるような、わからないような……微妙な例えだった。
「で、そんないやーな魔力をあちらこちらから感じるわ」
「えっ」
「それはつまり……一本だけではなくて、複数の魔剣がブルーアイランドに流通していると?」
「たぶんね」
まさか、と否定したいのだけど……
でも、そう考えると辻褄が合う。
魔剣は簡単に人を狂わせてしまう。
欲望を増加したり、人格を豹変させたり……
アイザックがいい例だ。
魔剣が原因だとしたら納得できる。
「でも、なんでこんなところに魔剣が……」
「あの女のせいですね」
怒りと女性の嫉妬のようなものを交えた表情で、ソフィアが断言した。
「レナのこと?」
「もちろん。その女以外に犯人はいないでしょう」
「うーん」
「フェイトとの出会いは偶然らしいですが、それならば、他の目的があるはずです。あのような姑息で卑劣でずる賢い女が、ただのバカンスでここに来るとは思えません」
ちょっと言いすぎなような気はするんだけど……
でも、ソフィアに賛成だ。
レナは抜け目がない人だ。
今回の目的は、僕やアイシャでないとしても、他の目的があるのだろう。
例えば……魔剣をばらまく、とか。
「でも、レナが関わっているとしたら、彼女はなにをしたいんだろう?」
「それは……」
「たぶん、タダで配っていることはないと思うし、魔剣を使って商売をしているんだと思う。前も、資金稼ぎとか言っていたからね。でも、それだけじゃないだろうし、本当の目的は別にあると思うんだけど……」
それがなんなのか、わからない。
そもそも、黎明の同盟という組織がどういうもので、なにを目的としているのか?
それがさっぱりなので、レナ達が目標としているゴール地点が推測できない。
ソフィアも同じ考えらしく、難しい顔をしていた。
「みんな、悪い人にしちゃう……とか?」
ふと、アイシャがそんなことを言う。
「悪い人、ということは……私が捕縛に協力した人のような?」
「うん。悪い人をいっぱいに、する……?」
アイシャは根拠があって言っているわけじゃなくて、思いつくまま、直感で言葉を並べているみたいだ。
ただ、その内容に興味を惹かれるものがあるのか、ソフィアは真面目な顔に。
「例えば、ですが……」
「うん」
「あえて、魔剣をばらまいているとしたら? そうやって、この街の秩序を崩壊させようとしているとしたら?」
「それは……」
言われてみると、その可能性もあるような気がした。
でも、そうだとしたら、レナは、なんてひどいことを考えているのだろう。
「そうだとしたら、すごく大変なことだけど……でもやっぱり、レナの目的がわからないね」
「そこなんですよね……まったく、厄介な相手です。フェイトにちょっかいを出した時点で、そのまま切り捨てておけばよかったです」
わりと本気のトーンで、ソフィアはそんなことを言うのだった。
翌日。
みんなで、ブルーアイランドの冒険者ギルドへ向かう。
魔剣のことを話しておくためだ。
魔剣については根拠がない。
バラまかれているというのも、今のところ、ただの推測だ。
ただ、その推測が当たっていたら?
その場合は大変なことになる。
気がついたら手遅れ、ということもありえる。
だから、今のうちに話をしておくことにした。
魔剣が流通しているという証拠はないのだけど、でも、剣聖の言葉ならある程度は耳を傾けてくれるだろう。
「あ、スティアートさん!」
「こんにちは、ファーナさん」
今日も忙しそうにしていたファーナさんだけど、僕に気がつくと、にっこりと笑い駆け寄ってきた。
ちょっとスノウに似ているような気がする。
「おっす」
「リコリスさんも、こんにちは。えっと……?」
ファーナさんの視線がソフィア達に向いた。
「はじめまして。私は、ソフィア・アスカルトです」
「アイシャ……です」
「オンッ!」
それぞれ順番に挨拶をする。
今さらだけど、スノウも中に入れてよかったのかな?
動物禁止とか、そういうルールがあったりしないかな?
そんな不安を抱くのだけど、特になにも言われないので問題ないのだろう。
それよりも、ファーナさんの興味はソフィアにあるようだった。
「アスカルト……それじゃあ、もしかしてあなたが剣聖なんですか?」
「はい」
「あぁ、良かった。スティアートさん、ありがとうございます」
僕がソフィアを連れてきたと思っているみたいだ。
似たようなものだけど、でも、そこまで感謝しなくても、とは思う。
「ぜひ、ギルドマスターがお話をしたいと……今、お時間よろしいでしょうか?」
「それは構いませんが、私だけですか?」
「いえ。もちろん、スティアートさんとリコリスさんも一緒に! ただ、アイシャちゃんとワンちゃんは……」
ファーナさんは、少し困った顔に。
アイシャ達を邪魔者扱いしているわけじゃなくて、子供に聞かせる話ではないと思っているのだろう。
「リコリス、アイシャとスノウを見ていてくれるかな?」
「えー、なんであたしがそんなことしないといけないの。ハイパーミラクル妖精リコリスちゃんは、雑用係じゃないんですけどー」
「おいしいクッキーとジュースを出してもらうようにお願いするから」
「あたしに任せなさい!」
リコリスは、いつでもどんな時でもリコリスだった。
その後、僕とソフィアは、二階にあるギルドマスターの部屋へ。
中はそこそこ広く、来客用のスペースも完備されていた。
「すみません、おまたせいたしました」
五分ほど待ったところで、スーツ姿の女性が現れた。
メガネをかけていることもあり、とても知的な印象だ。
「私が、ブルーアイランドのギルドマスター、シェリーナです」
「あ……フェイト・スティアートです」
「ソフィア・アスカルトです」
「名前で呼んでも?」
「はい」
「では……フェイトさん、ソフィアさん。よろしくお願いします」
握手を交わす。
少し驚いた。
冒険者をまとめる存在だから、男性を想像していたのだけど、まさか女性だったなんて。
しかも、知的な感じで、武に特化している感じはしない。
「……フェイト、あまりじろじろと見ては失礼ですよ」
ソフィアに小声で注意されてしまう。
「……まさか、シェリーナさんに見惚れたとか」
「……な、ないから」
「……ソウデスカ」
しまった、ソフィアがあらぬ誤解を。
頬を膨らませて、子供のように拗ねてしまう。
後で謝っておかないと。
「わざわざ足を運んでいただき、感謝します」
「いえ、なんてことはありません。それよりもフェイトから聞いたのですが、今、ブルーアイランドでは事件が多発していると?」
「はい。数日前から急激な増加傾向にあり、騎士団からの応援要請が回ってくるほどです」
「そんなに人手が足りなくなるくらい、事件が起きているんだ……」
これ……もしかしたら、事態は考えている以上に深刻なのかもしれない。
騎士団は秩序を司り、冒険者は街の人々に寄り添う。
互いにプライドを持ち、己の領域に踏み込まれることを嫌う。
有事の際はそうも言っていられないため、互いに協力をするのだけど……
今がその非常事態に当たるのだろうか?
それくらいの規模の事件に発展しつつあるのだろうか?
「お二人の活動拠点がブルーアイランドでないことは承知しています。その上で、どうか力を貸してくれないでしょうか?」
「はい、それはもちろん」
「よかった……では、さっそくで申しわけないのですが、力を貸していただきたく」
「あ、待ってください。その前に、話しておきたいことがあります」
「話しておきたいこと、ですか?」
「はい。実は……」
ソフィアが魔剣の話を切り出そうとした時、
「た、大変です! 浜辺で多数の暴徒が出ました!」
顔を青くしたファーナさんが、そんな報告をしてきた。
「それは俺のものだ! 俺のものなんだよ、離れろ離れろ離れろおおおおおっ!!!」
「うあああああ! お前ら、みんな敵だ! くるな、くるんじゃねえ!」
「くそくそくそっ、なんでこんなことに! 俺が一番なのに、俺が!!!」
現場に駆けつけると、とんでもないことになっていた。
目を血走らせて、泡を吹くように叫ぶ人が多数。
意味不明なことを口走りながら、剣を振り回している。
騎士団と冒険者が協力して制圧を試みるものの、なかなかうまくいかない。
というのも、まだ逃げ遅れた人が多数いるからだ。
腰を抜かして動けない人。
迷子になり、泣いている子供。
怪我をして歩けない人。
それらの人を守りながらの戦いなので、どうしても劣勢になってしまう。
煉獄があるとしたら、こんなところなのかもしれない。
そう思うくらいひどいことになっていた。
「あれは……やっぱり、魔剣!」
暴れている人達は、全員、魔剣を手にしていた。
以前、見たものとタイプが違う。
でも、あの禍々しい気配を間違えることはない。
「フェイト! 連中は私が制圧します」
「うん。なら僕は、逃げ遅れた人を!」
「お願いします! それと、リコリスはアイシャとスノウをお願いします」
「任せておきなさい!」
まず最初に、ソフィアが動いた。
石畳にヒビを入れてしまうほどに力を込めて、地面を蹴る。
瞬間移動をしたのではないかと錯覚するほどの超加速。
そして、抜剣。
「神王竜剣術、四之太刀……蓮華!」
聖剣を一閃。
暴徒が持つ魔剣を、真正面から叩き伏せて、両断した。
急ブレーキをかけて、その場でくるりと回転。
そのままの勢いで、暴徒の脇腹を蹴り上げる。
「!?!?!?」
暴徒は悲鳴をあげることもできず、昏倒した。
骨が砕ける音がここまで響いてきたものの、死んではいないと思う。
さらに、ソフィアは倒れた暴徒の足を踏み、折る。
追撃はひどいと思われるかもしれないけど、完全に機動力を奪うためには仕方ない。
「次、かかってきなさい!」
ソフィアは鋭く吠えつつ、聖剣エクスカリバーを構え直した。
その迫力に暴徒達はわずかに怯む。
しかし、すぐに獣のように叫びつつ、ソフィアに一斉に襲いかかった。
その数は十を超えている。
さすがのソフィアも、あれじゃあ……
……なんて心配は無用だった。
「はぁあああああっ!!!」
ソフィアは華麗に苛烈に舞い踊り、剣を振るい、次々と暴漢を叩きのめしていく。
嵐に巻き込まれたかのように、暴漢達はどんどん倒れていった。
剣を叩き折られて、骨を砕かれて、行動不能に陥る。
すごい。
なんてすごいんだろう。
あれが剣聖。
ソフィアの力は知っているつもりだったけど、でも、こうして改めて見るとすごいの一言に尽きる。
僕も、あの領域に行きたい。
いや。
彼女の隣に並びたい。
強く、そう思った。
とはいえ、憧れるのは後回し。
今は人命救助を優先しないと。
「大丈夫ですか!?」
動けない人達に手を貸して、浜辺から避難させていく。
騎士や冒険者だけじゃなくて、街の人々も手を貸してくれたので、思っていた以上にスムーズに避難が終わりそうだ。
ただ、暴徒の数はなかなか減らない。
ソフィアが叩きのめす以上の速さで、どこからともなく増援が追加されているらしく、完全制圧は遠い。
「リコリスちゃん、ウルトラメガファイアー!」
ふと見ると、アイシャ達のところにも暴徒が。
リコリスが魔法を放ち、撃退しようとするが……しかし、暴徒は体を燃やしつつも止まらない。
目を血走らせていて、デタラメに剣を振るう。
完全に理性を失っている。
「このっ!」
神王竜剣術、四之太刀・蓮華。
ソフィアと比べると技の切れは弱い。
それでも暴徒には有効だったらしく、なんとか打ち倒すことに成功した。
「ちょっとフェイト! こいつら、めっちゃやばいんですけど!? 目がイッちゃってるわよ!?」
「ここにいたら危険だ! リコリスは、アイシャとスノウを連れてギルドに引き返して……いや、待って」
落ち着いて耳を済ませてみると、街の方からも悲鳴が聞こえてきた。
まさか、浜辺だけじゃなくて街中にも暴徒が!?
「これ、やばくない……?」
「う、うん……いったい、なにが起きているんだろう……?」
底知れない悪意が街中で吹き荒れているような気がした。
「おー、すごいすごい。ばちぼこに荒れてるねえ」
ブルーアイランドの中央にある教会。
そのてっぺんにレナの姿があった。
屋根の頂点に器用に座り、街全体を眺めている。
その街は、あちらこちらから悲鳴があがっていた。
よく見てみると、街を守護するべきはずの騎士が暴れていた。
いずれも目を血走らせて、正気を失い、目につくもの全てに攻撃を繰り返している。
彼らを凶行に駆り立てている原因は、魔剣だ。
それなりの力は秘めているが、一週間ほどで精神に異常をきたしてしまうという、劣化コピー品だ。
その魔剣を、レナはあちらこちらでばらまいた。
騎士団に売り込み。
冒険者に売り込み。
自衛のためと、民間人にも売り込んだ。
結果、ブルーアイランドの多くの人が魔剣を手にすることとなり……
次から次に心が壊れて、暴走を始めることに。
秩序を守るべき立場のはずの騎士が人々を襲う。
親が子を襲う。
縁もゆかりもない相手を、親の仇のように襲う。
ブルーアイランドは煉獄のようになっていた。
「うんうん、思っていた以上の成果かな?」
恐ろしい光景を目の当たりにして、しかし、レナは満足そうだった。
それもそのはずだ。
この光景ができるように仕組み、暗躍してきたのは、他ならぬレナなのだから。
「いやー、がんばった、私! ブルーアイランドの秩序を崩壊させるために、こそこそと、毎日魔剣を配り歩いていたからね。あれは地味でつまらないから、本当に大変だったよ。でも、おかげで成功かな?」
煉獄のような光景を見て、レナはにっこりと笑う。
満足だというように、にっこりと笑う。
その笑みは、天使のように綺麗なものではあるが……
奥に隠されている感情は、黒く、暗い炎だった。
「……順調そうだな」
「あ、リケン。やっほー」
振り返ると、同志である初老の男……リケンの姿があった。
音もなく現れたのだけど、レナは気にしない。
驚くこともない。
彼なら、それくらいやってのけて当たり前なのだ。
「少し心配していたが、うまくやっているではないか」
「まーねー。っていうか、心配するとかひどくない? ボクは、やる時はしっかりとやるんだよ?」
「それはわかっているが、お前は、時に遊びが交じるからな。リーフランドの時もそうだっただろう?」
「フェイトのことなら、遊びじゃなくて本気だし」
「やれやれ」
リケンは呆れつつ、しかし、話題を変えることにした。
本来なら、フェイトのことについてあれこれと正したい。
妙な感情を寄せることなく、斬り捨ててしまえと言いたい。
しかし、それなりの付き合いがあるため、レナが本気ということがわかる。
そんな彼女につまらないことを言えば、逆にリケンの方が斬られてしまうだろう。
「うまくいっているようだが、計画は最終段階か?」
「そだね。見ての通り、ブルーアイランドの秩序は崩壊した。負の感情が溜まって溜まって溜まって……うん、けっこう大変なことになっているね」
荒れ狂う街を見て、レナはにっこりと笑う。
「この状態なら、封印を壊すことができるかな?」
「街の秩序を崩壊させて、負の念を集め、それを武器として封印を砕く……ふむ。始めに聞いた時は、博打要素の強い作戦と思ったが、なかなかどうして。うまくいっているようで、驚きだ」
「えっへっへー。言ったでしょ、ボクはやる時はやるんだよ?」
レナは胸を張って、自慢そうに微笑む。
街一つを混乱に陥れて。
負傷者が多数出ている状況で。
それを見て、なお、笑みを浮かべ誇らしげにする。
レナは、そんなことができる少女だった。
「さてと……そろそろ、締めに入ろうかな?」
「どこへ行く?」
「締めだよ、締め。このまま放っておいても、たぶん、封印は崩壊すると思うけど……でもボク、待つのは苦手なんだよね」
「封印を破壊するのか?」
「そういうこと。今の状態なら、手出しできると思うからね。確か……四つの教会に、それぞれ封印が分散されているんだよね?」
「そうだな」
「あー、四つかあ。面倒だなあ。ボク、強いけど、さすがに体は一つしかないからなー。あー、面倒だなあ」
「……はぁ」
やれやれ、とリケンはため息をこぼした。
「儂も手伝おう」
「ホント!? マジで?」
「それを期待していたくせに、白々しい」
「えへへー、ごめんごめん。でも、手伝ってくれるのはうれしいよ。さっきも言ったけど、ボクの体は一つだけだからね。四箇所も回るのは面倒だし、途中で対策されるかもしれないからねー」
「対策はないだろう。この街の者は……人間は愚かだ。過去のことなんて覚えていない。教会の封印のことなんて、知っている者はおらぬさ」
「だといいんだけどねー」
レナは街を見下ろした。
そして、ニヤリと笑う。
「でも、敵はいるよ」
「どういうことだ?」
「剣聖がいるから、たぶん、邪魔してくるだろうね」
「……そういう大事なことは早く言え」
「サプライズ?」
「いらんサプライズだな」
はぁ、とリケンのため息が再びこぼれた。
あちらこちらから悲鳴や怒声が聞こえてきた。
それと一緒に、人が暴れるような乱暴な音。
爆発音なんかも響いてくる。
このブルーアイランドでなにが起きているのか?
わからない。
なにもわからないけど……
このまま放置することはできない。
どうすれば、この状況を止めることができる?
いったい、どうすれば……
「……そういえば」
ふと、思いついたことがあった。
「フェイト、なにか?」
「暴れていた人達が持っていたの、魔剣……だよね?」
「そうですね。断定はできませんが、似ていたと思います」
「魔剣のせいで人がおかしくなるのは、リーフランドの事件で証明されているわけで……それと、レナがいた」
「……もしかして」
「たぶん、レナの仕業だと思う」
気づくのが遅いと、自分で自分に呆れてしまう。
もっと早く、この答えにたどり着くべきだった。
いや。
それよりも前に……
冒険者ギルドや騎士団などにレナのことを訴えて、彼女を探してもらうべきだった。
可能なら捕まえてもらうべきだった。
そうしなかったせいで、こんなことに……
「フェイト、悔やむのは後にしましょう。今は、やれることをやらないと」
「……うん、そうだね」
反省は後回しだ。
目の前の状況に対処しないと。
「二手に別れましょう。私はレナを探したいと思います」
「それなら僕も……」
「いえ。フェイトは、さきほどと同じように、街で暴れている人達の対処をしてください。魔剣を持つ人は強く、並の冒険者では相手になりません」
「それじゃあ、僕でも……」
「大丈夫です。フェイトは強いですよ」
僕を勇気づけてくれるかのように、ソフィアが微笑む。
その笑顔は優しくて、温かくて……
心が奮い立つ。
「うん、了解。少しでも被害を減らせるように、がんばってみるよ」
「お願いします。私は、どうにかしてレナを見つけ出して、この騒動を収める方法がないか聞き出してみようと思います」
そう言うソフィアは怖い顔をしていた。
聞き出す、と言っていたけれど……
強引に、とか力づくでも、とか、そんな言葉がつくんだろうな。
それを止めるつもりはない。
レナは、どことなく憎めない子だけど……
こんな状況を引き起こしたのなら、なにをしても止めなければいけないから。
「リコリスはフェイトのサポートをしてくれませんか?」
「えっ」
とても嫌そうな顔に。
「あたし、宿に引きこもりたいんだけど。危険危険、って本能が訴えてくるんだけど……」
「大丈夫です。リコリスのことは、フェイトが守ります。あと、あとでおいしいクッキーをあげます」
「いいわ!」
あっさり前言撤回して、一緒に行くことを決めたリコリス。
それでいいのかな? と思うけど……
まあ、リコリスだからいいか。
「アイシャちゃんとスノウも、フェイトと一緒にいてくださいね」
街の惨状を見ると、屋内にいても安全とは言い切れない。
魔剣を手にした暴漢が強引に扉を開けて、侵入してくるかもしれないからだ。
それなら一緒にいた方がいい。
目の届く範囲にいれば、きちんと守ることができる。
「アイシャ、怖い?」
「ううん。おとーさんが一緒なら、大丈夫」
「安心してね。あと、スノウをしっかりと抱えていてね」
「うん!」
アイシャはスノウを両手で抱えて、しっかりと頷いてみせた。
こんな状況だ。
本当は怖くて、泣きたいはずなのに……
でも我慢して、気丈な姿を見せてくれている。
僕にはもったいないくらい、よくできた娘だ。
でも、そういう考えはなしにしないと。
アイシャに似合う父親になれるよう、がんばろう。
「では、私はそろそろ行きます」
「おかーさん」
「はい、なんですか?」
「気をつけてね」
娘の健気な台詞に、ソフィアはデレデレっとした顔に。
それから、おいでおいでをして、アイシャを抱きしめた。
「大丈夫ですよ、アイシャちゃん。あなたのお母さんは、世界で一番強いんですからね」
「おー」
「だから、安心してくださいね」
「うん」
世界で一番というのは、あながちウソとも言えないところがソフィアのすごいところだ。
アイシャも安心したらしく、落ち着きなく揺れていた尻尾が止まる。
「フェイトも気をつけてくださいね」
「うん、大丈夫だよ」
「では、また後で」
ソフィアは剣の柄を掴みつつ、大きく跳躍して、建物の向こうに消えた。